十番隊の四季 〜春〜
朽木家は瀞霊廷の中心部に広大な屋敷を構えているが、郊外に寮も所有している。寮には先代当主である銀嶺が悠々自適の隠居生活を送っていた。この御隠居、元六番隊隊長を務めていた時期もあり、総隊長や一番隊・雀部副隊長との親交が深く、今でも護廷に対して愛着を持っている。その故か、彼はたまに護廷隊長格を隠居処に招いて、宴を催すことがあった。
銀嶺が観桜会を催すという招待が白哉を通じて届けられたのは、十番隊舎の桜が三分咲きの頃だった。隠居処である寮には見事な桜の古木があるのだが、この桜は早咲きで、周囲が五分、六分の頃に満開を迎えるのだ。
「明後日の暮六つからだそうだ。今の処、業務に滞りはないし、行けるな?」
冬獅郎の確認に乱菊は頷いた。朽木家の観桜会には以前も招かれたことがあるが、篝火の下で眺める桜は幻想的なまでに美しかったし、料理も酒も一級のものが振る舞われるのだ。何より、私邸での宴だけに下品に絡んで来る酔客もいない。
「観桜会、久し振りのお招きですね。楽しみ〜」
乱菊は本当に楽しみにしているらしく、にこにこしている。そのご機嫌な笑顔を見ていると、冬獅郎まで何となく心が弾んでくる。それに、引退したとはいえかつては一隊を率いていた先輩と話が出来るというのも、勉強になりそうだ。
「ねぇ、隊長」
「あ?」
「何を着て行ったらいいと思います?」
仮にも四大貴族の御隠居の招待なのだ。死覇装というわけにはいかない。正装ではなくとも、それなりに格のある装いが求められる。
ちょっと考えて、冬獅郎は答えた。
「曾野の結婚式の時に着ていた着物なんか、いいんじゃねえか?」
二年程前の春先、丁度、桜の季節に上級貴族出の十番隊の席官が結婚した。上司である冬獅郎と乱菊は、当然のことながら披露宴に招待された。そして、その時に乱菊が着用していた桜の柄の訪問着がとても似合っていたので、冬獅郎の印象に強く残っていたのだ。季節感も合うし、あの着物なら華やぐだろうと考えての提案だったが、
「あれはダメです」
と乱菊は申し訳なさそうに眉をハの字に下げた。
「あ、何でだ?」
「お花見の主役は桜でしょう。桜柄の着物だと桜と張り合っていることになってしまうんです」
と乱菊は説明した。冬獅郎はすぐに納得する。結婚式の披露宴で、花嫁の色だからと、招待客が白地の着物の着用を避けるのと同じ理屈だろう。宴である以上、美しく装って場を盛り上げるのは招かれた客としての礼儀であるが、主役を食ってしまうのは御法度なのだ。
「半襟とか、帯留めみたいな小物で桜柄なのは、お花見らしくて喜ばれますし、桜柄でも他の花に混じっているのとか、江戸小紋みたいに完全に紋様になってしまっているのは大丈夫ですけど、あの着物はもろに桜の図柄だから」
紫地に満開の枝垂れ桜を描いた着物だったのだ。
「なるほど」
「どうしましょう?」
重ねた乱菊に、冬獅郎は僅かに息を吐いた。
「俺は花見に桜の柄の着物はまずいってことも知らなかった野暮天だぞ?」
そんな男に着るものを選ばせてどうするんだ。と、冬獅郎は主張したが、乱菊は諦めなかった。
「だって、隊長って、天性の趣味の良さがあるじゃないですか。以前にお年賀やお茶会の着物を見立てていただきましたけど、もの凄く好評だったんですよ」
と熱心に言った。
「ね、隊長。お願いですから見立てて下さいよぉ。あたし、きっと自分じゃ迷ってしまって決められません」
乱菊に強く強請られると、冬獅郎はどうにもこうにも逆らえない。わかった、と不承不承に承諾した冬獅郎に、乱菊は嬉しそうな笑みを溢れさせた。
ここは呉服屋か?
目の前に広がる光景に冬獅郎は眩暈がした。部屋中に広げられた着物、着物、着物。その数の夥しさに、彼は本気で頭痛を覚えた。
観桜会に着て行くものを見立ててほしいと頼んだ乱菊は、冬獅郎が選びやすいようにと手持ちの衣装を部屋いっぱいに広げたのだ。着物で畳が見えないほどのありさまに、冬獅郎は溜息を禁じ得なかった。しかも、ここに広げられているのは乱菊の着物の全てではない。単や夏の薄物は当然のことながら出されていないし、楓や菊などの明らかに季節にそぐわない柄の着物や、宴には不似合いな日常的な外出着は除いてあるのだから。
(高級取りのくせに汲々としているはずだ)
隊長には及ばなくとも、副隊長ともなれば、かなり高額な給金が支払われる。にもかかわらず、乱菊が「金がない」だの、「手元不如意だ」だのとしばしば口にしているのが不思議でならなかったのだが、これだけ着道楽を尽くしていれば、金もなくなるだろう。冬獅郎は心から得心した。この呉服の海から着物を選ぶとなれば、迷うに決まっている。乱菊に頼まれて安請け合いをしたことを、冬獅郎は早速後悔した。だが、約束した以上はちゃんと選ばなくてならない。「やっぱり止めた」とは言えないところが、彼の律儀さだ。彼はゆっくりと着物に視線を走らせ、吟味していった。
観桜会は陽が落ちてからだ。篝火が焚かれているとはいえ、黒っぽい着物では夜闇に沈んでしまう。そう考えた冬獅郎は色目が明るい方がいいと結論し、明るめの色柄の着物を選って視線を巡らせた。
しばらく、ゆらゆらと視線を往ったり来たりさせていた彼は、やがて、
「それ」
と一枚の着物を指差した。
「ちょっと見せてくれ」
指し示したのは水浅葱色のとても細かい柄の小紋だった。遠目であれば何となく無地ではないような気がすると感じる程度の、ほとんど無地感覚のものだ。乱菊が持ってきたものを検めると、水浅葱地に甕覗き色で極小の鮫紋を型染めした江戸伊勢型小紋だった。全体は鮫紋で埋め尽くされているが、近くで見ると、裾、左肩、袂、右胸元に雪輪が散っているのがわかった。雪輪そのものの輪郭を取って染めてあるのではなく、内部を万筋、行儀、角通し、毘沙門亀甲、七宝などの外側の鮫とは異なる柄で型染めすることで、雪輪形をさりげなく浮かび上がらせる技法だ。
「なるほど、雪輪か...」
何事か思い付いたのだろう、ふむ、と冬獅郎は考え込んだ。それから、面を上げると、何かを探すかのように、視線が着物の群れを走った。
「あの羽織」
と彼は一枚の長羽織を指差した。乱菊は示された羽織を手渡した。
「ああ、そう。これだ」
冬獅郎は頷いた。
「確か、月の柄の羽織があったはずだと思ったんだ」
その羽織は「月に叢雲」という主題で柄付けされたものだった。全体に濃淡のぼかしを施すことで叢雲を表し、左肩の背中側、丁度肩甲骨の横くらいの位置にぽっかりと満月が浮かんでいた。満月の端にもわずかに雲端がかかっている。色合いは落ち着いた香色。叢雲のぼかしは共淡色の友禅染、月は銀の漆箔糸で縫取り織で表わしてあった。
「こっちの江戸小紋に、この羽織はどうだ?」
と、乱菊は即座に冬獅郎の意図を汲んだ。冬の雪、秋の月、春の桜花。四季における美しい風物を代表して「雪月花」と称する。単独の着物として考えると、完全に文様化されているので季節をそれほど問わないとはいえ、本来、雪輪は冬、でなければ涼を呼ぶ為の夏の紋様だ。月もどちらかというと秋を感じさせる柄とされている。だが、「春の桜花」を愛でる観桜会で雪と月を纏うのなら、「雪月花」と洒落ることになるので宴に相応しいかもしれない。
「帯は?」
「羽織下なら細帯の方がいいだろう」
乱菊はちょっと首を傾げていたが、すぐに一本の帯を取り出してきた。鉄紺地に箔摺りで大きめの雪輪を現した小袋帯である。
「帯まで雪輪にするとやり過ぎでしょうか?」
「いいんじゃねえか? 羽織を着たら、小紋の雪輪は裾しか見えなくなってしまうからな。そのくらいはっきりした雪輪が帯にあった方が『雪月花』を意図していると分かりやすいだろう」
「それもそうですね」
と乱菊は頷いた。
「やっぱり、隊長ってすごいです。『雪月花』なんて、あたし、思いつきませんでしたもの」
「たまたま目に留まった着物が雪輪だったからだ」
冬獅郎は謙遜した。
「半襟や帯締めとかの小物は自分で合わせてくれ」
「はーい。了解しました」
と乱菊は頷いた。
冬獅郎が隊長舎に引き上げてしまってから、彼が選び出したものを除いて、乱菊は広げていた着物をしまった。明後日に着て行く着物は風を通す為に衣桁に掛けなくてはならない。
小紋を衣桁に掛けようとして、ふと乱菊は手を止めた。
(この着物って...)
この時、乱菊は気が付いた。雪月花のうち、雪と月は、冬獅郎をも象徴しているということに。
自らの名に「冬」の字を戴き、氷雪系最強の斬魄刀の主である彼は、正に「雪」だ。そして、彼の斬魄刀・氷輪丸の「氷輪」は氷のように冴え冴えと輝く月を意味している。
(雪と月の着物って...、何だか、隊長に包まれているみたい)
その思い付きが気に入って、乱菊は独り、ひっそりと笑みを浮かべた。
2013.02.04 UP
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