風情ありける月見かな
難しい顔をして、瀞霊廷でも一番の目抜き通りを歩む幼馴染の姿を見つけ、桃は思わず、
「シロちゃん!」
と叫んでいた。声を上げてから、しまった、と思った。案の定、幼馴染は眉間の皺を深くして、
「日番谷隊長だ、っつってるだろう?」
「いいじゃない、もう。今日は非番なんでしょ?」
と、桃は反論した。
目の前の冬獅郎は白い隊首羽織も、死覇装も身に付けておらず、藍錆色の
「しょうがねぇな」
と冬獅郎は妥協する。確かに、ここで隊長呼ばわりされて、周りの商店主に気を遣わせるのも不本意だ。
「けど、シロちゃんは止めろ」
「はいはい、わかりました。日番谷くん。で、何してるの、こんなとこで?」
と尋ねられ、彼は渡りに舟のタイミングで桃が現われてくれたことに思い当たった。
「そうだ、雛森、ちょうどよかった。相談に乗ってくれ」
「珍しいなぁ、日番谷くんがあたしに相談って。で、何?」
「松本のことなんだが」
「乱菊さん?」
「もうすぐ、誕生日らしいんだが、何をやればいいと思う?」
ああ、と桃は得心した。目の前の幼馴染の副官を勤める美しい女性は、今月末が誕生日であった。昨年、十番隊長に就任したばかりの冬獅郎は乱菊の誕生日を知らず、後日に夕餉を奢ったくらいで特別なことは何もしてやれなかった。だが、その後に迎えた冬獅郎の誕生日に、乱菊は派手な打ち上げ花火を上げたのだ。乱菊に誘われて、自隊の藍染隊長とともに花火鑑賞のご相伴に与った桃は、凍てついて澄んだ冬の夜空に上がった花火の息を呑むような美しさを思い出し、ほぅ、と息をついた。
「花火、綺麗だったものね。気合を入れてお返ししなきゃ、だよね」
律儀で義理堅い冬獅郎が、乱菊の贈ってくれた花火にとても感謝していること、その想いに見合うものを贈りたいと願っていることを即座に理解して、桃は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「今年はちゃんと祝ってやりてぇんだが、何を贈ればいいのか見当がつかねぇ」
と、冬獅郎は嘆息して、素直に困惑している心情を吐露した。
「シロちゃん、じゃなかった、日番谷くんが心を込めて贈ったものなら、乱菊さんは何でも喜んでくれると思うけど?」
「けど、趣味の合わねぇもんを贈られたって迷惑だろう?」
「うん、まぁ、そうだけど」
冬獅郎にとって、桃に贈るものを選ぶことは困難ではない。何といっても幼馴染だ。嗜好は知り尽くしている。だから、事前に欲しいものが分かればほぼ間違いなく、分らなくても、それなりに桃が気に入る品を選べる自信がある。しかし、乱菊については全く見当がつかない。冬獅郎が隊長に就任し、乱菊が副官として付いて一年と少し。少しずつ歩み寄り、理解しあい、既に彼女はなくてはならない副官になってはいるが、個人的な種々については、まだ、互いに熟知するには短いつきあいだ。
「う〜ん。でも、あたしと乱菊さんとは好みが全然違うし」
と、桃は首を傾げていたが、急に、ぱっと顔を上げた。
「そうだ。乱菊さんって、日本舞踊が趣味で特技らしいよ」
「へぇ、日舞を?」
冬獅郎には、それは初耳だった。
「二十何年か前、十番隊が新年の賀会の輪番だった時に舞台で踊ったこともあるって、藍染隊長から伺ったことがあるの。すっごく綺麗で、みんな見蕩れてたんですって。だけど、その後、貴族からの求婚が相次いで、乱菊さんも、当時の十番隊長さんも断るのにずいぶん苦労して、それから、部外者の出席がある場では乱菊さんの踊りは封印ということになったんだって」
「なるほど」
「たま〜に、隊長格の宴席で、総隊長に求められて踊ることがあるって伺ったけど、日番谷くんは見たこと…」
「ねぇ」
他隊の隊長は見たことがあるのに、自分が見たことがないのが、何故だか、冬獅郎は悔しかった。
「だったら、踊りで使うものを贈ったらどうかな? きっと喜んでくれるし、もしかしたら、踊りを披露してもらえるかもしれないよ」
桃の意見に、冬獅郎の表情が明るくなった。
「ありがとな。雛森。助かった」
「うん、日番谷くんの役に立ててよかった。今度、あんみつでも奢って」
「わかった」
「じゃ、あたし、おつかいの途中だから、もう行くね」
「おう、引き止めて悪かった」
ぱたぱたと小走りに、桃が去って行った後、冬獅郎は手近の店の者に、日本舞踊で使用する道具を扱う店の所在を尋ねた。
執務室の壁に掛けられている日めくりが九月に入ってからずっと、乱菊は、
「今月、誕生日なんですよ」
と、冬獅郎に言い続けていた。
別に、贈り物が欲しいわけでも、祝いを強制するつもりもなかった。ただ、出来るなら、「おめでとう」の一言で充分だから、心からの祝いが欲しかった。行事ごとに関心の薄い冬獅郎は副官の誕生日なんか覚えていないだろうし、昨年のように当日になって気付いて、ばつの悪い思いをさせるのも申し訳ないと考えたから、乱菊は「誕生日」を繰り返すことに決めたのだ。
「ねぇ、隊長。二十九日は誕生日…」
「あ〜、うるせぇな。わかってるって。いい加減、耳にたこが出来るぞ」
と、口では悪態をつきながら、冬獅郎が本気で怒ってはいないことに気付いて、乱菊は嬉しさに密かに笑みを零した。この調子なら、きっと、この照れ屋の上司でも「おめでとう」を言ってくれそうだ。
昨年と同様に、朝のうちは仕事にならなかった。
十番隊の席官たち、副隊長仲間、浮竹や京楽といった隊長までも十番隊執務室を訪れて、祝いの言葉とともに贈り物を置いてゆくのを、冬獅郎は仕事に集中しているふりで観察していた。誰が来ても、乱菊は満面の笑みを浮かべて歓迎し、祝いの品に嬉しそうに礼を述べていた。けれど、来客が帰ると笑みを解き、こっそりと上司を窺い見ていることに、冬獅郎は気付いていた。
まだ、冬獅郎は、「おめでとう」を言っていない。
乱菊の視線の意味を理解していながら、わざと彼は口にしなかったのだ。
夜は副隊長仲間が祝いの宴会を催すことを聞いていた冬獅郎は、
執務室を出る際、冬獅郎は三席に、
「戻るのが少し遅くなるかもしれねぇ」
と耳打ちしておいた。隊長が乱菊を伴って出るのを認めた三席は、すぐに了解の意を示した。
冬獅郎が乱菊を連れて行ったのは、瀞霊廷でも五本の指に入る高級料亭だった。事前に予約を入れていた為、すぐに離れの個室に通された。
「まだ、勤務中だからな。酒はなしだぞ」
釘を刺す上司に、
「隊長、それを狙って、お昼ご飯にしたでしょ?」
と、乱菊は軽く睨む。
ほどなく、仲居が料理を運んできた。凝った器に盛られた先付、向付、そして、仲居は切子硝子の徳利をことりと卓に置いた。
「本日の食前酒はすもも酒でございます」
と、冬獅郎と乱菊を等分に見ながら告げる。
「あら?」
と、乱菊は冬獅郎を見返した。
「いいんですか、隊長?」
「これくらいなら、おまえには飲んだうちに入らねぇだろう? 見逃してやる」
「ありがとうございます」
にっこりと乱菊は微笑んだ。
冬獅郎は徳利をつまみ上げると、
「祝いだ」
と、まず乱菊に酌をした。乱菊も冬獅郎の酒杯にすもも酒を注ぎ、二人は硝子の杯をかちりと合わせた。
「おめでとう、松本」
一番祝って欲しかった人に、一番言って欲しかった言葉をようやく告げられて、乱菊は今日一番の笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます。隊長」
こくり、とすもも酒を含むと、果実酒特有のさわやかな甘味が口いっぱいに広がった。
酒豪の乱菊は、居酒屋で飲む時は専ら辛口の吟醸酒や焼酎を飲んでいるが、こういういかにも女の子好みの甘口の酒も好きである。隊寮の自室で一人で飲む酒は、たいてい自家製の梅酒だ。
「きれいな色のお酒ですねぇ」
と乱菊は酒杯を目の高さに持ち上げて言った。透明な硝子の杯の中で、すもも酒は桜色に揺れていた。
「ふつうのすもも酒って、もっと真っ赤ですよ」
「熟しても黄緑色の品種のすももで作ると、こういう薄紅になるらしい」
「そうなんですか。来年、あたしも作ってみようかしら」
「酒が絡む時だけは積極的だな」
「ひどい、隊長!」
高級料亭だけのことはあって、料理もとてもおいしかった。
焼き物は岩魚の塩焼き、煮物は秋らしく栗や銀杏や松の実などの木の実を鶏と炊き合わせて照り煮にしたもの。雲丹の茶碗蒸しに銀あんをとろりとかけた豊年蒸し、てんぷらの盛り合わせ、と、乱菊と冬獅郎は昼餉には豪勢な膳を楽しんだ。
最後に供された巨峰と柚子の二色シャーベットを、乱菊が幸せそうな顔で食べ終えたところで、冬獅郎はおもむろに袂から細長い包みを取り出して、副官の前に押しやった。
「やる」
昼餉のご馳走が冬獅郎からの祝いだと思っていた乱菊は、目を丸くして包みを見つめた。
「ありがとう、ございます」
びっくりしたので、礼を述べるタイミングが遅れた。
「好みが分からなかったからな。気に入らなかったら済まねぇ」
「隊長からいただくものが気に入らないなんて、あり得ません」
「そうか? その割にはいつも心を込めて贈ってる書類は、ずいぶん嫌がっているようだが」
「そんなものに無駄に心を込めないで下さい」
反論しながら、乱菊は包みを開く。包みの中は漆塗りの細長い箱で、箱の蓋を開けると、扇が納まっていた。
そっと取り出して広げてみる。
「きれい」
雲母で下塗りした上に薄墨を流した夜空に、浅黄色の満月がぽっかりと浮かんでいる。月の端には叢雲がかかり、下界の薄野原には白菊が一輪、凛と咲いていた。
「あたしが踊りをやるって、隊長にお話したことありましたっけ?」
ためつすがめつ扇を眺めながら、乱菊は不思議そうに尋ねた。
「雛森に聞いた」
「ああ」
と乱菊は頷いた。
「かなりの腕前だそうだな。浮竹や卯ノ花も褒めてたぞ」
「それほどのものじゃありませんよ」
「貴族からの求婚が殺到したそうじゃねぇか」
「いつの話です?」
扇を閉じて、乱菊はにっこりと笑った。
「ねぇ、たいちょ?」
「何だ?」
「隊長が謡いをして下さるなら、一差し踊りましょうか?」
「あ?」
乱菊の舞は是非とも見たいと思っていた。しかし、謡いをやれと言われるとは予測しておらず、冬獅郎は思わず、間の抜けた顔で乱菊を見返していた。
「あたしも、雛森から聞いているんですよ」
「何を?」
嫌な予感がした。
「隊長と雛森のおばあちゃん、常磐津や新内がお上手なんでしょう? 隊長も、雛森も、宴席で披露できるように、おばあちゃんからみっちり仕込まれているそうですねぇ」
「…」
「囃子も、謡いもなしでの踊りなんて、寂しいじゃないですか」
確信犯で微笑む乱菊に、冬獅郎は墓穴を掘ったことを知った。
一体、どこで間違ったのだろう。
あれよ、あれよという間に、謡いを披露する流れを作られてしまった冬獅郎は渋面で乱菊を見た。
「なぁ、本っ気で俺に謡わせる気か?」
「だって、せっかく、こんなに素敵な舞扇をいただいたんですもの。一差し踊ってみたいじゃないですか。隊長だって、これを使って踊るとこ、見たいでしょ?」
と返され、うっと詰まる。
「きれいなお月様の扇なんですから、お月見の唄がいいですねぇ」
にこにこにこ。
「いいじゃないですか、お祝いの一環ということで。他の人はいないし、隊長が謡いが出来ること、内緒にしててあげますから」
にこにこにこ。
「ねぇ、たいちょ」
にこにこにこ にこにこにこ。
「あ〜、もう、分かった! 謡えばいいんだろ、謡えば」
「やだ、たいちょ。自棄にならないで下さいよぅ」
冬獅郎は胡坐を正座に座り直すと、しゃんと背筋を伸ばした。
「『玉兎』でいいか?」
「あら、素敵」
乱菊も扇を持って、冬獅郎の前に立った。
実に楽天が唐詩に
つらねし秋の名にし負う
三五夜中の新月の
冬獅郎の唇から、伸びやかな声が紡ぎ出された。
乱菊はゆっくりと扇を広げ、緩やかに舞いはじめた。
初めて聴く隊首の唄声は普段の声より幾分高く、より少年っぽい響きだった。
(いつもは、わざと声を低くしているのね)
と、乱菊は思う。
子供だと侮られないように。少しでも、威厳を出す為に。
おそらく、習い性になっていて、彼自身、意識的に声を低めているということさえ、もう認識していないかもしれない。
誰よりもしっかりしていて、精神的な意味では、彼が子供だと少なくとも十番隊では一人も考えていない。けれど、肉体的には間違いなく子供で、小さな肩に隊士の命を負って決然と立っている。
だから、自分は彼の味方でいよう。
乱菊は心に決めていた。
中に餅つく玉兎
餅ぢやござらぬ望月の
月のかけかつ 飛団子
やれもさ うややれ やれさてな
謡いに合わせ、即興で舞う乱菊は綺麗だった。
勤務中の昼餉だったから、彼女が身に付けているのは黒い死覇装である。いつも肩にかけている薄紅の
(そりゃ、貴族の求婚も殺到するだろう)
死覇装で舞っていても、うっかり謡いを忘れて見惚れそうになるほど美しいのだ。きらびやかな衣装に身を包み、本格的に舞台で舞えば、冗談抜きに魂を抜かれる男がいても不思議ではない。
冬獅郎の贈った舞扇は、乱菊の手の中で生き物のように広がり、くるりと反され、時に彼女の手を離れて宙を舞い、再び彼女の手の中で緩やかに動いている。
やっときなさろせ
とこせ とこせ
誰に抱かせまようぞ
お万に抱かしょ
見てもうまそな品物め
しどもなや
風に千種のはなうさぎ
風情ありける月見かな *2
謡いの終わりと同時に、乱菊はぴたりと静止した。
「お粗末さまでございました」
と軽く頭を下げる乱菊に、
「いや、見事だったぞ」
「隊長もさすがです。強いだけじゃなくて、謡いも上手いなんて、さっすがあたしの隊長。みんなに自慢しなくちゃだわ」
「おい!」
慌てて、冬獅郎は口を挟んだ。
「謡いの件は、内緒の約束だぞ!」
他隊の隊長にばれたら、面白がって謡わされるに決まっている。それだけは避けたい冬獅郎は、必死に副官に詰め寄った。
「え〜、せっかく自慢したかったのに」
「氷漬けになりてぇのか?」
「仕方ないですねぇ。でも、また謡って下さいね。あたしも隊長がお望みなら、いくらでも踊ってみせますから」
にこにこにこ。
満面の笑みで言われたら、陥落するしかない。
「気が向いたら謡ってやる。その代わり、ちゃんと踊れよ」
その後、まれに、十番隊長舎、もしくは副隊長舎で少年の唄声が洩れ聞こえることがあったらしい。
けれども、十番隊寮内には厳重な緘口令が敷かれ、その事実が他隊に知られることはなかったという。
*1 正午。
*2 清元協会HP掲載「玉兎」より抜粋