雪の朝
乱菊が洗い物を終えて、居間に戻ると、上司が炬燵に俯せて転寝をしていた。
先ほどまで、乱菊と冬獅郎は差し向かいで、鴨鍋をつついていたのだ。
昼過ぎから雪がちらつき始め、外はすでにうっすらと白く積もり始めていた。こういう寒い日は鍋がいい、とどちらが言い出したものか。仕事が終わる頃には、二人ともすっかり鍋モードに突入しており、十番隊副隊長舎にて、仲良く鍋を囲むと言う仕儀に相成ったのである。
締めの雑炊までおいしく頂き、後片付けの為に乱菊が席を立った時、冬獅郎は乱菊が読み終えたばかりの本を、
「借りるぞ」
と言って読み始めていた。
「隊長には退屈な本だったかしら?」
その本は現世から入ってきたファンタジー小説で、乱菊にはとても面白いものだったのだが。
「たいちょ、そんなところで転寝してると、風邪ひいちゃいますよ」
と、軽く上司を揺する。だが、
「…爆睡してる…」
転寝というには、余りにも冬獅郎は深く眠っていた。すうすうと安らかな寝息が洩れ、常に刻まれている眉間の皺が見事に消えている。つい昨日、仕事がひとやま超えたおかげで、本日は比較的暇だったが、それまでずっと残業続きだったのだ。疲れが溜まっていたのだろう。
「十番隊長ともあろう方が、無防備すぎですよー」
耳元で囁いても、起きる気配はない。
「困ったわね」
と、ちっとも困っていない顔で乱菊は呟いた。
いくら疲れが溜まっていたからといって、こんなにも彼が無防備に眠ってしまったのは、それだけ安心しているからなのだと考えると、乱菊は嬉しかった。信頼する副官の部屋だから、用心深い上司も箍を外しているのだと。
とはいえ、このままで彼を寝かせておくわけにも行かない。この様子だと、起こさなければ朝まで熟睡しそうな気配がひしひしとする。だが、せっかくよく眠っているのを起こすのも勿体ない気分だった。
「爆睡しちゃった隊長がいけないんですからね」
と、もう一度、冬獅郎の耳元で囁くと、乱菊は起こさないようにそっと上司を炬燵から引き出すと、抱きかかえた。
乱菊は自分の寝間に冬獅郎を連れてゆくと、布団の中に小さな身体を横たえた。いざ戦闘となると何倍もの大きさに見える頼もしい上司だったが、今の彼は、ただの子供にしか見えなかった。
するりとその隣りに、自らの身を滑り込ませ、乱菊はやさしく彼を抱きしめた。
ふ、と冬獅郎の顔に微笑が浮かぶ。歳相応というよりも、あどけないほどの安心しきった笑みだった。
「…さま…」
呟やかれた寝言は聞き取れなかった。
甘い柔らかな香りと、温かなぬくみが心地よかった。
微かに子守唄が聞こえる 。
目を覚ました冬獅郎は、事態を理解できず、布団の中で石化していた。
目の前には、乱菊の胸があった。いつものように、窒息するほど押し付けられてはいないが、至近距離であるのは間違いない。
(確か、こいつの部屋で鍋を食って…)
と、冬獅郎は自分の行動を反芻した。
鍋を終え、乱菊が片付けをしようとしたのを、
「手伝う」
と言って却下され、そして、
(そうだ、松本が読んでた本を見つけて、借りて読み始めて…)
その後の記憶がない。
(寝ちまった…のか?)
それ以外、考えられない。
夢を見ていた。
冬獅郎が本当に幼かった頃。
今の冬獅郎は外見は幼くとも、一隊を率いる隊長であり、精神的には幼くはない。
けれど、遠い、遠い、遥かな昔。
冬獅郎が正真正銘の
いつも聴いていた子守唄が、遠くから聞こえて、とても安らいだ気持ちだった。
(松本が唄っていたのか?)
傍らでぐっすりと寝入っている乱菊を起こさないよう、そうっと寝床を抜け出すと、冬獅郎は乱菊に布団を掛け直してやった。
霊圧を閉じ、濡れ縁から庭に出る。
夜明けまであと少しの庭は、闇の中、仄白く沈んでいた。
「雪…。積もったんだな」
隣接する隊長舎に抜ける
「雪が降り積もった朝に産まれたのよ」
優しい声が聞こえる。
「あなたの産声で目を覚ましたら、表は真っ白に雪が積もっていてね、朝日にきらきら輝いていたの」
だから、冬獅郎は雪の申し子なのだと、かつて傍にあったぬくもりはいつも言っていた。
その人は失ってしまったけれど、今の冬獅郎の傍らにはよく似た温かさに満ちた光がある。
何ともいえない幸福感に包まれて、冬獅郎は夜明けまで白く染まった世界を眺めていた。