上巳の節句
三月三日といえば、上巳の節句。いわゆる、雛祭りの日である。
護廷ではこの日、「隊長格会議」という名の宴会が開かれるのが、毎年の慣例であった。
宴の主役は、十一番隊副隊長の草鹿やちる。
身近な子供を孫のように可愛がる傾向のある山本総隊長にとって、やちるはまさに孫も同然。目に入れても痛くないほどに可愛がっている彼女の為に、総隊長は他の隊長・副隊長まで巻き込んで雛祭りを催すのである。
「公私混同ではないか」
とか、
「孫ではなく、曾孫か曾々孫じゃねぇのか」
というつっこみも陰では囁かれていたりするのだが、表立って非難する者はいない。山本の影響力がそれだけ大きいというのもあるが、何だかんだ言いつつも、やちるが皆から可愛がられているという理由の方が強いかもしれない。
そして、今年も雛祭りは催された。
山本から贈られた晴れ着を卯ノ花に着付けてもらい、やちるは山本の傍らの上座にちょこんと座った。いつもは元気すぎるくらい元気いっぱいのやちるだが、やはり、女の子である。晴れ着を纏うと、ちょっと澄ましておとなしくなる。
乱菊や修兵といった料理上手の副隊長が手ずから作ったごちそうに、雛祭りといえば定番の雛あられに白酒が並べられ、にぎやかに宴席が始まる。
「やちちゃん、そうしとるとほんま、お雛さんみたいやなぁ。ものすご可愛いらしいわ」
三番隊長の市丸ギンが珍しく裏のない笑みを浮かべて、やちるを誉めた。
ギンと更木剣八は水と油で、互いにそれが分かっているので必要最低限以外はかかわりを持とうとしない。だが、剣八の養い子同然のやちるは、意外なことにギンとけっこう仲が良かった。飄々として掴みどころがなく、一部にははっきりと恐れられている三番隊長におそれ気もなくまとわりつけるのはやちるくらいだし、ギンも彼女が遊びに来ると機嫌よく用意しておいた菓子などを与える。
「ほな、これボクからのお祝い」
と、ギンはきれいな包みを差し出した。
「わぁい! ギンちゃん、ありがとう!」
わくわくした顔で、やちるは包みを開いた。毎年、雛祭りの日、ギンは特製の金平糖をやちるに贈る。何でも、流魂街に店を構える老舗の金平糖専門店に特注しているとかで、本当にやちるの為だけに作られた他では手に入らないものなのだ。
包みの中から現れた美しい色合いの金平糖の小瓶に、やちるは歓声をあげた。
「黄色いのはマンゴー、紫はブルーベリー、赤いんは苺で作った金平糖やで」
「おいしそう!」
やちるが満面の笑みで嬉しそうなので、側にいる山本も機嫌がよい。
「総隊長」
ギンは山本に話しかけた。
「何じゃ?」
「せっかくやちちゃんがお雛さんみたいに可愛らしゅうしとるし、横にお内裏さんがおったら、なおええて思わはりまへん?」
「ふむ…」
山本はあごひげを撫でて、思案げな顔つきになった。
「実は毎年、思とったんです。けど、やちちゃんの隣りに座って釣りあうんがおらへんかったんで、諦めとったんですわ」
山本の視線がゆっくりと宴席の下座に向かう。昨年、隊長職を拝命したばかりの一番新参で、かつ、最も歳若い隊長の姿が、山本の目に映った。
「実は、これ、用意したんですけど」
にぃ、と笑ってギンが差し出したのは、子供サイズの束帯だった。
「ほう…」
山本が興味を示した。
「十番隊長さんがこれ着て、やちちゃんと並んだら、女雛と男雛、揃いますなぁ」
頷いた山本は、
「日番谷隊長」
と、呼びかけた。
振り向いた冬獅郎は山本の側にいる男を認め、不愉快に歪みかかる顔を必死の思いで平常に保った。
「はい、総隊長」
「こちらに来てくれぬか」
「はい」
ギンの側には近寄りたくなかったが、総隊長に呼ばれたのでは仕方がない。心配そうに見ている副官に、大丈夫だと手を振って、冬獅郎は山本の許に歩み寄った。
「何でしょう、総隊長?」
意識的にギンを視界に入れないようにしながら、冬獅郎は尋ねる。
「日番谷隊長、この衣装に着替えよ」
「は?」
唐突な命令に、冬獅郎は山本を見返した。差し出された「衣装」とやらに目を落とした冬獅郎の顔が引き攣った。
「これを、着ろ、と?」
「うむ。女雛男雛、揃うも一興じゃ」
おそらく、瞬間的に部屋の温度は、体感できるほどに下がったはずである。何ごとかと他の隊長・副隊長が目を向けたが、山本、冬獅郎、ギンのトライアングルに触らぬ神に祟りなしとばかりに、すぐに視線を背けた。
「ひっつー、きっと似合うよ!」
やちるが無邪気に弾んだ声を上げる。
「日番谷隊長、着替えよ」
「十番隊長さんが男雛にならはったら、宴も盛り上がる、ゆうもんや」
山本が命令を繰り返し、ギンがにやにやと底意地の悪い笑みを浮かべて言い募った。
もとより、山本の命が下った以上、冬獅郎に選択肢はないのだ。この場で山本の命令に逆らえないこと、隊長とはいえ一番若輩者の立場で宴を台無しにする真似は出来ないこと、そして、冬獅郎がこのような仮装じみたお祭り騒ぎを忌嫌していることをすべて計算した上で、こんな衣装を用意してきたギンを出来ることなら即座に氷漬けにしてやりたかった。
「日番谷隊長、着替えよ」
三度、山本が命令を繰り返し、冬獅郎は無言で衣装を受け取ると、一礼してさがった。
宴席から出て行く冬獅郎を、慌てて、乱菊が追いかけた。
「隊長…」
冬獅郎の後ろから廊下に出た乱菊に、
「市丸の野郎、こんなものを用意しやがった」
忌々しさ全開で、冬獅郎が告げる。
「あら?」
上司が示したものを見て、乱菊は目を瞠った。
我が幼馴染ながら嫌がらせには天才的だ、と乱菊は内心でいっそ感心した。冬獅郎がとことん嫌がっているのを了解している自分でさえ、思わず、見たいと思ってしまった。山本が迷わず冬獅郎に着替えを命じたのも分かる気がする。しかも、冬獅郎がこの衣装で現れれば、宴席は確実に盛り上がる。
「嫌がらせなんて、言いがかりや。ボクは宴席を盛り上げよう、思ただけや」
問い質せば、返ってくるだろう答えまでも予見できる。
乱菊と冬獅郎は、目を見合わせて溜息をついた。
「これから、毎年、これを着せられるんだろうな」
「そぉですねぇ」
はぁー、と冬獅郎がもう一度、溜息を零し、乱菊も、ふぅ、という溜息で答えた。
予測に違わず、束帯姿で現れた冬獅郎がやちると並ぶと、宴席はやんやの盛り上がりを見せた。
冬獅郎の仏頂面はいつものことだった。が、眉間に刻まれた皺がいつもより二割ほど深いことを、乱菊とギンだけが気付いていた。