蟷螂とうろういくさ


「よう燃えとるなぁ」
 不意に背後から話しかけられ、振り向いた遠藤康志はぎょっとして息を呑んだ。いつの間にか、彼の背後に見慣れない服装の男がいた。黒ずくめの着物に袴。腰には刀を佩びしている。着衣だけなら一昔前の侍と見えないこともなかったが、陽射しに輝く銀の髪と孔雀石のような緑をした瞳が異様だった。
「誰だ、あんた?」
「キミを魂葬に来たった死神や」
 自らを「死神」と名乗った男は、関西訛りであるものの流暢な日本語で答えた。
「特攻成功おめでとう、言うべきなんかな? 敵に当たる前に撃墜されるんがほとんどやのに、無事、体当たり出来たんやし。なぁ、遠藤少尉?」
 糸のように細められた死神の目が鋭く光り、康志は気圧されつつも頷いた。
「そうだ。自分は成功した。確かに、敵艦に突っ込んだ」
と答えかけ、彼ははっとした様子で死神を見た。
「自分は死んだのか?」
「あー。今頃、気ィ付いたん? 宙に浮いて、燃えとる敵艦眺めとる時点で普通、気ィ付くで」
と、死神は肩を竦めた。
「キミに言うても仕方ないけどなぁ。戦争のおかげで忙しゅうてかなわん。つい昨日、広島でようさん人が死んで、ボクとこの隊員はほとんど魂葬に駆りだされてしもうて。おかげで、手ェが足らんて、ボクまでこないなところに出張してこなあかんようになってしもたわ。これ、ほんまは下っ端の仕事やねんで」
「…あんた、偉いのか?」
「偉いで。副隊長や。キミらの軍隊でいうたら、中将か大将くらいかな」
 大将、中将といったら軍隊でも最高位に近い。それが、いくら手が足りないからと言って、自分のような者のところに来るのか、と康志は内心の疑問を抑えながら問いを重ねた。
「広島で大勢の人が死んだと言ったな? 空襲を受けたのか?」
「まぁ、空襲は空襲やねんけど」
 不審そうに見つめる康志に、死神は軽く溜息をついた。
亜米利加アメリカさんなぁ、新型爆弾を使うたんや。一発で町がひとつきれいに消えてしもた。今、広島は地獄やで。一瞬で、何千、いや、何万いう人が死んでしもた。その場で死なへんかった人間も大怪我負うとるんが多くて、死人は今もどんどん増えていっとる。川は死体がようさん浮いとるそうや」
「街が消えた?」
「一面焼け野原や」
「一発で?」
「一発で」
 康志は息を呑んだ。広島は出征する途中で通った。田舎育ちの彼にはとても大きな都会に見えた。あの街が消えた? それも、たった一発の新型爆弾とやらで?
「キミが突っ込んだ船な。甲板はよう燃えとるけど、沈没はせえへん」
と、死神は船を指さした。
「いつまで、軍の上層部は粘るつもりなんやろなぁ? どう考えたって勝ち目あらへんのに。むごいこと言うようやけど、キミ、無駄死にや」
「…」
「本土じゃ、女子供に竹槍を用意させとるらしいで。アホくさ。機関銃持って上陸してくる亜米利加さんに、竹槍が通用する、思うんが間違うとる」
「…」
「亜米利加さんや英吉利イギリスさんはな、宗教的に自殺は禁じられとるらしい。今はそんなこともないみたいやけど、一昔前まで自殺したもんは教会での葬式さえ断られたそうや。あん人たちにとって、決死の覚悟で突っ込んでくるキミらは理解不能なばけもんや。キミらは『鬼畜米英』なんて言うとるけど、あちらさんにとってはキミらの方が得体のしれへん悪魔なんやで」
「…」
「ほんま、よう燃えとるな。町ごと焼けた広島に比べたら、規模はずいぶん小さいけど、あの船の甲板。今は地獄やなぁ」
 死神の目には、業火の中から全身に大火傷を負って這い出してきた兵士が見えた。必死に炎から逃れ出たものの、あの兵士は助からないだろう。炎上を続ける康志の機体の下には、下半身を失った兵士の亡骸が二体、突っ込まれた際に轢死してばらばらの肉片になった遺体が三体、炭化した塊になろうとしている。恐怖でパニックを起こした兵士たちの叫び声、大怪我を負った兵士たちの呻き声、消火を指示する士官の怒鳴り声、それらさえもかき消すほどの炎の音。もうもうと立ち昇る黒煙は太陽を遮り、辺りは薄暗くなっていた。
 友の名を大声で叫びながら、焼け爛れた遺体を抱きしめる敵兵の一人を死神は指さした。
「あの兵隊さんは艦載機の操縦士や。彼の心にはきちがいじみたやり方で船に突っ込んできた日本人への憎しみと恨みが刻まれてしもた。次に出撃を命じられたら、彼は容赦なく爆弾を投下して、逃げ回る民間人に機銃掃射を浴びせるんやろなぁ」
 康志の体がおこりのように細かく震えた。
「自分はお国を守る為に特攻隊に志願した」
 体と同様に震える声で、彼は搾り出した。
「うん、知っとるよ」
「間違っていたというのか? 自分の、自分や戦友たちのやったことは間違っていたというのか?」
「キミは別に間違うてへん」
 死神は静かな声音で告げた。
「戦争なんて、国と国の利益のぶつかり合いや。どっちかが一方的に正しくて、どっちかが一方的に間違っとるいうことはあらへん。たとえ、どっちかが間違うてたとしても、国の命運賭けたいくさの前では一介の兵隊の選択肢なんて限られとるからな。逆らうことは難しいやろ。キミも、キミの戦友たちも間違うてへんよ」
「だったら!」
 康志の瞳から熱いものがふきこぼれた。
「何故、あんたは真実を告げる!」
 彼は死神の胸倉を掴んだ。
「俺たちは無駄死にだったと、蟷螂とうろうの斧のような攻撃など意味がないと教える! 俺たちがやってきたことは敵の憎悪を煽るばかりだったと、どうして思い知らせるんだ…」
「単なる嫌がらせや」
 言葉はひどく毒を含んでいるのに、何故か、死神の目は優しく見えた。
「知らんかったら、心穏やかに死ねたかもしれへんな。任務に成功した、国に残してきた家族を守れたて、満足して死ねたんかもしれへん」
「そうだ。満足して…」
「満足して死んだらあかんよ」
「え…?」
「苦しまなあかん。国の論理に巻き込まれたとしても、生まれてきた時代が悪かったとしても、全部そのせいにして、自分は間違うてへんて満足してしもたらあかん」
「…あん…た…」
 死神は刀を手に取った。だが、鞘から抜くことなく刀の向きを変え、柄ではなく鞘を握ってゆるく持ち上げた。
「これから、キミを魂葬したる」
「…こん…そう?」
 聞き慣れない言葉を反芻した康志に、
「魂の葬式。キミの魂魄を尸魂界…、キミらの言葉でいうとあの世に送る儀式や」
と、死神は答えた。
「俺が行くのは地獄、か?」
「いいや」
 死神はかぶりを振った。
「生前、罪を犯した魂魄は地獄に引き渡す取り決めやけど、こういう戦争みたいな個人の意思ではどうもならへんことに巻き込まれて、その結果、人を殺したんは罪とはみなされん。キミが行くのは少なくとも地獄やない。現世とおんなじように魂たちが暮らす場所や。貧しいもんもおれば、豊かなもんもおるし、えらい物騒なところもあれば、穏やかに平和に暮せる場所もある、そういうところや。治安のええ豊かな場所に辿り着けるか、最下層の貧民街に流されるかは運次第やけど、ボクは副隊長やしな。そこそこ、ええ場所に行けるんとちゃうかな」
 魂葬した魂魄の流れ着く先は、死神にも分からないし決められない。ただ、昔から死神の間で密やかに囁かれている説はあった。
 曰く、霊力の高い死神に魂葬された魂は、番号の若い治安の良い場所に流れ着く。
 曰く、同じ死神が行ったものでも、心を込めて丁寧に魂葬したのと、おざなりに魂葬したのとでは流れ着く場所が違う。丁寧に魂葬された魂魄ほど、安全で豊かな地区に辿り着ける。
 もし、その説が正しいのなら、広島で亡くなった無辜の民間人たちはほとんどが治安の悪い貧民街に流されるだろう。何しろ、本来、広島を管轄していた六番隊だけでは手が足りず、他隊からも大勢の死神が駆りだされるほどの死者が出ているのだ。夥しい死者を捌く為には、どうしても機械的で事務的な魂葬にならざるを得ない。いちいち死者に感情移入していたら、魂葬する死神の身が持たない。
 一方で、本来であれば下位の死神に魂葬されるはずが、副隊長の魂葬を受けることになった康志のような者もいる。
「多分、キミは治安のええ、平和で豊かな場所に行ける。あの世にいってしもたらな、魂葬前の具体的な記憶は失くしてしまうもんなんや。特攻して死んだことも、ボクとこうして話しとることもきっと忘れてしまう」
「家族のことも? 戦友たちも、か?」
「うん。そうや。けどな、具体的な記憶は失くしてしもても、それでも覚えとるもんはある」
「覚えていること…?」
「温かかったこととか、悔しかったこととか、嬉しかったこととか、寂しかったこととか、そういう心は覚えとるんや。せやから、な…」
 死神は言葉を止めた。
 表面は感情の読めないふざけたようなにやにや笑いを浮かべている。しかし、瞳の奥に宿る光に真摯なものを見出し、康志ははっと死神を見つめた。
 だから、苦しめと言っているのだ。
 康志は悟った。戦場で思考停止の高揚感のまま、満足して死んでしまえば、彼は心を麻痺させてあの世に行くことになる。この不条理に対する怒りも、己が無力さに対する絶望にも気付かないままで、記憶を失うなと死神は教えてくれたのだ。
 泣きながら、康志は頭を下げた。
 死神は無言でもう一度、刀を持ち上げると柄の先端で、彼の額に触れた。
 康志の体    魂魄体がぼやけた。意識が徐々に朦朧となってゆく。彼が最後に見たのは、去ってゆく死神の銀と黒の後姿だった。

駄文倉庫に戻る
トップへ戻る
storage
2009.09.01