二人でお茶を
《冬獅郎+桃 〜叛乱の数年前〜》
窓の外では冷たい木枯らしが通りを吹きぬけているが、日当たりの良いサンルームの中はぬくぬくと暖かい。ウェイトレスはポットの紅茶をカップに注ぐと、まだ紅茶の残ったポットにティーコージーをかぶせ、
「ごゆっくりどうぞ」
と去っていった。
「いただきます」
行儀よく両手を合わせて食前の挨拶を述べ、おもむろにフォークとナイフを手に取った桃と、手こそ合わせなかったがやはり、
「いただきます」
と告げてからカフェオレのカップを手にした冬獅郎を、周囲の大人達が微笑ましそうに見ている。
「おいしい。これ、すっごく美味しいよ」
二人がいるカフェのお薦め週替わりデザートだというノルマンディ風クレープを一口食べて、桃は満面の笑みを浮かべた。
「シロちゃんも一口どう?」
「…シロちゃんじゃねぇ」
じろっと桃を見た冬獅郎に、
「日番谷くん」
と桃は言い直した。瀞霊廷であれば、「日番谷隊長だ」と更に訂正が入るところだが、ここは現世である。隊長呼びは周囲から不審がられるだけと弁えている冬獅郎はそれ以上何も言わなかった。
「日番谷くんも食べてみない?」
「いい」
素っ気ない返事だったが、慣れている桃は気を悪くすることなく、にこにこと会話を続けた。
「お目当ての、売り切れてなくて良かったね」
「ああ」
「でも、びっくりしたなぁ」
「何が」
「だって、日番谷くんがわざわざ非番を潰してまで、クリスマス・プレゼントを買いに出るなんて」
と、桃は冬獅郎の隣にちんまりと置かれている紙袋に視線を走らせた。現世の有名な化粧品ブランドのロゴマークが入った高級そうな紙袋の中身はクリスマス限定コフレのセットだ。アイシャドウ、口紅、フェイスパウダー、ネイルカラー、オード・トワレがシャンパン・ゴールドのバニティバッグに納められている数量限定の商品である。
「前はクリスマスなんて西洋の宗教のお祭りだって、苦々しい顔してたじゃない」
基本的に冬獅郎は行事ごとには冷淡である。クリスマスなどの比較的新しい行事はむろんのこと、七夕や端午の節句といった伝統行事にさえ、あまり積極的に参加したがらない。その彼から、副官へのクリスマス・プレゼントを買いに行きたいから付き合ってほしいと頼まれた時には、桃は心底驚いて、しばらくは返事も出来ずに口をぱくぱくさせたものである。
彼がわざわざ幼馴染に買い物の同行を頼んだのには訳があった。乱菊が欲しがっていたのが、現世の高級化粧品ブランドのクリスマスコフレだったからだ。瀞霊廷では泣く子も黙る護廷十三隊の隊長である冬獅郎だが、現世においてはどう頑張っても小学生としか見てもらえない。小学生の男の子が、デパートの化粧品ブランドで高価なコスメセットを購入するというのは余りに不審だ。その点、桃ならば、童顔ではあるものの軽く化粧をすれば、現世では女子高生で通る。しかも祖母の躾の賜物で育ちが良さそうに見えるので、きちんとした服を身に付ければ良い家柄のお嬢さまっぽくなる。高価な化粧品を購入しても、冬獅郎ほど違和感はないのだ。実際、デパートの店員は裕福な家庭の仲のいい姉弟が母親へのプレゼントでも買いに来たと思ったらしく、ひとつも不審がられることなく商品を購入することが出来た。
礼を兼ねて、桃にも口紅を一本買ってやり、さらに彼女のリクエストでクリスマス・プレゼントにテディ・ベアも購入し、帰る前にお茶でも飲んでいくか、と二人はサンルーム風の造りになった小洒落たカフェに入ったのである。
「ね、ね、日番谷くん。どういう心境の変化?」
好奇心で目をきらきらさせながら、桃は追究してくる。きちんと答えないと後々まで煩いと経験的に知っている冬獅郎は、仕方なく答えた。
「今でも、正直、くだらねぇと思わなくもない」
「だったら、どうして?」
「クリスマス自体にはあんまり意味を感じねぇ。ただ、行事ごとで盛り上がろうとする気持ちは少しだけ分かる気がしたからな」
「どういうこと?」
「もし、クリスマスはもちろん、正月も、節分も、雛祭りも、行事という行事が何もなくて、一年が全部普通の日だったら、どうだろうな?」
「どうって…?」
桃は困惑して、首を傾げた。
「普通の日の、普通の日常が繰り返されるだけだ。書類を捌いて、討伐に出て、飯食って、寝て、朝になれば出勤して」
「そうだね。だから?」
「普通の日常だと当たり前に思えることが、本当は当たり前じゃねぇかもしれねぇ」
と、冬獅郎はカフェオレを一口飲んだ。
「松本も、それから雛森、おまえも、俺はいて当たり前だと思っている。でも、当たり前に傍にいると思える相手がいるってことは、それ自体がものすごく幸せなことなのかもしれない」
「…」
「十三番隊の副隊長だった、志波海燕」
冬獅郎の口にした名前に、桃の表情が引き締まった。
「浮竹にとって、副官がいることは当たり前の日常だったはずだ。彼が亡くなった日までは、な。今まで当たり前にいた相手がいなくなって、それが日常になっちまう、それを考えると、今、雛森とこうして茶を飲んでることだって当たり前のようで本当は当たり前じゃねぇかもしれない」
「うん…。そうだね」
死神が死と隣り合わせの仕事だということは、桃もよく分かっていた。彼女の属する五番隊は隊長の藍染が慎重で部下思いなせいか、殉死者は十三隊の中では少ない方だ。しかし、それでも、ゼロには出来ない。毎年、何人かは任務で命を落とす。
「特別なことが何もない普通の日の繰り返しだと、いて当たり前だと特別に感じたりはしねぇ。でも、何か行事があると、一人でいるより誰かとその行事を楽しみたいって思うだろ? その誰かってのは、多分、普段はいるのが当然になってしまってる相手なんだ。だから、現世でも、仕事仕事で家になんか夜遅くにしか帰らずに子供の顔もほとんど見ねぇような父親が、クリスマスだからってケーキの箱を抱えて残業せずに家に帰るんだろう。いつもはいて当たり前ってないがしろにしている家族と過ごす為に、な」
「そうだよね」
しんみりと頷く桃に、
「 って、『クリスマスなんてくだらねぇ』っつったら、藍染に説教された」
と冬獅郎は続けた。
「藍染隊長?」
桃は目をまん丸にした。
冬獅郎は澄ました顔で、カフェオレを飲んでいる。
「なぁんだ。藍染隊長の受け売りかぁ。日番谷くんもこういうことを考えられるようになったんだ、ってちょっと感動したのに損しちゃった」
そう言いながらも、桃の顔は嬉しそうだ。自隊の隊長を心の底から尊敬している彼女にしてみれば、「やっぱり藍染隊長はいいことおっしゃるなぁ」と感動半分、幼馴染が敬愛する藍染の言葉を素直に受け入れた嬉しさが半分で、どうしても笑みが零れてしまう。
「藍染の言ったことは納得できたからな。松本には隊のこと以外にも色々と世話になってるし、あいつがクリスマスで盛り上がりてぇって言うのなら、プレゼントくらい用意してやってもいいかって思ったんだ」
冬獅郎がカップを置いた途端、桃はがしっと両手で彼の手を掴んだ。
「シロちゃん、大人になったんだね」
「あ?」
「あたし、嬉しい!」
目をうるうるさせ、すっかり彼の姉モードになって浸ってしまった桃に、冬獅郎はこめかみにぴりぴりと痛みが走るのを覚えた。
《乱菊+おばあちゃん 〜叛乱終結から数ヶ月後〜》
その家は近隣の人々から「死神寄合処」と呼ばれていた。しょっちゅう死神が訪れているからである。死神はその家の主である老婆に茶を振舞われ、
老婆は現在一人暮らしであるが、四、五十年ほど前までは他に二人の子供が暮らしていた。黒髪に黒い瞳のたいそう愛くるしい少女と、整った面立ちをした珍しい銀色の髪をした少年である。二人は老婆のことを「ばあちゃん」と呼んで懐いていたが、老婆の実の孫というわけではなかった。現世で生きていた頃の記憶を失って尸魂界に送られてくる魂魄たちは、通常、血縁を失っている。人はいつか必ず死ぬから、尸魂界のどこかに肉親はいるのかもしれないが、記憶を失っていては捜すことも出来ない。だから、流魂街では縁を得た者同士がひとつ家に集まり擬似家族を形成するのは珍しくなく、老婆と二人の子供たちも祖母と孫という擬似家族として生活をしていたのだ。
極めて稀なことだが、老婆が面倒をみていた子供たちは、二人ともが並外れた霊力を持っていた。そして、二人はその霊力を最大限に活かせる道を択んだ。死神となったのである。まず、少女の方が流魂街の住人にも門戸が開かれている死神養成学校「霊術院」に入学する為に家を出た。その数年後には少年の方も霊術院に入学し、家には老婆だけが残された。その後、三十年ほどは死神となった二人の子供たちが非番の日にたまに里帰りするだけという、老婆にとっては寂しい日々が続いていた。
それが「死神寄合処」となったのは、二人の子供たちが出世したからである。霊術院入学当時から、天才児だの、数百年に一度の逸材だのと騒がれていた少年は、史上最速かつ最年少で護廷十三隊の隊長という要職に就いた。十番隊隊長、日番谷冬獅郎である。少女の方も、少年ほどには突出していなかったが、充分にスピード出世と呼べる速さで昇進を重ね、副隊長にまで上り詰めた。五番隊副隊長の雛森桃だ。そして、この二人、若くして高い地位についた割には部下から非常に慕われていたのである。
老婆の家は瀞霊廷と流魂街との間に設けられた四つの門のひとつ、西の白道門にほど近い場所にあったので、西流魂街に見廻りに出た者は必然的に往き帰りに近くを通ることになる。敬愛する隊長、もしくは副隊長の年老いた祖母が一人寂しく暮らしていると知った隊士たちは、自然と担当区域の見廻りのついでに様子を見に行くようになった。老婆の方も自分の家を窺っている死神に気付けば声をかけるし、話をすれば孫たちの部下だと分かるから、近況を聞いたり、茶菓でもてなしたりする。こうして、老婆の家は死神が頻繁に立ち寄る「死神寄合処」と化していったのである。
そして、今日も「死神寄合処」には一人の女性死神が訪れていた。ただし、いつもと違っていたのは、その死神が見廻りのついでに立ち寄ったのではないということだった。彼女は非番のその日に朝から老婆の家を訪問し、昼八つ *2 の今もそこにいて甲斐甲斐しく老婆の面倒をみていた。
「すみませんねぇ、松本さん。お休みだったのに…」
「いいえ。あたしが来たくて来たんです。気になさらないで下さい」
金色の髪をした美しい女死神は屈託のない笑顔を老婆に向けた。
「生姜湯を作ったんです。飲んで下さい。温まりますよ」
と、乱菊は盆に二つの湯飲みを乗せて来た。老婆にひとつを手渡し、傍らに座ると、もうひとつの湯飲みを自分で口にした。
「おいしい」
老婆の言葉に、乱菊はにこりと微笑んだ。
昨日、十番隊の隊士が見廻りの帰りに、この家を訪れた。いつものご機嫌伺いである。だが、常であればにこにこともてなしてくれるはずの老婆は臥せっていた。風邪を引いたということだった。
その報告は直ちに、隊長に上げられた。そして、側で聞いていた副官の乱菊が、
「あたし、明日は非番ですから、おばあちゃんの看病に行きます」
と言い出したのである。祖母のことは心配でならなかったが、副官にそこまでさせるわけにはいかない、と冬獅郎は渋った。だが、
「副官として行くんじゃありません。松本乱菊として行くんです」
と乱菊は押し切った。
病で弱っている時、一人でいるのは心細いものである。流魂街の最貧区にいた子供の頃、乱菊の具合が悪い時につきっきりで看病してくれた幼馴染の手のぬくもりを覚えている。貧しくて、薬もろくに手に入らなかったけれど、彼が側にいてくれるだけで安心できた。後になって、彼から置き去りにされても、裏切られても、どうしても嫌いになれなかったのは、あの温かさが乱菊の中にどっかりと根を下ろしていたからだと思っている。
冬獅郎は乱菊にとって、単なる上司ではなかった。心から愛しい、大切な人だ。その彼の大事な祖母が臥せっているのなら、側にいて看病くらいしたい。副隊長という立場では勤務中にそんな私情で動くことは許されないが、非番ならば話は別だ。でしゃばるつもりはなかったので、地獄蝶を飛ばして桃にも確認をとったが、彼女からの返答は、
「あたしは明日はどうしてもお休み出来ないんです。乱菊さんがおばあちゃんの看病して下さるんなら、助かりますし、大安心です」
というものだった。
乱菊が四番隊に寄って貰ってきた薬と、こっそりと使った鬼道の効果で、老婆はずいぶん回復していた。乱菊の作った玉子粥をおいしそうに食べ、一眠りして起きた今は顔色もかなり良くなっていた。
「失礼しますね」
と額に手を当てると、熱も下がっていた。
ふうふうと熱い生姜湯を冷ましながら、
「桃や冬獅郎が小さな頃、風邪を引いた時にはよく作って飲ませました」
と懐かしそうに老婆は語る。
「ええ。隊長、生姜が効いていてすごくおいしかった、っておっしゃっていました」
「松本さんのもとてもおいしいですよ」
「これ、おばあちゃんの味なんですよ。あたしが風邪を引いた時にも隊長が作って下さったんです。すごくおいしかったから、作り方を伺ったら、『ばあちゃん直伝だぞ』って、大いばりで教えて下さいました」
「あら、まぁ」
もともと人当たりがよくて友達も多かった桃はともかく、感情表現が下手で不器用な冬獅郎が部下から慕われる隊首になれたのは、目の前の女性の力が大きかったことを老婆は知っている。おおらかな彼女が子供の姿の冬獅郎を立て、至らないところを補佐してくれたからこそ、今の冬獅郎はあるのだ。里帰りする度に、副官の話をしていた冬獅郎の顔を老婆は覚えている。「内緒だぞ」と前置きして、乱菊のことを「唯一無二の副官だ」と冬獅郎は言っていた。
そんな彼の言葉の端々に、信頼する部下に対する以上の色が滲み始めたのは、一体、いつからだろう。
孫息子の初恋を微笑ましく感じる一方で、老婆はその想いが成就しないだろうことに痛みを覚えていた。冬獅郎の恋慕の相手はずっと年上の外見で人並み外れて美しい女性だった。周りにいる大人の男性が放っておくとは思えなかったし、子供の姿の冬獅郎ではつりあわない。いくら上司としては冬獅郎を立てていても、私的な立場でまで彼が大人になるまで待ってくれるとは到底考えられなかったのだ。
けれども、祖母の危惧を他所に、冬獅郎は初恋を実らせた。美しい副官は冬獅郎の恋人となった。つりあわないと思えていた見かけも、紆余曲折あって彼が急成長を遂げたことで気にならなくなった。今の冬獅郎は乱菊より僅かに年下くらいの外見だし、背丈もほぼ並んでいる。
「曾孫、見られますかねぇ…」
ぽつりと、老婆が呟いた。
「え? 何です?」
と聞き返した乱菊に、
「桃の花嫁姿と、冬獅郎のお嫁さんが見たいんですよ」
と、老婆は笑った。
あまり遠くはない将来、自分は転生することになるだろう、と老婆は思っていた。流魂街に暮らす魂魄が現世に転生を果たすまでの期間はまちまちであるが、近隣に住んでいた人たちの転生の噂を聞く限りでは、自分ももうそろそろかもしれないと感じる。
桃や冬獅郎と暮らせて、老婆は幸せだった。血のつながりはなくても、確かに二人は彼女の自慢の孫だった。だから、転生する前に、見ておきたい。花嫁衣裳に身を包んで愛する男の許に嫁ぐ桃と、生涯の伴侶を得た冬獅郎の姿を。
老婆の言葉に、乱菊は頬を上気させている。桃の花嫁姿まではまだ時間がかかりそうだけれど、冬獅郎のお嫁さんは見られるかもしれない、と老婆は期待に胸を躍らせた。
《ギン+やちる 〜叛乱の数年前〜》
副官の目を盗み、隊舎からとんずらを決め込んで、ギンはふらふらと散歩していた。このところ、寒い日が続いていたが、今日は小春日というのだろう。陽射しが温かく、散歩も気持ちが良かった。
すっかり黄葉して、風にはらはらと葉を舞い散らせている銀杏並木にさしかかった時である。
「ギンちゃーん!」
子供の甲高い呼び掛けが聞こえたと思った途端、頭上から桃色の塊が降ってきた。
「おっと」
ぽすんと肩車の形で納まったやちるを危なげなく受け止め、ギンはそのまま何ごともなかったかのように歩み続けた。
「ギンちゃん、お散歩?」
「そうや。何や、甘いもんが食べとうなってな。乱菊から聞いた新しい団子屋に行ってみよ思とるんや。やちちゃんも一緒に行かへん?」
「行く行く!」
食欲旺盛でお菓子が大好きな少女は、一も二もなく提案に乗った。
「今日は一人でお散歩なん?」
やちるの定位置は、本来は更木剣八の肩の上である。
「剣ちゃんはお昼寝中だよ」
「そっか」
やちるを肩車したまま、急ぐでもなくギンは歩み続け、ほどなく、一軒の茶店に辿り着いた。
「うわぁ」
草団子、胡麻だれ、粒餡、みたらし、味噌餡、きなこまぶし。
店頭に並んだ二十種以上もの団子に、やちるが目を輝かせたのが見なくても分かった。
「えーと、そやな。とりあえず、全種類、五本ずつお願いや」
「お持ち帰りでございますか?」
「いいや、ここで食べていく」
ギンの返答に、売り子の少女は目を丸くした。
全種類を五本ずつとなると、百本以上の数になる。それを幼い少女と、上背こそあるがひょろりと細身の男と、ただ二人で平らげようというのか。
呆然とする売り子をよそに、ギンはさっさと茶店の奥に入ってしまい、入れ込みの席に座った。やちるも彼の肩から降りて、ギンと向かい合う席に腰掛けた。
何とか立ち直ったらしい売り子の少女が、皿に団子を盛り始めた。奥から別の少女が給仕に出てきて、ギンたちの前に茶の入った湯飲みを置いた。
「好きなだけ食べてええからな。足りひんかったら、おかわりしィ」
「うん! ありがとう、ギンちゃん」
得体が知れない、と分類される三番隊長は、どういうわけか十一番隊副隊長の少女がお気に入りでたいそう可愛がっている。やちるの方もギンに懐いており、口が悪い者からは「餌付けされている」と評されていた。彼女が剣八以外で肩に乗るような真似をする相手は、彼女の世話係と化している斑目一角、綾瀬川弓親を除けば、今のところギンだけだったし、ギンもまた、その立場を喜んで享受していた。
運ばれた団子の山を夢中になって食べていたやちるだったが、口の周りを餡子まみれにしたまま、不意に顔を上げてギンを真正面から見据えた。
「ねぇ、ギンちゃん」
「ん〜、何や?」
「さんたさんって知ってる?」
「さんたさん?」
告げられた言葉を舌で転がして反芻し、
「ああ、サンタ・クロースのこと?」
「うん。そう」
「サンタがどうかしたん?」
「あのね、さんたさんって子供にプレゼントを配ってくれるおじいちゃんなんでしょ?」
「そない言われてるなぁ」
「あたしのところ、来たことないよ」
と、やちるは言った。
「いい子のところにだけ来て、悪い子のところには来ないんだって。あたし、さんたさんから悪い子って思われてるのかなぁ」
ギンはぽりぽりと耳の上を人差し指で掻いた。
「やちちゃんはええ子やで」
と、彼はきっぱりと言った。
「サンタは主に現世の子供のトコに行くんや。もしかしたら、尸魂界の子供にまで手ェがまわれへんのかもしれへんなぁ」
「じゃ、あたしのところには来てくれないんだ?」
やちるはがっかりした。
「サンタから貰いたいモンあるん?」
「剣ちゃんとね、ずぅーっと一緒にいられますようにってお願いするの!」
やちるの返答に、ギンは困ったような半笑いを浮かべた。
「やちちゃん。サンタにお願い出来るんは物だけやで。神さまやないねんから、人の心とか、未来とかはどうにもならへんのや」
「ダメなの?」
「残念ながら駄目や。でも、サンタなんかにお願いせんでも、更木はんはずっとやちちゃんとおると思うで」
とギンが告げると、やちるは、
「そうだよね!」
とぱぁっと笑顔になった。
「物で欲しいモンはないの?」
ギンが重ねて問いかけると、
「うんとね、熊!」
とやちるは答えた。
「熊ぁ!?」
「うん。この間、桃ちゃんとこに遊びに行ったら、熊があってね。ふっかふっかのもこもこで気持ちよかったの。あたしも欲しい」
「ああ、何や。ぬいぐるみのことか」
とギンが納得した時、急にやちるの表情がしゅんと萎んだ。
「でも、さんたさん、尸魂界には来ないんでしょ?」
ギンはぽんぽん、とやちるの頭を撫でた。
「やちちゃん、ボクがサンタと渡りをつけて、やちちゃんとこにもプレゼント持って行くようにお願いしてみるわ」
「ギンちゃん、さんたさんのこと、知ってるの!?」
「いやぁ、残念ながら知り合いやない。けど、ほら、ボク、隊長やんか。コネとかいっぱいあるし、何とかサンタのこと知っとう奴を見つけて話をつけてみるな」
「ホント!?」
「頑張ってみる。けど、もしかして、サンタの知り合いを見つけ出せへんでお願い出来ひんかったら、かんにんやで」
「ギンちゃんはちゃんとお願いしてくれるもん」
信頼と期待に満ちた、きらきらした瞳がギンを見つめる。
「やちちゃんにそない言われたら、意地でも見付けなあかんなぁ」
ギンがサンタ・クロースにお願いしてくれる、とすっかり安心しきって、やちるは再び団子に夢中になった。
ますます餡子にまみれになりながら、一心不乱に団子を平らげるやちるを、ギンはずっとにこにこと見ていた。
数日後、専ら護廷のお偉方の密談所として利用されていると噂の、訳ありの料亭で、密談を交わす三番隊長の姿があった。
相手は、三番隊長とも、密談とも、最も縁遠いはずの十一番隊長、更木剣八。
今年、サンタ・クロースはどうやら、十一番隊寮を訪れるらしかった。
《一護+恋次 〜日番谷先遣隊現世滞在中〜》
げんなり。
今の一護の心境を一言で表すならば、この言葉が最も相応しい。
天気のよい土曜日の午後だというのに、何で他人の買い物に付き合って繁華街をうろつかなくてはならないんだ、とか。人を荷物持ちに引っ張ってきたくせに、いつまで買い物を続ける気だ、とか。不条理や不満は山ほど感じていたが、それらについては、一護は急速に「諦め」というものを身に付けつつあったので、まぁ、我慢が出来る。
ただ今現在、一護をげんなりとさせているのは彼を無理矢理買い物に付き合わせているルキアや乱菊ではなく、彼同様に荷物持ちとして強引に引っ張られてきた被害者仲間であり、ある意味、同志であるはずの六番隊副隊長・阿散井恋次であった。
いつまで経っても買い物が終わらないルキアたちに付き合いきれなくなって、ファッションビルの上階にあるレストランモールの喫茶店で待っているから、とルキアたちと別れた時までは確かに恋次は一護の同志だった。一護にとって誤算だったのは、この同志が異常なほどの甘党だったことだ。
エレベータを降りて、すぐ脇にある喫茶店のウィンドウが眼に入った途端、恋次はそこに釘付けになってしまった。その店はあからさまに女性をターゲットにしているらしく、ウィンドウに並べられた食品見本は見事なまでにスイーツのオンパレードだった。ケーキセット、何種類ものパフェ、パンケーキにクリームソーダ、コーヒーフロート。サンドウィッチやパスタなどの軽食類の見本もないではなかったが、夥しいデザートの群れの中では印象は薄い。喫茶店というより、スイーツ・パーラーといった方が正解かもしれない。
「一護、ここに入ろうぜ!」
嬉々として恋次が告げた時、却下するか、逃げ出せば良かったと、しみじみと一護は思う。尻尾を振らんばかりにきらっきらっした顔の恋次につい絆されてしまったのが、運の尽きだ。
店内の客の九割以上は女性だった。残り一割弱の男性も彼女連れか、家族で入店したとおぼしきお父さんや小学生以下の男の子ばかりで、単独の男性客や男だけのグループは皆無である。そんな中に男同士連れ立って、一護と恋次が入ったのだ。しかも、かたや派手なオレンジ頭の目つきのよろしくない少年。かたや彼以上に派手な赤毛パイナップル頭に刺青眉、190cm近い上背のガタイのよい強面男、という組み合わせだ。一歩、店内に足を踏み入れた瞬間から、二人は店中の注目を浴びた。
それだけでも、一護は回れ右したくなったというのに、恋次は臆面もなく、大声で注文しやがったのだ。
「スペシャル・ビック4パフェ」
と。
それは、この店の看板メニューらしく、ウィンドウの一番目立つところに見本が飾ってあった。断面積は食パン、高さは優に20cm以上ある四角いガラス容器に、特に人気の高い四種のパフェを盛り合わせた巨大パフェである。ちなみに四種の内訳は、チョコレートパフェ、抹茶パフェ、カスタードプリンパフェ、季節のフルーツパフェで、フルーツパフェは今月はココナツマンゴーだそうだ。一護がちらりと店内を見回したところ、スペシャル・ビック4パフェを注文している客は他に二組ほどあったが、どちらも三、四人のグループで一つのパフェを攻略していた。
やがて、スペシャル・ビック4パフェが運ばれてきた時、一護は見ただけで胸焼けしてしまった。
彼は別に甘いものは嫌いではない。特別に好きという訳でもないので積極的に購入したりはしないが、ケーキなどの洋菓子であっても饅頭などの和菓子であっても出されれば食べるし、余程に甘ったるいものでない限りはおいしいとも思う。ごく一般的な味覚の少年である。
そんな彼でも、スペシャル・ビック4パフェは見本を見た時にその迫力に引いた。だが、実物は甘ったるい匂いが加わった分、更に破壊力を増していた。ガラス容器のそれぞれの側面を彩るアイスクリームの縞模様。たっぷりと敷き詰められたコーンフレークス。抹茶アイスの下敷きになっている餡子とカステラ。ごろごろと大胆にカットされたマンゴーに、パフェの上にどんと乗っかって存在を主張しているカスタードプリン。これでもかと搾り出された生クリームとそれぞれのパフェの領域ごとにクリームを彩るチョコソース、黒蜜、キャラメルソースに、フルーツソース。きれいにスライスされて突き刺さっている林檎。逆さまに飾られているワッフルコーン。
すべてが、一護をげんなりさせるのに充分だった。
その上、黙って食べてくれればまだしもなのに、恋次がいちいち煩いのだ。
生クリームを口にして、
「うめぇ!」
プリンを食べては、
「やっぱ、現世のプリンは一味違うぜ」
マンゴーアイスを頬張って、
「こんなアイス、尸魂界にはねぇぞ」
千切れんばかりに振られた、赤犬の尻尾が見えそうだ。
店中の客が恋次を注視している。こっそりと囁きあっては、くすくすと笑っている。
いたたまれない、とは正にこのことだ。
(ルキア、乱菊さん、井上。早く来てくれ!)
くたびれようが何だろうが、我慢して買い物に付き合っていれば良かったと、一護は猛烈に後悔していた。
結局、ルキアたちが買い物を終えて、一護らの待つ店に来たのはそれから一時間以上が経過してからだった。
しかも、店に入った三人は、
「買い物したらお腹すいたわねー」
などと口々に言いながら、揃ってスペシャル・ビック4パフェを注文し、一護の擦り切れた神経に見事に止めを刺したのだった。
《冬獅郎+ルキア 〜叛乱終結から一年後〜》
担当区域の見廻りを終え、隊舎に戻る前にちょっと休憩しようと、ルキアは凪砂屋の暖簾をくぐった。
「朽木じゃねぇか」
途端に親しげに呼びかけられ、ルキアははっとして声の方を向いた。
「日番谷隊長。こんにちは」
声の主は十番隊長、日番谷冬獅郎だった。
「お一人ですか? 松本副隊長は?」
「松本は今日は非番だ。虎徹姉と現世に遊びに出かけてる」
と、冬獅郎は答えた。
「どうせ、虎徹を引っ張りまわして買い物三昧してるんだろう」
口調には呆れを滲ませているが、冬獅郎の表情は優しい。相変わらず仲睦まじいのだな、とルキアまでほんわりと暖かな気持ちになった。
冬獅郎は自分の前の席を目で示し、
「突っ立ってないで座ったらどうだ?」
と促した。
隊長のすぐ目の前に座るというのも畏れ多い気がしたが、こんなふうに会話を交わしておきながら別の席につくのも失礼である。それに、冬獅郎は一年余り前に日番谷先遣隊の一員として共に現世に赴いたことがある上、年齢もルキアと近いので、他の隊長に比べると気安いのは確かだった。
「失礼します」
断って席についたルキアに、
「席官に昇進するそうだな。おめでとう」
と冬獅郎は祝いの言葉を述べた。
「ありがとうございます」
「前祝いにはちょっと不足だが、奢るぞ」
「そんな! とんでもない!!」
慌てて、ぶんぶんと首と手を振るルキアに冬獅郎は苦笑を洩らした。
「相変わらず堅苦しい奴だな」
「申し訳ございません」
「隊長と下の者が同席してて割り勘もねぇだろ? ここは隊長を立てろ」
そう言われたら遠慮するわけにもいかない。
「ありがとうございます。ご馳走になります」
冬獅郎がルキアに品書きを手渡した時、給仕の女性が冬獅郎の注文の品を運んできた。
盆の上に小ぶりな椀と煎茶の湯飲み。細切りの塩昆布と柴漬けが添えられているのを見て、ルキアはてっきりぜんざいか汁粉だと思っていたのだが、冬獅郎が椀の蓋を取ったのを見て目を瞠った。
「それは何ですか?」
椀の中は小豆色ではなく、真っ白だった。白いとろみのある汁が満たされた中心に香ばしく焦げめを付けた焼餅がひとつ入っており、緑や薄紅のごく小さなアラレが周りに散らされている。
「これか? とろろ汁粉だ」
「とろろ汁粉?」
「大和芋と酒粕で作った汁粉だそうだ。この間、松本が食って、えらく気に入ったらしくてな。絶対気に入るから食べてみろって勧められていたんだ」
お先するぞ、と断ってとろろ汁粉を口にした冬獅郎は、
「確かにいける。甘さ控えめだから、朽木の兄貴でも食えそうだぞ。阿散井には物足りねぇかもしれねぇが」
と笑いながら告げた。
「そうですか。では、私もそれを試してみます」
甘いものが苦手な白哉でも食べられそうだ、と聞いてルキアはちょっとどきどきしていた。もしかしたら、義兄を茶店に誘って、一緒にお茶を飲むことも出来るかもしれない。
「日番谷隊長」
「何だ?」
「今回の昇進。その…、日番谷隊長からも
「能力のある奴がそれに見合った地位に就いてねぇってのは、本人の為にもよくねぇし、護廷にとっても損失だからな。お節介だと思ったが口出しさせてもらった。朽木の実力からすれば、まだまだ不足だろうが、いきなり上位席官って訳にもいかねぇしな」
五日後、ルキアは十七席に任じられることが決まっていた。とっくに上位席官に就いていてもおかしくないだけの実力を備えた彼女が長らく平隊士の地位に甘んじていたのは、義兄の白哉が密かに手をまわしていたからだ。席官ともなれば負わされる責任も重く、危険な任務を命じられることも少なくない。義妹の身を案じた白哉は、彼女が危険な目に遭わないようにと昇進を阻んでいたのだ。
三隊長による叛乱の一件で先遣隊として共に行動したことで、冬獅郎はルキアの実力を認めた。能力があるにもかかわらず席次を持っていないことに納得がいかず、彼女の上官である浮竹を質した冬獅郎は白哉が昇進を妨げていることを知った。そこで、叛乱騒ぎが終結し、落ち着いた頃合を見計らって、白哉に苦言を呈したのだ。ルキアが死神として働くことを認めておきながら、危ない目に遭わせたくないと昇進を阻むのは単なる身勝手ではないのか、と。
「朽木が誇りを大切にしているように、朽木の
と、冬獅郎は真正面から白哉に告げたのだ。余計な差出口だと不快がられるのを覚悟の諫言だったが、意外なことに、白哉はその忠告を受け入れた。
「
と答えた白哉に、冬獅郎はむしろ呆然としたものだ。
「そうですか。兄様がそのようなことを…」
「おまえの兄貴も変わったよな。以前の朽木なら睨まれて終いだったぞ」
ルキアは微笑した。あんなに長く、義兄と心が通い合わなかったのが嘘のようだ。今の彼女は、義兄の愛情をゆるぎなく感じていた。ずっと引き離されていた恋次とも昔のような幼馴染に戻って、笑いあい、軽口を叩けるようになった。叛乱は世界を揺るがす大事件で、ルキアの心にも深い傷を残した。だが、あの事件があったからこそ、今の幸せがもたらされたのだとも彼女は考えていた。
禍福は糾える縄の如し。
現世の格言は真理だと思う。
ルキアのとろろ汁粉が運ばれて来た。椀の蓋を取ると、ふわりと酒粕が香った。
「どうだ?」
「日番谷隊長のおっしゃる通りです。これなら兄様にも気に入っていただけそうです」
「そうか。よかった」
「はい。日番谷隊長、色々とありがとうございます」
神妙に頭を下げるルキアを、冬獅郎は穏やかな表情で見返した。
冬の寒さもずいぶん緩み、梅の蕾が膨らみ始めていた。
春はもう近い。
*1 約30分〜1時間。
*2 午後3時〜4時頃。