雛の誓い


 立春を過ぎた吉日に、十番隊隊舎の正面玄関前の広間には雛壇が据えられる。
 緋毛氈で覆われた壇に飾られるのは、いうまでもなく雛人形だ。金銀綾錦を纏った内裏雛に三人官女、五人囃、左大臣、右大臣に橘に桜。さらに下壇には絢爛豪華な蒔絵を施した箪笥、長持ち、鏡台などの女雛の道具類が並ぶ、十二段もある大名飾りであった。
 毎年、雛の季節が巡り、雛飾りが飾られる度、冬獅郎は身の引き締まる思いで雛と向かい合うのだった。

 十番隊の他にも雛人形を飾っている隊はある。四番隊や八番隊など比較的女性隊士が多く、隊首が風流心に富む隊は飾る。だが、十番隊ほど立派な雛飾りは他にない。上級貴族のお嬢さまの道具としても遜色のない見事な雛壇飾りを十番隊の隊士たちは    女性隊士はむろん、男性隊士までもが    誇りにし、大切に大切に扱っていた。
 この雛飾りは、殉職した先代の隊長が購ったものだ。
 冬獅郎は先代の隊長を知らない。だが、乱菊を筆頭とする部下たちや京楽、浮竹といった他隊の隊長から聞く限りでは、豪放磊落でかなり漢くさいタイプの人柄だったらしい。それでいて人情の機微にも通じ、見かけによらず細やかな心配りが出来る人だったようで、彼を知る者は皆、いい隊長だったと早すぎた死を惜しんでいた。
 先代の隊長が雛飾りを購入したのは、雛の季節に出向いた討伐の帰り、人形店の店先に飾られたばかりの雛人形に連れていた女性隊士が目を留めたから、だったそうだ。その日の討伐に同行した女性隊士は三人。流魂街出身か、名ばかりの貧しい下級貴族の出だった彼女たちは絢爛豪華な店先の雛飾りに目を輝かせて見入っていたという。
「女ってのは、大人になってもこういうのが好きなんだなぁ」
と笑いながら尋ねた隊長に、女性隊士たちは、
「雛飾りは女には特別ですもの」
「やっぱり、こういう豪華な雛飾りって憧れですよね」
「こんなの飾ったら、寝る場所、なくなっちゃいますけどねぇ」
と、口々に答えた。
 先代隊長はかなり裕福な中級貴族の出身で姉と妹がいたから、女の家に雛飾りがあるのは当たり前のことだと思っていた。だが、少女のように憧れの目で雛飾りに見入る部下たちを見て、貧しくて雛飾りなど手に入れることの出来ないままに大人になった女性もいるのだと初めて悟った。ならば、と、そこは日頃の豪気を発揮して、彼はその日のうちに隊舎に飾る為の雛人形を注文したのである。
 一人一人に買い与える訳にはいかない代わり、女性隊士たちが自慢できるくらいいいものを、と彼は人形店で一番立派な値の張る壇飾りを購入した。人形に関心のある者なら名を聞いただけで「嗚呼」と肯く名人の人形師が頭と胴を作り、上質の西陣織や佐賀錦をふんだんに使った衣を纏った雛人形は、素人が見てさえ他の人形とははっきり違うと分かる気品のある顔立ちをしていた。五人囃の表情の豊かさはむろん、揃いの装束を着て取り澄ました三人官女さえ、一人一人顔立ちを微妙に違えてありそれぞれに個性があった。道具類は輪島塗。名のある指物師が丁寧に作った道具に、熟練の職人が艶やかな黒漆を塗り重ね、金蒔絵を施して仕上げた豪奢なものだった。道具の正面には注文主の家紋が入れられるようになっていたが、先代隊長はそこに隊花の水仙を入れさせた。十日後、水仙の隊章が描かれて完成品となった雛飾りが納品された時の女性隊士たちの喜びようは、購入した隊長の予想をはるかに上回った。
「だって、あんなに豪華な雛飾りなんてあたしも初めて見ましたもん。あの朽木隊長が絶賛したくらいの逸品なんですよ」
 その当時の騒ぎを想い出語りに冬獅郎に聞かせた乱菊も、そう話していた。若い隊士はもちろん、かなり年配の女性隊士までもが大はしゃぎして、その日はまるで仕事にならなかったそうだ。大工仕事の得意な男性隊士が組み立てた雛壇に緋毛氈が敷かれるや、女性たちはいとおしそうに丁寧に雛を飾っていった。全ての壇に飾り付けを終え、雪洞に灯りが灯されると、彼女たちは歓声を上げ、その声に何ごとかと両隣の隊から偵察がくるほどだった。
 家に帰れば豪華な自分だけの雛飾りがあるはずの上級貴族出の女性隊士さえもが、嬉しそうに眺めているのだ。ましてや流魂街出身で雛人形など店先に飾られているのを眺めているだけだった女性隊士は、隊舎の玄関を通るたびにうっとりとした表情で壇飾りを見上げていた。そんな部下たちを目の当たりにした先代隊長は、
「あいつら、あんなに喜ぶんだったら、もっと早くに買ってやればよかったな」
と、茶を淹れかえに執務室に入った乱菊にしみじみと述懐した。
「そうですねぇ。でも、来年も、再来年も、ずっとあの雛飾りはありますもの。女性隊士を代表してお礼を言います。隊長、本当にありがとうございます」
「どういたしまして。あれだけ喜んで貰えれば、大枚はたいて買った甲斐があるってもんだ」
「大事にします」
「そうしてくれ」
 隊にあるあの雛飾りが一体いかほどの値のするものなのか、冬獅郎は人形店で尋ねてみたことがある。教えられた金額は、高給を貰う隊長という職について、ちょっとやそっとの高価さには動じなくなった冬獅郎さえたじろくほどのものだった。ああいうものは気持ちなのだから、高ければいいというものではないとは承知している。だが、部下たちを喜ばせたいと、雛飾りに憧れながら所有することの出来なかった女たちが自慢できるものをと、身銭を切った先代隊長の漢気がその金高に現れていた。

 先代隊長の形見となってしまった雛が飾られる季節が巡ってきた。
 最上段で高貴な微笑を浮かべる女雛は、今年も冬獅郎を見下ろして尋ねる。
「そなたは先代に恥じぬ隊長でおるか?」
と。
「妾をここに連れて来た先代は、隊を大切にし、愛しておった。そなたはその後を継いだのじゃ。先代には恥じぬ、負けぬと胸を張って答えられる隊首でおるか?」
「そうありたいと願っています」
 冬獅郎は答える。
 冬獅郎は先代とは違う。性格も違うし、隊に対する愛情のありようも間違いなく違っているはずだ。だから、先代隊長を超えたいとか、勝負したいとかは始めから考えてはいない。ただ、先代に恥じぬ隊首ではありたいと願っている。亡くなった先代隊長とは見えることは叶わないけれど、もしも、彼の心がここにまだあって隊を見守ってくれているのなら、後を継いだ隊首が冬獅郎で良かったと安心してもらえる者でありたい。
 冬獅郎の答えに、雛は笑みを深くする。
「精進することじゃ。妾はいつも見ておるゆえな」

 毎年、季節が巡り、雛飾りが飾られる度、冬獅郎は身の引き締まる思いで雛と向かい合う。
 十番隊を愛した先代隊長の遺志が雛の形を取って、跡を継いだ者を見守っていた。

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2010.04.17