乱菊姐さんと風邪引き野郎ども


《ギン》

 襖をそっと細めに開けると、布団の中にこちらに背を向けて寝ている銀色の髪が見えた。ふう、と息をつき、襖を本格的に開けた途端、銀色の髪は寝返りを打って、乱菊の方を向いた。
「ああ、やっぱり乱菊やったん?」
 掠れた声が呟く。
「どうしたん?」
 咽喉をやられているせいか、苦しげにギンは尋ねる。
「吉良に頼まれたのよ。ギンが流感にやられたからって」
「何や…。卯ノ花はんにちゃんと診てもろたし、処方して貰た薬も飲んでおとなしゅうに寝てるのに。イヅルは心配性やなぁ」
「心配もするわよ」
と、乱菊は軽く溜息をついた。
「あんたが病気で寝込むなんて初めてじゃないの?」
「…そ、やったっけ?」
「そうよ」
 乱菊とギンは長い付き合いになるが、乱菊には彼が病で寝込んだという記憶がない。二人で暮らしていた幼い頃、乱菊が熱を出したり、具合が悪くなった時にギンがつきっきりで看病してくれたことは鮮やかに覚えているが、乱菊自身は彼を看病した覚えがなかった。本当に病にかかったことがないのか、あるいは多少具合が悪くても隠し通したのかは今となっては確かめるすべがないが、少なくとも、流魂街で共に生きていた時に、彼が寝込んだことがないのは間違いないことだった。
 彼に置き去られ、別々に生きていた間のことは知らない。だが、霊術院で再会し、揃って死神となってからも、この商売につきものの怪我などで臥せったことはあっても、彼が病に倒れたことはなかったはずだ。
「そういえば、病気なんて…した覚えないなァ」
「でしょ? 今年の流感は性質が悪いっていうのは本当みたいね。あんたまでやられるなんて」
 現在、瀞霊廷では流行性感冒が蔓延している。現世でいうところの「インフルエンザ」のような症状のはやり病だ。一口に流感といっても、その年ごとに微妙に症状が違う。今年の流感はホルモンや免疫の関係かはよく分からないが、もっぱら男性の間で流行している。女性が罹患するケースもないわけではないが、男性に比べれば圧倒的に少なく、また症状も軽くてすむのが特徴だった。
 そのことを知っていたギンは、卯ノ花から「流感」という診断が下されるや、隊長舎に引きこもり、副官のイヅルには感染うつるといけないので絶対に来るな、と厳命したのだ。
「自分は命令されているから様子を見に行けないって、吉良、ものすごく心配してたわ」
「この熱じゃ、逃げ出したりも出来ひんのに」
「別にあんたに逃亡されることを心配しているわけじゃないと思うけど?」
と、乱菊はギンの布団の傍らに座ると手を伸ばして、ギンの額に触れた。
「うわ、熱っ!」
「四番隊で測ったときは九度三分あったわ」
 ギンは笑ったが、その笑みにも覇気がない。
「乱菊の手、冷やっこくて気持ちええな…」
「さっきまで外にいたからね」
と、乱菊も少しだけ笑みを浮かべた。
「それにしても、あんたってつくづく間の悪い男ねぇ」
 幼馴染の言葉に、ギンは目だけで「何が?」と問いかける。
「だって、あんたが熱出して倒れるなんて初めてってことは、それこそ、何百年に一度の快挙なわけでしょ?」
「…『快挙』って…。せめて『椿事』にしといてくれへん?」
 掠れ声で抗議した途端、こほこほと苦しげな咳が零れた。
「何で、よりによって、絢女が出張中に具合が悪くなるわけ?」
 乱菊はギンの咳に頓着せずに、呆れたようにギンの顔を見下ろした。
「熱出して弱ってる時に、彼女におかゆ作ってもらったり、額の手拭い替えてもらったりとかして看病されるの、男のロマンでしょう?」
「…うん…、まぁ、そうやけど…」
「絢女につきっきりで看病してもらえるせっかくのチャンスだっていうのに」
「…別に狙うて、熱出したわけやあらへん」
「そりゃそうね。狙って出せるもんなら、絢女がいて、しかも、心おきなくゆっくり看病してもらえるくらい暇な時を、あんたなら確実に狙うでしょ」
「…」
「ま、今回はあたしの看病で我慢しなさい」
 ポン、とギンの額を軽く叩いて、乱菊は部屋を出て行こうとした。看病してやると宣言する傍から離れようとする彼女に、熱で頭がまわらないせいか、ギンは不審げな目を向ける。
「おかゆ…。食欲はないかもしれないけど、何か食べておかないと」
「…ああ…、そうか…」
 力なくギンは頷いた。
「おおきに、乱菊。ごめんな」
 乱菊は音には出さず、唇の動きだけで「ばか」と呟くと、ギンの寝室から出て行った。

     なかなか、熱下がれへんなァ。

     何も心配せんでええ。乱菊はゆっくり寝て、早よようならんと。

     ボクはちゃんと傍にいてるから、安心して寝ェ。

 幼い日の記憶を手繰れば、優しい声が甦る。
 土鍋に火をかけ、乱菊はこっそりと、
「彼女の看病も男のロマンかもしれないけど、妹の看病も乙なものよ」
と呟いた。



《一角&弓親》

 ごほん、ごほん、げほッ、がほッ、ごほん。

 盛大に咳をする一角とその傍らで耳栓をしてぐったりしている弓親を乱菊は冷ややかに見下ろした。
「ったく。馬鹿は風邪引かないっていうけど、やっぱりあれって迷信だったのね」
「うるせー」
「頑丈なだけが取り柄だっていうのに、その取り柄をなくしちゃどうしようもないわね」
「うるせー」
「ほんっと、いい格好ね、一角」
「おまえ、帰れ」
と語気を強めた途端、げほッ、がほッ、ごほッと咳の発作にみまわれ、一角はもう涙目だ。
「で…、乱菊さん、何しに来たの?」
と弓親が気怠げに尋ねた。
「一応、お見舞い?」
 語尾が僅かに上がって疑問形になった乱菊に、
「何だよ、一応ってのは…」
「だって、しょうがないでしょ? やちるが『つるりんとゆみちーが死んじゃう!!』って、十番隊に駆け込んできたんだもん」
「はぁ?」
「やちるに泣かれて、隊長から『様子見て来い』って命令されたんだもん」
「…あー、そうかよ」
「でも、そんだけ憎まれ口を叩く元気があるなら大丈夫ね」
「…」
「あ、隊長が手配したから、もうちょっとしたら伊江村さんあたりが往診に来てくれると思うわ」
「…」
「それから、あんたたちが復活するまで、やちるはあたしが預かるから」
「…」
 じゃあねぇ、と手を振って部屋を出て行った乱菊を呆然と見送って、一角は太い溜息をついた。
「あいつ、本当に見に来ただけ、だったな」
 別に看病とか期待していたわけではないが(実際、看病されても困る)、何なんだあいつは、と不満顔の一角に弓親は呆れた様子で、
「分かってないね、一角は」
と零した。
「ああ?」
「…乱菊さん、『副隊長を預かる』って言ってくれたんだよ?」
「…あ?」
「これ以上のお見舞いってあると思う?」
 弓親の言葉に、一角は首を横に振った。
「ねぇな」
「でしょ?」
 熱で衰えた頭と体力に、やちるの子供特有の甲高い声は正直言って応えていた。
「これで、やっとゆっくり休めるか…」
「そういうこと」
 普段の隊寮からは考えられない静けさの中、一角と弓親は浅いまどろみに身を委ねた。



《恋次》

「失礼します」
と執務室に入ってきた恋次の顔を見た途端、乱菊はがたんと椅子を蹴って立ち上がった。
「ちょっと、恋次!」
 言うなり、彼女は恋次の腕を掴み、執務室の外に引きずり出した。
「うおっ、乱菊さん。何するんスか!?」
「何するじゃないわよ、馬鹿恋次!」
 乱菊の手が恋次の額に伸びた。
「あー、もうっ。やっぱり。しっかり熱が出てるじゃない!」
「うえっ!?」
「何よ!? こんなに熱があるのに自覚してなかったの?」
「え…、いや、その、そういえばちょっとだるいような気もしてたんスけど…、あの、熱?」
「そうよ。例の流感にあんた、やられたの」
 現在、瀞霊廷に蔓延している流感のことは恋次ももちろん承知していた。どういうわけか、今年の流感は男性の方が感染しやすく、かつ症状も重いこともわきまえていた。だが、なまじ丈夫なだけに自分が流感にやられるとは思ってもみなかったのだ。
「…そう…スか…」
 呆然とした恋次の呟きに、乱菊は溜息をついた。
「鈍感にもほどがあるでしょ?」
「すみません」
「とにかく、執務室には入らないで。隊長に感染うつされたらたまったもんじゃないわ」
 乱菊は恋次が届けにきた書類をひったくると、
「ちょっと待ってなさい」
と言い置いて、執務室に戻った。
 乱菊に命じられた通り、執務室の前で待つ恋次の耳に、中でぼそぼそと話し合う十番隊ツートップの声が聞こえた。恋次は廊下の壁に身体を預けた。朝から確かに身体が重たいような感覚はあったのだが、乱菊に熱があると指摘されて自覚した途端、一気にだるさが押し寄せてきたようだ。
「風邪ひいたのなんて…、何十年ぶりだ?」
 自らの額に掌を当てると、間違いなくかなり熱かった。
 乱菊が執務室から出てきた。彼女は恋次の手首を掴むと、
「四番隊に行くわよ!」
と宣言した。
「え? や、別に四番隊に行かなくても…」
 大人しく寝ていればとか何とか、恋次は口の中でごにょごにょと言っていたが、乱菊の一睨みで沈黙した。彼女に半ば引きずられるように四番隊に連れ込まれ、勇音の診察を受けた恋次は、間違いなく流感であること、完全に熱が下がるまでは仕事を休み副隊長舎で寝ていることを厳命されて、やっぱり、乱菊に引きずられて六番隊副隊長舎に戻った。

 夕刻、仕事が上がってから様子を見に来た乱菊は、
「朽木隊長には、あんたが流感にやられたことは連絡しておいたから」
と恋次に告げた。
「すみません…。隊長はそれで、何て?」
「熱が下がるまでゆっくり休むように伝えてくれって頼まれたわ」
「そうっスか…」
 柄にもなく、ぐったりと布団に横たわっている恋次に、
「とりあえず、おかゆくらいは食べられそう?」
と乱菊は問う。恋次が頷いたので、
「台所、借りるわよ」
と部屋を出て行きかけたその時、
「ごめんください」
 玄関で訪いの声がした。
「あたしが出てあげるわ。あんたは寝てなさい」
 乱菊が玄関に出てみると、訪問者は朽木ルキアだった。
「松本副隊長?」
「丁度、お見舞いに来たところだったのよ」
と乱菊は微笑んだ。
「朽木も恋次のお見舞い?」
「…いえ、その、あの…」
 真っ赤になって、ルキアは言い淀んだ。
「その…『馬鹿は風邪ひかない』というのに風邪をひいた馬鹿の、その間抜け面を拝んでやろうか…などと思っただけで…」
「…」
「決して、見舞いなんて、その…」
 くすり、と笑みを零し、
「今年の流感は馬鹿が引くらしいわよ」
と乱菊は応じた。
「朽木も噂は聞いてるでしょ? あたしが知る限り今まで一回も病気したことがないギンとか、体力だけが取り柄の十一番隊の連中が思いっきりやられて寝込んだってこと」
「はい…」
「どういうわけか、男に感染うつりやすいことも聞いてるわね?」
「はい」
「じゃ、卯ノ花隊長が浮竹隊長にだけは感染うつすまいと神経を尖らせてらっしゃるのも?」
 ルキアははっとして、乱菊を見つめた。
「恋次のことを心配する朽木の気持ちはよくわかるわ。これが怪我だとか、空気感染しない腹下しとかなら、あたしもこんな意地悪は言わないんだけどね」
 ぶんぶんと、ルキアは勢いよく首を横に振った。
「意地悪だなんてとんでもございません。当然のご指摘です!」
 ルキアは乱菊に向かって袋を差し出した。
「その、これはその…」
「ああ。恋次、喜ぶわよ」
と乱菊は袋を受け取った。
「失礼します!」
と真っ赤な顔で帰っていくルキアを見送り、初々しいなぁ、と乱菊は微笑する。
 恋次の寝間に戻り、乱菊はルキアが見舞いに来たことと、十三番隊の隊士であるルキアは万が一を慮って帰したことを伝えた。
「ごめんね、恋次。せっかく朽木が来てくれたのに追い返すような真似しちゃって」
「いえ、とんでもない」
と恋次はルキアと同様に慌てて首を振って否定した。
 乱菊はルキアから受け取った袋から取り出したものを、恋次の額に乗せた。
 熱を持った額に、ひやっと心地よい冷たさが広がる。何だ? と恋次が乗せられたものを持ち上げ検めると、それはカップアイスだった。
「わざわざ現世に行って買ってきたみたいね」
と乱菊は現世のコンビニ袋を掲げてみせた。
「熱がある時に冷たいものって嬉しいわよね」
「…」
「あんた、けっこう愛されてるじゃない」
 ウインクをひとつ残し、乱菊は台所に消えて行った。



《修兵》

 すっぽりと布団を被り、ごほごほと咳が止まらぬ修兵の枕元に座り、恋次は、
「大丈夫ッスか?」
と問うた。
「大丈夫にみえるか?」
 苦しげに修兵は答える。
「いえ、あまり」
 毎年、冬場になると現世の「インフルエンザ」によく似た症状を呈する流行性感冒が蔓延する。流行の仕方に波があることや、年毎に少しずつ症状が違うのも現世のインフルエンザそっくりである。今年の流感は男性に限って感染力が極めて高く、症状が重いのが特徴だった。昨年までならばどんなに流感が蔓延しても決して感染せず、元気に冬を乗り切ってきた頑丈が取り柄のような男性死神たちが、今年の流感にはばたばたとやられていた。そんな中、修兵も例外ではいられず感染したのだ。
 ちなみに、現在見舞う側にまわっている恋次は一週間ほど早く病に倒れ、先日、ようやく熱が下がって隊務に復帰したところである。
「阿散井…」
「何スか、檜佐木さん?」
「おまえ、熱出した時、乱菊さんに見舞ってもらったんだろう?」
 修兵の目がどことなく恨みがましいのを見て取り、恋次はつい、言い訳めいた答え方をした。
「俺、熱出てるの気付いてなくて、乱菊さんが気付いてくれたんスよ。それで、行きがかり上、みたいな感じで見舞いに来てくれたんですけど…。乱菊さん、まだ、見舞いにきてくれてないんスか?」
 いや、と修兵は首を横に振った。
「昨日、見舞いに来てくれた」
「良かったじゃないスか」
と、恋次は明るく笑ったが、修兵は複雑な表情のままだった。
「どうしたんスか?」
「あの、な。おまえ、乱菊さんの見舞いを受けてる間、寒くなかったか?」
「はぁ?」
 恋次は間抜けな声を上げた。
「いえ、別に…。熱が高かったから熱いくらいでしたけど?」
「そうか…」
「檜佐木さん、寒かったんスか?」
「ああ…」
「悪寒がしてたんスかね」
「…なら、いいんだけどな」
 憮然とした修兵の返答に、恋次はようやく乱菊の上司の顔が思い浮かんだ。
「あー」
と思わず声を上げれば、
「やっぱ、そうだよな」
と修兵は溜息をついた。
 乱菊の上司にして、恋人。そして、氷雪系最強の斬魄刀の持ち主が修兵に牽制をかけたのだろう。ふだんは見かけからは考えられないほどに老成しており達観しているような感のある十番隊隊長がみかけ相応の青年らしい青臭さを垣間見せるのは、乱菊が絡んだ時と相場が決まっている。
「災難でしたね」
 恋次が標的にならなかったのは、彼が乱菊に恋慕していないからだろう。彼と乱菊は純粋に先輩後輩の間柄で、恋次には他に相手がいることがはっきりしているから牽制の必要がなかったのだ。
(しかしなぁ…)
 もう、すっかり勝負はついているというのに。
(日番谷隊長もけっこう大人げねぇよなぁ。乱菊さんが絡むと…)
 恋次から憐れみの視線を向けられ、修兵は腫れ上がった咽喉の奥で大きな溜息をついた。



《冬獅郎》

 乱菊が氷嚢を取り換えた動きで、冬獅郎は目を覚ました。
「悪い、松本」
と彼は告げたがその声は掠れていて、注意していないと聞き取れないほどだ。
 乱菊が冬獅郎の額に掌を当てる。途端に、びっくりするくらいの熱が伝わってきた。
「まだ、熱は下がりませんねぇ」
と、乱菊は溜息をついた。
「俺もとうとう馬鹿の仲間入りだな…」
 心配そうな乱菊を安心させたくて、冬獅郎は冗談を言った。尤も、この掠れ声ではあまり笑えないと自覚していたのだが、案の定、乱菊はきょとんと冬獅郎を見返した。ややあって、彼の言いたいことが理解できたのだろう。乱菊はふっと笑みを浮かべると、
「訂正します。今年の流感は馬鹿ほど早く罹るみたいです」
 この冬、瀞霊廷に蔓延した流感はどういうわけか日頃、体力に自信を持つ、自他共に病気とは無縁のはずの者たちを真っ先に襲った。
 体力馬鹿と揶揄される十一番隊はほとんどの隊士がやられてしまい、隊として一時、機能停止していた。乱菊の知る限り病知らずで、本人も病気をした記憶がないと言っていたギンも早々に感染した。他にも、恋次、射場、修兵と本人たちからして自分は大丈夫と高をくくっていた連中が次々に寝込んでしまい、その有様に、
「今年の流感は、馬鹿が罹るみたいですよ」
と乱菊は笑っていたのだが、とうとう、彼女の上司にして最愛の男性までもがやられてしまったのだ。
「雀部さんと朽木隊長も今、寝込んでらっしゃるそうです」
「朽木もか…」
「ええ。気を付けていたのに吉良も罹ってしまったそうで、ギンがぼやきながら仕事してました」
「…浮竹は…大丈夫なのか?」
 肺に爆弾を抱える浮竹には流感は命取りになりかねない。ことに、今年の流感は男性が罹患すると高熱を発し、気管を侵される傾向が強い為、四番隊隊長の卯ノ花は浮竹にだけは感染させないようにと神経を尖らせていた。
「十三番隊は厳戒態勢を布いているから、今のところは無事みたいですよ。朽木隊長、妹を通じて浮竹隊長に感染したら申し訳ないって、妹を隔離しているみたいです。『同じ家にいるのに看病も出来ない』って、朽木が恋次にこぼしてたそうです」
「そうか…。おまえも忙しいのに悪いな…」
「何をおっしゃいますやら」
 十番隊の誇る優秀な席官たちも、現在、男性席官の三分の一程度が寝込んでしまっている。その分、皺寄せが女性席官にいっており、乱菊も残業続きの日々だ。その上に冬獅郎の看病までも引き受けているのだから、冬獅郎が済まながるのも当然だった。
 けれども、乱菊はむしろ心外だ、という表情になった。
「隊長の看病は、あたしの権利ですよ。他の人には譲れません」
と彼女は言い切った。
 氷嚢を取り換えた彼女は、次に台所に立つと粥をこしらえて運んできた。
「たいちょ、食欲がなくても少しは食べておいて下さいね」
「ああ…」
 乱菊に支えられて冬獅郎は半身を起した。全く食欲はわかなかったが、少しでも口に入れて栄養をつけないと治りが悪くなるし、わずかにだが嘔吐感があるので胃がからっぽなのはまずいと思ったのだ。
 土鍋の粥をれんげですくって、冷ましながら口にする。
「…うまい」
と冬獅郎は呟いた。
 乱菊が作ってきた粥は梅粥だった。梅干の酸味が嘔吐感をやわらげてくれるせいか、ほんの一口か二口くらいしか食べられないのではと危惧していたにもかかわらず、椀をさらうことが出来た。
(こういう気遣いは真似出来ねぇな…)
と冬獅郎は改めて感心する。
 冬獅郎が粥を完食したので、乱菊は嬉しそうだ。
 再び、布団に横になった冬獅郎の額を乱菊はゆるりと撫でた。
「隊長…」
 さきほどまでのきりりとした声音とは異なる甘さを含んだ呼びかけに、冬獅郎は、ん? と視線を上げる。
「早く、良くなって下さいね」
「ああ…」
「執務室で独りでいるのは淋しいです」
 愛しい女からの懇願に、冬獅郎は病とは別に熱が上がるのを感じた。

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2010.12.31