例えば、こんな幸せ


「そろそろ、単の準備をしないとですね」
 乱菊が言い出したのは、梅の花が咲き匂う頃だった。
 昨年の秋から冬にかけて、冬獅郎は尋常ではない成長を遂げた。たった二月程で現世の人間換算で十歳児相当から高校生か、大学生かという年齢くらいにまで、一気に成長したのだ。これは尸魂界における霊力のある子供の平均的な成長速度からすると、およそ、七、八十年分に当たる。
 もともと、冬獅郎は百四十年前に現世で死んで、尸魂界に流されて来た。だから、尸魂界で普通に暮らしていれば、現在くらいの見かけに成長していることは理に適ったことだった。にもかかわらず、幼い姿だったのは、尸魂界に来てすぐに、彼は姉の手で結界の中に封じられ、その間の成長が滞っていたからだ。周囲の時間の流れから切り離された結界空間に封じられていた期間は、およそ八十年。
 つまり、彼は二ヶ月で封じられていた時間の歪みを正したことになる。
 この急激な成長で直ちに困ったのは、着る物であった。姉によって封じられていた霊力の解放が、急成長の要因であった。その為、五回に渡った解放の儀式の間は、一回の解放毎に十年、二十年分の成長を遂げていたので、はなから、自身の着物を用意するのは諦めていた。浮竹や京楽といった親しい隊長たちが親戚や知り合いの同じくらいの年頃の少年から借りて来てくれた着物で過ごしていた。
 解放の儀式が全て完了し、成長が落ち着き、叛乱の決着が着いてから、漸く、冬獅郎は自分の着物を誂えた。だが、その時に購入したのは当座に必要な袷ばかりだった。暖かくなれば、単が必要になってくる。
 呉服屋では規格の寸法で仕立て上がりの着物も用意している。普段着であれば、それらでもこと足りるが、外出着や正装となるとそうもいかない。反物から仕立てるとなればそれなりの期間が必要だし、まして、まとまった数の着物を仕立てさせるのなら、早めに注文するに超したことはない。
「そうだな」
と冬獅郎も乱菊の言葉を肯定し、善は急げと、業務を早めに上がって、呉服屋に赴くことにした。

 慶事用の色紋付き、慶弔用の黒紋付きの長着、それに合わせる紋付きの羽織を二枚と、仙台平の袴と色無地の袴をそれぞれ二組ずつ。初夏用の薄物の羽織を三枚。気の張る外出用の小紋と紬を各一枚。通常の外出用の長着を三枚。隊長格ともなると、隊務以外でも色々と引っ張り出されることも多く、それなりの衣装が必要になる。本当はもっと数を揃える必要があるのだが、それはまた別の機会に譲ることとして、今回はこれだけの着物を誂える予定とした。
 くっついて来た乱菊の意見も参考にしながら、反物を選んでゆく。
 黒紋付きは、一反は松皮菱地紋の綸子にした。もう一反は地紋の入らない縮緬地を選んだ。その代わり、漆黒ではなく青緑の色味を感じる黒にしたので、落ち着いていながらも、そこはかとない色気の漂うものになった。
 色紋付きの方は薄縹地に鉛白で型染めした伊勢型の鮫小紋と、桐に鳳凰地紋の灰色がかった藤紫の無地に決めた。合わせる羽織も薄縹の無地とした。紋付きと羽織・袴については礼装なので、色味や地模様である程度の個性は表現出来るにせよ、どうしても型にはまった無難なものになる。乱菊が俄然張り切ったのは、外出用の長着と羽織を選ぶ段になった時だ。
「せっかく、目も醒めるようないい男に成長したんですから、うんとお洒落しないと」
と腕まくりしそうな勢いの乱菊を見遣って、もしかしたら、彼女を連れて来たのは間違いだったかもと、冬獅郎は微かに頭痛を覚えた。
 薄物の羽織は存外、すんなりと決まった。一枚は夏大島。織糸の縒りを強くすることで生地の薄さと独特のシャリ感を持たせた生地である。店主が勧めて来た、大島には珍しい浅緑の反物を冬獅郎も乱菊も一目で気に入ったのだ。同じく、店主お勧めの淡い鳥の子色に蚊絣の塩沢御召。最後の一枚はやわらかものにしようということで、綸子に決めた。緯糸に家蚕糸と野蚕糸を交互に用いることで、平織りながら、光沢と質感の違いで縞を表現した生地を、市松に後染めした反物だ。市松は甕覗きと呼ばれるごく薄い水色とそれよりもほんの僅かに濃いくらいの共濃色で表されている。この為、光の反射の具合で、くっきりと市松が際立ったり、逆に染めの市松模様は全く分からなくなって、縞柄に見えたりする面白い反物だった。
 揉めたのは長着だ。冬獅郎は縞を除けば、ほとんど柄物を身に着けない。子供の姿の頃の私服も、専ら無地か縞、せいぜい絣だった。成長が治まってから仕立てた着物も同様だ。どうやら、乱菊はそれが不満だったらしい。
「隊長は見る目があって、趣味もいいんですから、もっと冒険してみましょうよ」
と主張し、店主もそれに乗ったのだ。
 隊長格、それも、冬獅郎ほどの美貌に恵まれた男ぶりだと、憧れる同性の数も多い。彼が幼い外見のうちはなかったことだが、ここ一月程、冬獅郎が身に着けていたこれこれの着物と似たものがないか、と尋ねて来る男性客は確実に増えた。もっといなせに見えるようにお洒落しようという乱菊の意見と、冬獅郎なら黙って歩きまわるだけで店の広告塔になるという呉服店主の思惑は、利害が完全に一致した。
 山のように積み上げられた反物を、冬獅郎本人を置き去りにして、乱菊と店主は漁りまくる。結果、乱菊が選び出したのは、縞の白大島だった。縞といっても、冬獅郎がいつも着ている棒縞ではなく、よろけ縞とか立湧といわれる波型の曲線を向かい合わせに並べて表現したもので、曲線が大ぶりの為、紋様自体が大柄に見える。男物の大島は細かい紋様の反物が主である為、こんな大柄は滅多にないが、その上、曲線で挟まれた部分にうっすらと色を乗せて諧調を持たせてある。端から3/4くらいまでは錫色から桜鼠色までで色が移り替わり、残り1/4は鉛白、真珠色、銀鼠の三本の立涌が並んでいる。
「女物じゃねぇのか?」
 眉を顰めた冬獅郎に、
「女物に適した柄、男物に適した柄というのは確かにございますが、生地自体には本来、男物、女物の区別はありません。要は似合うかどうかです」
と店主はすっぱりと言い切った。渋る冬獅郎を二人がかりで説得して、件の反物を羽織らせたところ、
「たいちょ、すっごくお似合いです」
 乱菊の語尾にハート・マークが躍った。店主も満足そうに、
「確かにお似合いになられますね」
と顎を撫で、そして、冬獅郎自身、この反物が自分に映えることを認めないわけにはいかなかった。
「これ、決定ですね!」
 眸をきらきらさせて迫ってくる乱菊に、冬獅郎は、
「ああ」
と頷いた。
 藍鉄地に深川鼠で三手毘沙門亀甲を染め出した江戸小紋、同じく、白地に藍で目の細かい三筋格子を染め出した江戸小紋、それから、霞を地模様に散らした上に、裾と袖に薄墨で龍を描いた秘色ひそくの薄手ぜんまい紬。ああでもない、こうでもないとの議論の末に、乱菊と店主はその三点を選び出した。目の前に、ずいと並べられた反物に、冬獅郎は黙って頷いた。二人の審美眼は信頼しているし、いい加減、疲れてきたのだ。
 予定では、あと一枚、長着を誂えることになっている。この時、乱菊が、どうしたことか、俄かにおずおずとした口調になって切り出して来た。
「ねぇ、たいちょ?」
「あ?」
「最後の一枚、片身変わりにしません?」
 片身変わりというのは、背縫いを中心に左右で色柄の異なる着物で、桃山時代に流行し、能装束にも見られる意匠である。狭義には左右違いの仕立てを言うが、袖と身頃で追い掛け仕立てにしたり、接ぎで色柄違いの布を用いている着物も含めて広い意味で片身変わりと総称されている。通常、二反の反物を組み合わせる為、組み合わせ方の違いにより印象の異なる二枚の着物が出来ることになる。しかも、一反では表現できない柄の変化が出る為、組み合わせが上手くいけば、かなり粋な着物に仕上がるのだ。また、力士のように大柄で一反では用尺の足りない場合や、痛んだ古い着物をいいとこ取りで仕立て直す場合にも恰好な技法である。
 乱菊の提案に、冬獅郎はしばらく無言でいたが、やがて、ゆっくりと首を縦に振った。
「いいぜ。一枚は松本の着物に作ろう」
 もちろん、それこそ、乱菊が片身変わりを言い出した意図だった。
 日番谷先遣隊として現世に駐在中、揃いのTシャツを着たカップルや親子連れを見かけた。その時に、ふざけて冬獅郎に、
「あたしたちもあんなふうにお揃いのTシャツを着てみません?」
と言ってみたところ、凄まじく嫌そうな顔で却下された。もちろん、その時は、乱菊もふざけただけで、本気で揃いの服を着てみたいと思ったわけではない。むしろ、冬獅郎の予想を裏切らない嫌がり方に大笑いしたものだ。しかし、冬獅郎と公然とした恋人同士になってみて、何故か、揃いの服の仲睦まじそうな現世のカップルのことが思い出されてならなかった。あんなふうに、あからさまにお揃いというのは気恥ずかしい。それに、冬獅郎も嫌がるだろう。だが、彼と揃いのものは身に着けてみたい。そう考えていた折に、雑誌に載っていた片身変わりの着物の写真が目に止まったのだ。これならば、反物の組み合わせ方でかなり印象が変わるし、冬獅郎も承諾してくれるのではないか。乱菊の予感は的中した。冬獅郎は明らかに、乱菊の提案を面白がっていた。
 先程まで、自分の着物だというのにほとんど乱菊と店主任せにしていた癖に、急に積極的に反物選びに参加し始めた冬獅郎に、呉服店主は気付かれないように、ひっそりと笑みを落とす。口では何だかんだと文句を付けていても、結局、冬獅郎は乱菊が美しく装うのが楽しみでならず、自分の着るものよりも彼女の着物の方が重大事なのだ。
「隊長、これは?」
「俺にはいいが、松本には渋過ぎるだろう?」
「じゃ、こっちはどうです?」
「あー、その色は松本、あんま似合わねえぞ」
「隊長には似合います」
「半分はおまえの着物になるんだから、松本にも似合う色でねえと」
という現世の若者が耳にしたら、「バカップル」と両断されそうな会話を繰り広げながら反物を広げる十番隊主従。だが、現世とは無縁の店主は「バカップル」という言葉自体を知らず、微笑ましそうに見守るばかりだ。
 ややあって、
「これ、隊長のイメージです! これにしましょう!」
 乱菊が勢い込んで差し出してきたのは、藍鼠地に紫根の漆糸で龍の丸紋様を織り出した風通御召だった。
 ふむ、と冬獅郎は思案した。空色をした乱菊の眸よりずっと濃くて暗い色合いであるが、同じ青系統だけに彼女にも映えそうだ。それに、彼女の身を龍が包むというのも、興が湧く。
「ああ、いいかもしれねぇな」
と冬獅郎は賛意を示した。
「一反をそちらになさるなら、もう一反も御召にされた方がよろしいですよ」
 店主のアドバイスに頷いて、乱菊は御召生地の反物を選って広げ始めた。広げたそれぞれに、先に決定した藍鼠龍文を当ててみる。藍鼠生地との相性、乱菊と冬獅郎に対する顔映りを考慮して三本の反物が最終候補に残った。家蚕糸と野蚕糸で棒縞を織り表した象牙色生地、一見すると麹塵きくじんの無地に見えるが、ごく近くで検めると細い銀糸が通された縞生地、そして、千歳緑の石畳地紋の生地。その中で、乱菊は冬獅郎に似合う千歳緑か麹塵を推し、冬獅郎は乱菊に一番似合いそうな象牙色生地に決めたそうにしていた。
「どう思います?」
 困った時のプロ頼みで、乱菊は店主を顧みた。
 店主は、
「日番谷隊長がお召しになることを慮ると、こちらは少し粋が過ぎるように思います」
と象牙色地を外した。千歳緑地と麹塵地はどちらも甲乙付け難かったが、
「秋ではなく、初夏にお召しになる前提であるなら、どちらかというと、こちらでしょうか?」
と麹塵を選び出した。
「そうする」
「それに決めます」
 店主の選択を、二人は揃って受け入れた。店主の合図で、奥から小柄な女性店員がなにやら、紙と筆を持って現れた。
 彼女は絵が上手く、仕立てる際の柄の向きや配置が問題となる滝縞や二色割の反物について、その場で仕立て上がった時のイメージ図を描いて見せるのが主な仕事だった。もちろん、片身変わりの注文の際には最も力を発揮する。あらかじめ着物の形が印刷してある紙にさらさらと筆を走らせ、彼女は幾つかの組み合わせを描き出した。
「これはねえな」
とすぐに却下されたのは、狭義の片身変わりだ。はっきりと左右で別れた組み合わせだと、もろに「お揃い」の着物が出来上がってしまう。
「隊長の着物に龍文が多い方がかっこいいです」
 乱菊の主張で、冬獅郎の前身は上前のおくみと左袖以外は藍鼠地になった。後ろは左が麹塵、右が藍鼠の綺麗な片身変わりとした。一方の乱菊の着物は結果として麹塵の分量が多くなったので、こちらを前面に出すことにした。前身は藍鼠と麹塵が半々だが、麹塵を上前にした。これによって、身に着けた時には麹塵が多く現れることになる。後身頃は左右とも麹塵地なので、後ろから見ると右袖だけが藍鼠龍文になった。
「襟は入れ替えた方が良いでしょう」
 店主の意見で、乱菊と冬獅郎の襟の生地を入れ替える。
「如何です?」
「俺の着物はこれでいいんだが、松本の着物がどうも淋しくねぇか」
と冬獅郎が首を傾げた。
「いいんですよ、隊長。あたしの着物はおまけみたいなものなんですから」
 乱菊が取り成したが、冬獅郎は納得がいかない様子で不満げだ。
「あの、日番谷隊長」
 絵筆を執っていた女性店員が控えめに声を掛けた。
「少しお値段が上乗せされてしまいますが、松本副隊長のお着物に手描き友禅で柄を足すというのは如何でしょう?」
 見返した冬獅郎に、店主が補足した。
「友禅の職人で、水彩画風といいますか、さらっと描き流したような軽い手で花や風景を描くのを得意としている者がおりまして、よく、お客様のご注文で後付けで着物や帯に絵を描き加えているのですよ」
「なるほど」
「初夏らしく、藤ですとか、柳に燕ですとかを加えるとぐっと華やぎますし、印象がより女性らしい着物になります」
と女性店員も添える。
「ちょっと描いてみてくれねぇか?」
と冬獅郎は頼んだ。
「そうだな…、肩から藤を垂らして、裾に杜若ってのはどうだ?」
 注文に応じて、店員は絵筆を走らせた。
「職人さんの画とは違いますけど、だいたい、このような感じになります」
 麹塵場にのみ藤と杜若が描かれた図を見せられ、
「いいな」
と冬獅郎は得心した。
「松本、これでいいか?」
「はい。素敵です」
 乱菊も嬉しそうに顔を綻ばせている。
「決まりだ。これで仕立ててくれ。いつ頃仕上がる?」
 店主は暦を確認し、
「こちらの片身変わりは一番に仕立てさせて、藤の季節に間に合わせます」
と請け負った。
「おう、悪いな」
「その代わり、他は十日ほど余分にかかるかもしれません」
「構わねぇ」
「仕上がったものから順次納品いたしますか? それとも、まとめてお渡しの方が…」
「そうだな、礼装用を優先させてそっちは出来上がったら、すぐに持って来てくれ。他はまとめてでいい」
「かしこまりました」

 着物が仕立てあがったら藤の花見に出たい、と乱菊に強請られながら、冬獅郎は店を出た。仲良く帰っていく二人を見送って、店主はにんまりと笑った。
「藤見物か。いいですねぇ」
「あのご様子ですと、杜若も見に出掛けられますね」
と女店員も同調した。
「藤や杜若の時節からの注文だと、浴衣あたりが来ますかねぇ」
「秋口の単も見込めると思います」
 十番隊主従は目立つのだ。あの二人が揃いの片身変わりの着物を纏って花見に出たら、注目を集めることは間違いない。そうなれば、きっと片身変わりの着物の注文がずいぶんと増えることだろう。
 店主と女性店員は再び、にんまりと笑い合った。

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2012.10.14