花の下にて
《白哉×緋真 〜叛乱の五十三年前/叛乱終結一年後〜》
中庭に面した廊下に座って、緋真は外を眺めていた。立春を過ぎ、暦の上ではもう春になった。中庭に植えられた白梅の古木も枝一杯に花を咲かせて春の訪れを告げているが、この日は寒の戻りで雪がちらついていた。
窓を横切るように舞う風花は梅の花びらのようだ。その美しさに緋真が見入っていると、
「緋真」
と温かな声が彼女の名を呼んだ。
「白哉さま」
立ち上がろうとした緋真を制し、白哉は傍まで歩み寄ると、屈み込んで彼女の顔を見つめた。
「このように冷える廊下で何をしていた?」
緋真付きの侍女が用意したのだろう。彼女の傍らにはかんかんに火が熾った丸火鉢が据えられており、足元には湯たんぽが置いてあった。彼女自身、厚手の綿入れ羽織を纏って、防寒対策を施してはいる。だが、それにしたって底冷えのする板張りの廊下に蒲柳の
「申し訳ございません」
と謝った。
「咎めているのではないが、何故、このように冷えるところに?」
「梅が綺麗でしたので…」
緋真は消え入りそうな声音で答えた。
「それに雪が…」
「雪?」
「はい…。梅の花びらが舞い散っているようで…」
白哉の千本桜もこのように美しいのだろうかと考えていたのだと、緋真は呟いた。
「桜吹雪に似ていようと千本桜は斬魄刀。血塗られた戦いの為にあるものだ」
白哉の応えに緋真は緩く首を横に振った。
「闇に堕ちた魂魄を浄化し、正しい輪廻の流れに還す刀でありましょう? 慈悲の刃でございます」
白哉は妻の隣りに腰を落とした。舞い散る雪の向こうに、梅の古木が咲き誇っている。
「確かに美しいな」
と白哉も認めた。
「斬魄刀は桜でございますが」
緋真が白哉を見上げた。
「白哉さまはあの梅のようにございます」
「梅?」
「はい。凛として、気高く、そしてこの寒さにも凍えぬ強いお心をお持ちです」
と緋真は微笑んだ。
「ですから、ずっと眺めていたかったのです」
白哉は無言で妻の肩を抱き寄せた。小柄な緋真の頭が白哉の肩に凭れ掛かる。
「白哉さま、温こうございます」
緋真は幸せそうに呟いた。
重たげな牡丹雪が白梅の花を凍えさせている。
かすかに音を立てて降る春の雪とその向こうに今が盛りと咲き匂う梅を、白哉は眺めていた。
「兄様、ここにいらしたのですか?」
義妹が心配そうに近付いて来た。
「このように冷えるところで、何をしておいでですか?」
と彼女は問うた。五十年以上昔に彼女の姉に対して告げたのと同じ言葉を、義妹から掛けられて、白哉は不思議と心が凪いでいくのを感じた。
「梅を見ていた」
と白哉は答えた。
「雪が梅の散るさまのように見えて、な」
「…」
義妹は緋真によく似た大きな瞳をぱちぱちと二、三度瞬かせた後、
「さようでございますか。お風邪をお召しにならないようにお気をつけ下さい」
とだけ言い置いて、去っていった。
おそらく気が付いたのだろう。白哉が梅ではなく、緋真を見ているということに。
「白哉さまは白梅のようにございます」
緋真の言葉が、まるでたった今告げられたかのように鮮やかに甦る。
「梅か…」
緋真は雪のようであった。白哉の心に愛しさを積もらせ、景色を全て緋真の色に染め上げながら、淡雪のように儚く消えていった。
「緋真…。美しいな」
僅かに目を細め、今は幻影となった妻に白哉は語りかけた。
《喜助×夜一 〜叛乱の数年前〜》
細く開けた窓からするりと室内に入って来た黒猫がぶると身を震わせて褐色の美女に変じるのを、喜助は薄目で眺めていた。窓辺に立つ彼女の産まれたままの素肌を月の光が淡く照らしている。
女はおもむろに振り返ると、
「狸寝入りなど無駄じゃ」
と目を細めた。
「何事ですか、夜一サン?」
敢えて作った、うんざりという声音を気にしたふうもなく、夜一は、
「出かけるぞ」
とのたもうた。
「こんな夜中にですか?」
「夜の散歩も乙なものじゃぞ」
「今まで散歩していたんでしょ?」
「猫でな」
我儘で尊大な姫君は、気紛れな思い付きを同居人に強要しては振り回す。いつだったかは「瞬歩が鈍らぬよう、鍛えてやる」との仰せで昼夜ぶっ通しの鬼事に付き合わされた。珍しく東京に大雪が降った朝は鉄裁や
義骸を脱ぎ捨てて霊体になった相棒に、にやりと嗤いかけて窓に手を掛けた女を喜助は寸でのところで留めた。
「ちょっと、ちょっと、夜一サン! 着物、着ましょうよ」
「…」
視線を下げて自らの身体を検めた夜一は、ポンッと手を打たんばかりに頷いた。
「おお、裸じゃったか」
「空座町は重霊地で霊感がある人間の割合が高いッスからねぇ…」
こんな深夜にすっぽんぽんの女の幽霊を見てしまったらば、色んな意味でその御仁が気の毒だ。
猫の姿に慣れ過ぎたせいで、裸身に無頓着なきらいのある夜一であるが、さすがに真っ裸で屋外を闊歩することは自重したようだ。逆らわずに素直に衣服を纏うと、
「では行くぞ」
と彼女は下僕を促した。
「ハイ、ハイ」
誠意のない声音を咎めもせず、姫君は窓を抜け出し、喜助はその後に従った。
夜の街を眼下に駆けて、辿り着いたのはとある公園だった。
「これは…、辛夷、ですか?」
煌々と輝く半月と鈍い水銀燈に照らされて、梢を埋め尽くすように咲いた純白の花。六枚の花弁を反り返させるように広げた花はバレリーナのチュチュのようにも見える。
「…綺麗ですね」
と思わず呟けば、くつりと女の唇が弧を描いた。
「ふむ…。研究馬鹿の似非科学者にも、これを美しいと感じる情緒が残っておったか」
「ひどいですねぇ。僕は風流人だと自負しているんですが」
冗談めかした抗議に、女はにやにやと意地悪な笑みを零すばかりだ。
綺麗だと思う。
季節が巡る度に違えることなく真白き花を咲かせるこの木も。
不安定なこの世界も。
今、この瞬間にも、遠い異国では爆撃の音が鳴りやまず、戦火の中で奪われる命がある。別の異国では貧しい子供が飢えて、虚ろな眸で立ち尽くしている。互いの信じる正義を譲らず、殺しあう民族がある。自らの不満や欲望を見ず知らずの者に叩きつけて憚らぬ者が他人の幸せを蹂躙する。
この世界は脆く、矛盾に満ち、とても醜い。
けれども同時に、譬えようもなく愛しく美しい。
交わす言葉さえ絶え、ただ白き花を見つめ続ける二人を、半月が見守っていた。
《十四郎×烈 〜叛乱終結から一年後〜》
「夜桜を見に出掛けないか?」
そう誘えば、ほんの刹那、彼女に過る戸惑い。
自分が人並程度に健康であれば、彼女はすぐにも笑って頷いてくれるのだろうか。そんなネガティブ思考に走りそうになって十四郎が苦笑しかけた時、烈はすっと立ち上がり、箪笥の抽斗を引いた。
「昼間はずいぶん暖かくなりましたが、夜は冷えます。寒くない御召し物に着替えて下さい」
「ああ、花冷えという言葉もあるくらいだしな」
彼女が見繕ったのは、彼の隊首羽織の羽裏と同じ潤朱に蚊絣紋様のぜんまい紬の長着と揃いの羽織であった。真綿紬は保温性の良い素材だが、そこにぜんまいの繊維を加えることでさらに保温性を高めたのがぜんまい紬である。春先の外出ならば、これで充分だろうと頷きながら受け取ると、更に藍鼠の袴を差し出された。
「着流しは冷えます。袴をお召しになって下さい」
「ああ」
「下着は、確か…」
十四郎が隊首を勤める十三番隊の三席である虎徹清音が土産にと現世で購入してきたハイテク保温素材の丸首シャツと股引を引っ張り出して、にっこりと笑む彼女は所有者である十四郎本人よりも箪笥の中身に精通しているに違いない。極めつけに、春先の外出にはいささか仰々しい襟巻で首回りを保護すれば、漸く彼女は万全と判断したのだろう。嫣然と微笑んで、
「では出かけましょうか?」
と十四郎を促した。
桜の並木で有名な通りには、花見客を当て込んだ出店が並んでいた。
風よけに三方を簡素な板で囲った出店で、二人は並んで腰かけて甘酒を愉しんでいた。やや大振りの湯飲みに満たされた甘酒はふうふうと息を吹きかけて冷ましながらであってもちびちびとしか口に入れられないほどに熱々で、湯呑を持つ手指もじんわりと温まっていた。
「この店のは生姜が効いていておいしいな」
「そうですね」
烈は微笑む。彼女の好みはもう少し生姜が控えめなのだが、十四郎が美味しいと言っているので満足なのだ。それに生姜には身体を温める効果があるので、彼の為には具合がいい。
「烈」
十四郎が軽く彼女の袖を引いた。
「どうしました?」
と顔を上げると、優しい笑みを浮かべる十四郎がいて、烈ははっとする。
「ほら、あれ」
彼が目立たないように指した指先と視線の先を辿れば、
「あら?」
と烈もまた柔らかな微笑を洩らした。
彼の隊に所属する、つい先日下位席官に昇進したばかりの一際小柄な女性隊士が、目立つ赤毛を頭頂部でひとくくりにした大柄な青年と連れ立って歩いている。彼女の手には鼈甲飴が握られており、青年は綿飴を持っていた。
「似合いませんねぇ、綿飴…」
烈は小さく声を立てて笑った。強面の赤毛青年が見かけによらぬ甘党だということは知っているが、それにしても綿飴とはまたファンシーな選択だ。食べ方は無駄に豪快なのだが、ものが綿飴だけに可笑しさが募る。
ツボに入った烈がくすくすと笑い続けている間に、凸凹の二人は甘酒屋の前に差し掛かり、十四郎が、
「朽木」
と声を掛けた。
「浮竹隊長!?」
「 卯ノ花隊長!?」
途端に小柄な女性隊士は直立不動の姿勢になり、連れの強面赤毛が挙動不審になった。
「『でぇと』か? 朽木」
「いえ、そんな滅相もない! その偶々、会ったものですから…」
偶々のはずがない。彼女は可愛らしい小紋姿で、髪には簪まで挿しているというのに。
第一、
「朽木さん。お顔が真っ赤ですよ」
と烈は指摘した。分かりやすく顔を熟れさせて否定されても、説得力などないに等しい。
「あ、あの。浮竹隊長たちは何を…?」
挙動不審だった青年が勇気を振り絞ったという声音で尋ねて来た。
「ん? 阿散井たちと一緒だぞ」
あっけらかんと、十四郎は答える。
「卯ノ花隊長と『でぇと』中だ」
瞬間、
「失礼いたしました!!」
「お邪魔をいたしましたァ!」
二人は叫ぶように言い捨てるなり、瞬歩で消えてしまった。
「どうなさったのでしょう、お二人とも?」
「さぁ…。俺たちに見付かって気恥ずかしかったんじゃないか?」
十四郎ののほほんとした応えに、
「まぁ、初々しいこと」
と烈はころころと無邪気な笑い声を立てた。逃げ去った二人がだらだらと冷や汗を流していたことなど、彼女は知る由もなかった。
《ギン×絢女 〜叛乱終結から四年後〜》
温室の天井から吊り下がった夥しい鉢を見上げ、
「うわっ…」
と絢女が小さく声を上げた。目を丸めている絢女を見遣り、ギンは薄い笑みを浮かべた。本日の本来の目的地は別にあり、ここはおまけのつもりであった。だが、おまけといえども、絢女が喜んでいるのを目の当たりにすれば、来た甲斐があったというものだ。
良くも悪くも、護廷十三隊の各隊のありようは、隊首の色に染まる。それは隊風といったはっきりと形のない雰囲気から始まって、それこそ、隊舎の調度類にまで及ぶ。絢女が隊首を勤める五番隊も例外ではない、というよりも、護廷の叛逆者であり、絢女にとっては仇に当たる前隊長の影を払拭したいが故に、隊を挙げて絢女の好みに合わせるように邁進した結果、五番隊は恐ろしい速さでまず外側から変わったのだ。
前隊長・藍染は渋好みで、隊長舎も、五番隊舎も庭のしつらえは枯山水の石庭であった。とにかく岩、及び白妙の砂利石。庭木は松や万年青などの常緑の緑が中心で、彩りといえば、庭の隅に植わっている楓の紅葉、南天の実の赤、それから晩秋に咲く
島根県松江市に大根島という島がある。この島は日本有数の牡丹の生産地で一説によればそのシェアは九割近くにも上るという。現世で祝日が連続する為にGWと呼ばれる新暦皐月上旬は丁度、牡丹の開花時期に当たる。この観光シーズンに合わせて大根島では牡丹祭りが開催されるのだ。島に数ヶ所存在する牡丹園も一般開放されるし、大規模な苗の市も立つ。丁度、牡丹祭りの開催に合う日に非番が取れたので、良い機会だから絢女を大根島に案内して、現世の華やかな牡丹を楽しませ、かつ思う存分苗木を選ばせようというのがギンの目論みだった。
その計画を練っている際に、この辺りを管轄している現世駐在の死神から、ベゴニアと
「
ほうっと溜息をついた彼女の上気した顔に、
「売店で
とギンは告げる。絢女が温室の花々に目を奪われている隙に、きっちりとチェックしていたのだ。
「でも、荷物に…」
「何の為に、わざわざ車を借りたと思うとるの?」
とギンは笑った。
そう。実は本日の現世デートは車でのドライブなのだ。現在訪れている庭園と大根島とは地図上の直線距離でおおよそ25km弱離れている。車であれば、余裕で両方をまわれるが、公共交通機関を乗り継いでとなると一日では厳しい。むろん、タクシーを貸切にするという手だてもあったのだが、敢えてレンタカーを選択したのは絢女が遠慮なく苗を購入出来るようにである。レンタカーであれば後部座席は空いているし、ハッチバックタイプの車種なら後部座席の背面にも苗を収納出来る。しかし、タクシーだと後部座席にギンと絢女が座ってその隙間に苗を置くか、トランクルームに格納しなければならないのだ。後部座席では邪魔になるし、トランクルームでは高さに制限がある為、そこを考慮して苗木を選択しなければならなくなる。
「もしかして、わざわざ台車を持って来ていたのって…」
「うん。苗をたくさん買うたら、さすがに両手では持ち切れんかもしれへんからな」
技術開発局に運転免許証を偽造させ、レンタカーを返却後に尸魂界まで購入した苗を運ぶ為の台車まで用意して、彼は今日という日に臨んだのだ。牡丹の苗の他に鉢植えセットが荷物に加わろうがどうということもない。因みに、車を運転するのは初めてだったので、隊務の時間を犠牲にして技術開発局謹製の自動車運転教習プログラムをこなしていたことは、生真面目な絢女には絶対に内緒である。
市丸ギン。
最愛の恋人の喜ぶ顔を見る為なら、努力も、時間も、金銭も一切惜しまない男。
その裏で、
「その情熱を、少しは仕事に向けて下さい」
と苦労性の副隊長が涙を絞っているのである。
《冬獅郎×乱菊 〜叛乱終結から半年後〜》
夏至まではまだ一月以上あるとはいえ、新暦皐月上旬ともなると日没も遅くなり、定時で仕事を終えてもまだ充分に明るい。仕事を終え、いったん隊寮に戻った冬獅郎と乱菊はつい先日仕立てあがったばかりの単の着物に着替えた。
今宵は八番隊隊長の京楽の実家で、彼と親しい隊長格を集めて観藤の宴が催される。二人はそれに招待されたのだ。
酒好きの乱菊は宴会自体が楽しみでならないのだが、実はもう一つ、心を浮き立たせていることがある。初下ろしで纏った単の着物は、冬獅郎と揃いなのである。 *1
半年前、封じられていた霊力の解放によって、冬獅郎は子供の姿から一足飛びに青年に成長した。この急激な身体の変化により、当然のことながら、子供の姿だった時に着用していた着物は全く着られなくなってしまった。そこで、先だって、初夏から梅雨明けくらいまでの間に着用する為の単をまとめて注文したのだが、その際、一枚だけ片身変わりの着物を誂えたのである。片身変わりというのは、色柄の異なる二反の着尺を組み合わせることで、一反では表現できない大胆な趣の着物を仕立てる手法である。二反を組み合わせる為、通常、二枚の着物を仕立てることが可能だ。そこで、冬獅郎は片割れの着物を乱菊のものとしたのだ。冬獅郎が着用することを前提に布地の組み合わせ方を決めたのでいささか地味になってしまった乱菊のものに、後染めで図柄を描き加えることで華やかさを出せると提案したのは呉服商で、冬獅郎はその意見に従って藤と杜若、それに
せっかく藤の季節に間に合うように仕立て上がったのだ、丁度いい機会だから京楽邸の宴に着て行こうと上機嫌に冬獅郎に提案されて、乱菊にも否はなかった。
花の図が入ったことと、使用されている二種の生地の割合が乱菊の着物と冬獅郎のものとでは異なっていることから、ぱっと見た時の印象はかけ離れてる。その上、冬獅郎は着流しの長着の上に浅緑の夏大島の羽織を纏ったものだから、京楽邸への途中で行き合った、やはり今宵の招待客である七緒や恋次も乱菊たちの衣装が揃いだということに気が付かなかった。それを最初に指摘したのは、流石に通人というべきか、京楽だった。
「あっれぇ、乱菊ちゃん。もしかしてその着物、冬獅郎くんとお揃い?」
京楽から問われ、早く誰か気が付いてくれないかとうずうずしていた乱菊は勢い込んで頷いた。
「さっすが、京楽隊長。よく分かりましたね〜」
「そりゃ、気が付くよ。乱菊ちゃんの着物の龍の丸の生地、冬獅郎くんの着物と一緒じゃない」
応じながら、京楽は視界の端で冬獅郎が僅かに唇の端を上げたのを目にした。
(なるほどね〜)
と京楽は心の中で得心した。
「片身変わりで仕立てたんだ」
「はい。隊長に我儘をきいて貰いました」
乱菊は無邪気に笑っている。
「いいね、それ。あからさまでなく、さりげなくお揃いってとこが憎いよね」
「本当、言われてみれば確かに揃いの生地ですねぇ」
京楽の指摘に、七緒も慌てて冬獅郎と乱菊の着物を見比べ、感心したように吐息をついた。
「さすがに目敏いと言うか…」
「せめて鋭い観察眼って言って」
七緒に緩い笑顔で抗議しつつ、
「その藤とか、杜若の図柄は後染めなんだ?」
と乱菊に京楽は確認する。
「はい。隊長の着物に龍の丸生地が多く出るように組み合わせたら、あたしの着物がちょっと地味になっちゃって。その時に呉服屋さんが後から絵を入れられるって教えて下さって、それで隊長が『藤と杜若を入れよう』っておっしゃったんです」
「なるほどね。初夏の時期にぴったりだね」
「観藤の宴ですけど、この着物の藤はそんなに主張してないから、いいかなって」
「うん。藤の花の下に立つと、きっと藤の精みたいに見えるよ」
と京楽。乱菊は、
「藤の精なんて、ほめ過ぎですよ〜」
と手を振ったが、面白がった七緒によって早速藤棚の下へ連れて行かれてしまった。
わざわざ人を招いて観藤会を催すだけのことはあって、京楽邸の藤は本当に見事だった。
きわだって花房の長い藤の古木を中心に同心円状に巡らされた藤棚一杯に藤が咲き乱れている。そのまわりにも、白藤や曙藤と呼ばれる淡い薄紅の藤、花色の紫が濃い黒龍藤や、珍しい八重の花を葡萄の房のようにたわわに咲かせている藤花などもあって、一口に藤といっても種類がずいぶんあることが分かる。藤独特の甘酸っぱいような芳香も濃密だ。
乱菊、卯ノ花、七緒や絢女などの女性隊長格が一塊になって笑いさざめいている一角は、本当に藤の花の精たちが集っているような錯覚さえ覚えるほどだ。
「冬獅郎くんってさぁ」
腹心の部下兼恋人を穏やかな微笑で見ている冬獅郎の傍らに立った京楽は、
「独占欲、強いよね」
と告げた。揶揄するような響きはあったが、口調は優しい。
「何のことだ?」
敢えてとぼけた冬獅郎に、
「着物」
と京楽は応じた。
「わざわざ揃いの着物を着て来るのって、牽制でしょ?」
「まぁな」
あっさりと冬獅郎は認めた。
「あいつを諦めきれてねえ男は多いからな。折に触れて、あれは俺の女だと分からせておかないと」
にんまりと悪い笑みを浮かべた冬獅郎の視線の先には、諦めきれない男の筆頭・檜佐木修兵がいる。
「モテる女の子を恋人にすると苦労するね」
「モテることより、あいつが鈍いことの方が大きな問題だ」
「ああ、そっか。乱菊ちゃん、自分のことだと途端にぼんやりさんになるからねぇ」
「だな。俺がガキの
乱菊がよそ見などあり得ないと思うが、それでも周囲に威嚇せざるを得ないのが、悲しい男の習性というものだろう。花の精のように美しい女を漸くに手に入れた同僚を、京楽は慈愛と共感を籠めて見下ろした。
*1 拍手お礼ログ「例えば、こんな幸せ」参照