幸せな食卓


《ふろふき大根 〜叛乱の三年前〜》

 実家が瀞霊廷の郊外で農業を営んでいる下位席官が、
「実家で採れたものです」
ととても立派な大根を持って来てくれた。冬獅郎の二の腕よりも太く、乱菊の太腿にも負けない真っ白な傷ひとつない大根だ。
「せっかくの立派な大根ですし、今晩はふろふき大根にしましょうか?」
 乱菊の言葉に、冬獅郎はぱっと書類から顔を上げた。
「いいな、賛成」
と心なしか嬉しそうだ。
 冬獅郎は偏食せずに、何を作ってもおいしいと食べる少年だ。しかし、野菜類では大根を特に好んでいるらしい。好物である出汁の効いた卵焼きを食する際も、たっぷりのおろし大根と一緒に食べるのが彼の流儀であったし、味噌汁の具は大根が一等好きだと以前に言っていた。鰤大根、大根と手羽元の甘辛煮、豚バラと大根の鼈甲煮などの大根の入った煮物も反応が良い。おでんでも大根をよく食べている。
 ふろふき大根は大根自体の善し悪しが味に直結するシンプルだがごまかしの利かない献立である。この料理も冬獅郎はかなり好きだと乱菊は見ていたのだが、当たりだったようだ。夕飯が楽しみだ、という表情を浮かべた年若い隊首に、乱菊は密やかに笑みを零した。

 いつもは庭木に撒く米の研ぎ汁を輪切り大根入りの鍋にあけ、中火に掛ける。その間に乱菊は厚めに剥いた大根の皮をやや太めの千切りにした。煮物などで大根をたくさん使う時に必ず作る始末料理の為である。
 次は味噌だれだ。小鍋に白味噌・酒・味醂・砂糖・柚子果汁、柚子の皮のすりおろし少々を入れ、昆布出汁で溶いてゆるめる。鍋を弱火にかけて、焦がさないように木べらで混ぜながら水分とアルコールを飛ばしていく。
「柚子味噌か?」
 着替えてから副隊長舎にやって来た冬獅郎が乱菊の手元を覗き込んで尋ねた。
「はい。この後、肉味噌も作りますよ」
「ああ、いいな」
 冬獅郎は携えて来た五合瓶を掲げてみせた。
「この間、京楽から貰った酒だ。燗で飲むと美味いらしい」
「あ、これ。現世の有名なお酒ですよ」
と目を輝かせた乱菊に、
「燗の準備は俺がしておくから」
と告げる。
「お願いします」
 出来上がった柚子味噌を片口の陶器の器に移し、鍋をざっと洗うと、乱菊は豚挽肉を炒め始めた。挽肉の色が変わったところで八丁味噌と酒・味醂・砂糖を加えて挽肉に馴染ませる。おたま一杯程の昆布出汁も加えて、弱火で丁寧に練り混ぜながら水分を飛ばし、とろりと煮詰まったところで、こちらも陶器の器に移した。
 味噌だれを準備している間に、下茹での大根は程よく煮えていた。笊にあけて、表面に付着した糠を流水で洗い流し、圧力鍋に並べる。この圧力鍋は冬獅郎が購入したものだ。現世で入手した料理本の中に普通の鍋を使って調理する場合と圧力鍋を使った場合の両方のレシピを掲載しているものがあった。ぱらぱらとそれを見た冬獅郎は、
「この圧力鍋ってやつ…、えらく便利そうだな」
と呟いていた。そして、数日後には現世の浦原商店を通じて圧力鍋を入手し、乱菊に渡したのだ。以来、彼女はありがたく圧力鍋を活用させて貰っている。煮物の際、素早く味を浸み込ませて調理時間を短縮することが出来るし、特に塊り肉をほたほたに柔らかく煮上げるのに素晴らしい威力があるのだ。ふろふき大根も圧力鍋を使った方が短時間で美味しく煮上がる。乱菊は大根が浸かるくらいの昆布出汁を注ぎ入れ、酒・薄口醤油・味醂で味を整えてから、蓋をして火にかけた。
 冬獅郎は育ち盛りの少年である。野菜ばかりではなく動物性蛋白質も欲しいだろうと、乱菊は冷蔵庫から肉を取り出した。軍鶏しゃもの腿肉を幽庵だれに漬け込んでおいたものである。丁度、食べ頃に味が染みているはずだ。
 鉄製の浅鍋に米油を馴染ませ、軍鶏肉を皮目を下にして中火で焼く。皮がパリッときつね色に焼けたら裏返して、身にも軽く焼き色をつけてから火を弱め、蓋をして蒸し焼きにするのだ。
 乱菊は圧力鍋を火から下ろした。ふろふき大根の加圧時間は半刻はんこく。軍鶏に焼き目をつけている間に時間になったのだ。あとは圧が抜けるまで自然放置でよい。
 次に乱菊は中華鍋を取り出した。熱した中華鍋に焙煎胡麻油を入れ、鍋をまわして油を馴染ませると香ばしい胡麻の香りが立ち上った。油が適度に熱したところで輪切りの鷹の爪を投入し辛みを油に移すと、さらにひとつかみのちりめんじゃこを加えて、焦がさないように絶えず木べらでかき混ぜる。じゃこがカリカリになったところで千切りにした大根の皮を加えてざっと炒め上げるのだ。炒めすぎて大根がしなしなになってしまうと美味しさが減点なので、しゃっきりとした硬さが残るくらいが良い。塩だけで味を調えて、深鉢に移したら、大根の塩きんぴらの完成である。金持ちなら捨ててしまう大根の皮も無駄なく使う、ある意味貧乏料理なのかもしれない。しかし、誰に食べさせても美味しいと言われる、乱菊の定番献立である。無論、冬獅郎も好物だ。

 一方、勝手知ったる何とやらで、冬獅郎は迷うことなく水屋から燗徳利を取り出していた。
 外容器に水を張って、内徳利には酒を移す。酒の香りが飛ばないように内徳利の口に和紙で蓋をして、冬獅郎は燗徳利を居間に運んだ。居間の隅には長火鉢が据えてある。炭で火を熾すと、五徳の上に外容器だけを置いて温めた。
 外容器に入れた水が沸騰し始めた頃、乱菊の方も夕餉の準備が終わったらしい。居間の座卓に料理を並べ始めた。
 大きめの浅鉢に山のように重ねて盛ったふろふき大根は、ほんのりと出汁の色を纏い、白い湯気を上げていた。その傍らには柚子味噌と肉味噌が添えられている。乳白色のぽってりとした陶器の深鉢には、冬獅郎の好きな塩きんぴら。ぶつ切りにして焼いた根深ねぎを添えた軍鶏の幽庵焼きに、小松菜のおひたし。
 冬獅郎は火鉢から燗徳利の外容器を下ろすと、ふろふき大根の鉢の傍らに置き、酒を入れた徳利を沈めた。
 乱菊が炊き立てのご飯をよそった茶碗を冬獅郎の席に置いた。
 向かい合わせに座して、
「いただきます」
と手を合わせる。
 乱菊は徳利の和紙の蓋を除くと、
「まだぬる燗くらいですけど、いってみます?」
「おう」
 猪口にとくとくと酒が注がれた。
 二人は猪口を軽く掲げて、
「お疲れさま」
と言い合った。
「うーん、美味しい」
「やっぱ、冬は燗酒だよな」
 冬獅郎は小皿にふろふき大根を取り、柚子味噌をかけた。柔らかく煮上がった大根は箸で簡単に切れる。もあっと、内部の熱が湯気になって上がり、冬獅郎は嬉しそうに大根を口に入れた。

    はふはふはふ

「旨い」
 簡潔だが、料理人にとって一番嬉しい一言。
「どうも」
と乱菊は笑顔を浮かべた。
「この肉、歯ごたえがあるな? 普通の鶏じゃないだろ?」
「軍鶏です」
「ああ、どうりで。たれ焼きも旨いな」
 乱菊は空になった冬獅郎の猪口に酒を注いだ。
「ありがとう」
と今度は冬獅郎が乱菊の猪口に酌をした。
「さっきのぬる燗も美味かったが、俺は今くらいの方がいいな」
 湯に戻した徳利の中の酒は上燗になっていた。
「ですね」
 辛口の酒とふろふき大根は実によく合う。しゃきしゃきした塩きんぴらも酒のつまみにはもってこいだ。
 冬獅郎は柚子味噌と肉味噌で交互に食べることにしたらしい。四つ目のふろふき大根に肉味噌を乗せている。乱菊はそぎ切りにした軍鶏をぱくりと一口で口に入れた。噛みしめると、味付けのたれに交じって軍鶏本来の旨味を孕んだ肉汁がじゅわりと口中に広がった。口の中の脂を酒で流し取り、続いて柚子味噌をのせたふろふき大根を口にする。
(うん。我ながら上出来)
 もちろん、材料である大根が良かったことは言うまでもない。
「明日、もう一度、園田にお礼を言わなきゃですね」
「そうだな。立派な大根だったもんな」

    はふ、はふはふ

 一心不乱に料理を味わう冬獅郎の顔は言葉にならなくても、
「美味しい」
を乱菊に伝え続けていた。



《たんぽぽカレー 〜叛乱の四十二年後〜》

「かあさま、とうさま! しゅうちゃんとおとまりしたい」
 一人息子のお強請ねだりに、
「そうね。今はそんなに忙しくないからいいわよ」
と絢女は答えた。
 ギンと絢女の息子の主真かずまは、十三番隊隊長・浮竹十四郎と四番隊隊長・卯ノ花烈との間に生まれた柊也しゅうやと仲良しである。子供が生まれることが稀な尸魂界で、僅か半年違い、しかも共に両親が護廷十三隊の隊長という立場で産まれたのだ。ほとんど一緒に育った二人が親しくなるのは最早必然だったと言っていいだろう。
 両親が護廷に出勤した後、主真と修也はほぼ毎日を一緒に過ごしている。二人して鬼ごっこや虫取りに興じたり、独楽回しを競ったり、瀞霊廷中の野山を駆け回って遊んでいるのだ。たまに、取っ組み合いのけんかになって、
「しゅうちゃんなんてきらいだもん。ぜっこうだもん」
と泣きながら帰ってくることもあるけれど、彼らの言う「絶交」は三日と続いたためしがない。たいていは翌日にはもうけろっとして、いつものように駆け回って遊んでいる。
 おとまり、というのは文字通り、どちらかの自宅にもう片方が泊りがけで遊びに来ることである。初めてのお泊りはもう、十年ほど前になるだろうか。烈との結婚後、ずっと小康状態を保ち続けていた十四郎が数十年ぶりに大きな発作を起こしたのがきっかけだった。烈は十四郎につきっきりになってしまうし、まだ幼い柊也に弱った父親の姿を見せて不安がらせるのも忍びないと考えた絢女が、
「たまには泊りがけで遊びにいらっしゃい」
と主真にかこつけて、柊也を預かったのだ。何も知らない柊也は喜び勇んで元気よく市丸邸にやって来た。
 いつもは夕刻になったら、さようならと別れてしまう仲良しの友達と一緒に夕飯を食べ、夕食後はギンや絢女も交えてトランプやボードゲームなどに興じ、一緒に風呂に入って、布団を並べて眠りに就く。睡魔に囚われるぎりぎりまでおしゃべりして過ごせた体験は、主真にとっても、柊也にとっても、たいそう楽しかったらしい。それ以来、たまに「おとまりがしたい」と強請られるようになったのだ。幼いながらも聡い子供たちは、両親が多忙な隊長職にあることを理解していて、忙しそうな時には決して言い出さない。このところ、尸魂界も現世も平穏で、両親とも定時で帰宅する日々が続いていることを見極めた主真は、満を持して持ちかけたに違いない。
「明後日は母さま、午後から非番なの。だから、お泊りは明後日でいいかしら」
「うん。ありがとう、かあさま!」
 主真は嬉しそうに笑った。
「かあさま、あのね」
「なあに?」
「ばんごはんはたんぽぽカレーがいい」
「ん、いいわよ」
と絢女は了承した。

 もう何十年も昔に絢女が現世から入手してきたレシピ本の中に、とある洋食の名店の店主が監修したものがあった。その本の中で監修者の店の人気メニューとして紹介されていたのがたんぽぽオムライスである。通常、オムライスは薄焼きにしたオムレツでチキンライスを包んだ料理であるが、たんぽぽオムライスは皿にチキンライスを平らに盛り、その上に半熟オムライスを乗せるという手法を採っていた。食べるときに、オムレツの厚みにナイフを入れると、ぱっくりと割れて広がったオムレツがさながら野原一面に咲いた蒲公英のように見えることからの命名らしい。包まなくて良い分、一見、通常のオムライスよりは難易度が低そうに感じるが、上に乗せるオムレツが綺麗に広がって蒲公英の野原になるには、オムレツの絶妙な焼き加減を要求される代物だった。
 市丸家では包むタイプのものを「オムライス」、たんぽぽオムライスを「たんぽぽライス」と呼んで区別している。たんぽぽカレーはたんぽぽライスのカレー版である。オムライスも、カレーライスも大好きな主真にとって、好物が一度に食べられるお気に入りメニューであった。

 カレーはギンも好きなので、市丸家でもよく作る献立だ。メインとなる具材は、各家庭ごとに牛の角切り肉でないととか、いやいや豚コマが最強とか、鶏モモが正義とか、あるらしいが、市丸家には特にこれという定番はない。絢女の気分によって、チキンカレーのこともあれば、牛、豚、海老などメインの具材は変わる。但し、たんぽぽカレーには、牛の薄切り肉を使うと絢女は決めている。何故、牛薄切り肉でないとならないのかは本人にも謎であるのだが、それ以外の肉で作るとどうにも落ち着かないのだ。
 玉ねぎはくし型切り、セロリとニンニクはみじん切り、人参は小さめの乱切りにする。湯むきしたトマトは種を除いて角切りにし、皮をむいて四つ割にした林檎のうち、1/4個はすりおろしておく。残りは変色しないように塩水に浸けた。
 鍋にオリーブオイルを引いて、絢女はまず塩胡椒した牛肉を炒めた。牛肉の色が変わったところで皿にあけ、今度はみじん切りにしたニンニクとセロリを弱火で炒める。ニンニクが充分に香り立ったところで、トマトとすりおろし林檎を加えた。トマトがぐずぐずになったら、次に玉ねぎと人参を加えて更に炒め合わせ、ナツメグ、オールスパイス、クローブなどの粉末スパイスと塩胡椒を振る。ここで牛肉を戻し、作り置きして冷凍保存しておいた飴色玉葱と計量カップ1杯分の赤ワインを加えて煮立たせ、アルコール分を飛ばすのである。それから、固形ブイヨンを溶かしたスープを注ぎ、ローリエ一枚とセロリの葉、蜂蜜大匙一、固形の黒砂糖と板チョコをひと欠片ずつと大匙一のインスタントコーヒーを加えてしばらく煮込むのだ。チョコレートとインスタントコーヒーを加えるのは現世のレシピ本から得た知識である。半信半疑で試してみたところ、確かにこくが増し、美味しくなった。但し、メインの具材が牛豚などの陸の獣肉に限るようで、海鮮カレーには合わないと、絢女は感じていた。
 米を研ぎ、すりおろした人参を混ぜて炊飯器にセットすると、次は付け合わせの準備である。今日は柊也も泊まるので、子供受けの良いフルーツ・ヨーグルトサラダにした。バナナは縦に半分に割ってから輪切り、色止めしておいた残りの林檎とキウィフルーツは角切り、夏蜜柑は丁寧に房から取り出して、半割にする。果物を全部まとめてボウルに入れて、プレーンヨーグルトを加え、蜂蜜で味付けしたら完成のお手軽メニューだ。半分デザートのようなサラダだが、カレーにはよく合うので、主真はこれも大好きだ。但し、ギンはこれがどうしてもデザートとしか思えない様子なので、彼には別の付け合わせを用意する。輪切りにしたトマトに粉チーズを振り、醤油とオリーブオイルを垂らしたトマトサラダと酢漬けキャベツの千切りである。現世でも、尸魂界でも、カレーといえば福神漬が定番の付け合わせなのだが、ギンも絢女も福神漬があまり好きではないので、市丸家のカレーには登場しない。
 絢女は丁寧にあくをとって煮込んだ肉と野菜から、ローリエとセロリの葉を取り除いて、二つの鍋に分けた。まだ幼い主真と柊也は甘口、ギンのものはピリッと辛口カレーに仕上げる為である。因みに絢女自身は中辛くらいが好みなので、よそう時にギンのカレーと子供のカレーを半々に混ぜて食べていた。
 カレーライスはすっかり瀞霊廷でも定着したので、わざわざ現世まで行かなくてもカレールゥを入手できるようになった。絢女はその中でもフレーク状のルゥを好んで使用している。子供用の鍋に甘口、ギン用の鍋に辛口のカレーフレークを投入し、緩やかにかき混ぜて熔かした。ギンの鍋には更に黒胡椒と一味唐辛子、すりおろした生姜ひと欠片分を加えて辛みを増強させればカレーは出来上がりである。

 二人分の「ただいま」に続いて、
「おじゃまします」
という挨拶が響いた。お泊まりセットを詰め込んだ濃い藍色のリュックサックを背負った柊也が、出迎えた絢女に深々とお辞儀をした。
「あやめたいちょう、おじゃまします」
 子供ながら礼儀正しい挨拶に、絢女は柔らかく笑み零した。
「柊ちゃん、いらっしゃい」
「おせわになります」
 カレーの匂いはなかなか強い。廊下にまで漂う匂いに夕飯の献立の察しがついたのだろう。柊也は嬉しそうに笑った。
「ばんごはん、カレーライス?」
「そうよ」
 柊也もカレーライスは大好物だ。
「やったぁ!」
 分かりやすく喜ぶ柊也に主真が胸を張った。
「きょうはたんぽぽカレーだよ」
「たんぽぽ…カレー?」
 柊也はきょとんと主真を見返した。戸惑った彼の表情に、そういえばお泊まりの時に作ったことなかったっけ、と絢女とギンは顔を見合わせた。主真は得意そうに、
「うん、すっごくおいしいんだよ」
と力説している。
「たんぽぽがはいったカレー?」
 柊也はまだ怪訝そうだ。確かに、蒲公英たんぽぽが具材のカレーは美味しくはなさそうだと、ギンが笑いながら、
「蒲公英は入ってへんなぁ」
と柊也の疑問に否定を返した。
「すぐに晩御飯にするよし、見れば分かるで。荷物を置いて、手ぇ洗っておいで」
「はーい」
 並んで子供部屋に駆けてゆく子供たちを微笑ましそうに見送ってから、ギンも着替の為に寝室へ向かった。

 普段着の着流しに着替えたギンが台所に行くと、子供たちはわくわくと絢女を覗き込んでいた。傍らにはご飯とカレーを盛った皿が二枚置いてある。真ん中に人参ライスを置いて、その周囲にカレーを流し込んでいるので、さながらカレーの池に浮かぶご飯の小島のようなあんばいだ。人参ライスは焼き菓子の型を利用して、向日葵に形作られている。
 絢女はフライパンにバターを溶かし、オムレツを作っていた。箸だけで器用に卵を寄せ、きれいな紡錘形に整えると向日葵型ライスの上に素早く乗せた。続いて、もう一つオムレツを作ると同じように、二つめの皿の上に乗せる。
「これから、たんぽぽになるんだよ」
と主真が解説をしている。
「柊ちゃん、見ていてね」
 絢女は包丁で、オムレツの厚みに切れ目を入れた。途端に、半熟のオムレツは広がりながら人参ライスを覆い隠した。
「うわぁ」
 柊也が感嘆の声を上げた。
「ね、しゅうちゃん。たんぽぽのおはなばたけみたいでしょ」
「うん、すごいや。おいしそう!」
「二人とも、自分のお皿を居間に運んで」
「はーい」
 主真と柊也はそれぞれの皿を両手で持つと、転んだりしないように慎重に居間に向かった。
 子供たちがオムレツに夢中な間に、ギンは自分と絢女の皿に人参ライスを盛り、カレーをよそっていた。自分の皿にはもちろん辛口カレーである。ご飯に対してカレーたっぷりが好みなので、ギンの皿の人参ライスは少なめに盛られている。もちろん、おかわりは大前提だ。絢女の分は甘口・辛口を混ぜてよそう。1:1が基本だが、今日はカレーの上にオムレツが乗る。オムレツで辛味が和らぐことを考慮して、1:2の割合で辛口を多めによそった。
「ありがとう」
 絢女はギンに小鉢を渡した。小鉢の中にはとろとろの温泉卵が割り入れてある。ギンはカレーとオムレツは別々に食べたいタイプなのだ。だから、タンポポカレーの日はギンだけはオムレツではなく温泉卵を乗せて食べるのが恒例だった。
 絢女は手早く自分のオムレツを作るとカレーの皿に乗せ、オムレツを割った。ギンと共に居間に行くと、子供たちは座卓の前で行儀よく待っていた。
 自分の席に就いたギンが、
「ほんなら、食べよか」
と両手を合わせた。
「いただきます」
「いただきまーす」
 ギンに子供たちが唱和する。
「おいしー」
 タンポポカレーを頬張った柊也が満面に笑みを浮かべた。
「気に入った?」
「うん、すごーくおいしい!」
 絢女の問いに、勢い良く首を上下に振って、柊也は肯定を返した。その横で、主真が嬉しいとも得意そうとも見える表情で笑っている。
「おかわりもあるから。たくさん食べてね」
 子供たちは顔いっぱいに笑顔を浮かべて頷いた。



《ちらし寿司 〜叛乱の六十年後〜》

    あかりをつけましょ ぼんぼりに
      おはなをあげましょ もものはな

 客間にしている奥の座敷から、幼い愛らしい声が響いている。嬉しそうなその声を聞きながら、乱菊はごちそうの準備に余念がなかった。
 座敷には雛人形が飾ってある。御殿飾りの立派なもので、絢乃と菊音の双子はそれぞれひとつずつを所有している。これは伯父である市丸ギンから贈られたものだ。
 瀞霊廷では節句の道具類は女親の実家が用意するのが慣例であるそうだ。瀞霊廷で産まれ育った貴族の間の慣習なので、流魂街出身のギンや冬獅郎には本来、関係のない話だった。しかし、白哉からその話を聞きつけた冬獅郎は実姉である絢女の息子・主真の初節句に当たって、瀞霊廷の慣習を盾に武者人形から、鯉のぼりから、兜飾りまで強引に買い揃えてしまったのだ。むくれたギンからの反撃は冬獅郎と乱菊の間に双子の娘が産まれた時に来た。
「節句の道具は女親の実家が揃えるんやったなァ」
と嘯きながら、ギンは早々に雛人形を送りつけてきたのである。
 乱菊としては、
「何であんたが実家になるのよ」
と突っ込みどころ満載のように思った。だが、冬獅郎が悔しそうに引き下がったところをみると、すっかりそういう認識になってしまっているのだろう。考えてみれば、結婚式のドレスもギンが用意したし、西洋のしきたりに倣った式で乱菊の父親役となって共にヴァージンロードを歩いたのもギンなのだから、最早文句を言っても手遅れなのかもしれない。
 絢女と乱菊はといえば、張り合う夫を静観していた。冬獅郎が主真の節句人形類を購入したのも、ギンが雛人形を用意したのも甥姪可愛さの発露なのだから、咎める必要はないのだ。少なくとも、自分の子供だけに夢中になり、甥姪を顧みないよりはずっと良い関係である。余談ながら、ギンは冬獅郎からカウンターを食らった。十七年前に絢女との間に産まれた第二子は女の子だったのだ。女の子なら今度こそ雛人形を買うと、子供が生まれる前から意気込んで人形店巡りをしていた冬獅郎は姉が姪を出産して十日も経たないうちに立派な大名飾りの雛人形を市丸邸に送り付けたのである。以来、上巳の節句の祝いは日番谷邸と市丸邸で交互に開催されることとなった。

 桃の節句のごちそうは年によって色々だが、必ず作る献立もある。ちらし寿司と蛤の吸物だ。この決まりは絢女から乱菊に伝えられた。
 今でこそ、料理は無論、家事全般をそつなくこなす乱菊だが、絢女と知り合った当時は家事らしい家事はなにひとつ出来なかった。乱菊が最初に流されたのは流魂街の最貧区で、ギンと二人、朽ちかけて打ち棄てられたあばら屋や森の洞窟などを塒に生きてきたのだ。そんな生活では掃除は必要なかったし、食べ物にしたって獣肉や川魚を焼いたり、食べられる野草を煮たりといった最低限の煮炊きが出来れば事足りた。ちゃんとした料理は必要がなかった。また、仮に技術があっても、それを活かせる環境ではなかった。
 乱菊とギンは住む場所を転々としながら、少しずつ少しずつ治安が良い場所を目指した。そうして、霊力を武器に出来る者であれば、女一人でも生き抜ける程度に安全な土地に辿り着いた時、ギンは乱菊を置き去りに消えてしまったのである。
 乱菊が絢女と出会ったのは、それからしばらくしてのことだった。
 絢女も最貧区の出であったが、彼女は料理などのまともな生活を送る為に必要な技術をすでにして身につけていた。最貧区ではそんな技術は全く使い道がなく、身につくはずもない以上、絢女は現世で人間として生きていた時にきちんと躾けられていたのだろう。意気投合して一緒に暮らすようになって、絢女は何も出来ない乱菊に家事を教え込んだ。料理であれば、野菜の切り方、出汁の取り方。掃除ならはたきの使い方からぞうきんの縫い方まで。針の持ち方、運針、破れてしまった着物の繕い方。もともと乱菊は器用で要領の良い性質たちであったし、鮮やかな絢女の手際に憧れていたので覚えは早く、共に暮らし始めて三年も経った頃にはほとんど遜色なく家事をこなせるまでに上達したのだった。
 ある程度治安が安定した地域だと、流魂街でも季節の行事が営まれていた。乱菊らも貧しいながら、そういった行事にはささやかな祝いを行った。その際のしきたりなどを教えたのも絢女だった。人日の節句には七草粥を食べること。中秋には団子を供えて月を愛でること。乱菊が日々の暮らしの中で愛おしんでいる季節を彩る行事のやり方は、すべて絢女に倣っている。
 上巳の節句のちらし寿司と蛤の吸物もそのひとつである。尤も、ちゃんとしたものが作れるようになったのは二人が護廷の死神になってからのことだ。流魂街で暮らしていた頃は酢飯の上にあり合わせの具が申し訳程度に乗っているという、ちらし寿司を名乗るのが不憫な代物が精一杯だったし、吸物も蛤などとうてい手に入らないから、菜っ葉だけが入っていた。それでも、当時の乱菊たちにとってはとっておきのご馳走だった。

 固めに炊いた白米を浅くて大きな杉材の桶に広げ、その上に用意しておいた具材を置き、全体に寿司酢を振り掛けた。左手の団扇でぱたぱたと扇いで飯の粗熱を取りながら、寿司酢と具を混ぜ込んでいく。
 細切りの戻し干し椎茸と人参、ささがき牛蒡、鶏肉のこま切れを椎茸の戻し汁で甘辛く煮含めたもの。それらが寿司飯に混ぜる具材だ。ひとわたり混ざったところで、味見である。ひとつまみ掌に乗せて頬張ってみた。
「もうちょい、酢が効いていても良いわね」
 乱菊は寿司酢を追加して、再度混ぜた。もう一度、味を確認すると、
「うん、良い感じ」
 今日は節句の祝いということで、ギンの一家とイヅルと桃の夫婦もやって来る。人数が多いので、料理は全て大皿盛りだ。水屋から大きな平皿を三枚取り出して、酢飯を等分に広げる。菜の花色の錦糸卵で酢飯を覆い、その上に蓮根、海老、花の形に飾り切りした人参、さやえんどう、三ツ葉を彩りよく散らし、桜田麩を振り掛ければ、ちらし寿司は完成である。

「何でちらし寿司なの?」
「お寿司は『寿を司る』って書くでしょ。だから、縁起が良いんですって」
「ふーん。じゃ、海老と蓮根とさやいんげんを入れるのは?」
「ええっと、確か、海老は長生きの意味だったと思うけど?」
「何で?」
「背が曲がっているから、だったかな? 海老みたいに腰が曲がるまで長生きできますようにって」
「じゃ、蓮根は?」
「穴がまっすぐ開いてるから見通しがいい」
「それって、駄洒落?」
「縁起担ぎなんて、だいたい駄洒落なのよ。えんどう豆は『元気まめに生きる』よ」
「それ、酔っ払いのおじさんの寒い駄洒落と似たようなもんじゃない」
「そうだけど。いいのよ。綺麗だし、美味しいし。花の節句だから、華やかなご馳走を作るって思っておけば」
 上巳の節句にはちらし寿司を作るものなのだと教わった時のことを思い出して、乱菊は忍び笑った。
 蛤は貝合わせに使われることから示されるように、夫婦和合の象徴で、女児の良縁を願う心が込められている。今日のお吸物は蛤の他、菜花と手毬麩、卵豆腐も入れて華やかに仕上げよう。
 絢女が醤油と出汁で仕上げたローストビーフと菱餅風の三色ケーキを手土産に持って来ると言っていた。他は、菊音が好きな餅米をまぶして蒸したシューマイに、絢乃が好きなシーザーサラダ。家族全員の好物である出汁の効いた卵焼きも作らないと。

    はーるのやよいの このよきひ
     なによりうれしい ひなまつり

 どうやら、エンドレスで歌い続けているらしい。娘たちの楽しそうな声を聞きながら、乱菊は蒸し器にシューマイを並べた。



《サン・セバスチャン 〜叛乱の六年後〜》

 朽木家のやたら広々した厨房には、小麦粉、バター、チョコレートなどの材料にボウルや泡立て器、焼き型などの道具類が整然と並べてあった。ルキアの頼みに応じて、お抱えの料理長が予め準備しておいたものである。
「流石というか、何というか…」
 一瞥して、乱菊は慨嘆した。
 香り付けの為にブランデーが必要だとは伝えたが、用意されていたのはカミュのXOである。コニャック・ブランデーの高級ブランドとして知られる銘柄の、更に熟成年数からいってもほぼ最高ランクの高級酒だ。菓子の香り付けに使って良い酒ではない。
(勿体ない。そのまま持って帰りたい)
と乱菊は思った。
 バターもチョコレートも現世からの取り寄せ品だ。「黄金バター」の異名を持つ仏蘭西の「バラット・ドオル」の無塩バターに、同じく仏蘭西・ヴァローナ社のクーベルチュール・チョコレート。卵は随分と小ぶりだ。
「烏骨鶏の卵だと聞いております」
 ルキアの言葉に、乱菊は、
「そう…」
としか答えられなかった。

 三ヶ月ほど前のことだが、ひょんなことから女性死神協会で手作り菓子を持ち寄っての茶会が催された。茶会のメインは乱菊と絢女の製作したケーキで、二人は理事長の烈の求めに応じて六号サイズのケーキを二台ずつ持参した。
 その時に乱菊が作った二種類のケーキのうち、ひとつがサン・セバスチャンだった。断面が美しい市松模様になっているのが特徴で、カットした際に驚きがあることから、プレゼント向きのケーキであると言えた。
 その時にルキアは甘党の恋次の誕生日にこのケーキを作って、恋次をびっくりさせたいと思ったのだ。相談を受けた乱菊と絢女はどちらか手すきの方が手伝うことを約束した。
 最終的に非番の予定を合わせることが出来たのは乱菊で、今日はルキアのケーキ作りの指導者として朽木家を訪問したのである。
 乱菊も菓子を作る際には材料を吟味するが、朽木家が用意したものは群を抜いた高級素材ばかりである。指導する以上、失敗させるつもりは毛頭ないが、これだけいい材料ならちょっとの失敗くらいは充分ごまかせるのではないだろうか。
 ルキアが着物の上からエプロンを付けた。肩口の長さまで伸びた髪を後ろでひとつに結わえ、
「松本副隊長、どうぞよろしくお願いします」
と丁寧に頭を下げた。
「任せなさい」
 華やかに笑って、乱菊は請け負った。

 何はともあれ、最初は計量だ。
 本体となるバターケーキはプレーンとチョコレートの二台を焼かなくてはならない。朽木家の厨房備え付けのオーブンは大勢の使用人の賄いも作る必要があるからか、大きめのものだった。これなら、一度に一気に焼けると確認した乱菊は、
「小麦粉と卵とお砂糖は二つ分まとめて計っちゃって大丈夫よ。途中まではまとめて作れるから」
 プレーン、チョコレートとも小麦粉と卵はそれぞれ100gずつ、砂糖は70gである。ルキアは乱菊に言われた通り、二台分を合わせて計量した。無塩バターはプレーンが100g、チョコレートが70gだ。湯煎にかけて溶かすので、塊を薄切りにしてそれぞれボウルに入れた。
「蜂蜜は…。蓮華蜜と林檎蜜、百花蜜と…。三種類ありますが」
「ちょっと味見していい?」
「もちろんです」
 一口に蜂蜜と言っても、花の種類によって味が異なる。林檎の花蜜は甘みが柔らかく後口がさっぱりしている。一方、蓮華は豊潤で濃厚だ。百花蜜は文字通り様々な花の蜜が混じっているので、季節や蜜蜂によって様々な味の蜂蜜になる。三種の蜂蜜を一口ずつ舐めて、
「蓮華蜜が良さそう」
と乱菊は告げた。頷いたルキアはプレーン用のバターを入れたボウルを秤に乗せると、入れすぎないように注意しながら、蜂蜜を15gを加えた。一方、チョコケーキ用のバターを入れたボウルには細かく刻んだクーベルチュール・チョコレートを50g加える。
 計量を終えたら、バターのボウルを湯煎にし、小麦粉と砂糖はダマがないようにふるいにかけた。オーブンは200℃に設定して予熱である。5号サイズの丸ケーキ型には硫酸紙を敷いた。
「さて、これからが本番よ」
「はい」
 ボウルに割った全卵を泡立て器でかき混ぜる。軽く泡だったところで砂糖を加え、更にしっかりと泡立てるのである。非常に体力と根気の必要な工程であるが、死神のルキアは体力には問題がないし、生真面目な性質なのでだれることなく、泡立てを続けていた。泡はどんどんきめ細かくなり、色は白っぽくなっていく。比例して、泡立て器にかかる抵抗が大きくなって、かき混ぜるのにより腕の力を要するようになっていった。
「泡立て器をちょっと持ち上げてみて」
 卵がかなり白っぽく、どろっと柔らかいクリーム状になったところで、乱菊が指示した。言われた通りに持ち上げると、泡立て器に付着していた卵がたらたらとボウルにたれ落ちた。
「うーん。あともう少しかな?」
「はい」
 ルキアは泡立てを再開した。黙々と作業を続けていると、もう一度、泡立て器を持ち上げるように指示された。
 先ほどよりもゆっくりと、泡立て器からクリーム状の卵が垂れていく。ボウルに落ちた卵は筋を描いて盛り上がっている。中にあった卵とすぐに同化しないのは粘度があるからだ。
「もういいわ」
「はい」
「これくらいの、緩めのマヨネーズくらいまで泡立てるのよ」
「はい」
 次は小麦粉を混ぜる工程になる。
「まず半分だけ、小麦粉を入れるの。一ヶ所にどさっと入れちゃダメよ。ボウル全体にまんべんなく散らすように入れて」
 ゴムべらで全体を掬うように混ぜ合わせながら、なるほど、とルキアは思った。言われた通り、小麦粉を散らして入れた方が早く混ざることを実感したのだ。粉の投入の方法にも細かく気を遣っているから、乱菊のケーキはきめ細かくて美味しいのか。
 残りの小麦粉を同様にして投入し、さっくりと混ぜ合わせる。それから、生地を二等分した。ここから、プレーンとチョコレートに分かれるのである。
 湯煎にかけたプレーン用の蜂蜜入りバターをしっかりとかき混ぜて、まず、蜂蜜とバターをなじませる。
「そこにほんのちょっとだけケーキの生地を入れて、よくかき混ぜて」
と乱菊は言った。言われた通り、匙で掬って少量の生地を投入し、ルキアは丹念に生地と蜂蜜バターを攪拌した。やがてバターと生地が馴染んで、とろとろの乳液状になった。
「そしたら、それを生地に入れて、混ぜ合わせるの。泡立てた卵が潰れないように手早くね」
「はい」
 乳液状の蜂蜜バターを生地に流し入れ、ゴムべらを使って大きく持ち上げるようにしてルキアは混ぜ合わせた。
「あら、上手いじゃない」
と乱菊は笑った。
「だいたい混ざったみたいだから、型に入れて」
 さいごにヘラでボウルから刮ぐ生地はどうしても膨らみが悪くなる。だから、その生地は端には入れないように、なるべく中心部にまんべんなく入れるように、という乱菊の注意に従って、慎重にルキアは生地を流し込んだ。とんとんと軽く型を揺すって生地を落ち着かせる。
「じゃ、次はチョコ生地よ。手順はプレーンと同じ」
 こっくりとルキアは頷いた。二度目だからか、プレーンの時よりも手早く混ぜ合わせることが出来た。生地を型に流し込むと、二つまとめて、オーブンに入れる。
 ふう、とルキアは溜息を付いた。今日は乱菊が的確な指示をくれたからここまでは順調に進んだ。しかし、一人で作ったとして同じように出来るかは自信がなかった。
「それにしても、朽木も可愛いところがあるのね。恋次に手作りケーキをプレゼントしたいなんて」
 にこにこ、というよりも、にまにま、と表現する方がしっくりきそうな揶揄いの色を多分に含んだ満面の笑みを湛えた乱菊の言葉。ルキアはあわあわと大袈裟に手を眼前で振った。
「そんな、ただ、あの、恋次が馬鹿にするからッ!」
「馬鹿に?」
「わ…たしはあんまり、料理とか、裁縫とか、女らしいことは苦手で…」
 馬鹿にされたというのは言い過ぎだと、ルキアは後ろめたさを覚えた。恋次は彼女を貶すようなことは言っていないからだ。卵焼きに殻が紛れ込んでいても、肉が焦げていても、繕い物の縫い目がガタガタでも、苦笑を浮かべるだけだ。しょうがねえよな、ルキアはこういうの苦手だし。という表情で    
 だからこそ、余計にちゃんとしたものを作りたかった。吃驚させて、見直して欲しかったのだ。
「じゃ、頑張って恋次を見返さなきゃ。次は飾りの生キャラメルよ」
 女性死神協会の茶会の為に乱菊が作ったサン・セバスチャンはチョコレート細工の薔薇で飾ってあった。誕生日ケーキなのでそれらしく飾り付けをしたいが、乱菊が作ったようなチョコレート細工はとても無理だとルキアに相談されて、乱菊はシリコン型に流し込んだ生キャラメルでデコレーションすることを提案したのだ。現世の百均で入手した小さいハートと星のシリコン型は持参してきた。
 分量のザラメ糖と生クリーム・牛乳を混ぜ合わせて小鍋に入れ、弱火でゆっくりと過熱するのである。沸騰しないように注意しつつ、静かに攪拌しながらキャラメル液を煮詰めてゆくのが肝要なところだ。キャラメル液を掬った時、帯状にゆっくりと流れ落ちるようになったら過熱を止め、更に練るように混ぜ合わせる。粘度が増したところでシリコン型に流し入れ、冷凍庫で冷やし固めるのである。
「固まったらシリコンから抜いて、ケーキの上に散らばせればいいから。時間が経つとキャラメルが溶けてしまうから、渡す直前に飾り付けた方がいいと思うわ」
「はい」
 キャラメルを作っている間に、ケーキが焼き上がった。真ん中がふっくらと膨らんでいる。オーブンから取り出して、粗熱を取る為に金属格子の台に置いて冷ました。

 冷蔵庫から取り出したケーキを俎板の上に据え、乱菊はその両側に1.5cmの高さの木の棒を置いた。
「いい、この木の棒の高さに刃を当てて、高さがずれないように横に切っていくの」
「はい」
 真剣な表情でルキアは頷いた。
 焼き上がったケーキは表面の粗熱が取れた後、冷蔵庫に入れて急速に冷ました。サン・セバスチャンの特徴である市松模様の断面を作る為にはバターケーキをカットしなければならないのだが、温かいうちは柔らかくて角が潰れてしまう恐れがあり上手く切り分けられないからだ。本当は常温でゆっくりと冷ました方が良いのだが、乱菊に指導してもらえる時間は限られているので、時短を図ったのだ。
 ケーキ用のカッティング・ナイフを両脇の棒に乗せ、乱菊の教えに従って慎重にスライスしていく。プレーンとチョコレートのケーキから高さ1.5cmの薄い円盤状のケーキが三枚ずつ切り出された。上部の真ん中が膨らんでいる部分は使えないので、乱菊と半分にして味見してみた。
「うん、おいしいじゃない」
「ありがとうございます。松本副隊長のご指導の賜物です」
 冷えたバターケーキはしっとりとした食感だった。甘みは控えめだが、完成品は表面をチョコレートで覆うので、本体の甘さは控えめくらいで丁度良いはずだ。
「ここからが勝負どころ。きれいな市松模様に出来るかはここにかかっているわ」
 乱菊は丸く切った厚紙を三枚取り出した。それぞれ、四号、三号、二号サイズのケーキの型に合わせて切ってあるので一回りずつ大きさが違う。
 五号サイズの円盤ケーキの一枚に四号サイズの厚紙の円を乗せる。厚紙の方が一回り小さいので周囲がはみ出している。
「周りのはみだしが均等になるように、中心に厚紙を置いて」
 ルキアは厚紙の位置を微調整して、乱菊を顧みた。
「これで大丈夫でしょうか?」
「うん、いいみたい」
 乱菊の確認でも問題なさそうだ。
「そしたら、円に沿って垂直に刃を入れて、切っていくの。型紙がずれないようにしっかり押さえて」
「はい」
「でも、力を入れちゃ駄目よ。ケーキが潰れてしまうから」
「はい」
 なかなか微妙な力加減が必要だ。ゆっくり、ゆっくり、カッティング・ナイフを動かして、ルキアは円形にケーキを切っていく。ぐるりと円を描いて、ナイフが一周した。型紙を取り除き、周囲のケーキを持ち上げると、綺麗な輪っかと一回り小さな円盤に別れた。一回り小さくなった円盤ケーキに今度は三号の型紙を当てて、同様に輪っかと円盤に切り分ける。三号の大きさで残った円盤には二号の型紙を当てて同様とする。結果、五、四、三号の輪っかのケーキと二号の円盤ケーキが出来上がるのだ。先ほど切り出した残りの五枚にも同じ処理を繰り返した。
 次は接着剤代わりの杏子ジャムの準備だ。杏子ジャムに少量の水と香りづけのブランデーを加えて小鍋に入れ、軽く過熱してジャムを弛める。とろっと粘液状になった杏子ジャムの中に調理用の刷毛を浸す。
 プレーンの五号サイズの輪っかが俎板に据えられている。乱菊は四号サイズのチョコレートの輪を示すと、輪の外側にまんべんなく杏子ジャムを塗ってから、俎板に置いたプレーンのケーキの内側にはめ込むように指示した。同様にして、プレーンの三号サイズの輪とチョコレート生地の二号サイズの円盤を中にはめ込んでいけば白黒縞模様の円盤ケーキが姿を現した。その表面にたっぷりと杏子ジャムを塗り、今度はチョコレートの五号の輪っかを下とずれないように注意しながら上に乗せた。一段目と同様に、互い違いになるように一回り小さいケーキを入れ子にしていく。
「出来ました…」
プレーンとチョコレートのケーキを二台焼いたので、出来上がりのケーキも二つになる。側面から見ると、白黒白と黒白黒の三段重ねの五号ケーキが二つである。一つはいうまでもなく恋次に贈る誕生日ケーキだ。もう一つは日頃の感謝を込めて、義兄と侍女たちに渡そうとルキアは考えていた。五号サイズだと六等分が大体一人分になる目安なので、義兄とルキア付きの侍女三人、それから厨房を貸してくれて材料も用意してくれた料理長と家令の清家にも食べてもらいたい。料理長はケーキをどう論評するだろう。誉めてもらえるだろうか、とルキアは少し期待していた。
 コーティング用のチョコレートガナッシュはヴァレンタイン・ディの時に作る生チョコと同じ作り方なので、乱菊の指導は必要なかった。生チョコの場合は型に入れて冷やし固めるが、コーティングの場合は液状のうちにケーキの上部から流して側面にも万遍なく塗り込める必要がある。製菓用のパレット・ナイフを用いて表面が平らになるように均してから、冷蔵庫で冷やす。コーティングがしっかりと固まったら出来上がりである。
「キャラメルは明日、恋次に渡す直前に上に並べればいいわ」
「はい。松本副隊長、今日は本当にありがとうございました」
「いいのよ。ちゃっかりお礼も頂いたしね」
 乱菊が上機嫌で手にしているのは朽木の縁者である蔵元が製造している高級大吟醸酒だ。少量生産の限定品なのでなかなか手に入らない逸品として知られている。礼など要らないと彼女には言われていたが、どうしても気が済まなかったのでルキアが準備しておいたのだ。酒豪の乱菊なら喜ぶだろうという読みは当たっていたようだ。

 乱菊が引き上げてしまってから、ルキアはホワイトチョコレートのプレートを取り出した。これも現世から入手してもらったもので、ケーキの上に乗せるメッセージボードとして使用する用途の製品だ。苺チョコレートのデコペンで、「恋次、お誕生日おめでとう」の文字にチャッピーの絵を添える。
 恋次は喜こんでくれるだろうか。吃驚してくれるだろうか。

     ちょっとくらいは見直してくれるだろうか。

 文字が潰れないようにそっとプレートの端を持って大きめの容器に入れてから冷蔵庫に納め、ルキアは明日という日に思いを馳せた。

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2018.11.08