ぬばたまに沈む
湯から上がり、愛しい男の待つ閨の襖を開けた乱菊は唖然として、そのまま、襖を閉じた。
「おい、松本!」
中で待っていた冬獅郎が慌てて立ち上がり、襖を引いた。
「何で入って来ねぇんだよ」
寒い廊下に立ち尽くしていた乱菊は、自分を見下ろす男の顔をじとりと睨めつけた。
「あの布団は何です?」
と、彼の背後を指差す。
「あれか? 特注した布団だ」
「確かに特注でしょうね」
あんな布団、特注でなければ絶対に手に入らない。
「隊長」
「何だ?」
「悪趣味です」
「悪かったな」
言いながら、冬獅郎は乱菊の手首を掴むと強引に閨に引きずり込んだ。乱菊は足を踏ん張って入るまいと抵抗したが、膂力の差は如何ともしがたく、つんのめるようにして部屋に入れられてしまった。
そのまんま、するりと腰帯を引き抜かれ、あっという間に夜着を落とされ、悪趣味な布団に押し倒される。
なんでこんなに手際がいいのよ、と心の中で悪態をつきながら、自分の肩を押さえつける男の顔を睨み据えると、
「あー、あの本に書いてあった通りだなぁ」
と、冬獅郎が妙にしみじみと慨嘆したので余計に腹が立った。
「何、現世の本に影響されているんです!」
「だってな、松本。雪のように透ける白い肌つったら、すぐおまえを連想しちまったんだから仕方ねぇだろう?」
「だからって、こんなもの、わざわざ作らせますか?」
「見たい、と思ったんだ」
「悪趣味です!」
「いや、か?」
しょんぼりと意気消沈した顔を見ると、思わず絆されそうになる。だが、いやいや、ここで流されてなるものか、と目に力を入れて、
「いやに決まってます!」
「そうか…。でもな、きれいだぞ、乱菊」
耳もとで低い声で囁きかけられ、乱菊の背筋がぞくりと粟立つ。
「ものすごくきれいだ」
「たい…」
一瞬、怯んだ隙を逃さず、強引に口接けられ、
(また、負けた…)
と、乱菊は諦念を滲ませて目を閉じた。
乱菊が「悪趣味」と評した布団。
それは黒絹の布団だった。
先日、七緒が現世の古書店で大量の文庫本を購入してきた。そのうちの幾冊かを乱菊が借り、面白かったものを冬獅郎に又貸ししたのだが、そのうちの一冊に黒絹の布団が出てきたのだ。
江戸時代を舞台にしたそのあやかし譚の中で、重要な舞台装置として描写されたのが黒絹の布団だった。遊郭などでは娼妓の白い肌を際立たせる為に朱床を用いることがあるが、白く透ける、まさしく雪のような肌を持つ女を最も艶かしく際立たせるのは実は黒絹の布団なのだ、とその小説 *1 には記述されていた。
絹独特のぬめったような光沢を放つ漆黒の床に横たえられた、真っ白な女の裸身。
その件を読んだ時、思わず乱菊も想像してしまい、何と淫靡で美しい光景だろうとぞくぞくしたものだ。
だが、まさか、自分がその布団に身を沈めることになろうとは、思いも及ばなかった。
抵抗を諦めたらしい乱菊の頬を指で撫で、冬獅郎は、
「すまない」
と謝った。
「隊長…」
「想像したら、どうしても見たいって思っちまったんだ」
冬獅郎にとって、雪のような肌を持つ女といったら、乱菊以外に考えられなかった。ぬばたまの黒に浮かび上がる彼女の肢体。しかも、彼女の場合、黄金に輝く髪までも黒を背景にすれば際立つだろう。
「想像通りでしたか?」
「想像以上だ」
と、頬に落とした口接けをそのまま、首筋に這わせる。
「いつも以上にそそる」
冬獅郎の手が乱菊の乳房にかかった。
びくりと背を反らせたその動きまでも、常よりもくっきりと目に焼きついた。
「松本…」
「はい」
「悪い。今日は加減出来ねぇかもしれない」
乱菊は黙って頷いた。
*1 「おそろし 三島屋変調百物語事始」宮部みゆき・著 角川書店。