Like a Virgin


 十九日の業務終了後から翌日の明け方までの時間を自分の為に割いては貰えまいか。
 乱菊から申し出られたのは、師走に入ってすぐのことだった。
 師走は年度末決算の慌しい時期である。書類仕事は通常月の三割増し。毎年、連日の残業となるのが常である。本音を言うと「無理だ」と却下したいところだ。だが、乱菊の告げた日付が冬獅郎に拒絶を躊躇わせた。
 師走二十日は冬獅郎の誕生日である。そして、その日は毎年恒例となった花火大会の日でもある。彼の誕生日の祝いに、最初に真冬の花火を打ち上げたのは乱菊であった。だが、誕生祝いの花火はすでに彼女の手を離れてしまっていて、十番隊の隊を挙げての行事と化している。もちろん、花火は乱菊も出資しているが、それはあくまでも副隊長として公の立場での祝いだ。松本乱菊という一人の女として祝っているのではない。
 冬獅郎と乱菊が恋人同士となって二年。
 恋人になってからは初めてになる昨年の誕生日の時も、二月前の二度目の誕生日も、冬獅郎は特別な祝いを彼女に贈った。だが、乱菊の方は昨年の冬獅郎の誕生日を充分に祝えなかった。いや、冬獅郎は申し分なく祝って貰ったと心から満足しているのだが、乱菊が納得できないでいる。先の彼女の誕生日の時も、
「隊長にこんなにしていただいているのに、去年はろくにお祝い出来なくってごめんなさい」
としきりに謝っていたものだ。
 当日は花火大会があるから、乱菊個人としては祝えない。だから前日に、と彼女が考えたであろうことは容易に想像がついた。恋人の誕生日を特別なものにしたいと願う彼女がいじらしくて、冬獅郎は無下に断れなかった。すぐにも同意したい気持ちを抑え、
「二十日は残業出来ねぇからな。十九日に残業しなくても年末進行に滞りがないように出来ていたら付き合う」
と答えたのは、上司の立場としてぎりぎりの妥協点だった。

 それからの乱菊の勤務ぶりときたら、部下や、仲の良い七緒や絢女が案ずるほどのものだった。
 常日頃は、並外れて優秀かつ勤勉な上司に隙あらば押し付けようという根性で仕事をしている乱菊であったが、本来、彼女自身、出来る女であった。久々に本気モードになった彼女が鬼気迫る勢いで仕事を片付け、そもそも真面目な勤務振りには定評のあるその上司がさらに熱心に業務をこなしたのだ。師走十五日を過ぎたくらいには、よっぽどの突発事態でも発生しない限り今年の年末進行は問題なしと太鼓判を押せるほどに先が見えていた。
「たいちょ、明日は定時に上がれますよね」
と乱菊に念を入れられた時、冬獅郎は頷いて、
「よく頑張ったな、松本」
と労った。労ってしまってから、
(いや、この状態が真っ当だろう。普段が不真面目すぎなんだ。誉めてどうする?)
と内心で自己突っ込みしていたことは、秘密であるが。

 冬獅郎は「ライオン広場」と呼ばれる、ビルの一階のオープンスペースに立っていた。
 師走十九日、乱菊は冬獅郎とともに現世に降りることを願っていた。約束通り、年末進行に滞りがないように乱菊が業務をこなしたので、冬獅郎は彼女の願いを容れた。技術開発局から義骸を受け取った後、冬獅郎だけ一足早く現世に降りたのは、彼女から、
「色々準備があるので、先に現世に降りていて下さい」
と頼まれたからだ。
 彼女の準備が整うのを待って共に降りてもよかった。だが、イベントごとの好きな乱菊のことだ。色々と演出を考えているのかもしれない。そう考えて、冬獅郎は言われた通りに一人で先に出た。
 今回、降りた先は、十番隊が管轄している地方都市だった。地方都市といっても、人口百五十万人を擁する政令指定都市であり、その地方の経済・文化の中心地であるので、都心部の繁華街はかなりの賑わいがある。
 待ち合わせ場所に指定されたライオン広場は、私鉄の駅、長距離バスの発着所、デパート、ショッピングモールが複合したうなぎの寝床のように横長いターミナル・ビルにあった。目の前がデパートの入口に当たり、そのデパートが象徴としているライオン像が据えられていることが名前の由来である。ライオン像がよい目印になるからだろう。そこは待ち合わせの定番らしく、冬獅郎以外にも老若男女、大勢の人が人待ち顔で佇んでいた。「待った?」とか、「遅くなってごめん」といった無事に相手に落ち合えた時に必ず交わされる挨拶をBGMに、去ってゆく人たちもひっきりなしだ。
 冬獅郎が降りた時には、まだ黄昏時の仄かな明るさを保っていた空は、乱菊を待つ間にすっかり暗くなってしまった。デパートからは明るいクリスマス・ソングが洩れ響いている。今日の為に常にも増して熱心に業務に励んでいたせいで、まだ乱菊に渡すクリスマス・プレゼントを調達できていない。待っている間にデパートで買っておけばよかったと、もうそろそろ乱菊が現れるだろう頃になって思いつき、冬獅郎は少しだけ時間を無駄にした気分になった。
「あなた、一人なの?」
 不意に、馴れ馴れしく声をかけられた。
「彼女と待ち合わせだ」
と冬獅郎は応じたが、
「なかなか来ない彼女なんか放って、あたしとご飯でも食べに行かない?」
 女は食い下がってきた。邪魔くせぇ、と心の中だけで悪態をつきながら、冬獅郎は、
「間に合っている」
と突き放した。
 実を言うと、声をかけてきたのは彼女が初めてではない。冬獅郎がここに立ってから、彼女でちょうど五人目だ。これが、現世において「逆ナンパ」と呼ばれている行為であることもわきまえていた。冬獅郎が私用で義骸に入って現世に出る時は、九割以上の確率で乱菊が一緒にいる。さすがに、彼女連れの男をナンパする女はいないから、本日が逆ナン初体験ということになる。一人目こそ、
(これが噂で聞いた「逆ナンパ」というものか)
と物珍しさを感じたが、五人目ともなるとひたすらに鬱陶しいばかりだ。おまけに、前の四人は「彼女と待ち合わせ」と告げるとあっさりと引き下がり、冬獅郎を不愉快にさせることはなかったが、五人目のこの女は執念深かった。
「友達と遊ぶ約束してたんだけど、友達に急用が出来ちゃってね、空いちゃったのよ」
(てめえの都合なんか知るか)
「おいしいワインを飲ませてくれるバーを知っているの」
(だから?)
 無視を決め込んだ冬獅郎に、女は却って闘志を駆り立てられたらしい。そっぽを向いている彼の腕を強引に取ろうとした。
 刹那、さっと身を翻し、
「あんたに付き合う気はねぇ。鬱陶しいから離れてくれ」
と冬獅郎は絶対零度の声音で告げた。
 彼女は純粋に外面の造形だけでいえば、美人の範疇に入る女だった。むやみと美人基準が高い冬獅郎でも「上の下」と判定する程度の見てくれをしていたから、並みの男基準だと文句なく「美女」で通るだろう。だが、それだけの女だった。相手に対する思いやりを欠いた自己中心的な強引さは、冬獅郎を辟易させるばかりだ。現世の男たちにはちやほやされているであろう美貌も、冬獅郎基準ではあくまで「上の下」でしかない。むしろ、内面の薄っぺらさが目に付いて、女としての魅力は並み以下に感じられた。先に声をかけてきた四人の方が容姿は多少劣っていても、よっぽど魅力的で可愛らしかった。
 そもそも、冬獅郎の周りにいる女ときたら、現在、彼を待たせている乱菊や姉の絢女はいうまでもなく、幼馴染の桃、七緒に卯ノ花に砕蜂、ルキア等々、タイプは違えどもとびきりの美女(もしくは美少女)揃いなのだ。しかも、単に見目が良いだけではなく、内実も兼ね備えている。彼は、そんな、世間一般の男にしてみれば高嶺の花もいいところの、極上の女性陣に日常的に囲まれて生活をしているのである。中身のない彼女のような女は、これっぽっちもそそられないのだ。
 反応しない彼を、照れから素直になれずにいるとみなしたらしい。
「恥ずかしがらなくてもいいじゃない」
と彼女は媚びるように冬獅郎を覗き込んで来た。その自信過剰な一言に、
(…この女、自分をどこまで高く値踏みしてやがるんだ?)
 腹が立つのを通り越して、冬獅郎が呆れ果てた直後、
「すみません、遅くなって!」
 真打ち登場、とばかりに乱菊が現れた。
 冬獅郎に絡んでいた女は敵意剥き出しで、きっ、と乱菊に視線を向けた。が、次の瞬間、愕然と目を見開いた。
「遅せぇぞ」
 眉間に皺を刻んで、冬獅郎が嘯く。
「申し訳ありません。冬獅郎さんに釣り合うように頑張ってお洒落していたら、遅くなっちゃいました」
 冬獅郎の様子から、しつこい女に付きまとわれた彼が閉口していたことを悟ったのだろう。傍らで棒立ちしている女を牽制するかのように、乱菊は冬獅郎の腕を取ると、にっこりと最上級の微笑みを浮かべた。
 女は声もなく立ち竦んだままだ。完全に乱菊の美貌に圧倒されている。現世の男たちにちやほやされて伸びきった天狗の鼻が、根元からぼっきりとへし折られてしまったのだ。ほんの僅かに気の毒に思ったが、内実もないくせに美貌を誇るこの女にはいい薬だろうと、冬獅郎は放置を決め込んだ。
「で、どこに行くんだ? 今日は全部、おまえのお膳立てなんだろう?」
「まずはお食事です。フレンチのおいしいお店を予約してます」
と乱菊は冬獅郎の手を取ったまま歩み出した。ライオン広場を離れ、通りに出てしばらくしてから、
「しつこい女の子だったんですか?」
と乱菊は確認した。
「まぁな」
「あたしが声をかけた途端、もの凄い形相で睨まれました」
「一瞬だろ? すぐ負けを悟ったみてぇだぞ」
 頑張ってお洒落をしていた、という乱菊の言葉は牽制だけではなかったらしい。彼女は確かに気合を入れて装っていた。
 煉瓦色のミニ丈のニット・ドレスは、肩で折り返しのあるオフ・ショルダーで身体にぴったりとしたデザインだった。はちきれそうに豊満な胸と対照的にほっそりとしなやかな腰、引き締まったヒップから腿に至るまでのラインがはっきりと見て取れる。余程にスタイルに自信のある女でなければ着こなせない服だ。その上に辛子色のロングコートを羽織り、サイハイブーツと称される太腿まで達する長さのサンドベージュのスエードブーツを合わせていた。いつもは下ろしている蜂蜜色に輝く金髪は、毛先を遊ばせた緩いまとめ髪に結い上げられている。耳たぶには雫型のバロックパールのイヤリングがゆらゆらと揺れ、唇にはボルドーのルージュが注してある。艶やかな色合いのルージュの効果で、ぽってりと官能的な唇は妖艶さ三割増しだ。擦れ違う男は軒並み見蕩れ、中には振り返って名残惜しそうに見送る者さえいた。

 タクシーに乗り込み、走ること十分弱。辿りついたのは高台にある閑静な住宅街だった。住宅街と言ってもピンからキリまであるが、そこは富裕層の集まった一角らしく、夜目にも敷地の広い立派な邸宅が立ち並んでいる。表通りには、ぽつん、ぽつんと適度な間隔を置いて高級そうなブティックや洒落た外観のレストラン、輸入雑貨店などが店を構えていた。道が混んでいたことを考慮すれば、先ほどまでいた繁華街からそれほど離れていないはずだ。そう考えた冬獅郎が坂下を振り返れば、すぐ近くに見覚えのあるネオンサインが見えた。
「現世でも、東京あたりとは違うな。ちょっと離れただけでこんな静かになるなんて」
「この丘の上には動物園と植物園があります。休日の昼間はかなり人出があるそうです」
「それでも、繁華街ほどじゃねぇだろう」
「まぁ、そうですね」
 タクシーが停まったすぐ目の前に、アーチ型の門のある平屋の洋館があった。門の脇には本物の樅の木が植えられていて、飾り付けを施されてクリスマスツリーとなっている。その洋館が乱菊の予約していたフレンチ・レストランだった。
 糊のきいたシャツを纏った物腰の柔らかな男性に出迎えられ、席に案内された。庭に面し、一枚ガラスの向こう側に街の夜景が望める席だった。ワインリストを示されたが、乱菊は好みを伝えた上で、赤白二本開けるので料理に会うものを見繕って欲しいとソムリエに一任した。
 まず、ソムリエが選んできたのは「エール・ダルジャン」という銘柄の白ワインだった。「銀の翼」という意味だそうで、ラベルに羽根のデザインがあしらわれている。フランス・ボルドー地区の一級シャトーの製品だ。辛口だが花の香りのするまろやかな風味のワインなのだと、ソムリエは解説した。
「一日早いですけど、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう」
 ワインはもちろん、洋酒全般に詳しくない冬獅郎だったが、この酒は好みに合致した。きりりとした辛口で酸味はそれほど強くない。味に反して香りはやや甘めで、ソムリエが「花の香り」と表現したのも頷ける気がした。
 小前菜アミューズはフォアグラを乗せたヴァニラのテリーヌ。続いて運ばれてきた前菜オードブルは三種の盛り合わせだ。牡蠣の白ワイン蒸、鮪とアボカドのタルタルソース、生ハムにクリームチーズとビーツのジュレ添えといったものが金彩を施した皿に美しく盛られて供された。牡蠣は地元産で、生ハムはスペインのイベリコ豚のものだという。
「うまいな」
 こんがり焼いたガーリック・トーストに乗せられた鮪のタルタルを口にして、冬獅郎は感嘆した。
「ほんと、おいしいですねぇ」
 食べることが大好きな乱菊もにこにこと笑っている。すでにグラス一杯を開けた彼女は桜色にほんのりと色づいていた。淡やかな金色に輝くワインが、深い赤のルージュを塗った彼女の唇に流し込まれるさまは扇情的に艶めいていた。
 前菜の次はスープだと思っていたが、次に出てきたのは洋風の茶碗蒸しであった。これがスープの代わりであるらしい。具材にふかひれと鮑が用いられ、キャビア入りのとろりとしたコンソメの銀あんがかけられている。茶碗蒸しはかなり緩めに作られており、舌触りも、味も繊細な優しさに満ちていた。
「魚料理は伊勢海老のロティーでございます」
「ロティーというと?」
「英語でいいますとロースト。つまり炙り焼きでございますね。伊勢海老に香草とパン粉をつけてオーブンで焼いております」
「このソースは?」
「オレンジ色のソースはアメリケーヌです。伊勢海老や蟹などの甲殻類の殻を炒めてフュメ・ド・ポアソン…、魚のあらで取った出汁を加えて煮詰め、生クリームで伸ばしたソースです。オレンジ色は甲殻類の殻から出た色素と海老味噌のものです。白っぽいソースはブールブランソースと申しまして、みじん切りにしたエシャロットをバターで炒め、白ワインとワイン・ヴィネガーで味を調えております」
 ウェイターもソムリエも乱菊や冬獅郎の質問には的確に答え、二人の雰囲気を邪魔しないさりげない態度で適度に会話に加わり、客が気持ちよく食事が出来るように心を砕いているのが良く分かった。料理も酒も申し分ない味であったが、店の雰囲気がよいので更においしく感じられる。
「いい店だな」
 冬獅郎が告げると、
「でしょう? 頑張って探したんですよ。せっかくのお祝いですから」
と乱菊が胸を張り、ウェイターは嬉しそうに笑みを零して、
「ありがとうございます」
と会釈した。
 肉料理の前に、口直しとしてシャンパン・グラスに盛られたソルベが供された。白ワインのボトルは既に空になっており、ソムリエはワインセラーから赤ワインを選んできた。
「ブルゴーニュ、コート・ド・ニュイのプルミエ・クリュです。力強い味わいが特徴のフルボディ・ワインです」
 注がれたワインはかなり深い色合いだった。先ほどまで飲んでいた白ワインが花のようにまろやかな香りだったのに比して、スパイシーで野性的な香りがした。口に含むと、赤ワイン独特の渋みとねっとりと濃い果実味が広がった。
「牛頬肉の赤ワイン煮込み。温野菜添えでございます」
 頬肉はとろけるように柔らかく煮込まれていた。真っ白な皿に赤ワインのソースが映え、添えられた温野菜の緑や黄色の鮮やかな色彩が目にも美しい。
「これもうまい」
「本当、おいしいですねぇ。このお肉、ほたほたですよ」
「ソースもいい味だ。パンにつけて食ってもいける」
 一皿ごとに交わした会話を繰り返し、ゆっくりと味わって肉料理を楽しむ。もちろん、ワインも堪能している。
 義骸だからなのか、飲みつけないワインのせいなのか、乱菊はいつもよりやや酔いが早いようである。襟がオフ・ショルダーである為にくっきりと露わになっている鎖骨のあたりまで、すでに淡い桜色に染まっていた。
 ソースまでパンにつけてさらってきれいに料理を食べ終え、ワインを空にしたところで、ウェイターがワゴンを運んできた。ワゴンには七種類のケーキが乗せられている。ドルチェはケーキの盛り合わせにフルーツとアイスクリームを添えたものだそうだ。盛り合わせるケーキは客にワゴンから好きなものを選んでもらい、好みの分量にカットして供するのだと、ウェイターは説明した。
「こちらはガトー・ショコラ。当店の一番人気です。こちらはシャルロット・ア・オランジェ。オレンジの代わりに熊本特産のパール柑を使用したババロアでございます。それから、」
 数種類のナッツを詰めたタルト、苺のムース、ガトー・フロマージュ、ラム酒漬けのドライフルーツを焼きこんだパウンドケーキに、洋梨のロールケーキ。乱菊は、
「どれもおいしそう」
と迷った挙句、全種類を少しだけ切ってもらうという手段に出た。冬獅郎はあまり甘くないケーキということで、ウェイターから勧められたガトー・ショコラとパウンドケーキ、それに耳慣れない名称の果物だったので興味を惹かれ、パール柑のババロアを少量ずつ注文した。 ウェイターはその場でケーキを切ると、慣れた手つきで皿に盛ってゆく。カットしたフルーツとアイスクリームを添え、絞り袋に詰められたフルーツソースとチョコレートソースで皿の縁に花模様を描き、乱菊の前に置いた。同様に、冬獅郎の皿にもドルチェを盛ると、皿の縁に”Happy Birthday”と鮮やかに書き込んでケーキの上にロウソクを一本立てた。
「あ?」
 いつの間にか、ソムリエから、他の客の給仕をしていた別のウェイターから、白衣のシェフまで店のスタッフが集まっていた。
 何ごとだ、と冬獅郎が固まっていると、ドルチェの皿のロウソクに火が灯されて彼の前に置かれた。
 同時に、スタッフが声を揃えて、
「ハッピー・バースディ、トゥ ユー」
と唄い出した。石化したままの冬獅郎をよそに、乱菊まで楽しげに声を合わせて歌い出す。
「ハッピー・バースディ、ディア 冬獅郎さん。ハッピー・バースディ、トゥ ユー」
 唄い終わるとスタッフばかりか、見ず知らずの他の客までもが一斉に拍手し、
「おめでとうございます」
と口々に祝いの言葉をかけて来た。
 唄の間は冷や汗が出るほど恥ずかしく、いたたまれない心地で聴いていた。だが、店内を流れる和やかで温かな空気を感じ取り、冬獅郎は素直な気持ちで、
「ありがとう」
と応え、ロウソクの火を吹き消した。再び、拍手が起こる。冬獅郎は他のテーブルの客に軽く会釈して感謝の意を伝え、スタッフにももう一度、
「ありがとう」
と礼を述べた。
 行き届いた店だった。ドルチェも、締めのコーヒーもとてもおいしかった。ケーキを全種類制覇した乱菊によると、どれも外れなしのレベルの高い味だったそうだ。
「もっと大きめに切って貰えばよかった」
 彼女の言葉に、
「あれ以上、でかく切ったら皿に乗り切れねぇだろう」
と冬獅郎は苦笑した。
 腹も、そして、心も満たされた想いで食事を終えて店を出ると、空に明るい半月が輝いていた。

 再び、タクシーを拾い、辿りついたのは川沿いにある複合商業施設だった。ショッピングモール、映画館、劇場、主にショールームとカルチャースクールが入っているオフィス棟、格の異なる二つのホテルから構成されている。現世のビルは四角形の立方体であることが多いが、この商業施設のビルはうねうねと曲線を多用した外観になっており、外壁も明るい色合いだった。中に入ってみると、中心部に巨大な吹き抜けがある構造になっていて、吹き抜けの部分にはやはり曲線で構成された細長い池があって、噴水がリズミカルな水しぶきを上げていた。
「これはまた、綺麗だな」
とここのクリスマス・イルミネーションには冬獅郎も感嘆した。
 水面を最大限に活かし、水の上に浮かぶようにトナカイや、雪だるまや、天使のオブジェが飾られていた。中に仕込まれた灯りが乳白色のオブジェを通して淡いラベンダーやグリーンの幻想的な光を放ち、水面に影を映している。細長い池の中心部には丸くせり出したステージがあり、大道芸人がパフォーマンスを披露していた。大道芸人の真上には、巨大な切り紙細工に見えるオブジェが吊られていた。下から見上げると、建物に囲まれて切り取られた夜空に、イルミネーションに彩られたオブジェがぽっかり浮かんでいるようだった。
「宮辺のお薦めイルミネーションなんですよ」
 乱菊はこの地で現在、駐在任務に就いている女性死神の名を口にした。
「他にも色々とお薦めの場所はあったんですけど、全部廻るのは無理なので、今日はここにしました」
 ステージと池を挟んで真向かいにあるバーに、乱菊と冬獅郎は入った。バーではジャズ・ピアノの生演奏が行われており、ピアニストが軽快なリズムで「サンタが街にやって来た」という曲を奏でていた。
 冬獅郎はブッシュミルズという銘柄のアイリッシュ・ウィスキーを注文した。以前、京楽に現世土産で貰ったことがあって、気に入っていた酒だった。乱菊はアラウンド・ザ・ワールドという名のカクテルを選んだ。
「綺麗な緑色のカクテルなんですよ。隊長の目の色と同じ…」
 だから、お気に入りのカクテルなのだ、と乱菊は微笑った。
 ピアノのメロディは、しっとりとしたバラードに変わっていた。
 かちり、とグラスを合わせて乾杯した後、
「たいちょ」
と乱菊は艶めいた声で囁いた。
「今夜はこの上のホテルに泊まります」
 頷いた後、冬獅郎はふと真顔になった。
「野暮を承知で訊くが」
「はい?」
「金は大丈夫なのか?」
 先ほどのレストランでも、今日は祝いなのだから、と乱菊は払いを持った。このバーも、
「奢りますから、もうちょっと飲みましょう」
と彼女が誘ったものだ。
「大丈夫です」
 躊躇いもなく乱菊は答える。だが、着道楽で酒好き。給金は着物と酒に流れてしまい、高給取りの副隊長の癖に汲々としている日頃の乱菊を知っているだけに、その言葉を鵜呑みには出来なかった。ことに年末は何かともの要りな上、明日の花火大会にも副隊長として出資しているはずだから、余裕があるとは思えない。
「無理しているんじゃねぇか?」
 じっと真剣な眼差しで見つめてくる冬獅郎に、乱菊は形のよい眉をハの字に下げて、苦笑を落とした。
「明日話そうと思っていたんですけど…」
「ああ?」
「今日のデート、絢女とギンも資金提供してくれたんです。もちろん、あたしも出していますけど」
「姉さまと市丸が?」
「はい。食事も、ここのお酒も、それから今晩の宿代も、あたしも含めた三人からのプレゼントだと思って下さい。だから、お金のことは大丈夫なんです」
「そうか」
 絢女とギンがスポンサーに付いているのなら、金の心配は本当に必要なさそうだ。尤も、絢女はともかく、ギンの方は明日にでも冬獅郎をからかいに現れるだろうと予測がつき、その点は引っかかりを覚えないではいられなかったが。

 バーを出て、ホテルの部屋に入ったのは、あと一時間もすれば日付が変わって冬獅郎の誕生日になるという頃だった。
 現世のシティ・ホテルに泊まるのは、冬獅郎は初めての体験だった。
 キングサイズの大きなベッドが部屋の中央にひとつ。ゆったりとしたカウチ・ソファが壁際に置かれ、小ぶりなテーブルと一人掛けのソファがその向かいに据えられている。ベッドの上の壁には夕日が沈む海を描いた油絵、ベッドの真正面のサイドテーブルに液晶TV。それから小さな冷蔵庫とミニバー。
「現世のホテルってのはこんななんだな」
と感心しきりの冬獅郎に、
「旅館と同じで、ホテルも上から下まで色々です。同じホテルでも、部屋によってもずいぶん違うんですよ。ここはホテル自体、この都市では三本指のいいホテルです。部屋も最高級とまではいきませんけど、かなりいい部屋を選びました」
と乱菊は説明した。

 勧めのままに先に風呂を使い、冬獅郎は乱菊を待っていた。
 ミニバーでウィスキーのお湯割りを作り、グラスを手にしたまま窓辺に佇んで、外の景色を眺めていると、かちゃ、とドアの開く音がして、窓ガラスにバスローブ姿の乱菊が映った。
「たいちょ…」
 呼びかけられたが彼は振り向かず、ガラスに映った乱菊を見つめ続けたまま、
「何でわざわざ義骸で現世に泊まろうなんて考えた?」
と尋ねた。
「感じが変わって新鮮でいいかもって思ったんです」
「確かにな」
「現世のホテルなんて、義骸でないと泊まれないから…」
「それだけか?」
と彼は窓ガラスの乱菊を見据えて重ねた。乱菊の方を向こうとせず、ただ影だけに目を凝らす冬獅郎に、乱菊の眸が揺らいだのが分かった。
 やがて、消え入りそうな声で乱菊が呟いた。
「この義骸からだ…、処女なんです」
 思いがけない返答に、
「は?」
と冬獅郎は思わず振り向いた。眉を下げ、困惑を滲ませた半笑いを浮かべた乱菊がいた。
「松本、おまえ…。まさか、処女じゃなかったことを気にしているのか?」
「…はい」
「あのな、俺は別に、」
 初めてでなかったことに腹を立てるような狭量な男ではない、と告げようとした冬獅郎の言葉は乱菊によって遮られた。
「理解っています。隊長がそんなことにこだわる人じゃないこと。そうじゃなくて…」
「そうじゃねぇなら、何なんだ?」
    あたしの自己満足です」
 ぽつりと零れ落ちた言葉に、冬獅郎は僅かに目を見開く。乱菊は淋しげに睫毛を伏せていた。その表情を見た途端、ある疑念が湧き上がってきて、冬獅郎はぐっと拳を握りこんだ。
「初めての男とのことを後悔してるのか?」
「え?」
「まさか、そいつ、おまえに暴力を、」
「違います!!」
 慌てて乱菊は叫んだ。
「そうじゃありません!」
 冬獅郎は彼女の初めての男を知らない。どんな男だったか尋ねたことさえない。もうとっくの昔に切れていて、乱菊とかかわりのなくなった者だ。わざわざ尋ねる必要は感じなかったし、昔の男の話など聞きたいと思わなかった。だが、もし、その男が乱菊に酷い行いをして、そのせいで彼女が傷付いてしまったのなら。だから、過去を後悔しているというのなら。
 許さない、と身構える冬獅郎に、
「後悔しているわけじゃないんです」
と乱菊はきっぱりと否定した。
「色々と事情があって苦い別れ方をしてしまいましたけど、その人のこと、ちゃんと好きでした。好きで、この人ならいいって思えたから抱かれたんです。それに、付き合っている間、その人はあたしのことをとても大切にしてくれました。後悔はしていません。隊長が考えてらっしゃるような、暴力を振るわれたとか、酷い目に遭わされたとか、そんなことはないんです。だから、安心してください」
 では何故? と冬獅郎の眸が訴えている。
 乱菊は息を吸い込むと、大きく吐き出して、それから続けた。
「あたし、隊長が好きです」
「…ありがとう」
「初めての人の想い出なんて霞んでしまうくらい、隊長が大好きです」
「…」
「だから…、隊長にはあたしの全部を知っていて欲しいって、そう思いました」
 無言のまま次を待つ冬獅郎に、彼女は言葉を継いだ。
「この義骸は技術開発局が造ったもの…。現世で人に紛れて行動する為の作りものの身体です。だけど、あたしの遺伝子を解析して造られているから…、まるきり出鱈目なまがいものだとも言えないんです」
 技術開発局が義骸を製作する際は、まず「身体透過法」という、現世で言えばレントゲン撮影のような技術を使って骨格を解析し、形作ることから始める。その後、骨格に内臓や筋肉組織を形成してゆくのだが、この蛋白質合成の際に遺伝子情報が用いられるのだ。従って、出来上がった義骸は霊子ではなく器子で形成されているとはいえ、遺伝的には本人と同等である。黙って合成させても、一卵性双生児程度に本人に近似する。それに後天的、外的要因による外観の変動を調整によって加え、本人と瓜二つの身体に仕上げるのである。
 尤も、技術開発局が本人に忠実に再現できるのは、全体的な体形と顔や手足などの露出部に限られる。例えば、恋次の眉の刺青や、修兵の顔の傷は再現してあっても、衣服に隠れる部分に刺青や傷を加えたりしない。というのも、本人そっくりに作成するのは、義骸に入っての任務中に味方に違和感を与えないのが目的だからだ。危険な状況に陥った時、擬態する虚の出現が見込まれる時、咄嗟の判断の誤りは命にかかわりかねない。だからこそ、義骸であっても間違いなく本人だと認識出来るように、技術開発局は職人魂を燃やしてそっくりを追求するのだ。だが、衣服に隠れる場所は本人と異なっていても、別段、任務に悪影響は及ぼさない。何より、そこまでそっくりにしようとすれば、本人に裸になってもらい身体中を解析しないと無理だ。従って、胸部や臀部については細部は本人と多少異なっている。しかし、遺伝情報に従って合成され、体形を揃えている以上、全くかけ離れた身体にはなり得ないのである。
「あたしは処女じゃなかったし、もう何度も隊長に抱かれてますから、心は戻せません。でも、義骸に入って男の人と関係を持ったことはないから、この義骸は処女のはずなんです。作りものでも、あたしの遺伝子を使って再現された身体です。せめて、この身体だけでも隊長に知っていて欲しかったんです」
 すっと冬獅郎の手が伸びて、乱菊の肩を緩く抱きしめた。
「ありがとう…」
 耳許で囁かれ、乱菊はぴくっと身体を震わせた。
「すげぇ、嬉しい」
「隊長…」
 彼の右手が乱菊の頭に差し入れられ、生乾きの髪をそっと梳いた。
「乱菊」
「はい」
「おまえの言い方を借りると、俺のこの義骸からだも童貞だぞ」
 乱菊は目をまん丸にした。
「おまえの初めてを貰う代わりに、俺の初めてをやれるな」
 こつんと、乱菊の額に自分の額をくっつけて、冬獅郎は告げた。
 そのまま、至近距離でにらめっこのように二人は見つめ合った。

 ぷっ。

 乱菊が、不意に小さく噴き出した。
 くっ、くっ、と冬獅郎も笑い出す。
 どうしてだか、腹の底から笑いがこみ上げて来て止まらなかった。大笑いしつつも、乱菊はサイドテーブルに埋め込まれたデジタル時計が0:00と表示したのを認めた。
「たいちょ…、お誕生日おめでとうございます」
 半分以上、笑いにまみれながら、乱菊が言った。言いながら、勢いをつけて冬獅郎の胸にダイブした。冬獅郎は大きく両手を広げて彼女を受け止め、二人はもつれあってベッドに倒れこんだ。
 ぎしっ、とベッドのスプリングが軋みを上げる。
「たいちょ、初めてなんですから、優しくして下さいね」
 彼の身体に圧し掛かった格好のまま、乱菊が頼んだ。
「りょーかい」
 笑み零したままで、冬獅郎は乱菊をしっかりと抱きしめた。

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2010.12.26