ホワイト・ディ情話


「ホワイト・ディ…って何?」
 真顔で問いかけられて、お返しの入った小箱を執務机に載せた手もそのままに、ギンは固まった。
「はい?」
 絢女は絢女でギンの反応に戸惑った様子で、
「ごめんなさい。変なこと訊いた?」
と、問いを重ねた。
「いや、あの…?」
「あの、ね。ホワイト・ディって初めて聞く言葉だけど、何? お返しって、何のお返しなの?」
 本気で分かっていない表情に、ようやくギンは合点がいった。
「ああ、そうか。ここ、二十年くらいで定着した行事やからなぁ。絢女は知らへんか」
 四十六年前に現世に討伐に赴き行方不明となっていた絢女は、半年ほど前に尸魂界へ帰還を果たした。行方の分からなかった四十六年間、彼女は仮死状態で浦原喜助と四楓院夜一に保護されていたのだった。仮死状態で眠り続けていた絢女は、当然、その間の現世の出来事も、尸魂界の動向も知らない。それでも、努力家の彼女は重要な歴史上の事件などは、資料を当たって理解していたが、「ホワイト・ディ」などというのほほんとしたごく平和な年中行事までは調べが及ばなかったのは無理もないことである。
「チョコレートで荒稼ぎするヴァレンタイン・ディをでっち上げた現世の菓子業界がやなァ、新たな荒稼ぎの行事として生み出したんがホワイト・ディなん」
と、ギンは説明を始めた。
「ヴァレンタイン・ディはそんでも、一応、西洋の聖者の記念日ゆう根拠はあってんけどな、ホワイト・ディは単にヴァレンタインの一ヵ月後やていうことで今日になっただけで、全然根拠はないねや」
「ヴァレンタイン・ディと関係のある行事なの?」
と、絢女は尋ねた。
 絢女が行方不明になる以前、「女の子がチョコレートに想いを込めて意中の男性に告白をする日」としてのヴァレンタイン・ディは、すでに現世では広まっていた。だから、絢女もヴァレンタイン・ディについては知識があった。ただし、彼女が失踪する前までの状態は、広まってはいたが現世でも完全に年中行事として定着するまでは至っておらず、まして、尸魂界には入ってきていなかった。その為、一ヶ月前、ヴァレンタイン・ディがすっかり尸魂界でも定着していることを乱菊から教えられ、浦島太郎気分を味わったのである。それでも、認知された行事だから彼も期待しているはずだ、と言われ、絢女は乱菊に教わって作ったチョコレート・ケーキをギンに渡した。だが、乱菊はホワイト・ディのことは失念していたのか、説明しなかったので、ギンにお返しを渡されても、絢女は本当にわけが分からなかったのである。
「ヴァレンタイン・ディにチョコレートを貰うた男が、女の子にお返しをする日や、ゆうて捏造された記念日やねん」
と、ギンは続けた。
「最初はな、言い出した菓子業界も足並み揃ってへんで、お返しにマシュマロを贈るマシュマロ・ディやとか、いやクッキーを贈るクッキー・ディやとか、女の子の告白にOKやったらマシュマロで、ごめんなさいやったらキャンディやとか、そうやない、逆やとか言うとってんけどな、菓子業界の組合みたいなとこが『ホワイト・ディ』やいうて名前を統一して、一気に定着したんや。今では菓子に限らず、何かお返しを返す日になってん」
「そうなの…。知らなかった」
「お返しを期待する女の子の圧力もあってんやろな、現世でも、こっちでも、あっという間に定着したで」
「告白なんて、見返りを期待するものじゃないでしょう?」
「うん、でもまぁ、本命はともかく、義理で渡した上司とか同僚とかからはお返し欲しいんちゃう?」
「義理チョコでも、日頃、お世話になっている感謝の気持ちでしょ? 愛の告白という本筋からは離れるかもしれないけど、お返しを求めるものじゃないわよね」
「絢女はほんま真面目やなぁ」
と、ギンは苦笑を浮かべた。
 律儀な彼女は「義理チョコ」に対する解釈もややずれていた。日頃義理のある人に感謝の念を込めて渡すものだと認識したのだ。ほとんど、「お世話になったあの方に」というお歳暮感覚である。結果、お世話になっているからと、女性も含む他隊の隊長・副隊長と自隊の隊士全員に、彼女はチョコレートを配った。隊長から直々のチョコレートを賜った五番隊隊士たちの士気がやたらに上がったのは言うまでもない。
「お返しは、三倍返しやいう女もおるのに」
「何、それ?」
と、絢女は呆れたように、形のいい眉を顰めた。
 お返しを求めるのはみっともない、と絢女は思うが、チョコレートを貰った男が女に気持ちを返す手段として贈り物をするのは悪い習慣ではないとも思う。感謝の念で贈られたチョコレートに、上司や同僚や友人がお返しという形で感謝を返すのもありだろう。だが、三倍返しというのは、
「婚約破棄の慰謝料じゃないんだから」
「世の中の女が、みんな、絢女みたいやったら、男は貢ぎ甲斐があるなぁ」
「私、ギンに貢いでもらおうなんて考えてないわ」
「知ってる」
と、ギンは小箱を絢女の目の前に、押しやった。
「せやから、これは貢ぎモンやのうて、本命へ気持ちを込めたお返し。受け取って貰える?」
「ありがとう」
 絢女は嬉しそうに小箱を手に取った。
「開けてもいい?」
「もちろん。気に入ってもらえるとええけど」
「ギンがくれるものが気に入らなかったことなんて、一度もないわ。ギンは趣味がいいもの」
 言いながら、絢女は綺麗な包装紙を外し、中から現われた桐の小箱の蓋を開けた。中に納められていたものを見て、彼女の動きが止まった。
 白珊瑚に満開の桜の一枝を彫刻した帯留めが入っていたのだ。花びらの一枚一枚、未だ開かぬ蕾、花の間から覗く枝ぶりに至るまで精緻に彫り込まれていて、腕のいい職人の逸品だと一目で知れる。
「本当に貰っていいの? これ、三倍返しどころじゃないでしょう?」
「いらん、言われたかて困るんやけど?」
「それは、そうかもしれないけど…」
 困惑してギンを見上げる絢女に、彼は笑いながら続けた。
「それ、な。乱菊と色違いで買うてん。乱菊のは桃珊瑚。絢女と乱菊は仲良しやから、色違いでおそろいいうのもええかな、思て」
 途端に、ぱぁ、と花がほころぶような笑顔を見せられ、ギンは一瞬、めまいがした。
「ありがとう、ギン。大事にする。今度、乱菊と一緒に付けたところを見せるわね」
「うん、楽しみにしとるよ」
と、ギンも頷いた。
「ほんなら、ボク、行くな。他にもお返し配らんならんし」
 出て行きかけたギンの背中を、
「待って」
と、絢女は呼び止めた。
「急な討伐が入らなければ、今日は定時で上がれそうなの。お礼にお夕飯をご馳走したいんだけど、ギンは都合悪い?」
「絢女の手料理?」
「そのつもりだけど…。外で食べる方がいい?」
「手料理がええに決まっとるやん。意地でも早よ上がるから、食べさして」
「何が食べたい?」
「絢女の料理は絶品やし、何でもええで」
「お礼なんだから、ギンの食べたいものを作りたいの」
「ほんなら…、」
 ギンはちょっと考えてから答えた。
「白身魚の煮付けと茶碗蒸し、それから、深川ご飯が食べたい」
「ご注文、承りました」
 執務室を出ると、部屋に入るに入れず、廊下でぴしりと固まっている五番隊の席官たちがいた。
「キミらも、絢女にお返し?」
「はぁ…」
「待たせてしもて悪かったね」
 上機嫌な三番隊長の姿に、五番隊の席官たちはどういうわけか、きりきりと胃が痛むのを感じた。

 執務室に積み上げられた菓子業者からの納品物に、冬獅郎は半目になった。
「ある意味、壮観だな…」
 投げやりに呟いた隊首に、美貌の副官はにっこりと笑って、
「今年はとんでもない数のチョコレートが来ましたものねぇ」
と応じた。
 昨年まで、ヴァレンタイン・ディにおける冬獅郎の獲得チョコレート数は隊長格としては少ない方だった。
 ひとつには、自隊の女性死神に対して、隊で取りまとめてひとつだけにするようにと厳命していたことが挙げられる。隊長に就任して初めてのヴァレンタイン・ディに部下たちが贈ってくれた心は嬉しかったものの、山となったチョコレートに彼はげんなりしてしまったのだ。そこで、翌年からは十番隊では女性隊士の連名でプレゼントが贈られることとなった。一人一人の捻出額は高が知れていても、まとまると結構な額になる。この為、気持ち程度に小さなチョコレートの小箱を添えた上で、冬獅郎の希望の品をプレゼントするのが慣例になっていたのだ。冬獅郎としても食べきれないチョコレートを貰うよりもずっとありがたいと喜んでいた。それ以外では、卯ノ花や七緒などの隊長格から由緒正しい義理チョコを貰う他は、他隊の席官の女性死神がアイドルにチョコを贈る感覚でいくつか寄越してきたくらいであった。写真集が即完売するほどの人気があるとはいえ、隊長というのは敷居が高かった上、何だかんだ言っても外見が子供の彼には、他隊の女性死神は無理してチョコレートを渡そうとは思わなかったのだ。
 ところが、今年は事情が変わった。
 この半年で、冬獅郎は急激な成長を遂げ、現世の人間換算で言うと小学生から大学生へと一足飛びに大人になったのだ。もともと整った顔立ちで美少年ぶりを誇示していた冬獅郎は、すっかり美青年に変貌を遂げた。美形で、収入がある彼は、玉の輿狙いの女性死神の目の色を変えさせるには充分な魅力を放っていた。
 こそこそするのはいやだ、という冬獅郎の意向で、乱菊との関係は十番隊では公にされた。もちろん、その事実は十番隊の隊士の口から、あっという間に護廷中に広がった。ヴァレンタイン・ディまでには冬獅郎と乱菊が付き合っているということはすっかり護廷の公認事項になってしまい、冬獅郎狙いの女性死神たちは出鼻をくじかれてしまった。しかし、それでもなお、乱菊を敵にまわしてでもという根性のある女性は少なくなかったと見えた。ヴァレンタイン・ディには明らかに本命チョコと思われる高級チョコと、「見返りは期待していないけれどファンなんです」というアイドル感覚チョコが山積みになり、初めてのヴァレンタイン・ディの時にも増して冬獅郎をげんなりとさせたのだ。
 とはいえ、貰った以上、義理でもお返しはせねばと考える律儀な気質である。その結果が、菓子業者からの箱の山だった。積み上げられた大箱の中には干菓子の小箱がぎっしりと詰まっている。
「失礼いたします」
 冬獅郎に呼ばれた、手すきの下位席官が五名ほど入室してきた。彼らに対し、目の前の箱を指し示し、
「平井、岸本、高実たかざね。その干菓子を手分けして、このリストにある連中に配ってくれ」
と命じた。
「はっ」
「勝浦と杉田はこっちの箱だ。うちの女性死神に渡してくれ」
と冬獅郎は別の箱を示した。これは部下の女性死神へのお返しで、浦原商店を通じて現世で人気の洋菓子店に発注した焼き菓子の詰め合わせである。
「了解いたしました」
「手が足りなければ、平を何人か使って構わねぇ。雑用押し付けて悪いが頼む」
「はっ」
 席官たちが手分けして大箱を運び出し、やっと見通しのよくなった室内で、冬獅郎は盛大に溜息をついた。
「隊長、もてもてですね」
「おまえ以外にもてても仕方ねぇ、つか、鬱陶しい」
 冬獅郎の返答に、
「うわっ、それ、世のもてない男の顰蹙を買う一言です」
「惚れた女に好かれるなら嬉しいが、興味ねぇ女に一方的に好意を持たれたってなぁ。おまえだって、好きでもねぇ男から告白されて迷惑がってたじゃねぇか」
「それはまぁ…」
「おまえから。部下たちから。姉さまと雛森から。それと毎年くれてた卯ノ花や伊勢たちから。本当にありがたかったのはそれだけだ。後のはどっちかっていうと、ありがた迷惑だな」
 冬獅郎は言いながら立ち上がり、乱菊の背後に廻った。
「たいちょ…?」
と乱菊が振り返ろうとするのを軽く抑え、彼女の髪を掬い取った。
 乱菊が自分で纏めるのを眺めていて見覚えたやり方で彼女の髪をいわゆる「夜会巻き」に束ねる。
 彼が自分の髪に何かを挿したのを感じて、乱菊は瞬きした。
「簪だ」
と冬獅郎は乱菊の耳許で囁いた。
「思った通りだ。よく似合う」
 乱菊は後ろ髪に手を伸ばして、彼が挿した簪を引き抜いた。纏められていた黄金の髪が滑り落ち、
「初めてにしちゃ、器用に纏められたと思ったんだがな」
と冬獅郎は残念そうににやりと笑った。
 乱菊の手には鼈甲の簪があった。彼女の蜂蜜色の髪に馴染むように髪に挿す足に白甲
*1 を用い、棟は黒甲を使っている。黒甲は透かし彫りでアラベスク紋様が施され、小粒な緑柱石エメラルド柘榴石ガーネット芥子真珠シード・パールがあしらわれて華やぎを添えている。
「素敵…」
「気に入ったか?」
「もちろんです。隊長、ありがとうございます」
 乱菊の満面の笑みに、冬獅郎も満足そうに頷いた時、
「お楽しみのとこ、邪魔して悪いけど」
 にったりと人を喰った笑みを浮かべた狐が一匹、執務室の入口から顔を覗かせた。
 ぱっ、と距離を取った十番隊主従に、
「別に離れんでもええやん」
とギンは言いながら、許しもなしにすたすたと室内に入って来た。
「何しに来やがった?」
「まぁ、今日の用事いうたら、察しつくんと違う? 乱菊にホワイト・ディのお返しや」
「さっさと渡して、とっとと帰れ」
「相変わらず、若さんはつれないなァ」
 ギンは乱菊の前に来ると、彼女が手にしている簪を覗き込んだ。
「それ、冬獅郎はんからのお返し?」
「ええ」
「鼈甲か…。ええ細工やねぇ。乱菊の髪によう映えるやろなぁ」
と頷き、それから、
「乱菊、絢女にホワイト・ディの説明忘れとったん?」
と話を変えた。
「わざと説明しなかったのよ。雛森や七緒たちにも言わないように釘を刺してね。どうだった? 面白い反応したでしょ?」
「何や、確信犯か」
とギンは息を吐いた。
「真顔で『ホワイト・ディって何?』いうて訊かれた時はどないしようかと思たで」
「あはは、やっぱり」
「お返しとか、てんで頭になかったみたいやなぁ」
「何をあげたの?」
 ギンは乱菊の前に小箱を滑らせた。
「それの色違い。乱菊とお揃いやいうたら、えらい喜んどったで」
 乱菊は小箱を開けた。中から現れた桃珊瑚の帯留めに、
「綺麗! さっすが、ギン。相変わらずいい趣味ね」
と乱菊ははしゃぎ声を上げた。
「色違いって、絢女のは何色?」
「白珊瑚で作らせた」
「へぇ」
 ギンの顔にいつものにやにや笑いとは異なる、心底から嬉しそうな笑みが浮かんだ。
「そんでな、今晩、ご馳走してもらえるんや」
「あら、よかったじゃない」
「うん。深川ご飯、食べさしてもらえるんや。せやから、今日ははよ帰らんならんから忙しいん」
「そう。じゃ、さっさとお返し配って、執務に戻りなさいな」
「そうするわ。若さん、お邪魔してかんにん」
とギンが慌しく出て行ったのを見遣り、冬獅郎は再び半目になった。
「あいつ、盛大にのろけていきやがったな」
「…というより、浮かれてますねぇ。よっぽど、嬉しかったんですね」
「上手くいってるみてえだな」
と冬獅郎は言った。その微妙な声音に、
「お姉さん取られちゃって、悔しいですか?」
と乱菊はからかいを含んだ笑みで返した。
「悔しくねぇっつったら、嘘になるな」
 冬獅郎は応じた。
「けど、俺もおまえを取ったからおあいこだろ? それに、姉さまは幸せそうにしてるからな」
 乱菊は頷いた。絢女はもともとがたいそう整った顔立ちで清楚な雰囲気が男性死神の間で人気であったのだが、このところ、清楚さはそのままだがどきりとするような色香も漂わせ始めた、と専ら評判である。一方、乱菊は以前は「妖艶」だの「婀娜っぽい」だのと評されていたのだが、この頃は「可愛い」と評価する男性が増えてきたらしい。らしい、というのは、乱菊が直に噂を聞いたわけではなく、恋次やイヅルから教えられたからだ。
 恋をすると女は変わる、というが、自分が「可愛い」と見られるようになったのは、漢前の上司が乱菊のことを可愛いと思っているからかもしれない。彼の前では強がる必要がない。無防備に甘えていられる場所を見つけたから、可愛い女でいられるのだろう。
「深川飯か…」
 冬獅郎がぽつりと呟いた。
「うまそうだな」
 くすり、と乱菊は微笑った。
「羨ましいんですか?」
「いや、そういうわけじゃ…」
「作りましょうか? 深川ご飯」
と乱菊は満面の笑みになった。
「今日は修兵や恋次たちがホワイト・ディのお返しで女性陣に奢ってくれる約束なのでダメですけど、明日でよければ作りますよ。深川ご飯。素敵な簪のお礼に」
 ふっ、と冬獅郎も笑みを零した。
「豚バラ大根」
「ええ?」
「それも付けてくれ」
「ほうれん草とひじきの白和えもお付けしましょうか?」
「ああ、頼む。汁は根深汁がいい」
「了解です。楽しみにしていて下さい」
 乱菊が力強く請け負った。
 冬獅郎は立ち上がった。
「俺もお返しを渡しに行って来る。さぼらずに仕事しろよ」
「はーい」
 返事だけはよいけれど、まぁ、たいして進まないんだろうな、と考えながら冬獅郎は執務室を出た。

 五番隊執務室に入ると、絢女の机の脇にはお返しを纏めた風呂敷包みが重なっていた。
「大漁だな」
と冬獅郎がからかうと、絢女は困ったような半笑いを浮かべた。
「お返しの習慣があるなんて知らなかったのよ。却って、気を使わせることになっちゃって申し訳なかったわ」
「いいんじゃね? みんなお祭りムードに乗っかってるだけなんだから」
「でも…」
 冬獅郎は桃に向き直ると、
「ほら」
と包みを渡した。
「ご希望の、シュタイフのテディ・ベアだ」
「わぁ! シロちゃん、ありがとう!」
「日番谷隊長だ」
と冬獅郎は訂正したが、
「これ、十番隊隊長から五番隊副隊長へのお返しじゃないでしょ?」
と桃は返した。
「だから、シロちゃん、ありがとう」
「…」
 一瞬、返す言葉に詰まった冬獅郎に、
「冬獅郎の負け」
と絢女が宣言した。
「市丸からは帯留めを貰ったんだろう?」
「ええ。乱菊のを見たの? 色違いでお揃いなんですって。すごく細かい細工の桜の帯留めなのよ」
と絢女は嬉しそうに微笑った。
 長らく装うことを禁忌にしていた絢女は、冬獅郎と再会して禁を解いた。だが、装うことを楽しみ始めたのは、ギンと結ばれてからだ。弟の目から見ても、絢女は艶やかに美しさを増していた。
「俺からのお返し」
と、冬獅郎は絢女の前に箱を置いた。高さと奥行きは六寸強、幅は一尺ほどもある大きめの箱に、彼女は目を瞠った。
「ずいぶん…、大きな箱ね?」
「開けてみてくれ。気に入って貰えるといいんだが」
 促されて、絢女は箱を開けた。桃が好奇心一杯の顔つきで寄って来た。
 中身は木製の箱だった。マホガニー材で作られたしっかりとした造りで、蓋の部分と側面にデザイン化された西洋アイリスの象嵌が施されている。
「オルゴールになっているんだ」
と冬獅郎は背面の螺子をいっぱいに廻してから蓋を開いた。
「この曲、知っているわ」
と絢女は記憶を手繰った。
「乱菊と一緒に見た現世の映画の中で、主役の女の子が歌ってた曲よ」
「『虹の彼方に』って曲だ。映画は『オズの魔法使
*2 』だろ?」
「ええ、それ。とてもきれいな歌だったから覚えてる」
 中は深緑の天鵝絨ビロード張りの小さなトレイがいくつか重なった構造になっていた。小さく仕切られた箱が二つと、大きく仕切られた箱、そして、指輪を納める為の箱。
「宝石箱ね」
「ああ。市丸から貰った帯留めをしまうのに丁度いいだろう?」
「そうね」
と頷くと、絢女は執務机にしまっていた帯留めを取り出した。小さく仕切られた箱のひとつに、ことんとそれを納める。
「冬獅郎、ありがとう。だけどいいの? ギンもそうだけど、こんなのお返しにしては値が張りすぎよ」
「姉さまは気にしすぎだ。雛森見てみろって。現世の一流ショコラティエの店で買って来たという触れ込み付きだが、板チョコ三枚でお返しにブランド物のテディ・ベアを要求して、けろっとしてるし」
「何よ。いいじゃない。あたしがテディ・ベアを集めているの知ってるでしょ」
と抗議する桃に、
「だから、ちゃんとご希望通りに買っただろ?」
と答え、冬獅郎はもう一度、姉に向き直った。
「男が金を使うのは、それだけの価値がある女だからだろ? いい女の証拠なんだから、堂々としてりゃいいんだよ」
「私がいい女かどうかは置いといて、姉さんにお金使っても仕方ないでしょ?」
「心配しなくても、本命にもきっちり金を使っている」
 冬獅郎は答えた。
「姉さまには、今までずいぶん色んなものを貰ってきたのに何にも返せずにいたからな。やっと、返せるようになったんだ。弟の気が済むまで返させるのも、姉貴の度量だと思ってくれ」
「わかったわ。ありがとう、冬獅郎。大切に使わせて貰うから」
 冬獅郎はふっと笑った。
「市丸はどう見ても、姉さまに貢ぐ気満々だからな。すぐにこの箱、いっぱいになるんじゃねぇ?」
 自分のせいで、絢女は若い女らしくお洒落をすることも出来ないのだと思っていた。だから、冬獅郎は姉が身綺麗な格好をしていることがとても嬉しい。今まで、化粧さえしたことがなかった彼女が仄かに紅を注しているのを見ると、安堵する。けれど、おそらく、絢女が装うことを禁忌としなくなったことを一番喜んでいるのはギンだろう。絢女は彼の為にこそ、綺麗でいたいと願っているのだから。

 上位席官室に書類を抱えて入ってきたイヅルを目にして、三席が心配そうに声をかけた。
「どうなさいました、吉良副隊長? お顔の色がよろしくないようですが?」
「いや、何でもないんだ」
と、イヅルは応じる。だが、四席と五席までもが、
「本当に真っ青ですよ」
「どうなさったんです? 四番隊に行かれた方が…」
と眉を顰めた。
「いや、大丈夫、体調が悪いわけじゃない」
 イヅルは答えた。
「ただ…」
「ただ?」
「市丸隊長がすさまじい集中力で仕事をなさっているんだ」
「はあ?」
 三席、四席、五席は顔を見合わせた。七席が席を立ち、執務室の扉を細めに開いて中を覗き込む。すぐに、彼は扉を閉めた。
「確かに。覗いても気付かれないほど集中してらっしゃる…」
と、彼は報告した。
「だろう? 溜まっていた仕事がすごい勢いで減っているんだ」
 青ざめたままで、イヅルが告げる。
「いいことじゃないですか」
「そうなんだけど、天変地異でも起こるんじゃないかと…」
とイヅルが怯えるのは、ギンがどうしてこんなに集中して仕事をこなしているのかさっぱり理解できないからだ。隊長に復帰した直後こそ、屋台骨が揺らいでしまった隊を立て直す為に大車輪の働きを見せていたギンだったが、一通り落ち着いてしまうと、以前のサボリ癖を発揮し始めていた。のっぴきならないところまで仕事を溜め込んだ後なら、普段からこの半分でいいから仕事してくれ、と訴えたくなるくらいの集中力をみせてきっちり仕事を終わらせる。だが、それまでは、のらりくらりと仕事から逃げ回っている彼が、今日は切羽詰ってもいないのに、自主的に業務をこなしているのだ。
「吉良副隊長が怯えるのも無理ないですよ。俺も怖いです」
と七席が同意し、四席、五席も思わず頷いた。
「そうだろう?」
 勢い込んだイヅルだったが、
「心配いりませんよ、吉良副隊長。私、市丸隊長が熱心に仕事をこなしていらっしゃる理由を知っています」
と、十席がにこにこと会話に加わってきた。
「川島十席!?」
「何だ、どういう理由だ?」
 上司たちに詰め寄られ、
「市丸隊長は、今日、是が非でも早く上がりたいんですよ」
と十席は教えた。
「何で?」
「絢女隊長がお夕飯を作って、待ってらっしゃるから」
「夕飯を作ってって…。もしや、絢女隊長の手料理?」
「はい。ちなみに献立は魚の煮付けと茶碗蒸しと深川ご飯だそうです」
「何で、献立まで知ってるんだ!?」
 四席のもっともな疑問に、あっさりと十席は答えた。
「市丸隊長のリクエストだからです」
「?」
「絢女隊長って、ホワイト・ディのことご存知なかったそうなんです。それで、市丸隊長から贈られたお返しをたいそう喜ばれて、お返しのお返しで、お夕飯をご馳走したいと市丸隊長に申し出られた、と先ほど五番隊で聞いてきました」
「なる…ほど」
と三席が唸る。
「でも、いつもなら、仕事が溜まっていようが何だろうが、帰ると決めたら帰ってらっしゃっただろう? 市丸隊長は」
と五席。
「相手はあの生真面目な絢女隊長ですよ? 絢女隊長の手料理の為に仕事ほっぽって来たと知ったら…」
「怒るな、絢女隊長は」
「うん、間違いなく怒るだろうな」
 三席たちは再び顔を見合わせた。
「つまり、こういうことか? 市丸隊長は何の後ろ暗いところもなく絢女隊長を訪ねて、手料理をご馳走になる為に頑張ってらっしゃる、と」
「はい。つまり、そういうことです」
と十席は答えた。
「絢女隊長と差し向かいで、手料理…。羨ましい」
 四席がうっとりと呟いた。彼は絢女が失踪する以前からの熱烈な絢女信奉者である。
「絢女隊長って、料理、上手いのか?」
 三席の疑問に、
「以前に、市丸隊長がおっしゃっていた。絶品だ、って。絢女隊長より料理上手な女性は知らないって…」
とイヅルが答えた。
「半分は惚気だとしても、上手いんでしょうね」
「松本副隊長や、伊勢副隊長も褒めてらっしゃいましたから、本当においしいんだと思いますよ」
と十席が言い添えた。
「超絶美人で性格がよくて、その上、料理上手…。完璧じゃないか」
 五席の言葉に、うんうんと皆、頷く。
「市丸隊長が他の女に目が行かないわけだよなぁ」
「そりゃ、絢女隊長と比べられたらたいていの女は負けちゃいますよ」
「しかも、『お姫さま』なんだろ?」
「ああ、そうだったな」
 その時、三席がぽつりと零した。
「…デザートは当然、絢女隊長、なんだろうな…」
    
    
    
「デザートまでおいしくいただくには、やっぱり、仕事、片付けないとだよなぁ」
 全員が微妙な表情で視線を交わす中、
「なぁ、市丸隊長って、こんなに分かりやすかったか?」
と、三席は畳み掛けた。
「…絢女隊長が絡むと、分かりやすくなるんだ」
「やっぱり、恋愛においては惚れさせた方が勝ちですよねぇ。絢女隊長はああいう方だから自覚はないと思いますけど、完全に、市丸隊長を掌で転がしてらっしゃいますよ」
 しみじみと、十席が所見を述べた。
 その傍らで、イヅルが沈思している。
「吉良副隊長?」
と、気付いた七席が声をかけた。
「どうなさったんですか、吉良副隊長? 先ほどから押し黙って…」
 それに対して、イヅルは、
「…隊長決済の必要な書類…」
とぽつりとした声で応じた。
「は?」
 部下たちは、もう何度目だろう、目を見合わせた。すると、続いてすぐに、イヅルのきっぱりとした指示が下った。
「隊長決済の必要な書類をかき集めろ! 期限が少々先でもいい。全部、今日中に処理していただく!!」
 日頃、サボリ癖のある上司に悩まされているイヅルは、咄嗟に、この期に乗じてギンに仕事をさせることを決心したのだ。呑みこみのよい席官たちは、すぐに、
「はっ!」
「かしこまりました!」
と答えると、書類をかき集めに散っていった。

 乱菊が居酒屋に着いた時には、もうメンバーは全員揃っていた。
 イヅル、恋次、修兵、鉄左衛門ら男性の副隊長と、副隊長ではないがその地位にいるやちるに代わって事務仕事をこなしているというかどで、毎年、女性の隊長格から義理チョコを賜っている十一番隊の一角・弓親が、ホワイト・ディに女性副隊長陣に奢るのは毎年の恒例行事だ。
 定時で仕事を終えた副隊長たちは、一旦、隊寮に戻り私服に着替えて集っていた。やちるのお守りに追われていた一角だけが死覇装 姿だ。
「遅れて、ごめーん!」
と入室してきた乱菊の艶やかな私服姿に、未だ彼女に対する恋慕の情を捨てきれない修兵と鉄左衛門の顔が緩む。
「乱菊さん、ずいぶんめかし込んで来たんだね」
と弓親が首を傾げた。乱菊は親しい仲間と居酒屋で呑む際のいつもの格好よりも一段上の装いをしている、と彼には感じられたのだ。
 それに対して、乱菊は、うふふ、と笑っただけだった。彼女は桃の隣りの席にすとんと腰を落ち着けた。
「乱菊さん、その簪、もしかして、シロちゃんから?」
 乱菊の髪に飾られた真新しい簪を目ざとく認めた桃が尋ねた。
「そ!」
 嬉しそうに乱菊は肯定した。
「鼈甲、ですよね? 見事な細工ですねぇ」
「綺麗ですね。緑柱石エメラルドに…、この紅いのは柘榴石ガーネットですよね」
芥子真珠シード・パールも使われてますよ。さすが、日番谷隊長」
「もしかして、乱菊さんがめかしこんだのって、その簪に合わせて?」
 弓親の問いに、乱菊は再び肯定を返した。
「そう。この簪を使いたかったから、ちょっといい着物にしてみたの。いつもの格好じゃ簪に申し訳ないからね」
「見せてもらっていい?」
 乱菊は簪を抜くと、弓親に渡した。
「本当に見事な細工の簪だな。日番谷隊長、勝負に出たね」
と弓親は深く頷いた。弓親から簪を廻され、間近で眺めた勇音と七緒が、ほぉ、と感嘆の息を吐く。
「本命にもお金を使ってるって、大見得きっただけあるなぁ」
 桃が訳知り顔で呟いた。
「何? 隊長、そんなこと言ったの?」
「ええ。絢女お姉ちゃんにお返しを持ってきた時に、お姉ちゃんが『お返しにしては高すぎる』って言ったんです。そしたら、シロちゃん、『男が金を使うのは、それだけの価値がある女だからだ』って」
「あら」
「絢女お姉ちゃんは『姉さんにお金使っても仕方ないでしょ』って言ったんだけど、その時に、『心配しなくても、本命にもちゃんとお金を使ってる』ってシロちゃんたら、大見得きったんですよ」
「へぇ?」
「だから、乱菊さんがどんなお返しを貰ったのかすっごく興味があって。でも、納得しました」
 乱菊は自分の手元に戻ってきた簪を嬉しそうに眺めた。
「いかにも、『本命です』って感じのお返しですね」
 勇音が感じたままを口にした。
「去年まで、チョコは隊の女の子たちと共同だったし、お返しも、みんなと同じ焼き菓子だったから、こういう特別なものを貰える立場になれたんだって嬉しくって」
と乱菊は幸せそうに笑みを零す。その艶やかな微笑に内心で凹んでいる修兵と鉄左衛門を気の毒そうに見ていたイヅルだったが、桃の一言でがっくりとうなだれた。
「いいなぁ。あたしも誰かの特別になりたいなぁ」
 もう何十年も、桃はイヅルにとって特別であるのだが、一向に気持ちが伝わっていない。恋次や一角はもとより、落ち込んでいたはずの修兵からまで憐れみの目を向けられ、イヅルはますます沈み込んだ。
「雛森さんのその帯飾りも可愛いですね」
 イヅルをちら、と一瞥して、七緒が話を振った。桃の帯には紅水晶ローズ・クォーツの小さな桃の花が揺れていた。
「これ、吉良くんからお返しに貰ったんです。可愛いでしょ?」
「そうですか。私が吉良副隊長に頂いたのは、上生菓子でしたが」
「あらぁ、奇遇ね、あたしもよ」
 七緒と乱菊は桃へのお返しが特別であることを暗にほのめかしたのだが、桃は、
「吉良くんはあたしにはいつも、こういう可愛い小物をくれるんです。霊術院からの付き合いだから、好みをよく分かってくれていて」
と無邪気に答えた。
「吉良くん、いつもありがとう。これ、すごーく可愛くて、一目で気に入っちゃった」
 桃に極上の笑顔を向けられて、イヅルは浮上したようだ。
 それぞれの内心の葛藤や思惑はともかく、宴会は例年のように和やかに始まり、和気藹々と時間が過ぎていった。
 やがて、酒豪の乱菊がいい感じに酔っ払った頃合に、
(ああ、やっぱりいらっしゃいましたね)
と七緒は内心で笑みを浮かべた。
 しばらくして、彼らのいる個室の障子がからりと開かれた。
「あ~、たいちょー」
 すっかり出来上がった乱菊が、現れた冬獅郎にへらっと緩みきった笑みを向けた。同じく出来上がってしまっていた桃が、
「シロちゃんだぁ」
と何が嬉しいのか、けらけらと笑い転げた。
「雛森、おまえまで酔っ払ってるのか?」
 はぁ、と溜息をついた冬獅郎は、セーブして呑んでいたのか、それほど酔っていない様子のイヅルに視線を固定させた。
「吉良」
「は、はい!」
「二人いっぺんには俺も面倒みきれねぇ。俺はこいつを、」
と乱菊を目で指し、
「連れて帰るから、悪ぃが、雛森を隊寮まで届けてやってくれ」
「はい」
 冬獅郎から直々に指名され、イヅルは思わず姿勢を正した。
「た~いちょ、おんぶ~」
 箍が緩んだ声音で強請る乱菊に、
「はいはい」
と冬獅郎は背中を向けてしゃがみ込む。その背に乱菊がどさっともたれかかると、彼は彼女を後手で支えて危なげなく立ち上がった。
「邪魔したな」
 乱菊を負って帰ってゆく後姿には、半年前の子供の面影はもうなかった。

 表に出た冬獅郎は背中の乱菊に、
「いつまで、酔った振りをしている?」
と声をかけた。
「あら、ばれました?」
 乱菊がぺろ、と舌を出したのが、見ないでも冬獅郎には分かった。
「た~いちょ」
「何だ?」
「今晩は満月です」
「ああ、そうだな」
「月が綺麗です」
「ああ」
「遠回りして帰りましょ」
    現世の歌になかったか?」
 うふふ、と乱菊は微笑う。首筋に酒精アルコール混じりの熱い呼気を吹きかけられ、冬獅郎はゆっくりと回り道する方へ足を向けた。


*1 鼈甲のうち、斑が入っていない薄い飴色の部分を白甲という。
  一匹のタイマイから少量しか採れない為、最も高価。
  同じく真っ黒な部分を黒甲といい、白甲に次いで稀少な部分。
  一般的な鼈甲はバラ斑と呼ばれる斑模様が入っている。
*2 1939年公開のアメリカのミュージカル映画。日本公開は1954年。
  監督:ヴィクター・フレミング。
  主演:ジュディ・ガーランド。
  劇中でジュディ・ガーランドが歌った「虹の彼方に」(原題:Over the Rainbow)は、
  スタンダード・ナンバーとなり、2001年に全米投票により選定された「20世紀の名曲」で
  一位を獲得している。
  作詞:エドガー・イップ・ハーバーグ
  作曲:ハロルド・アーレン

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2011.03.20