私を鮨屋に連れてって


 廻る鮨の店に行ってみたいのだ、と彼女はのたまった。

 大好きな人の記念日なら祝いたいと思うのは、人の情というものだ。
 まして、それが、長い、永い渇仰と、失ってしまったという絶望の果てにようやく心を通わせた愛しい人の誕生日であるのなら、万障繰り合わせてでも祝いたい。
 ギンが絢女に誕生日の希望はないかと尋ねたのは、彼女の誕生日の半月余り前、四月も下旬に入った頃のことだった。
「欲しいものとかあらへんの?」
 ギンの問いに、絢女は小首を傾げてちょっと考えていたが、
「欲しいものは別にないの」
と答えた。この返答はギンには予測がついていた。しかし、
「ただ…」
と彼女は続けた。
「行ってみたいところならあるわ。もし、ギンも非番が取れるなら連れて行ってほしいな」
と、彼女は望んだ。
「うん。今から調整すれば非番は取れるで。ええよ。どこ?」
「現世にね、お鮨が廻りながら出てくるお店がいっぱいあるって聞いたの。そこに行ってみたいの」
 彼女の言葉に、ギンはがくっと力が抜けた。もう少し、ロマンチックな場所を期待していただけに、
(回転鮨かい?)
と思わず、突っ込みのひとつも入れたくなる。しかし、絢女は好奇心で眸をきらきらさせて、
「現世ってすごいのね。廻りながら出てくるお鮨ってどんなかしら? ギンは行ったことある?」
とあくまでも無邪気なのだ。
「何回か行ったことあるなァ」
「ほんと? どうだった?」
 尋ねる表情に擬音をつけるなら、わくわく、だ。
「楕円形のカウンターがあってな。そのカウンターの内っ側にベルト・コンベアがあってな」
 ギンの説明に、ふんふんと感心した様子で絢女は聞き入っている。
「そのベルト・コンベアの上に鮨の皿が載って出てくるんや。客は好きなネタの鮨が目の前に廻ってきたら、その皿を取って食べるん」
「面白そうね。ギン、お願い、連れて行って」
 絢女にきらきらお目々でお願いされてしまっては、ギンに否は有り得ない。
 現在ならば、現世にいくらでもある回転鮨の店舗であるが、絢女が行方知れずになった四十六年前には存在していなかった。彼女の常識からすると考えられない形態の飲食店に関心を持ったのも理解できないではない。
(もともと、姫さんは好奇心旺盛やったもんなぁ…)
 弟を守らなければ、安心して生きてゆけるようにしなければ、とその一念に凝り固まって禁欲的な生活を己に課していたけれど、本来の絢女は好奇心が強く、珍しいものや新奇なものに興味を惹かれる傾向があった。
 絢女の誕生日に非番を取ることについては、何も支障がなかった。三番隊の誇る優秀にして気配り上手の副隊長が、先回りしてその日が非番になるようにギンのスケジュールを組み立てていたからだ。問題は、どこに行くかであった。
 単に彼女を回転鮨に連れて行くだけなら、悩む必要はなかった。よっぽどの田舎でない限り、現世では廻る鮨の店はいくらでも見付かるからだ。管轄地の適当な都市に降りれば事足りる。だが、ギンとしては、せっかく楽しみにしている彼女を案内するのだから、とっておきの店に連れて行ってやりたかった。
 基本的に回転鮨というのは大衆向け、家族向けの店で、一皿の単価は安い。競争が激しいだけにどこも企業努力をしており、価格を考慮に入れるとそれなりに満足のいく味にはなっているが、そういった考慮を抜きにすれば、ご大層な味ではないのだ。だが、回転鮨がこれだけ普及すると、今度は目新しさを狙った店が出始める。回転鮨にしてはかなり高めの値段設定で大人の為の高級路線をアピールする店や、マグロの解体ショーなどで客寄せする店もあるということを、ギンは知識として知っていた。
 高給取りのギンは回転鮨程度では予算を考慮する必要がない。絢女を喜ばせたいギンは自隊のみならず、他隊にまで触れを出して、回転鮨店の情報を募った。格別に味が良いと評判の店や特別な趣向のある店など価格は不問として、お薦めの店があったら知らせて欲しいと。見事、デート先に採用された店を紹介した隊員には金一封が出されるという報せに、ギンの下には陸続と情報が寄せられた。その中から、吟味に吟味を重ねた結果、行き先として採用されたのは瀬戸内の地方都市だった。
 観光魚市場の近くにあり、市場直送の活きのよいネタが評判で、廻る鮨屋としてはかなり満足のゆく味だというのは高ポイントであったが、決め手になったのは、その店の最寄り駅からJRで三駅ほどの場所に大規模なバラ園があり、丁度、絢女の誕生日の頃は園の薔薇が一番の見頃を迎えるという付帯情報だった。珍しい品種の薔薇もたくさん栽培されているということで、花好きの絢女は間違いなく喜ぶだろうと思われた。

 そして、五月十一日。絢女の誕生日を迎えた。
 この日は、彼女が四十五年ぶりに瀞霊廷に帰還してから初めての誕生日である。それだけに、冬獅郎や乱菊、桃も張り切っていて、祝う心積もり満々でいた。冬獅郎は瀞霊廷でも五本指の高級料亭「志ののめ庵」に夕食の予約を入れていたし、乱菊と桃も祝いの趣向を凝らしている様子だった。従って、夕食に間に合うよう、定時の勤務終了時間までに戻るということで、ギンと絢女は朝から現世に降り立った。
 ギンの計画では、まず午前中のうちにバラ園を訪れ、昼食に主目的の回転鮨。それから、駅前のデパートに連れて行って、何か絢女の気に入りそうなものをプレゼントする目論見だ。
 絢女が喜びそうということで選んだバラ園だったが、ギンの予想は良い方向に裏切られた。案内された場所がバラ園だと気付いた時、絢女は彼の予測よりもはるかにはしゃいだのだ。入口に掲げられた「ローズ・ガーデン」の看板と、バス停から入場門までの間に並んでいるプランターの薔薇に、彼女は琥珀の眸を輝かせた。「嬉しい」と彼女は言葉でもギンに伝えたが、そんな言葉がなくても、頬に浮かんだ笑みと弾むような足取りだけで彼女の高揚した気持ちが伝ってきて、ギンは心の中でガッツ・ポーズを決めた。その瞬間、回転鮨店情報にバラ園の情報を付加して寄越した隊員(ちなみに八番隊の平隊士である)に対する金一封の増額が決定したのはいうまでもない。
 入園料を支払い、中に入ると、まず真正面にある大きな花時計に絢女は目を奪われた。芝桜、サルビア、パンジー、ビオラ、ミニ・チューリップなどで円形の花の絨毯を敷き詰めた上で、巨大な長針と短針が時刻を刻んでいる。
「すみませーん」
 絢女の傍に佇むギンに、女の子の三人グループが寄って来た。
「写真、撮って貰えませんか?」
「ええよ」
とギンはデジカメを受け取ると慣れた様子でシャッターを切った。
「これでええ?」
「あ、いい感じ~」
「ありがとうございます」
 少女たちが奥に向かって歩み去ってから、ギンは、
「絢女も写真、撮らへん?」
と誘った。
「え?」
「技術開発局に頼んで、現世のデジカメを調達したんや。絢女の写真も、花の写真もいっぱい撮ってあげられんで」
 ギンはジャケットの内ポケットから、小さなカメラを取り出した。
「これが、現世のカメラなの? ずいぶん小さいのね」
「さっきの娘ォらのも同じくらいと違う? ちっこいけど高性能なんやで。フィルム・カメラと違うて、SDカード言う小さいチップに電気処理した画像の情報を蓄えるから、その場で撮った写真を確認できるし、気に入らんかったら消すんも自由自在や。三百枚くらいは撮れるって聞いたで」
 絢女を花時計の前に立たせ、ギンは写真を撮った。モニターに画像を映して見せると、
「本当。すぐに見られるのね」
と絢女は目を丸くした。
 バラ園はいくつかのエリアに分かれていた。花時計のすぐ奥は噴水を中心に階段状に薔薇が植えられていて、ここはモダンローズのエリアである。現在、現世の花屋で普通にバラとして販売されているものはほとんどがこの系統で、四季咲きで花芯を花弁が包み込むように咲くのが特徴である。
 典型的な薔薇色のドルチェ・ビータやコンフィダンス。フランスの美人女優の名を冠した、ややオレンジがかった薔薇色のカトリーヌ・ドヌーヴ。白に濃紅色のぼかしが美しいダブル・デライトや、黄に薄紅の絞りの入った黄八丈など様々な名称の色とりどりの薔薇が咲き乱れているさまは壮観であった。各国の王室縁のバラを集めた花壇もあり、赤に近い濃いオレンジ色の中輪の薔薇は、現皇后が皇太子妃だった頃に捧げられたプリンセス・ミチコだ。他にも、現皇太子妃に因んだハイネス雅、フランスのミッテラン大統領(当時)が紀宮清子内親王に捧げたプリンセス・サヤコ、あでやかなピンクのプリンセス・アイコなど日本の皇族に因んだ薔薇も多数植えられて、美しく咲き匂っていた。
 モダンローズの中でもことに絢女が気に入って見蕩れていたのが、ジュリアという品種の薔薇だった。濃いめに淹れたミルクディーの色と表現するのが一番相応しいだろうか。かすかに薄紅がかかったような淡い茶色の珍しい花色をしている。
「こんな色の薔薇、初めて見たわ」
と目を瞠る絢女の為に、ギンは一番綺麗な形の花を選んでアップで写真に納めた。それから、彼女をその傍らに立たせて一枚撮った。
「撮り方を教えて。ギンの写真も取ってあげる」
「ボクのはええよ」
「私が欲しいの。いいでしょ?」
と彼女はカメラを奪い取り、写真の撮り方を聞き出すと、ギンを大輪の白薔薇の傍に立たせて写真を撮った。ゆきさんという名の純白の薔薇だ。薔薇に付けられた解説によるとパリで活躍していた日本人モデルの名に因んでつけられたらしい。おそらく「ゆき」あるいは「ゆきこ」という名のモデルだったのだろう。
 モダンローズのエリアを過ぎると、つる薔薇のエリアだった。薔薇を這わせたトンネルやアーチが並んでいる。日本の原種である大和薔薇や、中国が原産の木香薔薇など絢女にもなじみのある薔薇もここにあった。
 絢女が望んだので、通りすがりの写真愛好家らしい初老の男性に頼んで、二人で並んで写真を撮ってもらった。茎や葉を覆い隠すほどにびっしりと花を咲かせたラベンダー・ドリームという名のつる薔薇を背景にした写真を、
「これでいいかな?」
と男性に見せられて、
「はい。ありがとうございます」
と絢女は満面の笑みで答えた。絢女ほどの美貌の女性に笑顔を向けられ、男性はどぎまぎした様子だ。
 イングリッシュ・ガーデンとフレンチ・ガーデンの区域もあった。西洋の歴史映画などで目にしたこともある幾何学模様で構成された人工的なフレンチ・ガーデンに対して、イングリッシュ・ガーデンはイギリスから移築してきた古い田舎屋を中心に自然に調和するように造られていた。ふたつを見終えた後、ギンがどちらが好みかと尋ねると、絢女は即座に、
「イングリッシュ・ガーデンの方」
と答えた。
 更に奥は、オールドローズやイングリッシュローズのエリアだった。オールドローズとはモダンローズが育成される以前から栽培されていたより原種に近い薔薇で、多くは初夏に咲く一季咲きである。花の形も、薄い花びらが幾重にもひだのように重なるロゼット咲きや、コーヒーカップのように丸く花開くカップ咲きと呼ばれる品種が多いようである。
「いかにも薔薇って感じのモダンローズも素敵だったけど、ここのオールドローズも優しい感じできれいね」
「それに、香りが強い品種が多い気がするのん、気のせいかな?」
「そうね。すごくいい香り」
 一方、イングリッシュローズというのはオールドローズのやわらかで素朴な佇まいとモダンローズの特徴である四季咲きを併せ持った新系統で、イギリスの薔薇育成家であるディビット・オースチン氏が1970年代に最初に世に送り出した。オースチン氏が香りを重視した商品戦略で改良を行ったということで、強い芳香を持つ品種が多く、立っているだけで移り香がしそうだ。
 青い薔薇ばかりを集めた一画もあった。青い薔薇は青いチューリップと並んで園芸家の見果てぬ夢とされるものである。青いといっても、実際には目の覚めるような青ではない。例えば、勿忘草とか、矢車菊のような誰が見ても「青」と呼ぶような花色の薔薇は未だ生み出せてはいないのだ。バイオ・テクノロジーを駆使して某洋酒メーカー系列の園芸会社が開発した青い薔薇も、写真などで紹介されたのを見る限り、青というよりも青みの強い藤紫に見える。このバラ園で育成されている「青い薔薇」も薔薇としては確かに青みが強いものの、実際には藤紫色の系統である。中には、これを青い薔薇というのは無理がある、と首を傾げたくなるような赤味の強い紫の花もある。そんな中で、二人が感心したのは、かなり青みが強く、藤紫というよりも青灰色と呼べるような色合いのブルー・ヘブン、相当に青みの強い薄紫の青龍とターンブルーという品種の薔薇であった。
「人間ってすごいわね。こんな色の薔薇まで作ってしまうのね」
「バイオ・テクノロジーとか使わんで、自然交配だけでここまで青うした根性は見上げたもんや」
「ブルー・ヘブンって、何だかギンの髪の色に似ているみたい。すごくきれい…」
と絢女は一際青みの強い灰紫の薔薇にいとおしげに触れた。
 出口の近くには土産物を扱っている売店があり、薔薇製品が山になっていた。絢女は乱菊や桃への土産に、薔薇のジャムや薔薇の香りのボディ・ソープなどを買い込んでいる。自分用にもボディ・ソープや入浴剤を購入していたので、ギンは、
「ボクと一緒の時は、それ、使わんでな」
と釘を刺した。
「薔薇の香りって嫌いだった?」
「いいや。好きやで。けど、絢女がそれ使うんはいやや」
「どうして?」
 きょとんと無邪気に尋ねる絢女の耳許に口を寄せ、ギンは小声で囁いた。
「自分で気ィ付いてへんの? 絢女なぁ、そんなもん使わへんでも梔子の花に似たええ匂いがするんや」
「え?」
 赤面した絢女に、更に、
「薔薇はええ匂いや思うけど、それでせっかくの絢女の匂いが消されてしまうんはかなわん。それは一人の時に楽しんでや」
と追い討ちをかける。真っ赤になったまま、辛うじて絢女は頷いた。
 売店の脇のテントでは、薔薇の苗が売られていた。絢女が気に入っていたジュリアの苗もあった。
「誕生日プレゼントに買うてやろうか?」
 ギンの言葉に、
「でも、荷物になってしまうし」
と絢女は躊躇った。
「駅にコイン・ロッカーがあったから、帰りまでそこに預けておけばええよ。現世でないと、こういう珍しい苗は手に入らへんで。欲しいのんがあったら、なんぼでも買うてやるから」
 ギンの言葉に後押しされて、絢女はジュリアと、その他にイングリッシュローズの苗を二株選んだ。ひとつはゴールデン・セレブレーションという山吹色に近い黄色の花だ。中世ヨーロッパの貴婦人のドレスを思わせるような幾重にも重なった花弁が美しい深めのカップ咲きで、生長力が強くつる仕立てで楽しむことが出来るのだそうだ。もう一株はウィリアム・シェークスピア2000という品種である。2000という年代がわざわざ付けてあるのはウィリアム・シェークスピアという品種が別にあるからで、病気に弱いという欠点があった初代を改良して西暦二千年に世に出た品種らしい。色は咲き始めはクリムゾンと呼ばれる紫がかった濃くて明るい赤色で日が経つにつれ、深い赤紫に変化する。また、花の形もそれに伴いカップ咲きからクオーターロゼット咲きに変化を遂げる。存在感のある薔薇で、イングリッシュローズのエリアでも一際目を惹いた薔薇だった。
 花木が好きな絢女は思いがけず珍しい薔薇の花苗が手に入ったことがよほど嬉しいらしく、ギンに何度も「ありがとう」を繰り返した。それらは薔薇の苗木としては多少高価だったかもしれないが、ギンにとっては宝飾品などよりもずっと安価な買い物である。けれども、高価な品を贈るよりもはるかに彼女が満足しているのを悟り、ギンの心も温まった。

 駅のコイン・ロッカーに苗と乱菊たちへの土産を預け、ギンは絢女を回転鮨の店に伴った。やや遅い昼食時だったせいか、店内は込み合っていて、少しだけ待たされた。入口に設置してある順番待ちのリストに「イチマル・二名」と記入し、待つこと十五分弱。アルバイトとおぼしき大学生くらいの店員の案内で、二人はカウンターに腰を落ち着けた。
 店に一歩入った瞬間から、絢女の目は鮨を乗せて流れてゆくベルト・コンベアに釘付けだった。
「絢女、汁は貝汁とあおさの味噌汁とあるそうやけど、どっちがええ?」
「えっと、貝汁」
「うん。ほな、貝汁をふたぁつな」
とギンは注文すると、目の前に重ねてあるプラスチックの湯飲みを二つ取った。絢女が見守る中、容器に入った粉末をその中に掬い入れると、カウンターの低い壁に設置されている器具に湯飲みを押し付けた。すると、上部の蛇口から熱い湯が注ぎ出す。
「はい」
とギンに渡されたものを覗き込むと、茶の香りがした。
「これ…、お茶?」
 こわごわと絢女は尋ねる。
「うん。粉茶や。お茶を挽いて粉にしてお湯を注ぐインスタント日本茶やな」
「お薄とは違うの?」
「そんな上物と違うで」
 確かに渋みが強く甘さが乏しいが、まぎれもなく緑茶であった。
「青い網目模様と赤い網目の皿は同じ値段や。赤い方がさび抜き」
「ええ」
「ほんで、染付け風の絵皿がもう少し高くて上等のネタ。錦絵風の柄の絵皿が一番高いネタ。食べ終わったら、あんなふうに、」
とギンは隣を目で指して、
「皿を重ねて置いていくんや。違う柄の皿は別に重ねるんやで」
と説明した。
 少し離れた席で、
「おあいそ、おねがいします」
と家族連れが店員に声をかけた。
 近寄った店員が皿の枚数を数えて伝票に書き入れるのを認めて、絢女はなるほど、と得心した。
「お皿の数でお勘定するのね」
「そういうことや。後な、食べたいネタが廻って来ィへんかったら、注文も出来るからな」
「はい」
 ギンは廻ってきた烏賊の皿を取って、目の前に置いた。彼に倣って、絢女もサーモンの皿を取った。
「どない?」
「想像していたより、ずっとおいしい。乱菊や桃ちゃんから、廻るお鮨のお店は大衆向けだから、お鮨屋さんのお鮨とは別のものだと思った方がいいって言われていたの。でも、確かにお鮨屋さんの本格的なお鮨とは違うけど、これはこれでおいしいわ」
「お鮨屋さんにはこんな鮨はないもんなァ」
と、ギンがひょいと取り上げたのはカリフォルニア巻とも呼ばれるアボカドと海老の軍艦巻である。ギンに勧められて箸を付けた絢女は、
「これ、おいしい」
といたく気に入った様子だった。
「マヨネーズで和えてあるのね。海老は分かるけど、この薄緑のは何?」
「アボカド。甘味はほとんどないけど、一応、果物やで。メキシコあたりが原産やなかったかな? 栄養分豊富で、『森のバター』って別名もあるんや。バターみたいにねっとりした食感やしな」
 絢女は頷いた。
「ギン、お鮨じゃないのも廻ってきたわ」
「げその天麩羅やな。食べてみる?」
「ええ」
 事前情報には誤りはなかったようで、ネタは鮮度がよく、期待以上の味だった。
 隊長格というのは高い霊力の維持にエネルギーが必要なのか、ほとんどの者が見た目以上によく食べる。例外はギンの副官のイヅルくらいだが、隊長格としては小食の彼も一般的な基準ではたいして小食というわけではない。絢女もギンも細身なので余所見には食が細いと見えるらしいが、なかなかどうして、がっつり食べるのだ。思った以上においしかったのに気をよくして、ギンはどんどん皿をやっつけるし、絢女は絢女で回転鮨ならではの豚トロやソーセージの握り、コーンや鮪たたきの軍艦巻の類に面白がって次々に挑戦するしで、二人の廻りにはかなりの量の皿が積み上がっていた。汁ものも最初に注文した貝汁の後、あおさの味噌汁を追加注文し、茶碗蒸しも頼んだ。
 そろそろ満腹したらしい絢女が甘味の皿を眺めているのに気付き、
「デザートはちゃんとした喫茶店の方がええで」
とギンは囁いた。絢女が頷いて、
「おご馳走様でした」
と行儀よく食後の挨拶を述べる。
「おご馳走さま」
 ギンも唱和し、店員を手招いて勘定を依頼した。
 店を出て、
「念願の廻るお鮨の店はどないやった?」
とギンが尋ねると、
「とっても楽しかった」
と笑顔が返って来た。
「変わったネタのお鮨もいっぱいあって、面白かったわ。おいしかったし…」
「うん。絢女が気に入ったんなら、また行く?」
「連れて行ってくれるの?」
 ぱっと、絢女の顔が輝いた。
「ええよ。回転鮨くらい、いつでもええ」
「ありがとう」
 絢女は嬉しそうに笑み零した。

 駅前のデパートに移動し、まず、喫茶店でお茶をした。本格的な紅茶専門店が入店しており、二人はケーキと紅茶を自由に選べるセットを注文した。絢女はさくらんぼのフレーバー・ティーとフルーツ・タルト、ギンはアッサムのミルクティーとクラシック・ショコラの組み合せである。
 ケーキも紅茶も充分においしく、二人は満足して店を出た。
 地方都市とはいえ、そこそこの人口を抱える県庁所在地である。東京や大阪などの大都市のデパートに比べると見劣りはするものの、ギンが考えていた以上にデパートは広く、商品もそれなりに充実していた。デパートの中をぐるりと一巡りし、ギンは絢女に口紅とアイシャドウを買ってやった。苗をプレゼントしてもらったし、回転鮨も奢ってもらったのだからもういいと絢女はしきりに主張していたが、ギンがどうしても購入したかったのだ。
 二人して一階の化粧品売り場を覗いている時に、店頭に飾られた新色の口紅に、
「姫さんに似合いそうな色やなぁ」
とギンが目を留めたのがきっかけだった。
 すすす、と忍びのようにさりげなく寄って来た美容部員が、
「この春の新色でとても人気がある色なんです。一度、完売してしまったのですが、つい先日、ようやく再入荷いたしました」
と声をかけてきた。
「是非、試してみて下さい。きっと、お似合いですよ」
 プロの販売員である彼女は、客を差別しないように心がけている。だが、決して面には出さないが、メイクのしがいのない女性と、商売っ気を抜きにしてもメイクをしてみたいと感じる女性は確かに存在する。絢女は完全に後者である。白い透き通るようなきめ細かな肌といい、ぱっちりとした大きな眸といい、化粧なしでも充分に美しいが完璧にメイクを施したらどれほどになるだろうと、美容部員魂が燃えたのだ。
「絢女、化粧してもろたら?」
「え、でも」
「ええやん。プロの美容師さんに化粧してもろた顔、ボクも見てみたいし。それにプロの技は参考になる思うで」
 ギンは絢女の返事も聞かずに美容部員に向き直ると、
「彼女なぁ、最近、やっと化粧を始めたばっかりなんや。キミに任せるから、似合いそうな化粧を試させてくれへん?」
と告げる。言外に気に入ったら買ってもいいという意思を感じ取り、美容部員はさらに張り切った。
 何が何だか戸惑っているうちに、絢女は手練れの美容部員とギンの二人がかりでブースの奥に連れ込まれてしまった。
 美容部員は一旦、絢女が自分で施していた化粧をきれいに落としてしまった。といっても、絢女のそれは淡い色の紅を差し、わずかに頬紅を載せたくらいのごくシンプルなものであったが。
 化粧水、乳液、美容液で肌を整えた美容部員は、絢女にはファンデーションは必要ないことを悟った。滑らかな肌には染みひとつなく、ファンデーションを塗ったりしたら、却って透明感が損なわれると判断したのだ。UVミルクと下地クリームを伸ばした後、微粒子が自慢のフェイス・パウダーだけを丁寧にはたく。それから、この春の限定品として売り出されたアイカラーのパレットを手に取った。
 パールベージュのベースカラーを瞼全体に薄く伸ばし、下睫毛の際にもベースカラーをいれてハイライトとする。目頭から目尻にかけてふんわりとラベンダー色をぼかし、二重瞼の二重の部分にあやめ色のコントラスト・カラーを馴染ませる。さらにアイライナーでラインを描くと、目元がくっきりとして大きな眸がさらにぱっちりと印象的になった。頬には桜色のチークをふわっとぼかし、先ほど、ギンが目に留めた口紅を丁寧に唇に乗せた。
「『クラシック・ローズ』という色名です。ローズに日本人の肌に合うようにちょっとだけベージュを加えた色目で、肌馴染がすごくいいんです」
と言いながらベージュピンクのリップ・ペンシルで輪郭を取る。最後にパールの微粒子入りのグロスを重ねると、
「如何です?」
 絢女とギンを等分に見ながら、美容部員は尋ねた。
「ええな。さすがにプロや。絢女、別嬪二割増しやで」
「ありがとう…」
 戸惑いながらも絢女は賞賛に対する礼を述べる。いつもの絢女の化粧よりは濃いが、決して厚化粧ではない。シャドウの色目が紫系なのでナチュラル・メイクとは言えないが、それに近いテクニックで仕上げてある。ギンの言う通り、確かにプロフェッショナルな技術である。
「そういえば、絢女はいっつもそういう淡い色の紅ばっかりやなぁ。たまには濃い色に挑戦してもええんとちゃう」
「でも、濃い色って難しいわ。下手な色だと下品になりそうだし」
 絢女の言葉に、待ってましたとばかりに美容部員は、
「お客様のように色白の方ですと、明るくて濃い色だと確かに却って浮いてしまうかもしれませんね。濃い色なら、深みのある色味がお勧めです」
とずらりと並んだリップ・スティックから素早く一本を選び出した。
「『ダークチェリー』というルージュです。発色が良くて、落ちにくいと人気のあるシリーズのものです」
 先ほど、塗ったばかりのローズ色を落とし、ダークチェリーという紅を唇に載せる。口紅の形状での色は正しくダークチェリーのようなどす黒い赤紫に見えたが、実際に唇に乗せてみるとずっと明るく、それでいて深みのある上品なワインレッドだった。
「とてもお似合いです」
 商売抜きで美容部員は賞賛した。ギンも頷くと、
「気に入ったわ。その口紅とさっきのと。それから、アイシャドウも買わせて貰うわ」
と宣言した。
 こんなに時間をかけてメイクをしてもらったことだし、絢女自身もけっこう気に入っていたので購入自体に異論はなかった。だが、ギンに買って貰うのは申し訳なくて、絢女は反論した。しかし、
「ええやん。誕生日なんやし」
とギンは強引に支払ってしまった。

 駅に戻り、コイン・ロッカーから預けていた苗や土産の入った紙袋を取り出すと、絢女とギンは人気のない裏通りに移動し、穿界門を開錠した。
「ギン、今日はありがとう。すごく楽しかった」
「うん、ボクも楽しかったで」
「また、二人で出かけたいな」
「ええよ。回転鮨くらい、いつでも連れてくで」
 絢女は緩く首を振った。
「お鮨のお店は口実なの」
「うん?」
 見返すギンに絢女は続けた。
「廻るお鮨屋さんに興味があったのも、行ってみたかったのも本当よ。でも、ギンとじゃなくたって、乱菊でも、七緒さんでも、非番が合う日なら連れて行って貰えたわ」
「…」
「桃ちゃんが誕生日まで仕事することないからって、非番にしてくれて…。それなら、一人でいるよりもあなたと過ごしたかったの。現世なら、誰の目も気にせずに二人っきりで過ごせるでしょ? だから、お鮨屋さんに行きたいって…」
 ギンは無言で絢女の手を取った。祈りを捧げる時に自分自身の両手でするように、指と指を絡み合せるようにして、絢女と手を繋ぐ。彼女の頬が僅かに上気した。
「…ギンと一緒に歩けて嬉しかった。二人で写真も撮れたし、ギンが一生懸命、私が喜びそうなところを考えて案内してくれるのも、全部、嬉しかった」
「絢女が行きたい言うなら、現世でも、流魂街でも、地の果てでも連れてく」
 ギンは答えた。
「姫さんの誕生日のお祝いするつもりやってけどなァ。なんや、ボクの方がお祝いして貰た気分や」
 彼は絢女と繋いだのと反対側の手にぶら下げていた荷物の袋を地に下ろした。そのまま、腕を伸ばして彼女を抱き寄せると、そっと唇を重ね合わせた。素直にその口接けを受けた絢女は、唇が離れると、顔をギンの胸に埋めるように身体を押し付けた。
「大好き」
 呟いた彼女を、ふわっと彼は抱きしめた。

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2011.05.03