Flower,Flower,Flower


 視線が痛い。
 雨竜はすれ違う男性という男性から、痛いほどの視線の集中砲火を浴びていた。背中にも突き刺さるものを感じるから、振り返って見ている者も相当数に上るのだろう。視線の90%は羨望で、そこにやっかみ、ねたみ、そねみ、不審などが入り混じって、なかなか壮絶なことになっている。
 無理もないと思う。雨竜自身、もし、自分がもう一人いて、今の自分を見たならば、同じように羨望を向けてしまうことだろう。両手に花という言い回しがあるが、現在の雨竜は両手どころか前後左右を花に囲まれ、言わば、花に埋もれた状態だ。それも、並みの花ではない。絶世の美女と呼んでもさほど大袈裟と感じない、スーパーエクセレント&プレミアム・ハイクオリティ美人二名を含む美女軍団から構成される花束である。
 すれ違う人々(男に限らず女性も、である)がまず視線を釘付けるのは、雨竜の右側を颯爽と歩く金髪美人である。晩秋のことなので、流石に胸ははだけていないが、薄手のセーター越しにもはっきりと分かる特盛りの胸のはち切れんばかりの量感。対照的に細いたおやかな腰と引き締まったヒップのスタイルの良さは細身のジーンズを無理なく履きこなしていることからも明らかだ。ぽってりと肉厚の官能的な唇は色気を二割増しに魅せる艶ぼくろで飾られ、蒼い瞳は冬の晴れ空を吸い込んでしまったかのようだ。
 しかも、そのセクシーにしてゴージャスな美女の斜め後ろには、喩えるならば、朝露に濡れた白牡丹といった風情のしとやか美人が控えているのだ。栗色の髪は艶やかで、透けるように色白の顔立ちは正に白雪姫を髣髴とさせる気品が漂っている。たたずまいはあくまでも清楚だが、その中に匂い立つような色香が漂っていた。方向性は真逆であるが、セクシー美女と甲乙つけがたい美貌であることは、衆目の一致するところだ。
 大人の色香を滲ませた美女たちと対照的に、雨竜の前を並んで歩くのは十代の溌溂とした美少女たちだ。
 車道側を歩む少女は栗色の髪をしており、ふんわりと優しい雰囲気を醸していた。顔立ちは整っているが、美しいというよりも可愛いという形容詞が相応しいあどけなさを色濃く残しており、綿菓子のような雰囲気と相まって男の保護欲をそそる。にもかかわらず、セクシー美女と比べるとやや小ぶりであるものの、単体で評価すれば充分すぎるほどに発達した胸は挑発的で、そのアンバランスさが奇妙な魅力を引き出していた。
 その少女と手をつなぐもう一人は、一際小柄である。栗色の髪の少女はその年齢の女性としては平均的な背丈であるのだが、並んでいる相手が10cm以上も低いので、この二人だけを見ると栗色の髪の少女が大柄にみえてしまうほどだ。烏の濡れ羽色の髪はやや短めで、大きな瞳は仔犬のような愛くるしさとともに並外れて強い光を宿していた。
 まるでタイプの違う、四人もの美女・美少女に囲まれた雨竜に、男たちの羨望と嫉妬の視線が注がれるのは、全くもって致し方ないことだろう。だが、残念なことに、これらの花たちは誰一人として雨竜のものではない、という事実が注がれる羨望の眼差しを不当なものにしていた。

 ことの発端は、昨年のクリスマスである。
 昨年の春休みの間に、何がどうなったのか、一護と織姫はめでたくも両想いになった。
 そして、迎えたクリスマス。
 中学生の頃から一護に片想いをしていた織姫は、ようやく両想いになった初めてのクリスマスにベタに彼女らしいことをしたかったのだろう。一護に手編みのマフラーをプレゼントした。
 もちろん、一護は喜んだ。喜んで、冬の間ずっとそのマフラーを使い倒した。それは初々しい高校生カップルに相応しい微笑ましいエピソードであるのだが、現世に所用で下りたついでに遊びに来た恋次にも、一護がマフラーを自慢してしまったのだ。一護に言わせれば、
「自慢なんかしてねぇ。恋次からマフラーのことを聞かれたから、井上から貰ったって答えただけだ」
ということなのだが、とにかく、恋次は「彼女からプレゼントされた手編みのマフラー」がもの凄く羨ましかったらしい。
 瀞霊廷に戻った後、イヅルや修兵を相手に盛大に「俺も欲しい」と愚痴ったのだ。もっとも、ルキアが編み物とか縫い物とかに余り向いてはいないことを知っている恋次は、彼女に面と向かって言いはしなかった。だが、修兵やイヅルから乱菊に話が流れ、最終的にルキアにも届いてしまった。
 で、負けず嫌いなところのあるルキアが、
「そんなに欲しいのなら、今度のクリスマスにはくれてやる!」
と啖呵を切った。
 その啖呵に、
「彼女からの手編みのマフラーって、男の憧れでしょう?」
という恋次の慨嘆と、修兵たちの深い同意を目の当たりにした乱菊と絢女が乗ったのである。
 尸魂界にも編み物は一応存在している。だが、現世ほどには普及していないし、毛糸の品ぞろえも乏しかった。そこで、ルキアが織姫に泣きつき、指導を仰ぐことになった。乱菊や絢女にまで教えて欲しいと懇願された織姫は、手芸部の部長である雨竜に協力を依頼した。
 こうして、日程調整して揃って非番を取った本日、三人は現世に降りてきて、まずは毛糸の調達と、織姫と雨竜の案内で手芸店に向かっているというわけだ。
 高給取り(らしい)隊長格の絢女と乱菊、四大貴族の一、朽木家の令嬢であるルキアは少々値が張っても構わないから、上質で洒落た毛糸が欲しいとのたまった。そこで、雨竜たちは行きつけのヒマワリソーイングではなく、隣の市の繁華街にある手芸専門店にまで足を延ばすことにした。パリを本店とするクラフトワークの専門店で、そこなら、毛糸にしても、布やビーズにしても、ファッションの本場・パリのエスプリに満ちた高級素材が揃っているからだ。
「井上は今年はどうするのだ?」
 ルキアに尋ねられた織姫は初々しく頬を染めた。
「セーターを編もうかなって」
「すごいな、セーターか」
 去年よりグレードアップした織姫に、ルキアは感心しきりである。同時に、瀞霊廷は洋装が一般的でないこともあるし、セーターならば、よもや恋次も欲しがるまいと心の中で安堵の溜息をついていた。
「石田は彼女は出来たのか?」
 突然、振り返ったルキアから話を振られ雨竜は絶句した。
「え、いや…、その…」
 しどろもどろになった雨竜に、ルキアの目がキランと光った。
「出来たのだな。誰だ? 私が知っている者か」
「あ、えっと…」
 足まで止めてしまった彼に、興味津々とルキアが迫った。
「知っている者なのだな。誰だ?」
「いや、朽木さん…、あの…」
「たつきちゃんだよ」
 口籠もる雨竜を飛び越えて、織姫が教えた。
「石田くんはたつきちゃんとお付き合いをしているのです」
「…有沢さん?」
 意表をついたらしく、ルキアは目を丸めて黙り込んだ。
「…織姫の親友の、空手が得意な娘だよね」
と乱菊が記憶を手繰った。
「確か、一護の幼馴染じゃなかったっけ?」
 織姫本人は全く悟っておらず、恋愛関係に敏いといえないルキアも気付いていないことだったが、乱菊だけは雨竜が織姫に惹かれていることに感づいていた。さらに、一護しか見ていない織姫に、雨竜が最初から諦めていることも察していた。硬派を気取る一護は自分の気持ちにも鈍くて、少なくとも二年前の叛乱の真っ最中には自覚していなかったはずだ。しかし、乱菊の目にはじわじわと織姫に惹かれてゆく彼が見て取れていたのだ。織姫に好意を持つ乱菊は、一護と織姫が両想いになればいいと密かに応援していたが、雨竜のことを想うと胸が痛んだ。だから、織姫に失恋した雨竜が別の恋を見付けたと聞いて、ひどく嬉しくなってしまった。
「そっかぁ。結構、可愛い娘だったわよね。石田はお人好しだしね~、あれくらい、ちゃきちゃきしたしっかり者の女の子の方が合うのかな?」
 うっ、と真っ赤になって照れている雨竜を、ルキアも絢女も微笑ましく見守った。
 実際、雨竜も半年ほど前までは、自分がたつきと付き合うことになるとは少しも想像していなかった。彼は織姫に好意を寄せていたからだ。けれど、乱菊が看破していた通り、初手から叶わぬものと諦めていた。だからこそ、春休みが明けて二年に進級した時に、一護から織姫と付き合うことになったと聞かされた時、彼を祝福してやることが出来た。羨ましさや妬ましさが少しもなかったと言ってしまえば嘘になる。だが、それでも、仲間の恋を祝福出来る自分が誇らしかった。一護の傍らで幸せそうに微笑む織姫を見る度に心の奥がつきりと痛んだけれど、時間が少しずつ軋む心を穏やかにしていった。そうやって、いつしか、一護と織姫を見ても胸が痛まなくなった頃、何故だか、有沢たつきが彼の視界に入ってくるようになったのだ。
 最初は、何故、たつきが自分の周りに現れるのか全く訳が分からなかった。二年、三年とクラスが別れたので、学校で顔を合わせる機会自体が減ったはずなのに、どういうわけか、たつきが目に付いた。何故、どうして、と悩み、真面目な彼らしく、律儀に突き詰めて考えて気付いた。たつきが雨竜の前に現れているのではなく、雨竜の目が無意識でたつきをクローズアップしてしまっていることに。
 何がきっかけ、と問われても困る。どこに惹かれた、と尋ねられても明確には答えられない。けれども、雨竜はいつの間にか、たつきに好意を感じていたのだ。
 付き合うことになった経緯はありがちなシチュエーションである。夕方から急に降り出した雨に、傘がなくて困っていたたつきに雨竜が置き傘を貸したのだ。雨竜自身は天気予報で雨を知っていて傘を持って来ていた。流れでバス停まで一緒に歩いていた時に、一護と織姫の話題から恋愛関係全般の話になった。
「有沢さんは好きな人とかいないの?」
「うーん。よく分かんないや。どこからが友達の好きで、どこからが恋愛の好きかもよく分かんないんだ。実を言うと」
「そうか…」
「石田は? 知ってる? 石田って意外と女子の間で人気あるんだよ」
「もの好きだな」
「うーん、そうかな? だけどさ、男子に対する形容詞としてどうかと思うけど、石田って実際、きれいな顔立ちしてるし。一見、勉強だけで体育からきしのもやし秀才に見えるのに、実は運動神経も抜群じゃない。そのギャップがいいってみんな言ってるけどなぁ」
「きれいねぇ? その感覚はよく分からないな。僕からすれば、有沢さんとかの方がよっぽど可愛いと思うんだけど」
「あはは、ありがと。可愛いなんて言われたことないから、お世辞でも嬉しい」
「お世辞じゃないよ。有沢さんにお世辞言ったって仕方ないだろう?」
という会話の果てに、勢いで雨竜が告白してしまったのだ。たつきは雨竜のことは好きだが、仲間の好きと違うかどうかもよく分からないと戸惑っていた。だが、とりあえず、試しに付き合ってみないかという雨竜の提案を了承し、「お付き合い」がスタートしたのが三ヶ月前のことである。
 たつきの中で、雨竜が仲間から彼氏に昇格したかは今のところ、よく分からない。だが、少なくとも、雨竜はたつきのことがますます好きになったし、彼女も雨竜との付き合いを重荷に感じている素振りはない。
「あ、ねぇ。だったら、織姫と石田が一緒にいて誤解されたりとかは大丈夫なの?」
 乱菊の質問に、織姫は頷いた。
「平気ですよ。たつきちゃんにも事情を説明して石田くんを借りるってちゃんと断ったし、黒崎くんにも朽木さんたちが編み物を習いに来るから石田くんと教えるって伝えてあるし」
「そう」
と乱菊は答えた後、
「付き合って、もう二年でしょ? あんた、まだ一護のこと、『黒崎くん』呼びなの?」
と呆れたように尋ねた。かぁ、と今度は織姫が顔を赤らめた。
「え…、だって、恥ずかしい…」
 もじもじと照れる織姫を乱菊が揶揄からかおうとした時、
「未だに冬獅郎のことを『隊長』呼びしている乱菊が、それを言う?」
と絢女がすっぱりと突っ込みを入れた。
「う…」
 乱菊が硬直する。
「だって、もう十五年以上『隊長』って呼んでるのよ」
「冬獅郎も同じ期間、『松本』呼びしてたんでしょ?」
「そ…れは、そうだけど」
「私がとやかく言うことじゃないけどね。冬獅郎、二人っきりの時くらいは名前で呼んでほしいって、私に愚痴ってたから」
    努力します」
 乱菊が白旗を掲げ、絢女はにっこりと、
「行きましょ」
と一同を促した。

 辿り着いた手芸店は、乱菊たちを喜ばせた。
 店の入口近くにはビーズやボタンのコーナーがあって、ルキアがまずそこに引っ掛かった。ウサギの形の愛らしいボタンを見付けたのだ。乱菊もネックレスや指輪を作れるビーズのキットなどに目を奪われてしまったのを、絢女がたしなめた。
「それはまた今度にしましょう。今日は毛糸を選ばないと。遅くなったら、織姫ちゃんにも雨竜くんにも迷惑よ」
「あー、そーね。教えてもらう時間がなくなっちゃうね」
と乱菊もルキアも本来の目的を思い出し、奥の毛糸コーナーに移動した。
 ヒマワリソーイングも決して品ぞろえは悪くはないのだが、さすがにパリの老舗クラフトワーク店のフランチャイズは扱っているものが違った。見るからに上質で、色合いも小洒落た毛糸玉がこれでもかと並んでいる。三人はうきうきと品定めを始めた。
 やはり、それぞれに渡したい相手のイメージがあるのだろう。
 ルキアは、臙脂や黒っぽい毛糸を矯めつ眇めつして首を傾げている。絢女は淡い、白っぽい色合いの毛糸玉を熱心に見比べている。乱菊はというと、濃い緑系統の糸をいくつか手に取って考え込んでいる。
 やがて、乱菊は候補を二つに絞り、意見を聞こうと織姫を目で捜した。
 織姫は毛糸玉を見つめて、じっと立ち尽くしていた。乱菊が背後から覗き込むと、織姫が見ているのは濃いチョコレート色の極太の糸だった。
「一護に似合いそうな色じゃない」
 乱菊に声を掛けられ、織姫は、
「ひゃっ」
と大げさに驚いた。
「乱菊さん…」
「いい色ね。一護に似合いそうだわ」
「あたしもそう思って見ていたんですけど…」
 この店の毛糸は品物がよい分、高価だ。織姫にはとうていセーターを編めるほどの数の毛糸玉など買えはしない。それでも、諦めかねて毛糸を見つめている織姫ににっこりと笑い掛けて、
「絢女、朽木~、ちょっと来て」
と乱菊は友人たちを呼んだ。寄ってきた二人に件の毛糸を三玉ずつ手渡す。
「織姫は、授業料はこの毛糸の現物支給がいいんだって」
 乱菊の言葉に、織姫は慌てた。
「え? ちょっと乱菊さん。授業料なんていりませんよ」
 わたわたと彼女は首を振るが、絢女が、
「そういうわけにはいかないわ。貴重な一日を潰して付き合ってもらっているのですもの。織姫ちゃんにも雨竜くんにも何かお礼しないと、私たちの方が気持ち悪いの」
と笑顔を向け、ルキアも、
「そうだぞ、井上。現世では『ギブ・アンド・テイク』とかいうのだろう?」
と笑って乱菊に手渡された毛糸玉を籠に入れた。
 この毛糸でメンズ・セーターを編むとなると、平編みでもおおよそ十四、五玉くらいは必要となる。乱菊たちが合わせて九玉提供してくれるなら残りは五玉程度。織姫の予算で手が届く金額だ。乱菊はなりゆきを見守っていた雨竜にも、
「そういうわけだから、石田も授業料、何がいいか考えて。要らないなんてなしだからね」
とずいと迫り、気圧された雨竜は、こくこくと無言で頷いた。
 乱菊は織姫に自分が選んだ毛糸を見せた。
「こっちにしようか、こっちがいいか、すごく悩んでいるの。織姫、どう思う?」
 どちらも千歳緑の毛糸だが、ひとつはやや細めのふんわりとしたモヘア糸だった。もう一つは並太で糸の染めにグラデーションがつけてある。基調となる色は千歳緑だがもっと濃い黒っぽい緑からやや明るい緑まで色合いが変化しており、糸にところどころネップと呼ばれる節があった。
「乱菊さん、編み物は初めてなんですよね?」
「そうよ。だから、教えてってお願いしてるんじゃない」
「だったら、こっちの方がいいと思います」
と織姫はグラデーションのついた毛糸を指した。
「初めてだと、どうしても編み目が不揃いになってしまうんです。こんなふうに節があったり、色に変化がある毛糸の方が編み目の不揃いも目立ちにくいんですよ。それと、モヘアは嫌がる男の人もいるから…」
 彼女の意見に頷いた乱菊はモヘア糸を棚に戻して、グラデーションの毛糸の方を籠に入れた。二人の会話を耳をダンボにして聞いていたルキアも、無言で手に取っていた単色の細めの毛糸を棚に戻した。うーむ、と思案顔になっているルキアに、
「これなんか、いいんじゃないかな?」
と雨竜が示したのは、黒っぽい緋色の並太の糸だった。アンゴラ混のウール糸に極小ループの黒い毛糸を撚糸してある。
「これなら色も落ち着いているし、阿散井くんの雰囲気にも合うと思うけど」
「そうだな」
 ルキアも雨竜の選択に納得した顔で、
「これにする」
と即決した。
「決まったの?」
と絢女が寄って来た。
 彼女の籠には100%ベビーアルパカをハーブ染めした毛糸が納められていた。微妙にグレーの霜が入っているように見える浅葡萄色とうっすらとアーモンド色がかった白っぽい明るい灰色の二色が選ばれていた。
「これを縦の縞に編んだらどうかしらって思ったの」
「いいと思いますよ」
 雨竜の印象では市丸ギンという男はちょっと胡散臭そうな雰囲気があった。けれど、絢女の目にはこういう優しい色合いが似合う男に見えているのかと、少しだけ意外に感じた。それとも、好きな女に対しては胡散臭さなど微塵もなく、誠実でいるのだろうか。
「ギンはとても複雑な人なの」
 雨竜の想いを見抜いたかのように絢女は小さく微笑わらって告げた。
「嫌いな相手にはかなり冷たい…っていうよりも怖いこともあるのよ、私から見ても…。いつも、薄ら笑いで武装して本心を隠しているし、胡散臭いと周りからは思われていて、本人もそれを否定しないし」
「絢女さん」
「でも、好きだから…。こういうのって理屈じゃないわよね」
 好きは理屈じゃない、というのは雨竜にも頷ける意見だった。
「で?」
 乱菊が雨竜を見遣った。
「え?」
「え? じゃないわよ。授業料、どうすんの?」
「あ…」
 編み物を教える礼を考えておけと、ついさっき言われたばかりなのを雨竜は思い出した。先ほどの様子からしても、いらないと言って承知してはくれないだろう。
「雨竜くんはたつきちゃんにマフラーとか編んであげないの?」
 絢女が柔らかく尋ねた。
「そうですね…。でも、男から貰っても嬉しくないかも」
「たつきちゃんは雨竜くんが手芸部の部長さんなのも、編み物が上手なのも知っているんでしょ?」
「はい」
「承知で付き合っているのなら、いやとかないと思うけど? 私はたつきちゃんじゃないからたつきちゃんがどう感じるかは分からないけれど、少なくとも、私はギンが一生懸命に私の為に作ってくれたものは嬉しいわ」
 絢女のおっとりとした語り口を聞いていると、背中を押された気持ちになった。
「服を作ってみたいと思っていたんです」
 雨竜が呟いた。しっかりとその言葉を拾い上げたルキアが、
「石田は洋裁が上手いからな」
と身を乗り出して来た。
「石田が作ってくれたワンピース。愛用しているぞ」
 雨竜は目を丸くした。
「あれ、着てくれていたのかい?」
 尸魂界に乗り込んでルキア奪還の為に働いた後、彼女が現世に戻る時の為に縫った服である。義兄と和解を果たした彼女は尸魂界に残ったので(尤も、すぐに日番谷先遣隊の一員として派遣されてきたが)、あの服も処分されてしまったとばかり思っていた。
「あんなに可愛い服を処分するわけがなかろう。夏場に現世に降りる時に着ているんだ。涼しくて、着心地もよいしな」
とルキアは答えた。
「石田の作った服なら、きっと有沢さんも喜ぶと思うぞ」
「ありがとう」
「ね、ね、石田。どんな服を作るの?」
 乱菊が興味津々と尋ねた。
「ワンピース? スカート?」
「いえ、有沢さんはボトムはたいていジーンズか、ワークパンツみたいなのですから」
「ああ、そーいえばボーイッシュな子だったもんね」
「ジーンズに合わせるカットソーを作ろうかと」
 彼の言葉で全員、洋服地のコーナーに移動した。
 リバティ、マリメッコ、ギュンター・ドリューズ、TGM。カラフルであったり、シックであったり、ヨーロッパのプリント生地は、日頃、乱菊たちが見慣れている呉服地とはまるで異なっている。真剣な顔でジャージ生地を品定めする雨竜の傍らで、女死神たちはさまざまの生地を指差しては、あれが好き、これが可愛い、と楽しげに語り合っている。
「石田くん、決まった?」
 乱菊たちから離れた織姫が問いかける。雨竜は困ったような顔で織姫を見た。
「どうかした?」
「うん…、あの…」
「何?」
「有沢さんの好みだと、やっぱり、ああゆうボーダーとか、無地の方がいいのかな?」
「そうだね。たつきちゃんの服って、縞とかチェックが多いよ。でも、石田くんは違うのがいいと思ってるんじゃないの?」
 雨竜は頷いた。
「この生地が有沢さんに似合いそうだと思ったんだ。だけど、彼女が花柄を着てるのを見たことないし、好みじゃないかと思って…」
 雨竜が示したのは焦茶の地に青とグリーンを基調とした小花を散らした生地だった。青と緑だけだとかなり地味になってしまうが煩くない程度に黄やオレンジ・赤の小花も混じらせてあるので、シックでありながらも華やぎが感じられる。
「あたしも、これ、たつきちゃんに似合うと思うよ」
 織姫は同意した後、
「ねぇ、石田くん?」
と言葉を継いだ。
「たつきちゃんて自分の名前を書く時、絶対、漢字じゃなくて平仮名で書くでしょ? どうしてだか聞いてる?」
 雨竜は首を振った。
「可愛くないから、って言ってた」
「可愛くない?」
 雨竜が鸚鵡返すと、うん、と織姫はひとつ頷いて続けた。
「漢字で書くと男の子の名前みたいで、全然、可愛くないんだって。あたしは凛々しくって好きなんだけど、たつきちゃんは可愛くないって思っているみたい」
 たつきは漢字だと「竜貴」である。確かに字面から受ける印象は男性的だ。だが、きりっとしたハンサム・ガールの彼女には相応しいと雨竜は思っている。それに、竜の字が自分と共通しているのも、密かに嬉しかったりするのだ。
「石田くん、たつきちゃんも女の子なんだよ?」
「知っているよ」
「ううん、分かってないと思う。女の子はね、好きな人には可愛いって思われたいんだよ」
 見つめる織姫の優しい表情に、雨竜は、
「ありがとう」
と礼を言った。
「やっぱり、これにする。せっかくの朽木さんたちからの好意だからね。こんな高級生地、そうそう手に入れられないし」
「たつきちゃん、絶対、喜ぶよ」
 ふわりと笑った織姫に、他意なく雨竜は見惚れた。彼女への想いはもう優しい想い出になって昇華してしまっているが、純粋に織姫を綺麗だと思って見惚れた。
(黒崎、君は果報者だ)
 雨竜が生地を女死神たちのところに持ってゆくと、彼女たちは口々にセンスがいいと誉めてくれた。

 絢女は織姫や雨竜がびっくりするくらい飲み込みが早かった。最初の数段こそ、編み目が歪んだり、目を飛ばしてしまったりしてほどいて編み直しなどもやっていたが、十段目まで行かないうちに、
「あの、本当に編み棒持ったのは、今日が初めてですか?」
と突っ込みを入れたくなるくらいにすいすいと美しく編めるようになっていた。
 絢女よりは少しだけ手間取ったが、乱菊も驚嘆に値するスピードで編み物に慣れてしまった。ほとんど注意をする必要がないほど達者に、順調に段を重ねてゆく乱菊が、雨竜にはかなり意外だった。死神としての乱菊の虚と戦う姿や、姐御肌の言動、妖艶な外見から、どちらかというと家事などしない女性だと思い込んでいた雨竜は、人は見かけによらない、という慣用表現をしみじみと噛みしめた。
 一方、事前予測に違わず、手間取っているのはルキアだ。
「あれ、あ? 編み目が飛んだ?」
「みたいだね。朽木さん、この段は編み直した方がいいよ」
「そうか…」
 しょぼんと項垂れて毛糸をほどくルキアは、叱られた仔犬のように見えた。それでも、めげずにせっせと編み棒を動かす姿はけなげでいじらしい。
(本当に阿散井くんのことが好きなんだな)
と雨竜は微笑ましくなった。じっとルキアの手元を見守っていると、
「石田」
 ルキアが顔を上げた。
「何だい?」
「これ…、選んでくれてありがとう。想像していたより、ずっといい感じだ」
「そうかい? 気に入って貰えて良かったよ」
「ああ。これなら、恋次もきっと喜ぶ」
とルキアは嬉しそうに笑んで、再び編み物に集中した。
 夕刻になって、一護がやって来た。ルキアや乱菊に久しぶりに会いたいと考えたのが七割だろうが、
(ね、絶対、残り三割は織姫と石田が一緒にいるのが気になってるわよね?)
(そうねぇ。雨竜くんがたつきちゃんと付き合っているのは一護くんも承知しているはずだし、織姫ちゃんのことも信頼しているんでしょうけど…)
(疑っているとか、信頼してないとか、そういうんじゃないのよね。ただ、気になるの)
(ああ、うん。その気持ちはわかるわ)
 ひそひそと頷きあう絢女と乱菊に比して、ルキアは開口一番、
「一護。きさまがいらぬことを恋次に言ったせいで、私がとんでもない目に遭っているのだぞ!」
と文句を言った。
「いくら嬉しかったからと言って、でれでれと恋次にまで惚気るな、馬鹿者」
「惚気てねぇよ!」
と一護。
「あいつから『いいマフラーしてるな』って言われたから、井上から貰ったって答えただけだぞ」
「しっかり、惚気ておるではないか!」
 思わず興奮してしまったルキアに、
「ルキアちゃん、目が歪んでしまっているわよ」
と絢女が冷静に注意した。
 はっとしたルキアは歪んでぐだぐだになってしまった編み目を勢いよくほどくと、ぎろりと一護を睨んだ。
「今後、井上から何を貰っても、恋次にだけは惚気るな。マフラーならまだしも、もっと難しいものを編んでくれなどと言われたらお手上げだ」
「わーったよ」
 一護の返答は面倒臭そうであったが、たどたどしい手付きで、それでも一心に編み棒を動かすルキアを見遣る目は穏やかに優しかった。ようやく、4cm幅ほど姿を現した編地を検め、
「いい色じゃねぇか。恋次の髪の色にも合ってるし、喜ぶぜ」
と一護は言った。ルキアは頬を僅かに染めた。
「一護もそう思うか?」
「ああ、そう思う。頑張れよ」
「ああ、ありがとう」
 一護の励ましに対しては、ルキアは素直に礼を述べた。

 そして    

 勤務を終え、六番隊副隊長舎に戻った恋次は玄関先に仁王立ちしているルキアを認めた。
「よう、ルキア!」
 右手を上げて屈託なく笑い掛けた恋次だったが、ルキアは眉間にしわを寄せて彼を睨み据えている。
「ルキア? 何、怒っているんだ?」
「怒ってなどおらぬ」
とルキアはむっつりとした顔のままで答えた。
「どう見ても怒ってるだろう?」
 彼女を怒らせるようなことをしでかした覚えがない恋次は、困惑半分で眉を寄せた。
「でなきゃ、何でそんな顔をしているんだよ?」
「元々、こんな顔だ」
「いや、あのな?」
 反論しかけた恋次の前に、
「やる」
と一言。ずい、と赤と緑の包装紙で包まれた物体が突き付けられた。
「…」
 目を丸くして包みを見つめる恋次にルキアはますます怒ったような顔で、
「いらぬのか?」
と質した。
「いるって」
 慌てて恋次は包みを手に取った。
「あの…、な、ルキア」
「何だ?」
 ルキアの返答は素っ気ないが、恋次にはもう彼女が怒っているのではなく極限まで照れていることが理解わかってしまった。
「もしかして、これ、マフラーか?」
「当然だろう? あれほど欲しいと騒いでおったくせに」
「…おまえ、あれから何にも言わねぇから、忘れちまってると思ってた」
 恋次が一護に会って織姫手製のマフラーを見せられたのは、年が明けた睦月半ばのことだった。羨ましいと騒いだのがルキアの耳にまで届いてしまい、彼女が啖呵を切ったのが如月の半ば過ぎ。もうヴァレンタイン・ディも過ぎてしまった頃だ。それから、十ヶ月。ルキアはマフラーのことなど一切口にしなかったから、恋次は勢いでやると言っただけですっかり忘れてしまっているのだと思い込んでいた。
「覚えていてくれたのか?」
「約束したからな」
 まだ緊張が残っているのか、怒り顔が抜けないルキアに、
「開けてみていいか?」
と恋次は尋ねた。
 ルキアは無言で頷く。ごそごそと包みを開いた恋次は現れたマフラーに、
「すげぇ…」
と感嘆した。
「すげぇ、カッコいいじゃねぇか。ルキアが編んだんだよな」
「当たり前だ!」
「すげぇ!」
 破顔した恋次の笑顔に、ルキアは努力が報われたのを感じた。嬉しそうに、早速首に巻いて、
「似合うか?」
と問い掛ける彼の姿に、ようやくルキアの頬に笑みが浮かんだ。
「似合っているぞ。馬子にも衣装というものか?」
「ルキア、おまえなぁ…」
 苦笑を零しながらも、恋次はルキアの手を掴んで、副隊長舎の玄関に入れた。
「これ、明日の朝、渡すつもりだったんだが…」
と恋次は玄関に置いておいた箱を差し出した。
 現世では子供へのプレゼントは「サンタさんから」という名目で夜中に枕元に置くので、子供はクリスマスの朝にプレゼントを発見することになるが、恋人同士や夫婦の場合はイヴにプレゼントを交わすことが多い。だが、瀞霊廷ではクリスマスの日にプレゼントを贈り合うことがほぼ定着していた。だから、ルキアがイヴの今日、プレゼントを渡したのはややフライング気味なのだ。
「開けてもいいか?」
「おう」
 箱の中身は愛らしいうさぎのぬいぐるみだった。
「現世で買って来たのか?」
「ああ。雛森からシュタイフかハーマンって会社のぬいぐるみなら間違いねぇって聞いて、買ってきた」
「恋次がぬいぐるみ売り場って…、浮いただろう」
 場違いにファンシーな売り場に困惑顔で佇む恋次の姿を想像し、ルキアは可笑しそうに笑い転げた。
「そうでもなかったぜ。いや、多分、普段は場違いに違えねぇんだが、クリスマスの時期だったからな。彼女とか娘のプレゼントなんだろうな、けっこう若い男も、くたびれたサラリーマンのおっさんもいっぱいいたから、そんなに浮いてなかったし、割りと堂々と買えたぜ」
 耳が垂れたロップイヤー種の兎を模したぬいぐるみの愛らしさに、ルキアの頬に笑みが零れる。
「恋次、ありがとう」
と囁けば、
「ルキアこそありがとな」
と返って来た。
 寒い玄関の上り框に並んで腰を掛けたまま、どちらからともなく、二人は浅い口接けを交わした。

 兄が亡くなってから、クリスマスは織姫にとって孤独を身に沁みさせる日だった。
 だが、昨年、一護は織姫を家に呼んでくれた。一護の双子の妹も、父親の一心も織姫を歓迎してくれて、楽しくて、幸せで、兄を失って以来初めて、孤独のないクリスマスを過ごせた。そして、今年も一護は当たり前のように織姫を黒崎家に招待してくれた。
 昨年は家に呼んで貰えると考えていなかった織姫は何も準備しておらず、身一つで一護の家を訪問してしまった。だが、今年は準備万端だ。双子には色違いのニットキャップ、一心にはマフラーを用意した。一護に渡すセーターも、我ながら上出来だと感じていた。
 迎えに来てくれた一護とともに黒崎家の玄関を開けた途端、
「メリー・クリスマス!」
 クラッカーが弾け、織姫はカラフルな細いテープまみれとなった。
「織姫ちゃん、いらっしゃい!」
 双子の飛びついての歓迎に、織姫の笑顔が綻ぶ。
「メリー・クリスマス、遊子ちゃん、夏梨ちゃん」
 一心は娘たちに負けじと飛びつこうとして、息子に鉄拳制裁を喰らっている。
「メリー・クリスマスです、おじさん」
「ひげはいいから、上がって」
 夏梨が促し、織姫は、
「お邪魔しまーす」
と家に上がった。
 ダイニング・テーブルにセッティングされた織姫の為の席。遊子や夏梨や一心の、心からの歓迎を示す笑顔。
 全てが、織姫に、
「ここにいていいんだよ」
と囁いていた。

 二人の関係は護廷公認と言ってよいとはいえ、さすがに五番隊長舎、もしくは三番隊長舎から三・五番隊の隊長が同伴出勤というのは外聞が悪い。だから、互いの隊長舎に泊まった夜は皆がまだ寝ている明け方に帰るというのは、ギンと絢女との間の暗黙の決め事だった。
 ごそりと起き出して身支度を整えるギンの気配に、絢女も目を覚まして身体を起こした。
「ギン、帰るの?」
「ん、もう明け方やしな。起こしてかんにん」
 絢女は立ち上がった。昨晩の情事の名残を留めてどこか気怠げな彼女の動作に、
「絢女、身体、大丈夫?」
とギンは眉を顰めた。
「平気よ」
「ごめんな。ちゃんと加減したつもりやってけど…」
「大丈夫だから」
 絢女は微笑むと、
「あのね、あなたが帰る前に渡したいものがあるの」
と箪笥の一番下の抽斗を開けた。
「ギン。メリー・クリスマス」
 彼女は抽斗から取り出した包みを差し出した。
「クリスマス・プレゼント?」
「そうよ」
「開けてええ?」
「もちろん」
 中に納められていたマフラーに、ギンはいつもの作った笑みではない、心の底から嬉しそうな微笑を零れさせた。
「ものすご、軽いわ。よっぽど上等の毛糸やね」
「ベビーアルパカの毛糸なの」
 アルパカは南米の主にペルーやチリなどのアンデス高原地帯で飼育されている家畜である。種としてはラクダの仲間だが、荷物運搬用というよりも羊のように体毛を繊維として利用する目的で品種改良された。アルパカ毛は羊毛よりも繊維が細くて長く、断熱性に富んでいる。また、しわになりにくい、毛玉が出にくい、絹に似たしなやかな手触りなどの優れた特徴と、羊毛に比して産出量が少ないことから高級毛織物素材として扱われていた。ベビーアルパカとは、その中でも特に稀少なものである。生後三ヶ月以内のアルパカの赤ちゃんの体毛なのだ。もちろん、一頭から一生に一度しか取れない。しなやかで丈夫が身上のアルパカ毛であるが、ベビーアルパカはいわば赤子の産毛だ。柔らかさもしなやかさも成獣の体毛とは比べ物にならない。
「それはまた、上物を選んだんやね」
「だって、三番隊隊長が安物のマフラーっていうわけにはいかないでしょ?」
 グレーがかった浅葡萄色と明るい真珠色を2:3の割合で縦縞に編まれたマフラーは、滑らかな手触りだった。編み目は美しく揃っていて、一見、工業製品のようにも見えるが、
「絢女の手編みやね…」
「ええ」
 ギンはマフラーを絢女に差し出した。
「巻いて」
と半身を少し屈め、頭を絢女の方に向ける。絢女は微笑んで、彼の首にふわりとマフラーを巻いた。男性用にしては明るく柔らかな色合いだが、ギンの銀色の髪にはよく映えていた。
「暖かい?」
と尋ねると、
「うん。むちゃくちゃあったかい。それにほんま、軽いわ」
「良かった」
「ありがとな、絢女。大事に使わせてもらうな」
 ギンは囁いた後、
「絢女、ボクからのクリスマス・プレゼントやけど」
と言いさした。
「そこ」
 彼の指差した先を辿れば、先ほどまで寝ていた枕元に小箱がひとつ置かれていた。
「サンタさん?」
「うん、そう」
「ごめんなさい、気付かなくて」
と小箱を拾い上げ、中を検める。
 棟の部分が雪の結晶を模した六花の透かし彫りになっている、白金プラチナのバチ型簪が納められていた。
「つけて」
と、今度は絢女がギンに背中を向ける。ギンは絢女の髪を掬い取るとそっと口接けた。それから、おもむろに髪を器用に纏め上げると、簪を挿して固定した。
 互いのプレゼントを身に着けた二人は軽く抱擁した。溶け合う体温が幸せを教えた。

 鼻孔をくすぐる味噌汁の匂いで、冬獅郎は目覚めた。
 すでに食卓には、鯵の一夜干しの焼き魚、卵焼き、小松菜のおひたしなどの朝食が準備されている。
「おはようございます、隊長」
「はよ。じゃなくって、今日はメリー・クリスマスだったか?」
 うふふ、と乱菊は微笑んだ後、
「そうです、メリー・クリスマスです、隊長」
と、今度は大輪の笑みを浮かべた。
 クリスマスの朝食にしては、献立は純然たる和風である。しかし、昨晩は乱菊と絢女の立案で十番隊長舎でクリスマス・パーティーが催され、ロースト・チキンだの、ビーフ・シチューだののこってり洋物の食事だったから、あっさり純和風朝食は冬獅郎には願ったりだ。
 乱菊と向い合せて朝食を終え、冬獅郎は身支度を整えた。
 玄関で草鞋を履いていると、背後に立った乱菊がすっと屈んだ気配がした。
「どうした、松本」
 振り向きかけた時、ふわりと首に暖かなものが掛けられた。
(?)
 検めると千歳緑のマフラーだった。
「メリー・クリスマス、冬獅郎さん」
 そのまま彼の背中に撓垂れ、乱菊は耳許に囁きかける。
 廻された腕をそっと押さえ、冬獅郎は、
「おまえが編んだのか?」
と驚いた顔で乱菊を覗き込んだ。
「はい」
「よく…」
 冬獅郎が絶句したのは当然だった。師走はそれでなくとも年度末決算で忙しい。その上、数日前の彼の誕生日(正確には誕生日の前日だが)に冬獅郎と現世デートをする為に、師走に入ってからというもの、乱菊は日頃のさぼり癖はどこへ消えたかというほど鬼気迫る勢いで残業三昧の日々だったのだから。
 いつの間に編んだのだと訝る冬獅郎に、
「早めに準備していたんです。今年のクリスマスは手編みのマフラーをどうしてもプレゼントしたくて」
と乱菊は告げた。冬獅郎は翡翠の眸を瞬かせた後、何かに思い当ったのだろう、
「阿散井のあれか?」
「ええ、あれです」
 年初の恋次の大騒ぎは冬獅郎の耳にも届いていた。
「だって、恋次ってば、ものすごく羨ましがっていたんですもの。あんなに羨ましがるほどいいものなら、あたしもって思っちゃいますよ」
「そうか」
と彼は頷いた。
「正直言って、阿散井が騒いでいた時は、そんなに羨ましいかと疑問だったんだが、いざ貰ってみるとすげぇ嬉しいもんだな」
 彼の言葉に乱菊は笑みを零した。
「本当ですか?」
「ああ。何つーか、もの凄い優越感を感じるんだが」
 冬獅郎は首に巻かれたマフラーを一旦外して眺めた。
「よく出来てるな。おまえ、本当にこういうの器用だな」
 えへへ、と乱菊は笑った。
「織姫と石田に教わったんですけど、石田からも言われました。こんなの出来そうに見えないって」
「ま、外見だけ見てたらそう思うだろうな。その落差が俺にはたまらねぇんだが」
「誉めてもこれ以上、なーんにも出ませんよ」
「俺からは出るぞ。執務室に隠してある」
と冬獅郎はいたずらっぽく口角を上げた。
「本当ですか!」
「隠してあるんだからな。探し出せねぇと手に入らないぞ」
「宝探しですね」
 冬獅郎の趣向に、乱菊は目を輝かせた。
「ぜーったい、見付けてみせます!」
 いそいそと草鞋を履くと、
「たいちょ、早く行きましょ」
と、冬獅郎の手を引っ張って隊舎に向かって駆け出す。彼女の子供のように無邪気な笑顔に、自然と冬獅郎の顔もほころんだ。

 たつきの好きなアクション映画を見る約束で、空座本町駅で待ち合わせた。
 駅前のカフェ・レストランで昼食を取りながら、雨竜はプレゼントを渡すタイミングを計っていた。付き合い始めた時にはたつきの誕生日はもう過ぎていた。その間、雨竜の誕生日はあったものの、彼の方から物をプレゼントするイベントは今回のクリスマスが初めてだ。織姫や、ルキアたちに励まされたものの、いざ渡すとなると、迷惑がられるのではないかとか、たつきの好みにはやっぱり合わないのではとか、ネガティブなことばかりが頭に浮かんできてどうしても思いきれない。
「おご馳走さまでした」
とハンバーグランチを食べ終えたたつきは、斜め掛けにしたショルダー・バッグをごそごそと探り始めた。
「石田」
「何、有沢さん?」
 はい、と目の前に差し出された箱に、雨竜は目を瞬かせる。
「え…、これ?」
「見りゃわかるでしょ? クリスマス・プレゼント」
 たつきに先んじられて、雨竜も慌てて携えていたプレゼントを手提げの紙袋ごと手渡した。
「これ、僕から。その、気に入って貰えるか分からないけど…」
「それは、お互いさまでしょ。でも、気に入らなかったら遠慮なく言ってよね。気に入らないものを白々しく喜ばれるのって嫌だから」
 さっぱりとした気性の彼女らしい発言に、雨竜は少し笑った。
「有沢さんもね」
と告げると、
「了解」
と返って来た。
 彼女からの箱を開けると、ネイビー・レザーのチェーン・ウォレットだった。本体の財布はポケットに突っこんでも突っ張らない柔らかめの革で出来ており、チェーンも同色のレザーを編んだものだ。
「どう?」
 たつきから尋ねられ、
「すごく気に入った…。けど、」
と雨竜は言い淀む。
「けど?」
「これ、高いんじゃないかい?」
 雨竜の問いに、たつきはにっと漢前な笑みを浮かべた。
「けど、なんて言うから実は気に入らないかと焦ったじゃない。確かに、まともに買うとけっこうな値段すると思うけどね」
とたつきは再び、にっと笑った。
「従兄にこの手の革製品を作っているのがいるんだ。あたしに付き合っている彼氏がいるってのがえらく意外で受けたみたいで、材料費と手間賃だけで作ってくれてさぁ。だから、あたしの小遣いで無理なく買える範囲。心配しなくていいよ」
「そうか。有沢さん、ありがとう。嬉しいよ」
 雨竜はその場で自分の財布を取り出し、紙幣も小銭もすべて新しい財布に移した。ズボンの後ろポケットに財布を納め、チェーンの先の金具をベルト通しに引っかける。その間にたつきも雨竜からの包みを開いた。
「…」
 沈黙してしまったたつきに、雨竜は眉を曇らせた。
「ごめん、やっぱり、気に入らなかった?」
「そうじゃないよ」
とたつきは慌てて首を横に振った。
「そうじゃなくて、その…、花模様なんて、あたしの柄じゃないでしょ? こういうのって、例えば…、織姫とか、みちるとかみたいな可愛い女の子じゃないと似合わないよ」
「ごめん…。僕の好みを押し付けるつもりはなかった。ただ、僕は有沢さんに似合うと思ったんだ」
「似合う? あたしに? まさか」
「嘘じゃない。その…、前にも言ったと思うけど、有沢さんは可愛いんだよ。だから…」
 先を続けられずに俯いてしまった雨竜の前で、たつきは立ち上がった。怒らせてしまったかと、はっと顔を上げた雨竜に、
「石田、ごめん。ちょっとトイレに行ってくる」
と告げて、彼女は離れた。
 彼女が戻ってくるまでの時間は雨竜にとって針の莚だった。怒らせた、嫌われた、呆れられた、と悲観的な考えがぐるぐると頭を廻って息苦しい。やがて、彼女が戻ってきて傍らに立ったのに気付いても、雨竜は頭を上げられなかった。
「あの…さ、石田」
 さばさばした彼女に似合わぬ躊躇いがちな口調。
「本当に似合うと思う?」
 え、と雨竜は勢いよく顔を上げた。トイレで彼女は着替えたらしい。彼女は雨竜の縫ったカットソーを着ていた。
    
「やっぱ、似合わないよね…」
「そんなことない!」
 思わず大声になりかけて、雨竜は慌てて声を潜めた。
「すごく可愛い。すごく似合ってる」
 潜めた声のまま一息で言ってのけてから、ふと、雨竜は瞬きした。
「あの、有沢さん?」
「何?」
 気のせいだろうか、彼女の目が常になく泳いでいるような気がする。
「唇…。もしかして、リップ塗ってる?」
 たつきはばっと唇を手で隠した。
「似合わない…よね」
 紙ナプキンに手を伸ばそうとするたつきを、雨竜は慌てて遮った。
「その、似合っているよ」
「気、遣わないでよ」
「お世辞じゃないよ。気に入らなかったら正直に言う。さっき、約束しただろう」
 顔を赤らめ、明らかに挙動不審になっているたつきを目の当たりにして、雨竜は逆にのぼせていた気持ちが平静を取り戻した。織姫が言っていた、たつきは自分が可愛くないと思い込んでいる、という言葉をしみじみと実感した。
「有沢さんは可愛いよ。有沢さんが否定したって、僕は有沢さんが可愛いと思う。そのリップもすごく似合っているから」
 かっと、さらに顔を紅潮させたたつきは、
「恥ずかしいこと言ってるんじゃないっ!」
と八つ当たり気味に雨竜を睨んだ。
「行こう、有沢さん」
 雨竜は腰を上げると、たつきを促した。
「そろそろ移動しないと映画に間に合わなくなるよ」
 たつきは無言で彼に従った。
 電車に乗ってしばらくして、
「あのさ、石田」
とたつきが声を掛けた。
「何?」
 雨竜は柔らかくたつきを見下ろした。
「お試し、もう止めない?」
「それって…」
「お試しじゃなくて、ちゃんと付き合おうって言ってんの」
 照れているらしい。雨竜の目を見ずにぶっきらぼうに告げるたつきに、
「願ってもないよ」
と雨竜は笑顔を広げた。

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2011.12.05