ここだ
抱きしめた腕の中で、絢女が身を硬くして微かに震えているのが分かった。
「絢女、怯えんでもええよ」
と告げれば、
「怯えてなんて…」
と曖昧な否定が返ってくる、
絢女と心を通わせてから、膚を重ねるのは今宵で漸く両手の指の数になる。彼女が未だに交接を怖がるのは、初めての夜に無理を強いられたことがトラウマになっているというよりも、その後の交わりでいきなり深い陶酔を味わい、理性を飛ばしてしまうことを懼れているからだと、ギンは見ている。感じやすいくせに羞恥心が人並み以上に強い絢女は、理性を溶かされ、あられのない姿をギンに晒すことをひどく恥じていた。男の側からすると、女が乱れる態こそ悦びであるのだが、絢女はことが終わって思考力を取り戻した時、羞かしさに消えてしまいたくなるらしい。
交接に伴う羞恥を消すことは無理だが、絢女が恥入らない程度に加減してやることは、もちろん出来る。だが、ギンは絢女が怯えると承知で、執拗なほどに愛撫を施して、絢女を忘我に導くのだ。
彼女を自分に溺れさせたい。決して、彼から離れられないように、雁字搦めに捕らえてしまいたい。薄汚れた己は絢女に相応しくないと引け目を感じる心と裏腹に、離したくないと本能が叫ぶ。身勝手な欲望のままに、ギンは絢女を自らの檻の中に閉じ込めようと足掻くのだ。
乱される予感に慄く身体を腕に抱き込み、ギンは口接ける。ふっくらとした唇を舌先でなぞり、僅かな隙間から舌を口腔に侵入させる。歯並びのよい歯列を確かめるかのように舐め、更に奥の舌を絡め取ると、絢女は早くも身体の力が抜け始めて、ギンに体重を預けて来た。
「ギン…」
「何?」
「きつくしないで」
「うん、優しゅうしとるけど?」
「優しいけど…、でも、きつくしないで」
決して、叶えてもらえないのに、絢女は哀願せずにはいられなかった。
「ん、優しゅうするから」
嘘はついていないが、絢女の頼みからずれた応えを返し、ギンは再び口接けた。
女性らしい柔らかな弾力のある彼女の唇よりも甘い口接けを、ギンは知らない。呼吸する為の酸素さえ割り込むことを許さないと主張するかのごとく、隙間なく唇を合わせて貪れば、息が続かなくなった絢女が力なく、ギンの胸を押して来た。
名残惜しげに一旦は唇を外したものの、絢女が充分に息継ぎする暇さえ与えず、性急にもう一度唇を塞ぐ。戸惑って逃げる彼女の舌に強引に己のそれを絡めて吸うと、禁じられた呼吸の隙間から、
「ふ…、ん…」
と苦しげな喘ぎが零れ落ちた。
今度は押される前に解放してやった。
「…はぁ…」
絢女は漸く、深い呼吸を得た。抗議するように上目遣いでギンを睨む眸は、すでにとろんと潤んでいて、艶めくばかりだ。
更に重ねて口接ける。絢女は完全に脱力してしまって、ギンの腕だけで支えられている。ギンは彼女を支えたままに、褥に腰を落とした。自然、絢女は胡座をかいた彼の膝上に横抱きに抱えられる形になった。互いの顔が近くなり、絢女の眸が更に潤みを帯びて揺れた。
何度めか分からなくなってしまった
「ギン…、好きよ」
切なく囁かれ、ギンもまた、
「ボクも」
と返した。耳朶に口を寄せ、熱い息と共に吐き出された言葉に、絢女はぞく、と身悶える。そのまま、白い貝殻に似た耳たぶを甘噛むと、彼女は小刻みに痙攣した。
甘いキャンディを舐めしゃぶるように耳朶を舌で愛撫しながら、ギンは絢女の腰帯を解いた。石鹸の匂いのする湯上がりの膚が夜着から零れ、ギンはその胸元に顔を埋めた。胸元からはいつもの梔子の香りがした。
ゆっくりと胸の谷間に舌を這わせながら、右手で乳房を押さえると、絢女はぴくりと小さく身体を跳ねさせた。
「ギン…」
愛しい男を呼ぶ声も震えている。
「何?」
「…怖い…」
乱されるのが怖い。
何も分からなくなってしまうほどに酔わされるのが怖い。
けれども、ギンは、
「もっと酔うて」
と笑みを浮かべた。
「限界まで、ボクを感じて欲しいねや」
告げながら、ゆったりと彼女の乳房を揉みしだく。指が長い分大ぶりなギンの掌に納まった乳房は若々しい弾力でもって、彼の指を押し返して来た。
「…ギン」
もっと、と強請っているとも、止めて、と訴えているとも取れる、切なく鼻にかかった声が彼の名を紡ぐ。右の乳房を慰んだまま、左の乳房の上から肩に向けて走る傷痕を唇でなぞると、彼女は一際大きく痙攣し、
「あ…」
と細い喘ぎを洩らした。彼女はこの傷痕をみっともないと恥じているが、ギンは醜いとは少しも思っていない。ただ、愛しくて、愛しくて、口接けると、絢女は身悶えしてよがるのだった。
愛おしい。
彼女の髪の先から、爪先まで、余すところなく喰らい尽くしてしまいたい。受け身ではあるが、ギンに酔いしれている彼女を、後戻りの出来ない深みに引き込んでしまいたい。
ギンは傷痕のすぐ横の膚を軽く歯を立てて喰んだ。
「…あ…」
甘く、密やかな吐息に似た悲鳴を心地よく聴きながら、吸い上げる。雪原に散った花びらのように、彼女の膚に紅く痕が付いた。
見える場所に決して痕を付けない代わりに、衣服に隠れて見えないところなら、どれほどの花びらを散らされようと構わない。そう告げた彼女の言葉を盾に、ギンは絢女の胸元に無数の花を咲かせる。
(ボクのモンや)
誰にも渡せない。渡さない。
(ボクの姫さん…)
ちゅくっ、と敢えて高い音を立てて、ギンは絢女の乳首を含んだ。
「…あ、ああ…」
一瞬、身体を弓なりに反らせた後、彼女はぴく、ぴく、と小刻みに震えた。
「…や…、そんな…しないで…」
か細い哀願を無視して、今度はちゅうちゅうと赤子が母乳を吸うように、強く吸い付くと、
「…あ、…あ…ふっっ」
殺しきれずに、絢女は喘ぎを洩らした。
「絢女、もっと啼いて」
絢女はいやだと首を振った。
「絢女の声、好きや。もっと、聞かして欲しいねや」
「や…、いや…」
頑なに首を振る彼女の胸を、お仕置きとばかりに殊更に強く吸い、反対の乳房を淫靡にこねまわす。腰を支える左手も指先だけを妖しく蠢かせて、刺激を与え続ける。
「ギン…、きつくしない…で」
流されることに逆らおうとする女に、
「いやや、言うて、こないに濡れとる癖に」
ギンはいきなり秘め処に指を挿れた。滴る蜜を掬い取り、彼女の目の前にかざす。ぬらぬらと光る彼の指から、雫になって蜜が零れ、絢女の頬に落ちた。ギンはそれを舐め取ると、
「甘くて美味しいわ。絢女も舐めてみ」
と、愛液にまみれた指を絢女の唇に押し付けた。
「…!」
音にならない驚愕の叫びを上げ、絢女は必死にそれを拒もうとする。しかし、ギンは許さなかった。強く押し付けられた指が口唇を割り、絢女は自分が零した蜜を、生まれて初めて味わわされた。
「な、甘うて美味しいなぁ」
ギンは
「絢女、可愛え」
「…ギン…」
「可愛うして、たまらへん」
絢女の身体が褥に横たえられた。身を起こそうとする彼女の腿を両手で押さえ、ギンは頭を屈め、彼女の秘裂に顔を埋めた。
「ひっ!」
敏感な花芽がギンの舌によって包まれ、絢女は慌てて逃れようとした。
「だめっ! …ギン、何を…」
後は言葉にならなかった。それでなくても感じないではいられない箇所を温かな舌がくるみ込んで、じっくりとしゃぶっていた。与えられる強烈な刺激は濁流と化して、絢女の理性を呑み込んでしまった。最早、押し殺すことも出来なくなって、意味を成さない喜悦が溢れ出した。
「…っひ、…あ、ああ…、あふ…」
それでも、抗うことをやめられないのか、
「や…、やめ…て…」
と、絢女はやっとの思いで、言葉を絞り出した。
「…そんな…ところ…、い…や…、ぁ」
告げるそばから、がくがくと腰が引き攣る。
「…ギン…、やめ…、きた…な…い…」
応えに代えて、ギンは花芽を強く舌先で扱いた。
「あっ!」
絢女はぐんと身体を反り返らせた。背中が褥から浮き上がった状態で、しばらく硬直した後、敷布に崩れた。軽く気を遣ってしまったらしく、虚ろな眸のままで、時折、小さく痙攣していた。
ギンは絢女の顔を上から覗き込んだ。焦点のぼやけた眸が、それでも彼を捉えて動いた。
「…ギン…」
震える声音が彼の名を紡ぐ。
「…ど…して、あんな…」
「好きやから」
当たり前の顔で、ギンは答えた。
「…だって、あんなところ…きたない…のに…」
「汚のうないよ。絢女の体に汚いトコなんて、いっこもない」
「だって…」
「絢女」
ギンは彼女をじっと見つめた。ぎりぎりまで絞った行灯の灯りがわずかに反射して、彼の眸を妖しく光らせた。
「いややった? ちょっとも気持ち良うなかった?」
正面から問われ、絢女は答えられなかった。有り得ない場所を舌で弄られることに対する嫌悪感は間違いなくあった。けれども、それを凌駕するほどの激しい悦楽を、確かに感じてしまったのだ。未知の感覚が怖ろしくてならず、しかし、いやだと拒絶も出来なかった。浅い絶頂の余韻を引き摺る身体は火照っていて、奥底の部分がもどかしいほどに疼いていた。熱っぽい頭では、まともな思考も覚束なくて、絢女は嫉妬からだと辛うじて自覚出来る問い掛けを返した。
「他の女の人にも、…あんなこと…を…していたの…?」
「してへん」
即座に否定が返って来た。
「絢女やから、した。他の女には、あんなことようせんわ」
より正確に言うならば、欲望処理の為の女にはしていない、である。別の利害があって相手をした者に対しては、口淫を施したことはあったからだ。幼い頃に食料や衣類を対価に身を売った相手には何度も強要されたし、懐柔する必要のある相手には自ら進んで行っていた行為だ。しかし、絢女が気にしているのは、そういった者たちではなかった。
勘の良い絢女は、決して問い質す真似はしないが、ギンが男娼紛いのことをして生きて来たことを承知しているようだ。藍染と性的関係があったことも、悟っている。その事実にわだかまりや嫌悪を覚えないはずはないのだが、おそらくは、好んでしたことではない、と考えることで力ずくで自分を納得させているのだろう。だが、欲望処理対象の相手には、そのごまかしは効果がない。ギンが我から求めた女だからだ。昔の相手に嫉妬しても詮ないと理解っていても、絢女は必要以上に意識してしまうのだった。
尤も、ギンに言わせると、揚屋の女郎も、身を売った相手も、大した違いはない。対価が食料や情報などであったか、ギン自身の極めて動物的な欲望の発散であったかだけの話だ。実際のところ、情けを乞うて来た素人娘も含めて、彼女たちとの性交は、彼にとっては、生理現象として溜まったものを排出する排泄行為でしかなかった。身も蓋もなく言ってしまえば、厠で用を足すのと何ら変わらない。異なっているのは、相手が無機物の便器ではなく、生身の女だということのみだろう。
しかし、絢女は彼女たちとは違う。絢女はあらゆる意味で、ギンの中で特別な存在だった。やっていることは同じでも、彼女との交合は断じて排泄行為では有り得ない。身も心も彼女とひとつになれる神聖な儀式だ。彼女を腕に抱くだけで、震えるほどの幸せを感じる。他の女と我が身を引き比べる必要など、絢女にはこれっぽっちもないはずなのだ。
だが、絢女は気に病む。ギンの過去に潜む夥しい女たちの影に怯える。
ギンは絢女に口接けた。啄むような軽い
「絢女…」
唇を割って入り込んで来たギンの舌が、絢女のそれを絡め取った。互いの唾液を混ぜ合わせるように舌を動かす。ギンの夜着を掴む絢女の指の力が強くなった。快楽に呑まれることへの不安と期待がないまぜになって、絢女は混乱したまま、目の前の男に縋り付いた。
「絢女、姫さん、可愛え」
「ギン…」
「可愛え、好きや」
「ギン…、私も…。好き、好き…」
絢女はギンの名と「好き」を繰り返す。それだけのことで、手慣れた娼妓の技巧以上に、ギンは昂っていった。
耳朶を噛み、項に舌を這わせ、乳房を丁寧に揉みほぐす。すでに、たくさんの花びらが散っている膚を、更に埋め尽くして征服の痕を残す。
ギンの指が、唇が、膚を滑る度に、絢女はがくがくと身体を小刻みに震わせた。まだ、ぎりぎりのところで理性を手放していないらしい。漏れそうになる嬌声を、必死になって咽喉の奥で塞き止めている。
「絢女、啼いて」
ギンは絢女の胸の頂上に飾られた蕾に歯を立てた。
「ああっ…っ」
たまりかねて、声が零れた。
「ええ声や」
とギンは満足げに笑んだ。
「もっと、聞きたい」
再び、乳首を咥え、歯列の裏側と舌先で挟んで扱くと、
「や…、そんな…しないで…」
と絢女は激しく首を横に振った。言葉で拒絶を告げたところで、彼女の身体は愛撫を嫌がってなどいない。与えられる刺激に正直に反応して、彼女の蕾はつんと立ち上がり、堅くしこっていた。左手でもう片方の乳房を玩弄しつつ、右手を下げて、ギンは彼女の秘め処を探った。軽く触れただけなのに、ギンの指先がぐっしょりと濡れそぼった。
「…だめ…、ギン。きつくしないで…」
「優しゅうしとるよ」
「…ギン、や…、怖い…」
だが、琥珀の眸は情欲に潤んでいる。
「いやや、いやや、てホンマに姫さんは強情っぱりで、嘘つきやねぇ」
ギンは絢女の秘裂を指先で軽く叩いた。かそけき水音が響き、ギンの唇が弧を描いた。
「こっちは正直やのに…」
「…違っ…」
「違わへんで。こないになっとるのに」
言葉で嬲るギンに、最早、反論も出来ず、絢女はひたすら、いやいやとかぶりを振った。
「絢女、『欲しい』て言うてくれへんの?」
ギンは尋ねた。焦らす心積もり満々の問い掛けに、絢女は恨めしそうに見返すばかりだ。男を強請る言葉を口に出来ず、しかし、官能に溺れる恐怖と同時に先に進んで欲しい望みもある。どうしたらいいのか分からなくなって、
「ギン…」
と彼の名だけを呟くと、彼は絢女の秘められた谷間を指で侵した。
心よりも身体の方が先に、男を受け入れることに慣れてきているのだろう。もう、指の一本では痛みを覚えることはなくなった。その代わりに、蠢く指の動きに翻弄される。壁を擦り、速い動きで抜き差しを繰り返され、絢女はあっという間に快楽の波に攫われた。波に逆らおうと足掻いても、どうにもならない。
「ひ…っぁ!」
自分のものだと信じたくない、はしたなく高い声が響き、絢女は羞恥に身を捩った。
「ええ声…」
嬉しそうにギンが微笑う。彼は頭を屈めると、指で谷底を掻き回し続けたままで、谷の入口にひっそりと隠れた珊瑚玉を再び、舐め上げた。
「ひ…ぃっ…、っあ」
がくがくと、絢女の腰が意志に反して
「っぁ!」
勢いよく肺から空気を押し出して絶息し、絢女は達した。
「絢女…」
陶酔したまま、小刻みに身体を震わせる絢女の秘部に、ギンは三度、口接けた。理性を失ったままの彼女を酩酊から醒めないうちに、更に深い沼底に引き摺りこもうという算段だ。
「あ…っうぅ…、ふ…」
唇から呻きが洩れた。淫楽を覚え込ませようとするギンの愛撫に、絢女は抗う術を持たなかった。懼れを覚えるほどの官能に否応もなく引き込まれ、彼女はただ、ただ、ギンの望むままに啼き続けた。
行為を終えた後、疲れ切って気怠く微睡む絢女を抱きしめて眠るのが、ギンは好きだった。
身体に負担を掛け過ぎないようにきちんと加減はしているが、激しい行為を伴わなくとも、彼の執拗で巧みな愛撫でさんざんに弄ばれ、啼かされ尽くした絢女は、ことが全て終わった後、しばらくは動けない。だから、いつも、後の始末はギンが行った。腿を伝って滴り落ちるギンの放った精の残滓を
疲れ切っている絢女は、たいてい、ギンが始末をしている最中にはもうとろとろと意識を手放し始めている。隣に潜り込むと、彼女はほとんど無意識で体を摺り寄せてくるので、それを抱きとめてやるのが、ギンの密かな喜びだった。普段から、梔子の花に似た甘やかな香を漂わせている絢女だが、ギンに抱かれた後は香りは濃密さを増す。まるで、梔子の花に埋もれたような錯覚を覚えながら、ギンは絢女の髪を撫で、額に口接け、彼女を両の
腕にかかる絢女の重みが愛しい。
寄り添い合った身体から伝わる体温が愛しい。
彼女の全てが、たとえようもなく愛しくて、大切で、ギンは泣きたいような心地になった。
「ずっと一緒や…」
囁けば、夢の途中であっても、彼女は幽かに頷いた。
それが嬉しくて、ギンはまた泣きたくなるのだ。
多摩川に曝す手作りさらさらに 何そこの児のここだ
*1 詠み人知らず(武蔵国歌) 『万葉集 巻14』より(3373番)