手弱女の恋ふる心に


 ゆったりとぬるめの湯に浸かり、湯船の縁に頭を預けて、乱菊はくつろいでいた。
 隊長舎で風呂に入る際は、冬獅郎が一番湯を遣うことがほとんどだが、今日は彼は調べものがあるとかで、乱菊が先に入った。現世で調達して来たお気に入りの入浴剤を入れた風呂だが、一番湯だと入浴剤の香りも濃い気がする。すっかりリラックスして、鼻歌混じりでいると、脱衣場の扉が開いた気配がした。
「松本、湯加減はどうだ?」
 冬獅郎の問いに、
「いいお湯ですよ」
と乱菊は応じた後、
「隊長、調べものは終わったんですか?」
と続けて尋ねた。
「ああ、終わった」
 冬獅郎の応えが返ってくる。
「早かったですね」
 乱菊は杉板の引き戸の向こうにいる冬獅郎に、見えないと承知で笑みを向けた。直後、からり、と戸が開いた。
「ぎぃゃあぁぁ!!」
 濁音のけたたましい悲鳴が湯殿に響いた。
「おまえなぁ、『ぎゃあ』はねえだろう? 『ぎゃあ』は」
 呆れ返った声音で冬獅郎はずかずかと湯殿に入ってくる。その姿はといえば、腰に手拭いを巻き付けただけの裸体だ。
「ちょ…、たいちょ、何て格好ですか? ていうか、何で入ってくるんですかぁ!?」
 驚愕であわあわと質す乱菊に対して、
「風呂に入ろうと思って」
と冬獅郎は平然と答えた。
「あたし、まだ出てないです!」
「心配するな。ちゃんと存在は認識しているぞ」
 しゃら、とした返答。承知で侵入して来たことは、あからさまだ。
    隊長」
「何だ?」
「調べものって嘘でしょう?」
 両の腕で胸を隠して、乱菊は悔しそうに男を見上げる。対して、男はしてやったりという人の悪い笑みを浮かべ、
「嘘はついていない。直ぐに終わる調べものだったがな」
と応じた。湯船を覗いて、
「今日は濁り湯にしたのか。ちょっと、予想が外れたな」
と彼は嘯いた。
 入浴剤はいくつか種類がある。薔薇の香りのものとラベンダーのものは、湯に色が付くだけだが、木蓮マグノリア茉莉花ジャスミンは乳白色の濁り湯になる。冬獅郎の予想では、今日は薔薇の入浴剤を使うと見ていたのだが、乱菊の選択は木蓮だった。
 掛かり湯もせずに、いきなり、冬獅郎は湯船に足を入れた。
「ちょっと、ちょっと、ちょっと、たいちょ!!」
 傍若無人な振舞いへの抗議もどこ吹く風と受け流し、彼は身を沈めざまに乱菊の腕を取り、抱きかかえる形で拘束してしまった。
「た、い…ちょ…」
 戸惑い、逃げ腰になる乱菊だったが、彼女の惑乱など予想済であったのだろう。冬獅郎は抱えた腕を胸元に上げて、ゆったりと彼女の乳房を慰み始めた。
「たい、ちょ…、何を…」
「胸のマッサージ?」
 に、と悪い笑みを浮かべた冬獅郎に、
「しなくていいです!」
と乱菊は叫んだ。だが、それで止めるようなら、最初から彼女のいる風呂に入ってくる真似はしない。すっぱり無視して、冬獅郎は胸を揉み続けた。
「たいちょ、悪ふざけしないで下さい。も、やめて」
「ふざけてねえよ」
「ふざけているじゃないですかぁ!」
「俺は真剣だぞ」
 大威張りで言うな!
 内心の突っ込みを音には出来なかった。冬獅郎が耳たぶをパクリと食んだからだ。ぬるめの湯で温まった身体がどくりと疼き出す。
「たいちょ、狡い」
 乱菊が拒みきれないのを承知で、こんな罠を仕掛けるなんて狡い。
 流されてしまう自分にも腹が立って、乱菊は俯いた。
「松本」
 そんな彼女に、冬獅郎は、
「好きだ」
と囁く。
 まるで、媚薬だ。
 抗えない。抵抗らしい抵抗も出来ずに陥落するしかない。若さゆえの熱情で挑んで来る冬獅郎をあしらう術を持たず、乱菊は彼に身を明け渡した。
 彼女の諦めを了承と受け止め、冬獅郎は乳房を慰む手の動きを強めた。白濁した湯にぷかりと浮かんだ豊かな半球は、常にも増して柔らかく、軽く掴んだだけで指がのめる。緩やかに揉みほぐされて、乱菊の紅唇から悩ましげな吐息が転げ落ちた。湯で温まったせいで、常ならば透き通るように白い彼女の膚は、山桜の花びらのような淡い薄紅に色付いていた。上気した裸身が濁り湯に阻まれて望めないことを、冬獅郎はひどく残念に感じ、乱菊は安堵する思いを抱いた。
 ゆるり、ゆるり、と冬獅郎の指の蠢きに応えて、ミルクを溶かしたような湯はさざなみを立てる。
「たいちょ、…のぼせそう…」
 音を上げた乱菊の訴えに、
「ああ」
と短く応え、冬獅郎はいきなり彼女の膝裏に腕を差し込んだ。乱菊に抗議する暇を与えず、すくい上げて抱きかかえ、彼は湯船から上がった。そのまま、洗い場の腰掛けに腰を落とす。
 湯殿の照明は輝度をかなり抑えてあるが、それでも、閨とは比べものにならないほど明るい。最早、隠すものが失われて、乱菊の裸身は余すところなく、冬獅郎の眼前に晒されていた。のぼせそうだと訴えたのも道理で、彼女の膚は山桜を過ぎて、桃花に近いくらいまで熱を帯びていた。
 冬獅郎の欲を孕んだ視線に犯されて、置きどころのない身体を少しでも隠そうと、乱菊は両腕で胸を覆い、内腿をぴったりと閉じ合わせた。冬獅郎は敢えてそれを咎めず、代わりに石鹸を手に取った。
「たいちょ、何を…!」
 眸を零れんばかりに見開いた乱菊に、
「体、洗ってやるよ」
 冬獅郎は不敵な笑みを浮かべた。
「け、け、け、結構です!」
 狼狽の余り、思いっきり吃った女を可笑しそうに見下ろして、冬獅郎は石鹸を乱菊の膚に滑らせた。
「ひゃ…」
 普段の色気のない悲鳴とは異質な、妙に可愛らしい小さな叫びが漏れた。
「た、たいちょ、逆です!」
「何が?」
「どこの世界に部下を洗ってやる上司がいるんですかっ!?」
「ここに」
 あっさりと冬獅郎は応えた。
「それに、俺は部下を洗っているつもりはねえんだがな」
 乱菊の腕を優しく解いて、零れた胸に石鹸を押し当てると、ゆっくりと螺旋を描くように動かしつつ、彼は呟いた。
「惚れた女を洗ってやる男は、結構いると思うぞ」
と今度は反対側の乳房に石鹸を当てる。
 指とも、唇とも異なる頼りない刺激に乱菊は睫毛を震わせた。ただ、石鹸で擦られているだけなのに、風呂ではいつも自分で行っている行為なのに、石鹸を動かしているのが自身ではなく、冬獅郎だというだけでとめどもなく感じてしまう。閨より遥かに明るい湯殿で彼に裸身を晒している羞恥でいたたまれないのに、そのいたたまれなささえ快楽に変えようとするのか、すでに身体の奥は疼き始めている。
 石鹸を掴んだ冬獅郎の手が腰に降りて来た。臍まわりをくるりと滑ったそれは、すぐに更に下に降りてきて、湯を含んでしっとりと濡れそぼった乱菊の茂みに辿り着いた。
 乱菊の髪は蜂蜜みたいな色だと、冬獅郎は常々感じている。それも、アカシアや桜蜜のようなやや色の薄い蜂蜜だ。一方、彼女の繁りは髪よりも色合いが濃い。こちらは蓮華か百花蜜かと密かに喩えていたが、湯で濡れているせいか、常よりも色素が深い、と冬獅郎は見て取った。繁りを擦ると、膚とは異なる繊維質の摩擦で、石鹸は豊かに泡立った。
「たいちょ…」
 乱菊の声音が変わった。先までの狼狽と抗議の響きが消え、戸惑いながら、確実に色を帯びていた。内腿はぴったりと閉じ合わされたままだったが、冬獅郎がこじ開けるように手を差し入れると、たいした抵抗もなく、すんなりと迎え入れられた。
「…ん…」
 きゅ、と乱菊は目を閉じた。ただ石鹸を擦り付けるだけの動きがもどかしくて仕方ない。だが、もっとと強請る真似は出来なかった。冬獅郎に淫乱な女だと呆れられたくなくて、乱菊は奥底から湧き立ってくる疼きを懸命に堪えた。
 足先まで丁寧に石鹸を塗りつけた冬獅郎は、おもむろに石鹸置きに石鹸を戻すと、今度は掌で擦って泡立て始めた。
「ふ…ぁぁ…」
 とうとう、堪えきれなくなった乱菊は鼻にかかった悩ましげな喘ぎを落とした。それを耳にした冬獅郎が笑んだ。彼女の欲情を素直に喜ぶ笑みだった。
「乱菊、綺麗だ」
 再び、声の媚薬が注ぎ込まれる。同時に、泡立った胸を愛撫する手指の動きが繊細になった。軽く、柔らかな動きで滑るように触れられ、彼女は細くよがった。
 僅かに残った冷静さは、こんなにも簡単に流される自分に呆れている。けれど、厭うてはいなかった。流されてしまうのは、相手が冬獅郎だからだと知っているからだ。部下として、死神として、命を預けてもいいと信頼した人。そして、女としての乱菊が心と身体を捧げていいと愛した人。
 だから、流される。絆される。
 他の誰にも、こんなに呆気なく無防備に陥落などしない。
 泡まみれの乳房を愛撫する動きは相変わらず、繊細で優しい。軽く触れられる度ごとに、ぞくぞくとせり上がってくる快感に押され、乱菊は、
「はぁ…」
と深い吐息を漏らした。その声はすっかり情欲に湿っていた。
「たいちょ…」
 ただ胸を触られているだけでは、到底物足りなくなってしまった。
「ん?」
と彼女を見つめる愛しい男に、
接吻キスして」
と、乱菊は懇願した。
 強請られて、冬獅郎の頬が満足そうに緩んだ。彼の許に堕ちて来た女を愛おしげに抱え直す。それから、乞われるままに、軽く口接けた。触れていた唇が離れた時、空色の眸は足りないと訴えていた。
 額に、頬に、鼻の頭に、優しい甘雨のように接吻キスの雨が降り注ぐ。最後にもう一度、唇を合わせると、冬獅郎は舌を挿し入れた。待ちかねていた乱菊のそれがぬるりと絡まって来た。互いに相手を貪りながら、乱菊は腕を伸ばして我から冬獅郎に縋り付き、冬獅郎は愛撫の手を秘められた谷間に進めた。
 唇が離れた。糸を引いた唾液が湯殿の照明に銀色に反射してから、ぶつんと切れた。
「石鹸でぬるぬるだから、ちゃんと濡れているのかよく分からねぇな」
 彼は言った。
 乱菊が感じていることを承知の上でのわざとらしい言い種に、
「白々しいです、たいちょ」
と乱菊は軽く睨んだ。彼女がすでに火を点けられ、昂っているのは分かりきっているくせに。知っていて、そのようなことを言い立てる男は本当に意地悪だ。欲望に潤んだ眸で見据えられて、冬獅郎は小さく苦笑を漏らした。
「確かに白々しいか…」
 彼はたらいに湯を掬い取り、自身と乱菊にまとめて湯をかけて、石鹸の泡を流した。
「松本、立てるか?」
 問われて、乱菊は頷いた。冬獅郎は彼女を腕に抱きかかえたまま、立ち上がった。湯殿の壁の前に乱菊を立たせると、彼女は冬獅郎に指図される前に自ら壁に手を付いて、男を迎え入れる態勢を取った。珍しい彼女の積極性に、冬獅郎は僅かに目を見開く。すると、
「たいちょ、もう焦らさないで」
と乱菊は訴えた。湯船で湯に浸かって、洗い場に上がって石鹸で、非日常的な愛撫を与えられた身体は、最早、我慢が利かないほどに疼き切っていたのだ。
 彼女の身体を、冬獅郎は背後から抱き込んだ。彼女の耳に口を寄せ、
「焦らさねえよ」
と彼は囁いた。
「つか、俺の方がもう限界なんだ」
 告げられた言葉に、乱菊も嬉しそうに笑みを浮かべた。
「来て、たいちょ」
 彼女は男をいざなう。
 その甘美な誘惑のままに、冬獅郎は彼女の腰を掴むと、限界まで昂った自らの牡を突き立てた。
「ひゃっ、あぁん!!」
 甲高い声が湯殿に反響した。
「あ、あ、あぁん」
 湯煙で湿度の高い湯殿の空気に乱菊の声は淫靡に共鳴し、冬獅郎をますます猛らせる。勢いよく抽送を繰り返すと、冬獅郎を受け入れた女は、それに合わせて、高く、低く、良い声で囀った。洗髪後、手拭いで纏めていた筈の濡れ髪はいつとも知れず手拭いが外れて広がり、乱菊が身を捩り、のけ反る度に冬獅郎の身体を軽く打ちすえた。
「はぁぁ、ん…、ン、あ」
「乱菊、きつい。力みすぎだ」
「…だって、ぁっ…、たいちょ、がっ、」
「ちょっと、力を抜け」
「ダメ…、力抜けない…、っ、あっ、ぁ、そこっ、やぁぁん」
 乱菊がびくびくと痙攣する毎に、冬獅郎の牡は雑巾を絞るようにきつく絞め上げられる。凄まじい快楽が脳天を突き抜け、冬獅郎は限界を知った。
「乱菊、イっていいか?」
 切羽詰まった男の問いに、
「来て! 来て、たいちょ!!」
と逼迫した応えを悲鳴のように迸らせ、乱菊は背を反り返らせた。
 直後、熱い奔流が乱菊の胎内で渦を巻いた。
「っ!!」
 もう一度、乱菊の背が大きく反った。音にならない喘ぎが、ひゅうひゅうと壊れた笛のように彼女の咽喉から漏れた。壁に付いて身体を支えていた腕の力が弛緩し、乱菊はずるずると壁に沿って崩れた。繋がったままの冬獅郎も吐精直後で支える気力が萎えているのか、一緒になってしゃがみ込んでしまった。
 崩れた乱菊に覆い被さるようにして、冬獅郎は荒い息を吐き続けた。

    大夫ますらをもかく恋ひけるを 手弱女の恋ふる心にたぐひあらめやも
*1


*1 大伴坂上大嬢 『万葉集 巻4』より(582番)

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2012.04.11