雨宿りの情事
時刻はお八つ時の充分に明るい時間帯であるにもかかわらず、厚い雲と叩きつけるように降る大粒の雨のせいで、黄昏時のように薄暗かった。時折、雲と雨を切り裂くように稲光が走っている。
大きな硝子窓ごしに何とも凄まじいまでの雷雨を眺めながら、絢女は大理石の彫像と化したかのようにひたすら身を堅くしていた。
それは間違いなく、予想外のアクシデントだった。
絢女はギンと非番の日を合わせて、共に現世のとある地方に降りていた。日本百名山のひとつに数えられる美しい高山を中心にした国立公園にほど近い、豊かな自然が残る地域である。尤も、目当ては美しい自然でも国立公園の名山でもない。そこには日本国内でも最大級の広大な敷地を誇る植物園があったのだ。広い庭園内はよく整備され、四季折々に花々が楽しめる上、チューリップ祭り、百合フェア、蘭展などのイベントもひっきりなしに催されており、なかなかに見応えがあるということで、ギンが絢女を案内したのである。
花木を好む彼女は花の美しい場所に連れて行くと、殊に喜ぶ。紅葉や新緑、野草の群生地などは尸魂界でもあるが、薔薇園、紫陽花園、梅園などの園芸植物を楽しむ場所は現世の方が規模も大きく充実している。この為、ギンは現世の主な植物園や花の名所の見頃などの情報を常にチェックしていた。そういった情報は現世駐在の死神から集まってくる。情報の重要性を良く知るギンは、実際に役に立った情報(つまり、それに従って絢女をデートに連れ出した結果、大喜びをした情報)をもたらした者に謝礼を与えていた。絵葉書にもなっているほどに有名な富良野のラベンダー畑の一番美しいタイミングを的確に知らせた者、首都圏の大きな見本市会場で催される大規模な蘭展の開催を報告した者、九州地方のテーマパークで開催されているチューリップ祭りの詳細を告げた者。そういった者たちに隊の垣根を越えて礼金を支払うことを繰り返した結果、ギンの下には謝礼目当てに黙っていても花情報が集まるようになっていたのだ。
この植物園についても、ギンはずいぶん前から目を付けていた。今回、満を持して訪れたのは、一帯を担当している現世駐在の死神からローズ・フェスティバルが開催されている上、並行してクレマチス・フェアも催され、なかなか盛況であるという報告が入ったからだ。季節的にも四季を通じて最も花の種類が豊富で美しい頃合いだと添えられており、ならばと、ギンは腰を上げたのだ。
広大な植物園であることを考慮して、開園時間に合わせて朝から現世に降りた。国内最大級であるという認識を持っていたギンも実際に訪れてみて、その広大さに溜息をついたくらいだ。植物園が大好きな絢女は、目をまん丸にして感嘆していた。
ゲートをくぐると真正面にドーム型の大きな温室があった。とても大きかったので駐車場からも屋根部分が望めたのだが、全容が見えるとさらに大きさに圧倒された。その温室には熱帯・亜熱帯の植物が集められ、殊に洋蘭は千株以上が植えられているとパンフレットにあったので、早速に行ってみた。
カトレア、胡蝶蘭、オンシジュウム、デンドロビウム、バンダ。
ピンク、紫、白、黄色、オレンジ。
派手やかな洋蘭が妍を競う温室だけでも、かなり充実していると言えた。絢女は終始、うきうきと嬉しそうで、気に入った花を認める度に、
「あ、あれすごく綺麗」
「あの花、可愛いわね」
と極上の笑顔でギンを振り仰ぐのだった。
温室を出てからも見応えのあるエリアは続いた。ローズ・フェスティバルはフランス庭園の一角にある薔薇園をメイン会場にしていた。薔薇だけを評価するならば、過去に訪れた薔薇の単一庭園の方がいうまでもなく規模が大きかった。その代わりに、薔薇園の周りの幾何学的に配置された花壇にはさまざまな洋花が咲き競っていて、まるで生花のステンドグラスのようで目を楽しませてくれていた。また、同時に開催されているクレマチス・フェアも百種以上の珍しい鉢植えが集まっていて、絢女は大いに喜んだ。単に広いだけではなく、植物園は確かによく整備されおり、しかも、芝桜やポピーの花園の背景には百名山のひとつである山が円錐形の美しい山容を誇っているのだ。催しものがなくても充分に楽しめる植物園であることは、太鼓判を押してもいいだろうとギンは思った。
園内にはレストランがあったので、地元の食材を使った昼食を取った。午前中だけではとてもまわりきれなかったので、食後もハーブガーデンを探検したり、百合が集められた温室を眺めたりして、たっぷりと花々を満喫した。すっかり満足して、園を出たのは午後三時少し前だった。
この植物園は地方の、しかも国立公園のすぐ近くに立地している。これだけの規模の植物園を建設出来たのも、土地に余裕のある地方の山間部なればこそだ。その代わり、交通の便があまり良くないので、遊びに出かけるとしたら自家用車という選択が必然的に多くなる。それはここも例外ではなく、園を訪れる人々のほとんどは自家用車で、その為、植物園に負けず劣らずのむやみに広大な駐車場が整備されていた。
植物園と駐車場を挟んで反対側に、リゾート・ホテルがあった。
植物園を出たギンと絢女は、ホテル内の喫茶店でお茶にしようと話がまとまって、駐車場を縦断しようとしていた。
実は、園を出る少し前、ずいぶん雲が出てきて陽が翳って来たな、とは感じていた。だが、二人がホテルに向かって歩いている最中にみるみると雲は天を覆って広がり、厚みを増し、そして、あっという間に激しい雷雨となったのだ。まるで、十番隊隊長・日番谷冬獅郎が氷天百花葬を繰り出したかの如き天候の急変ぶりには、さすがの護廷隊長も為す術がなかった。それでも、霊体であったならば瞬歩で一息にホテルに避難することも出来ただろう。しかし、義骸ではそれも叶わず、まさに何億ものバケツを一斉にひっくり返したかのような土砂降りの中をホテルに向かって走るしかなかった。
ギンも絢女も傘を持ち合わせていなかったが、たとえ傘があったとしても役には立たないほどの豪雨だった。ホテルのドア・マンはびしょ濡れで辿り着いた二人に同情の眼差しを向け、すぐに中に連絡してタオルを持って来てくれた。おかげでぼたぼたと床に垂れるほどの水気は拭き取ることが出来たが、濡れ鼠のこの姿では喫茶店にはおろか、ホテルのロビーで雨宿りすることさえ憚られた。それに濡れた服に体温を奪われて、寒くもあった。
そこで、ギンはホテルの一室で休憩することを決断したのだ。幸い二人は非番だ。明日の出勤に差支えさえしなければ、尸魂界に戻るのが遅くなったところで咎め立てはされない。ホテルにはクリーニング・サービスがあることを知っていたギンが確認したところ、割増し料金が必要だが特急仕上げならば三時間ほどでクリーニングは完了するということだった。
「濡れたまんまでおったら義骸が風邪ひくし、霊体にもようない。部屋に入って、お風呂であったまって、クリーニングが終わるのんを待っとった方がええ思うよ」
というギンの意見は真っ当なものだったので、絢女は頷いて同意した。実際、他に選択肢もなかった。
部屋に入ってすぐに、ギンは絢女に風呂に入ることを勧めた。ホテルのロゴが胸元に刺繍されたワッフル生地のバスローブを差し出して、
「絢女がお風呂に入っとう間に服をクリーニングに出しとくから」
とギンは手慣れた様子で指示した。
言われるままに濡れた服をギンに渡して、絢女は風呂に入った。浅くて細長い、まるでボートのような湯船に浸かって身体を温めていると、バスルームの扉の向こうで服を引き取りに来たらしい従業員と思われる男性とギンの会話の声が聞こえた。すぐに会話は消え、
「もうホテルの人は帰ったから、いつでも出てええよ」
とギンが絢女に声を掛けた。
同じように濡れてしまったギンも寒い思いをしている筈だと、絢女は長風呂せずに切り上げることにした。ぎりぎりで水気の浸透を免れた下着を身に着け、バスローブを羽織る。バスローブ姿の自らを鏡に認め、絢女はぎくりとした。薄物ひとつの自分がしどけないということを、彼女はこの時に初めて認識したのだ。バスローブは丈が短く、胸元の開きが深い分、夜着よりも頼りなかった。ローブの胸元を掻き合わせてバスルームを出ると、自分の服をクリーニングに出す為に風呂に入るより前にバスローブに着替えていたギンがいて、絢女の動悸は強くなった。
「あったまった?」
「はい…」
「ほんなら、ボクもお風呂に入らせて貰うな。ボクのお風呂の間に注文するモンを決めておいて」
「注文?」
「ルームサービス。この格好じゃ、喫茶店には行けへんから代わりや。歩きまわって疲れたし、雨に降られてしもうたし、あったかいお茶、欲しいんと違う?」
と彼はルームサービスのメニューを手渡して、バスルームに消えていった。
外はまだ、激しい雨が降りしきっている。天候の急変の仕方や雨の降り方から見て、夕立の類だろう。それほど長く降り続けるものではないと思われたが、一向に衰えない雨脚と、昼下がりと思えないほどの外の薄暗さに、本当に止むのか不安を感じるのも致し方なかった。
部屋に一人残されて、絢女は途方に暮れた。びしょ濡れの時には意識していなかったが、部屋に据えられたダブルベッドが急に存在感を増した気がした。
(どうしよう…)
彼は絢女を求めて来るだろうという予感があった。確信と言い換えても良かった。
ホテルで部屋を取る羽目になったのは予想外の天候の急変によってそうせざるを得なくなっただけで、最初から意図していたわけではない。だが、恋人同士である男女が二人きりでホテルの一室にいて、しかも、互いに薄物一枚という無防備な姿なのだ。その気になってしまうのはごく自然な感情だろう。昼日中だからという言い訳も意味は為さないのだ。
ギンに求められたら、絢女は拒めない。拒みたくもない。それなのに、その状況をひどく怖れている自分がいることを、彼女は自覚していた。
(どうしよう…)
ぐるぐると出口のない思考に陥りそうになった絢女を救ったのは、ギンに渡されたルームサービスのメニューだった。ルームサービスを頼むということは、必然的に注文の品を運ぶ為に従業員が部屋を訪れるということだ。他人がやってくるのに、絢女を欲することはないだろう。その結論に安堵して、絢女はようやく落ち着いてメニューを眺めることが出来た。ハーブティーと焼き菓子の盛り合わせを注文することに決めた時、ギンがバスルームから出てきた。
「注文、決まった?」
「ええ」
「何にするの?」
「ハーブティーと焼き菓子」
「了解。ほな、注文するな」
ギンは電話を取ると、ルームサービスを頼んだ。自身は珈琲を注文し、電話を置くと、彼は絢女が座しているソファと向かい合わせの椅子に腰を落ち着けた。
「ちょっと空が明るなってきたかな」
とギンが外を指差す。まだ、雨脚は緩んでいなかったが、雨のカーテンの向こうで西空が少し明るく見えた。
「せめてホテルに辿り着くまで降るのを待っててくれたら良かったのに」
恨めし気な絢女に、
「せやね」
とギンは逆らわずに同意した。だが、その表情は思わぬなりゆきを明らかに楽しんでいた。
羞恥心の強い絢女がバスローブ一枚という格好を頼りなく感じていることも、ギンはお見通しだった。いつもきちんとギンの目を見て話す彼女が落ち着きなく視線を彷徨わせるのを、彼はほくそ笑みながら観察していた。
(可愛えなぁ)
狼狽えていることなどギンの目には丸分かりなのに、必死で平静を装う態が可愛い。ちょっとでも顔を動かせば嫌でも目に入って来るダブルベッドを、どうにかして視界に入れまいと足掻く様子がいじらしい。先ほどまでいた植物園のあの花が綺麗だった、あそこの花壇が面白かったと、会話が途切れるのを懼れる様子で話し続ける彼女に相槌を打ちながら、ギンは恋人の惑乱を面白がっていた。
「失礼いたします」
ルームサービスを運んできたらしい男性の声が聞こえ、ギンは席を立った。彼は従業員を部屋には入れなかった。注文の品が乗った盆を受け取って従業員を帰し、
「お茶、来たで」
と彼はカップや皿をテーブルに置いた。
「ありがとう」
カモミールを中心にブレンドされたハーブティーは香りが良くて、絢女は浮足立っていた心が少しだけ落ち着くのを感じた。
「おいしい?」
ギンの問いかけにこくりと頷いて、彼女はマドレーヌを手に取った。
「こっちのクッキー、貰ってええ?」
「ええ、どうぞ」
焼き菓子もまあまあの味だ。気が付けば、雨はずいぶんと小降りになっていて、空も明るさを回復しつつあった。
「やっぱり夕立だったみたいね」
「うん、こういう雨のコト、この頃の現世では『ゲリラ豪雨』いうらしいで」
「ゲリラ豪雨?」
ゲリラというと紛争地域で強大な独裁者や侵略国家に抵抗する民兵のイメージがある。小回りが利いて神出鬼没、奇襲や攪乱を得意とする小規模な部隊だ。いきなり天候が急変して、対策を立てる暇すら与えずに土砂降りとなった今日の雨は、確かにゲリラの奇襲に似ていないこともない。しかも敵を叩くだけ叩いてダメージを与えると、反撃されるより前にさっと撤退してしまう足の速さも、急速に回復しつつある今の空と相似している。
「うまい言葉ね」
「ボクもそう思うわ」
絢女がハーブティーを飲み終えた頃には、雨はすっかり上がっていた。再び、広がった青空に、
「嘘みたい」
と唖然として目を見交わす。
「ほんまゲリラやなぁ」
ギンが呆れた声音で苦笑を零し、絢女も同感だと頷き返した。
「あっ!」
急に絢女が声を上げた。
「ギン、見て。虹が出てる!」
彼女が指差した方角を目で追えば、硝子窓の向こうに見事な半円を描くくっきりとした虹が橋を架けていた。絢女は虹をよく見ようと椅子から立ち上がり、窓の真ん前に立った。虹は植物園のドーム型の温室に左の橋脚を下し、右の橋脚は背後の名山の中腹あたりで山向こうに消えていた。
「綺麗…」
虹の橋の寿命は儚い。薄れゆく虹を、名残惜しくじっと見つめていると、ギンが絢女の背後に立った。
「絢女の方がずっと綺麗や」
囁きと同時に背後からすっぽりと抱きすくめられて、絢女は途端に身体を強張らせた。心臓がどくどくと煩いほどに悲鳴を上げ始めた。
(怖い…)
先ほど宥めたはずの懼れが甦った。
(どうしよう、怖い…)
それを告げてもギンは納得しないだろう。彼とは昨日今日の関係ではない。もう幾度となく肌を合わせていて、絢女は女の悦びをたっぷりと教え込まれているのだ。今更怖いなど、自分でも滑稽だと感じることを、ギンが理解出来るとは思えない。
だが、怖い。
ギンの唇が項に押し付けられた。
ぞわり、と背中を走り抜けたのは官能の疼きが二割ほど混じり込んでいたが、残り八割は恐怖が占めていた。
「ギン…」
「ん?」
「ホテルの人が食器を取りに…」
「連絡するまで来ィへんよ」
あっさりとギンは突き放した。
「でも、服…。クリーニングした服は持ってくるでしょ?」
「仕上がるのん、六時半は過ぎるそうや」
と彼は絢女の身体を動かして、ベッドサイドのテーブルに埋め込みの時計を見せた。時刻は午後四時十四分を示していて、服が仕上がるまで二時間以上の時間があることを彼女に教えた。
片手で逃げられないように絢女の身体を拘束したままで、ギンは勢いよくカーテンを引いた。厚い遮光カーテンに遮られて、部屋は大雨の時以上に薄暗くなった。
「絢女、欲しい」
直球で投げつけられた言葉に絢女は全身を石に変化させた。
怖い、怖い、怖い
その理不尽な恐怖感がどこから来るのか、絢女は自分でも分かっていなかった。
ギンには数えきれないほどに抱かれているが、現世で、義骸に入った状態でというのは初めてだ。だから、怖いのだろうか。
絢女が必死に恐怖感の原因を掴もうとしていた時、ギンは漸く、絢女の怯えに気が付いた。部屋に入ってからこっち彼女が狼狽えてることは先から承知だった。しかし、彼はそれを恥ずかしがっているからだと解釈していた。彼女の羞恥心の強さは相当なもので、それに慣れているギンは落ち着きのなさも、身体の強張りも羞恥から来ているものだとばかり考えていた。
だが、絢女の身体を反し、真正面から彼女の顔を見た時、ギンは琥珀の眸に宿る強い恐怖を認めた。
「絢女…?」
ギンの面輪に浮かんだ気遣いの色に、絢女は怯えを覚られたことを知った。
「…ごめんなさい」
小さな声で、絢女は謝った。
「どうしたん? 現世でするのんがそんなに嫌?」
「嫌なんじゃないの。違うの」
そこだけは誤解されたくなくて、絢女は首を横に振った。
「嫌じゃないの。本当よ」
「…」
「本当に嫌じゃないけど、だけど…」
「怖い?」
絢女は仕方なく肯定した。
「何で?」
と絢女の顔を上向かせながら、ギンは尋ねた。尋ねながら、かつて同じ言葉を聞いた覚えがあることに思い至った。
「分からない…」
絢女は途方に暮れた。問われても答えられなかったのだ。
「何で怖いのか分からないの」
嫌ではないが怖い。
昔、絢女は同じことを言いはしなかったか。
記憶を辿っていったギンは、ほどなく、彼女からその言葉を告げられた日のことを思い出した。あれは二度目に彼女を抱いた晩だ。彼女を求めたギンに、震えながら彼女は謝ったのだ。だが、その恐怖の源泉はギンとの初夜で与えられた苦痛にあり、彼女が謝る筋はなかった。
「…初めてやから、怖いんや」
絢女本人よりも先に、ギンが理由を覚った。
現世でデートしたことは何回もあったが、過去のそれは本当に遊びに出ただけだった。義骸で抱き合ったことは、かつて一度もない。従って、絢女の義骸は未だ男を知らない処女なのだ。
処女喪失の際に痛みを伴うことは、男にはどうすることも出来ない。女の身体の構造がそうなってしまっているからだ。そして、その痛みはかなりの激痛である、と一般に言われている。しかし、実際のところ、痛みの程度にはかなり個人差がある。痛い、痛いと聞かされて身構えていたが、我慢できる程度の軽い痛みだったという娘もいれば、腰骨が砕け、身体が裂けてしまうのではないかというほどの激烈な痛みだと認識する女もいる。その差が生じる原因の一つには苦痛に対する女性自身の感度が大きいだろう。物理的な苦痛に対して、敏感な者と鈍い者では感覚的な痛みの捉え方が根本的に異なっているのだ。また、女の側の条件が同じだったとしても、相手があることだからそれによっても苦痛は違ってくる。即物的な面で論じると、男の道具の立派さは苦痛の強弱に直結する。身も蓋もなく言ってしまえば、ごく一般的なサイズと、馬並みと男自身が誇っているような巨根と、牛蒡のようだと蔑まれるほどの貧相なものとでは当然、痛みを感じる度合いが違う。ものが立派であるほど女が喜ぶと信じている男は多いが、処女に限定すると、貧相なものほど苦痛が少ないと言えるのだ。それから、心理的な側面が痛みの知覚に及ぼす影響も大きいだろう。本当に恋しい相手に納得ずくで抱かれるのと、見知らぬ男から無理矢理に犯されるのでは感じる痛みは全く異なるのだ。
「ごめんな、絢女」
ギンの謝罪に、絢女の眸が揺れた。彼女にしてみれば、自分でも納得のいかない理由で怯えているのに、ギンが謝るのは変だという思いがある。理不尽なのは絢女のはずだ。
「ギン、どうして…?」
「絢女が怖がるんは、ボクのせいやもん」
「ギンのせいなんかじゃ、」
「ボクのせいやよ」
と彼は絢女を遮った。
彼女が処女喪失に慄くのは、霊体での初夜の苦痛が深かったからだ。彼女は自ら望んで、ギンに抱かれた。しかも、彼女は死神という職業柄、怪我には慣れており、痛みに対してはかなり耐性を持っている。にもかかわらず、無意識で恐怖するほどの痛みを記憶してしまったのは、ギンの側に咎があることだった。
百四十年ごしの焦がれに焦がれた想いは、絢女に触れたことで完全に箍を失ってしまった。無我夢中で、ただ自らの欲望のみに突き動かされて、ギンは絢女を抱いた。彼女が初めてだと承知していたのに労ることすら出来ず、無茶苦茶に犯し続けた。無垢な娘にとって、それはどれほど恐ろしい嵐のような時間だったろう。自らが愛しい女に与えた深い恐怖を改めて認識し、ギンは強い悔恨を感じた。
「初めての時に、ボクは絢女を酷い目に遭わせた。せやから、絢女は怖うしてたまらへんのや。処女を失くすんは身体が引き裂かれるほど痛いモンやて、絢女に刷り込んでしもうたのはボクや」
そうか、と絢女は得心した。あの時の痛みと恐怖を再び味わうことを、絢女は懼れたのだ。
互いに進むも退くもならず、ギンの腕の中に絢女が抱きすくめられた状態のまま、数分が経過した。
「やり直させて」
動いたのはギンだった。
「もう一遍、絢女に痛い思いをさせてしまうけど、でも、あの時みたいな酷い目には遭わせへんて約束できる。せやから、やり直させて」
技術開発局の手による作り物でも、絢女の身体なのは間違いない。絢女の全てが、ギンは欲しい。義骸が処女だというのなら、その身体に刻印を残すのは自分でありたかった。
強張ったままだった絢女の身体から不意に力が抜けた。ギンに身体を預け、絢女は目を閉じた。彼女の了承の意を汲み取り、ギンは彼女を引き寄せると口接けた。軽い、小鳥の啄みのような
「ん…」
夢中で彼の背に腕を廻して縋りつくと、ギンは舌を絡ませたままでぐっと彼女の身体を引き寄せた。一瞬、唇が離れたが、すぐに角度を違えて口接けられる。絢女が半ば酩酊しているのを見極め、ギンはゆっくりと彼女の身体を寝台に横たえた。
やっぱり、処女を失う時には痛みを感じるのだろう。だが、きっと耐えられるはずだ、と絢女は信じた。あの時とは状況が違う。義骸は処女でも、絢女の霊体はすでに女の悦びを知っている。どこを触れられたら溶けてしまうのか、どうされたら酔ってしまうのか、もう彼女は分かっている。苦痛の先に愉悦があることを、承知しているのだ。
ギンの手がバスローブの前を止めていた腰紐を解いた。するりと、ローブが引き抜かれ、絢女は下着だけになった。
「…やっぱり、肩の傷はないねんな」
落ちて来た呟きに、絢女はギンを見返した。
技術開発局は衣服から露出する部分については、本体と寸分違わぬように義骸を仕上げる。だが、衣服に隠れる部分の後天的な傷までは再現しない。引っ攣れた傷痕のない滑らかな義骸の膚を目の当たりにして、彼は傷の醜さを改めて思い知ったのだろうか。
「気になる?」
おそるおそる尋ねた彼女に、返したギンの言葉は、
「そやね。なんやもの足りへん」
というものだった。
「もの足りないの…?」
あんな醜い傷なんてない方がいいに決まっているのに。疑問が顔に出ていたのだろう。ギンはつっと指先で傷があるはずの辺りをなぞった。
「ほら、な。あんまり感じてへん」
「え…?」
「いつもやったら、この辺りに触れるだけで、絢女、ものすご感じてしまうのに」
確かに、傷痕に触れられた時にいつも感じている、あの甘い痺れが来ない。全く感じていないわけではないのだが、もともと傷のない方の肩を愛撫されている時と変わらない心地であった。感覚の違いに戸惑っていると、
「ボクはあの傷、好きやで」
とギンは告げた。
「どうして…? だって」
「あれは絢女の勲章や。部下たちを見捨てへんで、勇敢に闘ったいう証明なんやから、恥じることなんてないで」
「それは…、でも…」
「絢女」
ギンはバスローブを脱いで、彼女の眼前に裸身を晒した。
「ボクの義骸も傷痕なんてないねんけど、絢女はこっちの方がええ?」
絢女はふる、と首を横に振った。
義骸には彼の言う通り、傷なんてどこにもない。けれど、ギンの霊体は満身創痍であることを絢女は知っている。
胸元の刃物傷と背中の裂傷の痕は、尸魂界に流されてきた当時からあったものだという。現世の人間は器子の肉体と霊子の魂魄との二重構造になっていて、肉体の損傷は魂魄にもダメージを与える。だが、死因となるほどの大怪我の場合、逆に因果の鎖が断ち切れてしまうので、魂魄には損傷が残らないのが普通である。魂魄にまで刻まれる傷痕というのは、生前に負った、死には至らなかったものの相当に重篤な傷の名残である。そして、それは絢女に出会うより前、闇の中で生きていた頃に負ったものに間違いないと、ギンは断言していた。それ以外に、尸魂界で負った傷もある。ほとんどは最貧区にいた頃のもので、彼が自らの身体を盾にして乱菊を護りながら生き抜いた証であった。さらに、一番目立つ、そして一番大きな傷跡は他でもない、藍染との決戦の際、絢女を護った時のものだった。鏡花水月による刀傷は四番隊の手によって、痕も残さずに治癒されていたが、黒棺に蹂躙された痕はわずかに残っていた。何より、内臓を潰された腹は技術開発局によって臓器回復させるのが精一杯で、表皮を縫い合わせた痕は絢女の肩の傷など及ばないほどに複雑に引き攣れていた。
ギンの身体に刻まれた傷は、彼が辿って来た苦難の道を示している。傷のない義骸はきれいだが、のっぺりとしていて全く重みが感じられなかった。
「私も…」
「うん?」
「私もギンの傷痕が好きよ」
あの傷の全てが、ギンの
「ギン、好き。大好き」
熱にうかされたように繰り返しながら、絢女は腕を伸ばしてギンに縋りついた。
再び、唇が重なった。互いに貪りながら、相手を激しく求め合う。ギンは絢女のブラジャーのホックを外すと、緩んだ布の隙間から手を差し入れた。
「ああっ!」
絢女の身体がのけ反った。羞恥から声を上げることを拒みがちな絢女だったが、ギンに根気よく教え込まれて、この頃、ようやく歓びの声を押さえなくなった。乳房を掴まれ、優しく揉みしだかれて、彼女の声が甘ったるく変化した。
「は…、んん…、ギン、そこは…」
「ここがええんやね」
絢女の遺伝子情報を元に作られた義骸は、本体と感じやすい場所も同じらしい。乳丘の頂のつつましやかな蕾を弾くように弄われ、絢女の唇から、一際甘い喘ぎが零れた。
しがみ付いている彼女の腕を一本ずつ解いて、ギンはブラジャーを取り去った。邪魔な布切れが消え去って、椀を伏せたような美しい双子の半球がギンの目に晒された。
(ちょこっと小さい、かな?)
霊体の絢女の胸を思い描いて比べてみると、義骸の方がごく僅かに小振りなような気がした。といっても、ギンでなければ分からない程度の差でしかない。そっと左の果実を口に含むと、
「ああ、ん、ン、ン」
と絢女は身をくねらせた。
左乳房を口で吸い立て、右の乳房を左手で玩弄しながら、ギンは絢女の下着を引き下ろした。レース飾りのついた布が太腿の半ばまでずり下がったところで、彼の右手が柔らかな
「はぁ…、ん…」
切ない吐息が心地よくギンの耳朶をくすぐる。絢女はつと手を伸ばして、ギンの背を背骨に沿って下から上に撫で上げた。びくっと彼の身体が一瞬痙攣し、絢女はとろんと潤んだ眸で満足そうにギンを覗き込んだ。
「ギンの義骸も一緒ね…。背中、感じるの…」
そこは絢女が偶然に気付いたギンの快楽ポイントで、以来、彼女は必ず意図的にそこを刺激する。左肩の傷痕はともかく、他の部位については霊体と同じ箇所に自分が反応していることを覚った絢女は、ギンの義骸も同じだろうかと試みてみたのだ。
「遺伝子情報、同じやもん」
ギンの応えに笑みを浮かべ、絢女は再びギンの背中を撫でた。
「気持ちいい?」
「ええよ、すごく」
絢女からもたらされる背中への愛撫に、ぴく、ぴく、と小刻みに官能を昂らせながら、ギンは指を叢の奥に進めた。すでにじっとりと露に濡れそぼった叢の最奥に甘露の源泉を見付け出し、彼は泉に浅く指を浸した。
「ひ、あっ!」
と短い嬌声を上げて、絢女は背を反り返らせた。
「ギン…、や…」
吐息が熱を増した。潤んだ眸の端に涙が盛り上がった。僅かに身体を震わせながら、絢女はギンの愛撫に身を委ねていた。
充分すぎるほどに秘め所が潤っているのを見極め、ギンは中指をずぶりと谷間に埋め込んだ。途端に、
「う…」
と絢女の表情に苦悶が浮かんだ。
ギンの巧みな愛撫で官能を蕩けさせていた絢女は、あれほど脅えていた破瓜の苦痛を意識から遠ざけていた。ギンに抱かれることに慣れきった現在の彼女は、指の一本、二本では快楽しか感じなくなっている。だが、彼女の義骸は指さえ受け入れることは初めてだったのだ。突然にもたらされた痛みに、官能がすうっと薄まってゆく。
「かんにん、やっぱり痛かったな」
「平気…」
と絢女はかぶりを振った。忘れていたところでいきなり感じた痛みだったので、つい大げさに反応してしまったが、この程度の痛みが耐えられないようでは死神稼業など到底務まらない。それに、本当に何一つ知らなかった霊体での初夜の時とは違う。あの時は痛みにばかり意識を攫われていて、悦楽などとても感じてはいられなかった。しかし、既に歓びを覚えてしまっている絢女は、苦痛と並行してきっちりと快感も拾い上げていた。
絢女に先を促され、ギンは更に指を奥へと進めた。根元まで谷間に呑み込まれたところで、絢女が感じやすい箇所を指の腹で的確に叩いてやると、
「ン、…あ…」
再び、声の質が変わった。
「ギン…、ギン…」
細い声が男の名を繰り返す。彼女が痛みよりも快感を勝らせているのを確認し、ギンは人差し指をも侵入させた。
狭隘な彼女にとって、二度目の処女喪失もかなりの苦痛を伴うだろう。そればっかりは、ギンにも如何ともしがたかったが、感じる痛みを可能な限り減らすことは出来る。その為にも、彼女をしっかりと慣らしておく必要があった。
更に薬指をも加えた三本の指を秘め所に埋めさせた時には、さすがに痛みが勝ったようで、身体を強張らせて耐えていた。しかし、苦痛しか感じていないのではないことは、表情と声で明らかだった。どんなに痛みを伴おうとも、絢女にとって、ギンに抱かれることは歓びに繋がっている。ギンを受け容れられずに、彼の相手を務めることが出来る女たちに密かに羨望と嫉妬を覚えていた昔を顧みれば、彼を独占している現在は夢のように幸福だ。
ギンは指を抜き取った。
「挿れるで」
と囁けば、覚悟を決めた琥珀が見返してきた。
「絢女、痛かったら、泣いても叫んでもかまわへんから…」
「うん…」
襲ってくるはずの痛みに身構えて、絢女の身体は強張っていた。力を抜いた方が幾分ましなのは彼女自身理解しているのだが、意志の力では無駄に力の入った身体を緩めることは出来なかった。ギンもその点は承知していて、「力を抜け」などと無理な指示は与えず、ただ猛りきった己を暴走させないようにゆっくりと進めることだけに気を配った。
先端が僅かに入り込んだだけで、絢女の顔が苦痛に歪んだ。
「絢女、大丈夫やよ」
「ギン…」
「絢女、姫さん…。好きや」
「うん」
ぎゅう、と絢女は力を込めて、ギンにしがみついた。
「姫さん…」
「はい…」
「次、来るから…」
あまり強引なことはしたくないのだが、この岩戸だけは力任せにしないと先に進めない。ギンは軽く息を吐くと、ぐっと腰に力を込めて楔を打ち込んだ。
「あ、ああぁー!!!!」
絶叫が迸った。腰骨がめりめりと音を立てて砕けた気がした。痛み慣れした死神の絢女をして、この激烈な苦痛には叫ぶしかなかった。ギンにしがみついている指に、無意識で力が籠った。弾みで指の骨が折れてしまいそうなほどの力で、絢女はギンの背中に縋った。一方、力ずくで天の岩戸を破壊したギンは、そこでいったん身を止めて、絢女を襲った嵐が落ち着くのを待った。
「…ギン…」
やがて、小さな声が聞こえた。涙でべとべとに濡れた顔で、絢女がギンを見上げていた。
「かんにん、やっぱりつらい目に遭わせてしもうたな」
「…大丈…夫…」
どくどくと身体中の血管が脈を打っていた。ずきずきと腰から重たい痛みが全身に広がっていく。それでも、骨が砕け散ったかと感じたほどの激痛は遠のいていた。
「姫さん、深呼吸出来る?」
頷いて、絢女は息を吸った。ギンが優しく彼女の髪を梳いている。その手の動きに合わせて、今度はゆっくりと息を吐く。十回ほどそれを繰り返すと、漸く落ち着いてきた。相変わらず、血管は煩いくらいに音を立てて勢いよく血流を押し出していたし、腰の鈍くて重い痛みは消えはしなかったが、それでも、ギンがその身を進めても耐えられると感じた。
「ギン、もう…大丈夫だから…」
「ん…」
ギンは慎重に腰を進めた。こんなに気を遣って緩やかに挿れたのは、絢女相手でさえ二度目の時以来だと考えながら、熱い楔を更に奥へと穿っていった。
とうに忘れたはずの破瓜の激痛。けれど、ただ苦しかっただけの初めての時とは異なって、絢女は官能の悦びを汲み上げることが出来る。痛みは消えてくれないけれど、感じる悦楽が痛みを和らげてくれる。
「動かしてもええ?」
と伺いを立てたギンに、
「お願いします」
と絢女は返した。むしろ、動かして、掻き回して欲しかった。彼女が覚え込んでしまった歓びを刺激して、痛みを紛らわせて欲しかった。
ギンは腰を動かし始めた。いつもよりも動きが緩慢なのは、絢女の反応を見極めようとしてのことだ。浅く、軽く動かしてみて、大丈夫そうだったので、ギンは徐々に律動を速めていった。揺さぶられる度に、絢女の腰にびりびりと痛みが来る。だが、同時に官能の波も押し寄せて来て、絢女は苦しいのか、気持ちがいいのか、自分でもよく分からなくなっていた。
「ああ、あ…! や、あっ!!」
苦痛と愉悦がぐちゃぐちゃに混じり合った悲鳴を上げながら、彼女は確実に上り詰めてゆった。やがて、ギンが煮えたぎったマグマを噴出させたのとほぼ同時に、絢女の意識は閃光に包まれた。
気が付いたら、部屋は真っ暗だった。ベッドサイドテーブルの下部に小さな照明が付いていて足元を照らしているばかりだ。ゆっくりと頭を動かすと、
「気ィついた?」
とギンの柔らかな声が聞こえた。
「…私、眠ってた?」
「というより、気ィ失っとったいうんが正確やろなぁ」
とギンは苦笑すると、枕元の照明をぱちんと点けた。
「もう、夜?」
「ン、七時を廻ったトコ。動ける?」
絢女は曖昧に頷いて、そろそろと身を起こした。腰に鈍い痛みと違和感は残っているが、自力で起き上がることが出来た。
「一応、身体は拭いておいたけど、気になるんならシャワーを浴びるとええよ」
「…ええ、あの…、服は?」
「仕上がっとるよ。クローゼットに掛けとるから」
絢女はベッドを抜け出した。布団の上に投げ出されていたバスローブを羽織り、ギンが畳んでくれていたらしい下着を取り上げると、
「シャワーを浴びてくる」
とバスルームに向かった。
「動けるんなら、晩御飯を食べに行こ」
ギンの言葉に急に空腹を自覚し、絢女は、
「おいしいものを食べたい」
とギンを振り返った。
「せやね」
と彼も笑みを広げた。
リゾート・ホテル内のフレンチの店でワインとコース料理の晩御飯を済ませ、結局、二人はそのままホテルに泊まった。
明け方、早々にチェックアウトして、まだ営業開始前の植物園の傍らで、穿界門を開いた。
「何や、今回はえらい予定が狂ったねぇ」
とギンは言った。そう言いながら、彼の顔はやたらと嬉しそうだった。
その後、彼は件の植物園のローズ・フェスティバルとクレマチス・フェアについて情報を寄越した隊員に、例によって礼金を支払った。だが、その額がかつてないほど高額だった為、噂は現世駐在の死神の間のネットワークで千里を走り、ギンの下に集まる情報はますます充実していくのだった。