貴女がくれた日
五番隊の隊長舎の前に立つと、訪いを入れるまでもなく、隊長舎の主が姿を現した。
「ルキアちゃん、いらっしゃい。ごめんなさいね」
と絢女ににっこりと笑みを向けられ、ルキアは姿勢を正して、
「絢女隊長、おはようございます」
と深々と一礼した。
「絢女隊長、本日はどちらへ伺うのですか?」
ルキアの問いに、絢女は僅かに笑んで、
「内緒」
と告げた。
「はぁ…」
「それからね、ルキアちゃん。今日は私のことを『絢女隊長』ではなくて『姉様』と呼んで貰えないかしら?」
「は、承知いたしました」
ルキアは素直に応じた。
十四郎から、十四日は隊舎に出勤せずに五番隊の隊長舎を訪れるようにと命じられたのは三日ほど前のことだった。
「絢女隊長から午前中いっぱい、朽木を借り受けたいと申し出があってな。悪いが十四日の午前中は五番隊勤務で頼む」
任務の為に隊士の貸し借りをすることは、たまにある。その類だろうと思ったので、ルキアは別段に不審とも感じずに頷いた。
「どのような任務なのでしょう?」
「詳しくは聞いていないんだ。討伐ではないそうだが」
と十四郎は答えた。これも任務によっては他隊には明かせぬ内容であることは稀ではないので、不思議ではない。
「ああ、それと、当日は私服で来てほしいとのことだった」
「私服、ですか? どのような服装がよろしいのでしょう?」
「そこそこに改まった外出着で、とのことだった。振袖だとちょっと大げさになるから、訪問着か色無地くらいがありがたいと言付かった」
ということは調査任務だろうか。それなりに格のある装いを求められているようなので、貴族の家、あるいは大きな商家に入る必要があるのかもしれない。そういった場所では、ルキアの持つ「四大貴族朽木家の令嬢」という肩書は大きな力を持つので、絢女はそれを期待して借り受けたいと十四郎に頼んだのだろうと、見当を付けた。
義兄である白哉に相談すると、そういうことなら、まだ松の内なので正月らしい装いが良いだろうと教えられた。そこで、ルキアは深緋色に桜、梅、牡丹、菊、椿などの四季の花々を花の丸模様に友禅染と刺繍で表した訪問着を選び出した。合わせる帯は御所解きの風景を刺繍した練色の綴織だ。これに着物の地色に似た蘇芳色の帯締めを合わせて引き締めた。帯と着物の図柄に呼応するように花車の金工細工の帯留めをあしらい、帯揚げは帯と同色の練色の縮緬とした。冬場のことで着物一枚では寒い為、上から東雲色地に薬玉をあしらった道中着と大判のショールを纏い、ルキアは五番隊隊長舎を訪問したのだった。
絢女の装いを見て、選び出した着物は正解だったと安堵した。ルキアに私服で来るようにと指示しただけあって、絢女ももちろん私服姿だ。そして、その格が異なってはとルキアは危惧していたのだが、絢女も訪問着姿だったのだ。梅鼠色地に槍梅の地紋の綸子を淡い青磁色で霞取りに染め抜いて川の流れを抽象的に表し、そこに尾形光琳の「紅白梅図屏風」を髣髴とさせる紅白の梅木を友禅染めした図柄だ。梅の花は刺繍で表現されている。合わせてある帯は、光沢を押さえた金泥を思わせる地に常盤松を織り出した丸帯である。前帯とお太鼓部分には扇面が散らしてあり、鶴亀、松竹梅などの吉祥文様が美しい刺繍で表現されている格調の高いものだった。梅と松葉を刺繍したごくごく淡い桜色の半襟、やはりほとんど白に近いが仄かに朱鷺色を感じさせる鹿の子絞りの帯揚げと飛び鶴地紋の丸絎け紐の帯締め。
(お綺麗だなぁ)
とルキアは思わず見惚れた。
「それじゃ、早速だけど出かけましょうか」
「はい」
ルキアは絢女から三歩分ほど後ろに従っていたのだが、絢女は手招いて隣に立つように言った。
「さっき、『絢女隊長』ではなくて『姉様』と呼んでと言ったでしょ?」
絢女の言葉に、今日は姉妹として振る舞う必要があるのだと得心し、ルキアは、
「恐れ入ります」
と断ってから絢女の横について歩んだ。
絢女に連れられて辿り着いたのは、
小間物商といっても、千總屋は中級以上の貴族を顧客にしており、扱っているものは全て贅を尽くした高級品ばかりだ。貝紅ひとつとっても、容器となる貝に何重にも漆を塗り重ね、蒔絵や螺鈿細工を施した豪奢なものが並んでいる。もちろん、簪や櫛、帯留などの装身具も金工細工や本鼈甲、蒔絵などの職人の技術を極めたものばかりだ。
「ルキアちゃん、どれが好き?」
千總屋の店主が選び出してずらりと並べた簪を目の前に、絢女に問われて、ルキアは目を瞬いた。
「え…、あ、姉様…?」
絢女に目配せをされ、姉妹として買い物をする振りをしなければならないのだと悟り、ルキアは並べられた商品を見比べた。
金に
「姉様はどれがお好きですか?」
と困ってしまって尋ねると、
「そうねぇ」
絢女は微笑んだ。
「これなんか、ルキアちゃんに似合いそうよ」
と取り上げたのは雪の結晶を思わせるモチーフの
絢女はルキアの黒髪に簪を当てて、
「よく映えているわ」
と頷いた。すかさず、店主が鏡を差し出した。自分の髪に挿された簪を鏡で確認し、ルキアも綺麗だな、と感じた。
「袖白雪のイメージってこんな感じかしら?」
「ああ、そうですね」
「あとは…」
と絢女は四葉のクローバーの簪を、ルキアの髪に当ててみた。
「こっちもよく似合っているけど?」
「こちらも可愛らしいですが、私は先ほどのものの方が…」
「気に入った?」
「はい」
他の簪も一通り当ててみたが、ルキアが一番心惹かれたのは、絢女が最初に選び出した雪花のモチーフのものだった。それを告げると、
「じゃ、これに決めましょう」
と絢女はそれを買い上げた。
「請求書は五番隊隊長、日番谷絢女に廻して下さい」
「かしこまりました」
という絢女と店主の会話をルキアは戸惑いながら聞いていた。
綺麗に包装された品物を受け取り、店を出た後、ルキアはたまりかねて尋ねた。
「絢女隊長」
「今日は『姉様』でしょ?」
「あ、いえ、それは承知しておりますが、あの…先ほどの千總屋に何か問題でも?」
絢女はルキアを見返した。
「問題って?」
「いえ、何か、裏で怪しき品を取り扱っているとか…」
「いいえ。ごく真っ当な商売をなさっているちゃんとしたお店よ」
「は…、そうなのですか?」
「ええ。怪しい品物を扱っているなんて千總屋さんに失礼よ。どうしてそう思ったの?」
問いかけに、ルキアは口籠った。ルキアは調査任務だとばかり思い込んでいた。それで、千總屋に入ったので、この店に怪しい点があるのかと考えたのだが、絢女は違うと言った。では、一体、何なのだ。本当に買い物に来ただけなのか。ぐるぐると疑問を渦巻かせていると、
「ルキアちゃん、行きましょう」
と絢女が手招いた。
「次のお店に行かないと…」
「次、と言いますと?」
「お昼を予約しているの」
「は?」
ルキアは目を瞠った。
「あの?」
「ん、なあに?」
「調査任務ではないのですか?」
思い切って尋ねたルキアの問いに、絢女は明確に首を横に振った。
「違うわ」
「では…?」
「お昼のお店で教えてあげる」
そう言った絢女が次にルキアを案内したのは、
「ルキアちゃん、お誕生日おめでとう」
と告げた。
「え…?」
目を見開いたルキアに、絢女は先ほど購入したばかりの簪の包みを差し出した。
「これは私と、それから、あなたのお姉さまの緋真さまからのプレゼントよ」
「え…?」
事態が呑み込めず、ルキアはぱちぱちと瞬きを繰り返している。やがて、漸く現状を咀嚼出来たのだろう、小さな声で、
「ありがとうございます」
と礼を述べた。
「ですが、絢女殿…。今日という日に意味はありません」
「どうして?」
「私が朽木の家に養女に入った時に、卜占で決めた誕生日です。意味など…」
ルキアは唇を噛みしめた。瀞霊廷で産まれた貴族は、自分の誕生日を知っている。だが、流魂街出身のルキアは自分の産まれた日など知らない。諸般の届け出をするのに産まれた日の日付がいるからと、白哉が決めた日を受け容れただけだ。朽木家では、一応毎年、形ばかりの祝いをしてくれたがそれだけだ。海燕の死後は自隊でも孤立していたルキアは同僚にも自分の誕生日を告げていなかったから、誰も祝ってはくれなかった。また、彼女自身、それでいいと思っていた。無意味な日を祝われるよりも、そっとしておいてほしかったからだ。
俯くルキアに、絢女は穏やかに語りかけた。
「ルキアちゃん、私ね、冬獅郎の産まれた日のことをはっきりと覚えているの」
と彼女は言った。
「雪が降り積もった朝よ。前の晩からずっと雪が降っていてね。冬獅郎の産声で目が覚めて廊下に飛び出したら、外は真っ白だったの。雪はもう止んでいて、空は抜けるような青空で、おてんとうさまの光を浴びて、降り積もった雪がきらきらと
「では、日番谷隊長は本当に師走二十日にお生まれになったのですね」
感慨深く相槌を打ったルキアに、絢女は頷いた。それから、
「緋真さまも同じだったの」
と続けた。
「妹の…、ルキアちゃんが産まれた日を覚えているとおっしゃっていたわ」
ルキアははっと顔を上げて、絢女を見つめた。
「ずっと霙混じりの雨が降る、昏い天気の日が続いていたそうよ。だけど、ルキアちゃんが産まれるほんの少し前に雨が止んで、雲が切れて、その雲間からぱぁっとおてんとうさまの明るい陽が射して来たんですって。その直後に、ルキアちゃんは産声を上げて産まれたそうなの。日にちは睦月十四日。お昼を過ぎたくらいの時分」
「睦月…十四日?」
繰り返すルキアの声が震えた。
「では…?」
「緋真さまのご遺言で、緋真さまがルキアちゃんの実の姉だということは明かせなかったから…。睦月十四日が緋真さまが覚えていたルキアちゃんの誕生日だと教えることも出来なくて、朽木隊長は仕方なく、卜占で決めた日だとおっしゃったの。でも、緋真さまのことを明かしたのだから、もう嘘を続ける必要はないでしょう? だからね。冬獅郎の産まれた日を覚えている私が話すのが一番説得力があるからって、本当のことを明かしてほしいと朽木隊長に頼まれたのよ」
「…」
「今日という日にはちゃんと意味があるわ。ルキアちゃんは睦月十四日に産まれたのよ」
緋真は、亡き姉は、こんなにも自分のことを大事に想っていてくれた。ルキアの産まれた日をはっきりと記憶に留めるほどに、愛してくれていたのだ。絢女から明かされた真実が温かく、ルキアの裡に沁み渡っていった。ほんのりと眸を潤ませて、ルキアは、
「ありがとうございます」
ともう一度、今度は明瞭な声音で告げた。
絢女はゆっくりとひとつ頷くと、
「緋真さまはね、ルキアちゃんが見つかったら、今まで出来なかったことを色々としてあげたいと、話していらしたの。似合いそうな着物を見立てたり、一緒にお買い物に行ったりしたいと願っていらしたわ。そのお気持ちは、私にもよく分かった。冬獅郎を流魂街に預けていた頃、あの子のところに持っていくお土産を選ぶのは私にとって一番の楽しみだったから…。一緒には暮らせなくても、冬獅郎はちゃんと私の目の届くところにいて、色々なことをしてあげられた。でも、緋真さまはそれも叶わないままに亡くなられてしまったの。だから、せめて今日は、緋真さまに代わって、私がルキアちゃんとお買い物に行って、ルキアちゃんの為に贈り物をしたかったのよ」
「そうでしたか…」
「勝手に簪に決めてしまってごめんなさい。だけど、緋真さまがルキアちゃんに簪を贈りたがっていらしたから、今日はどうしても簪にしたかったの。…戌吊はあまり治安が良くなかったから、装身具を身に着けられるような環境じゃなかったでしょう? ずっとおしゃれなんて出来なかった緋真さまが初めて身に着けた装身具が簪だったそうなの。朽木隊長から贈られたのですって。それでね、その時、とても、とても嬉しかったから、緋真さまはルキアちゃんにも簪を贈りたいって、そうおっしゃっていらしたの…」
「はい」
先ほど、簪の包みを渡された時に絢女が告げた、「自分と緋真からだ」という言葉をルキアは得心した。絢女は亡き緋真の想いを預かってくれていたのだ。
絢女は静かに着座していた椅子から立ち上がり、ルキアの傍らに廻った。首を傾げて同様に立ち上がろうとしたルキアを制し、
「もうひとつだけ、ルキアちゃんにプレゼントがあるの」
と絢女は言った。
「え?」
「今、私が着ている着物って、実は緋真さまのものなのよ」
絢女の言葉に、ルキアは目を瞠って改めて、着物を見直した。白哉の語るところによると、緋真もかなり小柄な女性だったらしい。ルキアよりもいくらか背は高かったらしいがそれでも、せいぜいが五尺 *1 という程度だったようだ。従って、絢女は緋真よりも四寸以上は背が高いことになる。丈も裄も足りない着物を、絢女は常より大きく衣紋を抜き、たっぷりと半襟を覗かせ、腰の低い位置で腰紐を結ぶといった工夫を凝らして着付けることで、不自然なく着こなしていたのだ。
「緋真さまが亡くなられた時に、朽木隊長から形見分けで頂いたの。緋真さまのお着物は全部ルキアちゃんに渡した方がいいって私は申し上げたのだけれど…」
絢女は緋真にとって、瀞霊廷でたった一人、心を許すことが出来た友人だった。緋真の持ち物は絢女の言うようにルキアに渡すつもりでいるが、亡き人の思い出の為に一組だけは受け取って欲しい。そう白哉に懇願されて、絢女は申し出を受けることにしたのだ。現在、絢女が身に着けている着物、帯、半襟に帯締め、帯揚げの一揃いは、白哉が正月の晴れ着として緋真に贈ったもので、特に緋真が気に入っていたものだった。
「緋真さまはもう亡くなられていて、魂は輪廻の流れに還ってしまわれた。もし、どこかで転生を果たされていたとしても、それはもう緋真さまではない、別の誰かだわ。緋真さまはもういらっしゃらない」
「…存じております」
「だけどね、緋真さまの想いは残っているの」
ルキアの目を覗き込んで、絢女は続けた。
「緋真さまのルキアちゃんを想う気持ちは朽木隊長と、それから、少しだけだけど、私もお預かりしたのよ」
「はい」
「さっき、この着物は緋真さまのものだって言ったでしょう?」
「はい」
「とても気に入っていらした着物だったのね。この着物には緋真さまの想いが念となって一番濃く残っていたわ。だから、私はこの着物を頂くことにしたの。いつかルキアちゃんが見付かった時に、一度だけ術を使えるように」
「術、といいますと?」
ルキアは怪訝に絢女を見返した。絢女は、自分が現世で人間の子供として生きていた頃、陰陽師の家系に生まれていたらしいこと、その為に今でも陰陽術の一部を操れることを説明した。
「この術を遣うと、着物に残っている緋真さまの念は昇華してしまうから、本当にたった一度きりしか使えないわ。でも、今日一度だけ、ルキアちゃんを緋真さまに会わせてあげられる」
絢女の言葉に、ルキアは目をまん丸に見開いた。
「どうやって、ですか?」
「緋真さまの念を私の霊力で増幅するのよ。もちろん、本当の緋真さまではないわ。幻のようなものだけど、でも、緋真さまの想いは感じ取れると思うの」
絢女はルキアの両手を包み込むように自分の両手で握った。
「目を閉じて、私と呼吸を合わせて」
「はい…」
瞼を伏せたルキアの耳元で、絢女の唱える符呪が響いた。鬼道の詠唱とも異なる不思議な響きの符をルキアは耳を澄ませて聞き入っていた。
徐々に絢女の霊圧が高まってゆき、ついにはルキアの膚をぴりぴりと刺すほどに感じられるまでになった。その時、
「朽木緋真、依りませ!」
と絢女の声が強く響いた。そして、次の瞬間、絢女の霊圧は掻き消えた。代わって、今まで触れたことのない、けれどもどこか懐かしさを感じる霊圧がルキアを包んだ。
「ルキア…」
呼びかけにはっと目を開くと、目の前に、絢女ではない別の女がいた。身に着けている着物は、先ほどまで絢女が纏っていた緋真の形見だという訪問着だ。だが、顔立ちも、声も、霊圧も、絢女ではない別の女がルキアを見つめていた。
「緋真姉様…」
ルキアに瓜二つの顔立ちは、祭壇に飾られた緋真の写真そのままだ。
「ルキア…、ごめんなさい。手離してしまってごめんなさい」
震える声で紡ぎだされた謝罪に、ルキアはかぶりを振った。
「緋真姉様、謝らないで下さい。もうご自分を責めないで下さい」
妹を捨ててしまったことをずっと責め続けていた姉に、どうしても伝えたかったことが今、言えるとルキアは思った。
「やさしい女性に拾われて、その人の娘として愛されて育つことが出来ました。養母が転生した後は、恋次という男の子と出会って、助け合って生きて来ました。兄様に養女にしていただき、護廷の死神にもなれました。私は本当に幸せです。姉様がご自分を責める必要なんてありません」
「ルキア」
緋真は握りしめていたルキアの手を解くと、そのまま妹を抱きしめた。
「ルキア…。私の妹…。会いたかった。会いたかった、ルキア」
「姉様」
ルキアも夢中で、緋真を抱きしめ返した。
「姉様、緋真姉様。私もお会いしたかった!」
絢女は緋真の残留思念を増幅させると言った。本物の緋真ではない、幻のようなものだと。けれども、その核となっている想いは確かに緋真のものに間違いないのだ。間もなく消えてしまう幻影でも、緋真は確かにルキアの前にいた。
「ルキア」
覚えていよう、とルキアは思った。
自分を呼ぶ、この優しい声を。温かな腕の温もりを。春の陽だまりのような霊圧を。一度きりしか起こせない奇跡なら、全霊を込めて、記憶してしまおう。
「ルキア、お誕生日おめでとう」
「姉様」
全身で緋真を感じよう。
「ルキアちゃん…」
囁くような絢女の声にルキアは、顔を上げた。
姉の姿は既に消え、ルキアは絢女を抱きしめていたことを知った。絢女も静かにルキアの身体から腕を離した。
「ちゃんと緋真さまに会えた?」
「はい」
とルキアは力強く頷いた。
「決して会えないはずの緋真姉様にお会いすることが出来ました」
「良かった」
絢女の優しい微笑が、先ほどの緋真の微笑みに重なって見えた。
十三番隊の隊舎に戻り、死覇装に着替えた後、見廻りに出ようとして、三席の二人に呼び止められた。
「朽木さん、今日、誕生日なんだってね! 浮竹隊長から伺ったよ」
「水臭せえぞ、何で言わなかった!」
「そうだよ、こっちのうどの大木はともかく、あたしには教えてくれなきゃ」
清音の言葉に、仙太郎がお約束のように食って掛かる。
「ちょ、こら、うどの大木たぁ何だ!?」
「無駄に背が高いだけじゃん。知ってる? 『山椒は小粒でもぴりりと辛い』って諺。ね、朽木さん」
と清音に振られ、彼女よりも小柄なルキアは、
「はぁ、いえ、あの」
としどろもどろになった。
「話が逸れてんだろうがっ! この鼻くそ女」
仙太郎がいつもの調子で、清音を罵った後、
「誕生日おめでとうな!」
と漸く本当に言いたかったことを口にした。
「あ、こら、うどの大木、狡い! 抜け駆け!!」
清音は叫ぶと、
「朽木さん、おめでとう! 明日、一日遅れちゃうけどお祝いするね!」
と付け足した。
「うめぇ飯屋を見付けたんだ。明日の昼飯は俺が奢ってやるからな」
「ありがとうございます」
とルキアは頭を下げた。意味のない日だと思い込んでいた時には「おめでとう」と言われても、虚しいだけだった。けれども、今は、「誕生日おめでとう」と告げられた言葉が優しく輝いている。ほんわりと温かなものを胸に抱えて、ルキアは見廻りに出かけた。
業務を終えて、朽木の屋敷に戻ると、恋次が来ていた。
「どうしたのだ?」
尋ねたルキアに、
「今日、ルキアの誕生日で祝いをするから、来いって隊長が」
と恋次は答えた。
「朽木隊長から聞いた。おまえが産まれたのって、本当に一月十四日だったんだな。隊長の奥さんが…、緋真さんが覚えていたって…」
「ああ、そうらしい。私も今日、初めて知った」
流魂街出身者で自分の産まれた日を明確に知っている者は少ない。尸魂界に送られる時に現世の具体的な記憶を失ってしまう際、誕生日も記憶から転げ落ちてしまうことが多いからだ。それでも、ここ五十年ほどで亡くなった魂魄には自分の誕生日を覚えている者が多かった。これは現世の仕組みが満年齢で年を数えるようになり、誕生日がアイデンティティの一つとして重視されるようになったことを反映してだろう。だが、正月で一歳年齢を重ねる数え年の風習が強かった時代の死者は自分の産まれた日を失っている者がほとんどだった。もちろん、幼くして死んだ者ほどその傾向は強い。少年のうちに尸魂界に流されて来た恋次も例外ではなくて、夏に産まれたらしいことは辛うじて記憶していたが、日にちは覚えていなかった。
彼の八月三十一日という誕生日は霊術院に入学する際に、適当に決めた日だ。夏だから、七月か八月。覚えやすいように日にちは月初か、月末ということで候補にした七月一日、七月三十一日、八月一日、八月三十一日の中で籤引きで決めたのだ。同じ時にルキアが決めた日も似たり寄ったりのいい加減さで、赤ん坊の頃に尸魂界に送られてきた彼女は自分が産まれた季節さえ記憶していなかったから、恋次の翌日、九月一日で霊術院には届けていた。
同じ護廷十三隊に所属していても、あの叛乱の日までルキアと恋次は遠く隔たっていた。だから、恋次は朽木家に養女に入ったルキアが誕生日を変えたことを昨年まで知らなかった。昨年のルキアの誕生日の際は、もうルキアは義兄の真実を知ってすっかり和解していたし、恋次は六番隊の副隊長として白哉の下にいたから、ルキアの誕生日のことも知らされていた。しかし、叛乱終結直後の混乱した時期であったので、誕生祝いはひっそりと内々で行われたに過ぎなかったのだ。
「ルキア、誕生日おめでとう」
恋次の言葉に、ルキアは笑みを浮かべた。
「今まで、誕生日なんて無意味だと思っていた。卜占で決めた日だと信じ込んでいたからな。だが、緋真姉様が覚えていて下さった日だと分かったのだ。これからは大切にしよう」
「おう、そうしろ。俺も来年も、その次も、ずっと祝ってやるから」
「ありがとう」
とルキアは頷いた。
緋真の遺影が祀ってある祭壇の間に、白哉はいた。
「兄様」
その背に呼び掛けると、白哉は穏やかに振り向いた。
「絢女殿から話は聞いたな」
「はい」
ルキアは白哉と向かい合う位置に正座した。
「兄様、今まで申し訳ありませんでした」
頭を下げて詫びたルキアに、
「何のことだ?」
と白哉は眉を顰めた。
「毎年、私の誕生日を祝って下さっていたのに、喜びもしないでおりました」
「卜占で決めた日だと偽ったのは私だ。喜べなくとも無理はない」
白哉は答えた後、続けた。
「緋真には会えたか?」
ルキアは目を見開いた。
「兄様、絢女殿の術のことをご存知だったのですか?」
「ああ、絢女殿から伺っていた。一度きりしか遣えぬ術だと聞いたが…、絢女殿には全く驚かされる」
「では、何故、ご同席なさらなかったのですか!? 緋真姉様に会える、ただ一度きりの機会でしたのに」
と思わずルキアは白哉に詰め寄った。
ルキアの前に現れた鮮やかな緋真の姿を思い返せば、白哉にももう一度会わせたかったと感じずにはいられなかった。だが、白哉は、
「必要ない」
ときっぱりと言い切った。
「何故…です?」
「緋真の姿は一挙手一投足に至るまで、はっきりと覚えている。今更、幻影など必要はない。だが、ルキアには譬え幻影でも会わせてやりたかった」
ほんのかりそめの幻術であろうとも、姉妹水入らずで過ごさせたかった。写真でしか姉を知らないルキアに、一欠片でも姉の温もりを感じさせたかった。白哉の想いに、ルキアは再び頭を下げた。
「ありがとうございます」
顔を上げると、祭壇の上で微笑む緋真の遺影と目が合った。
「ルキア」
昼間に聞いた、優しい呼び声が鮮やかに甦った。
ルキア、お誕生日おめでとう。
*1 五尺=約151.5cm。
四寸=約12cm。