Tea for Two
初夏の陽射しが爽やかな新暦皐月上旬。
絢女とギンは合羽橋を歩いていた。ギンと現世でデートの際は、ワンピースやブラウスとフレアスカートなどのフェミニンな服装を選択することが多い絢女だが、この日は藤色の綿のクロップドパンツに生成りリネンの長袖ニットを合わせ、白とラベンダー色のコンビのデッキシューズ、ラベンダー色のキャスケットというカジュアルないでたちである。一方のギンも、細身のジーンズに縞柄のタンガリーシャツというラフな格好だ。浅葱色のニット素材のハンチングを被ったのは銀髪を目立たなくする為の工夫だったのだが、絢女が「似合う、かっこいい」と褒めて、喜んだので、彼はかなり気を良くしていた。
植物園でも、水族館でも、映画館でもなく、合羽橋にやって来たのは、絢女の誕生日プレゼント調達の為である。彼女はギンにものを強請るということをまずしない。もともと物欲がそれほど強くない上に、高給取りの隊長職にあるので欲しいものは、たいてい自力で調達出来るからだ。男に貢がせるという発想がないので、誕生日であっても物を貰うことよりも、共に過ごす時間に重きを置いていた。ギンとしては、それはそれで嬉しいのだが、やはり形に残るものを贈りたくて、毎年、装身具や着物などを自ら見繕っていたのだった。
そんな絢女であるが、今年は珍しく誕生日に欲しいものがあると言い出した。何が欲しいのかとギンが質したところ、
「洋菓子の焼き型が欲しいの」
という答えであった。宝飾品でも、高価なバッグや靴などでもなく、菓子の焼き型というところが、いかにも彼女らしい。
最近、彼女は洋菓子作りに凝っている。もともと料理は得意で和菓子などもお手の物だった。ただ、洋菓子類は瀞霊廷に帰還を果たしてから後に、乱菊に教わって作ったヴァレンタインのチョコレート・ケーキが初挑戦であった。その後、乱菊に教わりながらあれこれと作って上達するにつれて、もっと色々なものを作りたくなったらしい。
「現世にはハート形のケーキとか、貝殻の形のマドレーヌとか、お花の形のゼリーとかを作れる型がいっぱい売っているんですって。そういうのが欲しいの」
と強請られたギンは、調理関連のあらゆる道具を総合的に取り扱う調理器具専門の一大問屋街・東京都台東区の合羽橋に絢女を連れて行くことに決めた。
出来れば絢女の誕生日に揃って非番を取りたかったのだが、その日は隊長会議の予定が入っていた。そこで、誕生日の三日前に非番を合わせて、二人は現世に降り立ったのだ。
ビルの上にそそり立つ巨大なコックの顔面にまず感嘆した絢女は、通りに足を踏み入れた途端、子供のようにはしゃいだ。プラスチックや蝋で作られた食品見本に目を奪われ、至るところに飾られている河童のオブジェにいちいち反応する絢女を、ギンは可愛らしいとにこにこ顔で見守った。この道具街では初心者向け~プロ仕様まであらゆる道具類が取り揃えられている。料理好きで道具類もたいそう丁寧に取り扱う彼女にはプロ仕様のしっかりした品物の方がいいだろうと、ギンは事前に調べておいた菓子用道具の専門店に絢女を案内した。
事前情報に全くぬかりはなかった。瀞霊廷では手に入らない変わった形の菓子型に、絢女は目を瞠って喜んだ。
「この型、可愛い」
と彼女がまず手に取ったのは、ヒマワリの形の焼き型だった。直径15cmくらいなので、やや小ぶりなケーキ用だ。その隣にはほぼ同じ大きさでタンズィー型という焼き型もあった。これは中心部に六角形の空洞が出来るもので、六角形の周りを十二枚の細長い花弁が取り巻いている形だ。店員に尋ねたところ、タンズィーとは小菊の一種で、それを象った焼き型なのだそうだ。
「菊なぁ…。ボクはどっちかというとダリアの花に似とるような気ィするけど?」
「そうね。私もぱっと見てダリアだと思った。でも、この型も可愛いわね…」
他にも、王冠型やクリスマスツリー型、薔薇の花型、あるいは北欧産の某絵本キャラクター型などの焼き型があって、絢女は相当に目移りしていた。ギンは全部購入しても良かったのだが、収納場所の問題もある。最終的に絢女が選択したのは最初に手に取ったヒマワリ型とタンズィー型のホールケーキ用の焼き型、7cmほどの小さなケーキをまとめて焼けるように約30cmの直径の板に1ダースの薔薇の形を打ち出した型、それから、ハート形のシフォンケーキ型、冷菓用にと薔薇とダリアの形のシリコン型を選んだ。花好きな絢女らしくほとんど花を象ったものばかりである。その他にパイやスコーンを作る際に使うめん棒や、デコレーションに使う細々した道具類も入手出来て、絢女はとてもご満悦の様子だ。
ギンが会計をしている間に、
「乱菊にもお土産」
と彼女は洋菓子については先生役だった乱菊に、様々な猫の形が抜けるシリコン型と直径10cmくらいの小さめの花の形の焼き型を二つほど購入した。
店を出てから、絢女は、
「ギン、大荷物のところを申し訳ないけど、本屋さんに寄ってもいい?」
と尋ねた。
「お菓子の本を買いたいん?」
予想を付けていたギンの返しに、絢女は頷いた。
「そんなら、お昼ご飯を食べてから、銀座に出てみようか」
「ごめんなさい」
「構へんよ。荷物はコインロッカーに預けておけば邪魔にならへんし」
とギンは笑った。
「ほんで、お昼ご飯やけど、この近くにロシア料理の専門店があるんや。そこに行ってみィひん?」
「ロシア料理? 面白そう。行ってみたい」
と絢女はギンの提案に素直に飛びついた。
現世でも数々のメディアで紹介されている有名店だけに混んでいるかと危惧したが、平日だったことと比較的に早い時間帯だったのが幸いしたらしく、すんなりと入れた。
「ロシア料理、いうたら、やっぱりコレやねぇ」
と定番のボルシチ、ピロシキ、ビーフ・ストロガノフに茸の壷焼き、ロールキャベツとサラダと二人客にしてはけっこうな数の料理を注文した。
「この挽肉の入った揚げパン、美味しいわね」
「ピロシキ? ボクも好きなんや。小腹が空いた時に丁度、ええと思わん?」
「そうね。おやつにも良さそう」
と絢女は同意した。ロシア料理店は初めての絢女は目新しい料理に興味津々といった様子で味わっている。
「なぁ、絢女?」
「なぁに?」
「本屋さんに行ったら、ロシア料理の本も欲しいなぁとか考えてへん?」
絢女は頷いた。
「お見通しね」
「長い付き合いやし?」
とギンは答えた。絢女は少し首を傾げてギンを見つめていたが、
「もしかして、私がロシア料理に興味を持つのを見越して、ここに誘った?」
と質した。
「絢女もお見通しやん」
ギンは悪びれずにそれを肯定した。
「絢女は料理のレパートリーが増えるし、ボクの食生活は増々豊かになるし、一石二鳥や」
「なるほどね。それじゃ、まずこのピロシキを覚えて、当分見たくないって言うくらい食べさせてあげる」
「楽しみにしとうよ」
と二人は笑った。
食後にベリーのジャムと一緒に飲むロシアン・ティーまで楽しんで、満腹して店を出た。
本屋に寄りたいと絢女が言い出した時、ギンが銀座に誘導したのは理由がある。もちろん、銀座なら大きな本屋があるというのが一番の理由で、だからこそ絢女も疑いもせずに同意したのだ。だが、もう一つの目論みがあった。洋食器の専門店に絢女を連れて行こうという腹積もりだったのだ。菓子の焼き型が欲しいというのは彼女の希望だから、それは無論叶えた。絢女はとても喜んで大満足しているし、プロ仕様のものをかなりの数で購入したので、金額的にもそれなりにはなっている。だが、焼き型が誕生日プレゼントというのも、何だか、淋しい気がギンにはしたのだ。菓子型を購入したのなら、それを使って絢女が焼いたケーキを引き立たせるような、洒落たティーセットでも一緒にプレゼントしようというのが、ギンの密かな計画だった。ついでに、おいしい紅茶か珈琲も仕入れれば、彼女と優雅なティータイムを過ごせるというものだ。
地下鉄の銀座駅で降りて、コインロッカーに荷物を預け、まずは本屋に足を向けた。
さすがに現世である。洋菓子のレシピ本もたくさん出版されていて、絢女はかなり迷っていた。その中で、特に興味を惹くちょっと凝った菓子のレシピが紹介されている本を二冊とロシア料理のレシピ本を一冊選び出して、絢女はギンに手渡した。当初、本は自分で購入するつもりでいたのだが、地下鉄で移動している時に、ギンからそれもプレゼントにしたいと申し出られたのだ。彼が引かないことは重々承知していたし、誕生日だから甘えようという気持ちもあって、絢女はそれを受け入れた。
綺麗にギフト用にラッピングされた包みを抱えて、レジから戻って来たギンの姿に絢女はほんわりと幸せを感じた。中身は分かっていても、やはり特別に飾られたのを目にすると、何となくわくわくしてしまうのだ。
「絢女」
「なぁに?」
「ボクもちょっと寄りたいところがあるのん。付き合って貰うてもええ?」
「もちろん」
とギンの計略を知らない絢女は疑うことなく承知した。
百貨店でも構わなかったが、洋食器専門店の方が商品は豊富だ。合羽橋の菓子道具店と同様に、情報収集能力を駆使して調べた銀座一の品揃えを誇る高級洋食器専門店に、まんまと絢女を連れ込むことにギンは成功した。
寄りたい店の正体が分かった途端、絢女は彼の意図を覚ったらしい。
「お菓子の型だけで充分だったのに…」
と彼女は溜息を吐いた。
「ええやん。せっかく綺麗な焼き型を手に入れたんやもん。花の形の可愛えケーキ、こういうお皿に乗せて食べたら、もっと美味しいと思わへん?」
「ありがとう。ギンはもう買う気満々みたいだし、誕生日だし、ここは素直にプレゼントされることにするわ」
とほとんど抵抗せずに承諾したのは、遠慮しても無駄だと過去に散々と学習してしまっていたからだ。
少しばかりの問答の結果、ペアのティーカップとケーキ皿、それにティーポット・シュガーポット・ミルクピッチャーの三点ティーセットを購入することで落ち着いた。絢女のことなので、花柄のカップを選ぶだろうと予測していたギンだが、今回は外した。彼女はヘレンドのロスチャイルドバードと呼ばれるシリーズのカップとケーキ皿を選択したのだ。このシリーズは十二種類のパターンの中から好きな図柄を選んで絵付け注文することも可能なのだが、絢女は店頭の在庫商品で気に入ったものを見付けたらしい。
「ギンのはこれで、私のはこっちにしたいの」
と絢女は周りをグリーンのロカイユ紋様で装飾されたカップと、色違いのピンクで装飾されたものとを選び出した。どちらも二羽の鳥が遊んでいるが、ギン用だというカップとケーキ皿はパターン見本によれば四番、絢女用は六番の図柄のようだ。ティーセットの方はシンプルな真っ白のものに決めた。ロイヤルコペンハーゲンの商品である。
計画が成功して、ギンは上機嫌である。散財させて申し訳ないという気持ちが絢女にはあったのだが、自分以上に嬉しそうなギンの顔を見ているとまぁいいかと思えてきた。
「絢女、おいしいケーキ、御馳走してな」
と言われたら、
「はい」
と頷く以外にない。
デパ地下の紅茶専門店で、可愛らしいブリキ缶に入った紅茶も三種類ほど入手した。
「誕生日ケーキ。可愛えのを注文しとるん。まずはそれでお茶にしような」
誕生日当日、真新しいティーセットでお茶を飲もうというギンの提案に、絢女はにっこりと微笑って賛同した。