栗食めばまして偲はゆ
いつもの見回りの途中、八百屋の店先で何故か冬獅郎が立ち止まった。
じっと、見つめる視線の先を背中越しに追いかけると、つやつやと輝く大粒の栗がざる一杯に盛られていた。
「栗ご飯でも食べたいんですか?」
と乱菊が尋ねると、いや、と冬獅郎は首を横に振った。
「じゃ、何?」
「何でもねぇ。行くぞ」
と、歩みだそうとする上司のTシャツの首根っこを掴んで、乱菊は止めた。
「何しやがる」
「栗。見てましたよね? 何が食べたいんです?」
無駄に気合が入った顔でじっと見下ろす乱菊に、冬獅郎は溜息をついた。
「何でもねぇって」
「何が食べたいんです?」
冬獅郎が正直に打ち明けるまでは梃子でも動かない構えになった乱菊に、不用意に栗に目を留めてしまった己を悔いる。
「渋皮煮だ…」
と、仕方なく冬獅郎は白状した。
「けど、作るのに手間がかかるんだろ? ばあちゃんが言っていた」
「確かにすごく手間はかかりますね。隊長、渋皮煮、お好きなんですか?」
「…姉さまが」
と、冬獅郎は言った。
「秋になると、毎年、こしらえて持ってきてくれたんだ。俺も雛森もそれが大好きで、二人で取り合って食ってたのを思い出しただけだ」
いくらか視線をそらし気味に冬獅郎は答えた。
姉の作った渋皮煮は本当においしかった。隊長になって、料亭などで食事した際に渋皮煮が供せられることもあったが、姉のものには敵わなかった。だからこそ、姉の行方が分からない現在、決して口にすることの出来ない幻の味だったのだ。
乱菊はしばらく冬獅郎の顔を眺めていたが、やがて、おもむろに八百屋の大将に目を移した。
「おじさん、この栗ちょうだい」
「まいど。これ、いい栗だよ。丹波篠山の一級品。渋皮煮にはもってこい」
「そうね。立派な栗だわ。おじさん、こんな美人におまけはなし?」
にっこりと笑った乱菊に、気のよさそうな八百屋の大将は目尻を下げて、
「うっかりしてた。姐さんがあんまり美人だったんで、つい見蕩れちまったんだ」
と、隣のざるから栗をいくつか余分に入れた。
「ありがと、おじさん」
栗が入ったビニール袋を受け取り、乱菊は上司を顧みた。
「さ、行きましょ。次はデパートですよ」
「あぁ?」
「お砂糖を買わなきゃいけないんですけど、このあたりのスーパーには置いてないと思うので」
「松本?」
「言いませんでした? あたしは絢女に家事全般仕込んでもらったって」
と乱菊の言葉に、あっと、冬獅郎は目を見開く。
「栗の渋皮煮もちゃんと教わってます。全く同じ味は無理かもしれませんが、近い味には出来ると思います」
初めて乱菊から手料理を振舞われた時、彼女の料理の上手さもさることながら、味が完璧に冬獅郎の好みで驚いた覚えがあった。先日、乱菊と姉が親友だったことを知らされ、その時に、乱菊に料理を教えたのが絢女だったことも聞いた。冬獅郎は祖母の料理と同じくらい、姉の料理が大好きだったから、乱菊の料理が姉仕込みだと知って、どうりで好みの味付けだったはずだと深く得心したものだ。
デパートの食材売り場で、乱菊は嬉しそうに、
「良かった、あった!」
と袋入りの砂糖を冬獅郎に示した。
「絢女はお菓子には、このお砂糖を使ってたんです。品のいい甘さに仕上がるからって。隊長が他の渋皮煮にがっかりしたのは、お砂糖が違っていたせいもあるかもしれません」
乱菊が手に取ったのは和三盆だった。近くに並んでいる一般的な上白糖や三温糖と比べ、十倍以上も高価な品だ。
「さすがに流魂街にいた頃は手が出ませんでしたけどね~。席官になってからは『これくらいの贅沢はいいよね』って言って。絢女はあたしと違って、着物やお酒に散財しなかったから。彼女の贅沢はお茶と料理に使う調味料だったんです」
さらに、乱菊は食材売り場をぐるりとまわり、砂糖の他に醤油や重曹など何品かを購入した。
織姫のアパートに戻り、乱菊は買ってきた栗をざっと洗うとざるにあけた。
虫喰いがないかを点検しながら、包丁で栗に横一文字に浅く傷を付けていく。
「何してるんだ?」
「こうしておくと、後で鬼皮が剥きやすいんです」
虫喰いのあった二粒ほどを避け、鍋に湯を沸かして、栗をその中に入れる。ぐらぐらと煮立ち続けるくらいの火加減に調整すると、乱菊は、
「いーち、にー、さーん…」
と、声を上げて数を勘定し始めた。
「何を数えている?」
と、尋ねたいのをこらえて、冬獅郎は乱菊を見守る。百まで数えたところで、乱菊は火を止めると、鍋を火から下ろして座卓に持っていった。
座卓の前に座り込んだ彼女は、熱湯の中から一粒づつ栗を取り出しては、最初に入れた傷を取っ掛かりに鬼皮を剥き始めた。
「手伝う」
と、冬獅郎は台所から果物ナイフを持ってきて、乱菊の隣に座った。
「ありがとうございます。でも、気を付けて下さいね。力を入れすぎて、渋皮に傷をつけちゃったら、渋皮煮には出来ませんから」
乱菊は縦に細く鬼皮を剥いてしまったら、残りは包丁ではなく、手で皮をはいでいた。冬獅郎もそれに倣い、慎重な手つきで皮を剥いていく。
「なぁ、なんか筋みたいなのがいっぱいついたままだが、いいのか?」
「取れるものは取っちゃって構いませんけど、無理に取る必要はないですよ。
「なるほどな」
もともと器用な冬獅郎はすぐに要領を覚えたらしく、手早く皮を剥けるようになった。それでも、力加減は難しいようで、気を付けていても包丁がわずかに深く入りすぎてしまい渋皮を削いでしまうことがあった。乱菊は自分が失敗した分も一緒に別のボウルに入れ、
「こっちは栗ご飯にしましょう。隊長、お好きでしょ?」
「おう」
すべての栗の鬼皮を取り去ると、乱菊は大きめのボウルに水を張り、重曹を溶かしてから、中に栗を入れた。
「今日はここまでです」
と、乱菊は笑いながら宣言した。
「ここまで?」
「食べられるまで、四日は必要なんですよ」
「四日!?」
手間がかかると祖母から聞かされていたが、それほど日数がかかると思っても見なかった冬獅郎は思わず大声を上げていた。
「そんなにかかるのか?」
「ええ。今晩一晩水につけて灰汁抜きします。明日は、茹でて渋皮の繊維をきれいに取り除いてから、もう一度、灰汁抜きで一晩置きます。明後日にやっと蜜を煮含めるんですけど、煮終わった後、味を充分染ませる為に、もう一晩置くんですよ。それから栗を取り出して、蜜を更に煮詰めて、栗にからめたら完成。だから、四日必要なんです」
「そんなに…」
「あたしも絢女から教わったものの、すご~く手間がかかるから敬遠していたんですけど」
と、乱菊は懐かしむような目をした。
「不思議だったんです。毎年、絢女は山のように栗を買ってきて、手間ひまかけて、渋皮煮をこしらえると、必ず、あたしややちるとかにもお裾分けしてくれてたんです。だけど、量がね…。あたしたちにお裾分けしても、まだたくさん余ってるはずなのに、自分用にはあたしたちへのお裾分けと同じくらいしか取ってなくて、半分くらい行方不明になってたんですよ。ずっと、あの大量の栗はどこに行ったんだろうって疑問だったんですけど、謎が解けました。隊長のところに持っていってたんですねぇ」
姉は手間がかかるとも、大変だとも一言も言わなかった。おいしそうに栗をほおばる冬獅郎と桃を、いつもにこにこと眺めていた。二人が「おいしい」を連発すると、本当に嬉しそうに笑っていた。
「隊長に食べさせたくて、絢女は毎年、頑張ってたんですよ」
「そうか」
一緒に暮せなくても、いや、共に暮せないからこそ尚更、絢女はありったけの愛情を冬獅郎に注いでいたのだと、乱菊は思う。
絢女から降るように愛情を注がれ、面倒を見てくれた祖母から慈しまれ、桃と笑いあってきたから、冬獅郎はまっすぐで人の痛みの分かる少年に育った。彼が優しい少年だったからこそ、乱菊は彼が隊首であることを誇りに、彼の背中を守ることを生き甲斐に出来た。
「隊長」
「なんだ」
「絢女といい、おばあちゃんといい、雛森といい、隊長の周りはいい女ばっかりですよね」
「…俺の周りのいい女には、おまえも含まれているのか?」
「あら、数に入れて下さらないんですか?」
「入れておいてやってもいい」
「え~、お情けですかぁ?」
むう、と睨む乱菊に、
「冗談だ。ちゃんと数に入ってる」
と、冬獅郎は笑った。
「隊長、こんなにいい女が寄ってたかって愛情を注いでいるんですからね。いい男に育たないとばちが当たりますよ」
そう主張する乱菊に、
「肝に銘じます」
と、冬獅郎はいやに神妙な顔で答えた。
三日後、冬獅郎の前には片口に盛られた渋皮煮があった。
「ようやく、完成です。どうぞ、隊長」
と、乱菊に勧められ、冬獅郎はそっと一粒をつまんで口に入れた。
ふわりと甘味が広がり、栗のしっかりした味とともに、実がほろりと崩れる。
「どうですか?」
固唾を呑んで見守る乱菊に、
「姉さまの味だ」
と、冬獅郎は答えた。
「うまい」
「良かったぁ。全然違うって言われたら、どうしようと思ってました」
絢女が渋皮煮をこしらえる時にはしょっちゅう手伝って見覚えていたし、教わった通りに作ったつもりだった。だが、最初から最後まで一人で作ったのは初めてなので、冬獅郎の望む味に仕上がっているか不安があったのだ。けれども、冬獅郎から、絢女と同じ味だと太鼓判を押され、乱菊は笑みを零した。
「あたし、絢女に料理を教わってて良かった」
と、乱菊は自分も渋皮煮を口にしつつ、しみじみと述懐した。
「絢女の味付けは隊長の好みですもの」
「姉さまの料理は確かに大好きだったがな」
と、冬獅郎はそれに対して答えた。
「けど、松本なら、誰に料理を教わっても上手くなってたと思うぞ」
「そうですかぁ? 先生がよかったからだと思いません?」
「料理ってのも一種の才能だからな。雛森をみろ。ばあちゃんから手取り足取り教わって、たまにだが、姉さまからも指導を受けてたってのに、あいつの料理はひどいぞ」
確かに、桃は余り料理が得意ではなかったな、と乱菊は思い出した。食べられないほどとんでもない失敗こそしなかったが、桃の料理はしょっぱすぎたり、味が濃すぎたり、かと思うと出汁のとり方が甘いのか、妙に薄味だったりと、味が一定しないのが特徴だった。だから、たまにすべてが上手くいってかなり美味しい時もあるのだが、同じ料理を次に作ると、前回とは違って微妙な味だったりする。
「たとえ、姉さまに教わってなくても、松本は自力で料理を上達させてたはずだ。で、絶対、松本の飯は俺の好みだ」
自信満々に断言する冬獅郎に、乱菊は頬を赤らめた。
「隊長…」
「なんだ?」
「おだてても、何にも出ませんよ」
「おだててねぇけど?」
きょとんと冬獅郎は乱菊を見た。その顔が珍しく歳相応で、乱菊は瞠目した。
「ほんと、うまいな。これ」
嬉しそうに、冬獅郎は栗をほおばる。
たかが、栗の甘露煮。
だが、そこに込められた愛情は底知れない。
材料が違うから、だけではない。絢女や乱菊の作る渋皮煮は、そこらの市販品とは込められた情が違う。
だからこんなにおいしいのだと、幸せそうに栗を味わいながら、冬獅郎は思った。