「冬のライオン Part2」出版における裏事情
二度目の霊力解放を間近に控え、四番隊の健診から戻ってきた冬獅郎の耳に、
「本当に貰ってもいいの?」
という絢女の声が飛び込んできた。
「もちろんです」
との答えは七緒の声で、
「ありがとう、七緒さん、乱菊!」
どちらかというと落ち着いていて淑やかな絢女にしては珍しく、礼を述べる声音は華やかに弾んでいる。
(何を貰ったんだ?)
冬獅郎は首を捻りながら、執務室の扉を開けた。
「おかえりなさい」
乱菊と絢女が声を揃えて出迎え、一拍遅れて、
「日番谷隊長、おじゃましております」
と、折り目正しい七緒の挨拶が続いた。七緒に頷いて応えつつ、冬獅郎は姉に視線を向けた。
「えらく嬉しそうな声が聞こえたけど、どうしたんだ?」
と、問いかけた冬獅郎は、絢女が大切そうに胸に抱いているものを認めて、身体を強張らせた。
「姉さま、それ…」
「女性死神協会から資料用に保管していたのを分けて頂いたの」
にこにこと嬉しそうに絢女は答える。
彼女が抱きしめるようにして持っているのは、間違いなく、「日番谷冬獅郎写真集『冬のライオン』」である。出版後、数日で完売し、慌てて出した重版も即完売、女性死神協会が三刷を計画したところで冬獅郎が隊長権限で出版を差し止め現在に至る、という経緯により、入手困難、激レア商品の呼び声も高い代物だった。だが、冬獅郎が問題にしたいのはその点ではなかった。
「姉さま」
「なぁに、冬獅郎?」
「変だろ?」
「変って?」
絢女はきょとんとした表情を浮かべた。
「何が?」
「実の弟の写真集だぞ、それ」
「ええ、そうね。冬獅郎の写真集だわ」
「姉貴が弟の写真集貰って喜ぶのって、変だろ?」
「変…かしら?」
「変だ」
きっぱりと断言し、冬獅郎は執務机に就いた。
溜まっていた書類を箱から取り出し、さらさらと筆を走らせる。
三枚、四枚と書類を捌いていて、ふと、違和感を覚えた。
静か過ぎるのである。いつも、騒々しいくらいに明るい副官は仲のよい七緒が訪ねて来ると、さらに
顔を上げて、三人がいるソファの方に視線を移した冬獅郎は、うっと声に出さずに呻いた。
写真集は机の脇に置かれ、絢女は静かにお茶を飲んでいた。彼女は冬獅郎には背中を向けていたので表情は見えなかったが、先ほどまでの嬉しそうな素振りが消え、しょんぼりとしているように見えた。絢女と並んでいる乱菊の背中には明らかに怒りが感じられ、二人と向かい合って座っている為、冬獅郎から顔がよく見える八番隊副隊長は眼鏡の奥の瞳に一瞬、冷ややかなものを閃かせた後、すっと冬獅郎から視線を逸らした。
「姉さま」
「なぁに?」
絢女は振り向いた。彼女はいつもの表情だった。穏やかに微笑を浮かべ、小首を傾げて冬獅郎を見ている。けれど、彼が戻ってきた時の、はしゃいだような明るさは失われていた。
「あの…」
「うん?」
「何で、俺の写真集がそんなに嬉しかったんだ?」
絢女は瞬きをひとつした。
「だって、この本に載っている冬獅郎は私が知らない冬獅郎ですもの」
彼女の答えに、冬獅郎は頭を掻き毟りたくなった。
確かに、絢女の言う通りだった。「冬のライオン」に収録されている冬獅郎の写真はすべて、彼女が行方知れずになっている間のものである。再会した日、
「最後に会った時はこんなに小さかったのに」
と言って、絢女は泣き崩れた。可愛がっていたたった一人の弟が自分の知らぬ間に成長していたら、その成長過程を写真ででもいいから確認したいと思うのは姉として自然な情だろう。冬獅郎だって、彼が結界で眠っていた間、ひとりぼっちで流魂街を生き抜き、少女から大人に成長していった姉の写真がもしあるのなら見たいと思う。それなのに、弟の写真集を喜ぶのは変だと、彼はばっさり切り捨ててしまったのである。あんなに喜んでいた姉の気持ちを萎ませてしまったことに気付き、冬獅郎は愕然とした。
「ごめん!」
勢いよく謝罪した弟に、絢女は再び瞬きを繰り返した。
「何を謝っているの?」
「さっき、『変だ』って言ったこと。姉さまの気持ちも分からないでごめん!」
「いいのよ。私こそ、冬獅郎が嫌がると思ってなかったから…」
「別に嫌がってねぇよ」
「無理しなくていいのよ?」
「嫌だったんじゃなくて、恥ずかしかっただけなんだ」
絢女はしばらく、じっと冬獅郎を見つめていたが、
「だったら…」
と、言を継いだ。
「これ、持っててもいい?」
と、写真集を指し示す。彼女が本を返すつもりでいたことに、慌てて、
「もちろん構わねぇよ!」
と告げると、絢女は花がほころぶような笑みを浮かべた。
「ありがとう」
姉の表情が再び明るく華やいだのを確認し、冬獅郎はほっと息をつく。
「持っててもらって全然構わねぇけど、姉さま。頼むから俺のいないところで見てくれ」
「了解」
くすり、と絢女は笑った。
「絢女さん」
呼びかけられて、向き直った絢女に、
「もうすぐ、第二弾も出るんですよ」
静かに七緒が告げた。
「第二弾って、写真集の?」
「そう! 『冬のライオン Part2』。こっちに収まらなくて泣く泣く収録を断念した写真とか、新しく撮り下ろしたお宝写真とか満載でねー。目玉は雛森から提供してもらった霊術院時代のショット!」
乱菊が熱のこもった声で補足した。
「霊術院時代ってことは、学院の制服?」
「もっちろん!」
「凛々しかったですよ。学生時代の日番谷隊長」
「初々しくってねぇ」
「…おい」
冬獅郎の呼びかけを、乱菊と七緒は揃って無視した。
「もう校正も終わっていて、印刷元に持っていくばかりなんですよ」
「見たいでしょ、絢女!」
と乱菊の問いかけに、絢女は頷いた。
「ええ。いつ、出るの?」
「隊長の認可が下りたら、すぐにでも」
「後は日番谷隊長の認可を貰ったらというところで例の反乱が起こって、それどころじゃなくなってしまったんですよ」
「隊長は大怪我しちゃったし、復帰して、すぐに現世に長期出張になっちゃって、ずっと忘れてたのよね~」
言いながら、乱菊はソファから立ち上がり、自分の執務机から書面を一枚取り出した。
「いい機会です。印鑑下さい」
差し出されたのは「冬のライオン Part2」の出版同意書である。
「冬のライオン Part2」が印刷に廻すばかりなのは事実だった。事実でないのは、冬獅郎の認可が下りなかったのが反乱のせいだ、という点だ。実際は「冬のライオン」の無断出版に怒った冬獅郎が、重版を止めたのと同様に、隊長権限でPart2出版を差し止めたのである。
(ま~つ~も~とぉ!)
目だけで怒鳴った冬獅郎に、乱菊はにっこりと微笑んで、
(無神経なことを言って、絢女を悲しませた落とし前をつけて下さい)
と、やはり目だけで反撃する。
(それとこれとは、話が違うだろうが!)
(絢女、楽しみにしてますよ。買う気満々ですよ~)
(…それはっ)
(いいんですかぁ、大事なお姉さまをがっかりさせて)
冬獅郎が視線を横にスライドさせると、きらきらと期待に満ちた瞳をした絢女が目に入った。
(せっかく気持ちが浮上したのに、ここで隊長が嫌だって言ったら、絢女、またしょんぼりしちゃいますよ~)
(…)
(『やっぱり嫌なのね、無理しなくていいのよ』って、『冬のライオン』も返しちゃうかもしれませんねぇぇ)
それは絢女なら、充分あり得る言動だった。
(たいちょ、どうします?)
据わった目で微笑む乱菊と、七緒の無言の圧力と、事情を知らない絢女の無邪気な視線に、冬獅郎はついに負けた。
乱菊の差し出した同意書をひったくると、やけくそのように判を押す。
「ありがとうございます」
途端に表情を変貌させ、にっこりと笑う乱菊と七緒に、冬獅郎は深い深い敗北感を覚えた。
「伊勢」
「はい、何でしょう、日番谷隊長?」
「初版だけだ。重版は認めない。それと、初版の部数は、そっちの、」
と、絢女に譲られた「冬のライオン」を目で示し、
「初版と同じ部数だ。いいな」
「はい、了解いたしました」
と、七緒は乱菊から出版同意書を受け取ると、立ち上がった。
「長居をして申し訳ありませんでした。そろそろ、失礼いたします」
「…おう」
「ありがとう、七緒さん」
乱菊は打って変わって上機嫌になっている。
「遅くなって、すみません」
へらっと笑いながら、お茶を差し出す副官に冬獅郎は溜息をついた。
乱菊と七緒に嵌められたように感じるのは、絶対に気のせいではないはずだった。
こうして、「冬のライオン Part2」は緊急出版された。
なお、初版の発行部数は、
ちなみに、絢女には女性死神協会から一冊が贈呈されたという。