うたかたのとき


 隊長格会議から戻ってきた藍染に呼ばれ、絢女は執務室に赴いた。
「如月くん」
と、藍染は入室してきた三席に、穏やかな笑みを向けて言った。
「明後日から、市丸と一緒に現世に降りてもらいたい」
「市丸副隊長と、ですか?」
 絢女は意外そうに瞬きを繰り返した。副隊長と三席がそろって現世に降りるなど、五番隊に限らず、滅多にないことだったからだ。
「討伐ですよね? 厄介な虚でも現われたのですか?」
「ああ。かなり知能の高い虚でね。出没しているのは十一番隊の管轄地なんだが、現地駐在の死神が手をこまねいているうちに、人間を喰って成長していて、下手をすると大虚メノスに成長しているかもしれないんだ」
「大虚に…」
「そう。それに先ほども言ったが、知能も高い。力押しの十一番隊向きではないということで、うちにお鉢が廻ってきたんだ」
「了解いたしました」
「詳しいことは、市丸から訊いてくれ」
と、衝立で仕切られた打ち合わせ用の一角を藍染は指差し、
「はい」
と、絢女は一礼して、隊長の前から身を翻した。
 衝立の向こうのソファに、ギンは座っていた。珍しく真剣な表情で資料を確認していた彼は、絢女を認めると、向かいの席に座るように促した。
「副隊長の上に、私まで現世に降りなければならないなんて、そんなに厄介な虚なんですか? 大虚に成長しているかもしれない、と伺いましたが」
 ギンの実力からすれば、下級大虚ギリアンの一、二体くらいなら余裕で倒せるはずだ。にもかかわらず、三席の絢女も同行しなければならないということは、いきなり中級大虚アジューカスに成長している可能性があるということだろうか。不審げに尋ねる絢女に、
「討伐だけなら、ボクひとりでいける、思うねんけど、おびき出すのに絢女の力を借りたいんや」
「どういうことでしょう?」
「こいつ、好みがむちゃくちゃはっきりしとうねん。十一番隊がもたもたしくさっとったせいで、分かっとるだけでも七組の人間が喰われとる」
「組?」
 絢女はギンを見返した。
「そう、七組や。内訳は、恋人同士が三組に、夫婦が二組、親子と同性の親友同士が一組ずつ。ちなみに夫婦もんはおしどり夫婦やて、近所でも評判やったらしい」
「仲のよい人間を組で襲う、ということですか?」
「ほぼ正解やけど、ちょっと違う。ただ仲のええ人間を襲うんやったら、もっと被害が増えとる。こいつが襲うんは、片割れが霊力のある仲のええ人間の組やねん」
 虚に襲われて魂魄を喰われた人間は、傍から見ると突然死したことになる。現世の医師がつける死因は、たいてい「心不全」だ。けれども、霊力のある人間は程度にもよるが、虚が見えるし、虚が魂魄を喰らうさまも見える。
「最初に、霊力のある方の目の前で、霊力のない方を喰うねん。霊力のある人間は、大事な相手がばけもんに喰われるんを見せつけられるんや。で、絶望のどん底に落ちたところで、おもむろにそいつを喰う。どうも、絶望した霊力のある人間が好物らしい」
 腹立たしそうに、ギンは説明した。
「霊力のある人間を七人も…。確かに、大虚に成長しているかもしれませんね」
「ただ、好みがはっきりしとうだけに、標的選びに苦労してそうや。そこが、つけめやろな」
「私と市丸副隊長が恋人同士のふりをして、虚をおびきだすんですね」
「察しがようて、助かるわ」
「でも、どうして私なんですか?」
と、絢女は尋ねた。例外はあるが、上位席官ならば通常、霊圧を完璧に消すことが出来る。ギンの相手役は三席でなくてもいいはずだ。
「まず襲われるんは、霊力のない人間や。大虚に成長しとうかもしれへん厄介な相手やからな、万が一の事態を避けるんに、霊力のない人間の役はボクがやろ、思てな」
 となると、相手役は霊力のある人間を演じなければならない。霊圧を完全に閉じずにコントロールしながら放出するのは、消すよりも困難で技術が必要だ。
「霊圧を一定レベルに押さえたまま、長時間保たせるなんて器用なこと、絢女くらいしか出来ひんからな」
 ギンの言葉が正しいことを、絢女は認めた。
「了解いたしました。義骸の手配は…」
「済んどるよ」
と、ギンは笑った。

 傍らに立つギンを上から下まで眺めて、絢女はぽつりと呟いた。
「堅気に見えない」
 彼が身につけているのは、現世の若い男がごく普通に着ている洋装である。不必要に目立ってはいけないということで、義骸の銀髪は技術開発局により黒髪に染め替えられ、木賊とくさ色の瞳も特殊な色素で着色され、黒くなっている。にもかかわらず、義骸のギンは、ありていに言ってしまえば、ジゴロっぽい雰囲気をぷんぷんと撒き散らしていた。
 絢女は出迎えた十一番隊の現地駐在の死神を向いた。
「ね、あなたも思うでしょう? 絶対に堅気じゃないわよね、この人」
 肯定したいが、ギンが怖くて曖昧に笑う十一番隊士に、
「絢女はどっから見ても、ええとこのお嬢さんやと思わへん?」
と、ギンは言った。その意見には、力いっぱい十一番隊士は頷いた。
「ボクが堅気でのうて、絢女がええとこのお嬢さんなら、設定はやくざとお嬢さんの身分違いの恋でいこか?」
「あの、ね…」
 呆れて二の句が継げずにいる絢女の肩を、ギンは引き寄せた。
「ほんなら、行こか、お嬢さん」
「…」
 黙ってギンに従って歩き出した絢女の姿は、
(どう見ても、ジゴロに騙されてる世間知らずのお嬢さまだ…)
と、十一番隊士は瞑目した。

 とりあえず、繁華街の喫茶店に入った。
「これから、どうするの?」
「気配を消すんが上手い相手やしな。どこに潜んどるかもつかめてへんし、向こうが喰い付いて来てくれるんを待つしかあらへん。とりあえず、現世のアベックがデートするような場所を巡ろう、思うん」
「それしかないでしょうね。それで、喫茶店の次はどこに行くの?」
「姫さんはどこに行きたい?」
「姫さん、って?」
「今の絢女は、ボクの姫さんやもん」
「面白がってるでしょう?」
「大真面目なんやけどなぁ。ほんで、どこ、行きたい?」
「このあたりでアベックがデートするような場所といったら、遊園地とか、映画館、名曲喫茶、美術館、動物園てとこかしらね?」
 事前に調べておいた資料を思い出しながら、絢女は言った。
「今、喫茶店におるんやから、次、名曲喫茶ゆうんはなしやな。遊園地行ってみる?」
「了解」
 立ち上がり、出口に向かう絢女の姿を店内中の男が見送る。彼女の美貌は店内に入った時から男の視線を集めていたのだ。
 人通りの多い繁華街を、二人はバス停に向かって歩いてゆく。擦れ違う男はほとんど例外なく、絢女に注目し、見蕩れていた。さすがに、痛いほどに突き刺さる視線に気がついたのか、絢女は、
「ねぇ、ギン?」
と、声をかけた。
「私、変?」
「なんで?」
「なんだか、じろじろ見られている気がするんだけど」
 絢女も技術開発局が用意した洋装だった。真っ白の開襟ブラウスに、太目のベルトで腰を絞ったタックスカートといういでたちは、数年前に現世で公開された「ローマの休日」
*1 とかいう映画で主演女優が着ていた服を参考にした力作だ、と技術開発局の女性職員が胸を張った代物である。いつも着ている死覇装や私用の着物と違い、体のラインがはっきり出てしまい、足も膝下がむき出しになっているのが、絢女は落ち着かない。その上、現世の男の注目を浴びて、彼女は萎縮しているようだった。
「どっこも変やあらへん」
「だったら、どうして見られているの?」
「そりゃあ…」
 ギンは苦笑を浮かべた。
「男、いうんは別嬪には見蕩れるもんや」
 きっぱりと言い切られ、絢女は絶句する。
「見られるんはいや?」
 絢女が頷くと、
「ほんなら、」
と、ぐいっとギンは彼女の腰に腕を廻して引き寄せた。
「え? ええっ?」
 慌てる絢女を尻目に、ギンは周りの男たちに鋭い一瞥をくれる。霊圧を消していても、護廷の副隊長である。堅気に見えない外見とあいまって、剣呑な気を放ち、男たちは慌てて視線を逸らした。
「これでええ?」
「…放して」
 強張った声で絢女は言った。ギンは無言で彼女を放すと、代わりに手首を摑んだ。そのまま、彼女を引きずるように、大股にバス停に向かう。
 バスに乗ってからも二人の間には会話がなかった。ギンは絢女を見ようとせず、まっすぐに前方を向いている。
(まずいなぁ…)
 虚をおびき寄せる為に仲のよい恋人同士を演じなくてはならないのに、これでは、けんかしているふうにしか見えない。虚の嗜好からすると、少なくとも自分は彼を失ってしまったら絶望のどん底に突き落とされる女でなければならないはずだ。そう思考をめぐらせた絢女は、
「ごめんなさい」
と、しおらしく謝った。ギンが絢女を向いた。
「謝ることあらへん。悪いことしてへんやろ?」
「怒ってるでしょ?」
「怒ってへん。ちょっと、困らせてみたかっただけや」
と、笑った顔はいつもの彼で、絢女は本気でほっとした。
「ね、ギン。私、観覧車に乗ってみたい」
 きっと、本物の恋人同士なら、女はこんなふうに甘えるだろうと思い、絢女は提案してみた。
「乗ったことないのん?」
「ええ。乗ってみたい」
 半分は本音である。以前、乱菊と一緒に現世に遊びに降りた時に見た映画に観覧車が出ていて、興味を引かれていたのである。
「そっか。…ええよ。一緒に乗ろ」
 ギンも藍染も説明しなかったので、絢女は知らなかったが、この討伐が五番隊に廻ってきたのは、総隊長から指名されたわけでも、隊長格会議で押し付けられたからでもなかった。力技一本やりの十一番隊では無理ということで、総隊長が他隊の派遣を図った時に、
「ほんなら、ボクが席官の女の子でも連れて、ちゃちゃと片付けてきますわ」
と、ギンが自ら名乗りを上げたのだ。
 おそらく、ギンが立候補しなかったら、この任務は十三番隊に下されていただろう。大虚に成長している危険のある相手となれば、副隊長クラスが出張るのが妥当な線であったし、おびき出すのには、今、ギンと絢女がやっているように、片方に霊力のある仲の良い恋人同士を餌としてぶら下げてやればいい。となると、うってつけなのは十三番隊副隊長の志波海燕とその妻で三席の都だと、誰もが思ったはずだ。ギン自身も志波夫婦の方が適任であると承知していた。それでも、名乗りをあげたのは、この虚に真剣にむかついたからだった。
 大切な者を失うつらさを、知っている。
 自分の命さえ取るに足らないと思えるほどにいとおしい相手が、消えてしまう悲しみを知っている。
 奪い去った者に対する消すことの出来ない憎悪と、守ることが出来なかった己に対する怒り。片翼をもがれた喪失感。
 なまじ霊力があるばかりに、愛する者を喰われるさまを目の当たりにしなければならなかった人間の痛みは、そのまま、ギンの痛みであった。他人に感情移入するなど滅多にないギンだったが、この被害者の仇は討ってやりたいと思った。
 絢女を相手役に指名したのは、彼女に説明した通り、万が一を考えると、最初に襲われるはずの霊力のない人間をギンが演じた方が安全だからである。その場合、霊力ある人間のふりが出来るほどに霊圧コントロールに長けた死神は、五番隊には絢女しかいないから、必然的に彼女が相手役にならざるを得ない。けれども、それは表向きの理由でしかないことを、ギンは自覚していた。
 本音は、彼女を現世に連れ出して、甘やかしてみたかったのだ。
 若い女とは思えない地味な格好しかしようとせず、親友の乱菊が強引に誘わなければ娯楽に興じることもせず、禁欲的な生活を己に課している絢女は、見ていて、寂しかった。だから、任務にかこつければ、現世の装束とはいえ若い女らしく装わせることも出来るし、現世の娯楽に触れさせることも出来ると、ギンは考えたのだ。むかつく虚を討伐し、絢女を甘やかせる、一石二鳥の任務のつもりだったのだが、自分の理性という落とし穴があったことに、彼は気が付いてしまった。
 美しい絢女に見惚れる男どもの視線がうっとうしかった。演技と承知していても、彼女に甘えられると心が揺れた。
(絢女を相手役にしたん、失敗やったかなぁ)
 バスが遊園地の入口に到着した。
 ギンの葛藤に気付かない絢女は、忠実に任務を遂行しようとしていた。バスを降りた後、ギンと手をつないだ。いつもなら絶対にしないことだが、恋人同士ならこの方が自然だと思ったのだ。彼を引っ張るようにして、遊園地に足を踏み入れた彼女は、入口の正面に泰山木のかなり大きな木があるのに目を留めた。
 つかの間、三席の顔に戻った絢女が上司を見る。意図を悟ったギンが頷くと、彼女は彼から手を離して、泰山木に歩み寄った。
 そっと、両手で泰山木の幹に触れると、絢女は目を伏せて、呼吸を整えた。
 彼女には他の死神にはない、特殊な能力があった。木々と意思の疎通が出来るのである。もっとも、意思を交感するには絢女だけではなく、相手の木にもある程度の霊格が必要らしく、芽吹いて数年程度の若い木は無理だということだった。一番、交感しやすいのは、現世だと神社などで御神木とされているような老木や山奥の大木だが、今、絢女が触れている泰山木程度に年輪を重ねた木なら、街中にある木々であっても十分に意思の疎通を図ることが出来た。
「私たちが探している虚かどうかはわからないけれど、この遊園地で虚はしょっちゅう感じるそうよ」
 泰山木からギンの許に戻り、風情だけは睦言を囁くふりで、絢女は報告をした。
「いつも同じ個体が来ているけど、今日はまだ感じないって」
「同じ個体なら、探してる奴の可能性、高いなぁ」
「ええ、餌になる人間を物色に来ているんでしょうね。だとしたら、今日もそのうち現われるかもしれないわ。泰山木には、虚を感じたら報せてくれるようにお願いしたから」
「了解。ほな、適当に、遊園地まわってみよか」
「はい」
 入口で貰った園内地図を、二人は覗きこむ。絢女が乗りたいと言った観覧車は園の一番奥にあった。観覧車は後回しにすることにして、一番手近のジェットコースターと書かれた乗り物に向かう。
 ジェットコースターとは、おもちゃの電車に乗って山あり谷ありのレールを疾走する、というものだった。
「あれ、面白いの?」
「人間は瞬歩なんて出来ひんからなぁ。あれでも、充分、速度があって面白いんかもしれへん」
 死神の二人からすると、それほどのスピードとは思えない。アップダウンもすばしっこい虚を追いかけている時の方が激しいだろう。
「ま、今のボク等はただの人間なんやから、乗ってみてもええと思うで」
「他の女の子の真似して、悲鳴を上げた方がいいかしら?」
「任せるわ」
 二人はジェットコースターに乗ってみた。下から眺めていた印象どおりで、二人とも他の人間のようにスリルは全く感じなかった。任務に忠実な絢女は他の女性を熱心に観察し、悲鳴を上げるべきかかなり迷っていた。だが、あまり白々しい演技は出来ないという結論に達したらしく、平然とした様子で乗り物から降りた。
 いつ虚が現われて二人に目を留めるか分からないので、自然に楽しんでいるふうに見えるよう、回転木馬メリーゴーランド、コーヒーカップ、回転ブランコ、と、他のアベックがいるものは片っ端から試した。甘える態度は間違いなく演技だったが、遊園地の乗り物自体はけっこう楽しんでいるようで、絢女が見せる笑顔は素のものだった。屈託のない彼女の笑みが、ギンには嬉しかった。特に回転ブランコは気に入ったらしくて、もう一度乗りたいとねだられたのは意外だった。風を操る斬魄刀の持ち主だけに、全身で風を感じるブランコは爽快だったのだろう。デート中の幸せな女を演じなければならないという任務意識のおかげで、普段の彼女の必要以上に禁欲的な箍が緩んでいるようだった。そんな絢女を目にすると、やはり任務に引っ張り込んで正解だったか、とギンの想いはぶれた。
 二度目の回転ブランコから降りた後、ギンに歩みよった絢女は楽しそうな笑みを崩さないまま、
「虚が現われたって」
と目だけを真摯なものに変えて告げた。入口の泰山木が風に乗せて、報せてくれたのだ。
「近くにおるん?」
 霊圧を完全に封じているギンはうかつに虚の気配を探れない。ごくわずかに霊圧を放出させ続けている絢女に確認すると、
「相手も気配を消しているからはっきりと分からないけれど、近付いてきているような気がする」
「そうか。ほんなら、観覧車、乗ろか?」
 観覧車は絢女が想像していたよりもずっと大きかった。
「ずいぶん高くまで上がるのね」
 死神は虚を追ってもっと上空まで上がれるけれど、絢女は小さな箱に乗って高みに上る人間の気持ちが知りたかった。
「虚は?」
「うまく気配を抑えているけど、近くにいるわ。私たちを観察しているみたい」
 標的に相応しいか見極めようとしているのだろう、とギンも、絢女も察していた。だとしたら、これからが勝負となる。うってつけの餌だと虚に信じさせなければならない。
 小さな鉄の箱の中は、外から見ていたよりはゆったりとしていた。ゆっくりと鉄の箱が円を描きながら上昇してゆくのに従って、視界が広がってゆく。
「ギン、海が見える」
と、絢女は指差した。観覧車が頂上近くまで上昇すると、少し離れたところにある港とその向こうに広がる海が見えた。
「綺麗ね」
 海面が傾き始めた日の光を反射して煌いているのを、絢女は見つめた。死神が高みに上がる時は、たいてい虚と戦っている時だから、こんなふうにゆっくりと海を眺めたのは久しぶりのような気がした。人間はこんな景色を見たくて観覧車を発明したのだろうか、と絢女がぼんやりと考えていると、不意に後ろから抱きしめられた。二人を観察している虚に対する挑発だと分かっていたので、絢女はおとなしくその腕に納まったまま、窓外の海を見つめ続けていた。観覧車は下降を始めており、きらきら輝く海は間もなく見えなくなってしまった。
 観覧車を降りた二人は、そのまま、遊園地を出た。
「おなか空いたなぁ。夕飯、何食べたい?」
「ギンにお任せする」
 資料どおり、虚は気配を消すのが巧みらしく、近くに潜んでいるのは何となく感じるのだが、絢女にも位置を特定出来なかった。むろん、彼女が本気で探ればすぐに分かるのだが、そんなことをすれば、こちらがただの人間ではなく死神だということを悟られ、取り逃がしかねない。確実に仕留めるには、二人を人間だと思い込んだ虚にギンを襲わせなくてはならないのだ。
 繁華街に戻って、洋食店で夕食をとった。その後、わざと公園をぶらぶらと歩いてみたのだが、よほど慎重に獲物を見極めようとしているのか、虚は襲っては来なかった。
「今日はここまでやな」
 呟いて、ギンは絢女を家に送ることにした。現地駐在の十一番隊士に指示して探させておいた、絢女の自宅・・である。家人にはあらかじめ記憶操作をかけてあるので、戻ってきた絢女を家族として迎え入れるはずだ。
「ほんなら、おやすみ。気ィ付けや」
「ギンも気を付けて帰ってね。おやすみなさい」
 玄関先でいったん別れた。虚が予測どおりに「霊力のある人間」である自分の方に付いて来ているのを確認して、絢女は家の中に引っ込んだ。おそらく、虚は一晩かけて、彼女が大好物の餌かどうかを確認するつもりなのだろう。

 翌朝、九時すぎに、ギンは改めて絢女を迎えに来た。
 絢女の両親・・は、にこにこして、
「いってらっしゃい」
「門限までには帰ってくるんだぞ」
と、を見送った。
 バス停に向かって歩きながら、
「あんまり眠れてへんやろ?」
と、ギンは絢女を気遣った。
 死神だと見破られないように霊力を低いレベルで保ったままでいる為に、彼女は就寝中も気を抜けなかったはずだ。
「徹夜は慣れてるもの。一日くらいなんてことないわ。ギンはちゃんと寝られた?」
「うん、絢女が一緒におらんと襲われへんの分かってたからな。ボクはゆっくり寝かせてもろた」
「そう。よかった」
「今日の服はまた、昨日と雰囲気違うねんな。それも映画の主演女優さんの着とった服?」
「ええ。たしか、『裏窓』
*2 という映画で女優さんが着ていた服を真似たそうよ」
 絢女は襟ぐりが大きく開いた黒いワンピースを着ていた。紗のような張りのある透ける素材の生地で出来ていて、全体に体のラインに沿っている。首にはイミテーションの真珠のネックレスが飾られていて、昨日よりも色っぽさが増していた。
 技術開発局で義骸の衣類を用意する係の女性職員は現世の映画の大ファンだった。今回、現世に降りるのが絢女で、相手の出方によっては数日の滞在になるかもしれない、とギンに聞かされた彼女は大喜びしていた。
「如月三席なら、お綺麗だから、何をお召しになってもお似合いですよねー」
とにんまりしていた彼女は、どうやら憧れの美人女優が着ていた服を再現して絢女に渡したようだ。
「グレース・ケリーとかいう、亜米利加アメリカの女優さんやな。ボクも映画で見たことあるけど、ものすご別嬪な女優さんやったで。他には、どんな服、渡されたん?」
「サブリナパンツ
*3 って呼ぶらしい、足にぴったりしたくるぶし丈のズボンとか、胸元にこう、たるみをもたせたひらひらした裾のワンピースとか…」
「ふうん。着たとこ見てみたいなぁ。虚の奴、もう、二、三日、様子見してくれへんかな」
「私は恥ずかしいから早く終わらせたい。大体、現世の服って、どうして足をむき出しにするのよ?」
「いや、そんなん、ボクに詰め寄られても…」
 昨夜、あまり眠れていない絢女に負担をかけないように、今日は動き回らず、映画でも見ようということになった。
 繁華街の映画館が集まった一角で、上演中の映画を確認する。選択を絢女に任せたところ、一番大きな映画館で上演されている「鉄道員」
*4 という映画を指差した。
「これでいい?」
「ん、ええよ」
 入口で切符を購入し、エレベーターに乗り込みながら、ギンは言った。
「これ選んだん、ポスターの男の子が可愛かったから。違う?」
「当たり」
 満面の笑みを浮かべた愛らしい少年は七歳くらいに見えた。流魂街に預けている弟と同じくらいだと思った途端、絢女はこの映画が見たくなったのだ。
「絢女は子供好きやなぁ。ええお母さんになれるで」
「ありがとう」
 虚はつかず離れず、巧みに気配を殺して二人を窺っていた。
 館内が暗くなって、映画が始まる。始まって間もなく、
(まずいわ)
と、ギンは映画の選択を誤ったことを悟った。映画自体は、ポスターの男の子の目線で頑固で昔かたぎの鉄道員一家の出来事を淡々と描いているのだが、どうも主人公が気の毒な展開に進みそうな雲行きなのである。ポスターの男の子はたいそう愛らしかったが彼が可愛らしい分だけ、その父親の不幸な境遇が強調されるようだ。
 すん、と隣で小さく鼻をすする音が聞こえて、
(うわ、やっぱり…)
と、ギンは天を仰いだ。
 絢女は涙もろい。自分自身がつらかったり、悲しかったりする分には泣きはしない女だったが、他人の痛みにはひどく敏感で、ギンは彼女がもらい泣きしているのをよく見かけた。気の毒な結末の小説を読んで、涙ぐんでいるのを目撃したこともある。そんな彼女が、不器用な頑固さゆえに不幸に見舞われる主人公や父親を痛ましい思いで見つめる男の子に感情移入しない訳がなかった。映画の描写が淡々として大袈裟でない分、余計に彼女には堪えるのだろう。
 物語が進むにつれ、絢女が泣くのをこらえている気配が伝わってきて、ギンは気が気ではなかった。最早、映画どころではない。とうとう、ラスト、束の間の幸福の後、病に侵された主人公が穏やかに死んでゆくシーンで絢女の目から涙が零れ落ちた。
(あちゃあ、泣き出してしもた)
 エンドロールが流れ出しても、場内が明るくなっても、絢女は立ち上がろうとしなかった。俯いたまま、口許に手を当てて、こみ上げる嗚咽をこらえている。零れた涙が膝を濡らしているのを、ギンは途方に暮れて眺めていた。
「とりあえず、出よ。な」
 入れ替えの客が入り始めたのに気付き、ギンは絢女を抱え上げるようにして立ち上がらせた。そのまま、肩を抱きかかえて、場外に連れ出す。ロビーのソファに座らせると、絢女はとうとう本格的に泣き出した。
「絢女、作り話や。ほんまの話やない」
「…知ってる…、…けど…、」
 涙を止めようと努力はしてみても、一度決壊した涙腺はなかなか修復できないようだ。
 ギンは溜息をつくと、絢女を抱き寄せた。
「ええわ、もう。思い切り、泣きや」
 そう告げて、彼女の背中を撫でてやる。絢女は彼のシャツの袖を握り締め、小さく肩を震わせた。
「…ふ、う…っく」
 押さえ込みきれなかった嗚咽がくぐもった悲鳴となって、彼女の唇から洩れる。涙がじんわりとシャツの胸元に染みてゆくのを実感しながら、ギンはずっと彼女の背中をさすっていた。
 どれほどの間、絢女が泣き続けていたのか、ギンにはよく分からなかった。かなり長い時間、泣いていたように感じるのだが、実際はさほどでもなかったのかもしれない。ようやく、顔を上げた絢女は泣き濡れて、潤んだ瞳をギンに向けた。
「ごめんなさい…」
 謝罪の言葉は消え入りそうだ。
「謝らんでええよ」
「…迷惑かけたわ…」
「迷惑と思てへん」
「…でも…」
「姫さんに泣いて縋られるんは、男冥利やもん」
「…ごめんなさい」
「だから、謝らんでええて」
 実際、泣かれて途方に暮れはしたが、迷惑だとか、いやだとかは、ギンはこれっぽっちも感じていなかった。相変わらず泣き虫やなぁ、といじらしく思うばかりである。一方、絢女はしょんぼりとしていた。任務中に感情のまま泣き出して、上司に迷惑をかけたことを恥じている様子だった。
「落ち着いたんなら、出よか?」
と、ギンがソファから立ち上がると、絢女も従った。けれど、彼に並ぼうとせず、三歩ほど後ろについている。
「どしたん? おいで」
 振り向いて、ギンが呼ぶとおずおずと近付いてきたが、顔はうつむいたままだった。ギンは黙って彼女の手を取ると、ビルを出て、川べりの公園に向かった。
 いい加減、虚に出てきてもらわないと理性が保たない、とギンは苛立ちを感じ始めていた。
 公園の人気のない木立の影に絢女を引っ張り込み、彼女の肩を押さえて木の幹に押し付ける。
(これで襲って来ィへんかったら、ほんま、知らんで)
 いまだ涙の名残をとどめた潤んだ瞳の絢女が、驚いたようにギンを見上げているのに、
「絢女、目ェ閉じ」
と、彼は命じた。
「え?」
「ええから、目ェ閉じ」
 半瞬にも満たない躊躇いの後、絢女は睫毛を伏せた。
 ギンの右手が絢女の頬に触れ、顔を上向かせる。近づけたギンの唇が絢女のそれと触れ合う直前、禍々しい気配が辺りを支配した。
 ぱっと目を開けた絢女は、虚がギンの義骸を掴み、魂魄を引きずり出そうとしているのを認めた。
「ええ加減、待ちくたびれたで」
 引きずり出されるよりも早く、死神化したギンが義骸から抜け出した。一瞬遅れて、絢女も義骸から抜けた。
「逃げてなさい!」
 絢女の命令に、二人に代わって義骸に入った義魂丸が虚から全力で離れる。
 驚愕の叫びを上げた虚が身を翻そうとした時には、すでに、絢女は結界を閉じていた。
「射殺せ、神鎗」
 始解と同時、神速で伸びたギンの斬魄刀が虚の腕を刎ね切った。
 大虚に成長しているかもしれないという危惧は当たっていた。報告された七組以外にも霊力のある人間を食っていたのか、七組の中によほど強力な霊力の主がいたのか、相手は中級大虚に成長しかけていた。結界を力ずくで破ろうとする大虚に、
「噎び啼け、秋篠」
と、絢女も始解するや、
風鎖縛ふうさばく
 大虚の周りに強力な竜巻が巻き起こり、風の鎖となって、敵を締め上げた。
 身悶えた大虚が、絢女に向かって虚閃セロを放つ。瞬歩で彼女の前に回りこんだギンが、神鎗で虚閃を裂いた。
「終いや!」
 高く跳躍したギンが神鎗を振り下ろす。
 絶叫を上げて、大虚は真っ二つに切り裂かれた。
 地に倒れた大虚の体がさらさらと崩れ、霊子に還ってゆくのを認め、絢女は結界を解いた。
「ご苦労さん、絢女」
「お見事でした、市丸副隊長」
 三席の口調で答える絢女に、
「絢女と一緒の討伐はらくちんやなぁ。結界とか、虚の捕縛とか、めんどいこと、全部、絢女がやってくれるし」
 に、と笑って、ギンは言った。
「こんな気疲れする任務、もうごめんです」
「そうなん? ボクはけっこう楽しかったで。護廷の誇る別嬪さんと堂々といちゃつけたしな。…虚もなぁ、もうちょっと、気ィ利かせてくれればええのに」
「どういう意味ですか?」
「あと、もうちょっとだけ、襲うの待っててくれたら、絢女と接吻キスできたのに」
「本気でするつもりだったの!? ふりじゃなくて!?」
 驚愕する絢女に、
「当然や。こんな機会、逃すアホは男やない」
「いばらないで」
 冷たい声音で言い放ちながら、絢女はその場にしゃがみこんだ。なんだか、無性に疲れていた。
「如月三席、大丈夫ですか?」
「市丸副隊長、お怪我は?」
 逃げていた義骸が、戦闘の気配に駆けつけてきた現地駐在の十一番隊士とともに戻ってきた。
「怪我はしてないで」
 いつもの飄々とした笑みを浮かべて義骸に応え、ギンは絢女に手を差し出した。
「起きィ、絢女。帰るで」
 素直にその手を掴んで立ち上がりながら、
「この件の報告書、私が書くわ」
と、絢女は宣言した。
「え~、絢女にはえらい迷惑かけたし、ボクが引き受けよ思てたのに」
「いやよ。あなたに任せたりしたら、何を書かれるか分かったものじゃないわ」
「心外やなぁ。自隊の副隊長を信用出来ひんの?」
「出来ないから言ってるの。日頃の行いを反省しなさい」
「うっわ、絢女、きつっ!」
 言い争う五番隊の二人の姿に、
(任務完了したんだがなぁ…。痴話喧嘩にしか見えんのは何故だ?)
と、十一番隊士は深い深い溜息をついた。


*1 1953年公開のアメリカ映画。日本公開は1954年。
  監督:ウィリアム・ワイラー。
  主演:オードリー・ヘップバーン、グレゴリー・ペック。
*2 1954年公開のアメリカ映画。日本公開は1955年。
  監督:アルフレッド・ヒッチコック。
  主演:ジェームス・スチュアート、グレース・ケリー。
*3 サブリナパンツの命名の由来となったアメリカ映画「麗しのサブリナ」は1954年の公開。
  監督:ビリー・ワイルダー、主演:オードリー・ヘップバーン、ハンフリー・ボガート。
  日本公開も1954年。
*4 1956年公開のイタリア映画。日本公開は1958年。
  監督・主演:ピエトロ・ジェルミ。

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2009.11.14