妹を求めむ山道知らずも
気だるく重たい体を湯船に浸けると、ずきりと秘所に湯が沁みた。
「いたっ…」
湯に温められたせいで、身体中に散った
昨夜のことは、実のところ途中からほとんど覚えていない。ただ、痛くて、苦しくて、彼を充足させることが出来ない自分が情けなくて、いつになったら解放されるのだろうと虚ろに考えていた。知識として、初めては痛いものだと知ってはいたが、あんなに激痛だとは想像が及ばなかった。それでも、
(もう、心を隠さなくていい…)
まっすぐに、好きだと言える立場になれた。彼を失わずにすんだ。そのことに、絢女は安堵していた。
湯から上がり、寝室に入ろうとした絢女は、不意に庭を振り返った。
藍染が暮らしていた頃は枯山水の石庭だった中庭は、絢女の好みで様々な花木が植えられて、かつての面影を完全に失っている。ただ、高野槙の大木だけは絢女の意向を受けて残された。藍染よりもさらに先々代の五番隊長の手によって植えられたという年を経た高野槙こそ隊長舎の主だと考える彼女は、老木に敬意を払ったのだ。
その槙の木の幹に隠れるように、男が佇んでいた。
「ギン!?」
慌てて庭先に降りると、絢女は男の側に駆け寄った。
「見つかってしもた」
微かに苦笑したギンの体は、夜風にすっかり冷え切っていた。
「いつから、ここにいたの?」
霊圧を閉じて、大木の幹に隠れて…。
「ん、
「そんなに!?」
驚いた絢女がともかく部屋に上げようと彼の手を取ろうとした時、一瞬早く、彼女は彼に抱きすくめられていた。
「かんにん、こんな夜中に…」
彼女の肩口に顔を埋め、ギンはくぐもった声で謝罪した。その背中を宥めるように撫でながら、
「どうしたの?」
と、絢女は問うた。
「怖なってしもて」
「怖い? どうして…?」
「夢やないか、思えてきてな」
隊長舎に一人でいると、昨夜のことは夢だったのではないかと思えてきたのだ、とギンは言った。あれは甘美な夢で、自分はとうに色絶無で狂ってしまっているのではないか。そう考えたら怖くてたまらなくなったのだ、と。
「私はここにいるわ」
「うん」
「ちゃんといるから…」
「うん、あったかいなぁ。姫さんは」
「ギンが冷え切っているのよ」
絢女はギンの背中に廻した腕に力を込めた。
「とにかく上がって。体を温めないと」
「かんにん」
「そうだ、お風呂。さっき上がったばかりだから、まだ温かいわ」
絢女は男の腕から抜け出そうとしたが、ギンはそれを許さなかった。
「風呂より、姫さんがええ」
「ギン…」
「絢女があっためて」
昨夜の激痛が甦り、絢女は一瞬躊躇った。だが、すぐに、
「いいわ」
と頷く。
「…だから、上がって」
彼女を拘束していた腕がほどかれた。絢女はギンの手首を掴むと、引っ張るように寝室に上げた。
夜風が入ってこないように、ぴっちりと襖を締め切り、絢女はギンに向かい合った。
「どうすればいいの?」
「…」
「どうすれば、ギンを温めてあげられる?」
あからさまに、彼女は不安で震えていた。にもかかわらず、気丈にも一生懸命に尋ねる彼女に、ギンは、
「何もせえへんから、一緒に寝かせて」
と告げた。
彼女を抱くことを望めば間違いなく許されるだろうと、ギンは思った。自分のことより人のことを優先する彼女は、抱くことでギンが安心できるならと、それを許すに決まっていた。だが、傷ついているはずの彼女を、これ以上痛めつけることは出来なかった。
昨夜、絢女は自らギンに抱かれに行った。二人が交わした行為は完全に合意の上でのものだ。しかし、彼女が受けた肉体的なダメージは強姦されたにほとんど等しいと、ギンは知っている。百四十年越しの、積もりに積もった欲望の前では優しくしようとか、傷つけたくないとか、もろもろの理性は風に舞う芥子粒に等しかった。彼女が拒絶しないのをいいことに、無垢な体を無理矢理に開かせ、力ずくで引き裂いた。彼女の苦痛に頓着せずに、何度も何度も欲望のままに犯し続けた。昨夜の傷が癒えていない彼女を、自分の都合で再び傷つけてしまったら、ギンは自分が許せない。だから、
「それでいいの?」
とほっとしたのが半分、戸惑いが半分という面持ちで確認する絢女に頷いてみせた。
「うん。今日は横で寝かせてもらえたらそれでええ」
彼女の隣で、彼女を腕に抱いて眠れるのなら、それで充分だ。
絢女はすでに敷いてあった布団に自らの体を横たえた。右手で掛け布団を持ち上げ、ギンに隣に入るように促すと、彼はすぐにその空間に体を滑り込ませた。
冷え切っているギンに絢女は体を摺り寄せる。ギンは彼女を両の腕で抱いた。
「あったかいなぁ、姫さんは」
「眠れそう?」
「うん」
彼女の体温を夜着越しに感じて、梔子の香りに包まれて、ようやく、ギンは恐怖が薄れていくのを感じた。確かに絢女はここにいる。自分の腕の中にいるこのぬくもりは幻ではない。
「絢女」
「なぁに?」
「好きや」
途端に、絢女は嬉しそうに笑みを零した。
「ギン、気付いてる?」
「ん?」
「ギンが『好き』って言ってくれたの、今のが初めてよ」
「え?」
ギンは思わず目を見開いた。
「言うてへん…かった?」
「ええ。大事だったとか、守りたかったとか、きれいだとか、そういう言葉はたくさんもらっていたけど、『好き』は初めて」
くすくすと笑う絢女を抱きしめ直し、触れるだけの口接けを落とすと、
「好きや。絢女」
ギンは改めて告げた。
「私も好き。だから、ギン。安心して眠って」
幼子だった冬獅郎を寝かしつけていた遠い昔のように、ぽん、ぽん、と背中を軽く叩くと、
「ボクは冬獅郎はんと違うけど?」
とギンは苦笑を浮かべた。
「いや?」
「いややない」
「眠って…」
絢女は左手を伸ばすと、ギンの両眸をそっと掌で覆った。それから、小さな声で子守唄を口ずさみ始めた。いつも、弟に唄っていた子守唄だ。
「絢女…。あったかい…」
すう、と引き込まれるように、ギンは眠りに落ちた。彼の目を覆っていた手を外すと、絢女は愛しい男の寝顔を覗き込んだ。彼の呼吸が安らかなのを確認して、ほっと息をつく。
彼はどのくらい眠っていなかったのだろう。昔、たった二日間刑を受けただけで一月以上も悪夢に悩まされたことを、絢女は思い出した。感覚を全て奪われる色絶無は、それほど怖ろしい刑罰なのだ。どんなに意思の強固な、強い霊力の持ち主であっても半月が限度と言われていた刑を、一月の長きに渡って耐え抜いて、彼は戻ってきてくれた。だが、刑罰の後遺症は、彼の精神を深く切り裂いているはずだ。
彼が悪夢を見ないようにぴったりと寄り添って、絢女もまた眠りに就いた。
その日から、夜毎、ギンは絢女の許を訪れた。
彼女の隣に臥し、彼女を腕に抱くことで安らいだ眠りを得、夜明け前に帰ってゆく。
そんな営みが七夜、続いた。
そして、八夜め。
いつものように訪れたギンを迎え入れた絢女が、いつものように先に寝床に入ろうとした時、ギンは背後から抱きとめることで彼女の動きを遮った。
「絢女…」
情欲を湛えた呼びかけに、彼の腕の中で絢女は体を強張らせた。
「体、もう平気?」
微かに、絢女は頷いた。
「ボクが傷つけたん、治った?」
もう一度、頷く。
「絢女。欲しい」
耳もとで囁かれる声が熱い。
「抱いてええ?」
絢女はすぐに頷くことが出来なかった。彼に抱かれることに嫌悪はなかったが、恐怖はあった。息を詰め、錆付いたかのように動かない体を無理に動かして、絢女はこくんと首を縦に振った。
ギンは待っていたのだ、と絢女は知った。初めての夜に痛めつけられた身体が癒えるのを、ずっと待ち続けていたのだ。鬼道を使えば、この程度の傷であれば治癒させることは簡単だったろう。彼が初めて訪れたあの晩に、抱こうと思えば出来たのだ。だが、そうしなかったのは、絢女の裡にくすぶる怖れを見抜いていたからだ。絢女の精神が落ち着くようにと、七夜もの時をかけて待っていた彼の想いに応えたい。にもかかわらず、どうしても怯えを振り払えず、すぐには受け入れられなかった自分自身が絢女は恨めしかった。
「ごめんなさい…」
と小さく呟くと、
「謝らんで」
とギンもまた小さな声で返した。
「抱いてもらえて嬉しかったの…」
絢女は初夜の晩に告げた言葉を繰り返した。
「本当よ。嬉しかったの。嘘じゃないわ」
「うん…」
「嬉しかったのに、それなのに怖いの。今だって、いやじゃないのに…」
「怖ぁて当たり前や。あんなひどい目に遭うたんやもん」
ギンは抱きしめた腕をわずかに緩めた。
「優しゅうするつもりやって」
「ギン…」
「初めてやし、全然痛ないいうわけにはいかへんけど、でも、出来るだけ優しゅうして、ちょっとでも絢女がつらいって感じんですむようにしようって思とったん。けど、出来ひんかった。何や体が熱うなって、絢女が欲しゅうて欲しゅうてたまらへんで、まともに考えることもよう出来んようになって…。絢女のこと無茶苦茶にしてしもた。怖ろしいて思うんは当然や。ボクが悪いん。全部ボクのせいや。絢女は謝らんで」
「ギン、私…」
「優しゅうするから」
絢女の体を反し、ギンは彼女と正面から向かい合った。
「もう、あんなつらい思いはさせへんから…。ちゃんと、絢女も気持ちええて思えるようにするから…。抱かせて」
今度はすぐに体を動かせた。視線をギンに固定したまま、絢女は腕を持ち上げて彼の首に絡めた。爪先立って、彼女の方から口接けると、彼はふわりと嬉しそうな笑みを浮かべた。
「優しゅうするからな」
絢女に、というよりも自分自身に言い聞かせる口調でもう一度告げると、ギンは絢女の腰をぐいと持ち上げるようにして唇を重ねた。
「ん…」
逃げる舌を絡めとり、貪る。呼吸が苦しくなったらしい絢女が身を捩ったので、一旦離したが、間を置かず、角度を変えて再び接吻を繰り返す。艶やかな唇を吸い上げ、嬲り尽くしていると、不意にがくんと絢女の腰から力が抜けた。自力では立っていられなくなった彼女を右手で支えたまま、さらに執拗に口接けを続ける。彼女の眸から零れ落ちた涙が唇を伝って舌に触れ、ようやく、ギンは彼女を解放した。飲み込み切れなかった唾液が細く糸を引いて離れた互いの唇を繋いでいたが、すぐに切れて、絢女の頬に滴った。ギンはそれを舌先で舐め取った。
「ギン…」
切なげに、絢女は彼の名を呼んだ。艶を増した琥珀が、微妙に焦点が合わないままにギンを見つめている。ギンは左手で彼女の夜着の腰帯を解いた。はらり、と合わせが
絢女の体が寝床に横たえられた。口接けだけで腰がくだけてしまった彼女は為すがままだった。
中途半端に体にかかった夜着を指で掃うように体の脇に落とすと、白い乳房が露わになった。彼女の双丘は乱菊のような圧倒的な量感こそなかったが、椀を伏せたような形でふっくらと盛り上がっており、端正な美しさで存在感を誇示していた。頂きには、ようやく膨らみ始めたばかりの未だ固く閉ざされた梅の蕾という風情で、慎ましやかな乳首がちょんと飾られている。桜貝の貝殻色のごく淡い薄紅をしたそれは、透き通るような絢女の膚にあって、扇情的な紅さでギンを捉えた。
敷布に散った栗色の髪が、額縁のように彼女の膚の白さを際立たせていた。貪りつくしたばかりの甘い柔らかな唇は僅かに開かれ、男を誘っている。無駄な肉のまるでない、くびれた細腰からなだらかな曲線が両脚に続き、
「は…」
とギンは覚えず、短い吐息を洩らした。
「灯り…」
絢女が呟いた。
陶然となっていた彼女は、行灯の灯りが点いたままだったことを失念していた。触れようとせず、ひたすら見つめる男の視線で、ようように灯りの存在を思い出した彼女は、
「消して」
と頼んだ。
「いやや。このままでおらせて」
ギンは応えた。絢女の肢体はあまりに蠱惑的で、暗闇に沈めてしまうのが惜しかったのだ。けれど、
「消して、ギン。お願いだから…」
羞恥に震える絢女に泣きそうな顔で重ねて懇願されて、ギンは灯りを消した。美しい四肢をもっと眺めていたかったが、彼女が嫌がるのなら無理を通すことは出来ない。優しくする、と約束したばかりで違える真似はしたくなかった。
ギンの右手が乳房に触れた。同時に、唇が再び重なった。絢女の唇をギンの舌がなぞり、そのまま首筋に降りてきた。
「待って、ギン。待って…」
絢女の声がギンを制した。力の入らない腕で彼を押して体を離そうとする彼女に、
「いや、なん?」
困った顔でギンは尋ねた。
「やっぱり怖い?」
「違う…」
と、絢女は首を横に振った。
「違うの」
「じゃ、何?」
「痕…。見えるところには痕をつけないで欲しいの」
「痕をつけられるんは、嫌?」
「違う。いやじゃない」
細い、弱々しい口調だったが、彼女ははっきりと否定した。
「いやじゃないけど、見えるところにつけられるのは困るの」
「うん、分かってる。帰る前にちゃんと消すから、な」
そう告げて、唇を落とそうとしたギンを、絢女はもう一度遮った。
「痕を消すのがいやなの。…だから、見えるところにはつけないで」
ギンは動きを止めた。
ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、彼女の言葉を反芻する。
「消すのんが嫌?」
「いや」
きっぱりと、絢女は肯んじた。
「なんで?」
「だって…」
アナタガワタシヲアイシテクレタショウコダモノ
音を意味として拾い上げるのに、数秒かかった。
あなたが私を愛してくれた証拠だもの
意味を理解すると同時に、体が固まった。
彼女に覆いかぶさったまま、完全に動かなくなったギンに、
「呆れたの?」
と絢女の声が震えた。
「怒った?」
応えないギンに更に心細げに、
「ごめんなさい」
と謝りかけた絢女だったが、謝罪は途中で途切れた。ギンが二本の指で彼女の唇を押さえたのだ。
「謝らんでええ。呆れてへんし、怒ってもおれへん。吃驚してしもただけや」
そう告げてから、口許を押さえた指を離すと、
「ギン、ごめんなさい」
とやっぱり彼女は謝った。
「我儘なのは分かってるけど、でも、いやなの。消したくないの。お願い、見えるところには痕をつけないで」
「こういうのは我儘とは言わへん」
ギンは息をついた。
「絢女。あんまり可愛いこと言わんといてや。優しゅうするて約束したのに、また我慢が利かへんようになってしまうところやった」
情を交わした女の膚に痕を残す行為は、単なる男の征服欲に過ぎないとギンは思っている。獣のマーキングと同じで、この女は自分のものだと縄張りを主張したいだけの男の身勝手だ。それなのに、彼女はその身勝手を愛の表れだと受け止めていた。初めての夜に、彼が欲望に任せて残した爪痕を愛された証だといとおしんでいた女に、ギンの心は激しく揺さぶられた。
「絢女」
「はい」
「見えへんところ…。着物で隠れて、絶対に見えへんところは痕つけてもええて解釈して間違うてへん?」
「見えないところなら、いいの」
「分かった。ちょっとでも見えそうなところには絶対に痕はつけへんて約束する。その代わり、見えへんところには、その分いっぱい痕をつけてしまうけど、構へん?」
「ありがとう」
肯定の代わりに感謝の言葉を告げた絢女を、ギンはきつく抱きしめた。
遠い昔、人間の少女だった絢女は、人を呪縛するのはやってはならないことだと、やはり人間の子供だったギンに告げた。けれども、彼女は自分でも全く意図しないうちに彼を完全に呪縛していたのだ。こんなにも愛しい。こんなにも慕わしい。大切で、離れがたくて、温かな存在。名前さえ持たなかった彼に「ギン」という名を与えた、その瞬間からギンは絢女に囚われた。
「好きや。姫さん」
「好きよ、ギン。大好き」
告げれば、倍になって還って来る優しい言霊。
接吻を繰り返し、手で乳房を揉みしだけば、甘やかな吐息がギンの心を蕩かす。
顎から首筋、そして、鎖骨とギンの唇が絢女を手繰る。吸い付いて華を咲かせてみたい欲求は頭を擡げたが、舌先で味わい尽くすだけに留めて、今度は左肩の傷痕に触れる。
「…あ…」
甘い声が洩れた。
「ここ、感じるん?」
舌先でくすぐってやると、彼女の吐息が深さと熱を増した。そのまま、傷痕を辿り、彼女の胸元まで唇を下ろすと、ギンはそこで初めて彼女の膚を吸い上げた。
「あっ!」
びくん、と絢女の体が跳ねた。
夜目にもはっきりと、彼女の白い膚に紅い徒花が咲いた。左手で片方の乳房を弄んだままに、もう片方の乳房を口に含むと、
「…あぁ…」
と、細い喘ぎが絢女から零れ落ちた。
女が感じる場所は知り尽くしていた。絢女にもっと感じて欲しくて、休む暇さえ与えずに愛撫を続けると、眸から涙の粒が転げて敷布に滲みた。声を上げることに羞じらいがあるのか、必死になって嬌声を飲み込んでいるせいで、洩れる喘ぎはひどくくぐもっていた。
「声、聞かせて」
言いながら、ギンがぐいと両手で乳房を揉み上げると、堪らず、
「ああっ!!」
と叫び声が上がった。
「いや…。ギン、やめて…」
「やめられへんよ」
と、今度は腰に喰らいつく。両手で腰の線を撫で上げながら唇で滑らかな膚を吸うことを繰り返すと、無数の華が細腰に散りばめられ、
「ン…、は…、ああ…」
と、絢女は切れ切れの細い悲鳴を洩らした。
「気持ちええ?」
問いかけにいやいやと首を振るが、双顆の琥珀が宿す涙には苦痛ではない悦楽が煙っている。
「や…、もう、や…。ギン、助けて…」
助けて、と言われて、ギンはいきなり絢女の秘所に人差し指を突き入れた。
「や、あっ!!」
高い悲鳴が上がる。
「痛い?」
ぐっと奥まで指を押し込みながら、ギンは絢女を覗き込んだ。彼女の唇が
「痛い?」
再度の問いかけに、やっとの思いで絢女は首を横に振った。全く痛痒を感じないわけではないが、初めて指を挿れられた時のように意識をさらわれるほど酷くは痛まない。だが、苦痛が薄い分だけ、侵入してきた異物は己の存在を主張していた。あり得ない場所を掻きまわされ、絢女は奥底で眠っていた未知の感覚が呼び起こされるのを感じた。
「…いや…。助けて。助けて…、ギン…」
指が三本に増えた。たっぷりと露を置いた絢女の花芯は、ギンの指を呑み込むと動きを阻むように締め付けてきた。その締め付けに逆らって指を捩ると、絢女の体はびくびくと痙攣した。まるでまな板に載せられた鮎だ、とギンは感じた。与えられる刺激に耐えかねて、跳ねまわる四肢の動きさえしなやかで、艶めかしい。責め苛んでいるのは他ならぬギンなのに、助けて、と縋る彼女の可愛らしさに飛びそうになる理性を繋ぎとめる。
「…助けて」
ギンは指を引き抜いた。
「挿れるで。ええ?」
絢女の顔に怯懦が浮かんだ。それでも、頷きを返して許そうとする彼女に愛しさがこみ上げ、ギンはそっと口接けを落とした。
「この間みたいな目には遭わせへんから」
と髪を撫でながら告げる。
「力抜いて、楽にし」
体を硬くして身構えている彼女の胸や腰を柔らかく愛撫することを繰り返すと、少しずつ強張りがほぐれてきた。
彼女の両の腿を掴むと、ギンは大きく足を開かせた。反射的に閉じようとするのをほんの少し力を入れて押しとどめ、
「羞ずかしいのんは分かるけど、足はちゃんと開いとった方が楽やで」
と諭すと、絢女は小さな子供のようにこっくりと肯んじた。
ギンは硬く屹立した自らの抜き身を絢女の秘部にあてがった。途端に緊張する絢女の耳もとで、
「大丈夫や」
と囁く。
「大丈夫。約束したなぁ、優しゅうするて」
「ギン…」
「大丈夫、大丈夫。怖ないよ。大丈夫」
まるで幼子を宥めるように繰り返される独特のイントネーションが、絢女の恐怖を和らげた。
ゆっくりと、これ以上には出来ないというほどゆっくりと、ギンは絢女の中へ挿入を始めた。彼女はひどく狭く、その上、食い千切られそうなほどに締め付けてくるので、なかなか先に進めなかった。彼女がギンを呑み込み終えるまで、長い時間がかかった。ようやく挿入しきって、ギンは大きな溜息をついた。暴発させずに持ちこたえた自身を誉めてやりたかった。
初めての時に「掴まっていろ」と教わった通りに、必死になってしがみついていた絢女の腕の力が僅かに緩んだ。
「痛い?」
と尋ねると、
「痛い。痛い…けど、でも…」
「でも?」
「あなたがいる」
今、自分は彼と繋がってひとつになっているのだ。
それを初めて絢女は実感していた。
ギンは微笑を浮かべると、
「動かすよ。ええ?」
と確認した。
「はい…」
許可を貰って、ギンはゆっくりと律動を始める。
ひゅうと微かな音を立てて呼吸を飲み込んだ絢女は、そのまま息を詰めて、刺激をこらえようとした。
揺さぶられているのは身体。けれど、確実に、知らない感覚もまた揺さぶられていた。どろどろと湧き上がり、彼女を侵食していくその感覚に耐え切れず、
「ああぁ!」
と悲鳴が洩れる。慌てて、自らの口を手で塞ぐと、
「声、出しィ。聞いてるの、ボクだけや」
と抽送を速めながら、ギンが告げた。
絢女はかぶりを振った。泣きながらさらに強く口を押さえつける彼女に、ギンは溜息を零したが、彼女はもうそれを認識できなかった。
揺さぶりが激しさを増し、感覚が溢れ出す。
そして、終局が来た。
一際強く突き上げられたと同時に、溢れきっていたものが、パン、と凄まじい音を立てて弾けた。
自失していた絢女が、小さな小さな声で、
「ギン…」
と男の名を呼んだ。
「何?」
木賊色の双眸が、絢女を覗き込む。
「大丈夫?」
未だ虚ろな瞳のままで、絢女は微かに頷いた。
「ギン…。今の…」
「ん、何?」
「今の…、何?」
亡羊とした声音の問いかけに、
「絶頂」
と、ギンはその名を教えた。
「ぜっちょう…」
鸚鵡返しに、絢女は呟く。ギンが絢女を見守っていると、不意に前触れもなく、彼女は震えだした。
「どうしたん、絢女?」
慌てて彼女を抱く腕に力を込め、正面から見据えると、
「怖い…」
と彼女は呟いた。
「怖いよ。ギン、怖い」
恐ろしい夢を見て泣きじゃくる子供のように、絢女は「怖い」を繰り返し、ギンに縋りつく。そして、ギンは我が子を宥める親のように、彼女の背中を擦りながら、
「大丈夫。もう大丈夫や」
と繰り返した。
それを恐怖と感じるほどに深い陶酔を彼女に与えられたのだと知って、ギンの胸にひたひたと満足感が押し寄せた。
ひたすらに、
「大丈夫」
とあやし続けて、ようやく、絢女の震えが治まった。それでも、ぎゅっと彼にしがみついたままの彼女に、
「絢女」
と呼びかける。おそるおそる、彼女は顔を上げた。
「そないに怖かった?」
肯定。
「そんなら、もうボクとこんなことするの嫌?」
意地悪を言っていると承知の上の問いかけに、無垢な彼女は零れそうなほどに眸を見開いた。
「嫌なん?」
絢女は激しく首を横に振った。
「違う」
と、半泣きで彼女は訴えた。
「違うの」
「怖いんと違うの?」
「怖いけど、でも違うの。いやじゃないの」
ギンは絢女の頭を両手で抱えると自分の胸に押し付けた。
「怖いほどよかった?」
彼女の耳に問いかけの形で正解を教えてやると、絢女は再び瞠目した。
恐怖には愉悦が潜んでいた。生まれて初めて知った「絶頂」がもたらした悦びは、彼女の許容量を凌駕していたのだ。理性が弾け飛び、自分が自分でなくなってしまうのが不安だった。呼び覚まされた官能の疼きが怖かった。恐怖の正体に納得し、絢女はそれをもたらした男の顔を穴が開くほどに見つめた。
さすがに居心地がわるくなったらしく、ギンは苦微笑を浮かべた。
「どしたん、姫さん?」
まだ、自分を見つめ続けている絢女に囁いてみる。すると、
「…いやって言ったら、どうするつもりだった?」
と、彼女は訊ねた。
「は?」
「私がいやって言ったら…、そしたら、ギンはどうするつもりだったの?」
真正面から問いかけられ、ギンは返答に詰まった。彼女が嫌とは決して言わないことを確信した上での意地悪だったから、対処を考えていなかったのだ。
「ええと…」
怜悧な彼らしくもなく口ごもると、
「無理矢理にでも、私を抱く?」
「そんなことせえへん!」
「…だったら…、花街に…行く…?」
痛々しいほどに震える声で問いを重ねる絢女の顔を、今度はギンが穴の開くほど見返した。
「絢女」
「はい」
「違とったら、自信過剰やて哂ってええよ。…絢女、もしかして、焼餅やいとる?」
絢女はギンから目を背けた。
「身勝手でごめんなさい」
「絢女…」
「他の女の人のところになんて行かないで」
「…」
「いやだなんて言わないから、他の女の人のところには行かないで…」
彼女が失踪するより昔。同じ五番隊の上司部下だった頃、ギンは夥しい女と浮名を流した。揚屋で一番の花魁が商売気抜きで彼に入れ込んでいるらしいとか、どこそこの貴族の娘が一晩だけでも情けが欲しいと縋ったとか、虚実取り混ぜた噂は掃いて捨てるほどに立った。実際、色里へはしばしば通っていたし、女に付けられた痕を消しもせずに出勤して、藍染から咎められたこともあった。だが、そんな彼に絢女は平然と接していた。軽蔑するでなく、嫉妬するでなく、動揺するでなく、彼が誰とどう過ごそうと関係のないことだと淡々と受け流し続けた。薄汚れた自分では彼女に触れる資格がないと考えていたギンは、理性の部分ではそれでいいのだと納得していた。だが、感情はいつも理性を裏切った。自分はたくさんいるただの友人の一人でしかないのだと思い知らされているようで、落胆する心を持て余していた。けれど、
「もしかして、昔も焼餅やいてくれとった?」
とギンは期待を込めた。
「 だって…」
嫉妬する権利など自分にはないと思っていた。受け入れられないのに、縛るような真似は出来るはずがなかった。ギンの前で動揺を見せず、平然としていることは、絢女にとってせめてもの自尊心の発露だった。
「ごめんなさい。私、ひどいこと…」
「姫さんは謝りすぎや」
「でも…」
「謝らんでええ。今、ボク、ものすご嬉しいんやもん」
「え?」
「絢女に焼餅やいて貰いたかったん」
唇が触れた。
「行かへんよ」
とギンは断言した。
「絢女がおってくれたらええ。他の女なんて意味ない」
容色も技巧も申し分ない百人の美姫とのめくるめく快楽の百夜と、昨晩までのように触れずに絢女の隣に臥すだけの百夜となら、ギンは躊躇いなく後者を選ぶ。獣慾を満たすだけのその場限りの快楽など、絢女の傍らで眠れる安らぎに比べたら露ほどの価値もない。
「絢女。この歌知っとる?」
と、ギンは古い三十一文字を諳んじた。
秋山の黄葉を茂み惑ひぬる妹を求めむ 山道知らずも
「柿本人麻呂ね」
万葉集の巻二に収められている挽歌で、妻の死を嘆き悲しんで詠んだものである。
「うん、そう。この歌を初めて知った時な、これはボクやと思た」
絢女が迷い入った山さえ知らず、それでも、捜し求めずにはいられなかった。道なき道に分け入り、捜して、捜して、往く道を見失い、そして、
「やっと見つけた」
と、彼女の髪に口接けた。
「もう置いていかんで。傍におって。お願いや」
「傍にいるわ。ずっとあなたの傍にいる。ギンも私を離さないで」
離せるはずがない。
言葉の代わりに、ギンは絢女を腕に閉じ込めた。