Sweetest Rose ~雛罌粟をあなたから 後日譚~
会議室を出ようとした冬獅郎は砕蜂から呼び止められた。
振り向いた冬獅郎に、
「日番谷、先日は助かった」
と砕蜂は彼と乱菊の働きで、つい先日、解決したばかりの人身売買事件の礼を述べた。
「ああ、松本に伝えておく」
冬獅郎は答えた。あの一件は全面的に乱菊の手柄だと冬獅郎は考えている。少なくとも、自分は隠密機動総司令官から改まって礼を言われるようなことはしていない。
「その後、松本はどうしている?」
砕蜂の眸に幽かに気遣わしげなものを認め、冬獅郎は小さく笑みを零した。
「元気そうにしているぞ。相変わらず、ぐうたらだけどな」
「そうか」
これまで、接点らしい接点がなかったので知らずにいたが、砕蜂が冷徹なだけの女でないということを、冬獅郎は先日の事件で初めて認識した。無愛想で言動も男勝りな彼女だが、あの時、彼女が乱菊や被害者の女性たちにみせた気遣いは同性ならではの優しさがあった、と冬獅郎は感じていた。
冬獅郎の返答に砕蜂の面に安堵が走り、すぐにいつもの無表情に変わった。彼女は懐から白い布に包まれたものを取り出すと、冬獅郎に差し出した。
「何だ?」
「例の地下室に転がっていた。状況からいって、松本のものに間違いないと思うのだが、どうしたものか困っていてな」
断って布を開くと、中に納められていたのは壊れた簪だった。小ぶりな耳かき簪で、インカローズを薔薇の形に彫刻した飾りがついているものだった。だが、インカローズの薔薇は無惨に三つに砕けており、簪の足もぐにゃりと「く」の字に折れ曲がってしまっていた。
「…松本のだ」
冬獅郎は言った。その簪には見覚えがあった。
「やっぱりそうか。壊れているからといって、勝手に処分するわけにもいかぬし、かといって、下手に渡すと嫌なことを思い出させそうでな」
面と向かって告げれば砕蜂は確実に嫌がるだろうが、そういうところに気を廻せる彼女は女らしいと、冬獅郎は思う。
「俺が預かろう。折を見て、あいつに返しておく」
「そうしてくれるか。すまん」
この簪の処置について、よほどに気づまりだったのだろう。砕蜂はほっとした表情を隠しもせずに頷いた。
彼女と別れ、十番隊舎への道を歩みながら、冬獅郎は何といってこの簪を渡したものかと考えあぐねていた。
「たぁーいちょ!」
酔っぱらいの陽気な声が縁側から響いてきて、冬獅郎は溜息まじりで居間のガラス戸を開いた。冬獅郎を認め、乱菊はぴっと敬礼をすると、
「十番隊副隊長、松本乱菊。ただいま戻りました」
と芝居がかった点呼を行った。
「つか、何の用だ?」
本日は九月二十九日。乱菊の誕生日である。誕生日には仲の良い副官仲間が祝いの宴席を設けるのが慣例になっていて、定時に仕事を上がった乱菊はいそいそと宴会のある居酒屋に出かけて行った。
間違いなく奢りであるので、これ幸いとしこたま呑んできたのだろう。彼女からはぷんと酒の匂いが漂い、酔いでむやみに上機嫌になっていた。
「え~。可愛い副官が帰宅の報告に来たのに、『何の用』ってないでしょう」
ぷう、とふくれっ面を作ってみせた乱菊を、
「はいはい。無事に帰って来てえらいぞ」
と冬獅郎は投げやりにあしらった。
別にわざわざ報告されなくても、彼女の帰宅は霊圧で分かっていた。九番隊の修兵と七番隊の鉄左衛門に送られて来たことも承知していた。乱菊の他に、八番隊の七緒や四番隊の勇音が女性の副隊長として宴会に参加していた筈だ。それなのに、彼女たちを放って修兵と鉄左衛門がわざわざ二人して来たのは、乱菊が酔っぱらっていたからというよりも、乱菊に恋慕する二人がどちらが送るかでさや当てを繰り広げた挙句の妥協の結果だろう。宴会の会場だった居酒屋から十番隊寮を巡って、自隊の寮に戻るとかなり遠回りであるが、二人は労をいとわなかったのだ。だが、その努力が報われたかというと、全くである。
「送ってくれてありがとう。お礼にお茶でも」
という甘い期待はあっさりと裏切られ、
「送ってくれてありがとう。射場さんも、修兵も気を付けて帰ってね」
と乱菊はさっさと副隊長舎に引き上げてしまった。
それで、玄関からそのまま室内を抜けて、庭越しに隊長舎へやってきたというわけだ。
「宴会は楽しかったのか?」
「すっごく」
乱菊は満面の笑みを浮かべて言った。
「いっぱいお祝いも貰ったんですよ。見ます?」
と彼女はぶら下げていた風呂敷包みを突き出した。
「あのな…」
苦笑しながらも彼女を部屋に上げたのは、毎年、誕生日の贈り物に苦慮している冬獅郎としては来年の参考になるかもという計算が働いたせいだ。だが、それ以上に、貰ったものを見るか、と尋ねた時の彼女が、まるで捕えた鼠を得意げに飼い主に見せに来る猫のようで、妙に可愛かったからだ。
居間に上がった乱菊は、早速、風呂敷包みを開いて、戦利品を開陳した。
まず、目についたのはずんぐりとした壷だった。冬獅郎の視線を受けて、
「射場さんに貰ったんです。泡盛の古酒です」
「現世の酒か?」
「はい。わざわざ沖縄の酒屋さんまで行って買ってきて下さったんですよ」
「へぇ?」
酒好きの乱菊が喜ぶ、という意味では確かに外れのない品だと思う。だが、惚れた女に渡す誕生日プレゼントとしてはどうなのだろう、と冬獅郎は内心で首を傾げた。
「たいちょ、今度、一緒に呑みましょ」
にこにこと笑って、乱菊は誘った。
「おまえが貰ったもんを俺が呑んじまうのはまずいだろう?」
いくら上司とはいえ、他の男に呑まれてしまうのは鉄左衛門も不本意だろう、と冬獅郎は遠慮したのだが、
「せっかくのおいしいお酒なんですもん、一人で呑むより隊長と一緒の方が楽しいです」
と乱菊は意に介さずに重ねた。
「ね? 腕によりをかけて、肴を用意しますから」
こてんと小首を斜め二十度に傾けたお強請りポーズは確信犯だ。
「分かった」
と、冬獅郎は承知するしかない。
(射場、すまん)
彼は心の中で鉄左衛門に詫びた。
「こっちは勇音から」
と乱菊が広げたのは、萌木と千歳緑の二色使いのストールだった。蝉の羽のように薄い生地なので畳むと小さく納まり、徐々に肌寒くなってゆく今からの季節には重宝しそうな品だ。
七緒が贈ったのは、イヤリングだ。小さめの一粒サファイアのごくシンプルなものだったが、乱菊の眸の色と調和していて、仲のいい女友達ならではと感じさせた。
「これは一角と弓親からです」
十一番隊の副隊長はやちるであるが、実務を担っているのは一角と弓親なので、私的な宴会では副官仲間の数に入っている。二人が贈ったのは揃いの帯揚げと帯締めで、十割十分十厘、選んだのは弓親だ。
「で、これが修兵からです」
と乱菊が開けてみせた箱に納められていたのは、薄紅の飾りがついた簪だった。飾りは軟玉らしく、薔薇の形に彫り出してある。惚れた女への贈り物としては、鉄左衛門より正統派だ。
「この石。インカローズっていうそうです」
「へぇ? インカって言ったら南米だったな。あの辺で採れるのか?」
「さぁ。多分、そうなんでしょうね」
と乱菊は首を傾げた。
「インカローズって何だかロマンチックな名前ですよね。修兵にしちゃ、気が利いていると思いません?」
彼女が語るには、これまで修兵から貰ったものは、申し訳ないが全てはずれだったそうだ。昨年のブルー・トパーズの指輪は眺める分には綺麗で当初は喜んだものの、実際に指に嵌めてみると、石の大きさが乱菊の手には微妙にバランスが悪かった。結局、一度も使わないまま仕舞い込まれているという。一昨年の帯留めも、その前の簪も今ひとつ好みに合わず、一回か二回ほど使ったきりらしい。
「でも、これは可愛くて気に入りました。色も綺麗だし、結構、活躍しそう」
嬉しそうに微笑む乱菊に、
「良かったな」
と告げながら、冬獅郎は何故だか胸の底にわだかまるものを感じていた。
間もなく隊舎に帰り着くというところで、冬獅郎は懐から簪を取り出した。
二か月前の乱菊の誕生日に修兵から贈られたばかりもの。
「気に入った」
と喜んでいた乱菊の笑顔が甦り、心の奥が痛んだ。
(がっかりするだろうな…)
それに、砕蜂が案じていたように、壊れた簪をきっかけに、身体を無法に弄られた心の傷がぶり返さないとも限らない。それだけは何としても避けたかった。だが、これも砕蜂が言う通りで、冬獅郎が勝手に処分することも出来ない。仲間からの贈り物と知っている以上、尚更だ。
結局、下手に隠して忘れた頃に渡すよりも、早いうちの方がいいと結論付け、冬獅郎は意を決して隊舎に向かった。
執務室に戻ると、案の定、乱菊は休憩中だった。彼女はつらい時に限って真面目に仕事をする傾向がある為、さぼっているというのはある意味では喜ばしいことであるのだが、
(部下がさぼってて喜ぶってどうなんだよ?)
と冬獅郎は深い葛藤を覚えずにはいられなかった。
「たいちょ、おかえりなさーい」
煎餅をぱりんと割りながら、暢気に乱菊は隊首を迎えた。
だが、すぐに違和感を覚えて、急いで煎餅を飲み下して、冬獅郎を窺った。
乱菊がさぼっているのを目にした時、必ず発せられるはずの小言がない。眉間には深い皺が刻まれているが、小言も出ないほど立腹しているというよりも、ひどく困惑しているように見えた。
「たいちょ?」
冬獅郎は無言でつかつかとソファに歩み寄ると、そのまま、彼女の隣りに座った。
「隊長、あの…?」
困惑が伝染したかのように途方に暮れた顔になった乱菊に、冬獅郎は黙りこくったままで砕蜂から預かった布包みを差し出した。
「何です…?」
「おまえの簪…。例の地下室に落ちていたそうだ」
「え…?」
乱菊の身体がびくり、と大きく震えた。布包みを受け取った指先が小刻みに震えている。中を検めた彼女は、ほっと大きく息を吐いた。
「…壊れちゃったんですね…」
「ああ」
おそらく、嘴突三閃を喰らって壁に叩きつけられた時に壊れてしまったのだろう。乱菊は簪を包み直すと、冬獅郎に戻した。
「申し訳ありません。これ、隊長が処分して下さいませんか」
「いいのか」
乱菊は頷いた。あの時に身に着けていたものは、どうしても再び使う気にはなれず、乱菊は全て処分してしまっていた。修兵に貰った簪が紛失していることは気付いていたが、失くしてしまったのなら仕方がないと、むしろほっとしていたのだ。
「修兵からのプレゼントですから、あたしが自分で処分するのって修兵に申し訳なくって…。嫌な役目を押し付けるようで申し訳ありませんが、隊長が処分して下さい」
「分かった」
冬獅郎が簪を懐に納めると、乱菊は安心した様子で少し笑んだ。
冬獅郎は乱菊の横顔を見つめた。どこか淋しげな表情にいたたまれず、つい、
「…残念だったな、簪…」
と言わずもがなのことを口走ってしまい、彼はすぐに激しく後悔した。
「何がです?」
「…気に入っていたんだろう?」
「ええ、気に入ってました。でも、壊れてなくても、もう使えなかったと思いますから、壊れてよかったんですよ」
傷を抉ってどうする、と冬獅郎は自分で自分を詰った。
「松本」
「何です?」
「簪…。新しいの、買いに行くか?」
無意識で口にのぼせていた。
「え?」
と思いっきり目を見開かれて、冬獅郎は自分の言ったことを理解した。
「どうして…?」
「このままじゃ、嫌だろ?」
口籠りながら返答した冬獅郎に、
「同情ですか?」
と自嘲気味に乱菊は問うた。
「いや」
それに対しては明確に、冬獅郎はかぶりを振った。
「じゃ、どうして? まさか、雛森のせいでって責任感じてらっしゃるんですか? それなら、お門違いですよ」
「別に責任を感じているわけでもねぇよ」
と冬獅郎は応じた。
「 そうだな。強いて言えば、俺の自己満足だろうな」
乱菊の眸が意味が分からないと訴えている。
「俺は、多分、おまえに笑っていて欲しいんだ」
「…」
「代わりの、なんて言ったら檜佐木に失礼だな…。俺の買ったもんが代わりになるはずもねぇし。ただ…、験直しにはならねぇか?」
乱菊は瞬きをした。
「この間の件じゃ、松本はずいぶんつらい思いをしただろ? だから、何かいいことがあれば、験直しになるだろ?」
「…そう…かもしれません」
「上司が誕生日でもねぇのにプレゼントをくれたっての、験直しにならねぇか?」
この時、冬獅郎は全く自覚がなかったが、かなり必死だった。曇らせてしまった彼女の笑顔を取り戻したかった。それも、他の誰かに慰められてではなく、自分の力で、と考えていたのだが、そのことも意識してはいなかった。
「 いいんですか?」
乱菊の問いに、
「ああ」
と冬獅郎はきっぱりと頷いた。
「あたし、すっごく高いの、お強請りしちゃうかもしれませんよ」
「ちょっとくらい高い方が、験直しには効果的だろう? あんまり高すぎるようなら、ちゃんと駄目出しする」
「ありがとうございます」
ふわっと微笑った乱菊に、冬獅郎は安堵の余りに脱力しそうになった。
定時に仕事を終え、冬獅郎と乱菊は小間物屋の暖簾をくぐった。
小間物屋に足を踏み入れるのは、実を言うと冬獅郎は初めてである。櫛、簪から、おしろい、紅といった、とにかく女性が使用するこまごまとしたものが並んでいた。冬獅郎には桃という幼馴染がいるので、彼女へのプレゼントに小間物にも縁がありそうなものだ。しかし、実際のところ、冬獅郎は桃に装身具の類は贈ったことがないし、また、桃からリクエストされたこともない。
「どれにしよう」
簪が並べられた一角に陣取ると、乱菊はうきうきと品定めを始めた。
ガラスやセルロイドの比較的安価なものから、金細工や本鼈甲の高価なものまで、簪だけでも実にたくさんの種類がある。その物量に圧倒されながらも、もの珍しさからきょろきょろとあたりを見回していた冬獅郎は、壁掛けの硝子ケースに納められた一本の簪に目を留めた。
「松本に似合いそうだな…」
ぼそりと吐き出された一言を耳聡く聞きつけて、
「え、どれです?」
と乱菊が寄って来た。
「あれ」
冬獅郎が指差したのは金細工で薔薇を現した簪だった。
「…たいちょ、あのケースの中のって高いですよ」
と乱菊が眉を曇らせ、囁いた。
「お出ししましょうか」
だが、乱菊がケースの前から離れるよりも早く、二人に張り付いていた店員が冬獅郎の方に声を掛けた。
「見せてくれ」
高い、と言った乱菊の発言に誤りはなかったようで、ケースには鍵が掛かっていた。店員が鍵を開け、簪を恭しく取り出してみせた。
「十八金の簪です。色の違う金で薔薇の花と葉を表現しています」
店員の説明の通り、薔薇の花弁はピンクゴールドと呼ばれる赤味のかかった色合いの金で形作られており、葉の方は青割りとか、グリーンゴールドと呼ばれる銀の含有率の高い緑色味の強い白っぽい金で出来ている。髪に挿す足の部分はホワイトゴールドだ。そして、薔薇の花の付け根部分から短い鎖が下がっていて、その先に薄紅色の雫型の飾りがゆらゆらと揺れていた。
「…珊瑚…じゃないですね。これ、何です?」
色合いは桃色珊瑚に似ている。だが、表面に珊瑚にはない、ぬめったような艶やかな光沢があった。それに、よく見ると、表面にさざ波にも似た模様も認められた。
「コンク・パールです」
「コンク・パール?」
冬獅郎と乱菊は異口同音に鸚鵡返した。パールが真珠というのは分かる。だが、コンクが分からない。
「現世の、主にカリブ海沿岸に産するピンク貝という貝からごく稀に産するたいへん貴重な真珠です。通常の真珠は二枚貝から産出されるのですが、ピンク貝は巻貝で、その為に真珠は真円になりにくく、最も多いのは楕円形です。これは雫型ですが、この形もなかなか出ないそうです」
と店員は淀みなく説明した。
「この表面の揺らいだような紋様は『火炎紋様』と呼ばれておりまして、この模様が綺麗に出ているものほど良質とされています。それに、こんなに綺麗な薔薇色も稀少なんですよ」
「真珠っぽい光沢がないな」
一般的なあこや真珠や南洋真珠は光の加減で微細に色が変わる独特の光沢があるが、このコンク・パールにはそれがない。その為、真珠と言われてもピンとこなかったのだが、
「ピンク貝は真珠層を持っておりませんので、コンク・パールにも真珠光沢がないのです。その代わりに一般の真珠にはない、火炎紋様が形成されます」
店員の解説に冬獅郎は納得した。
「ちょっとつけてみてもいいか?」
「どうぞ、お試しください」
にこやかに店員は答えたが、乱菊は眉をハの字に下げて、困惑しきっている。
「たいちょ、駄目ですよ」
冬獅郎の袖を引っ張って、ひそひそと告げた乱菊を、
「別にいいじゃねぇか、試すくらい」
と冬獅郎はきょとんと見返した。
「だって、付けてみたりしたら、忘れられなくなっちゃうじゃないですか」
「 つまり、気に入っているんだな?」
冬獅郎に確認されて、う、と乱菊は詰まった。
「えらく、遠慮してるな。昼間、高いのを強請るとか言ってなかったか?」
「言いました。言いましたけど、でも、これは…」
冬獅郎はちょっと考えてから、店員を手招いた。
「これの値段。俺にだけ教えてくれないか」
店員はメモ紙に値を書き込んで、乱菊には見られないように冬獅郎に示した。
「ふーん」
全く動揺を見せず、冬獅郎は平然と頷いた。
「高かった…ですよね」
おずおずと乱菊が確認した。
「まぁな」
と冬獅郎は答えた。
「確かに考えていたよりは高かったが、駄目出しするほどでもなかった」
「そう…なんですか?」
「験直しなんだから、いいんじゃねぇか。とりあえず、付けてみろ」
促されて、乱菊はとうとう簪を髪に挿してみた。
「やっぱり似合うな」
薔薇の花弁が一般的なイエローゴールドで作られていれば乱菊の金の髪に紛れてしまうところだが、赤味を帯びたピンクゴールドである為にふんわりと控えめに浮かび上がっている。その下に揺れる薔薇色のコンク・パールは、柔らかな色合いのわりに、独特の光沢のせいか存在感がある。
冬獅郎は乱菊に似合うと思った自分の感性が正しかったことに満足した。店員も、
「とても似合ってらっしゃいます」
と褒め称えた。
「これに決めるか? それとも、もう少し、他のを見てみるか?」
尋ねる冬獅郎に乱菊は、困ったように半笑いを浮かべた。
「たいちょ…、いいんですか?」
「だから、さっきからいいって言ってるだろう?」
「でも、こんな…。部下に買うようなものじゃないですよ」
「今回は特別だ」
「でも…」
冬獅郎は息を吐いた。
「俺は松本を困らせたいわけじゃないんだ。おまえがそんなに困るのなら、別にこれじゃなくてもいい」
と彼は告げた。
「ただ、せっかく、すげぇ似合ってたんだけどな」
彼は残念そうな顔をした。
「隊長」
「ん?」
「甘えちゃってもいいんですね?」
乱菊の念押しに、彼女もまた、この簪をたいそう気に入ってしまったのだと冬獅郎は悟った。
「男子に二言はねぇ。こんな太っ腹、二度とねぇぞ。乗っておけ」
すっぱりと漢前に頷いた上司に、
「はい」
と、乱菊はようやく笑みを浮かべた。
桐箱に納められ、綺麗に和紙で包装された簪を受け取った冬獅郎は、それをそのまま、乱菊に手渡した。
「験直しの効果はどうだ?」
「抜群です」
乱菊は嬉しそうに桐箱を抱きしめた。
「じゃ、仕上げに行くか?」
冬獅郎の言葉に、
「仕上げって?」
不思議そうに乱菊は見返した。
「腹も減ったし、呑みに行こう。奢るぞ」
「ほんとですか!」
「今日の俺は気前がいいんだ」
「隊長、大好き!」
乱菊は冬獅郎をがばっと抱きしめた。彼女の胸の谷間に冬獅郎の顔面がずぼっと納まり、傍らにいた店員が驚きのあまり、石化した。しばらくして、乱菊が上司を離すと、ぷはっ、と彼は派手に息継ぎをした。
「…十番隊隊長になってから、確実に肺活量は鍛えられたな」
ぼやきながら、こんなふうに乱菊に抱きしめられたのも、あの事件以来初めてだと冬獅郎は気付いた。どうやら、乱菊の言う通り、効果はてきめんであったらしい。
「それじゃ、行くか」
「は~い」
賑やかに、にこやかに去ってゆく十番隊主従を、金縛りが解けた店員が羨ましげな視線で見送った。