皐月〜あやめ〜


 ギンから珍しく、奢るからと誘われた。ちょっといい店だから着替えてこい、とも言われたので、素直に外出用の私服に着替えて待ち合わせの場所に行くと、やはり私服のギンと絢女がすでに待っていた。
「どこに行くの?」
 乱菊の問いに、
「私も聞いていないの。いい店だってだけ」
と、絢女が答えた。
 二人を従えるような格好で歩むギンには、羨望の視線が集まっていた。
 乱菊と絢女は護廷美女番付の東西両横綱である。護廷中の男死神の憧れと崇拝を集める美女二人の、一方と幼馴染で霊術院の同期、もう一方と上司部下で霊術院の同期、という立場のギンは「護廷で最も羨ましい男死神」とされていた。
「いいよなー。まさに両手に花」
「右手に『乱菊』、左手に『あやめ』か…。羨ましすぎ」
 擦れ違いざま、聞こえよがしに呟く者もいるほどだ。
 ギンにくっついて辿りついたのは「湊屋」という料亭だった。料亭自体は古くから営業している老舗なのだが、代替わりして新しく主人となった男がやり手で、腕のいい板前を新たに雇い入れ、老朽化した建物をこぎれいに改装し、季節限定膳などの企画を次々と打ち出して、いまや押しも押されぬ人気店になっていた。
「すごい! ここ、今、人気があって、予約もなかなか取れないって噂なのに。よく取れたわね」
「ここの大将と、知り合いなん」
「へー、あんたもたまには役に立つわね」
 いかにも高級そうな個室に通された。
「お酒は…?」
 仲居の問いに、それまでおとなしく控えていた絢女が、
「『暁月夜あかときづくよ』あります?」
と尋ねた。ぎょっとする乱菊をよそに、
「ございます」
「でしたら、それを一升瓶で」
「は?」
 仲居までぎょっとして、絢女を見返す。仲居と乱菊はギンを窺った。彼は乱菊にしか気取れない程度に顔を引き攣らせながらも、かろうじて笑みを浮かべ、
「ええよ。それで」
と、態度だけは鷹揚に仲居に頷いた。
 注文を受けた仲居が出て行ってしまってから、乱菊はギンの側ににじり寄った。
「あんた、何やったのよ?」
 「暁月夜」は知る人ぞ知る、名酒である。しかも、一瓶で、下位席官なら数か月分の給金が飛ぶ、と噂されるほどの超高級酒である。普通の料亭にはまず置いていない。高級料亭ともなればさすがに置いてあるが、枡や酒杯単位で注文され、瓶で出ることはまずないというくらいの酒なのだ。その酒を顔色も変えずに一升瓶で注文した絢女は、どう考えても、ギンに対してものすごく腹を立てているとしか思えない。乱菊の追及に、
「半期の補正予算案を反古にしてしもたん。うっかりして、墨をこぼしてもうて」
「…それだけ?」
 乱菊はじっとりとギンを睨めつける。
 絢女は温厚で滅多なことでは怒らない。乱菊ならとっくにきれていると思うようなことをされても、溜息ひとつで許すような女である。予算関係の書類は作成に手間と神経を使うだけに、反古にされたら、気落ちはするだろう。だが、わざとでない失敗に、絢女がここまで立腹するとは考えられなかった。
「一週間、放置しとってん」
 ギンの説明によると、絢女は副隊長と隊長がゆっくりと確認して不備があれば差し戻し出来るように、期限の一週間も前にギンに補正予算案を渡していたのだそうだ。渡された後、何度も処理しているか念を押されたにもかかわらず、ギンは面倒だからという理由で放置していた。絢女の作成した書類に不備があるわけがないと絶対の信を置いていた彼は、期限の前日まで手をつけなかったのだ。ぎりぎりになって処理をしようとして、誤って硯をぶちまけてしまい、補正予算案、その他の重要書類を反古にしてしまったということだった。
「それで、どうしたのよ」
藍染隊長おっさんが勘定方を拝み倒して、期限を二日延ばしてもろて、絢女が二日間徹夜して予算案作り直してん」
「そりゃ、いくら、絢女でも怒るわよ」
 一週間放置した挙句に、というところが逆鱗ポイントだったらしい。
「もう、四日も口きいてくれへんねや」
と、ギンは溜息をついた。
「仕事中は返事はしてくれるん。けど、『はい』、『いいえ』、『了解しました』の三言だけなん」
 絢女は滅多なことでは怒らない。それだけに、いったん怒らせると、深くしつこく怒り続けるので非常にやっかいなのだ。
「大体、予算関係の書類って、本来、あんたの仕事でしょう?」
と、乱菊が指摘する。そう、予算・決算関連書類の立案・作成は、そもそも副隊長の仕事なのだ。三席は確認や協力は求められても、通常、作成はしない。乱菊の所属する十番隊でも、先日まで副隊長がうんうん唸りながら補正予算案を作成していた。おそらく、護廷十三隊で、副隊長が予算案を作成しないのは五番隊と十一番隊くらいだろう。しかも、五番隊の場合、副隊長のギンには補正予算案をこなせるだけの能力が充分に備わっているにもかかわらず、三席の絢女が作成しているところに根本的な問題があった。
「なるほどねぇ。あんたが高級料亭奢るなんて、絶対、変だと思ってたけど読めたわ。絢女のご機嫌取りね。二人きりだと怒ってる絢女がすっぽかすかもしれないから、あたしも誘った。違ってる?」
「ちっとも違てへん」
「わかったわ。そういうことなら、遠慮しない」
 仲居が先付けと「暁月夜」を運んできた。
「絢女、誰かさんのせいで災難だったわねぇ」
「うん、ありがとう」
と二人はギンを完全に無視して、「暁月夜」を酒杯に注ぎ交わし、一気に呷った。
(そういう呑み方する酒と違うねんけど…)
 突っ込みたいが、立場上、突っ込めないギンは、無言で見守るしかない。
 護廷酒豪番付にも名を連ねるざる・・の乱菊と、世間様にはあまり知られてはいないが乱菊以上にうわばみ・・・・の絢女が、腰を据えて呑み始めたのだ。
「さっすが、『暁月夜』。おいしー」
「幻のお酒だけのことはあるわよね」
 下位席官なら数か月分の給金が飛ぶ超高級酒が、みるみる減っていく。
 もちろん、食べる方もぬかりはない。ギンが予約していた会席膳の他に、高価なつまみを何品も注文され、「暁月夜」が空になった後も、そこそこ高い酒を注文された。高給取りの副隊長といえど、青くなるほど飲み食いされて、ようやく、
「おごちそうさま」
と、美女二人に、にっこり微笑んで礼を言われた。
「ありがとう、すごくおいしかったわ」
と絢女の言葉に、彼女がようやく怒りを収めたことを、ギンは悟った。月末に届けられる請求書の桁が怖ろしいが、今は忘れようと心に誓い、彼は二人に告げた。
「ほんなら、帰るで」
 一歩、店を出ると、護廷美女番付東西両横綱をはべらせたギンに相変わらずの羨望の視線が突き刺さる。
 右手に「乱菊」、左手に「あやめ」を抱える、護廷中の男性死神の羨望を集める男。
 だが、その実態は、美貌の華たちの単なる「財布」であるという事実は、案外知られていない。

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 あやめの花言葉:信じるものの幸福

 えーと、今回の花と花言葉はこじつけというか、かなり無理やりっぽいです。
 「信じるものの幸福」というのは、端から市丸さんを見ている男死神のことです。うん、すっごく羨ましく見えると思いますよ、市丸さんは。でも、実は、かなり苦労しているというか、美女二人に翻弄されているというか。
 とりあえず、乱菊と絢女にたかられて、とほほな市丸さんを書きたかっただけです。
 ちなみに、例によって拙宅捏造設定で、護廷は十二月決算、六月半期決算で、六月の半期決算に向けて、五月が補正予算の準備期間ということになっています。

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2008.12.04