神無月〜紫苑〜
その日が非番だと知った時、ギンは迷わず現世に行くことに決めた。
現世の古都は穏やかな秋晴れだった。
駅から市バスに乗り、紫野に向かう。大徳寺という古刹の門前に古くからある「鶴亀屋弥太郎」という小さな茶店がギンの目的地だった。
東寺や、金閣寺・銀閣寺といった観光のメインの場所から外れているせいもあって、大徳寺の門前は閑散としていた。目当ての茶店には、ギンが訪れた時、客は誰もいなかった。
「おかみさん、みたらし二十串な」
「へえ」
運ばれてきたほうじ茶の湯飲みを両手で包み込むようにして持つと、一口、飲む。
時の流れから切り離されたように、この店の佇まいは変わらない。けれど、初めてこの店でみたらし団子を求めた頃、団子をあぶっていたのは職人気質のじいさんだったが、今は優しげな老婆がその作業を行っている。彼女はじいさんが団子をあぶっていた頃、じいさんの孫の初々しい若奥さんだった。
若奥さんが、老婆に変わるほどの年月が経った。
「おまちどうさま」
焼きあがったみたらし団子の串を並べた皿が、ことりとギンの前に置かれる。
「おかみさん、一緒に食べへん?」
告げられた言葉に、おかみさんはびっくりして、客の青年を見返した。
「ここのみたらしがものすご、好きやった娘がおってな。今日はその娘の命日なん。他にお客さん来たらええから、ちょっとだけ、付き合うてくれへんやろか?」
「こんなおばあちゃんでよろしおすの?」
「うん」
おかみさんはギンの前に向かい合って座った。ギンは一串を手に取り、おかみさんにも勧めた。彼女は悪びれずに串を手にした。
「ああ、おいしいなぁ」
「おおきに」
おかみさんも自分の店の売り物の団子をゆっくりと味わった。
「自分とこの売りもんやけど、おいしいなぁ」
「おいしいから、お金取って、売ってはるんやないの? ほんま、ここのみたらしはおいしい」
「おおきに」
その後、二人は互いに無言のまま、みたらし団子をゆっくりと食べた。
二人が食べ終わるまで、他に客は訪れなかった。
茶店を出て、ギンは思いついて、東山に向かった。
東山七条には蓮華王院という寺がある。通称「三十三間堂」。
この寺は千手観音の寺である。本尊である大きな千手観音坐像を中心に、左右に千躰ものほぼ等身大に近い千手観音立像が整然と並んでいる。千躰の千手観音像は製作に大勢の仏師が携わっており、一躰、一躰、顔立ちが違う。それゆえ、京の人は、ここに来れば懐かしい人の面影を宿した仏に会えると言い習わしてきた。
暗い堂内で、ギンは千手観音の顔を一躰ずつ検めた。懐かしい人の面影を宿した仏に会えるというのなら、会いたい面影があった。
(口許がちょっと似とるか…?)
口許、鼻筋、眉。
部分部分なら似ている仏はいたけれど、会いたい人の面影を持つ観音像を見つけることが出来ず、ギンは堂の庭に出た。
抜けるような青空が頭上に広がっていた。
見渡せば、石を敷き詰めた庭の隅に、ささやかに咲く薄紫の小さな花があった。
「この花、紫苑っていうのよ」
懐かしい声が甦る。
「想い草なの」
「想い草?」
「『今昔物語』のお話よ。親孝行な兄弟のお父さんが亡くなってね。その時、お兄さんはお父さんを失くした悲しみを忘れる為に墓前に忘れ草の
想い草の力など借りなくても、忘れない。
若奥さんが老婆に変わるほどの年月が経っても、忘れられない。
たとえ、萱草を千年眺め続けても、彼女を忘れることなど出来そうになかった。
「ボクには必要ない花や…」
ギンは紫苑に背を向けた。
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紫苑の花言葉:追憶・君を忘れない
神無月の花は紫苑です。
すみません。長月に引き続き、後ろ向きの暗い話です。
十月で、その上、この花言葉とくると、もう拙宅捏造設定の後ろ向き市丸兄さんがご降臨されるしかありませんでした。BGMに聞いていたのが、鬼束ちひろの“僕等 バラ色の日々”と”MAGICAL WORLD”だったことも、後ろ向きに拍車をかけたような…。
ニーズがなかろうと、初めて当サイトをご訪問くださって、「風の還る日」、「月だけが見ていた」を未読の方には意味不明であろうと、これしか思いつかなかった以上、仕方がないと開き直ってしまいました。