アンカーのいないリレー
桃が不思議そうに問いかけた。
「乱菊さん、食べないんですか?」
乱菊の前の菓子鉢には干柿が盛られている。女性死神協会幹部会の茶請けに三番隊隊長謹製の干柿を持ち込んだのは絢女で、皆で、今年の干柿は甘味が強いとか、ブランデーに漬けたらおいしいとか、論評しながら会議という名の談笑を繰り広げていたのだ。
「そういえば、全然食べてないわね? どうしたの?」
と絢女も首を傾げた。
干柿は乱菊の好物で、いつもならば真っ先に手を伸ばして、人の二倍、三倍は食べていたものである。
「うん、何かね…」
乱菊の歯切れは悪い。
「体調でも悪いの?」
「そうじゃないわ。ただ、今年は何となく干柿がおいしくないっていうか…。出来、悪いんじゃない?」
乱菊の言葉に女性死神協会の幹部たちは顔を見合わせた。
「いえ、むしろ、今年の干柿はよい出来だと思いますよ」
「ええ。例年より甘味があっておいしいです」
と烈と七緒が否定し、他のメンバーもその発言を追認した。
「業者に引き取ってもらった分も、いつもの年より高値がついたって聞いたけど」
三番隊隊長は出来上がった干柿を各隊に配っているが、最近は収穫が増え、余ったものを業者に引き取らせている。実は、三番隊の干柿は一部で密かにブランド化されて高値取引されているらしい。
「うーん。だったら、あたしの味覚が変わったのかなぁ? 実は最近、ちょっと好みが変わってきてるのよね」
乱菊は首を傾げた。
「どんなふうにですの?」
と烈が尋ねた。
「何かこってりしたものがダメになったみたいなんです。この間も、冬獅郎さんと鰻を食べに行ったんですけど、蒲焼、半分も食べられなかったんですよね、あたし」
「食欲が落ちているんですか?」
勇音が問いかけた。ううん、と乱菊は首を振った。
「食欲はちゃんとあるわ。その時も、蒲焼はどうしても食べきれなくて冬獅郎さんに片付けて貰ったけど、うざくと白焼きはおいしくておかわりしたもの」
絢女と烈が目を見合わせた。
「乱菊、一度、卯ノ花隊長に診察してもらったら?」
絢女の提案に、乱菊は驚いて見返した。
「ちょっと待ってよ。別に体調が悪いわけじゃないのよ?」
「ですが、自分でおかしいと自覚するほど味覚が変わっていらっしゃるのでしょう?」
烈が声音は穏やかに、だが、妙な迫力を漂わせて告げた。
「身体の変調の
「卯ノ花隊長のおっしゃる通りよ」
四番隊隊長の言葉に副隊長の勇音も同調し、彼女にしては珍しく、
「検査して何もなければ『良かったね』で済むし、本当に異変が起きていたら早期発見できるでしょう? 診察を受けるべきよ」
と強硬に主張した。その意見には、七緒や桃や砕蜂までが賛同し、結果、乱菊はそのまま四番隊に連行されてしまった。
診察室前のベンチに腰かけて、乱菊の診察が終わるのを待っていた絢女は慌てた様子で近づいてくる霊圧を感知して、思わず微笑した。
「姉さま!」
現れた霊圧の主は、姉の姿を認めて駆け寄った。
「乱菊、どうしたんだ?」
桃から、乱菊が四番隊に連れて行かれたと聞いて、取る物も取り敢えずに駆けつけてきたようだ。
「味覚が変わったって話をしていて、念の為に診査を受けようってことになったのよ。急激な味覚の変化は変調の徴かもしれないでしょ?」
「確かに、あいつ、最近、変だった。大好物の干柿も全然食わねぇし」
と冬獅郎は眉を顰めた。
「だけど、本人は元気そうにしてたし、あっさりした味付けの食い物なら普通に食欲あるし…」
冬獅郎は乱菊の元気さに惑わされて、味覚の変化を些細なことと見逃していた自分を責めたくなった。だが、柔らかな微笑で彼を見上げる絢女と目が合って、怪訝そうに目を瞬かせた。
絢女は根が姉さん気質なせいか、実の弟である冬獅郎はむろん、懐に入れた相手を甘やかす傾向があった。乱菊もその一人で、外見の佇まいや言動だけを眺めると乱菊の方が姉っぽく見えるのだが、じっくりと観察すると、明らかに絢女の方が姉さん的な立ち位置にいるのがよく分かる。そんな彼女だから、乱菊に何かあれば必要以上に心配するものなのだが、今回の件に限っては、どうもあまり乱菊を案じているふうには見えない。むしろ、何やら嬉しそうに見えるのだ。
「…姉さま」
冬獅郎は姉の態度を質そうとした。正にその時、診察室の引き戸が開かれ、烈が現れた。
「日番谷隊長、お見えでしたか?」
冬獅郎に会釈した彼女の後ろには勇音が控え、乱菊はというと、長身の勇音に隠れるように身を縮こまらせていた。
「どうでした、卯ノ花隊長?」
冬獅郎が問いかけるよりも早く、絢女が尋ねた。対して、烈はにこりと微笑むことで答えとした。ぱぁと、絢女の顔が輝いた。彼女は冬獅郎に向き直ると、
「おめでとう、冬獅郎」
と祝いを述べた。
「は…?」
何が「おめでとう」なのだか事態が掴めず、滅多に見られない惚け顔になった冬獅郎の前に、勇音が、
「ほら、乱菊さん。自分の口で報告しなきゃ」
と乱菊を強引に押し出した。
「…乱菊?」
乱菊はもじもじと落ち着かない様子だった。顔を俯かせているので冬獅郎から表情はよく見えない。だが、霊圧は何やら懼れ・不安・期待・喜びが入り混じって、常になく混沌としていた。
「あの…、冬獅郎さん…」
「何だ? 身体は何ともなかったのか」
「はい…。あ、いえ…、実は、あるって言えばあるんですけど…」
「どこか悪いのか?」
眉を顰め、冬獅郎は烈と勇音を見比べた。しかし、二人とも微笑を浮かべて見守るばかりで、一言も発しない。
「乱菊、どうしたんだ?」
たまりかねて声音を厳しくした冬獅郎に、乱菊は僅かに身を竦めると聞き取れないほどの小さな声で呟いた。
「…あ…ちゃん…」
「あ?」
実際、聞き取れなかったらしい。彼の表情がまた少し険しくなった。
「聞こえねぇ。もっと大きな声でちゃんと報告しろ」
隊長としての命令口調になった冬獅郎に、乱菊は息を呑んだ。その後、意を決したように、大きな声で一気に言ってのけた。
「赤ちゃん、出来ました!」
「 あ?」
これが漫画であれば、「しーん」という書き割りの擬態語が入りそうなほどの沈黙がその場を支配した。冬獅郎は完全に固まってしまった。そして、乱菊は冬獅郎の反応に、おろおろと視線を彷徨わせたまま、立ち尽くしていた。
「 どこかで回線がショートしたみたいですね」
と絢女が弟を出来損ないのロボット扱いし、
「あらあら」
と烈がのんびりと笑みを零した。
「手が掛かるったら」
絢女はおもむろに冬獅郎の前に移動すると、右手を上げ、彼の額をぴんっと指先で弾いた。
「っ痛!」
姉にでこぴんを食らって、冬獅郎は覚醒したらしい。だが、続けて発せられた絢女の言葉に、再び、生きた彫像と化した。
「しっかりなさい、お父さん」
「…」
反応出来ない冬獅郎に対して、絢女はわざとらしく半眼になってみせた。
「乱菊に赤ちゃんが出来たのなら、お父さんは冬獅郎に決まっているでしょう? しっかりなさい、お父さん」
「…そ…れは…」
姉の正論に口籠った冬獅郎に対して、
「なあに?」
と絢女は表情を厳しくして見据えた。
「冬獅郎。どこかの誰かさんみたいに『自分の子供じゃない』なんて寝言を言うんじゃないわよ。そんなこと、一言でも口走ったら、今すぐ、『滅びの風』で霊子の塵に還してあげるわ」
「言うわけねぇだろ!?」
冬獅郎は反射的に叫んだ。叫んでしまってから、はたと我に返って、彼は姉を見返した。
「姉さま…」
「なあに?」
「もしかして、あの時のことをまだ根に持って…」
「まさか」
と絢女は笑みを浮かべた。
「二十七年も前のこと、いつまでも怒っているわけないでしょ。そんなつもりで言ったんじゃないってことも、ちゃんと納得しているもの。ただ、たまにあの時は悲しかったなぁって思い出すだけ」
お姉さま、それを通常、根に持っていると言います。
咽喉元にまでせり上がってきた突っ込みを、冬獅郎は渾身の力で押し返した。
今は姉に突っ込みを入れている場合ではない。
冬獅郎は乱菊に向き直った。未だに彼から言葉を貰えず、不安を拭えない風情でいる乱菊を安心させてやらなければならない。
「あの…な」
「…はい…」
「そ…の」
だが、いざ、言葉を発しようとすると何も出てこない。しばらく、あのとか、そのとかの意味のない接頭語を繰り返した挙句に彼の口から零れたのは何の変哲もない、平凡極まりない一言だった。
「すげぇ、嬉しい」
しかし、その凡庸な一語こそ、乱菊が一番聞きたかった言葉であった。乱菊の表情に漂っていた不安が風に吹き払われるように消えた。口許は喜びにほころび、眸は嬉し涙で潤んだ。
冬獅郎の手がそっと乱菊の腹部に触れた。
「ここにいるんだな…」
「…そうみたいです。実は、あたしもさっき卯ノ花隊長に言われたばっかりだから、まだ全然、実感がないんですけど」
「卯ノ花の見立てなら絶対だ」
烈や勇音の前だったが構わず、ぎゅっと、冬獅郎は乱菊を抱きしめた。
「すげぇ嬉しい」
ともう一度、心からの本音を平凡な言葉で告げる。
烈たちは温かな微笑を浮かべて二人を見守っていた。
隊に戻ると、
「松本副隊長、大丈夫ですか?」
と三席と四席が上位席官室から出てきた。他の部下たちもかなり心配しているらしく、室内で聞き耳を立てている気配がする。
「ああ、大丈夫だ。別に病気になったわけじゃねぇ」
冬獅郎の言葉に、
「良かった。何ともなかったのですね」
と三席は安堵の息をついた。だが、四席は納得していない様子で、探るようにじっと隊首と副隊長を見比べた。やがて、彼女はおもむろに切り出した。
「日番谷隊長。松本副隊長」
「何、笙野?」
と乱菊が見返す。
「違っておりましたら、申し訳ございません。もしかして、松本副隊長、ご懐妊なのではありませんか?」
ずばり、と問い掛けた四席に、冬獅郎は目を瞠ったままで固まり、乱菊は、
「何でわかったの!?」
と思わず叫んだ。
直後、席官室で、わぁぁ、という歓声が上がった。部下たちが一斉に飛び出してきた。
「ほんとですか、隊長!?」
「おめでとうございます!」
「隊長、副隊長、良かったですねぇ」
口々に祝いを述べる席官たちの顔は皆、嬉しそうに笑み崩れている。
「ありがと、みんな」
と乱菊が礼を述べた後に続けた。
「しばらくは、みんなにも色々と迷惑をかけることになるかもしれないけど…」
だが、部下たちはそんなことは一向に構わないという顔をしている。
「笙野、おまえ、よく見抜いたな」
三席が四席の慧眼に感嘆した。
「四番隊の帰りだっていうのに、隊長も副隊長もどことなーく嬉しそうでしたもの」
「さすが、二児の母。母の勘ってやつか?」
「伊達に子供を産んでませんから」
と四席は胸を張った。
「松本副隊長。出産・育児に関しては私の方が先輩です。困ったこととか、分からないこととかあったら、何でも相談して下さいね」
「頼りにしてるわ」
と乱菊が四席に抱きつき、冬獅郎も、
「笙野、すまないが、俺じゃよく分からないこともあるし、気を付けてやってくれ」
と恃んだ。
その傍らでは、部下たちが子供が男の子か女の子かで盛り上がり始めている。
「まだ、ずっと先の話だ。仕事に戻れ」
と宥めて部下たちを席官室に帰し、ようやく二人は執務室に戻った。
部下には「仕事に戻れ」と命じたものの、さすがにすぐに執務に戻る気分になれなかったらしい。冬獅郎は乱菊と並んでソファに腰を落ち着けた。傍らの乱菊の腹にそっと手を伸ばすと、もう一度、愛おしげに触れる。
「まだ、全然わからねぇな」
指先に気を集中させて子供の霊圧を探った冬獅郎は、いくらかがっかりした顔になって、首を振った。
「もうしばらくは無理ですよ。まだ全然小さいんですから」
「…それでも、母親の味覚を変えたりとかする力があるんだな」
「そうですねぇ。干柿が嫌いって、この子、冬獅郎さん似かしら?」
「そういえば、姉さまは蜜柑をドカ食いしてたな」
二十五年前に男児を出産した絢女は、つわりのひどかった妊娠初期にはやたらと柑橘類を食べていた。絢女より少し早くにやはり男の子を産んだ烈は、何故かうどんばかりを食べたがっていたと、十四郎が語っていた。
「笙野は長女の時はバナナ、次女の時は豆腐に走ったそうです。妊娠中は好みが変わったり、特定の食べ物に固執したりってあるらしいですよ」
と乱菊も自分の腹部を優しく撫でた。
「この子、幸せ者ですね」
「ん?」
「お父さんにこんなに喜んで貰えて、周りの人たちからも『良かったね』って祝福されて産まれてくるんですよ」
「そうだな…」
世の中には、望まれずに生まれてくる子供はごまんといる。望まれて生まれ落ちたはずなのに、虐待される子供もいる。そんな子供たちに比べたら、両親ばかりでなく周囲のすべての人たちから「おめでとう」と言われて産まれることの出来るこの子は果報者だ。
「冬獅郎さん…、男の子だと思います? それとも、女の子?」
「そうだな…。男でも、女でも、元気な子が生まれてくれればいいが…」
乱菊は、ふふっと笑った。
「あたしは男の子がいいなぁ。女の子だと冬獅郎さん、めろめろになっちゃって、あたしのこと、構ってくれなくなりそうだもの」
「…そういう意味だと俺は女の子希望だな。息子に嫁を取られるのは面白くねぇ」
「あはは、ギンも浮竹隊長もずいぶん拗ねてましたものねぇ」
「いつ頃、産まれるんだろうな?」
「さぁ…。もうちょっと経過を見てみないとわからないそうです。平均的な成長だと、再来年の夏くらいらしいですけど」
子供の成長が霊力の上昇率の影響を受けて、必ずしも一様ではない尸魂界では、妊娠期間も現世ほどには揃っていない。平均的な妊娠期間は一年半程度であるが、成長の速い胎児だと現世並みの十ヶ月で産まれた例があるし、逆に遅い方だと三年かかった例もある。
「あんまり遅いと困りますね」
「こればっかりはな。俺たちじゃどうしようもねぇし。とりあえず、あんまりのんびりしないようにって、毎日話しかけてみるか?」
「でも、あんまり早くても楽しみがないですよ」
と乱菊が微笑んだ。
夕刻になって、烈と絢女が揃って息子を連れて十番隊を訪れた。
「ごめんなさい。
と、絢女は息子たちを冬獅郎の前に並べた。絢女の息子の主真と烈の長男の
「ひつがやたいちょう、まつもとふくたいちょう、おめでとうございます!」
と祝いの口上を告げる。
「ありがとう」
「主真も柊ちゃんもありがとう」
可愛らしい挨拶に、乱菊も冬獅郎も顔をほころばせた。すると、乱菊に向かって、主真が真剣な顔つきで尋ねた。
「おばうえ、あかちゃん、どこ?」
赤ちゃんが出来たと聞いたのに、見当たらないのが不審らしい。
「お腹の中よ」
と乱菊は自分の腹部を指差した。
「おなか?」
きょとんと目を瞬かせた甥っ子に、乱菊は笑みを深くして、
「赤ちゃんはお母さんのお腹の中で大きくなるのよ。お外に出られるくらいに大きくなったら、初めて、お母さんのお腹から出てくるの。主真も柊ちゃんもそうやって出てきたのよ」
「じゃあ、まだ、あかちゃん、あえないの?」
「ごめんね。まだ、会わせてあげられないの」
主真の表情が曇った。
「かあさま、どうしよう…」
と顧みられて、絢女は首を傾げた。
「どうかしたの?」
「あかちゃんにつばをつけられないよ」
はい?
全員の顔に疑問符が浮かんだ。
「主真? 赤ちゃんに唾をつけるって、どうして…?」
絢女がしゃがみ込んで息子と目を合わせ、全員の疑問を代弁して尋ねた。
「とうさまがね」
「…市丸?」
冬獅郎は何となく嫌な予感がした。絢女も同様らしく、おそるおそる、
「父さまに何を言われたの?」
と問うた。
「あかちゃんはきっとおんなのこだから」
「ええ」
「ぜったいに『ぜっせいのびじょ』になるから、およめさんにできるように、いまのうちにつばをつけておきなさいって」
はぁ、と絢女は大きな溜息をついた。
「かあさま、『ぜっせいのびじょ』ってなあに?」
「滅多に見られないくらいのきれいな女の人、っていう意味よ」
「ふうん…」
要領を得ない主真に、烈が、
「絢女さんや乱菊さんくらいに綺麗な女の人ということですよ」
と補足する。だが、主真はますます不思議そうな顔になった。
「かあさまもおばうえもきれいだけど、いつもいるよ?」
乱菊にせよ、絢女にせよ、絶世の美女と呼んでもさほど大袈裟ではないほどの美貌に恵まれているのだが、主真にとっては日常的な存在である。それだから、母親や叔母が「滅多に見られないくらいのきれいさ」だというのが、どうしてもぴんと来ないらしい。
首を捻っている主真に、
「かずま、ひつがやたいちょうのあかちゃんはぼくのおよめさんになるんだぞ」
と柊也が主張してきた。
「かずまのおよめさんだよ」
「ちがうよ。だって、ちちうえがひつがやたいちょうにおねがいするっていってたもん」
自信満々に、柊也は続けた。
「ひつがやたいちょうとまつもとふくたいちょうのあかちゃんなら、ぜったいにかわいいから、ぼくのおよめさんにしてもらうって、ちちうえがいったんだからな」
「とうさまはかずまのおよめさんだっていったもん」
俄かに言い争いを始めた子供たちに、
「十四郎さんも、市丸隊長も碌なことを言いませんわね」
と烈が呆れ返った。
と。いきなり、主真が、
「おじうえ!」
と冬獅郎の袴を掴んだ。
「かずまのおよめさんだよね!」
訴える主真に、柊也も負けじと隊長羽織の裾を掴み、
「ぼくのおよめさんですよね」
と見上げた。
純真な二対の眸にきらきらお目々で見詰められ、冬獅郎は返答に詰まった。烈も、絢女も、乱菊も、彼がこの難題をどう捌いて子供たちを納得させるかと、興味深そうに見守っている。
「あのな、女の子と決まったわけじゃ…」
冬獅郎の言葉を子供たちは遮った。
「ちちうえはおんなのこだっていってたよ!」
「とうさまもおんなのこだっていったもん」
無責任極まる父親の言葉であったが、彼らを尊敬している子供たちの手前、無下に否定するわけにはいかない。
「そうだな、浮竹隊長や市丸がそう言ったんなら、そうかもしれないな」
と冬獅郎は内心で引き攣りながら肯定した。
彼は軽く溜息をつくと、
「卯ノ花隊長」
と烈を顧みた。
「卯ノ花隊長は浮竹隊長を愛していらっしゃいますか?」
烈はにっこりと微笑むと、
「当たり前のことをお聞きにならないで下さい。愛しておりますよ。もちろん」
と応じた。
「らぶらぶだもんな」
茶々を入れる柊也に構わず、冬獅郎は問いを重ねた。
「では、幸せですか?」
「それはもう」
「結婚を後悔したことは?」
「ございません」
冬獅郎は今度は姉に向き直ると、
「姉さまは?」
と同じ問いを投げた。
「私にはあの人しかいないってこと、冬獅郎が一番分かっているでしょう? 愛しているし、幸せだし、後悔なんてしていない」
きっぱりとした母の答えに、主真は嬉しそうにしている。
「乱菊。おまえは?」
「もちろん、冬獅郎さんのことが大好きです。幸せで、幸せで、後悔なんて全然していませんとも」
冬獅郎はしゃがみ込むと、主真と柊也を等分に見比べた。
「聞いただろう? おまえたちのお母さんは大好きな人と結婚できて幸せだって言っているんだ」
「うん」
と子供たちは揃って頷いた。
「赤ちゃんも同じだ。大きくなったら、大好きな人と結婚したいはずだ。それは分かるな?」
「うん」
「なぁ、だったら…。例えば、そうだな、俺が主真の嫁さんにしてやるって約束したとして、赤ちゃんが大きくなった時、柊のことが好きだったらかわいそうだろう?」
「…うん」
「逆でも同じだ。柊の嫁さんって約束して、主真を好きだったら困る。赤ちゃんには幸せになって欲しいからな」
「うん」
「だから、俺は主真の嫁さんにしてやるとも、柊の嫁さんにしてやるとも、約束は出来ない。主真たちが俺の赤ちゃんを嫁さんにしたいんだったら、赤ちゃんが大きくなった時に惚れるくらいのいい男になっておけ」
「いいおとこ?」
きょとんと首を傾げた子供たちに、
「浮竹隊長とか、市丸隊長とか、日番谷隊長みたいに仕事が出来て、優しくって、立派な大人になりなさいって言っているのよ」
と乱菊が言い添えた。この喩えは分かりやすかったようで、二人は、
「うん!」
と力強く頷いた。
「そうそう。父さまや叔父上や浮竹隊長が『参りました』って降参するくらいの素敵な大人にならないと、赤ちゃんに好きになって貰えないわよ」
「柊也。ライバルは主真くんだけではありませんよ。精進しないと、横から攫われてしまうかもしれませんからね」
絢女と烈が息子を焚き付ける。
「がんばる!」
「ぜったい『いいおとこ』になる!」
拳を握りしめてやる気満々になっている子供らに、やれやれと大人たちは安堵の息を漏らした。
夜、床に並んで横たわり、冬獅郎はずっと乱菊の腹に触れていた。
自分と彼女の愛がここに形となって宿っていると考えると、途方もなく満ち足りていくと同時に、怯えに似た感情も寄せてくる。
「俺はいい父親になれるかな?」
「大丈夫です」
と乱菊は断言した。
「冬獅郎さんはいい男ですもの。いいお父さんになりますよ」
すり、と猫が甘えるように冬獅郎の胸に頭を押し付けた乱菊は、
「今のところ、三対一で女の子予測が優勢みたいですよ」
と囁いた。
「知ってる。賭けてやがるだろう? 上司の赤ん坊をなんだと思っているんだろうな?」
冬獅郎は苦笑した。十番隊では三席が取り纏め役になって、産まれてくる赤子の性別を当てる賭けが行われているのだ。
「何だか、あたしも女の子って気がしてきました」
「主真も柊もすっかり女の子が産まれる気でいるが、男の子だったらがっかりするだろうな」
冬獅郎としては、女の子だと吹き込んだ十四郎とギンをなじりたい心境である。
「大丈夫ですよ。主真も柊ちゃんも、小さくても充分いい男ですから。男の子だったら、弟分が出来たって可愛がってくれますよ」
乱菊が笑った。
「それより、産まれる前から求婚者が現れるなんて、お父さん、気が気じゃありませんね」
「いや、意外と虫除けになっていいかもしれない」
「この子は大きくなったら、どんな恋をするんでしょうね?」
「さぁ…。あんまり未来過ぎて想像がつかねぇ」
と冬獅郎は答えながら、また乱菊の腹を撫でた。
「ねぇ、冬獅郎さん」
「ん…」
「あたしや冬獅郎さんの両親も、こんなふうにあたしたちが産まれるのを心待ちにしていたでしょうか?」
流魂街に流される際に現世の記憶を失ってしまった乱菊も冬獅郎も、親を知らない。乱菊の問いに、冬獅郎は、
「乱菊、『お母さん』って言葉にどんな印象がある?」
と問いを返した。
「そうですねぇ。優しいとか、おおらかとか、何ていうか、包み込まれるような印象があります」
「『お父さん』は?」
「厳しくて、だけど温かい?」
「そうか…」
冬獅郎は乱菊から視線を外し、天井の木目を見詰めた。
「以前、市丸と似たようなことを話したことがあってな」
と彼は続けた。
「あいつな、母親とか父親って言葉を聞くと、思いっきり矛盾する二つの感情が現れてくるそうだ」
「矛盾って?」
「親のことを考えると、底冷えするような孤独と恐怖を感じるんだそうだ」
「そんな…」
「だけど、一方で、懐かしくて、優しくて、泣きたいくらい慕わしい感覚もあるらしくてな」
乱菊は目を瞬いて、冬獅郎の次の言葉を待った。
「実の両親と養い親だろうって、あいつは言っていた」
絢女と出会う以前には暗闇と寒さしか知らなかったと語るギンだから、きっと実の親に愛された経験はないのだろう。捨てられたか、虐待されたかした記憶が、底冷えするような孤独と恐怖として、彼に刻まれているのだ。
「自分が曲がりなりにもちゃんと父親をやれているのは、養い親に愛してもらった記憶があるからだって…。あいつ、そんなふうに話してたんだ」
ギンは「親」と聞いて想起する温かな感情の源泉は養親だと認識していた。絢女に出会った後にギンを引き取った、日番谷家の家臣だったという人物である。もう、その名も、姿も、想い出はすべて消え去ってしまっている。けれども、具体的な記憶は失っても、養親から愛情をかけて貰ったことは、慕わしい想いとなって魂が覚えていた。
冬獅郎は乱菊を向いた。
「俺もおまえと同じだ。母親とか父親って言葉には温かな印象しかない。だから、きっと、俺もおまえも両親から望まれて、愛されて産まれてきたんだろう」
「冬獅郎さん…」
「この子に、市丸みたいな思いはさせない。俺や、おまえみたいに、『親』っていうのは温かいもんだって信じさせたい。…いつか、この子が大人になって親になった時に、自分の子供をちゃんと愛せるようにしてやりたい」
「はい…」
命は繋がってゆく。まるで、アンカーのいない永遠に続くリレーのように。
ならば、渡すバトンは幸せでありたい。孤独や悲しみをバトンにしたくはない。
命は繋がってゆく。
冬獅郎と乱菊は、今、バトンを手にした、と感じた。
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10万打感謝リクエスト小噺 その3
どうにかこうにか完遂いたしました。「十万打感謝企画」。最終話は「乱菊さんのご懐妊」です。
時間軸は叛乱終結から三十八年後となります。文中に出てきた浮竹隊長と卯ノ花隊長の間の長男、柊也は「明日、花の咲く場所」の冒頭で卯ノ花隊長が妊娠していた子供です。生後二十五年で、現世人間換算で4歳児相当くらい。
さらにちなみに、感謝企画「幸せの形」(叛乱終結後3年)に出てきた十番隊の四席は、こちらの作品では三席に昇進しています。
リクエストを下さったすみこさま、すごーく遅くなってしまって申し訳ありませんでした。こんなものですが、お納め下さい。