Look No Further
「葬儀は五日だそうだ。わりぃが、その日は一日、留守にする。隊務は任せた」
事務的に告げた冬獅郎だったが、立ち尽くす乱菊に眉間の皺を深めた。
「どうした、松本? もしかして、知り合いか?」
「…はい。錦部春馬さんは昔、十番隊にいたことがあるんです。先代の隊長がご健在だった昔のことですが、先輩でした。討伐で怪我を負って、死神は辞めてしまわれたんですけど…」
乱菊の答えに、そうか、と冬獅郎は頷く。彼女は情の濃い女だから先輩の死に平静ではいられないのだろう、と納得し、それ以上は何も尋ねなかった。
一日中続いた壮麗な葬儀を終え、夜遅く帰宅した冬獅郎は、隊長舎はもちろん、副隊長舎までも真っ暗なのに不審を覚えた。霊圧を探ると乱菊は冬獅郎の書斎にいた。どうして、こんなに暗くしているんだ、と書斎に急いだ冬獅郎は灯りを点けて、得心した。
乱菊は冬獅郎の文机にうつ伏せて
「おかえりなさい」
気まずく笑みを浮かべた彼女の頭を、宥めるようにぽんぽんと叩いてから、冬獅郎は彼女の傍らに胡坐をかいた。
「松本、おまえ、昔、錦部春馬と付き合っていたそうだな」
乱菊は目を瞠った。
「誰がそんなことを…」
「錦部の奥方から聞いた。おまえと結婚するはずだった男を横取りしてしまった、と済まながっていたからな。今のおまえは俺と付き合っていて幸せだから案ずるな、と言っておいた」
「すみません。ずいぶん昔のことだから、わざわざ隊長のお耳に入れる話ではないと思って…。隠したわけではないんです」
「怒ってるわけじゃねぇ。昔の男の話なんて、確かに聞きたいとは思わねぇしな」
大体の事情は、当時を知る者たちからすでに教えられていたので、今更、乱菊を問い詰めるつもりはなかった。
「何で、こんなとこにいた?」
「…とっくに終わってしまって、もう未練もない人ですけど、それでも、昔、確かに好きだったんです。亡くなった、と聞いて感傷的になってしまったのかもしれません。一人でいたくて、でも独りぼっちだと寂しくて、気が付いたらここに来てました。ここだと隊長の霊圧が残っているから」
「それにも俺の霊圧が残っているか?」
冬獅郎に指差されて、初めて乱菊は彼の着替えを抱きしめていたことに気づいた。彼女の腕の中で、着物は皺だらけになっていた。
「やだ、しわくちゃ! 隊長、ごめんなさい」
「皺くらいいい。けど、抱きしめるなら、着物じゃなくて本人にしろ」
言いながら、冬獅郎は乱菊を抱きしめた。彼の両腕にすっぽりと納まって、乱菊はおずおずと疑問を口にした。
「あのー、この態勢って、どう考えても抱きしめてるんじゃなくて、抱きしめられていると思うんですけど?」
「いいんだ。俺が抱きしめたいんだから」
と、冬獅郎は僅かに笑った。
錦部春馬は、もともとは渋澤春馬といった。中級貴族の息子で、乱菊が十番隊に入隊した当時、九席の地位にいた。物腰の柔らかな端正な顔立ちの青年で、それでいて実力もあり、九席というのもかなりのスピード昇進の結果だった。明るくて容姿に秀で、しかも将来を嘱望された春馬に憧れる女性は多かった。乱菊も恋愛感情というには淡やかだったが、彼に憧憬を抱いていた一人で、だから、彼から付き合って欲しいと告白された時は驚きながらも嬉しかった。乱菊に言い寄る男にいちいち圧力をかけて回っていたギンは、隊こそ違えども当時は上官だった春馬にもちょっかいを出したらしい。新人隊士の頃から抜きん出た霊力を誇っていたギンには、上官でさえ怯える者も多かったのだが、春馬は屈したりはしなかった。結局、ギンも文句のつけようがなくなったようで、
「気ィ喰わんけど、仕方ないなぁ」
と零していたと、乱菊は絢女からこっそりと教えられた。
順調に交際を続け、周囲からは婚約も秒読みかと囃し立てられていた二人の仲が暗転したのは、春馬に縁談が持ち上がったからである。相手は上級貴族・錦部家の一人娘。春馬の実力を買っての、入婿の話だった。中級貴族である渋澤家にとって、上級貴族との縁談は願ってもない話だった。死神仲間からは祝福されていた乱菊との関係も、渋澤家の中では快く思われていなかった。貴族の間では流魂街出身者を蔑む傾向が強く、ことに乱菊は最下層の出であることが厭われたのだ。
最終的に、彼は乱菊を捨てて、錦部家の
「あの時は、ギンや絢女はずいぶん怒ってくれました。でもね、隊長。今だから言えるんですけど、『捨てないで』って恥も外聞もかなぐり捨てて縋れなかったあたしも、結局、その程度にしか春馬さんのことを好きでなかったってことなんです」
冬獅郎の腕の中で、乱菊はぽつりぽつりと語る。
「春馬さんよりもプライドを取って、物分かりのいいふりで別れたくせに、春馬さんを非難するのは間違ってますよね…」
「それでも、捨てたのはあいつだ。ま、そのおかげで、おまえとこうしていられるんだから、俺は錦部春馬に感謝すべきなんだろうけどな」
「そうですよ」
と、乱菊はちょっとだけ笑った。
「あたしは今では感謝してます。だって、春馬さんには申し訳ないけど、春馬さんより隊長の方がずーっといい男ですもの」
婿養子に入った春馬は、妻となった女性を大切にしたのだろう。乱菊に対して済まながっていたのが証拠だ。春馬が乱菊に心を残し、妻に愛情を注がなかったのなら、乱菊への恨み言はあっても、申し訳ないという気持ちにはならないだろう。
乱菊にとってもそれは同じだった。今が幸せだから、冬獅郎の傍らに寄り添って満ち足りているからこそ、捨てられた過去さえ、この場所に至る道筋だったと思えるのだ。
「なぁ。もし、錦部春馬と別れなかったらとか、結婚していたらとか、考えたりしねぇか?」
「昔はよく考えましたよ。別れた直後とか、よく考えました」
と、乱菊は答えた。
「でも、正直な話、もう二十年以上、あの人のこと忘れて過ごしてきましたから…。亡くなったって聞いて、本当に久しぶりに思い出したんです」
「二十年?」
「隊長があたしの隊長になってからです」
と、乱菊は告げた。
「隊長が十番隊に来てから、あたし、あの人のこと思い出さなくなりました。…毎日のように『松本―っ!!』って怒鳴られて、全然息抜きしてくれないくそ真面目な隊長をどうやって気晴らしに引っ張りだそうかって作戦練るのに忙しくって、ちっちゃかった隊長の背中を守るのに必死で、春馬さんを思い出す暇なんてなくなってしまったんです」
「悪かったな。ちっちゃくて」
「そこに反応しないで下さい。いいじゃないですか。今は大きくなったんだから」
「はいはい」
「きっと、ね。隊長があたしの居場所だったんです」
乱菊は
「出会った時から、ただの上司部下だった頃から、どうしてか安心できた。隊長の側は居心地が良かった。だから…」
冬獅郎は乱菊を抱きしめる腕に力を込めた。
彼女の居場所が自分だというなら、自分の帰るべき場所は彼女の許だ。
今、冬獅郎は心から錦部春馬の魂の平安を祈る。彼が幸せに出来なかった女は、俺が幸せにするから安心しろと、心で語る。
冬獅郎の胸にもたれて、乱菊は安心しきった様子で目を閉じた。
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リクエスト同票第一位「拙宅仕様・シリアス日乱(大人隊長)」
…何か、シリアスの意味を間違えた気がする…。
いえ、シリアスなんですけど。確かにシリアスだと思うんですけど、絶対、微妙に間違えてる気がします。
乱菊さんの昔の男は、サイト立ち上げた当時から設定していました。他サイトさまで散見する「隊長が初めての恋人」説もものすごく萌えるのですが、乱菊さんみたいに綺麗で艶っぽい大人な女性が隊長に出会うまで恋人の一人もいなかったてのも不思議だよなぁ、とも思ってしまったもので。かといって、恋人を作らなかったうまい理由も考え付かず。では、と昔の恋人候補を死神さんたちの中で当たってみたのですが、市丸さんは拙宅の場合、乱菊さんのお兄ちゃんポジションにいるので恋愛相手にはならない、修乱は絶対、修兵さんの片思いの方が楽しいし、かといって、角乱は管理人にはしっくりこないし…。ええい、だったら、いたけど別れたことにしちゃえ。ついでに、別れ方があんまりよくなかったんで、乱菊さんが恋愛に対して引き気味になってしまったことにしちゃえ、と例によって捏造設定だけしてコールドスリープしていた「錦部春馬」さん。よもや、「風が還る日」本編でも、幕間でもなく、いきなり企画小噺で世に出ることになろうとは。管理人の無計画っぷりがよく表れています。
お話の時間軸は、叛乱終息後五〜十年後くらいの未来です。イギリスの女性シンガーソングライター、Dideのサードアルバム"Safe Trip Home"の収録曲の中で一番好きな曲から着想しました。
静かでしっとりとした、どちらかというと地味めの曲なのですが、聴いているとしみじみと癒される感じが好きです。
"My heart has found its home"と言い切れる場所を見つけられることは、とても幸せなことだと思います。
以下が"Look No Further"の歌詞の訳です。訳したのは例によって管理人ですが、何しろ、学生時代に語学を苦手としておりましたので、若干、怪しい点はご了承を。
彼方はもう見ない
世界中を飛び回る歌手になってたかもしれない
ギャンブラーになって 遊蕩三昧とか
詩人になって 月をお散歩
科学者になって 新発見を世界に発表するの
王様の寵姫になって 戦争を終わらせるのもいい
シャンパン片手に神出鬼没の怪盗も素敵
だけどね あなたの本に囲まれて あなたの服に囲まれて
あなたの大声 大騒ぎ 取り囲まれてどこかにいっちゃった
立ち止まって 一息つこう
いたずらに彼方の幸せを眺めるのはやめるの
二度と脇道に逸れない
だって あたしは居場所をみつけたの
会うことのない人々
友達になることのない人たち
挑戦することのない冒険
冒すことのない危険
だけどね あなたの本に囲まれて あなたの服に囲まれて
あなたの大声 大騒ぎ 取り囲まれてどこかにいっちゃった
立ち止まって 一息つこう
いたずらに彼方の幸せを眺めるのはやめるの
もう脇道には逸れない
だって あたしは帰る場所をみつけたから