幻影の子供


 上機嫌に酔った山本が十番隊と三番隊の副隊長を手招いたのを視界の端で捉え、
(ああ、乱菊、踊るんや)
とギンは思った。隊長格の宴席で、時折、山本は乱菊に舞を所望する。総隊長の命令であるし、自らの舞の技量に自信を持っている乱菊はいつでも拒むことなく、笑みを浮かべて了承していた。
(久しぶりやな…)
 宴席の隅で、独り手酌で杯を傾けながら、ギンは見るともなしに乱菊を眺めていた。
 隊長たちが乱菊が舞う為の空間を作った。三番隊の副隊長が上司であるギンに会釈してから、その空間の隅に正座する。先代隊長の頃から三番隊副隊長を務める初老の男は長唄を得意としており、乱菊が舞う時にはいつも謡いを担当している。
    長生の家こそ
    老せぬ門の若々と
    若水汲みのあさ若きお湯殿
    始庭かまど煙ぞ今日の初霞
 三番隊副隊長が張りのある声で、清元の「長生」を謡った。それに合わせ、乱菊がゆったりと舞い始める。
(謡いも悪うないけど、せっかくなんや。囃子が欲しいなぁ)
と考えかけて、ギンは慌ててその考えを振り払った。思い出してはならない、けれども、忘れられない女の面影が頭をよぎりそうになり、杯の酒を一息に煽ることで誤魔化した。
「おひとつ、どうぞ」
 不意に徳利を差し出され、ギンは顔を上げた。いつの間に側に来ていたのか、四番隊長の卯ノ花が慈母の如き完璧な微笑を浮かべて、 ギンを見つめていた。
「おおきに。ありがとうございます」
 同格の隊長とはいえ、大先輩になる女性の杯をギンは悪びれずに受ける。一人で酒を呑んでいるギンに儀礼的に酌に来ただけだと考えていたのに、卯ノ花はそのままギンの隣りに座りこみ、
「乱菊さんが踊るのは久しぶりですわね」
と話しかけてきた。
「ああ、そうですなぁ」
「相変わらず、見事な舞ですこと。乱菊さんの舞は華やかで好きですわ」
 卯ノ花は目を細めると、
「舞を始めてどのくらいになりますの、乱菊さんは?」
と尋ねてきた。
「霊術院に入ってから始めたから、かれこれ七十年近うなりますなぁ」
と、ギンは答えた。
「六番隊十席の逆瀬川さかせがわ顕子あきこ、知ってはるでしょう? あの娘と同じ組やったんです。それで、彼女の舞台を見て、自分もやりたい、言い出して…」
 逆瀬川顕子は上級貴族の娘で、母親は尸魂界で日舞の名花と名高い舞い手であった。顕子自身も母譲りの才を持つ舞姫として知られている。霊術院は死神になる為の学問所であるが、そのことばかりに邁進しているわけではない。息抜きのための娯楽の催しも時折開催されており、逆瀬川顕子の舞もそんな行事の一環で披露された。彼女の華やかな舞を一目見て夢中になった乱菊は、顕子に頼み込んで、踊りを教えて貰ったのだ。最初、自分はまだ人に教授できるほどの技量ではないからと渋っていた顕子だったが、流魂街から這い上がってきた乱菊にはちゃんとした師匠について学ぶだけの金銭的な蓄えがないことに気付いたのだろう。基礎だけならと、引き受けてくれた。
「席官に昇進してからは、あきちゃんの母親に弟子入りさせてもろて。今でも月に一度は稽古に通ってるはずですわ」
 思えば、共に暮していた幼い頃から、乱菊は体を動かすのが好きな少女だった。機嫌のいい時、鼻唄まじりに、蝶や小鳥の羽ばたきに倣って、ひらひらと踊りの真似事のような動きをしていたものである。そして、ギンは、そうやって乱菊が蝶々のように軽やかに舞っている姿を見るのが好きだった。
 流魂街でも最貧地区にいたギンや乱菊には、生きてゆくためではなく、楽しみの為に何かを学ぶということは夢の夢だった。だから、乱菊が日舞を習い始めたと聞いた時、やっと生きる為ではなく、生を楽しむ余裕が出来たのだと、嬉しくてたまらなかった。
「先日、玉扇堂で乱菊さんと会いました」
 瀞霊廷の中心街にある老舗の扇専門店である。
「練習用の舞扇の修理を頼みにいらしたそうで、ずいぶんと使い込まれた扇を見せていただきました。日舞を始めた頃から使ってらっしゃる大切なものだそうです。友人に貰ったものだとおっしゃっていましたが」
 卯ノ花の笑みが深くなり、ギンは見通されていることを悟った。
「卯ノ花はんが考えてはる通りです。それ、多分、ボクがやった扇や、思います」
 乱菊が日舞を始めたと聞いて、嬉しくて、扇を贈ることを思いついた。乱菊は顕子のお下がりの古いものを使っていたから、新品の扇をきっと喜ぶはずだと扇屋の暖簾をくぐったのだが、舞扇は予想以上に高価で、一番安い、絵柄も何もない扇しか買えなかった。いや、本当はもっと高価なものも、買おうと思えば買えた。流魂街の最貧区にいた時のように身を売れば、金はいくらでも工面できた。だが、そんなことをしても乱菊は喜ばない、むしろ悲しませるだけだということも、ギンにはよく分かっていた。
 彼が独りで出かけて、食料や着物を抱えて帰って来る度に、乱菊をよぎる哀しげな色がギンには切なかった。彼が出かけた先で何をやっているのかは隠し通した。けれど、具体的なことは分からなくても、彼が危険な犯罪まがいの行為をしてそれらを入手していることを、乱菊は察していたのだ。にもかかわらず、それらを甘受したのは、彼が手に入れてくるものは生き抜く為にどうしても必要だったからだ。
 彼女同様に流魂街から這い上がり、死神となって働く将来を担保に霊術院に食わせてもらっている身のギンが不相応に高価な扇を贈れば、乱菊は不審を覚えるだろう。生きていく為に絶対に必要なものではない舞扇の為に、乱菊を喜ばせたくて求めるものの為に無理をして彼女を悲しませるのは本末転倒だから、ギンは安い扇で妥協した。
 扇を手にして、乱菊は予想以上の大喜びをした。
「ギン、ありがとう!」
と幼い頃のように、首っ玉にしがみついて礼を言う彼女に、死神になって高給を貰えるような地位に就いたら、あの店にあった一番高価な扇を贈ろうと決めた。
 実際、ギンはもう幾本もの舞扇を乱菊に贈っている。霊術院の学生の頃は到底買えなかった最高級の扇も、今の彼にとってはほとんど懐に響かぬ買い物でしかない。けれど、後になって贈られたどんなに高価な扇よりも、初めて贈られた、ギンがなけなしの金をはたいて手に入れた安物の扇の方が乱菊には宝物なのだ。
「乱菊さんは情の細やかな方ですね」
「普段は、我儘放題でそないに見えへんけど…。でも、乱菊は確かに情の濃い娘です」
 もう一度、注がれた酒を礼を述べて受け、ギンは浮竹と京楽が並んで酒を傾けている方を目で指した。
「そろそろ戻らはった方が良うないですか? さっきから、十三番隊長さんがえらいこっちを気にしてはるんですけど」
 にっこりと笑顔を浮かべた卯ノ花に、
「焼餅やかす道具にせんといて下さい」
とギンは苦笑する。
「道具にしたつもりはございませんわ。市丸隊長とお話してみたかっただけです」
と卯ノ花は腰を上げた。
「年増のお酌にお付き合いありがとうございます」
「とんでもない。別嬪のお酌やと、ほんま、酒も格別うまいです」
 ギンの返答に、
「お上手ですこと」
と呟いて、卯ノ花は浮竹たちのところに戻って行った。

 戻ってきた卯ノ花に、
「市丸くんと、何を話していたの?」
と、浮竹の代わりに京楽が尋ねた。
「乱菊さんのことをお話していたのですよ」
と、卯ノ花は答えた。
「ああ、彼は松本君と同期で幼馴染だったなぁ」
「ええ。乱菊さんが大切にしている舞扇のことを伺ってみたのです」
 卯ノ花はギンに視線を移した。彼は舞う乱菊をぼんやりと眺めながら、再び手酌で呑み始めていた。
「浮竹隊長、京楽隊長。市丸隊長のことをどう思われます?」
「どうって、優秀な隊長だと思うよ? あの若さで隊長に就いて、さして苦労もなく隊を掌握した手際なんか、見事だったねぇ」
「作戦行動にも隙がないし、事務処理もさぼっているように見えて、期限ぎりぎりにはきっちり終わらせていると聞いているよ」
「ちょっと、何考えてるか読めないところはあるけどね」
「たしかにな」
「彼がどうかしたのかい?」
 京楽の問いかけに、ほうと長く息をついて、卯ノ花は答えた。
「どうしてでしょう? 私には市丸隊長が幼い子供のように見える時があります」
「幼い?」
「子供?」
 浮竹と京楽は、揃って不審げに鸚鵡返した。
「ええ。まるで迷子の子供のように頼りない、泣きそうで泣けない子供に見えるんです」
 優秀な隊長だが、冷酷、無情な男。あの喰えない笑いの下には鉄面皮が張り付いている。彼に睨まれると密かに消されるらしい。
 ギンについて囁かれる、真偽不明の黒い噂は卯ノ花も知っていた。噂の信憑性はともかく、彼が冷酷で、残忍な一面を持っていることは彼女も否定しない。だが、それでも、時折、あの青年の向こうに、途方に暮れた子供が見える。母親からはぐれた幼子のように、大切なものを、自分の往く道を見失って、心細さに震える男の子が卯ノ花には見えてしまうのだ。
「今も…」
 彼女の言葉に、ギンをじっと見つめた浮竹と京楽だったが、すぐに首を横に振った。
「子供、ねぇ」
「彼ほど子供らしさの残っていない男もいないと思うんだが」
「そうですか…」
 宴席の上手では、乱菊の舞が終わろうとしていた。
    勇む春駒 蘆原の国も目出度き青海波
    亀の齢の萬々歳
    盡きせぬ御代こそ目出度けれ
*1
 最後にくるくると身を廻し、乱菊は華やかに舞を終えた。
 舞を所望した総隊長がぱちぱちと一際大きく拍手をし、他の隊長格もそれに倣った。
 にっこりと妖艶な笑みを浮かべて一礼し酒席に戻る乱菊を目で追いかけるギンは、卯ノ花の目にはやっぱり小さな男の子に映っていた。


*1 清元協会HP掲載「長生」より出だしと末尾を抜粋

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 霊術院時代、乱菊が舞う護廷の宴席で、卯ノ花隊長が市丸隊長と乱菊について会話する

 ご訪問者の皆さまから募った「いつ」「どこで」「誰が」「誰と」「何をした」のパーツをランダムに組み合わせて作ったお題に沿って、小噺を書くという企画でした。結果、お題は「霊術院時代」「乱菊さんが舞う護廷の宴席で」「卯ノ花さんが」「市丸隊長と」「乱菊さんについて会話する」と決定したのですが。
 すみません。「いつ」の「霊術院時代」に難渋した挙句、「乱菊さんが舞う護廷の宴席で」「卯ノ花さんが」「市丸隊長と」「霊術院時代」「乱菊さんについて会話する」という卑怯な逃げをうった管理人をお許し下さい。
 乱菊さんが日舞を始めたのっていつだろうと、つらつら考えると、少なくとも流魂街にいた頃ではないなと結論しました。それで、霊術院にも文化祭みたいな行事があって、そこで初めて日舞を見た乱菊さんが習い始めた、ということにしてみました。で、市丸お兄ちゃんが可愛い幼馴染の為に舞扇を調達してきた、と。
 市丸さんが隊長に、乱菊さんが副隊長になって間もなくくらいを想定しています。十番隊長席はまだ空席で、吉良くんもまだ席官で副隊長は遥か彼方の地位の頃です。日番谷隊長は当然まだ隊長なんかではなく一番隊の席官で、だから、隊長格の宴席には影も形も存在しておりません。
 お題は「卯ノ花さんが市丸隊長と乱菊さんについて会話する」となっていますが、たいした会話はしていませんね。実を言うと、その辺の会話はいわば前フリで、本当に書きたかったのは卯ノ花さんには市丸さんが途方に暮れた子供に見える、という部分です。
 護廷の慈母、卯ノ花隊長は洞察力に優れた方ですから、一見冷酷と称される市丸さんの「置き去りにされた子供」の部分を見透かしていても不思議ではないと思います。京楽隊長も洞察力がある人だと公式設定されていますが、「置き去りにされた子供」に気付くことが出来るのはやっぱりおっさんじゃなくて慈母なればこそ、でしょう。そして、叛乱の決着がついた頃になって、浮竹隊長と京楽隊長も卯ノ花隊長のお言葉は正しかったなぁ、と悟るわけです。
 あと、微妙に浮卯設定なのも気にしないで下さい。サイトの「案内」にも明記していますが、管理人、浮卯派です。もっとも浮竹隊長も卯ノ花隊長も、管理人には好きだけど描写しにくいキャラなので、あんまり話には出てきませんけれど。
 てこずりましたが、この企画はなかなか楽しかったです。また、性懲りもなくお題パーツ募集をお願いしたらば、是非ご協力をお願いします。

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2009.07.29