みたらし団子をもう一度
からりと板戸を開けて、家に入って来た女は土間の上り框に腰かけて夫と話し込んでいる客人の姿に、あら、と目を瞠った。
「これは市丸さま。いらっしゃいませ」
とにこやかに挨拶すれば、
「ごめんやす、なつさん」
と返って来た。
彼は死神、それも護廷十三隊の隊長の一人という流魂街住民からすると雲上人のような身分である。本来なら、気安く話せる間柄ではない。だが、彼に言わせると、霊力が並外れていたが故に護廷の隊長にまで上り詰めたが、もともと流魂街のしかも最貧区の出なので、かしこまる相手ではないということらしい。
なつの夫の彦次郎は腕の良い玉職人だ。そして、客人の市丸ギンは彦次郎の上得意である。かなり値の張る宝飾品を頻繁に注文してくれる上、死神つながりで上客を何人も紹介して貰った。来訪があれば、下にも置かぬもてなしをせねばならないはずなのに、彦次郎が茶の一杯も出していないことに気が付いて、なつは慌てた。
「まぁまぁ、お茶もお出ししませんで。気が利かぬことで申し訳ありません」
「いやいや、彦はんはちゃんとお茶を出そとしてくれたよ。そやけど、どうせなら、愛嬌のええおなごはんに淹れてもろた方が美味しいから、遠慮したん」
とギンは笑って手を振った。
「相変わらず、お上手ですねえ」
なつは破顔すると、
「では、愛嬌だけが取り柄のお茶をお淹れしますから、少々、お待ちくださいね」
と台所に引っ込んだ。
手早く湯を沸かし、客用の上等な茶を淹れたなつは、買って来たばかりの茶菓子を皿に盛った。来客用に干菓子は常備しているのだが、護廷の隊長ならば玉職人が用意できる程度の干菓子など面白くもないだろうと考えたのだ。買い物に出ていてギンの来訪を知らなかったので購入した菓子は夫婦で食べるつもりのものだったが、ギンが桜餅や薄皮饅頭のような庶民的な菓子を好んでいることを承知しているなつは客人に回すことに決めたのだ。
ギンは新しい装飾品の注文に訪れたようだ。彦次郎とギンの間に大振りの琥珀の玉が置かれており、意匠の相談に使ったのだろう、いくつかの図柄を描いた半紙が散っている。邪魔にならないように、半紙を少し避けてから、なつは茶をギンの傍らに置いた。
「おおきに」
と湯呑に手を伸ばそうとしたギンは、添えられた茶菓子に目を留めた。
「みたらし…?」
「はい。あの、お嫌いでしたか?」
「いいや、好物」
柔和な笑いを浮かべたギンは、
「せやかて、これ、変わってるねェ」
と一串を手に取って首を傾げた。通常、みたらし団子といえば丸い団子にたれが絡めてあるものだが、なつが出したみたらしは小さな四角い切り餅状の団子だったのだ。炭火で焼いてあるらしく、団子には狐色の焦げ目がついており、たれの色合いも普通のみたらしに比べてくすんでいる。
「つい最近、近所に出来たお団子屋さんのものです。味もみたらしにしてはちょっと変わっておりますが、大層おいしいと評判なんですよ」
なつの説明にギンは頷くと、みたらしを口にした。
「ほんまや。ちいっと変わった味や。せやかて、おいしおすなァ」
気に入った様子で、ギンは数串を平らげると、
「近所ってどこなん?」
と店の場所を尋ねた。妻への土産に買って帰るのだと言う。
「市丸さまはほんっと、奥さまがお好きなのですねぇ」
なつが好意的に揶揄すると、彦次郎が、
「今日のご注文も奥さまへの贈り物だぞ」
と合いの手を入れた。
「あら、やっぱりですか?」
半紙に描かれた図柄が秋の木の実を表した柔らかいものだったので、なつも女性用だと見当をつけていたのだ。ギンはにこにこと笑っている。実は彼が彦次郎に注文する玉細工は、ほとんどが妻に贈る為の帯留・髪飾りなどの装飾品である。自分自身のものや、同僚に贈る飾り物なども注文しないではないが稀である。
なつが戻った時点で注文品の相談は済んでいたらしい。茶を飲み終えたギンはおもむろに腰を上げた。
「なつさん。おおきに。お茶、おいしかったで」
なつに礼を述べた後、
「ほんなら、彦はん。あんじょうよろしゅう」
と彼は引き上げて行った。
ギンが携えて来た手土産に、絢女は目を輝かせた。
「鶴亀さんのみたらし?」
嬉しそうに尋ねる絢女に、ギンは頷いた。
「今日、交代で現世から引き上げて来た隊員がおってね。引き上げる時に買うて来るように頼んでおいたんや」
彼の言葉に、絢女はちょっと考え込んでいたが、
「鶴亀さんって京都のお店?」
と尋ねた。隊長である絢女とギンが恋人同士で、副官の桃とイヅルも霊術院同期の仲の良い友人同士であることから、五番隊と三番隊はお互いに内情が筒抜けである。三番隊で現世駐在員の要員交替があることを絢女は知っていた。該当の管轄地は京都府南部の宇治を中心とした一帯なので、交代のついでに購入を頼むとしたら、宇治か、近隣の京都市内ではないかと推察しての問いだった。
「そうや」
ギンはあっさりと認めた。
絢女は大好物であるこのみたらしをギンからの土産でしか食べたことがない。昔、五番隊の副隊長と三席だった頃に幾度か店の所在地を問うたことはあったのだが、はぐらかされて教えて貰えないままだった。ギンが土産を持って来るタイミングからして現世の、近畿地方にある店ではないかと見当は付けていたが、それ以上のことは分からなかった。一度だけ、イヅルから怪我の見舞いで貰ったことがあるのだが、彼も曖昧に微笑するばかりで店の所在を絢女に伝えたりはしなかった。みたらしを作っている店の正式な名前も知らない。向かい合った鶴と亀の図が印刷された包み紙が使用されているので、絢女は便宜上、「鶴亀さん」と呼んでいるのだ。尤も、店の名は実際「鶴亀屋弥太郎」なので、絢女の呼称は間違ってはいない。
「絢女」
「うん、なぁに?」
「今度、非番が合うた日に、みたらし、食べに行かへん?」
ギンの誘いに、絢女は驚いたように彼を見返した。
「お店の場所、教えてくれるの?」
「うん」
「どういう心境の変化? 以前はどんなにお願いしても絶対に教えてくれなかったのに…」
「もう後悔しとうないから」
とギンは微笑した。不思議そうに再び彼を見返した絢女に、
「絢女がおらんようになって…、何で、意地悪して教えてやらへんかったんやろうて、ずっと後悔しとったん」
「そう…。でも、私はもういなくなったりしないわよ」
「うん。そやね。ただ、店の場所を教えへんかったのは、絢女が大喜びする顔を見たかったからなんや。あの頃、絢女が素直に喜んで受け取ってくれるのって、土産のお菓子くらいやったしな」
心が通じ合った今なら、菓子だけではなく、装飾品でも、花でも、絢女は喜んで受け取る。だが、行方不明になる以前の三席時代には、絢女は女であることを捨て、単なる上司部下で霊術院同期の友人という立場でしかギンに接しようとしなかった。誕生日などの特別な理由のある日でない限り、贈り物も出来なかった。だから、ギンは気軽に受け取ってくれる土産の菓子くらいでしか、彼女の歓心を買えなかったのだ。
「ごめんなさい」
「別に謝ることやあらへん」
ギンは絢女を覗き込んだ。
「ほんでどないする? 行く?」
「ええ、行きたい」
と絢女は頷いた。
きょろりと辺りを見回して、絢女は首を傾げた。
「ここ…、お寺の境内?」
うっそうと木々に囲まれた一角だが、辺りはよく手入れされている。単なる公園ではなく寺の境内だと判断したのは梢の向こうに大きな伽藍の屋根が見えたのと、少し離れたところに石灯籠が据えてあったからだ。
「大徳寺や」
とギンは答え、絢女は得心した様子だ。
京の主だった寺は観光地にもなっている。今日が平日であることを割り引いても、境内には人が溢れているのが常だ。但し、由緒正しい寺院であっても、他の観光地から離れていたり、寺社自身が観光客誘致に熱心でなかったり、特に目玉となるような仏像や庭園がなかったりといった理由で、閑散としている寺社も少なくはない。大徳寺が正にそれで、臨済宗大徳寺派大本山という由緒正しく権威ある寺院で、境内も地図で大きく表示されるくらいに広いのだが、京都観光という観点からするとマイナーな部類に入る。境内は森閑としており、観光客も疎らである。ギンが穿界門を開いたのは境内でも隅の奥まった場所で、昼間の町なかにも拘わらず、全く見咎められることはなかった。
絢女は陰陽師の生まれであることが影響しているわけでもあるまいが、歴史のある寺社建築や仏像を見るのを好んでいる。そこで、ついでに広い境内をぐるりと一巡りすることにした。手入れの行き届いた境内は落ち着いていて、いかにも大本山の風格に満ちている。一般公開されている枯山水の石庭や茶室なども一通り見て回り、満足したところで二人は通りに出た。
目当ての店は大徳寺通り沿いにあるということで通りを南に下っていったのだが、
「あれ?」
とギンは首を傾げた。
「どうかした?」
「いや、あの店なんやけど、閉まっとうみたいや」
「あら、ホント」
「おかしいな。店休日は火曜日のはずやねんけど」
と訝りながら店の前に着くと、閉ざされた板戸に「忌中」という文字と蓮の花が印刷された張り紙がしてあるのが分かった。
「どなたか亡くなったみたいね…」
「そやね…」
店の裏手が自宅になっているらしく、微かに読経の声が洩れていた。
「…ギン、気になるの?」
忌中の文字をじっと見つめているギンに気が付いて、絢女は問うた。みたらし団子は大好物だったが、ギンから土産に貰うばかりだった絢女にとっては、この店の誰かが亡くなったとしても見知らぬ人間の死でしかない。だが、いつもここに団子を買いに来ていたギンは店の者とも顔見知りだったはずで、思うところがあるのかもしれない。絢女の察しの良さに、ギンはほっと息をついた。
「せっかく案内したのに、堪忍な」
「うん? お店の方が亡くなっているなんて想像していなかったし、仕方がないことよ。場所は分かったから、忌が明けた後くらいにまた来ればいいわ」
「そやね…。絢女、誰が亡くなったんか確かめに行ってもええかな?」
「ええ。構わないわ」
絢女とギンはいったん大徳寺の境内に戻った。広い境内に点在する塔頭のうち、一番目立たない場所を選んで入口の石段に二人は腰かけた。
「ほんなら、ちょっと行ってくるな」
「ええ、いってらっしゃい」
すっとギンは義骸から抜けた。ギンの霊体が抜けたことで、ただの人形に戻った義骸が絢女に凭れ掛かる。それを彼女がそっと支えたのを見届け、ギンは身を翻した。
御棺が安置された座敷を覗き込んだギンは、やっぱり、と息を吐いた。
亡くなったのは、「鶴亀屋弥太郎」を切り盛りしていたおかみさんだ。自らの亡骸が納められた棺の傍らにちょこなんと正座している老女を、ギンは知っていた。
この店を初めて訪れた時、店を取り仕切っていたのは職人気質の老爺だった。目の前にいる老女はその当時、この屋に嫁いだばかりの若妻で、夫の祖父に当たる老爺を助けて給仕などできびきびと立ち働いていた。その後間もなく老爺が亡くなって、店は孫夫婦が継いだ。老爺の孫である男も祖父同様に職人気質だったらしく、ギンが訪れた際にはいつも夫は黙々と団子を炙っており、女房が愛想良く接客を担当していたものだ。
静かに弔問客を見詰めていた老女が、ふと顔を上げた。襖に長身を隠し顔だけで座敷を覗き込んでいたギンと目が合った。
「お客はん…」
ギンは亡くなったおかみさんの魂魄体が呟き、腰を浮かしたのを認めた。
「お久しぶりどす」
ギンの前に歩み寄って来た彼女は、丁寧に頭を下げた。
「…ボクのこと、覚えてはるん?」
「へえ。客商いどすし、人の顔を覚えるんは得意どすのん。それに、一緒にお団子まで食べたお客はんのことを忘れたりはしまへんえ」
昔、一度だけ、ギンは彼女と団子を食べたことがある。絢女が行方知れずで死んだと見做されていた頃だ。彼女の命日とされていた日に非番だったギンは店を訪れて団子を注文した。一人きりで絢女を偲ぶのがうら寂しくて、彼はおかみさんに頼んで、一緒に団子を食べて貰ったのだ。
「ボクのこの
ギンは自らの死覇装を指した。対して、おかみさんは
「お客はんが尋常なお人やおへんのは分かっとったんどす…」
と微笑んだ。
「うちがうんと若い頃からお越しいただいとったしなぁ…。うちはどんどんおばあちゃんになっていくんに、お客はんはちっとも変わらへんどした」
実は、ギンが直接店を訪れたのは数えるくらいしかない。偶さかとはいっても、各商売の者の記憶力は侮れないものがあるから、出来るだけ記憶に残らぬように充分に間を取ったつもりでいたのだ。自分で行くのは数年に一度、それ以外は部下に命じて買いに行かせていた。自身で店を訪れる際も目くらましの術を用いて、銀髪緑眼を黒髪黒眼に見せかけて目立たないように努めた。印象に残るような振舞いをしたのは後にも先にも、一緒に団子を食べたあの一度きりである。にもかかわらず、老女は嫁いだ頃からギンを覚えていて、一向に年を取らない彼を訝しみながらも何でもない顔で接していたというのだ。
「かなわんなァ」
とギンは溜息をついた。
「ほして、お客はんは何者なんか訊いてもええどすか?」
店に立っていた時と同じ柔和な笑みで、彼女は問うた。
「死神」
とギンは答えた。
「そう…どすか。やって、うちが死んだ時、お客はんはねぎに見当たりまへんどしたよ」
おかみさんの疑問に、
「現世の人間は死神いうと死をもたらす悪霊みたいに考えとるやけど、ほんまはちゃう。病にせよ、事故にせよ、死そのものには死神は関係あらへん。死神は死んだ人間の魂をあの世に送るのが役目のモンや。せやし、ボクがおかみさんに取り憑いて殺したんやあらへん」
とギンは答える。
「そないどすねんか。失礼なこと言うて、えらいすみませんどした。なるほどやなぁ、阿弥陀はんやて、三途の川ン渡し守やてのうて、死神はんがあの世に送って下さるいうわけやね」
「せやね」
「よう一つ訊いてもええどすか? うちン店のみたらしが大好きやったいうお人の命日やと言わはったやが、そん人は死神はんやのうてこの世のお人ですのん?」
「いいや、ボクと同じ死神やよ。なんや不思議に思うかしれへんけど、死神かて死ぬことがあるのんや。死神は悪霊から人間や魂魄を護ることも仕事の一つやからな。悪霊とはようさん戦う。ほんで、強力な悪霊に力及ばんと死んでしもた死神もようけおるん」
「そうどしたか…」
「ただ、あの娘はほんまは死んでへんかったけど…」
「良うおしたなぁ」
「ん…。意識不明の仮死状態のまんま、訳ありで現世に留まっとった死神に匿われとったんや。今は戻って…」
とギンは言葉を切った。
「…ほんまのこと言うと、今日なァ、彼女とみたらしを食べに来たんや。前みたいに、人間のふりしてな。まさか、おかみさんのお葬式とは思わへんかった」
「胃癌どしたん。まぁ、年も年どしたし、あんまり苦しまんと死ねたんは運が良うおした」
と彼女は自分の死因を明かした。
「せやかて、お客はん、大事なお人が生きてはって、ほんまに良うおした。店は嫁が続けてくれます。また食べにいらしておくれやす」
「せやね。きっと寄らせて貰うわ」
ギンが答えた時、黒尽くめの衣を纏った男がずかずかと室内に入って来た。
「あら? あん人も死神はん?」
おかみさんは首を傾げた。白い羽織を纏っているかいないかの違いはあるが、入って来た男はギンと同じ格好をしていたからだ。
男はすぐにギンを認めた。
「え? 市丸隊長!?」
と一瞬、茫然と立ち尽くした後、はっと我に返り、彼はギンの前に片膝付きで跪いた。
「キミがここら辺りの担当? 八番隊やね」
ギンの下問に、
「は、八番隊第二十五席、池田小平治です」
と現地駐在の死神である男は答えた。
「このおかみさんを魂葬に来たんや?」
「はい」
男とギンのやり取りを、老女は目を丸くして聞いている。池田は恰幅の良い中年男で、その彼が見た目は青年のギンに跪くほどのへりくだりを見せたのに驚いたようだ。
「お客はん、死神ン偉いはんやったのんどすか?」
「ん~、まぁ、隊長やしな。そやね、所属の違う軍曹と大将の間柄、思てくれたら近いで」
ギンは池田に視線を戻した。
「あんなぁ。京楽はんには後で話を付けるよって、おかみさんの魂葬、ボクに譲ってくれへんか」
「は? 市丸隊長が自ら魂葬を?」
今度は池田が目を丸くした。隊長が一介の民間人の魂葬を自ら望むなど想定外だったのだ。
「うん。おかみさんにはちいっとばかり恩義があるん」
「はぁ…」
「せやから、な」
池田は首肯した。他隊とはいえ、隊長命令を拒否できる立場ではない。それに
「では、お任せいたします」
「うん。任してくれてええよ。キミは次の魂葬に行きィ」
「は」
池田は立ち上がると、ギンに一礼して出て行った。
ギンは老女を顧みた。
「そういうわけやから、ボクがおかみさんをあの世に送るけど、ええかな?」
「おおきに。知らんお人より知っとるお客はんの方がなんぼか心強いし、こないな男前はんにあの世に送ってもらえるなんて役得どすなぁ」
「ただ、四十九日まで待っていうわけにはいかへんのや」
「そないでっしゃろね。最前、死神はんがいらっしゃったことやし、すぐに送れへんとあかんのとちゃいますん?」
ギンが人間ではないことを察していながら素知らぬふりをしていたことといい、彼女はとても勘が良くて、胆の据わった女だとギンは感心した。
「今日一日であれば、構へんよ」
とギンは告げた。
「おかみさん、出棺みたいやけど、焼き場まで行かへんの?」
「うちが焼かれへんトコを眺めるほど悪趣味ほなあらしまへん」
「まぁ、そうやろうね。そんなら、終いに行ってみたいトコとかは?」
「我儘を言うたってええのどすか?」
「ええよ」
とギンは請け負った。
「ほんなら、うち、お客はんの大事なお人に会うてみとうおす。うちントコのみたらしが大好きや、言うてくれはった方や。お礼を言いやしたい」
「ん、ええよ。彼女、ほんまに弥太郎はんのみたらしが好きやし、おかみさんに会うたら喜ぶと思うわ」
「それと、な。こん
ギンとおかみさんは棺の後に従うように表に出た。棺が霊柩車に乗せられ、葬儀社が手配したマイクロバスに近親者が乗り込んで焼き場に向かうのを、二人は近所の会葬者と一緒に見送った。
「けったいなモンどすなぁ。うちン葬式を見送るなんて」
「せやね」
とギンは
絢女はギンを見送った時と変わらずに、塔頭の石段に腰を下ろしていた。ギンの義骸は彼女の肩に凭れ掛かって目を閉じている。傍から見ると恋人の肩を枕に眠っているような按配だ。絢女は戻って来たギンに従っている老女を認め、戸惑った様子で目を瞬いた。
「みたらしの店のおかみさんや」
ギンから紹介されたが、彼の義骸を支えている為に立ち上がることもならず、絢女は丁寧に頭だけを下げた。
「ちょっと、あれに入るな」
おかみさんはギンと義骸を興味深そうに見比べていたが、彼の言葉に、
「あれが死神はんが人間のふりをしはる為の道具どすか? よお出来てはりますなァ。そっくりや」
と感嘆した。
ギンはすぐに義骸に入り、立ち上がった。絢女も腰を上げると改めて、おかみさんに挨拶をした。
「せっかくわざわざお越し下さったんに申し訳あらしまへん。けど、店は続けますさかい、改めてお運びおくれやす」
「はい。日を改めて伺います」
「それにしても、別嬪さんどすなぁ。こないな別嬪さんにうちン店のみたらしを好物や言うてもらえて鼻が高こおす」
とおかみさんはにこにこと笑っていた。
「あんな、絢女。おかみさん、魂葬される前にお墓参りに行きたいんやて。付き合って貰てもええ?」
とギンが断りを入れる。
「ええ。構いませんよ」
絢女はギンではなくおかみさんに微笑んで頷いて見せた。
おかみさんが案内したのは千本通りから小路を入ったところにある古い寺だった。裏手に古くからの近隣住民の墓地があり、その中のひとつに彼女は佇んだ。
「幽霊がお墓参りいうんも妙なモンどすなぁ。 それに、あん人ン魂はここにはおへんのに…」
淋しそうに老女は呟いた。
「どなたの…お墓なのですか?」
控えめに絢女が尋ねた。
「うちが本来、嫁にいくはずやった人…」
静かにおかみさんは答えた。
「おとうちゃん同士が仲良しでねえ。『あんたン娘、ぼんの嫁にくれ』、『あないな娘で良ければ貰ってくれ』いうて、うちが女学校に上がる前には婚約者やいうことになっとったんどす。親が決めた相手やったけど、不満なんておへんどした。小さな頃から大好きな人どしたから…。せやけど、戦争が始まって、あん人も赤紙一枚で戦地に飛ばされて…」
「…」
「南方戦線に行かされたんどす。ほんで、白木ン箱になって帰って来やはったんどすわ」
「…」
「うちの婿はんにならはった人はあん人の連れやったんどす。やっぱり南方戦線に行かされたんどすけど、運良う生きて帰って来られてね…。あん人からうちン話をよう聞かされとったそうどす。結婚する時、亡くならはったあん人ン分までうちを幸せにするからって言うてくれて…」
「いい旦那さまだったのですね」
「へえ。口が重うて、ぶっきらぼうで、やって、ちゃんと約束は守ってくれて、ほんまに大事にしてもろたと思てます。店もね。うちは客商いに向いとったみたいで楽しかったし、幸せやったんどす」
おかみさんの目から涙が零れた。
「幸せやったんに、ふっと考えることがあるんどす。あん人が生きて帰っとったなら、どないやったんやろうって」
「…」
「初恋やったから、こないなおばあちゃんになっても忘れられへんのどす。あん人は遠い異国で土に還ってしもて、淋しくはおへんやろうか、無念な気持ちのまんま彷徨ってへんやろうかって…」
「死神は異国にも魂葬に行くで」
とギンが教えた。
「サイパン、ガダルカナル、ニューギニアにレイテ、ミッドウェー…。ボクもたくさんの兵隊さんを魂葬したなァ」
「そう…どすか。やったら、あん人もあの世に送って貰えてますなぁ。一人ぼっちで彷徨ったりはしてまへんね」
「多分、な」
ギンはおかみさんに向き直ると続けた。
「これが気休めになるかは分かれへんのやけど、魂魄があの世に送られると、現世の具体的な記憶は失われてしまうん。肉親や友達のことも忘れてしまう代わりに、死ぬ前の苦しかったことも覚えてへん。飢えも、遠い異国で死んだことも忘れてあの世に行くんや」
ギンの言葉に頷くと、おかみさんはほろほろと新しい涙を零した。そんな彼女の小さな姿を、ギンと絢女は黙って見守っていた。やがて、涙を拭った彼女は、
「みっともあらへんトコをお見せして、堪忍え」
と頭を下げた。
「お客さんは…、大事なお人が生きとって、戻ってきはって、良うおしたなァ」
「うん、おおきに」
「なんで戦争なんてするんやろ? 戦争なんて誰もしとうないのに…」
「せやね」
とギンは首肯した。
「お団子焼いて、野菜作って、魚を漁って、会社に行って、学校で勉強して…。当たり前のことを当たり前に過ごす方が戦なんぞよりよっぽど大切やのにね」
彼の言葉には自戒が籠っていたが、おかみさんはそれには気付かずに大きく頷いた。
「なぁ、おかみさん」
ギンは空気を変えるように、殊更に明るい口調で語りかけた。
「へえ」
「あの世、いうんはこの世と大して変われへんのや。あの世で暮らす人たちも、この世と同じように百姓したり、店を商ったりして生活しとるん」
「へえ」
「ボクも絢女も、おかみさんの店のみたらしが大好きやねん。もちろん、お嫁さんが引き継いだいうあの店にも通わせて貰うで。けど、おかみさんがあの世でみたらしの店出してくれたら、ものすご嬉しい思うんや」
「あの世でみたらしの店…」
おかみさんの顔に笑みが戻った。
「ええねぇ。お団子焼いて、お客はんとお話ししやって、きっと楽しいおすなぁ」
「もし、おかみさんが流魂街…、いえ、あの世でお店を出したら、きっと見つけて買いに通います」
と絢女も微笑んだ。
「大好物だから、常連さんになっちゃいますよ」
「そんなら、約束しまひょか。うちはあの世でみたらしン店を出すから、お客はんらは探し出して常連はんになるって」
と提案しかけたおかみさんは、ふと眉を曇らせた。
「この世のことは忘れてしまうんどしたね。うちは約束したことも忘れてしまうからあかんか」
「具体的な記憶は失くしても、大切なことはちゃんと覚えとるよ」
ギンは言った。
「それにおかみさんが忘れても、ボクらは約束を覚えとるから…。あの世も広いし、おかみさんかてすぐに店を出せるわけやない思うけど。でも…、きっと見つける。せやから、約束しよ」
「へえ」
子供のように指切りをした後、おかみさんは深々と頭を下げた。
「お客はんにあの世に送って貰えるなんて、うちはほんまに運が良うおす。おおきに」
ギンは絢女に目配せをすると、再び、義骸から抜け出した。
昔から死神の間で言い習わされていることがある。
曰く、霊力の高い死神に魂葬された魂は、番号の若い治安の良い場所に流れ着く。
曰く、同じ死神が行ったものでも、心を込めて丁寧に魂葬したのと、おざなりに魂葬したのとでは流れ着く場所が違う。丁寧に魂葬された魂魄ほど、安全で豊かな地区に辿り着ける。
ならば、彼女はきっと治安の良い豊かな場所に辿り着けるはずだと、ギンは願った。ただ、彼が背負う業が及ばないことを祈って、彼は神鎗を手にした。
老女の額に「死生」の刻印が押される。消えゆく彼女の魂魄を、ギンと絢女は粛然と見送った。
なつに教えられた店はすぐに見つかった。
小さな茶店だった。店の広さは、せいぜい三坪。入口に赤い暖簾が下げられていて、「萬年屋」という文字と亀の絵が、穏やかな風に揺れている。
「…鶴はおらへんね」
とギンは独り言ちた。
入口の一角に老女が座っていて、団子を炭火で炙っている。
ゆっくりとギンは店に近付くと、
「おかみさん、みたらし三十串な。持ち帰りで」
と注文した。
「へえ、ただいま」
老女の頬に柔和な笑みが浮かんだ。
現世の記憶を失う理に従って、彼女はギンのことを忘れていた。微笑は客に対する愛想で、彼を見て感情が動いた様子はない。
「お客はん、初めてどすなァ」
「うん。ここらのモンやないん」
「そうどすか?」
「その先に玉職人の彦次郎はんいう人が住んでるの知ったはる?」
「へえ。おかみさんには贔屓にして貰ておりますえ。お客はん、彦次郎はんのお連れはんどすか?」
「うん、仲良うさせて貰とるよ。さっきなァ、彦はんのところで、ここのみたらし、ご馳走になってん」
「へえ」
「ほんで、美味しかったから、嫁はんに土産に買うて帰ろ思て、寄ったんや」
「それはまた、わざわざおおきに」
とおかみさんは嬉しそうに笑った。
「ボクの嫁はん、みたらしが大好物やねん。きっと喜ぶ思うんや。嫁はんが気に入ったら、一緒に食べに来るな」
「それはおおきに。楽しみに待っておりますえ」
品のいい愛想を振りまきながら、彼女は注文のみたらしを経木に包み、包装紙でくるんでギンに手渡した。
「おおきに。奥さんによろしゅう」
「うん、おおきに」
約束を果たしてくれて。
ギンが鶴亀屋弥太郎のおかみさんを魂葬してから、四十年以上の年月が流れた。
店は未だ現世で健在であるが、おかみさんの時代とは大きく様変わりしていた。彼女の跡を継いだ嫁の代まではみたらし一本で頑張っていたが、時流というものだろう。みたらしだけではどうにもこうにも立ち行かなくなったのだ。おかみさんの息子嫁から、更に代を継いだその息子 おかみさんにとっては孫であるが は、店の存続を賭けて取扱い商品の多角化を図った。彼は商才があったらしく、小さな茶店に過ぎなかった鶴亀屋弥太郎は、今では京阪神に七店もの支店を抱える人気の甘味処に成長した。もちろん、店の看板は今も名代のみたらし団子である。
ギンと絢女は孫息子に代替わりするまで、店に足を運んだり、部下に頼んでみたらしを買って来てもらったりしていたのだが、今は足が遠のいてしまった。頑固な職人だった老爺からおかみさんへ、おかみさんからその息子嫁へ。代々受け継がれてきた味が、どこがどうとは明確に言えないものの、微妙に変わってしまったのだ。もう二人が好きだったあのみたらしではない。今のみたらし団子も公平に評価すれば充分に美味なのだが、それでも、二人が食べたいのはあの少し煤けた小さな店のものだった。
彦次郎の家で供されたみたらし団子は懐かしい味がした。一目見て、一口食べて、おかみさんの味だと分かった。
(絢女、喜ぶやろなぁ)
絢女の喜ぶ顔を一刻も早く見たくて、まだ温かいみたらしの包みを懐に、ギンは家路を急いだ。
******************************************
20万打感謝リクエスト小噺 その3
遅くなりました。前の更新から一ヶ月のご無沙汰で、フリリク第三話目をUPです。リクエストは「ギン絢で『風が還る日』後の設定でみたらし団子の話」ということでした。けど、これ「ギン絢」か? 「ギン-みたらし団子屋のおかみさん」じゃあるまいか、と例によってセルフ突っ込みを入れながらの執筆でした。
市丸兄さんが異様なまでにみたらし団子屋のおかみさんに対して優しいですが、拙宅の市丸兄さんは京言葉を使う物腰の柔らかい上品な年上女性には弱いはずです。具体的な記憶は失ってますけど、養い親の佐和がおかみさんと同じタイプの女性でしたから(どきっぱり)。
おかみさんが亡くなったのは叛乱終結から一年ちょっと後くらいです。で、冒頭と末尾はそれから更に四十数年後の設定になります。実にどうでもいい裏設定ですが、冒頭で市丸兄さんが注文していたのは琥珀の帯留で、第二子を出産した絢女への「お疲れさま、ありがとう」の贈り物なのでした。
リクエスターのイブさま、遅くなりまして申し訳ありませんが、お納め下さい。
フリーリクエストはあと2話。精進します。