現世に行こう
小路の向こうから近付いてくるぱたぱたと賑やかな足音に、冬獅郎と乱菊は笑みを零した。二人が気付くようにほんの少しだけ霊圧を上げてやると、予想通り、
「あ、かあさま!」
「とうさま!!」
と娘たちは両親に気が付いたようだ。
「おかえりなさーい!」
声を揃えて小路から飛び出しくるや、絢乃が冬獅郎に、菊音が乱菊にしがみ付いて来た。
「きょうははやいねー」
「定時に上がれたからな」
と冬獅郎が絢乃を軽々と抱きかかえて肩車してやる。菊音の方は乱菊にだっこされている。
ゆったりと再び家路を辿り始めた冬獅郎の頭上から、
「ねぇねぇ、とうさま」
と絢乃が弾んだ声で呼び掛けた。
「ん? なんだ?」
「おたんじょうびのおいわいねぇ」
と絢乃が口を切った。冬獅郎と乱菊の愛娘である双子たちは半月ばかり先に誕生日を控えている。冬獅郎は教育的な見地から、ごくささやかなものは別として、普段は強請られたからと言って何でも買い与えるような真似はしない。だが、誕生日だけは別だ。つい先日、誕生日の祝いを問うたところ、姉妹は額をひっつきあわせるようにして相談していたのだが、その時は結論に至らなかったらしく、明確な答えがないままだった。
「ああ、何が欲しいのか決まったのか?」
「うん!」
絢乃と乱菊の腕にいる菊音が声を揃えて肯定した。このあたりの呼吸はやはり双子だ。
「何? 着物? それともぬいぐるみかしら?」
と乱菊が菊音の顔を覗き込む。
「あのねぇ」
菊音がはにかんだような、それでいて期待に眸をきらきらさせたような表情で乱菊と冬獅郎を見比べた。肩車しているので絢乃の顔は見えないが、おそらく妹と同様の顔をしているに違いないと考えながら、冬獅郎は促した。
「何だ? 何でも言っていいぞ」
失言であった。後から思い返せば、であるが。
「あのねぇ」
「うん、なあに?」
「げんせ」
「へ?」
思いがけない言葉に乱菊が間抜けな声を上げた。
「げんせにいってみたいの!」
絢乃の声が降って来た。
「はぁぁ!!!?」
期せずして十番隊主従にして夫婦な二人は往来で奇声を上げることになった。
「無理だ」
と驚きから立ち直った冬獅郎は、きっぱりと告げた。
「前から言っているだろう? 現世に行けるのは死神だけだ。おまえたちは死神じゃないから現世にはいけない」
それは二人には常々言い聞かせていることである。そして、娘たちも「分かった」と納得していたはずなのに、何でまたこのようなことを言い出したものか。
途端にふええと菊音の顔が歪んだ。母親似の顔立ちをした妹娘の泣き顔に冬獅郎は弱い。弱いが、だからといって頷ける話ではなく、ぐっと怯んだところで、
「うそつき」
強張った声が冬獅郎の頭上を抜けた。
泣き虫の妹と違って勝気な絢乃は父親に抗議を始めた。
「とうさま、なんでもいいってゆったもん!」
うっ。
「とうさまのうそうき!」
うっ。
固まる冬獅郎に、
「絢乃」
と乱菊が窘めた。
「確かに、とうさまは『何でもいい』とおっしゃったわ。でも、それはあなたたちが駄目だと言われていることはしないって信頼していたからよ。現世は死神でないと行けないの。あなたたちも『分かった』って言っていたでしょう」
「うそつき」
絢乃の抗議が乱菊に向かった。
「しにがみじゃなくてもいけるもん!」
「え?」
「だって、せーにいさまはげんせにいったもん! ゆうえんちであそんできたってゆってたもん!」
抗議しながらも悲しくなってしまったのだろう。冬獅郎の頭のてっぺんにぽたんと雫が滴り落ちて来た。
「とうさまのうそつき! かあさまのうそつき!」
足を支えていた冬獅郎の手を蹴り飛ばすように振りほどくと、絢乃はたん、と地面に降り立った。一呼吸遅れて、菊音もべそべそ泣きながら母親の腕から逃れた。
「とうさまもかあさまもだいっきらい!!」
見事に同じ呼吸で捨て台詞を吐くと、二人はあっという間に先ほどの小路に逃げ込んでしまった。
急展開に茫然と娘たちの背を見送ってしまった夫婦のうち、先に立ち直ったのは乱菊だった。
「冬獅郎さん、どうします?」
「ああ」
額に手を当てて長嘆息を吐き出した冬獅郎は、
「どうせ姉さまのところだろう。迎えに行く」
「ですねぇ…。絢女とギンで上手いこと言いくるめてくれているといいんですけど」
と乱菊も溜息をついた。
「口止めしていたんだがな。甘かったか」
「青ちゃんも子供ですもの。口が滑ったんでしょうね」
絢乃が「せーにいさま」、乱菊が「青ちゃん」と呼んだ子供は朽木白哉の息子の
青樹は遠縁の家の長子として生まれ、それなりに物心がついてから朽木家に引き取られた。実は養子の話が出る少し前に弟が産まれており、次男がいるからいいだろうということで彼が推挙されたという経緯があった。一族の期待を担い、実の両親から引き離される形で朽木家に入っただけに、青樹は幼い心に一杯の葛藤を抱えている。それだけに白哉も、義理の叔母になったルキアも彼にはかなり気を配って接していた。
ギンと絢女の息子である主真、及び十四郎と烈の息子である柊也は青樹と仲良くしている。過去にルキアと心を通わせることが出来ずに失敗したことのある白哉が、その轍を踏まぬ為に、年頃の近い二人をわざわざ青樹に引き合わせ友達として仲良くしてやってほしいと頼んだのだ。朽木家顔パスのお墨付きを当主から貰った主真と柊也はそれ以来、青樹を加えた三人で遊びまわる仲となり、自然、主真の従妹である絢乃や菊音も彼と親しくなったのだ。
死神しか現世に行けない、という冬獅郎の言葉は原則論として真実であるが、実情とは多少異なる。尸魂界が現世から見ると死者の国であるという位置づけから、尸魂界の者が現世に赴くことに対する縛めは確かに存在している。死者の魂魄である流魂街の住人は絶対に現世には行けない。現世に行けるのは転生する時だけだ。死神の場合、世界の秩序を護るという使命がある為、任務であれば無制限に現世に赴ける。では私用ではどうかというと、平隊士、及び、下位席官には認められない。例外は現世駐在中の隊員で、彼らは非番の日に現世で過ごすことを駐在中の特典として認められている(ちなみに非番の日には一日限りの交代要員が派遣される)。上位席官以上の場合、十席・九席は十日、八・七席は十五日、六・五席は二十日、そして四席以上は三十日を年間の上限として隊長の許可があれば自由に現世に遊びに行けることになっていた。
それでは、貴族はどうかというと、瀞霊廷に産まれたということで貴族の称号を与えられてるが実態は一般庶民にしか過ぎない下級貴族は現世には縁がない。中級貴族の場合は瀞霊廷への貢献度に応じて年間五~十日の現世特別許可が与えられる。これが、上級貴族となると年間二十日に跳ね上がり、四大貴族ともなると隊長格並みの年間三十日が許可される仕組みになっていた。但し、この特典を利用して実際に現世に赴く貴族はそれほど多くはない。それには二つの理由がある。第一には死神ではない貴族は地獄蝶を持たない為、穿界門を通っても自動的に断界に送られてしまうという
四大貴族の一角を占める朽木家は「よほどに富貴な貴族」の代表格である。そして、青樹の複雑な境遇と内心の葛藤を承知している白哉らが、彼を気遣ったことが現世行きを可能にした。一般には高額の義骸も朽木家にしてみれば、たいした負担ではない。白哉が義骸を特注し、ルキアと恋次に連れられて、青樹は現世の有名なテーマパークで一日を過ごしたのだ。幼いながらも聡い青樹はそれが特別なことだとわきまえていた。だから、彼よりももっと幼い絢乃や菊音が現世に行きたがると困るから口外してくれるな、と冬獅郎から頼まれた時、即座に了承したのだ。
口止めしたことで、冬獅郎は安心していたのだが、乱菊の言うように青樹はまだ幼い。現世の子供で言えば七つ、八つほどである。口を滑らせたとしても、詮無いことであろう。
仕方ないと、二人は行き先を姉夫婦の家に変えた。絢女もギンも冬獅郎の娘たちをたいそう可愛がっていて、娘たちも二人に懐いている。それに双子の娘たちにとっては大好きな従兄の「かずにいさま」がいるのだ。泣きながら走り去った彼女たちが逃げ込む先は決まっている。
絢女とギンは同じ護廷の隊長職である。二人が定時に引き上げているとは限らないと連絡を取ると、絢女は隊舎を出るところで、ギンの方はもう自宅に帰っていた。
「家に帰り着いたと思たら、わんわん泣いたあやちゃんらに『おじうえ~』って縋りつかれて、吃驚してもうたわ」
伝令神機の向こうでギンは苦笑していた。とりあえず今は、主真や佐那と一緒に菓子を食べているらしい。
「まだちょっとべそべそしとうけど、もうじき落ち着くやろ。二人の言い分、聞いておくから、ゆっくり来ィや」
とギンに言われた。
指示された通りに、敢えてゆっくりと市丸邸に向かっていると、途中で絢女と合流した。
「どうしたもんか…」
という冬獅郎の溜息に、
「ま、ギンがいるのなら上手に説得してくれているんじゃないかしら?」
と絢女は笑った。大人相手には胡散臭いが真っ先に来るし、嫌いな相手には徹底的に冷淡な男だが、意外なことに結構な子供好きであしらいも上手いのだ。
三人が市丸邸に着くと、ギンと主真が玄関で出迎えた。
「絢乃と菊音は?」
乱菊の問いに、
「まだちょっと拗ねとうよ。佐那を人質に子供部屋に立て籠もってもうた」
「あらあら」
と絢女が肩を竦めた。
「ギンが上手く説得してくれているって期待してたのに」
「ん~。出来るけど、その為にはまず、二人の言い分を聞いてやらなあかんからな。大体、事情は分かったし、ま、これからや」
ギンが自信ありげに笑ったそばで、主真がなんだか元気なく項垂れている。
「どうした、主真? なんか覇気がないみたいだが」
「…おじ上、おば上、ごめんなさい」
と主真が頭を下げた。
「青ちゃんがげんせに行ったって、あやちゃんやきくちゃんにばれちゃったの、ぼくのせいなんだ」
「ん?」
事情はこうである。主真と柊也は青樹が現世に遊びに行くことを知っていた。二人とも絢乃たちより年長で、青樹の抱える特殊事情をおぼろげながら承知していたこともあって、現世行きを僻むようなことはなかったし、朽木家ほどの大貴族が特別ということも理解出来ていた。だから、青樹も大人たちも彼等には普通に打ち明けたのだ。義叔母たちと現世で楽しい一日を過ごした青樹は仲良しの友達に土産を買って来た。双子たちと主真の妹・佐那の分は、彼女たちには現世行きのことは話せないからルキアからの土産ということにして渡してもらうことにしたのだが、柊也と主真には直接に手渡ししたくて朽木家に呼んだのだそうだ。
「青ちゃんのおへやでもらえばよかったんだけど…」
朽木家の庭園には池がある。その傍らに建っている東屋で主真と柊也は土産を受け取った。二人が青樹に土産話を強請り、青樹も楽しい記憶を友達に話したかったのだろう。侍女が運んでくれた水菓子を食べつつ、テーマパークで楽しんだアトラクションや、パレードなどのことを熱心に語った。そして、ふと気が付くと、双子が東屋を覗き込んでいて、話をすっかり聞いてしまっていたという訳だ。主真にくっついて幾度も遊びに行った結果、絢乃と菊音も既に朽木家顔パスになっていたのが災いした。
「ぼく、ぜんぜん気がつかなくて」
と主真はしょんぼりしているが、友達と熱心に話し込んでいる時に、害意のない慣れ親しんだ霊圧の接近に気付けという方が無茶だろう。
「それは主真は悪くないだろう?」
冬獅郎は苦笑いした。
「主真が絢乃たちを連れて行ったわけでもなし、どっちかというと、盗み聞きした二人の方が悪い」
とはいえ、開放的な東屋で話していたのを漏れ聞いたということなので、絢乃と菊音を責めるわけにもいかないだろう。
「それより、佐那ちゃんを人質って言ってたわね? まさか、佐那ちゃんまで一緒になって現世に行きたいとか駄々を捏ねはじめてない?」
乱菊が心配そうに眉を顰める。
「今のところ、そういうことは言い出してへんよ」
とギンが応じた。
「まず、ボクが話してみるわ。冬獅郎はんや乱菊が話すと依怙地になってまうかもしれへん。とりあえず、任して」
彼が自信ありげに請け負ったので、冬獅郎らは説得をギンに委ねることにした。
穿界門を抜けた途端、絢乃と菊音は、
「わぁぁ!」
と歓声を上げた。
「すごーい。おうちがいっぱい!」
と菊音が足元を見下ろして叫べば、
「ねぇねぇ、あれ、なあに!?」
絢乃はゆったりと飛ぶ飛行船を指差して、わくわくと母親に尋ねた。
「あれは飛行船よ」
「現世の人間が空を飛ぶ為の道具だ」
と冬獅郎が補足して説明した。
「じゃ、あれは?」
菊音が指差したのは白い尖塔である。蝋燭のような形状で、上部に二箇所ほど輪っかのようなでっぱりがある。
「東京スカイツリーよ」
「電波塔だ」
「せんざいきゅうよりもたかいね!」
瀞霊廷で一番高い塔よりも、何倍ものっぽな建物に菊音は見入っている。
「ねぇ、とうさま。あっちにもすごーくたかいたてものがあるよ!」
白いスカイツリーに対して、黒に近い灰色の尖塔が海よりの場所に聳えていた。
「東京ギャラクシータワー。あれも電波塔だ」
「第三東京タワーなの」
乱菊の言葉に、
「だいさん?」
と絢乃は首を傾げた。
「三ばんめにたったの?」
「そうよ」
「絢乃は賢いな」
「じゃ、一ばんめと二ばんめは?」
「二番目はあのスカイツリーよ」
「ふーん。じゃ、一ばんめは?」
更に重ねられた問いかけに、
「一番目はもうないの」
と乱菊は教えた。
「一番最初の東京タワーを壊して、その後にあのギャラクシータワーを建てたからね」
そう教えながら、乱菊は遠い日に想いを馳せた。
もう歴史になってしまった藍染の叛乱の傷痕も生々しい頃のことだ。「伝説の死神代行」黒崎一護がまだ学生だった昔、冬獅郎を無理矢理に誘って、一護や織姫とWデートで東京タワーに登ったっけ、と乱菊は懐かしく思い出した。あの叛乱から既に七十年近い年月が流れてしまった。その頃は、まだスカイツリーさえも存在しておらず、東京タワーといえば、既に取り壊されてしまった第一東京タワー以外には存在していなかった。
黙り込んでしまった乱菊を見遣り、
「懐かしいな…」
と冬獅郎も目を細めた。
「取り壊された時には、結構、ショックだった」
「そうですね…」
人間と死神では生きる時間の尺度が異なる。出会った時は十代の少年少女だった一護と織姫は、外見年齢がほとんど変化しない乱菊や冬獅郎らの死神たちを置き去りして、みるみるうちに大人になり、結婚し、子供が産まれ、孫が産まれ、そうして、数年前に相次いで天寿を全うした。今は流魂街のどこかで穏やかに転生の時を待っていることだろう。孫を抱いて嬉しそうに微笑んでいた初老の織姫の姿も、亡くなる直前の老年の一護も見てはいる。けれども、乱菊らの思い出に鮮やかに蘇る彼らはいつだって、出会った頃の、共に戦った十代の一護と織姫だ。
両親が感傷に浸っていることを敏感に察知したのか、はしゃいでいた娘たちが急におとなしくなった。それに気が付いて、乱菊と冬獅郎は思わず目を見合わせて苦笑いを零した。
「ごめん、ごめん。ちょっと昔のことを思い出しちゃったの」
「ふたりとも、近くで見たいところはないのか?」
と冬獅郎が機嫌を取るように尋ねると、双子の娘たちは揃ってギャラクシータワーを指差した。
「あのてっぺんにいってみたい」
「了解!」
冬獅郎と乱菊はそれぞれ娘を抱きかかえたまま、ギャラクシータワーへと中空を駆けた。
ギンの双子たちへの説得は、落語の三方一両損を思い起こさせるものだった。
彼はまず、輪廻の仕組みや現世と尸魂界の役割について噛み砕いて説明し、尸魂界の者がみだりに現世に降りるのは好ましくないこと、死神は現世と尸魂界を行き来する必要があることから仕事以外で現世へ赴くことも職業上の特典として認められていることを双子に納得させた。「死神しか現世に行けない」という冬獅郎らの説明が決して嘘ではなかったことを、留保付きながらも認めさせたのである。その上で、瀞霊廷への貢献の高い貴族たちには例外として、死神同様に現世に降りることが認められていることを教えた後で、
「でもな」
と彼は続けた。
「貴族は現世に降りるのが認められるのんなら、柊ちゃんかて現世に行けるはずやと思わへん?」
柊也の場合、父親の浮竹十四郎は下級貴族の出身で母親の卯ノ花烈は上級貴族の令嬢だ。貴族の間に産まれた柊也も当然ながら、下級貴族の称号を有している。しかも、両親とも護廷隊長であるのだから、瀞霊廷への貢献度という点では浮竹家は申し分がないはずだ。だが、柊也は現世に遊びに行ったことはない。
「実はな、現世に降りてええ、いう許可が出たとしても、ほんまに現世に降りる為には大問題があるんや」
「なあに?」
「義骸」
とギンは簡潔に答えた。
「死神はみんな義骸を持っとるし、冬獅郎はんも、乱菊も、現世に行く時には義骸に入るのんは、あやちゃんもきくちゃんも承知やねぇ」
「うん」
「でも、あやちゃんときくちゃんは死神やあらへんし、義骸はないなぁ」
「うん」
「義骸に入らんと現世に行ったらな、現世のモンに触れへんのや」
現世の人や器物は器子で出来ており、対して、尸魂界は霊子から構成されていること、霊子は器子の物質をすり抜けてしまうことをギンは説明した。
「せやから、青ちゃんみたぁに遊園地で遊んだり、レストランでおいしい御飯を食べたり、買い物したりいうんは義骸に入らんと出来ひんのや」
だが、義骸はとてつもなく高価だとギンは続けた。
「そやねぇ。これから十年くらい、あやちゃんもきくちゃんも新しいべべを買うてもろたり、お外にご飯食べに行ったりもせんと、おうちで食べるごはんもおかずはししゃもとお味噌汁だけいう生活を続けられるんのんやったら、あやちゃんときくちゃんの義骸、冬獅郎はんも買うてやれるかもしれへん。それくらい、義骸ゆうのは高いんや。そんな高いモン、ぽんと買うてやるなんて、浮竹はんも卯ノ花はんもよう出来ん。四大貴族の朽木はんやからこそ、青ちゃんの義骸を買うてやれたんや」
絢乃たちも、朽木家が桁違いの大金持ちであることはしっかりと認識している。両親が護廷の隊長格である二人も瀞霊廷ではかなり良い暮らしをしている部類であるのだが、朽木家は何しろ、自宅の門構えからして全く違う。
「どないする? これから、ずーっとおべべも、おもちゃも、おいしい御飯やおやつを我慢してでも義骸作ってもろて、現世に行きたい?」
ギンの問いにふるふると姪っ子たちはかぶりを振った。両親の言った通り、現世に行くのは無理なんだと納得すると同時にしょんぼりと萎れてしまった童女を見遣り、ギンは優しい笑みを浮かべた。
「まぁ、そういう訳やから、現世で遊ぶのんは無理なんや。けどな、ただ現世を見るだけでもええ、いうんやったら、話は別やで」
途端、ぱっと二人は俯かせていた顔を上げた。
「ほんと!? おじうえ」
勢いよく反問する絢乃と菊音。一方、ギンに任せて見守っていた冬獅郎は目を剥いた。
「馬鹿かっ!? 絢乃も菊音も貴族の資格は持っちゃいない。許可が下りるわけがないだろう!」
思わず食って掛かった冬獅郎に、
「護廷隊長は上級貴族とほぼ同等の権利が与えられるのは、冬獅郎はんも知ってはるな」
とギンは慌てず、騒がず、ゆったりと応じた。
「知っているが、権利を与えられるのは俺だけだ。家族にまでその権利は及ばないはずだ」
「うん、その通りや」
飄々と、ギンは頷いた。
「ところで貴族が現世に行く場合、従者を三人まで連れていけるいうのんは承知?」
冬獅郎は面喰って、ぽかんとギンを見返した。
「お貴族さまが一人で現世に行かはるわけないやん。当然、護衛だとか荷物持ちが要るわ。だから、まぁ、面倒な手続きは必要やねんけども、冬獅郎はんが貴族相当の権利を行使すれば、三人までは従者やいうことにして一般人を連れて行けるのんや」
呆然としたままの冬獅郎の傍らで、乱菊がふうと溜息をついた。
「あんたって、ほんとそういう悪巧みには目端が利くわねぇ」
「失礼やなァ。乱菊は。別に法を犯したりもしてへんで。当然の権利を行使すれば可能や、言うとるだけや」
「ま、確かにそうだけど…」
普通はそんな抜け道は思いつかないのではないだろうか。
双子たちは立て籠もっていた子供部屋からもぞもぞと出てきた。まだ、唖然が抜けていない冬獅郎の膝元ににじり寄ると、必殺技ともいえる上目遣いで父親を見上げた。
「とうさまー」
「みるだけでいいの」
「げんせにいってみたい」
「おねがい、とうさま!」
女の子は本能的に父親に対して一番効果的な媚び方を知っているものらしい。きらきらお目々の上目遣い。期待に満ちたおねだりモードの表情。可愛らしい声音。下に「馬鹿」がつく親であることを自覚している冬獅郎に、逆らい切れるはずもない。
「…分かった」
と盛大な溜息を一つ。
「見るだけでいいんだな」
念を入れたのはせめてもの抵抗である。
「うん!」
「とうさま、だいすき~」
としがみ付いたのは子供らしい現金さだ。傍らで、
「ほんっと、娘に甘いんだから」
と、乱菊が夫を軽く睨んでいた。
そんなわけで、やたらと煩雑で面倒な諸般の手続きを遂行し、冬獅郎の従者という名目で絢乃と菊音の現世許可申請をもぎ取って、何とか二人の誕生日に間に合った。
今回は霊体での現世訪問なので、穿界門を開く場所を気にする必要はない。とりあえず、現世の街を俯瞰で見せようということで、丁度、東京駅の真上、上空500mのポイントに穿界門を開いて現世に出たというわけだ。
第二東京タワーであるスカイツリーは当時のタワーの世界一を目指し、また関東一円の旧国名に当たる「武蔵国」に因んで、634mの高さを誇っていたが、それから更に四十二年後に建造された第三東京タワーであるギャラクシータワーは実に高さ777mを誇っている。その突端に四人は浮かんでいた。
「ねぇ、ねぇ。あれ、ふじさんでしょ!?」
絢乃が遥か遠くに聳える円錐形の山容を指差した。冬獅郎や乱菊からお土産に貰った現世の絵本や写真などで存在だけは知っていた山を目の当たりにして、興奮した面持ちである。
「ああ、そうだ」
「あれ、うみだよね?」
と菊音の方は初めて目にした延々と続く水面に目を輝かせている。
「そうよ、東京湾ね」
尸魂界にも山はあるが、富士山ほどは高くない。海も実はないわけではないのだが、辺境より更に向こうの彼方なので、尸魂界の住人が目にすることはない。
「すごーい、すごーい!!」
大興奮してはしゃぐ娘たちを目にすると、何度もぶち切れそうになったほどの面倒な諸手続きを踏ん張って乗り越えて良かったと、冬獅郎は報われた思いだ。
「ずーっと、ずーっとむこうまでおうちがあるね」
「たかいたてものがいっぱい」
と瀞霊廷とは全く異なる風景が、娘たちには珍しい。
「上から眺めてばかりでも仕方ないでしょ? 今度は降りてみようか?」
乱菊の提案に、絢乃と菊音は揃って、
「うん!」
と飛びついた。
自分たちからは現世の人間が見えているのに、現世の人間には絢乃も菊音も見えていない。それがどうやら面白くてならないらしい。
「えいっ!」
「や!」
奇妙な掛け声とともにわざと正面の人に向かって突進してみたり、すり抜けるのは承知の上で強そうな巨漢の男を選んでパンチを繰り出してみたり。義骸がなければ見るだけ。楽しめないのではないか、という冬獅郎や乱菊の危惧は杞憂だったようだ。むしろ、見えない、触れない、すり抜けてしまう、という今までに体験したことがない状況を大いに楽しんでいるように見える。
「現世に行きたいと言い出した時にはどうしようかと思いましたけど…」
「ま、あれだけ楽しそうならいいか」
と雑踏の中で娘たちを見失ってしまわないように注意しながらも、冬獅郎と乱菊は微笑みあった。
一頻り現世の通行人たちで遊んだ後は、やはり瀞霊廷にはない店舗の数々に興味が出て来たのだろう。どちらからともなく、ファッションビルのウィンドウに近付いて行った。
「このおようふく、かっこいいね」
「とうさまににあうよ」
と二人が見上げているのは、アルマーニのメンズスーツである。美形のモデルをコピーしたアンドロイド・マネキンが高級そうなオフィスのセットに座している。傍らには秘書という設定か、これも美形のアンドロイド・マネキンが電子手帳を確認している。本物の人間と紛うばかりの出来栄えのマネキンだが、
「とうさまのほうがかっこいいよねー」
「うん。ぜーったい、とうさまのほうがにあうもん」
と娘たちの意見は一致したようだ。アンドロイドの容姿の原型となっている青年たちはトップモデルとハリウッドスターとして世界中の耳目を集めている俳優なのだが、どんなにイケメンな男を前にしても、絢乃と菊音の、父親の方が格好がいいという信念は揺るがないらしい。背後で、冬獅郎は苦笑しているが、
(うん、でもやっぱり冬獅郎さんの方が美形よ)
と乱菊もまた、娘たちに賛同したりしている。
「ねぇねぇ、あやちゃん、こっちのおようふくもきれいだよ」
「ほんとだー。かあさまがきたらいいのにね」
娘たちが指差す先を辿ると、身体にぴったりとしたラインのミニ丈のシャネルのワンピースを着こなしたアンドロイド・マネキンが二体、微笑んでいた。
「このひとたち、きれいだね」
「うん、かあさまにはまけるけど」
と菊音。
「…このマネキンの顔、何か見覚えがあるな?」
娘たちの背後に立って、マネキンを真正面から眺めた冬獅郎は首を傾げた。
「そりゃあ、見覚えあるでしょうね。右はイングリット・バーグマン。左はヴィヴィアン・リーです」
と乱菊が指摘した。
「あー、二十世紀前半を代表する美人女優か」
二十一世紀前半に爛熟したフィギュア技術とロボット技術を融合させて、十五年ほど前に発明されたアンドロイド・マネキンは瞬く間に普及し、今では現世の主だった商業施設のショーウインドウはアンドロイド・マネキンに席巻されている。ウィンドウの中で、あらかじめプログラムされた簡単な動作を繰り返すだけの単純な絡繰り人形ではあるが、外見は本物の人間と区別がつかないくらいだし、動作や表情も滑らかで自然である。このマネキンの利点は実在のモデルそっくりに作れることである。とはいえ、今を生きている有名人の場合、肖像権の問題があって、そっくりのアンドロイドを製作する為には莫大なロイヤリティを支払う必要がある。先ほど絢乃たちが眺めていたアルマーニはトップモデルとハリウッド俳優と契約を結んでマネキンに使用しているのだ。一方、シャネルのウィンドウの美人女優たちは没後百年前後が経過しており、遺族が肖像権などを管理しているにしてもロイヤリティは比較にならないほど安価である。レトロ感が程よいということで、大手のブランドは二十世紀から二十一世紀初頭のモデルや俳優をマネキンに使用したがる傾向があった。むろん、一般的に普及しているのはCG技術で作り上げた架空の美男美女であるが、どうしても個性に欠けるきらいはある。
瀞霊廷にはない本物そっくりの人形が動くショーウィンドウは双子の興味を大いに引いたらしい。きゃっきゃとショーウィンドウを眺めては、
「あのおようふくきれい」
「あれ、かわいい」
と歓声を上げている。但し、どのマネキンを見ても、
「とうさまのほうがかっこいい」
「かあさまのほうがきれい」
という確信は小揺るぎもしないらしい。
ウィンドウは大人用のものが圧倒的に多かったのだが、しばらく歩くうちに子供服のブランドのウィンドウに行き当たった。途端に、二人の目の色が変わったのは、やはり女の子というべきか。
「ねぇねぇ、あやちゃん、あのワンピースかわいいね!」
と菊音が目に留めたのは、花柄のフリルのワンピースだった。淡いローズピンクの地に大きな白い薔薇がプリントされている生地である。
「ほんとだー、きくちゃんににあうよ」
と絢乃は応じる。双子ではあるのだが、二人はすでにはっきりと好みに違いが表れ始めていた。女の子らしくて泣き虫な妹の菊音は身に着けるものもふんわりと優しい印象のものを好んでいた。現世ではパステルカラーと称される、ピンクや薄紫、ミントグリーンなどのやわらかな色合いの着物がお気に入りである。菊音が示したワンピースは正にストライクゾーンど真ん中で、優しいローズピンク色も、たっぷりとギャザーの入ったスカートも、襟元や袖口にあしらわれた控えめなレースもお姫さまみたいで、彼女をうっとりとさせていた。
「あれ、気に入ったのか?」
と冬獅郎は尋ねる。
「うん」
素直に頷いた菊音に、
「誕生日だからな。じゃあ、あれは買ってやろう。ただ、今日は霊体で来てしまったから日を改めてだな。万が一、売り切れていたらなしになってしまうけど、いいか?」
と告げる。
「ほんと、とうさま!?」
「ああ。ただし、売り切れることもあるから、あんまり期待すんな」
冬獅郎が菊音を抱き上げた傍で、乱菊が、
「絢乃も気に入ったのがあったら言いなさい。一枚だけなら買ってあげるから」
と姉娘に声を掛けている。
勝気で行動的な絢乃は妹よりも辛口テイストの着物を好んでいる。ピンク系はあまり好きではないらしく、パステルカラーなら水色や青磁色などの寒色系、でなければはっきりした赤などが好みであるらしい。
「あやねぇ、あれがすき」
と絢乃が示した服を見て、なるほどと、乱菊も冬獅郎も得心した。彼女が示したのは真っ赤なタータンチェック柄のジャンパースカートだった。裾まわりと胸元に黒のレースがあしらわれており、胸元は編み上げのデザインが施されている。可愛らしい少女のアンドロイド・マネキンはこのジャンパースカートの中に白いブラウスを合わせており、白いフリルの折り返しソックス、黒のエナメルの靴といういでたちで、無邪気な笑顔で父親マネキンと手を繋いでいた。菊音よりも甘さ控えめでぱっきりとした色柄。でも、ちゃんと女の子らしいデザインで確かに絢乃が気に入りそうな服だ。
「そっか。じゃ、あのジャンパースカートとブラウスが絢乃のお祝いでいいかしら?」
「うん、かあさま、ありがとう」
と絢乃は満面の笑顔になった。
冬獅郎と乱菊の終業を待って、現世に降りたので、既に日は落ちて暗くなり始めていた。
「そろそろ行くか」
と冬獅郎が乱菊に声を掛け、
「そうですね」
と乱菊も微笑んだ。
娘たちが不思議そうに両親を見上げる。
「どこにいくの?」
うふふ、と乱菊は笑った。
「今日はねぇ、とっても大きな花火大会の日なの」
「はなび!?」
今日、何度めだろう、二人の娘の目がきらきらと宝石のように輝いたのは。
「お誕生日の仕上げに現世の花火大会を見物して帰りましょう」
という乱菊に、娘たちは嬉しそうに歓声を上げた。
眼下は花火見物の客でごった返しているが、霊体で死神の冬獅郎と乱菊は悠々と上空を滑るように歩んでいた。
この日、開催される花火大会は「東京湾大華火祭」。百年ほども続く、東京の伝統行事である。晴海埠頭が打ち上げ会場なので、陽が落ちる前に行ったギャラクシータワーあたりも花火ポイントであるのだが、二人が向かったのはレインボーブリッジである。二十世紀末に開通したこの橋は幾度かの大規模メンテナンスを繰り返した後、数年前に架け替えが行われた。橋脚から伸びた主塔が、冬獅郎たちが目を付けていたポイントだった。
当然、誰もいない。
四人が余裕で座れるほど太い主塔の鉄骨の上部に腰を下ろした乱菊は、おもむろに携えて来た重詰めの弁当を広げた。娘たちと冬獅郎もその傍らに腰を落ち着けた。
見下ろせば、花火見物の客を乗せた屋形船が水面を行き交っている。
「ねぇ、とうさま?」
鮭おにぎりを頬張った菊音が父親を見上げた。
「ん、何だ?」
「あのね、きくたちはれいたいだから、げんせのものにさわれないんでしょ?」
「ああ、そうだ。それがどうした?」
「うんとね、このはしもげんせのものでしょ?」
「ああ、そうだな」
「どうして、すわれるのかなぁ?」
「おー、いいところに気が付いたな」
賢いぞ、と冬獅郎は菊音の頭を撫でまわす。妹の疑問で、絢乃も不思議に思ったのだろう。おにぎりをごくんと飲み下すと、じっと冬獅郎を見上げた。
「一番最初、現世に出た時、俺たちは空の上に浮かんでいただろう?」
「うん」
「あれはな、とうさまとかあさまで霊子の足場を作って、その上に乗って身体を支えてたんだ」
「れいしのあしば?」
「そう。霊術院だと一年生の最初に学ぶ死神の基礎技術の一つよ」
と乱菊も補足した。
「今もな、見えないけど、絢乃と菊音のお尻の下には霊子の足場がある」
「お花見で、毛氈を敷いてご飯を食べるでしょう? あれと一緒。見えない霊子の毛氈が下に敷いてあるのよ」
「えっと?」
菊音が可愛く首を傾げる。
「わかった。まほうのそらとぶじゅうたんだ!」
と絢乃がぽんと手を打たんばかりに得心した。
「とうさまのそらとぶじゅうたんに、のっているんでしょ?」
「そう、正解」
乱菊が笑った。
「でも、そしたらなんで、ここにすわっているの?」
魔法の絨毯なら、わざわざ橋の上に来る必要もないだろうに。
「気分の問題。とうさまとかあさまの魔法の絨毯は目に見えないからね。宙に浮いたままご飯を食べるのって落ち着かないでしょ?」
「目に見える床がある方が、気持ち的に安定するだろう」
それは幼い絢乃たちにもぼんやりと理解出来た。
「ふーん、そっかぁ」
と納得した二人が二個目のおにぎりに手を伸ばした時、
どおぉぉん
夏の空気をびりびりと震わせて、夜空に大輪の花が開いた。
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20万打感謝リクエスト小噺 その5
お中元の時期に募集したフリリクがお歳暮でもぎりぎりだという暮も押し詰まってコンプリートって、一体、どれだけかかったんだと小一時間。本当にお待たせして申し訳ありません(ジャンピング土下座)。というか、お待たせし過ぎて見放されているかもしれません。あうう、ごめんなさい。
リクエストは「日番谷一家(双子の娘4~5歳くらい)が現世に行く話」でした。このリクを頂いた時、まず頭に浮かんだのは、どうやって子供たちを現世に行かせるのを正当化するかでした。原作でも、アニメでも、当サイトでも、死神の皆さんはほいほいと気軽に現世に行ってますけど、尸魂界は本来は死者の国。現世とは異界なわけですからそんな簡単に行き来が出来るもんじゃないはずと考えた次第です。死神さんたちがほいほい現世に行っているのは職業柄の特典みたいなものだろうな、と思うのです。
そんな訳で理屈を捏ね繰り回すのと、双子の娘4~5歳くらいだと当サイト時間軸だと叛乱後、60~70年に当たる為、未来の日本をない頭を振り絞って想像するのに思った以上に時間がかかってしまいました。あとはブログなどでも言及していますが、リアルが予想外に忙しくなったことも遅れた要因です。募集時点では暇だったから、余裕だと思っていたのですが甘かった(泣)
そんなわけで、本当に本当に遅くなりました。リクエスターのこう多朗さま、お待たせいたしました。