彼氏と彼氏の事情
現世に降りる市丸に同行し、空座町に赴くように。
総隊長の命令に、冬獅郎は逆らえないとは知りつつ、
「何故、俺が同行しなければならないんですか?」
と尋ねずにはいられなかった。
「うむ」
山本は頷くと、おもむろに説明を始めた。
「実は、市丸から非番の際に現世に降りたいという許可申請が上がっておってな」
「はぁ?」
「此度の叛乱は本来、護廷と虚圏の破面たちとの争い。死神代行・黒崎一護とその仲間である者たちは、巻き込まれた形になる」
「それは存じております」
「市丸は鏡花水月に惑わされておったとはいえ、叛乱の首謀者の一人だ。罪を償い、護廷隊長に復帰したが、それは護廷内部での決着であって、死神代行たちにはかかわりのないこと。それ故、きちんと謝罪をしてけじめをつけたい、と市丸は現世に降りることを希望しておるのじゃ」
謝罪したいというギンの心情は、冬獅郎にも理解できた。ギンは朽木兄妹、檜佐木修兵ら、今回の叛乱で特に迷惑を被った者たちには、隊長職復帰の直後に謝罪に歩いていた。冬獅郎のところにも、先日やって来たのだが、その時のことは色々あってあまり思い出したくない出来事になっている。
一護たちは叛乱が終結し、四番隊で怪我を優先的に治癒された後、現世に引き上げた。ギンの証言も、裁判の結果も、文書化されたものが浦原喜助を通じて一護に渡っているので、彼らは叛乱の決着を了解しているはずである。だが、ずっと刑軍に拘束されていたギンは一護たちに対面しておらず、謝罪も、救命してくれた織姫への礼も述べてはいなかったのだ。
「謝罪したいという心がけは殊勝だと思うたでな、すぐに許可を与えるつもりでおったのじゃが、中央四十六室から市丸を一人で現世に行かせるはならんと通達があったのじゃ」
「中央四十六室はまだ市丸を疑っているわけですか」
「うむ」
絢女が護廷五番隊隊長である限り、ギンが再び裏切ることは有り得ないというのは護廷の共通認識だが、中央四十六室は納得できずにいる。色絶無で廃人になることを確信した上での厭味であった「護廷が認めれば隊長職復帰を認める」という附文を盾に、ギンを隊長に復帰させた護廷に対して、中央四十六室は表立っては言わないが苦々しい思いを抱えており、今回の通達もそこに端を発しているのだろう。
「監視役の者を付ける、ということで市丸の現世滞在許可が降りたのじゃ。日番谷隊長、市丸との同行を命じる」
「監視役でしたら、吉良でも」
と冬獅郎は悪あがきしたが、
「副隊長では、万が一の事態の時、市丸を押さえられぬと中央四十六室が認めぬのじゃ。絢女隊長が最適任だとは思うが、それでなくとも激務をこなす絢女隊長にこれ以上余計な任務を与えるわけにはゆかぬ」
と、山本は答えた。
(だからこそ、姉さまにさせればいいのに。野暮だよな、このじいさんは…)
面と向かっては言えない。
絢女とギンは先ごろ、長い葛藤の末にようやく結ばれた。ギンがそれこそ命がけで百四十年越しの片想いをしていたことは裁判の公文書となって流通し護廷隊士の同情を買っていたし、弟を護る為に心を封じていた絢女が奥底ではずっと彼に想いを寄せていたことを察していた冬獅郎としては、複雑な心境を拭い切れないものの、二人の関係を一応、祝福していた。
ぼろぼろでどん底状態の五番隊を引き継いだ絢女は、復帰した副隊長の桃と共に隊の建て直しに奔走している。隊長就任後、二ヶ月が経過して、ようやく隊も落ち着きを見せ始め、荒れていた管轄地の管理も軌道に乗ったところだ。二月もの間、彼女がろくに非番もとれないほどの激務にいたことは周知のことだった。
三番隊はイヅルの踏ん張りの甲斐あって、五番隊ほどにはぼろぼろではなかった。だが、隊首が叛乱の首謀者の一人だという事実は余りに重く、混乱はやはり免れていなかった。そこにギンは復帰したのだ。隊士の連名で彼の助命嘆願や復帰誓願を上げてきただけあって、三番隊全体としては隊長が戻ったことを喜んでいた。けれども、中には納得していない隊士やわだかまりを持つ者もいないではない。隊首が反逆者となったことで傷ついた隊士のフォローや、目の行き届かなかった管轄地の管理の為に、この一月、ギンは「さぼり魔」の異名を返上して執務に精を出していた。
そんなわけで、絢女たちが付き合い始めたもののろくにデートさえ出来ずにいる、ということを知っている冬獅郎としては、出来ることならこの任務を姉に譲りたかった。監視と言い条、ギンと一緒に現世に降りるなどデートも同然だ。激務でストレスが溜まっている絢女にはいい息抜きになるはずなのだが、山本はそこを理解していない。
(京楽なら、すぐに姉さまにさせるだろうに)
と、冬獅郎は内心でぼやいていた。
「はぁ、それで若さんが一緒に行くことになってんなぁ」
しみじみと言ったギンに、
「その呼び方は止めろ」
と、冬獅郎は苦虫を噛み潰した顔で言い捨てた。
「絢女やったら良かったのに」
「俺もこんな任務、姉さまに譲りたかった。姉さまなら、喜んでてめえと現世に行っただろうがな」
「まぁ、しゃあないなァ。総隊長さんに粋なはからいとか求める方がどっちかいうと野暮や」
「その点は同感だ。てめえも不本意だろうが、俺はもっと不本意なんだ。おとなしくしてろよ」
「へーい」
なんともふざけた返答に偏頭痛を覚えつつ、
「さっさと用事を済ませて、さっさと戻るぞ!」
と冬獅郎は宣言し、穿界門を開錠した。
とりあえず、現世の暦だと金曜日。平日である。
時刻は午後三時二十三分。
冬獅郎が現世潜入調査中に得た記憶では、もう数分で六時限目の授業が終わる。それから、十分間ほど簡単な教室の清掃活動があり、終礼の後、下校という運びになる。手芸部に所属している織姫と雨竜はすぐに出てくるか分からないが、部活動に所属していない一護と泰虎はおそらくあと三十分もすれば出てくるはずだ。
「ほんなら、ここで待たせてもらお」
下校する生徒を確実に捕まえるには校門で待ち伏せするのが一番だ。ギンは門扉の柱によりかかり、冬獅郎もまた反対側の柱に背をもたせて腕組みをした。
「若さん」
「…」
呼びかけに無視を決め込んだ冬獅郎だったが、ギンは構わず、
「乱菊とは上手くいっとうの?」
と尋ねてきた。
「てめえには関係ねぇだろう」
「あるよ。乱菊はボクの大事な妹やもん」
「…。上手く行ってねぇように見えるか?」
「いいや〜」
のんびりと答え、ギンはこっそりと冬獅郎の横顔を盗み見た。相変わらず眉間に皺をよせた仏頂面をしている。
「冬獅郎はん」
「何だ?」
今度はちゃんと返答をした。
「せっかく姉さんに似て綺麗な顔したはるんやから、もうちょお、愛想のええ顔出来ひんの?」
「何で、てめえに愛想を振りまかなけりゃならねぇんだ? つか、てめえにだけは言われたくねぇ」
もともと、決して愛想のいいタイプではなかったと思う。だが、護廷の隊長職に就いて、眉間の皺が常態になってしまったことは認める。そして、自分の眉間の皺については、少なくとも五割方はギンに責めがあるはずだと冬獅郎は信じていた。
校舎から終業を告げるチャイムが鳴り響き、五分ほどして、生徒たちが下校を始めた。
校門を抜ける生徒たちは、佇む冬獅郎とギンに気付いて何者だろうと囁き交わしている。
何しろ、目立つ。
姉譲りの端正な顔立ちの冬獅郎は不機嫌そうな表情を除けば、まさに夢の王子さまといった佇まいである。ギンは細めるのが習い性になっている目と独特の笑みのせいでたいそう癖のある顔と思われている。だが、普通に目を開き、にやにや笑いを引っ込めて真面目な表情になった時の彼を見ると、驚くほどに整った造作をしているのがよく分かる。とびきりの美形と称して差し支えない、しかも鮮やかな銀髪の青年が二人、人待ち顔で校門に立っていれば、好奇心旺盛な年頃の高校生たちの注目を浴びないわけがない。ことに、女子高生たちの視線は熱っぽく、勇気ある一人がついに声をかけてきた。
「あの…、誰か待ってるんですかぁ? あたしが知っている人なら呼んで来ますけど?」
小首を傾げ、精一杯の媚を含んで問いかける少女に、
「おおきに」
と、ギンは柔らかく笑んだ。
「けど、もうちょっと待ってれば、ここ通るやろし。わざわざ、戻って呼んで貰うん申し訳ないしなぁ?」
「いえ、そんなこと…」
「うん、ありがとなぁ。好意だけ頂いとくわ」
少女はぽおっと上気した顔で、口の中でごにょごにょと呟きながら、一礼してギンから離れた。離れてから振り返ると、ギンがにこにこ笑って手を振っていたので、真っ赤になった揚句、会釈だけして逃げるように走っていった。
「 」
この男が女性隊士に
(姉さま…。大丈夫なのか?)
と冬獅郎が眉間の皺を一段と深めた時、
「あ、出て来たで」
と、ギンが告げた。
オレンジ頭の少年と高校生とは思えない体躯と風格を持った少年、それから、栗色の髪の少女、となじみのある顔ぶれが校舎から出て来るのが見えた。
彼らに向かってひらひらと手を振るギンに気付き、一護と泰虎はぎょっとなり、思わず後退っていた。一方、織姫は無邪気な天然っぷりを発揮して、
「あ、市丸さーん!」
と手を振り返して駆け寄ろうとした途端、転びそうになったのを傍らにいたショートカットの女の子に助けられていた。
「何しに来たんだよ!?」
開口一番、怒鳴るように問うた一護に、
「黒崎たちに謝罪したいそうだ」
と、ギンより先に冬獅郎が答えた。
「そう。それと織姫ちゃんにはお礼も言わんと。織姫ちゃんがおれへんかったら、ボク、死んどったもんなぁ」
「そんな。市丸さん、元気になって良かったです」
「うん、ありがとなぁ、織姫ちゃん」
小さい女の子にするように織姫の頭を撫でたギンに、
「気安く触るな!」
と、一護が割って入る。途端、にやぁっと笑ったギンに、一護は寒気を覚えた。
(やば!?)
「ああ、ごめんなぁ、気安く触ってもうて」
「…」
「悪気も、下心もないねん。許したって」
口調は穏やか、かつ殊勝だが、揶揄の棘を隠した言葉に、一護は思わず冬獅郎に目で助けを求めた。だが、冬獅郎は冷たい視線を返して突き放した。
「市丸。さっさと謝罪しろ」
「ああ、うん。それは分かっとうけど、あと一人、
「石田くんは今日は日直さんだから、先生に日誌を届けてて…。もうちょっとしたら出てくると思います」
と、織姫が答える。
その背後では、たつき、啓吾、水色が、
「何よ、この人たち何者?」
と一護に詰め寄っていた。
一護の強烈な霊圧と重霊地・空座町の霊場の影響を受けた彼女たちはそれなりの霊力が目覚めていた。また、一護が死神代行であるという事情も浦原喜助からある程度聞かされており、そのことは、冬獅郎も報告されていたので、
「護廷十番隊隊長の日番谷冬獅郎だ」
と、正直にたつきたちに名乗った。
「こっちは市丸ギン。元反逆者の一派で、今は許されて護廷三番隊隊長に復帰した男だ」
「ああ、なるほど。謝罪ってそういうことね」
とたつきは頷いた。
「ところで、聞きたいんだけど」
「ああ、何だ?」
「あなた、二学期が始まってすぐ転校してきて、いつの間にか消えた銀髪の男の子のお兄さん?」
容姿の共通から推察した問いだった。
「 本人だ」
「ええええっ!!」
たつきと啓吾がのけぞり、水色は何度も目を瞬いた。
「だって、サイズが全然違う…」
「色々と事情があって成長したんだ。それより、おまえたち、今日は部活はないのか?」
身長の話を打ち切ろうとしたのか、冬獅郎は強引に話題を変えた。織姫は手芸部、たつきは空手部だったはずだ、と尋ねた彼に、
「もうすぐ学年末試験だから、部活はお休みなの」
と織姫が教える。
「試験前なん? せやったら、間ァが悪かったかなぁ?」
「何がですか?」
「あんだけ迷惑かけたわけやし、織姫ちゃんになんて命まで助けて貰たわけやし、『ごめんなさい』で終わらすわけにいかへんやろ?
せめてご飯でも奢らせてもらおうか、思とったんやけど…。織姫ちゃん、焼肉好き?」
「はい、好きです」
と、織姫は反射的に素直に答えていた。
「自分らも好きやな? 育ち盛りやもんなぁ?」
「いや、別に奢ってくれなくても言葉だけでいいから…」
半ば以上、引き気味に一護は答えたが、
「ボクの気ィが済まんねん。一護くんいややったら、織姫ちゃんだけでも付き合うてな、お願いや」
とギンに手を合わせて拝まれ、人の良い織姫は、思わず、
「はい」
と頷いてしまった。
織姫を人質に取られては一護や泰虎も同行するしかなく、さらに、遅れて出てきた雨竜も拉致られ、たつきたちも加えた高校生七人は護廷三番隊長から謝罪の意を込めた焼肉を奢られることになってしまった。
ギンに案内された「焼肉屋」に辿り着いて、高校生たちはあんぐりと口を開けた。そこはいわゆる高級鉄板焼の店で、一護たちが想像していた焼肉屋とは天と地ほども違いのある店だった。いくらなんでも、こんな高そうな店で奢られるわけには行かないと尻込みする、見かけとは裏腹に常識的な高校生らに、
「気にすんな」
と冬獅郎は告げた。
「黒崎たちにはそれだけの謝罪を受ける権利がある。むしろ、全然足りねぇくらいだ」
「だけど…」
「お金のことなら気にせんでええよ。護廷の隊長いうんはものすご高給取りなん。ここの店の一日分の売上全部払っても、ボクの懐はたいして痛まんし」
「おまえたちは高校生だから、酒も呑まねえしな。確かに、たいした額じゃねぇ」
平然と言い放つ護廷隊長たちに、
(こいつら、どんだけ給料もらってるんだよ)
と一護は心の中で溜息をついた。
最高級米沢牛サーロインステーキ3kg。同フィレステーキ1kg。伊勢海老、オマール海老、計14尾。青森県陸奥湾産ホタテ貝20枚に長崎県九十九島産天然牡蠣30杯。名古屋コーチン腿肉5枚。薩摩高級黒豚肩ロース2kg。大分県別府湾産城下カレイ5尾。フランス産黒トリュフとイベリコ豚の生ハム入りシーザーサラダ。新牛蒡のポタージュスープ。茹でたアーティチョークのバター焼。新潟産の丸茄子10個。富良野産高級馬鈴薯「インカの目覚め」17個etc…。
飲み物は、未成年組はイタリア産ブラッドオレンジジュースにこの店のオリジナルだという手作りジンジャーエール。護廷隊長二名は舌を噛みそうな名前の高級ワインを赤白それぞれ二本を空けた。
最初はあまりの場違いさに戸惑っていた一護たちだった。だが、ギンや冬獅郎はそんな彼らにお構いなしに、平然とした顔で超高級食材をどかどかと注文するのだ。すぐ目の前の鉄板で、これまで食べたことのないほど分厚い米沢牛サーロインステーキや超巨大な伊勢海老が焼かれ、
「どうぞ」
と差し出されてしまったら、健全な胃袋を持つ育ち盛りの高校生としてはもう食べるしかないだろう。
「すごーい。このお肉、口の中でとろける!」
「このジャガイモ、サツマイモみたいな色してるよ」
「牛蒡のポタージュなんて初めて食べたけど、おいしいんだな」
「伊勢海老をこんなに食べたの初めてですぅ」
味覚は正直だ。高いものは高いなりの理由があるのだ、と納得しつつ、高校生たちは限界まで高級食材を詰め込んだ。
「おご馳走さまでした」
声を揃えて頭を下げた高校生たちに、
「これ、お詫びなんやから」
とギンは笑って手を振った。
「市丸、これで気が済んだだろう、帰るぞ」
やれやれ、やっと任務が終わった、とほっとした冬獅郎だったが、
「まだ、帰れへん。買い物が残っとるんや」
とギンは反論した。
「あ?」
彼は胸ポケットから折り畳んだメモ用紙を取り出して、冬獅郎に見せた。
「何だこりゃ?」
シャネル、クリスチャン・ディオール、イヴ・サンローランの口紅各2本とアイシャドウ、マスカラ、ネイルカラー。ジバンシィのフェイス・パウダーに資生堂クレ・ド・ポーボーテのスキンケア用品一式、以上化粧品の部。
グッチのハンドバッグ。クロエのエディターズバッグ。フェラガモのハイヒールとブーツ。エルメスのスカーフ2枚。以上服飾雑貨の部。
カルティエ・トリニティシリーズのイヤリング。ブルガリのバングル。以上宝飾品の部。
「 松本か?」
立ち眩みしそうになりながら確認した冬獅郎に、
「そういうコトや」
とギンは頷いた。
「一発ぶん殴るの許したる代わり、言うて渡されたんやけど…」
「素直に殴られてた方が良かったんじゃねぇか?」
「冬獅郎はんもそう思う?」
「俺だったら、殴られる方を選ぶ」
「選択肢ないねん。一方的に、これで許したる、言われて」
「だろうな」
「こんなにたくさん持って帰れへん、言うたんやけどなァ。荷物持ちがおるから大丈夫、て」
「荷物持ちか、俺は?」
「あ、ボクが言うたんやないで。乱菊や」
「分かってる」
メモ用紙を横から覗き込み、二人の会話を耳にして、一護は内心で同情を覚えていた。けれども、
「そういう訳やから、織姫ちゃん。申し訳ないけど、買い物に付き合うてくれへんかなぁ?」
とギンが言い出したのに、慌てて口を挟んだ。
「何で井上を付き合わせるんだよ!? ブランド名も品番もきっちり書いてあるじゃねぇか!? 買うだけだろ!」
「やって、男二人で化粧品売り場とかうろつきまわるん、痛すぎる思わへん?」
真顔で反論され、一護は思わずデパートの化粧品売り場に佇むギンと冬獅郎の図を想像してしまった。
「…」
痛い。確かに痛い。
「織姫ちゃんがおってくれたら、化粧品売り場でもブランド・ショップでも堂々入れるし」
ギンと二人だけで化粧品売り場に足を踏み入れるのは勘弁して欲しいと考えた冬獅郎は、この点に関しては反対しなかった。
「心配しぃひんでも大丈夫やで、一護くん。確かに織姫ちゃんはものすご可愛え娘ォや思うけど、冬獅郎はんには乱菊がおるし、ボクには絢女がおるしなぁ。間違うても、手ェなんか出さへんよ?」
「べ、別に、俺は…」
ギンは織姫に向き直ると、
「な。試験前で申し訳ない思うけど、助けると思って付き合うたって」
と頼み込んだ。そんなふうに頼まれるといやとは言えない織姫は、にっこりと笑って、
「いいですよ」
と気軽に答えた。
「井上、すまない。助かる」
これでギンと二人きりでの化粧品売り場は免れた、とばかりに冬獅郎も礼を述べる。
「いえいえ、これくらいお安い御用ですぞ」
織姫自身がにこにこして了承してしまったのだから、もう反対は出来ない。釈然としない顔で黙り込んでしまった一護に、
「そない心配なら、キミも一緒に来る?」
とギンが言った。
「はぁっ?」
目を剥いた一護に、
「そうだよ、あんた、織姫に付いて行きな!」
強い口調で横から命じたのはたつきだ。
「付いてって、きっちり織姫をアパートまで送る。いいね」
「おい、たつき…」
「たつきちゃん、大丈夫だよ」
と、織姫はほわほわと笑うが、
「だーめ。今からデパートなんか行ったら帰りが遅くなる」
「夜道を女一人で帰すような真似はしねぇぞ」
と冬獅郎が口を挟んだ。だが、
「あんたたちが悪い人だとは思わないけど、目立ちすぎだよ。近所の人に見られて、あることないこと噂されちゃ、織姫が可哀そうだ」
ときっぱりと言い切られてしまった。
「たつきちゃん、やったな? キミの言う通りや。確かにボクら目立ちすぎる。…というわけで、一護くん、キミ、一緒に行くこと決定な」
ギンが有無を言わさず結論を述べ、結果として、織姫は三人の男にかしずかれる形でデパートに出かけることになったのだった。
乱菊の書いた品番までしっかり指定付きのメモのおかげで、買い物はスムーズに運んだ。化粧品、バッグ、靴にスカーフとさくさく調達し、四人は最後のミッションであるカルティエのイヤリングをゲットすべく、デパートの一角を占めるショップに足を踏み入れた。
目当ての品は店頭に飾ってあった。
高価な化粧品も、バッグも、顔色ひとつ変えずに現金払いするギンに、織姫は「護廷の隊長さんって本当にお金を持っているんだぁ」と感嘆し、一護は「こいつ、どこに札束を隠してたんだよ」と眩暈がしていた。
織姫はカルティエの店内に足を踏み入れたのは初めてだった。こんな高級な宝飾品は自分には縁がない、と思うが、眺めるだけでわくわくしてしまうのは、彼女がごく普通の女の子である証である。織姫がうっとりとショーケースの中の三連リングに見入っていると、
「気に入ったんなら、買ってやるぞ」
いきなり、冬獅郎がとんでもないことを言い出した。
「え? えええー!?」
思わず、織姫は名門宝飾店に似つかわしくない大きな叫び声を上げてしまった。
だが、冬獅郎は平然と、
「井上には世話になったのに、礼もしていなかったからな」
と続けた。
「いいよ、冬獅郎くん。別にあたし、欲しいわけじゃないし!!」
織姫は首と両手を一緒に振って、わたわたと否定する。すると、
「お礼したいいうんは分かるけど、指輪は止めとき」
と横合いから声がした。
「あ? 何でだ?」
「これはあくまで一般論やけどなぁ。女の子にとって指輪は特別なもんなんや」
「特別?」
「イヤリングやネックレスとは意味が違うアクセサリーいうことや」
と、ギンは教えた。
「例えば、カルティエのトリニティいうたら、今、織姫ちゃんが見とったリングが定番やのに、何で乱菊がイヤリングを指定したか、冬獅郎はん、分かってへんやろ? 指輪はボクがやったらあかんねん」
「…」
「織姫ちゃんは十年後くらいに、本当に好きな男に買うてもろたらええ。冬獅郎はんは買うたらあかん」
とりあえず、暴挙を止められそうな気配に、織姫はぶんぶんと首を勢いよく縦に振って賛同の意を示し、冬獅郎は不承不承頷いた。
「まぁ、でも。せっかく来たんやし、嵌めてみるくらいしてもええんと違う?」
「え、あの?」
「お姉さん、この娘にちょっとリング、試させたって」
指輪は買わない、と宣言されてしまったが、今しがたイヤリングをぽんと現金で買った男の頼みである。店員は接客スマイル全開でリングを取り出すと、戸惑う織姫の指に嵌めた。
「やっぱり、織姫ちゃんは華奢やなぁ」
「そうですか?」
「乱菊もあんな商売しとる割りに細くて華奢な手ェしとるけど、織姫ちゃんはひとまわり小さい感じや。まぁ、乱菊は女にしては大柄やから、そのせいもあるかもしれへんけどな」
「乱菊さんの指って長くて綺麗ですよね。あたしは指が短めだから、羨ましくって」
「ちっちゃくて可愛え思うで。ほんまに華奢や。織姫ちゃんの中指と乱菊の薬指が同じくらいなんと違うかな? いや、乱菊の薬指の方がちょっと大きいかもしれへんなぁ」
ん?
その場にいた全員が首を傾げた途端、
「冬獅郎はん、悪いけど、ボク、ちょっとトイレ行ってくるわ」
言い捨てて、ひらりとギンは身を翻した。
(ベタなフリをするな!!!!)
販売員のお姉さんまで含めて、全員が心の中で突っ込んだ。
ギンを一人にするなという命を受けている冬獅郎が、慌てて追いかけようとするのを一護が制した。
「俺がアイツを見張るから!」
とギンを追って店内を走り出た一護を茫然と見送って、店に残された二人と販売員の間に沈黙が落ちてきた。
「 」
「 」
「 」
「 井上」
沈黙の果て、ぼそりと冬獅郎が呼びかけた。
「何、冬獅郎くん?」
「…中指…、貸してくれ」
途端にふわりと織姫の顔に笑みが広がった。
「こんな手でよければ喜んで」
と、いそいそと販売員に手を差し出す。販売員のお姉さんも心得たもので、織姫の右中指に合いそうなサイズのリングを取り出し、指に嵌めた。
「どうです?」
「あたしにはぴったりなんですけど」
「ああ、そうですね。ちょっと緩いくらいの方が確実ですね」
と、ワンサイズ上のリングと取り替える。
「これくらいでしょうか?」
「多分…」
と冬獅郎を見る。彼は頷いた。
「それを貰う。それとそっちのネックレスも」
リングの傍に飾られていたネックレスを指し示す。
「ありがとうございます」
美しくラッピングされたリングとネックレスの箱を受け取った冬獅郎は、リングの箱をグッチのハンドバッグが納められた大きな紙袋に無雑作に突っ込むと、ネックレスの箱を織姫に差し出した。
「ほえ?」
ネックレスも乱菊へのプレゼントだとばかり思い込んでいた織姫は素っ頓狂な声を上げた後、
「だめだよ、冬獅郎くん。そんな高いもの貰えない!」
と声を裏返らせた。
「礼の気持ちだ。受け取ってくれ」
「中指貸したくらいで、そんなのダメだよ!」
「いや、中指の礼じゃねえから」
冬獅郎の表情が改まった。翡翠の双眸で真摯に見据えられて、織姫は声を飲み込んだ。店員に聞こえないように声を潜め、冬獅郎は続けた。
「井上、おまえには本当に感謝してるんだ」
「冬獅郎くん…」
「突然、押しかけた俺たちを嫌な顔ひとつせず居候させてくれて、本当に世話になった」
「そんな、あれは…」
「松本も救ってくれた」
「あたしがいなくても、卯ノ花さんが乱菊さんを助けてたよ」
と織姫は謙遜したが、いや、と冬獅郎は首を横に振った。
「卯ノ花から聞いた。井上、おまえがいなければ、命は助かったとしても、女としての松本は死んでいたんだ」
「え? どういうこと?」
「あの時、松本は子宮と卵巣を失くしていたそうだ。卯ノ花の能力は治癒だから、傷を回復させることは出来ても失ったものを復元は出来ない。事象を拒絶する井上の能力だからこそ子宮も卵巣もきれいに再生することができたんだと、卯ノ花は言っていた。松本が、今でも俺の傍で笑っていられるのは、井上のおかげだ」
「でも…、あたしは絢女さんや冬獅郎くんを…」
藍染に操られ、絢女らを殺そうとしたことを未だに悔やんでいる織姫の言葉に、
「井上は操られていただけだ。悪いのは藍染と奴の罠を見抜けなかった俺たちだ」
「でも…」
「おまえは市丸も助けてくれたろ?」
と、冬獅郎は被せた。
「あいつがあのまま死んでいたら、姉さまも、松本も、取り返しが付かないくらい傷ついてた。あいつが何を思って藍染に従い、裏切ったのかも分からないままだった。何にも真実が見えないままで終わってた」
「…」
「感謝してる。どんだけ感謝しても感謝し足りねぇくらい感謝してる。井上が礼を欲しがるような女じゃねえことも、高いもの貰ったからって喜ぶような女じゃねぇことも分かっているが、それでも、気持ちを形にしたかったんだ。こんなもんで悪ィが受け取ってくれ」
ぐいと差し出された小箱を、織姫は手に取った。
「ありがとう、冬獅郎くん」
ふわり、と笑みが浮かぶ。
「大事にするね」
彼女が受け取ってくれたことにほっとしたのか、冬獅郎の顔にも僅かに笑みが浮かんだ。
「本当はね、冬獅郎くん。あたしだって、女の子だから、こういうきらきらしたものって大好きなんだよ。冬獅郎くんがいっぱい気持ちを込めてプレゼントしてくれたんだもん、宝物にするね」
と告げながら、織姫は箱を大切そうに鞄の中にしまった。
「冬獅郎はん、お待たせや」
タイミングを見計らったように、というより、実際に見計らっていたギンが戻ってきた。目を不自然に泳がせた一護も、後ろに続いている。
「ほな、乱菊に命令された買い物もこなしたことやし、帰ろうか?」
「仕切るな、市丸。言われなくても帰るぞ」
と店の隅に山積みにして置いていたブランド品の紙袋を持ち上げながら、冬獅郎が宣言した。
一般人にも視認できる義骸に入っている以上、むやみな場所で穿界門を開くわけにはゆかない。とりあえず、一護の自宅の近くの河川敷まで戻ることになって、四人はバスに乗った。
特に話すこともなく、無言でバスに揺られていた四人だったが、いきなり織姫が、
「あ、そうかぁ」
と言うなり、一人でうんうんと頷いて納得し始めた。
「何だ、井上? 何が『そうか』なんだ?」
不思議そうに尋ねた一護に、
「市丸さんと冬獅郎くんだよ。何だか、市丸さんって、冬獅郎くんのお兄さんっぽいなぁって思ってたんだけど、」
ぴくっと冬獅郎のこめかみが引き攣り、ギンがにやぁと凶悪な笑みを洩らした。
(うわぁ)
一護が怯えて息を呑んだのにも気付かず、
「市丸さんって、冬獅郎くんの義理のお兄さんになるんだよね」
と、ひとかけらの悪意もなく、にこにこと織姫は告げた。
「井上織姫」
冬獅郎が超低音で呼びかけた。
「こいつは赤の他人だ。俺とは一切、関係なんてねぇ」
「え? でも、絢女さんと市丸さんが結婚したらお兄さんでしょ?」
織姫が悪意不在のままで追い討ちをかける。
「そうなんよ、織姫ちゃん。冬獅郎はんは可愛い弟やねん」
ぞわわ、と冬獅郎の背中をゴキブリが数十匹駆け抜けたような強烈な悪寒が走った。
「赤の他人だ!」
「若さん、ひどい」
「誰が『若さん』だ!」
「可愛い弟の冬獅郎はん」
「そういうことは、姉さまにプロポーズしてOK貰ってから言いやがれ」
途端に、にぃっとギンは哂った。
「ふーん。プロポーズしてもええんや?」
しまった、と冬獅郎は一瞬狼狽した。しかし、ここで怯んだら負けだと腹に力を入れ、
「出来るもんならやってみろ」
と、反撃した。
「姉さまに告白も出来なかったへたれのくせに」
「…」
「てめえがぐずぐずしてたせいで、姉さまがどんだけ苦しんだか分かってるのか?」
「いや、それはやね…」
「女の姉さまから言わせるなんて、へたれ以外の何ものでもねぇ」
びし、と冬獅郎は言い切った。
(市丸、この期に及んで告れなかったんだ)
(絢女さんから告白だなんて、意外…)
(見かけによらず、絢女さんが積極的なのか、市丸があんまり不甲斐ないんで痺れを切らしたのか…?)
(勇気があるなぁ、絢女さんって)
こそこそと一護と織姫は囁き交わす。
「きっついなぁ、若さん」
「てめえには学習能力はねぇのか? その呼び方はやめろと、何度言えば理解するんだ?」
「昔の若さんは可愛かったのに」
「姉さまのこと以外、覚えてねぇんだろうが。適当なことを言うな」
「確かに具体的なことはなーんも覚えてへんけどな。可愛かったいう印象だけは覚えとる」
「ほぉ、そうか?」
「どこでこないひねくれてしもたんや」
「胸に手を当てて、じっくりてめえの所業を振り返ってみろ」
「ボクのせいや、言うん?」
「てめえ以外の誰のせいだ」
一護たちの存在を忘れて言い争いを続ける二人を見遣り、織姫がくすりと笑みを零した。
「ねぇ、黒崎くん」
「ああ」
「何だかんだ言って、あの二人、仲良しだよねぇ」
彼女の見解に、
「同感だ」
と一護は深く深く、頷き返した。
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反乱終結後、空座町で市丸さんが日谷番隊長とけんかした
けんかしてないじゃん。
じゃれあってるだけじゃん。
以上、自己突っ込み完了。
いや、だって、現世で隊長格が霊圧解放とかしたらやばいし…、って言い訳を試みてみました。
本題の「けんかした」(疑問符付き)に至るまでがひたすら長いのは、「日番谷&市丸 in 現世」が書いてて妙に楽しかったからです。乱菊姐さんの指定した品々と高級鉄板焼店での食べっぷりからすると、市丸さん、一日で確実に百万円以上、もしかしたら二百万円くらいは散財してそうな気がします。全部、現金払いみたいだけど(死神さんがカード使えると思えないので)、そんだけの札束どこに隠し持ってたんでしょうね? 書いておきながら、自分でも謎です。
二人が戻ってから数日後の隊長格会議で、乱菊さんの薬指に光る指輪に、七・九番隊の副隊長がひっそりと凹んでいればいいと思います。