あなたがいるということ


 はらり、はらりと風花が舞う。
 どおぉぉん、と腹の底に響く大きな音とともに、闇夜に光の花が咲く。
 夜の帳を照らす大輪の花は舞い散る氷の花びらを照らし出し、その美しさに傍らの女たちは、
「ほぉ」
と大きな溜息をついた。
 初めて花火を見たのと同じ十番隊西修練場の屋根の上で、冬獅郎は愛しい女たちとともに、季節外れの花に見入っていた。

 師走二十日。
 この日に花火が打ち上げられるのは、最早、瀞霊廷では暗黙の了解事項であり、年中行事でもあった。
 初めて花火が打ち上げられたのは、十三年も前になる。その時に上がったのはほんの数十発。就任して数ヶ月の自隊の隊長の誕生日だと聞いて、乱菊が打ち上げたものだった。
 その翌年からは、いきなり大掛かりになった。前の年の花火によって隊長の誕生日を知った十番隊の隊士たちが我も我もと資金を出し合った為、ちょっとした花火大会並みに花火の数が揃ったのだ。それから、年々、冬の花火は数と種類を増してきた。十番隊の隊士ばかりではなく、冬獅郎が親しくしている隊長などからの資金の提供もあったし、十番隊隊長の誕生日ということとは無関係に花火を楽しみとする瀞霊廷の住人達からの寄付なども寄せられるようになったからだ。
 今年の花火は二年ぶりの打ち上げとなった。
 それだけに、主催する十番隊の力の入れ方には並々ならぬものがあったし、打ち上げを一手に引き受けてきた志波空鶴の気合もかつてないものがあった。
 昨年の師走二十日は、あの世界を揺るがせた藍染の叛乱に決着のついた空座町決戦の直後であった。決戦は護廷側の勝利に終わった。だが、護廷も無傷で勝利を手にしたわけではない。決戦の場に配備された者、瀞霊廷防衛の任に就いた者、ともに虚の攻撃を受け大勢の死傷者が出ていた。叛乱を首謀した三人の元隊長のうち、藍染惣右介と東仙要は死亡。土壇場で藍染を裏切った市丸ギンは重傷を負って護廷に拘束された。裁判の結果、ギンと冬獅郎・絢女の姉弟との思いも寄らぬ因縁が明らかになり、冬獅郎・絢女、それにギンの幼馴染である乱菊が提出したギンの助命嘆願は、「色絶無三十日」というある意味処刑よりもずっと怖ろしい刑罰によって叶えられることになった。
 刑が終了した暁には、ギンは廃人となっている。
 それは刑を知らされた者のほとんどが確信していた未来であった。
 そんな状況では、いくら冬獅郎の誕生日だからといって、花火を打ち上げるなどとても実行出来なかった。それどころか、冬獅郎や乱菊、絢女の心情を慮れば、ささやかな祝いすら憚られた。結局、十番隊隊士に出来たのは、師走二十日を何事もない普通の日として淡々とやり過ごすことだけだった。
 あの決戦から一年。
 今宵は憚ることなく花火を打ち上げることが出来る。
 一発目の華々しい尺玉が打ち上げられた直後、西修練場の中庭に集結した隊士たちは、
「日番谷隊長、お誕生日おめでとうございます」
と唱和し、屋根の上で冬獅郎は、
「ありがとう」
と返した。
    どおぉぉん、どおぉぉん
 花火は次々に打ち上げられる。
 牡丹、錦冠にしきかむろ、菊先。昔からある伝統的な花火だが、空鶴の腕は確かで美しい円を描いて見事に夜空を彩っていく。
「凄い! 今の花火、紫色でしたよ」
「浦原さんを通じて、現世の花火も研究されているそうよ。紫色って難しいと聞いたけど、さすがは空鶴さんね」
「わぁ! 今度のはハート型だよ!」
と桃が弾んだ声を上げた。
 銀冠先色蜂、天の川、土星、トラ引き、ナイアガラ。
 空鶴のたゆまぬ研究の賜物なのだろう、現世の花火大会にも遜色ない仕掛け花火なども打ち上げられ、十番隊ばかりでなく、近隣の隊舎からも歓声が上がっていた。
「シロちゃん」
と、桃が話しかけた。
「日番谷隊長だ」
と冬獅郎はしかめっ面で訂正する。
「もう勤務は終わったから、『シロちゃん』でいいんだよ。ねー、お姉ちゃん」
と桃は勝ち誇ったように告げると、傍らの絢女に同意を求めた。
「そうね」
 絢女が苦笑しながら頷いた。叛乱の首謀者であった藍染の後釜として護廷五番隊隊長に就任した絢女は副隊長である桃に対し、勤務中は「隊長」と呼ぶことを厳格に求めていたが、勤務が終わってからは昔の通りに「お姉ちゃん」と呼ばれることを好んでいた。
「でも、勤務中はダメよ、桃ちゃん」
「はぁい」
と絢女に対してはよいお返事をした桃は、
「シロちゃん。本当は乱菊さんと二人っきりで花火を見たかったんじゃないの?」
と尋ねた。「日番谷隊長」と呼ぶ気はさらさらないらしい。
「そうよ。呼ばれたから、つい来ちゃったけど、乱菊、私たち、お邪魔じゃない?」
と絢女も乱菊を顧みた。
「乱菊の誕生日の時は二人っきりで過ごしたでしょ?」
「うん。そうなんだけど。でも、去年、花火上げられなかったでしょ?」
「ええ」
「絢女、初めてだし、みんなで見たいねって隊長と話し合って呼んだのよ」
 絢女が弟に視線を移すと、冬獅郎は頷いた。
「雛森。初めてここで花火を見た晩に、藍染が言ったこと覚えているか?」
 冬獅郎の思いがけない問いかけに、桃は一瞬息を呑み、それから、
「覚えているよ」
と答えた。
「自分の産まれた日なんて覚えている人は誰もいない。信頼する人が告げた日を信じるしかない。『自分の誕生日を知っている』それ自体が既に幸せなことだ。って、確かそうおっしゃったよ」
「あの時のあいつは温厚で誠実な五番隊隊長を演じていたからな。それだって、演じた人格に相応しい台詞として選んだに過ぎねぇのかもしれない。けど、な。譬え、藍染の本心からでなかったとしても、あの時のあの言葉は正しかったと俺は思うんだ」
「シロちゃん…」
「俺の誕生日は姉さまが覚えていてくれた。姉さまは、何で俺の生まれた日を覚えてたんだ?」
 弟の問いかけに、
「あなたが生まれて嬉しかったから」
と絢女は即座に答えた。
「ああ、だから、誕生日を知っているってことは、俺が生まれたことを喜んでくれた人がいるって証なんだ」
 冬獅郎は告げた。
「姉さまが俺の生まれた日を覚えていてくれた。雛森も、ばあちゃんも、松本も、俺の生まれた日をずっと祝ってくれた。それから、こうして、部下たちが今現在も祝ってくれている。俺が存在することを喜んでくれる人がいるからこそ、誕生日は意味を持つ。だから、藍染の言ったことは正しいと俺は思っている」
 それが、一人で泣いていた幼い桃を祖母が拾った日に過ぎないとしても。
 それが、己が名は菖蒲あやめの花に因んで付けられたという微かな記憶を拠り所に、乱菊と一緒に決めた日だとしても。
 それが、飢え死にしかけていた乱菊を拾い上げた男が彼女に与えた日だったとしても。
 彼女たちがいることを幸せと感じる冬獅郎は、その日を祝いたいと願う。生きていてくれたことに、この世に、彼の前に存在してくれたことに、ともに過ごした時間のすべてに、
「ありがとう」
と告げる為にきっと誕生日は存在しているのだ。
 誕生日を祝いたい人がいる。
 誕生日を祝ってくれる人がいる。
 藍染に対する憎悪は消えてはいないが、この幸せに気付かせてくれたことだけは、今でも冬獅郎は感謝している。
「たいちょ!」
「シロちゃん!!」
 左右からいきなりぎゅっと腕に抱きつかれ、
「うおっ!」
と、冬獅郎はバランスを崩しそうになった。
「大丈夫?」
 絢女が笑いながら覗き込む。
「何とか」
と冬獅郎が応じた時、
    どん、どどん、どん
 小ぶりな花火が連続して上がった。クライマックスを告げる合図だ。
「そういえば、隊長」
「何だ?」
「今年は二年ぶりだから、最後の大玉は出血大サービスしてくれるって空鶴が言ってました」
 乱菊の言葉に、冬獅郎ではなく桃が、
「ほんと!? わぁ、どんなのが上がるんだろう。楽しみー」
と反応した。
    ひゅるるるる
 空気を斬る音と共に、打ち上げられた花火の軌跡がぐんぐんと上昇してゆく。
(どこまで上がるんだ?)
と、冬獅郎が目を瞠った時。
    どおおぉぉん
 ひときわ低く大きな音が、凍てついた空気を震わせた。
「うおぉ!!」
 修練場の中庭の十番隊士たちも、近くで見物していた他隊の隊士たちも一斉にどよめいた。
 瀞霊廷の空を覆ってしまうのではないかと錯覚するほどに巨大な花が咲いたのだ。
 一際大輪のその花は広がるだけ広がると、長く尾を引いて柳の枝のように落ちていった。
「これは、乱菊ね…」
 絢女が呟いた。確かに、その花はこれ以上ないほど大輪の乱菊に見えた。
    どおおぉぉん
 乱菊がまだ消える前に、その花に被さるように、無数の菊が咲き乱れた。
「うおぉぉ!!!!」
 再び、どよめきが上がった。
 赤、青、黄色、紫、金、白、薄紅、緑。
 とりどりの色の小菊は先ほどの大輪の乱菊に負けないほどの広い面積に、一斉に花開いたのだ。
 わずかに勢いを増した風花が、その光を受けてさらに煌く。
「空鶴、すげぇ!」
「空鶴、最高!!」
 花火師を讃える声が広がる。
 期せずして、拍手が沸き起こった。
「隊長、おめでとうございます!」
「日番谷隊長、お誕生日おめでとうございます」
 中庭の隊士たちが、口々に祝いの言葉を繰り返し、真冬の花火大会は終わりを告げた。

 閨の襖を開くと、乱菊が
「お待たせしました」
と告げるより早く、
「また、念入りに磨いていたんだな」
と冬獅郎が笑いながら告げた。
「それは…」
 乱菊はわずかに頬を染めた。
「今日は特別な日ですから」
 彼女が湯に入っている間に、冬獅郎は姉と桃から贈られた祝いの品を検めていたらしい。
「絢女たち、何をプレゼントしてくれたんです?」
 乱菊は問うた。
「姉さまは丹前だ」
と冬獅郎は答えた。絢女が手縫いした、上質な薩摩絣の綿入れ丹前を見せると、
「絢女には隊長はどこまで行っても弟なんですねぇ」
と乱菊は笑った。
「何しろ、赤ん坊だった俺のおしめまで換えてた人だからな」
と冬獅郎も笑い返した。
「あったかそうですね」
「あったかいに決まってる。姉さまの手縫いだぞ」
「雛森からは何を?」
「…写真立て」
 答えながら、冬獅郎は複雑そうな顔つきになった。その表情に、
「そんなにみょうちきりんな代物なんです? 雛森が変なものを贈るとは思えないんですけど」
「ああ、写真立てはまともだ。ただ、入ってた写真がなぁ…」
「…?」
 乱菊は桃のプレゼントが入っていた箱を手に取った。冬獅郎に断ってから箱を開ける。中に納められていた写真立ては冬獅郎の好みを考慮したらしいごくシンプルなものだった。厚みのある木材で幅一寸ほどの太目の枠が形作られているだけのものだ。枠は太いだけで何の装飾も施されてはいないが、材に紫檀を使用し、表面を滑らかに磨かれていて、えもいわれぬ存在感があった。その重厚で渋みのある写真立てに納まっていたのは、現世のグラビアアイドルばりに挑発的な水着姿でポーズを取っている乱菊だった。
「この写真…、女性死神協会の慰安旅行の時のだろう?」
 眸の色に合わせた鮮やかなセルリアン・ブルーのビキニは、マスクメロン並みの豊満な胸を申し訳程度にしか隠していない。ありていに言ってしまえば、乳首の周りが隠れているだけだ。すらりとした太ももに遮られて写真には写っていないが、下の覆い具合も似たようなものだろう。僅かに垣間見える腰の脇には紐状の布しかない。
「松本、ひとつ訊いていいか?」
「何です?」
 乱菊は怯んだ様子だった。
「こんな裸同然の水着を平気で着るくせに、何で、閨では絶対に灯りを消させるんだ?」
「海と閨は違います。それに、水着はちゃんと隠すとこは隠してます!」
「隠してるって言えるのか、これ?」
「たいちょ…、まさか、今日は灯りを点けたまま、なんて言いませんよね」
 乱菊の言葉に、冬獅郎は意地の悪い笑みを浮かべた。
「あ、それいいな」
との彼の言葉に、乱菊は失言を悔いた。
「たいちょ…、灯りは…」
 半べそ顔で訴える乱菊に、冬獅郎は、
「分かってるって」
とぽんぽんと乱菊の頭を撫でるような軽さで叩いた。
「ちゃんと消すから、心配すんな」
「ありがとうございます」
とほっとして礼を述べた乱菊は、絢女と桃のプレゼントの傍らに、もうひとつ、開いていない包みがあるのに気付いた。
「隊長、それは…?」
 瞬間、冬獅郎は何とも形容のしがたい表情を浮かべた。
「市丸からだ」
「ギン、ですか?」
「ああ。市丸から預かってきたって、姉さまに渡されたんだが…」
「ええ?」
「ろくでもねぇものが入っていそうな気がして、怖くて開けられねぇ」
 本気で中身の心配をしているらしい冬獅郎に、乱菊はくすりと笑みを零した。
「何が入っているか興味あります。開けてみていいですか?」
「ああ」
 仕方なさそうに下された許可に、乱菊はがさがさと包みを開いた。
「そんなに変なものじゃないですよ。ま、ある意味、ろくでもないものと言えなくもないですけど」
「何だ?」
「まむしドリンク」
と乱菊は一本を取り出して、冬獅郎に差し出した。
「滋養強壮、精力増強。高麗人参・ローヤルゼリー配合、だそうです」
 乱菊はさらに箱を漁った。
「現世の強壮剤の詰め合わせみたいですね。あ、バイアグラも入ってます」
「…バイアグラ?」
「はい」
「俺の記憶が間違ってなけりゃ、それ、ED治療薬じゃねえか?」
「確か、そのはずです」
「要らねぇ。つか、必要ねぇ」
「そうですねぇ」
と乱菊は声を上げて笑った。
 健康な若い牡である冬獅郎には、そんなものは確かに必要ないだろう。
「バイアグラはともかく、他の強壮剤は残業続きで疲れている時とかにいいかもしれません。アイツにしてはわりかしまともなプレゼントだと思いますよ」
 冬獅郎は先ほど手渡されたまむしドリンクの効能の欄を無言で眺めていたが、いきなり、乱菊に瓶を突き出した。
「松本、これ、飲んどけ」
「はぁ?」
「いっつも、おまえの方が先にへばるだろ?」
    
 乱菊はまむしドリンクと恋人の顔を交互に見比べた。
「隊長…」
「何だ?」
「…あの…、どういうこと…です?」
 乱菊が本気で怯えているのを見て取って、冬獅郎は、はっ、と短い笑いを洩らした。
「心配するな。別におまえにこれ飲ませて、手加減なしでヤろうなんて考えてねぇぞ」
「だったら、何で…?」
「前もって飲んでおいた方が疲れが軽いみたいだからな。おまえが楽だろうと思っただけだ」
「…」
 乱菊はドリンク剤の蓋を開けた。ぷんと薬くさい香りが鼻先を掠める。
「まずそう…」
「医薬部外品っつっても、一応、薬だからな。おいしくはねぇだろう」
 くんくんと香りをひとしきり嗅いだ後、乱菊は鼻をつまんで、ドリンク剤を一気に流し込んだ。
「うえぇ、まずい〜」
「そんなにか?」
「そんなに、です」
 飲み慣れないせいもあるのかもしれないが、薬くさいばかりでなく、僅かに生臭さもあって、乱菊は眉を顰めた。
「ふうん?」
 いきなり、冬獅郎が口接けた。
 突然のことに目をまん丸に見開いて硬直する乱菊の唇を舌で丁寧に拭い、更に口腔に侵入すると乱菊の舌を絡めとった。
「…う…、ふ…」
 乱菊が身を捩ると、冬獅郎はあっさりと彼女を解放した。唇を手で拭いながら、
「確かにまずい」
と彼は同意した。
「これ、飲んだ後はうがいだな」
 彼の言い草に、乱菊は脱力した。両手を畳に付いてがっくりとうなだれた乱菊の身体を、冬獅郎は引き寄せた。
「乱菊」
 二人っきりの時だけの呼び名を耳許で囁くと、乱菊はふるっと身体を震わせた。
「おまえからのプレゼントが欲しい」
 乱菊から誕生日に欲しいものを尋ねられた時、彼は物は要らないと答えた。その代わり、乱菊にしか出来ないことを誕生日の晩に教えるから、それをして欲しいと告げたのだ。
「何です、たいちょ…?」
 冬獅郎の望みに見当がつかず、どんなことを要求されるのだろうと不安で緊張している、外見や言動とは裏腹に初心うぶな女に、
「冬獅郎」
と、彼は自分の名を音にした。
「え?」
「今の俺は『隊長』じゃねぇ。ただの、『日番谷冬獅郎』って男だ」
「たいちょ…」
「だから、『隊長』じゃねぇ」
 ふっと、乱菊の身体から緊張が解けた。その様子に、再び、はっ、と冬獅郎は哂った。
「おまえ、俺に何させられるかって怯えてただろ?」
「そ…、そんなこと…」
「どういう想像をしてたのか、ちょっと追及してみたい気もするが…」
「たいちょ〜」
「だから、さっきから言ってるだろ? 『隊長』じゃねぇって」
 冬獅郎は乱菊の身体を離した。翡翠の眸が乱菊を射抜き、彼女は再び緊張した。
「…とう…しろうさん」
 躊躇いながら、口ごもりながら、乱菊は彼の名を呼んだ。
「お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう」
 再び、彼は乱菊を引き寄せた。
 唇が重なる。
 乱菊の唇はいつもの甘さを湛えており、もう薬の味はしなかった。
 何度も、何度も、貪るように接吻キスを繰り返しながら、冬獅郎は乱菊を夜具の上に押し倒した。
「…灯り…」
「分かってる」
 部屋の照明を落とし、枕もとの行灯の灯りをぎりぎりまで絞ると、ようやく乱菊は腕を冬獅郎にまわしてきた。
「たい…、冬獅郎さん…」
 乱菊にとっては「隊長」と呼ぶ方が自然なことだから、意識していないとうっかりと呼ぶ名を間違えてしまう。
「冬獅郎さん…」
 鼻にかかった甘い声で名を呼ばれる、それだけで、冬獅郎の全身を疼くような痺れが走り抜ける。「冬獅郎」という名は、絢女や祖母や浮竹ら親しい隊長たちも呼ぶが、乱菊の呼ぶ声は特別な呪力が秘められているようだった。
「乱菊」
 冬獅郎もまた、愛しい女の名を呼びながら、彼女の精緻な貝殻のような耳朶を甘噛んだ。
「あ…、たいちょ…」
「冬獅郎」
 優しく訂正しながら、舌先を耳に挿し入れると、
「…あ、ああ、…とう…しろう…さん」
と、乱菊は身体を震わせた。
 花火の時から舞っていた雪の華は、夜が更けて本降りになったらしい。
 寝間の外で降る雪が雨戸をこする衣擦れに似た音が、乱菊の細い喘ぎに重なった。
「明日は積もっていそうだな」
 睦言でも何でもない日常会話なのに、耳許で囁くように流し込まれるだけで媚薬を注がれたように乱菊は身を竦める。耳たぶが感じやすいことを知り抜いている冬獅郎は、殊更に息を吹きかけ、囁くように名を呼び、彼女の昂ぶりを呼び覚ましてゆく。
「…と…しろうさん…」
 彼は乱菊の夜着の胸元を開いた。それまで、布越しに慰んでいた乳房を、掌で直接に包み込む。直に触れられたというだけで、びくり、びくり、と跳ねる身体を左腕だけで押さえ込み、冬獅郎はゆっくりと右手で乳房を捏ね回した。
「身体、跳ねてるぞ」
「あ…、たいちょ…と…しろ…さん、そこ…」
「ここが?」
 僅かに指先に力を込めて、冬獅郎は頂上の蕾を軽く潰した。
「ああ、そこ…」
「何だ?」
「そこ…」
「感じるのか?」
 再び、毒のように低音の囁きが流し込まれ、乱菊は白い咽喉を仰け反らせて身震いした。
 右手の指が乱菊の乳首を弄んだ。つまみ上げ、擦り、あるいは上から軽く潰し、好き放題に慰まれる刺激に、乱菊の咽喉から細い悲鳴が洩れる。
「ひ…、ひ…ぁ、あン…、あ…」
 冬獅郎の唇が反対側の乳首を含んだ。
「んあ!!」
 仰け反ったせいで浮き上がった背中に素早く左手を廻し、夜着を引っ張ると、前が完全にはだけた。結んだままの腰帯が腹部に絡みついているのが妙に扇情的で、冬獅郎は腰帯をそのままにして、左手で腰を撫で擦った。
 くちゅくちゅとわざと音を立てて乳首を吸いたてながら、反対の蕾を右手の指で弄い倒す。左手は腰の敏感な場所を撫でるように軽く往復することを繰り返す。そうやって、上半身を構っていると、やがて、ゆうらり、ゆらりと乱菊の腰が揺れ始めた。官能に身を任せ、快楽を求め始めた証だ。
 す、と冬獅郎の左手が下がった。乱菊の淡い繁りを、彼の掌が軽く押さえる。それから、親指を除く四本の指でゆっくりと毛流れに逆らうように、下から上に向かって撫で上げた。
「ふ…、くふ…ん…」
 仔犬が甘える時のような鼻にかかった息が洩れた。冬獅郎の背中に廻した乱菊の手が、縋る場所を求めるかのように彼の背骨に沿って彷徨った。
「…たい…ちょ…」
 甘やかな呼び声を、
「冬獅郎」
と囁き声で訂正し、彼はそっと蜜壷に指を浸した。
「…あっ…、たいちょ…」
「冬獅郎」
「…と…しろう…さん、そこ…」
「ここがいいのか?」
とさらに壷の奥深くまで指を挿し入れ、ゆっくりと攪拌する。
「ひあっ!!」
 乱菊の身体が大きく跳ねた。あふれだした愛蜜が冬獅郎の指を濡らす。一度、指を引き抜くと、彼の左手はぬるめの葛湯をかけられたようにぬらぬらと光っていた。
 再び、指を入れ、攪拌を繰り返す。同時に抜き差しを加えると、とろみのある蜜が本当に泡だって来るような心地がした。
「あ…、たいちょ…、…あふ…あ…、と…しろ…さん…」
 快楽に溺れゆきながらも、残った理性が「隊長」ではなく「冬獅郎」と呼ばなければと訴えるのか、呼びかける名を必死になって訂正するさまが、何ともいえずいじらしい。
「…と…しろさん…、も、許して…、も…お願い…」
 いつもよりも緩やかに時間をかけて愛撫され、身体は熱しきっていた。それなのに、焦らしているのか、決定的な刺激が与えられない。火照った身体も、融け崩れそうで崩れない意識も、何もかもがもどかしく、快楽と表裏一体の苦しさに、乱菊はとうとう、
「いかせて…」
と哀訴した。
「お願い、も…いかせて…、たいちょ…お願い…」
 突然、指が引き抜かれた。同時に、胸を嬲り続けていた右手も、胸から腰の辺りを愛撫していた唇も離された。全ての刺激が失われ、乱菊の耳に降る雪が雨戸を滑り落ちる音だけが響いた。
「…あ…、冬獅郎さん」
 不安に駆られた乱菊の眸が頼りなく彷徨ったその時。
 ずぶっと、滾りたった冬獅郎の分身が、いきなり乱菊を貫いた。
「やあぁ!!」
 乱菊の四肢が、がくがくと激しく痙攣した。
 だが、まだ達せない。冬獅郎が敢えて浅めに挿入し、奥を突き崩さなかったからだ。
「…たいちょ…、たい…ちょ…、ふ、あふ…、あ…」
 乱菊の中は抜き差しの一回ごとにきつく締まり、さらに冬獅郎のものを奥へと引き込もうと蠢いた。最早、呼び名に注意を払う理性は消え去ってしまったか、呼び慣れたいつもの呼称で乱菊は譫言のように、
「…いかせて…、も、いかせて…、たいちょ」
と哀願を繰り返した。
 冬獅郎は強く腰を打ちつけながらも、巧みにその強さと深さをコントロールして、乱菊を達する寸前に留め置いていた。乱菊は我から腰を揺らし、
「ふ…、…くふ。…たいちょ…、…いかせて…」
とよがりながらも、訴え続けていた。
「…いかせて…、ひぁ…あ…、もう、許して…」
 何度、繰り返したのかしれない願いの果て、
「乱菊」
 甘美な媚薬に似た低い囁き声が、乱菊の耳に流し込まれた。
「一緒に飛ぼう」
 同時に猛り狂った牡が、乱菊の奥底にまで突き込まれた。
「あ、あ、あ!!」
 乱菊が強く冬獅郎に縋りついた。背に指を食い込ませるほどにきつく縋ったせいで、左の中指の爪が彼の皮膚を裂いた。
 背に感じるずくずくと熱を持った痛みに陶酔しながら、冬獅郎は自らの牡をさらに深く捻じ込むように押し入れた。
「たいちょ、たいちょ、あっ、ああぁ!!!!」
 押し潰されると錯覚を覚えるほどに圧倒的な強さで、乱菊の中が締まった。冬獅郎が噴き出した熱い精に灼かれ、乱菊はついに達した。四肢が一瞬完全に硬直し、そして、へなへなと崩れ落ちた。

 ぎりぎりまで落とされたささやかな行灯の灯りを頼りに、乱菊はそっと冬獅郎の髪に触れた。
 途端に、閉じられていた彼の瞼が開いた。
「すみません。起こしちゃいました?」
「いや、起きていた。おまえこそ、眠ってるかと思ってた」
「何だか、寝付けなくて」
「俺もだ」
と答えた後、冬獅郎は気遣うように、
「身体、平気か?」
と尋ねた。
「大丈夫です…。まむしドリンク、効いたみたい」
 乱菊の答えに、冬獅郎はくぐもった笑いを洩らした。
「それは良かった」
「せっかくのギンからのプレゼントですけど、隊長は飲んじゃダメですよ。これ以上、元気になられたら、あたし、本気で保ちません」
「おまえ専用にする。結果的に、俺の役に立つんだからいいだろう」
「どういう理屈です?」
「ただし、飲んだらうがいだぞ。あんな薬くさい接吻キス、興ざめだ」
「いくら疲労回復にいいからって、あんなまずいもの飲ませておいて、どの口が言いますか?」
「この口」
 くすくすと床の中で笑い合っていた二人だったが、急に乱菊が表情を改めた。
「どうした?」
 冬獅郎が不審気に乱菊を覗き込むと、
「もうすぐ、日付が変わります」
と、乱菊はおごそかな口調で宣言した。
「ああ、俺の誕生日が終わるか」
「はい」
 乱菊は頷くと、まっすぐに冬獅郎を見つめた。
「だから、日付が変わる前に言わせて下さい」
 冬獅郎もまた、まっすぐに乱菊を見つめ返す。
「冬獅郎さん。お誕生日おめでとうございます。それから、ありがとうございます」
と、乱菊は息を継いだ。
「生まれてきて下さってありがとうございます。あたしの隊長でいて下さってありがとうございます。あたしを愛して下さってありがとうございます」
 冬獅郎は乱菊を抱きしめた。
「乱菊。今のおまえの言葉、全部、おまえに返す。生まれてきてくれてありがとう。傍にいてくれてありがとう。愛してくれてありがとう」
 彼が言い終わるのと同時に、日付が変わった。
 師走二十日が終わった。


《参考サイト》
  花火情報館
  打上げ花火の名前

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 2周年記念リクエスト小噺 その1

 2周年記念リクにご応募下さったかかさまのりクエストで「冬獅郎と乱菊が結ばれた後の冬獅郎の誕生日の話(裏アリ)」です。
 例によって例の如く、生ぬるエロで、そこに至るまでの前フリがやたら長い代物ですが、ご期待に少しでも添えていれば幸いです。
 BGMはかなり昔の曲ですが、中島みゆきの「誕生」。心情的にぴったりの曲だったので。

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2010.08.12