華麗なる結晶


 表に出た途端、生ぬるく湿った空気に包まれ、冬獅郎は不愉快そうに眉間の皺を深めた。
「雨が止んだのはいいですけど、蒸しますねぇ」
と、乱菊がどんよりと垂れ込めた雲を見上げて呟いた。
「明日は晴れるらしいが、この様子だと暑くなりそうだな」
 斬魄刀の影響なのか、寒い分にはちょっとやそっとの寒波は平気な冬獅郎だが、暑さには弱い。うんざりと溜息を吐いて、冬獅郎は歩み出した。その後ろをきっちり三歩分の距離を保って乱菊が従う。
 今日はこれから、隊長格の宴会がある。
 先日、三番隊と五番隊で相次いで人事異動があった。副隊長が交代したのだ。
 三番隊は先代の隊長の頃からずっと副隊長を努めていた男の引退に伴って、第四席の地位にいた吉良イヅルが副隊長に昇格した。第三席を飛び越えての副隊長就任であったが、三番隊隊長である市丸ギンが彼をいずれ副隊長に据えるつもりで五番隊から引っ張ってきたというのはとっくに公然となっていたので、特に混乱や不満は出なかった。むしろ、前の副隊長をよくここまで使い続けたという声が大勢を占めていただろう。
 前の副隊長が年齢的にも死神引退を考えており、予定調和で人事異動がなされた三番隊と異なり、五番隊の副隊長交代は事故による慌ただしいものだった。五番隊の副隊長が討伐に失敗し、大怪我を負ったのだ。怪我自体は相当な重傷とはいえ四番隊の力をもってすれば回復可能であったのだが、自らの判断ミスで連れていた多くの部下を死傷させてしまった心の傷は深く、副隊長を続ける自信がないと辞任を申し出たのだ。隊長である藍染は慰留したが、副隊長は譲らず、最終的に降格を受け入れた。降格した副隊長は五番隊に在籍することも辛そうな様子だったので、異動が決まった。七番隊の第五席を五番隊に譲り受け、空いた七番隊の席次に元副隊長が入ることになったのだ。五番隊は五席から三席がそれぞれ席次を繰り上げ、結果、第三席が新たな副隊長に任命された。
 五番隊の第三席は、冬獅郎の幼馴染の雛森桃だった。霊術院時代に虚に襲われていたところを藍染に救われ、以来ずっと彼を尊敬し、彼の役に立ちたいと目指していた桃は、ついに目標としていた場所を手に入れたのだ。
 家族同然の幼馴染としては喜んでやるべきなのだろう。だが、手放しに祝ってやれないのは、冬獅郎が桃のことを兄が妹を護るような意味での保護対象とみなしているからだ。見かけだけならむしろ桃は「姉」と呼ぶべきであろうが、幼い外見とは裏腹に老成した冬獅郎と異なり、桃は何事においても子供っぽかった。「鬼道の達人」などと呼ばれる桃の、死神としての実力は認めていてもなお、冬獅郎にとって桃は護るべき妹なのだ。憧れの隊長の副官に抜擢された昇進を喜ぶ心境より、彼女に副隊長が務まるだろうかと案ずる気持の方がずっと強い。このあたりが、乱菊から、
「隊長は過保護ですねえ」
と笑われる所以であろう。
 今日の宴会は桃とイヅルの隊長格昇進を祝う席である。
「あつう…」
 じっとりと滲みだした額の汗を乱菊が拭う。冬獅郎も、
「もう日が落ちるってのに、暑いな」
と湿気のせいで膚に纏いつく死覇装の裾を払った。

 祝いの席とは言っても、山本が総隊長として訓示を述べ、京楽の音頭で乾杯してからはいつもの宴会と別段変わることなく過ぎていた。
 桃とイヅルは副隊長としては先輩であり、席官の頃から親しくしていた修兵や乱菊に囲まれている。
 冬獅郎はいつもの宴会の時のように、京楽や浮竹といた。それでも、新たに隊長格に加わった幼馴染のことが気になるのか、時折、視線を走らせているのを認め、京楽が苦笑を滲ませた。
「やっぱり、桃ちゃんが気になる?」
「…ああ。馬鹿なことをしやしないかとな」
と皮肉な口調を作る冬獅郎に、京楽も浮竹も、
(素直じゃないなぁ)
と内心では笑いを禁じ得ない。
「シロちゃぁん!」
 突然、幼い時のままに呼び掛けられて、冬獅郎はぎょっとした。無邪気に、悪びれずに、冬獅郎に向かって手を振る桃に、
「あいつ、何考えてやがる」
と冬獅郎は苛立った表情を見せた。
「呼んでるよ、行かないの?」
 京楽が緩い笑みを浮かべて尋ねた。冬獅郎は溜息を吐くと、
「ちょっと注意してくる」
と立ち上がり、桃たちの方に歩んでいった。
 桃は近寄ってきた冬獅郎に顔いっぱいの笑みを浮かべ、
「シロちゃん、あのね、」
と話しかける。だが、それを遮って、
「日番谷隊長だ」
と、冬獅郎はきっぱりと言った。
「え?」
「宴席とはいえ、隊長格の集まりだぞ。けじめをつけろ、雛森副隊長」
 容赦のない厳しい声音に、修兵やイヅルは竦み上がる。桃も声音を改めて、
「申し訳ありません、日番谷隊長」
と謝罪した。
「今後、気をつけろ」
 渋面を崩さぬまま、戻ろうとした冬獅郎の腕を桃が掴み止めた。
「日番谷隊長、お願いがあるんですけど」
 先ほどの謝罪もどこへやら、けろりと言ってのけた桃に、
(全然、堪えてねぇ!?)
(つか、むしろ気にしてねぇ)
(雛森、恐るべし…)
と周りの副隊長連の方が恐々となった。
「久しぶりに、あれ、やってほしいんです」
 語尾こそですます調だが、口調も限りなくタメ口に近い。
「あれって何だよ?」
 眉間の皺を極限まで深め、この上もない仏頂面で冬獅郎は問い返す。この不機嫌全開の表情だけでイヅルなどは震えあがっているのだが、桃はこれっぽっちも気にしていない様子で、
「昔、シ…日番谷隊長が氷輪丸を始解したばっかりの時、氷輪丸を操る練習でよくやってくれたでしょう? 氷で花とか動物とかの彫像を作るの」
    
「ほら、今日って、すごく蒸しているじゃないですか。みんなで何か涼しくなることないかな、って話してて」
    
「ね、日番谷隊長、お願い」
 可愛く両手を合わせた桃に、
「おまえ、そんなくだらねぇことで俺を呼びつけたのか?」
 不機嫌のゲージを跳ね上がらせて、冬獅郎は返した。
「えー、くだらなくないよう。いいじゃない、減るもんじゃなし」
 最早、ですます調すら崩れて完全にタメ口になった桃が口をとんがらせる。
「おまえ、」
 拳を握り込んだ冬獅郎が怒鳴りつけようかとした時、ぐいと腕を引かれ、冬獅郎はその場に尻餅をついた。
「なっ!?」
 顧みると、いつの間にかにじり寄って来ていた副官が彼の腕を掴んだままに、上司の顔をじっと見つめていた。
「…何だよ?」
「氷の像って、隊長、そんなの作れるんですか?」
 冬獅郎は溜息をつくと、乱菊の手を払った。
「昔、氷輪丸の能力を確認するために試しただけだ」
と答えた彼に、
「隊長、見せてください!」
と乱菊は身を乗り出してきた。
「あ?」
「あたし、そんなの見たことありません。隊長、見せてください」
 乱菊という味方を得、勢いづいた桃が、
「そうだよ、日番谷隊長。披露してみて」
と畳み掛ける。
「てめえら…。氷輪丸はおもちゃじゃねえんだぞ」
「分かってますよう」
と乱菊は再び冬獅郎の腕を掴むと、自分の胸に押し付けた。
「でも、あたしは隊長の副官ですよ? 他隊の副隊長が知っている隊長の能力をあたしが知らないなんて副官として納得いきません」
 台詞だけ追えば真っ当な主張であるが、艶っぽい流し目を作り、お強請りモードの口調では説得力に欠けること夥しい。
「そうだよ。乱菊さんの言う通り」
と桃も反対側の腕を掴んで、冬獅郎を揺すった。
「出し惜しみしないでよ」
「隊長、見せて下さいよー。見たいー」
 かたや、護廷一の美女との呼び声も高く、瀞霊廷通信の死神アンケートでは「恋人にしたい女性死神」部門と「抱いてみたい女性死神」部門で三十年首位を独走し続けている妖艶美女。かたや、愛らしい童顔が高好感度で「妹にしたい女性死神」四年連続第一位、昨年は「お嫁さんにしたい女性死神」部門でも一位に立った愛玩系美少女。
 護廷の男性死神の劣情を刺激してやまない二人の女死神に挟まれ、がくがく揺すぶられながらお強請りされるなど、傍から見ている男にとっては垂涎ものである。だが、冬獅郎は仏頂面を崩さず、苦々しげに二人を見比べている。
(何でだっ!? 何で、乱菊さんにあんなにお強請りされて平然としてられるんだ!?)
 これは修兵の魂の叫びである。
(日番谷隊長、羨ましい…。腕が…腕が…松本の神々の谷間に…!)
 これは鉄左衛門の羨望の声。
(雛森くんにあんなふうに甘えられるなんて…)
 イヅルの溜息。
「ねぇってばぁ、たいちょ」
「日番谷隊長、お願い」
と乱菊と桃は声を揃えて懇願を続けている。
 甘え声を出す二人の近しい女たち。涎を垂らさんばかりに見守る男性副隊長たち。何事かとこちらをみている京楽や浮竹の視線。
 ついに何かが切れたらしい。
「あー、もううぜえ!」
と冬獅郎は吐き出した。
「やりゃ、いいんだろうが、やりゃあ!」
 隊長の威厳を外し、柄の悪い少年のように居直った冬獅郎に、
「やった!」
「シロちゃん、ありがとう」
と五、十番隊の副隊長は顔をほころばせた。ぱちん、と掌を打ち合って喜ぶ二人を呆れを滲ませた半目で見遣り、
「で?」
と胡坐をかいた冬獅郎はぞんざいに尋ねた。
「何を作る?」
 桃が小首を傾げた。
「そうだなぁ…」
 わずかに考え込む素振りを見せた桃だったが、すぐに、
「あれがいい」
と部屋の隅を指差した。そこには経机が据えられており、紫陽花を活けた花瓶が飾られていた。
「また、面倒くせぇモンを…」
 ぶつくさと口の中で文句を言いながら、冬獅郎は両掌を並べて胸前に差し出した。桃たちが見守る中、みるみるうちに氷の結晶がその掌に現れ、紫陽花の花を形作った。
「ほら」
 冬獅郎は紫陽花の一枝を桃に手渡した。
「うわぁ…」
 乱菊が目を瞠り、桃たちの遣り取りをはらはらしながら見守っていた勇音や七緒も、
「なんて綺麗…」
と感嘆の声を上げた。
「おまえは、松本?」
 尋ねられ、乱菊ははっとして冬獅郎を見返した。
「いいんですか?」
「何だよ、さっきまで見たい、見たいって騒いでいやがったくせに」
「あ…、じゃあ」
 乱菊は、
「あたし、乱菊が欲しいです」
と己と同じ花の名を口にした。冬獅郎は頷くと、先ほどと同様に救い上げるような手つきで掌を上げた。
 すぐに乱菊は現れた。桃に渡した紫陽花は完全に透明な結晶だったが、この菊花は茎や葉の部分は透明で、花の部分は半透明の摺り硝子状に仕上げた凝った造りになっている。
「綺麗…」
 乱菊がうっとりと呟いた。かすかに笑みを浮かべた冬獅郎は七緒に目を向けた。
「伊勢は何がいいんだ?」
「え?」
 自分にまで声がかかるとは考えていなかったらしい。七緒が面喰った表情で絶句していると、
「こいつらにだけって訳にはいかねぇだろう?」
と冬獅郎は漢前なことを言った。
「虎徹も何がいい? 花でも動物でも何でもいいぞ。ただし、俺が形を思い浮かべられねぇもんは作れないが」
「よろしいのですか…?」
 遠慮がちに尋ねる七緒の脇から、
「ひっつー、仔犬!」
といつの間にか剣八から離れてきたやちるが強請った。
「ほらよ」
 簡単に掌サイズの仔犬を捻りだした冬獅郎に、
「わーい」
とやちるは歓声をあげた。
「剣ちゃん、見て、見て! 仔犬だよ」
 剣八に見せびらかしに去って行ったやちるから、冬獅郎は七緒に視線を戻す。
「あの、ではお言葉に甘えて…。金魚をお願いします」
「わかった。伊勢、手を出せ」
 差し出された七緒の掌に愛らしい金魚が乗った。
 勇音に四番隊の隊花である竜胆、砕蜂にやはり隊花の翁草、卯ノ花には百合、ネムに林檎と、冬獅郎は女性隊長格に一通り氷像を作ってやった。
「日番谷隊長、これは溶けてしまわないのですか?」
 卯ノ花が尋ねた。蒸し暑い梅雨の宵だというのに、雫さえ現れず形を保っている氷像に首を傾げた卯ノ花に、
「梅雨明けくらいまでは持つだろう」
と冬獅郎は応じた。
「梅雨明け?」
「日番谷隊長は暑いの苦手だから、夏になると溶けちゃうんです」
と冬獅郎の後ろから顔を覗かせた桃が解説した。
「俺の霊圧で保っているからな」
 冬獅郎が補足した。
「夏は暑くて余力がなくなるから溶けてしまうな。それと、討伐で卍解したり、現世に出張して霊圧が届かなくなると溶ける」
「つまり、いつ溶けるかは仕事の状況と気候次第なんだ?」
と京楽が納得顔で頷いた。
「なるほど。突然溶けても大丈夫なように、皿にでも乗せておけばしばらくは飾っておけるんだな」
と浮竹が言った。
「よかったな、卯ノ花隊長。執務室に飾っておくときれいだぞ」
「ええ、そうですね。ありがとうございます、日番谷隊長」
 にっこりと微笑んだ卯ノ花が改めて礼を述べた時、
「隊長、いいこと思いつきました!」
と乱菊が手を挙げた。
「何だ?」
 警戒心いっぱいで身構える冬獅郎に、
「これ、瀞霊廷通信の連載にしましょう」
と彼女は提案した。
「はぁっ?」
 思いっきり嫌そうな顔つきになった冬獅郎を意に介さず、
「あ、いいねぇ、それ」
と京楽と浮竹が賛意を示した。
「よい考えだな」
 瀞霊廷通信の編集長である東仙も頷いた。彼の手には砕蜂の翁草があった。盲目の東仙はその氷像を丁寧に指でなぞって、
「とても良く出来ている。見えないのが残念だが、さぞかし綺麗なのだろう」
と口許に笑みを浮かべた。
「文章を書くのは苦手だと言っていたけれど、これなら連載出来るんじゃないかな?」
 穏やかに言われて、冬獅郎は詰まった。隊長格のほとんどは瀞霊廷通信の執筆陣に名を連ねているのだが、冬獅郎は人が読んで楽しめる文章を書くのは無理だからと断っていたのだ。
「読者プレゼントにしてもいいですね」
 副編集長の修兵も乗った。
「いつ溶けるか分からねぇんだぞ?」
 冬獅郎は反論したが、
「そのことはきちんと説明した上でなら大丈夫でしょう」
と修兵は応じた。
「ああ、いいな」
 東仙がもう一度、頷く。
「日番谷隊長、せっかくだから連載したらどうだい?」
 桃の上官である藍染も言葉を添える。すっかり包囲網に囲まれてしまっては、冬獅郎も白旗をあげるしかなかった。桃と乱菊にしつこく強請られて、うっかり乗ってしまった自分の浅はかさを悔やみつつ、
「秋からでいいか?」
と冬獅郎は東仙に告げた。

******************************************

 梅雨のころ、雨上がりに隊長格の飲み会で乱菊さんが雛森と共闘する

 共闘っていうか、共同戦線でお強請りです。時間軸としては叛乱の三、四年くらい前を想定しています。ルキアちゃん現世駐在の直前に副隊長になった恋次は従って、この話の時点ではまだ十一番隊の席官。砕蜂さんも夜一さんと和解する前です。だから、作ってもらったのは翁草。叛乱後なら迷わず猫を頼むんでしょうけどね。
 カラブリ・ネタの「華麗なる結晶」。読者プレゼントしてたけど、溶けないのかな、という疑問から生まれた小噺です。夏の間は休載になるのも、プレゼントどころか作った傍から溶けてしまうから、っていう解釈ですがいかがなものでしょう。

駄文倉庫に戻る
トップへ戻る
2011.07.09