時の彼方、帰る場所


 潤林安の外れだと、冬獅郎は思った。
 雪原にすっかり葉を落とした大木がぽつんと立っていた。その大木に冬獅郎は覚えがあった。潤林安の外れ、四番区との境に近い草原に孤高に枝葉を聳えさせている銀杏の雌木だ。かつて祖母と共に潤林安に暮らしていた頃、秋になると桃と一緒にここまで遠出して、祖母への土産に山ほど実を拾ったものだ。
 いつのまに、ここに来たのだろう
 冬獅郎は不思議に感じて、改めて古馴染みの大木を眺めた。この時、初めて、彼は大木の根元に人影を認めた。
 子供が二人、銀杏の近くで何やら動き回っている。しばらく観察して、二人が雪だるまを作っているのだと分かった。一心不乱に、時にきゃっきゃとはしゃぎ声を上げながら、子供たちは雪玉を積み上げていた。よく見ると、二人の周りには夥しい数の、高さ一尺ほどの雪だるまが群がっていた。
 子供は外見年齢でいうと冬獅郎と同じか、もう少し大きいようであった。一人は冬日にきらきらと輝く金の髪をした女の子で、もう一人は雪原に溶けてしまいそうな銀の髪の少年だった。少年の方が幾分か、少女よりも上背があり、年上であるように見受けられた。
(松本? それに、あれは    市丸か?)
 冬獅郎は不意に悟った。
 雪だるまを作っている子供たちが、自分の副官と同僚の隊長であることを。
 乱菊も、ギンも、実際はあんな子供ではない。そして、冬獅郎は二人の幼い頃を知らない。それなのに、どういう訳か、目の前で無邪気に雪遊びに興じる子供たちが乱菊とギンであると確信があった。二人が仲良く、雪だるま作りに励んでいることをおかしいとも感じなかった。
 乱菊が何事か思い付いた様子で、ギンを手招いた。駆け寄ったギンに耳打ちすると、彼は頷いた。冬獅郎が見守る中、二人は力を合わせて、大きな雪玉を作り始めた。どうやら、小さな雪だるまに飽いた乱菊が、大きなものを作りたいと言い出したようだ。
 雪玉が乱菊の腰ほどの大きさになったところで、それ以上に大きくするのを止めて、新しい雪玉に取り掛かった。製作を頭に移したと見えた。時間をかけて、一回り小ぶりな雪玉を作ると、念入りに叩いて固める。それから、二人して雪玉を持ち上げた。
 よろよろと危なっかしい足取りで最初の雪玉に近付くと、上に運んできたもう一つの雪玉を重ねた。乱菊の肩よりやや低いくらいの身の丈になった雪だるまを、ギンと乱菊は満足そうに眺める。ギンが乱菊の真っ赤にかじかんだ手を取ると、はぁっと息を吐きかけた。それから、掌で彼女の手をさすり、更に息をかけた。凍えてしまった彼女の手を温めようとしているのだ。
 乱菊が何かを告げて、ギンの手を外した。冬獅郎に背を向けて佇んでいた彼女が、おもむろに振り返った。
(姉さま!?)
 振り向いた乱菊は、姉の絢女に変わっていた。最後に会った時の大人の絢女ではない。現世で死んで、冬獅郎と二人、尸魂界に流された当時の少女だった絢女だ。
 冬獅郎に気付いた絢女は、笑みを浮かべた。懐かしい、優しい声が弟を呼ぶ。
「冬獅郎、どうしたの? おいで」
「姉さま!」
 思わず、冬獅郎は駆け出した。いつしか、彼もまた、幼子に還っていた。
「姉さま、姉さま!」
 夢中でしがみついてきた弟を柔らかく受け止め、
「どうしちゃったの?」
 絢女は宥める口調で尋ねる。子供の小さな手が、冬獅郎の頭を優しく撫ぜた。
 どうして、こんなに胸が苦しいのか。
 泣き出したいくらいに切ないのか。
 幼い冬獅郎には見当もつかず、説明する言葉も持たなかった。ただ、訳も分からずに姉を呼び続ける彼の頭を、姉とは別の手がぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
  は甘えんぼさんやなぁ」
 独特の訛りの柔らかな声音が苦笑を含ませて響いた。見上げると、ギンが穏やかに笑っていた。「甘えんぼ」と言われ、むぅと不満顔になった冬獅郎の頬を痛くない程度の絶妙な力加減で、ギンは摘んだ。
「雪だるま、作りたかったんなら、はよ、言えばええのに」
 言いながら、彼は冬獅郎の脇下に腕を差し入れ、ひょいと抱え上げた。それから、雪だるまの上に冬獅郎を乗せた。
「眺め、ええ?」
とギンに訊ねられ、
「うん!」
と冬獅郎は即答した。
 雪だるまに乗ったことで、彼の視線はギンよりも絢女よりも高くなった。いつもは、絶対に目にすることが出来ない二人の旋毛が見える。何だか得意な気分になって、冬獅郎は辺りを睥睨した。傍らで、
「あら、いいわね」
と絢女がにこにこと笑っている。冬獅郎が雪だるまから転げ落ちたりしないように、さり気なく支えながら、ギンも笑っている。先ほどまで感じていた切なさは跡形もなく溶け消えていた。冬獅郎はただ、幸せだった。

 姉から、今晩は牡蠣鍋にするから食べに来ないか、と誘いを受けた。現世駐在任務の任期満了で引き上げて来た隊員が、土産に岩牡蠣を買ってきてくれたのだそうだ。
 誘いに大喜びで乗っかって、一家揃って姉夫婦の家を訪ねた。姉の家に着くとすぐに、乱菊は娘たちを冬獅郎に任せて、自分は絢女を手伝いに台所に行ってしまった。
 一方、居間にはギンが義弟の一家を待っていた。賑やかに居間に飛び込んで来た姪っ子たちに、ギンは相好を崩した。
「おじうえ、こんばんは」
「おじゃまします」
 絢乃と菊音はすまし顔で、礼儀正しく挨拶をした。が、ギンがその挨拶に返答するよりも早く口調を崩して、
「おじうえ~」
「おにわであそんでい~い?」
と甘え声で強請った。その変わり身の素早さに笑いながら、
「晩御飯の準備が出来るまでやったら、構へんよ」
とギンは応じた。
「雪、積もってるしな。雪合戦でもするん?」
 ギンの問いに、
「ゆきだるま~」
 異口同音に声を上げた双子は、今度は、ギンの傍らで妹をあやしている従兄に、
「かずにいさま、ゆきだるま~」
「いっしょにあそぼ!」
と甘えた。
 従姉たちの弾んだ声音につられたか、幼い佐那さなも兄を見上げ、
「にいしゃ、しゃなもしゅる」
とたどたどしく訴えた。
「ゆきらるま。しゃなもぉ」
「うん、わかった。みんなであそぼう」
 主真かずまが立ち上がった。従兄が了承したので、双子はわぁと歓声を上げて、庭に軽やかに降り立った。主真は妹に厚手の綿入れ半纏を着せると、従妹たちに続いて庭に下りた。
 絢乃と菊音は、早くも熱心に雪だるまを作り始めていた。佐那も真似して雪玉を作ろうとするのだが、幼い彼女にはまだ無理で、雪を掴むそばから崩れてしまう。ふえぇと泣きそうな顔になった佐那をしょうがないなぁと宥め、主真は自ら雪玉を作るとその表面を佐那に触らせた。それで、雪だるま作りに参加している気分になったのだろう、佐那はきゃっきゃと笑ってご機嫌に戻った。
「かずにいさま、みてみて、できたの!」
 絢乃が出来上がった雪だるまを、主真に見せようと駆け寄って来た。
「あやちゃん、じょうず、じょうず」
と主真は差し出された雪だるまを誉めた。絢乃の掌に載るほどの小さな雪だるまだが、目に南天の実を埋め込み、小枝を刺して手の代わりとしてあり、なかなかに凝っている。大好きな従兄のお兄ちゃんに誉められて、絢乃はえへへと嬉しそうに笑った。
 南天の紅い実に魅かれたか、佐那が頻りに手を伸ばして、絢乃の雪だるまに触ろうとしていた。
「さなちゃん、これ、きにいった?」
 佐那がこっくりと首を縦に振ると、絢乃は笑みとともに、
「じゃあ、さなちゃんにあげるね」
と雪だるまを渡した。佐那はにこぉと笑って、ますますご機嫌になった。
「さな、あやねえさまにありがとうは?」
 兄に促され、
「あぁあと」
と佐那は頭を下げる。途端に彼女の手から零れ落ちそうになった雪だるまを、寸前で主真が受け止めた。
「壊れるといけないから、ここに置いておこうね」
 彼は雪だるまを濡れ縁の端に丁寧に据えた。
「かずにいさま、きくねもできたぁ!」
 今度は菊音が駆けて来た。菊音が差し出した雪だるまは絢乃の倍ほどの大きさがあり、
「わぁ、大きいのができたね」
と主真は感嘆してみせた。
「きくちゃんのもならべておこうね」
「うん!」
 主真は菊音から受け取った雪だるまを、絢乃の雪だるまの隣りに並べた。
「かずにいさま、もっとおっきいのつくろう!」
「おっきいの!」
 双子が強請った。
「そうだね、みんなでうんと大きいのをつくろうか」
と主真が応えた。佐那も入れた四人で庭の真ん中に駆けてゆくのを、ギンと冬獅郎は暖かな室内から眺めていた。
「さすがに、冬獅郎はんの子やな。寒いのなんて、全然、平気そうや」
「主真もだろう? 佐那は着ぶくれて、もこもこだけどな」
 よちよち歩きの佐那は主真の着せた分厚い綿入れ半纏のせいで、彼女自身がだるまのようになっていた。安定の悪い彼女は、ころんと転げる度に兄や従姉たちに助け起こされている。だが、雪が積もった地面では転んだところで痛くはないし、洩れなく頭なでなでが付いてくるので、佐那はにこにこしている。
「あそこまで、着せんでもええんやけどなぁ」
とギンは苦笑した。
「主真は佐那に過保護やから、えらい着せてしまうん」
「そこはおまえに似たな」
と冬獅郎。ギンはうっすらと笑みを零した。自分が乱菊に対して過保護気味だったのは、否定出来ない。しかし、かつての絢女の弟に対する過保護ぶりも相当なもので、主真のそれが父親譲りか母親譲りなのかは微妙なところである。
「あの面倒見のよさは、間違いなく姉さまに似たんだろうけどな」
 冬獅郎は目を細めた。
 産まれた時から可愛がられ、いつも遊んで貰っていたので、冬獅郎の娘たちは従兄の主真にとても懐いている。今日も、主真の家に晩御飯を食べに行くと告げると、歓声を上げて喜んでいた。
「この調子やと、どっちかお嫁に来てくれそうやなぁ」
 ほくそ笑むギンに、
「俺と雛森みたいになる可能性もあるぞ」
と冬獅郎は釘を刺す。主真のことは可愛がっているが、愛娘を嫁にやれるかというとまた別の話だ。尤も、主真は現世の人間換算で六、七歳児相当、双子の娘たちは四歳児相当でしかないのだから、まだ嫁に行くとか、結婚とか、遥か未来の話でしかないのだが。
 主真が菊音の手を取った。はぁ、と息を吹きかけてさすってやっている。負けじと手を差し出してきた絢乃の手にも、温かな呼気を吐きかけて擦っているのを認め、冬獅郎は不意に強い既視感を覚えた。

 雪だるま。
 金の髪の女の子の手を擦っていた、銀色の髪の男の子。
 雪だるま。

 もう、七十年、いやもっと…。八十年近い昔に見た夢が、突然、はっきりと冬獅郎に蘇って来た。
 当時、冬獅郎は十番隊の隊長に就任してから二ヶ月か、三ヶ月。度重なるギンの嫌がらせに困惑しつつも、まだ決定的に嫌いになれずに何とか関係改善できないかと足掻いていた頃だ。
 夢を見た。
 潤林安の外れの雪原で、雪だるま作りに興じるギンと乱菊の夢だった。当時の冬獅郎は、二人が幼馴染であることをまだ知らなかった。それなのに、子供の姿の二人が雪だるまを作って遊んでいる光景を見たのだ。目覚めてから、妙な夢だと盛大に首を捻ったものだが、眠りの最中では奇妙とも思わなかった。
 雪原に無数に並んだ小さな雪だるま。
 最後に作った、大きな雪だるま。
 ギンが乱菊の手を擦ってやって、それから    

 乱菊はいつの間にか、姉の絢女に変わったのではなかったか?
 姉にしがみついた俺に、市丸は何といった?

「さなちゃんのあまえっこ」
 菊音の揶揄する声に、冬獅郎ははっと顔を上げた。

     若さんは、甘えんぼさんやなぁ

 夢の中で聞いたギンの言葉が、鮮やかにこだました。

     若さんは、甘えんぼさんやなぁ

 ギンは冬獅郎を「若さん」と呼んでいた。
 夢を見た当時は曖昧で思い出せなかった呼び掛けが、すとんと腑に落ちた。

 ああ、そうだ。
 と、冬獅郎は知った。

     俺はこいつから「若さん」と呼ばれていたんだ。

 現世で人間の子供だった冬獅郎は、やはり人間の子供だったギンから「若さん」と呼ばれ、可愛がられていたのだ。
 和解した後、ギンはしばしば冬獅郎に「若さん」と呼びかけて、怒りを買っていた。けれど、怒りながらも心の底からその呼び掛けを忌嫌出来なかったのは、どこかでそれを納得していたからだろう。
 あの夢の雪原で聞いた優しい呼び掛けは、冬獅郎の魂の底に刻まれていた、忘れたはずの思い出だったのだ。
 姉と、ギンと、冬獅郎と。
 幸せは理不尽に奪われ、絢女と冬獅郎の姉弟とギンは別れ別れになって、尸魂界に流された。
 現世の具体的な記憶のほとんどを失ってしまうことわりの中で、冬獅郎はギンを忘れ、ギンも冬獅郎を見失い、互いに大切な相手だったのだと気付けないまま、無為な日々を送った。
 無駄に傷付け合い、憎み合って、けれども    

 見つめる冬獅郎の視線に気が付き、ギンは不思議そうに首を傾げた。
「どうかした?」
「いや、別に…」
と冬獅郎は子供たちに視線を戻した。

 けれども、還って来たのだ。
 遠回りをして、たくさんの苦しみを乗り越えて、あるべき場所に。

 鍋の準備を整えた絢女と乱菊が、居間に入って来た。
「ごはんよ!」
 絢女の呼ぶ声に、
「はーい!」
と声を重ねて、子供たちが駆け戻ってくる。

 けれども、還って来た。
 この穏やかで、ささやかな場所に。
 帰って来た    

******************************************

 日番谷が隊長になったばかりのころ
    潤林安のはずれで、乱菊がギンと雪だるまを作って遊んだ

 あはは、しょっぱなから禁断の夢オチ。いえ、冒頭から夢であることはばればれなので、夢オチというよりは夢ネタですね。
 夢は便利です。どんな理不尽な時間軸だろうと、「無理!」と大声で叫んで走り回りたくなるようなとんでもない状況設定だろうと、すべてOKにしてくれる魔法のアイテム。だからこそ、このパーツ組み合わせお題では手を出さないようにしてたのですが、ついにやっちゃいました。
 時間軸は、冒頭の日番谷隊長の夢の部分が文中にもあります通り、彼が隊長に就任して二、三ヶ月経ったかどうかってくらいの頃です。拙宅捏造設定だと叛乱の十二年前。後半は叛乱終結後、六十五年くらいで、キリリク「幸せの重み」で産まれた日番谷さんちの双子ちゃんは、ずいぶん大きくなっています。一方、市丸さんちはちゃっかり第二子誕生。下の子は女の子なので、市丸パパはもうめろめろです。それでもって、主真くんはすっかりいいお兄ちゃんが板についています。

駄文倉庫に戻る
トップへ戻る
2012.07.01