浴衣の彼女の意外な弱点
総隊長・山本元柳斎重國は宴会好きである。時折、思い付いたように宴会を思い立ち、隊長格に召集をかける。この日も、彼は突然、宴会を決めたらしい。午後一で、隊長格に参加を案内する地獄蝶が飛んで来た。
宴会場は飛鶴亭。宴会場や各種娯楽設備が併設された温泉施設で、現世の温泉センターを真似て七年ほど前に営業を始めた。過去にも幾度か、宴会に利用したことがある。今回は何故だか、格段の事情がない限り、浴衣着用で参加することという但しが付けられており、隊長たちは内心で、
(また、総隊長の気まぐれか?)
と思った。
幸い平穏で特に業務が立て込む時期ではなかったので、ほとんどの隊は定時で仕事を切り上げることが可能だった。自宅や隊寮に戻って浴衣着用に及んだ隊長格は、総隊長の指定した飛鶴亭に集まった。
仲間内での宴会の場合は、業務を終えた時刻にもよるが、私服に着替えてから出て行くことが多い。私用の時間まで業務の格好をしていたくないという死神自身の思いもあるし、死覇装に帯刀の姿だと一般人の客が居心地が悪いだろうとの気遣いもあるからだ。だが、総隊長主催による隊長格の宴席の場合は、逆に死覇装のままで参加するのが暗黙の了解事項だった。この為、浴衣着用の指定のあった今回は、常になく華やいでいた。特に女性隊長格は、総隊長がわざわざ指定したことなので気を廻したか、気合いを入れて装っていた。総隊長の気まぐれに当初はうんざりしていた感のある男たちも、女性陣の艶姿に目を細め、いつの間にか「総隊長、GJ」という流れになっていたのは現金なものである。
だが、実際、美人揃いの女性隊長格が華やかな浴衣姿で勢揃いしたさまは、見事であった。もちろん、一口に浴衣と言っても、それぞれに趣が異なり個性がある。
卯ノ花烈は松煙引き染めのしっとりと落ち着いた浴衣姿だった。淡い灰紫の綿絹紅梅地に秋の七草を一面に散らした図柄で、濃紫地に金糸で花紋と細い縦線を通した単の細帯を割り角に結んでいる。いつもは三つ編に垂らしている黒髪をゆったりと結い上げて、白い項を露わにした姿は熟れた大人の女の色香を濃密に漂わせ、畏怖すべき女傑の艶やかさに男性隊長格はどぎまぎさせられた。一方、その傍らに控える勇音は黒地に深紅で大輪の花火を表した注染浴衣を纏っていた。所々に差し色で緑や黄が入っているが、全体として色数が抑えられているせいか、華美にはなっていない。背の高い彼女には大柄の浴衣は実によく映えており、こちらも色っぽくも美しい。
乱菊の浴衣も、烈と同じ松煙引き染めの技法で染められたものだった。ただし、色合いや柄ゆきは烈よりもずっと渋い。淡い砂色の奥州紬地に色素を混ぜない純粋な松煙の灰色で稲穂が描かれているものだ。これは、八年ほど前に冬獅郎の見立てで購入したものである。合わせた帯は淡い緑を基調とした抽象柄のざっくりとした織りの
ふんわりとしたパステルカラーを纏っているのは、五番隊の主従である。桃は薄い桜色地の綿絽に白一色で撫子を散らした浴衣だ。帯は一段濃い薄紅の紗に薔薇模様の白いレース生地を重ねた兵児帯で、二段重ねのリボンが愛らしい蝶々重ねに結んでいる。少女らしい、清潔感と初々しさの漂う姿であった。隊長の絢女は総絞りの浴衣を纏っていた。浴衣で総絞りというと藍地に臙脂や縹で菊花や朝顔などを大きく絞り出したものが定番であるが、彼女のものはメロン・シャーベットを連想させる雪白を帯びた
きりりと粋なのは、七緒だ。藍白の綿紬地に瑠璃紺色の露芝の原、そこに飛び交う蛍を現した図柄である。蛍の光は円で表現され、浅葱色から白にぼかしが入っている。山葵色に白と灰色で縞目を通した紗献上の細帯を桃山結びに締めているのも、折り目正しい彼女らしい。ただ、常ならば髪留めでかっちりと束ねている髪は、すこしふくらみを持たせた柔らかみのある纏め髪に変わっていて、大粒の薄荷飴を連想させる硝子玉のついた耳かき簪が黒髪を彩っていた。
予想外だったのは、ネム、砕蜂、やちるである。
ネムはまず、浴衣姿であったことが意表を突いた。たとえ総隊長の指示があろうとも、彼女だけはいつもの裾の短い死覇装だと誰もが思い込んでいたのだ。ごく薄い灰色の麻の
生成りの綿芭蕉の地に手描きしたようなよろけ縞を縦横に通して格子を染め、その上に藍で金魚を描いた、大人用の浴衣にしても違和感がないような愛らしさと上品さを兼ね備えた図柄だった。朱鷺色地に白の水玉の絞りの兵児帯も可愛いが子供向けの帯というわけでもない。皆の疑問を感じ取った春水が質したところ、浴衣は乱菊の見立てで、着付けたのは弓親だそうだ。なるほど、という空気が漂ったのはいうまでもない。
砕蜂の場合、柄ゆきが意外だった。男勝りの冷徹な隠密機動総司令官である。縞や格子のようなきりりとした粋な浴衣に違いないと男性死神陣は思い込んでいたのだ。だが、砕蜂ははんなりとした女性らしい色柄を纏っていた。オフホワイトの綿紅梅地に僅かに赤味を帯びた墨色の濃淡で露芝と萩の枝を散らした図柄である。萩は咲き初めを現しているらしく、其々の枝の先端に一房だけ控えめに咲いている。この萩の花だけが深みのある綺麗な赤色で描かれて挿し色になっていた。帯は白地に蘇芳色で牡丹唐草を織り出した半幅の絽の博多織で、これも生地は粋系だが柄は女っぽい。そして、その女らしい浴衣は実に似合っていて、意外性も相まって、彼女を一層魅力的に見せていた。
男性隊長格たちが女性隊長格の浴衣姿を堪能しきった頃、主催者である山本が現れた。
「総隊長、わざわざ浴衣でとのご指示は何か意図があってのことでしょうか?」
全員を代表して、十四郎が質す。山本は、うむ、と重々しく頷いた。
「実は飛鶴亭で夏の間だけ、肝試しの施設が出来ておってな。なかなかに評判になっておるらしいのだ」
肝試しの施設?
全員が目を見合わせた。彼らの胸に去来したのは現世のお化け屋敷である。遊園地や大規模な祭りの縁日で、よく見かけるあれだ。
(死神が肝試しって…)
(普段、俺たち、虚をぶった斬っているんですけど…)
作り物のゾンビが出てこようが、お岩さんが爛れた顔で笑おうが、お菊さんが皿を数えようが、
(怖くないって!)
奇しくも、隊長格の心の声は見事に一致した。
そんな彼らにお構いなく、雀部が籤を差し出して来た。
「何ですか、これは?」
「宴会の前に、男女で組になって肝試しに挑んでもらう。その為の籤です。ちなみに男性の方が人数が多いので、一部の外れの方は男同士で組んでいただくことになります」
まず、女性たちが籤を引く。籤には数字が書かれており、同じ数字を引き当てた男性と組むのである。
(頼む、乱菊さんの数字!)
念を込めて籤を引くのは修兵だ。大前田や鉄左衛門、イヅルの表情も真剣なのは片恋の相手と組みたいからに他ならない。
結果は、砕蜂-白哉、烈-ギン、勇音-狛村、絢女-冬獅郎、桃-大前田、七緒-イヅル、乱菊-恋次、やちる-修兵、ネム-十四郎で、鉄左衛門、春水、剣八が外れで余り。さらに籤を引いた結果、鉄左衛門と春水が組むことになり、二人は女性と組むことを引き当てた同僚と、参加を免除された剣八を遣る瀬なく見つめた。修兵からは恋次に向けて、替わってくれという無言の訴えが光線になってびしばしと放たれていたが、修兵よりも冬獅郎の方が怖ろしい恋次は、ひたすらそれに気付かないふりを続けた。
籤に書かれていた番号順に肝試しに挑むこととなり、まず、桃と大前田のペアが挑んだ。二人が施設に入ってほどなく、
「うぎゃぁ!」
という悲鳴が聞こえた。
「あれは…」
「桃ちゃんじゃなくて、大前田くんだよね」
残った隊長格が顔を見合わせていたところ、桃に引き摺られて大前田が出てきた。
「何があったんだい?」
十四郎の問いに、桃は困った顔で絢女とギンの方に視線を向けた。
「それが、いきなり、あたしに向かって『絢女さん!』って叫びながら突進して来たんです」
「はぁ?」
「びっくりして、つい白雷を打っちゃったんですけど、それが、どうやら、市丸隊長の神鎗の攻撃に見えたらしくて…」
隊長格が大前田を見遣ると、彼は小さな声で、
「すみません、すみません、出来心です」
とぶつぶつと呟いている。
「出来心ねぇ…」
ギンが剣呑な表情を浮かべ、冬獅郎が無言で修兵と鉄左衛門に視線を向ける。妄想でも乱菊を襲ってみろ、凍らせるからな。という心の声がはっきりと聞こえる目つきに、
(怖ぇ!?)
一瞬にして引き攣る修兵と鉄左衛門。彼らは自分のペアがどう転んでも乱菊と錯覚しそうにないやちると春水であることにその時、初めて感謝した。
「涅くんがいないし、何か細工しているんじゃないかとは思っていたけど…」
「性質が悪そうな仕掛けだな」
砕蜂が己の副官に近付くと、はんなりとした浴衣姿で思いっきり蹴りを入れた。
次に施設に入ったのは、勇音と狛村だ。入って間もなく、けたたましい勇音の悲鳴が立て続けに響き、やがて、彼女を背負って狛村が出てきた。
「何があったの?」
今度は春水が尋ねた。
「いや、現世でよくあるごくごく普通のお化け屋敷だったんだが…」
「はぁ?」
「井戸から幽霊が出てきたり、いきなり棺桶が飛び出して来たりしてね」
「ああ、なるほど」
「彼女にはそれで充分、怖かったみたいだよ」
と狛村は放心状態の勇音をそっと椅子に下ろしてやった。
どうやら、涅マユリが一枚噛んでいるのは確定らしく、副官に蹴りを入れた砕蜂は血塗れの夜一人形で撃沈。七緒・イヅル、及び乱菊・恋次ペアは暗がりで襲ってくる冷たい蒟蒻による首筋撫で攻撃に倒れた。やちる・修兵のコンビは修兵が氷天百花葬(の幻影)の餌食となった。鉄左衛門と春水の男性二人組は、鉄左衛門が千年氷牢に閉じ込められ、春水が七緒による往復びんたを喰らって(無論、幻覚)、よれよれになって脱出してきた。ネムと十四郎は何事もなく出てきたが、これは下手な刺激を与えて十四郎に吐血されでもしたら、烈の報復が怖ろしいと承知している涅マユリの自主規制らしい。烈とギンのペアも平然と出てきた。但し、ギンの顔がよく見ると心持ち青褪めていたことから、彼の方は幻覚攻撃を受けたと推察された。だが、狼狽えた態を表に出さなかったところは、さすがに色絶無三十日を耐えきった男である。
最後に、絢女と冬獅郎の日番谷姉弟ペアが施設に入って行った。
「市丸くん」
「何ですのん、京楽はん?」
「いや、絢女ちゃんは幻惑系の斬魄刀を無力化する能力があるけど、あれって、涅くんの仕掛けにも有効なのかな?」
ギンは首を傾げた。
「絢女のあれは、幻覚そのものを消すんやのうて、幻覚を見せる為の幻惑場を吹き払うもんやから、微妙なとこや思います。例えば、幻覚作用のある薬で見る幻覚はどうすることも出来ひんし、頭に電極繋がれて、直接、脳みそに刺激与えたりしたんも、防ぐんは無理ですやろ。ただ、今回のは薬物でもあらへんし…、霊波による干渉なら幻惑系の斬魄刀と似たり寄ったりですけどなぁ」
ただし、現在の絢女は秋篠を携えていない。斬魄刀の影響か、単体の彼女も幻惑には耐性があるが、涅の仕掛けを凌駕出来るかは不明だというのがギンの見解だった。
施設に入った絢女は上機嫌だった。
「冬獅郎とこんなふうに二人で歩くのって久しぶりね」
というのが、上機嫌の理由である。弟は十番隊の隊長で、外見的にも成長し、絢女よりも背は高い。もう、昔のように、庇護すべき存在ではないと分かっていても、やっぱり絢女にとっては冬獅郎は手塩にかけた弟である。今でも可愛くて仕方がないので、久方ぶりに姉弟水入らずで話が出来ることに浮き立っているのだ。冬獅郎の方も、照れがあるので絢女ほどあからさまににこにこはしていないが、大切な姉とのひと時を喜んでいた。
勇音を驚かせた井戸からの幽霊も、壁から飛び出す棺桶も、十番隊長と五番隊長を脅かすことは出来なかった。
「これ、現世の幽霊の定番だけどさ、怖くねぇよな」
「そうね…。だいたい、こういう分かりやすい幽霊って実際はいないわよね」
「だな。
「
「姉さま、アメリカのホラー映画を見たことあるのか?」
意外そうに見遣る冬獅郎に、ふふ、と絢女は含み笑いをした。
「この間、七緒さんのところで、乱菊も一緒にホラー映画の大鑑賞会をしたの。古典的名作だって、五本くらい一気に見たわ」
「あー、この間、あいつが伊勢のところに泊まりに行った晩か。映画の鑑賞会だとは聞いていたが、ホラーだったのか」
「ええ。私はジェイソンくんがお気に入りなの。ちなみに乱菊はチャッキーが贔屓」
「何だよ、そのチャッキーってのは?」
「刑事さんに銃で撃たれて死んじゃった殺人鬼。死ぬ間際に何かの秘術を使って、お人形に魂を移したのね。それで、人形になって生き延びたんだけど、そのままでいるのがいやだって、お人形を買った男の子の身体を狙って暗躍するの」
「…」
「あ、ジェイソンくんはね、ホッケーマスクを被った殺人鬼で、」
「知ってるから説明はいい」
と冬獅郎はこめかみを押さえた。
やがて、修兵や大前田たちが幻覚に襲われたゾーンに辿り着いた。
「確か、この辺で幻覚が来るらしいんだが?」
「別に何てことないわね?」
「姉さま、秋篠は持ってないよな」
「ええ。隊長舎に置いてきているわ」
二人は平然と通り過ぎた。だが、実は裏手で、絢女たちに幻覚攻撃が効かなかったことで涅マユリが癇癪を起していた、というのは知る由もないことだった。
「あ、あそこが出口だな」
と冬獅郎が前方を指差す。
「何てことなかったわね」
と絢女が相槌を打って、冬獅郎の示した方に視線を投げる。
瞬間、絢女の身体が硬直した。
一点を凝視したまま、根が生えたようにぴくりとも動かなくなった姉を、冬獅郎は怪訝に見遣る。出口に近いせいか、照明が幾分明るくなっており、暗がりに慣れた目には絢女が蒼褪めているのが見て取れた。
「どうしたんだ、姉さま?」
冬獅郎の問い掛けに、絢女は小刻みに震える指で出口の上方を指した。冬獅郎はその指先の示す先を目で追いかける。
「蜘蛛?」
体長一寸弱、脚の長さを入れた見た目の大きさでいうと、三寸近くありそうな巨大蜘蛛が出口のすぐ上に網を張っている。外観からして、鬼蜘蛛だと冬獅郎は判断した。
「姉さま、もしかして、蜘蛛、ダメなのか?」
と尋ねた途端、絢女はへなへなとその場に崩れてしまった。
「と…獅郎…、戻ろう」
震え声の姉の提案に、冬獅郎は、へ? と見返す。
「あそこ、通れないもの。ね、戻ろう。戻って、入口から出ましょう」
「あ?」
ちょっと待て。冬獅郎は慌てた。仮にも五番隊の隊長がたかが蜘蛛如きで、出口から出られないってまずくないか?
だが、絢女はもう、完全に涙目だ。しゃがみ込んだままで、縋るように冬獅郎を見つめている。
「追い払ってやるから、ちょっと待っててくれ」
と、冬獅郎は出口に歩み寄ろうとした。だが、絢女が浴衣の袖をがっちりと掴んでしまった為、身動き出来なくなった。
「いや。一人にしないで」
「一人にって、目の前にいるだろ? あの蜘蛛、追い払うだけだって」
「ダメよ。下手に刺激して、飛びかかって来たらどうするの?」
「飛びかかって来ないし、仮に襲って来てもどうってことないだろう?」
冬獅郎は宥めるが、絢女は必死にかぶりを振って、弟の袖を離そうとしない。
「いやよ。ね、お願い。戻りましょう? ね?」
冬獅郎は溜息をついた。
「あのな。姉さま、あそこに蜘蛛がいるってことは、気が付かなかっただけで、向こうにも蜘蛛がいるかもしれないだろう?」
絢女は目を見開いた。
「いやぁ!」
悲鳴を上げて頭を抱えた拍子に、掴んでいた冬獅郎の袖が外れた。この隙にと動いた途端、
「やだ、見捨てないで!」
半泣きになった絢女が悲痛に訴え、冬獅郎は動けなくなった。
「見捨てねえって。追い払うだけだって。大体、あれ、そんなに怖がるほどのもんじゃねえだろ? 蜘蛛としちゃでかいかもしれないが、俺たちの方がよっぽどでかいし」
「だって、」
「姉さま、毛蟹、平気でさばいてただろう? 似たようなもんじゃないか?」
「毛蟹は蟹よ!!」
絢女は勢いよく食ってかかった。
「蜘蛛じゃなくて、蟹!! 食べ物なんだから!」
外観は蜘蛛にそっくりだが。
だが、それを指摘するのは拙いと、冬獅郎の研ぎ澄まされた本能が教えた。
(姉さま、取り乱すと、乱菊並みに無茶苦茶になるんだなぁ)
奔放な恋人兼部下に振り回されている冬獅郎としては微妙に既視感を覚えるが、生憎と目の前の女は乱菊ではなく、姉。乱菊のように怒鳴りつけて、有無を言わさずに引き摺って行く訳にもいかない。どうしたものかと思案していると、出口の扉が開き、
「絢女お姉ちゃん、大丈夫?」
「絢女、助けに来たったよ」
と桃とギンが入って来た。
「蜘蛛、出たんでしょ? どこ?」
桃の問いに、冬獅郎は無言で二人が今しがたくぐり抜けたばかりの扉の上方を指差した。
「うわ、大きい」
「ほんまや。絢女が怯えるはずや」
桃は掌底を蜘蛛に向けると、
「白伏!」
と鬼道を放った。身動きを封じられ、ぽとりと落ちてきた蜘蛛を団扇で受け止めて、
「あたし、この蜘蛛を外に捨てて来ます。市丸隊長、お姉ちゃんをよろしく」
当たり前のように出て行った幼馴染を見送り、
「蜘蛛相手に鬼道を遣わなくても」
と冬獅郎は呆れた。
「何、言うん? 普通に追い払って蜘蛛が逃げたりしたら、ますます絢女が錯乱するで。白伏で動けへんようにするんが、一番、確実や」
「はぁ…」
ギンは屈み込んで絢女の肩を抱いた。
「ギン!」
途端に彼女はギンに取り縋った。
「もう大丈夫や。蜘蛛は桃ちゃんが遠くに捨てにいったし、もうおらへんよ」
絢女は半泣きのままで、ぎゅっとギンにしがみついた。
「…市丸」
「ん~、何? 冬獅郎はん」
「姉さまが蜘蛛が苦手だって、知ってたのか?」
「そりゃあ、霊術院からの付き合いやし、知っとうよ。蜘蛛が出たら、始末するのん、ボクの係やったもん」
「あの様子じゃ、雛森も知っていたんだな」
「一年くらい前に、五番隊の隊長舎に大きな家蜘蛛が出て、大騒ぎになったからな。家蜘蛛はゴキブリを餌にするから、餌がおらへんようになったら家蜘蛛も出て行くゆうことで、技術開発局特製の超強力バルサンを使うたんや。隊長舎だけやのうて、隊舎から、隊寮から、修練場から焚きまくったん、桃ちゃんから聞いてへんの?」
冬獅郎は大きな溜息をついた。
「おまえたちが入って来たってことは、今の騒ぎ、聞かれちまったんだな」
五番隊長が蜘蛛に大騒ぎしたとあっては恥だと、冬獅郎は考えたのだが、
「心配しいへんでも、ほとんどのモンは知っとうから、今更、驚いたりしぃへんよ。知らんかったんは、冬獅郎はんの他は阿散井くんと檜佐木くんくらいのもんや」
とギンは軽くいなした。
「はぁ? 前にもこんな大騒ぎをしたことあるのか?」
「絢女は蜘蛛を見たらパニック起こすからなぁ。絢女が何とか自力で対処出来るんは、蝿取り蜘蛛までや」
「…戦闘中とかに、蜘蛛が出たらどうすんだよ?」
「ああ、それは心配ないねん。戦闘モードにスイッチが入っとう時に蜘蛛が目に入ろうもんなら、瞬殺で霊子レベルまで切り刻んでしまうから、狼狽えたりはないで。蜘蛛にとっては災難やけど、戦闘モードの絢女の視界に入ったんが不運ゆうことで」
「…」
「スイッチの入ってへん、平時がダメなんやよ」
腰が砕けてしまって自力では歩けそうにない絢女を、よいしょ、とギンは姫抱きに抱え上げた。いつもならば、皆の前で恥かしいだのと言って抵抗する絢女だが、今は震えたまま、おとなしく身を委ねている。
唖然と立ち尽くす冬獅郎に、
「十番隊の部下の前で、絢女にパニック起こされとうなかったら、こまめにバルサン焚いた方がええよ。十番隊舎もええ加減古いからなぁ。主の大蜘蛛とか住み着いていそうや」
とギンは飄々と忠告した。
はぁ、と息を吐いて、
「そうする」
と冬獅郎は応じた。
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晩御飯前、温泉で、着飾った日番谷隊長が日番谷隊長と肝試しをした
ヤマなし、イミなし、オチなし、に加えて、本題と関係のないむやみにくどい浴衣描写と、拙宅クオリティでお届けしました。
時間軸は、叛乱から三年後の夏。一応、着飾った日番谷隊長は市丸隊長から贈られた上等の浴衣(総絞りの浴衣は高いです)でおしゃれした日番谷絢女隊長、形容詞がついていない方の日番谷隊長は日番谷冬獅郎隊長ということでよしなに。
雛森ちゃんが実に漢前に蜘蛛を退治しています。管理人の個人的な印象ですが、雛森ちゃんって蜘蛛だろうが、ゴキブリだろうが、蛾だろうが、割りと平気で処理出来そうな気がします。
あと、本当にどうでもいいことなのですが、今回、乱菊さんが着ていた浴衣は過去拍手お礼文(ログに格納)「装う女、愛でる男」で隊長が見立てていたものです。