この話は冬獅郎や乱菊、ギンの子供世代が主人公の話です。従って、登場人物のほとんどが当サイトの捏造設定によるオリジナル・キャラクターです。
その為、当サイト作品を未読な方には不親切な内容になっております。
オリキャラの人間関係・背景把握の為に、最低でもメイン長編の「風が還る日」、「アンカーのいないリレー」(10万打企画)、「幸せの重み」「薔薇色の村へようこそ」(キリリク)、「時の彼方、帰る場所」(四周年企画)を読了後の閲覧をお薦めします。
兄さまの結婚
馴染みの呉服屋の暖簾をくぐった途端、待ちかねていたご主人が本当に、いそいそ、って感じで出てらした。
「この度はまことにおめでとうございます」
とご主人はかず兄さまに祝いを述べた。
言葉は型通り。だけど、ご主人が商売気抜きで兄さまを祝福していることはその声音と表情ではっきりと分かった。かず兄さまも嬉しそうに、
「ありがとうございます」
と丁寧に頭を下げている。
香田呉服店は母さまと伯母上が結婚前から贔屓にしているお店だから、ご主人は私たちのことは赤ちゃんの頃からご存知だ。親子二代の得意先の慶事にご主人は張り切っていらっしゃるのだ。
「奥にご用意しております。おめがねにかなう品があるとよろしいのですが」
「香田さんの品揃えは信頼していますよ」
と兄さまは鷹揚に笑った。
かず兄さまは来春、桜の咲く頃に結婚する。今日は結納の際に贈る着物と帯を選びに来た。お相手である
私も、菊音も、かず兄さまのことが大好きだ。だから、かず兄さまを誰かに取られちゃうのは正直なところ、少しばかり悔しい。それが例え、灯里さんであっても、だ。けれども、やっぱり灯里さんのことも好きだし、かず兄さまとはお似合いだと感じるから、祝福する気持ちが悔しさを上回っている。それに、かず兄さまは、
「結婚したって、僕があやちゃんたちの兄さまなのは変わらないよ」
って言って下さった。
兄さまを灯里さんに取られるんじゃなくって、灯里さんが私たちの姉さまになるんだよって諭されたら、なんだか、すごくわくわくしてしまったのだ。
うんと小さい頃、私と菊音は将来はかず兄さまか
「僕のお嫁さんになるんだよ」
って言い聞かされていたし、伯父上や浮竹隊長からも、
「お嫁においで」
っていつも言われていた。何よりも、私たちは、かず兄さまのことも、柊也さんのことも大、大、大好きだったから、兄さまたちのお嫁さんになるのはとっても自然で正しいことだと考えていたのだ。
その頃の私たちは…、ううん、私たちだけじゃなくて、かず兄さまも、柊也さんも、「好き」に違いがあることを分かっていなかった。
「好き」には色んな種類がある。
父さまや母さまに対する好き。伯父上や伯母上に対する好き。菊音や
兄さまのことはずっとずっと大好きだった。もちろん、今でも変わらずに好きだって自信を持って宣言出来る。好きの深さなら、灯里さんにだって負けない。でも、私にとって、かず兄さまは自慢の頼れる「兄さま」なのだ。「好き」の種類がはっきりと違うから、灯里さんと兄さまを巡る修羅場を演じずに済んだ。
かず兄さまにとっても、私は妹だ。続柄は従妹だけど、かず兄さまの中で、私や菊音は佐那ちゃんとほとんど同じ場所にいると思う。
ずいぶん昔に読んだ現世の心理学の研究記録によると、幼児期に濃密な接触がある男女ほど、成長後に恋愛感情を持ちにくい傾向があるのだそうだ。幼児期に濃密な接触のある異性となると、一般的にはひとつ屋根の下で暮らす実の兄弟や両親が該当するから、この心理傾向は近親相姦への歯止めの役割を果たしているらしいというのが、その研究の結論で、私はなるほどと納得したものだ。
私と菊音、そしてかず兄さまは多分、その心理傾向にすっぽりと嵌ってしまったのだろう。
生まれた時から、私たちはかず兄さまに可愛がられていた。父さまと伯母上は仲の良さでは評判の姉弟で、その上、母さまと伯母上は親友、母さまと伯父上は血のつながりこそないけど兄妹同然という間柄だった。親戚付き合いも当然ながら緊密で、私たちとかず兄さま、それから、佐那ちゃんは一般的な従姉妹以上に同じ時間を過ごして来た。何しろ、初潮を迎えて母さまに止められるまで、私たちはかず兄さまとごく普通に一緒にお風呂に入っていたくらいの仲なのだ。
あんまりにも、一緒にいることが当たり前だったから、私と菊音のことをかず兄さまは「女の子」と意識出来なくなってしまった。そのせいだろうか、思春期を迎えて「好き」の違いを漠然と理解し始めた頃から、かず兄さまは私たちに対してお嫁さん発言をしなくなった。そして、私たちの方も、かず兄さまを慕ってはいても、お嫁さんになるのは何かが違うって感じ始めていた。
繰り返すけど、兄さまは今でも大、大、大好きなのだ。
かず兄さまほど格好良くて、優しくて、頼りになるいい男なんて滅多にいない。友達が口を揃えてそう誉めそやす度に、私は当然でしょ、って思っていた。だから、つまんない女の人が兄さまに色目を使うのを目にすると、もの凄く腹が立った。でも、兄さまが客観的にどんなに素敵な男性であろうとも、私は兄さまの恋人になりたいとは望まなかった。かず兄さまは私にとって、男であって男でない人だったのだ。同時に、私もかず兄さまの中で「女」の数に入らなかった。私たちの関係は「兄さま」と「妹の
父さまが桃ちゃん叔母上をとても大事にしていながら、結婚相手として選んだのは母さまだったのと同じなんだと思う。父さまにとって、桃ちゃん叔母上は姉妹同然の家族だった。だから、どんなに大事でも、どんなに好きでも、母さまに感じたような恋情も、自分以外の男を視界に入れて欲しくないという類の独占欲も湧かなかったと、以前、父さまは私に教えてくれた。
「つまんねぇ男が桃にちょっかいを出すのは絶対に許せなかったけどな、こいつなら任せられるって認めた奴に桃を渡すのは、ま、全然悔しくなかったって言ったら嘘になるが、それよりも肩の荷が下りたような安心感があったな」
と語る父さまに、私は灯里さんに対する気持ちを代弁して貰ったような心地になった。そして、きっと、かず兄さまの私や菊音に対する心情も、これに近いのだと感じている。
かず兄さまの幼馴染の柊也さんにも、私たちは幼い頃から可愛がってもらった。
柊也さんもかず兄さまと同じに、私たちに、
「お嫁さんになるんだよ」
って言い聞かせていた人だ。でも、私たちは、柊也さんのことは、ちゃんと「男の人」と認識出来るようになった。これは、やっぱり、密度の問題だと、私は推理している。
確かに柊也さんは幼馴染で小さい時から知っているし、ずいぶん面倒を見て頂いたと思う。たくさん甘えて来たし、いっぱい我儘も聞いて貰った。それでもなお、身内でない柊也さんと従兄のかず兄さまとでは、一緒に過ごした時間の長さも濃度も比べものにならなかった。私は柊也さんと一緒にお風呂に入った記憶はない。自分でも覚えていないくらい小さい頃には何度かお風呂を一緒したこともあったそうだけど、赤ちゃんの頃だ。カウントに入れなくてもいいと思う。互いの家に泊まって床を並べて眠ったことも、かず兄さまとは数え切れないけど、柊也さんとはそれほど多くない。そんなこんなで、小さな頃はかず兄さまと同じように「しゅう兄さま」だったはずだのに、いつの間にやら、呼び名も「柊也さん」に変化していた。
つまるところ、私と菊音の初恋は柊也さんだ。一番身近な異性で、しかも、かず兄さまに一歩も引けを取らない頼れる素敵な男性だった柊也さんに惹かれたのは、全く自然な成り行きだろう。でも、姉妹揃って淡い恋心を覚えたところまでは一緒だったけど、その後の歩みは異なっていった。
母さまや伯母上のような強さと優しさを兼ね備えた死神になりたいと志していた私は霊術院に入学し、そこで、柊也さんに対する幼い恋が蹴散らされてしまうような出会いを体験したのだ。理性とか、計算とか、理屈とか、そんなのが全部無意味になってしまう強い感情があることを、私はその人との出会いで知った。
その昔、伯父上が世界を引きかえにしても伯母上を護りたかったと聞いた時、その激しい恋情は現実感がなくて、お伽噺のような憧れを私に抱かせた。けれど、今なら分かる。伯父上の伯母上に対する想いは美しく純粋であると同時に、独占欲に満ちたエゴイスティックでどろどろに醜い一面をもっていたことを。それが理解できてしまうくらい、私はその人に惹かれてしまったのだ。
そんなわけで、私の柊也さんに対する気持ちは、恋愛未満のごく純粋な思慕で終わった。私だけを愛してほしいというエゴイスティックな熱情を覚える前に、とっても美しい思い出に昇華してしまったのだ。
一方、淡い初恋を大事に大事に成長させたのは菊音だ。そして、菊音の真摯な想いは柊也さんにも響いた。幼馴染の大事な女の子という意味で長い間、柊也さんの心の同じ場所に立っていた私と菊音だけど、いつしか、その占める位置ははっきりと変わっていた。穏やかに菊音との愛を育んだ柊也さんにとって、今の菊音は大事な恋人だ。そして、私は仲のいい幼馴染という立場に、恋人の姉というポジションが加わった。柊也さんよりも年下だけど、私は近い将来、柊也さんの義姉になる。親友のかず兄さまが灯里さんと婚約したのに刺激されて、柊也さんはプロポーズを真剣に考えているもの。菊音にはまだ内緒にしているけど、私とかず兄さまと佐那ちゃんは柊也さんから相談されたから知っている。
かず兄さまに続いて、菊音まで結婚しちゃうかと思うと、前途多難な恋をしている私の気持ちは複雑だ。もちろん、菊音は可愛い妹だし、柊也さんがいい男で菊音を一生大切にしてくれることは疑いの余地がないから、二人のことは手放しで祝福している。ただ、未だに想いにさえ気付いて貰えない我が身を顧みると、ちょっとばかり悲しくなってしまうのだ。
本当に、何であんな鈍い人を好きになってしまったのだろう。(と、うっかり伯母上の前で愚痴ったら、「絢乃は父さま似だから仕方ない」と言われてしまった。伯父上と伯母上が言うには、母さまも激ニブだったらしくて、激ニブを好きになって苦労するのは父さまの遺伝に違いないのだそうだ。これは嬉しくない)
兄さまの婚約者の高坂灯里さんは四番隊の第四席だ。柊也さんの幼馴染である私や菊音は特別な用事がなくても四番隊に入り浸っていたから、灯里さんはまず死神の先輩で柊也さんの部下という認識で仲良くなった。柊也さんは、灯里さんを右腕と頼みにしていた。大好きな柊也さんにそこまで信頼されているなんてすごい女性だなぁっていう尊敬が、私たちの最初の印象だった。卯ノ花隊長退任の暁には四番隊隊長就任がほぼ確定している柊也さんは、副隊長は灯里さんだってもう決めているらしい。そして、灯里さんもそれを了承済なのだそうだ。
プライベートはともかく、公の仕事でのコンビネーションとなると二人の間には入り込めないって、以前、かず兄さまから苦笑交じりに聞いたことがあるくらいだ。
かず兄さまと灯里さんが恋人同士になるまでは、必ずしも順風満帆な道のりではなかった。そこら辺りは、かず兄さまもあんまり話してくれないし、灯里さんも愚痴めいたことは言わない人だから詳しくは知らない。けれど、兄さまに見初められた灯里さんに対する風当たりはかなり厳しかったらしい。柊也さんにこっそりと教えて貰ったところによると、流魂街出身で後ろ盾のない灯里さんはかず兄さまに横恋慕する女の人から、かなり陰湿な嫌がらせを受けた時期があったそうだ。
実際、かず兄さまはもの凄くもてる。
当然だ。伯母上譲りの穏やかで優しい性格に、超絶美形の名を欲しいままにしたという父さまにそっくりの容姿。九番隊の副隊長でいずれは隊長にと目される実力。かず兄さま自身が性格、能力、外見と三拍子揃ったハイスペックな上に、両親は三番隊と五番隊の隊長、叔父と叔母も十番隊の隊長・副隊長と護廷での地位がものを言う瀞霊廷においては強力な後ろ盾がある。しかも、四大貴族・朽木家の跡取りである青樹さんとも親友だときている。
これだけの条件のいい男性が、周りから放置されるはずがない。砂糖に群がる蟻のようにかず兄さまに集る女の人たちを、私や菊音はそれは冷ややかに見ていたものだ。もちろん、全員が全員、嫌な女の人ばかりだったわけじゃない。純粋な気持ちで兄さまを慕っていた女性もそれは大勢いたし、彼女たちまで否定したりするほど私たちも傲慢ではないつもりだ。たけど、そういったちゃんとした女性は節度があるから私たちの癇に障ることもなく見過ごされ、計算高くて嫌な人ほど押しが強くてやたらと目に付いた結果、私や菊音はかず兄さまに寄って来る女性はろくでもないのが多いと認識してしまったのだ。
普通の男なら、あれだけもてまくればひとつやふたつの過ちを犯しそうなものだけど、伯母上に似て堅実なかず兄さまは外見だけの計算高い女の色香には靡かなかった。そもそも、兄さまは綺麗な女性には強力な免疫持ちだ。身内の話だから面映ゆいけれど、母さまも、伯母上も、護廷美女番付の東西両横綱と称され、護廷の華だの、絶世の美女だのと褒め讃えられた美貌の主なのだ。伯母上や母さまを日常的に見慣れている上に、家庭から離れても、卯ノ花隊長とか、砕蜂隊長とか、夜一さんとかの、外面の美しさに内実を兼ね備えた女傑の皆さまに揉まれて育ったから、かず兄さまはちょっとやそっとの美貌ではびくとも動じない。霊術院時代、院のマドンナと呼ばれて男子学生の憧れの君だった女性の美貌を評して、
「騒ぐほど美人だっけ?」
と言い放ち、同級生たちを凍らせた伝説もあるくらいだ。顔だけで実のない女性なんて、兄さまの興味も関心もこれぽっちも惹かなかった。
そんなかず兄さまが好きになった灯里さんは、外見よりも中身に価値のある人だった。こういう言い方をすると、灯里さんが綺麗じゃないみたいに聞こえるかもしれないが、彼女は外面も充分に優れている。美人というよりも、可愛いらしいタイプの女性で、男性死神の人気だって抜群だ。ただ、かず兄さまが恋をしたのは、灯里さんの外見ではなく、魂の美しさだった。
父さま、母さま、伯父上、伯母上、それから阿散井隊長やルキアさんが口を揃えていたことだけど、灯里さんは井上織姫という女性に雰囲気がとても良く似ているのだそうだ。
「灯里ちゃんが織姫の生まれ変わりだって言われても、あたし、信じるわ」
と母さまは妙に真剣に語っていたし、父さまもそれに頷いていた。
井上織姫さんは二百年以上前に起こった「藍染の叛乱」の際に、護廷に味方して戦った伝説の死神代行の仲間で、後にかの死神代行の奥さんになった女性だ。彼女自身も「事象の拒絶」という極めて特異な能力があり、その能力を駆使して死神代行や父さまたちを治癒という形でサポートしてくれたらしい。そして、私も、菊音も、かず兄さまも、佐那ちゃんも、織姫さんの存在なくしてこの世に産まれることはなかったのだと聞いている。
「藍染の叛乱」の最終決戦の際、母さまは圧倒的な力を持つ化け物と交戦して、重傷を負った。腸のほとんどと子宮と卵管を失うほどの大怪我で、本来であれば、その時点で母さまは譬え命は助かったとしても、女性として子供を産む力を完全に喪失していたはずだった。けれども、織姫さんの「事象の拒絶」は母さまが生殖器官を失ったという事実を拒絶し、回帰させた。織姫さんによって、子宮と卵管が復元出来たから、私と菊音は父さまと母さまの娘として生まれることが出来たのだ。
織姫さんは伯父上も救ってくれた。伯父上は伯母上を護る為に、いったんは味方に付いていた藍染を裏切った。藍染との闘いで、母さまに言わせると「ボロ雑巾も同然なくらい」にずたずたにされた伯父上は一度呼吸が完全に停止し、このまま死んでしまうかという状況に陥っていた。霊子の塵に還っていてもおかしくなかった伯父上を蘇生させたのも、織姫さんだった。蘇生後の治癒は卯ノ花隊長が引き継いだらしいが、地獄の門に片足を突っ込んでいた伯父上を力ずくで引っ張り上げたのは織姫さんの功績だと、父さまがしみじみと話してくれた。伯父上が助かったからこそ、かず兄さまと佐那ちゃんは産まれた。
織姫さんは私たち全員の恩人なのだ。そんな織姫さんに、生まれ変わりかも、と感じるほどに雰囲気の良く似た灯里さんを、伯父上や伯母上が気に入らないはずがない。もちろん、母さまも、父さまも、灯里さんが親戚になるのは大歓迎で、諸手を上げて結婚式を心待ちにしている。
織姫さんはもうずっと昔に現世で天寿を全うした。だから、今は流魂街のどこかで転生の順番待ちをしているのかもしれない。あるいは、もうすでにどこかに転生を果たしていても不思議ではない。もし、転生済みだったとしたら、灯里さんが織姫さんの生まれ変わりだというのも、実は可能性がなきにしもあらずだ。
だけど、そんな詮索は無意味なことだ。転生した時点で、織姫さんは織姫さんとしての人格も記憶も失い、別の誰かになって新しい命として生まれる。織姫さんと、彼女が転生した誰かは、魂は同一でも別人なのだ。だから、真に生まれ変わりであろうと、似ているだけの別の魂であろうと、灯里さんは灯里さんであって、織姫さんではない。生まれ変わりかどうかは全く重要ではなかった。大切なことは、かつて父さまたちが恩人だと心からの感謝を捧げていた女性がとても綺麗な魂魄の主で、その人と灯里さんは魂のありようが良く似ている。つまり、彼女はとても美しい、極上の魂魄だという点に尽きた。
菊音は一時、柊也さんが好きなのは灯里さんではないのかと、密かに悶々としていた時期があったらしい。実際は、柊也さんは信頼する部下であり、親友の恋人でもある灯里さんを嫌がらせから庇おうとしていただけのことなんだけど、柊也さんに恋している菊音は不安で仕方なかったそうだ。外見だけの嫌な女相手なら負けるものかと張り合う闘志も湧いたのだろうけど、同性として尊敬していた人だっただけに、敵わないかもしれないって諦めが先に立ったようだ。だから、灯里さんがかず兄さまの恋人だとはっきりして、菊音はすっかり安心した。柊也さんを奪われなくてほっとした反動で、私よりもずっと素直にかず兄さまの結婚を喜んでいるみたいだ。
お休みを合わせられずに、今日は同行できなかった佐那ちゃんは、私と同じかな。大好きな兄さまが取られてしまうことが悔しくて、だけど、お嫁さんになる灯里さんのことが大好きだから、彼女が義姉さんに、家族になることが嬉しくもあるという気持ちだ。
実の妹であるだけに、かず兄さまに近付く外見だけの計算高い女の人を、私たちよりもはるかに露骨に佐那ちゃんは嫌っていた。
「兄さまが連れて来たのが灯里さんで、すっごくほっとしたの。変な女の人だったら、喩え兄さまがどんなに好きな人でも、あたし、きっと意地悪しちゃっていたよ」
と灯里さんがかず兄さまの恋人だと初めて知らされた日、佐那ちゃんは私に告白した。
「だよねぇ。私もなまじっかな女の人なら、絶対に納得できなかったもの。きっと佐那ちゃんと一緒になって意地悪してた」
「灯里さんなら、悔しいけど文句付けられないもん」
「佐那ちゃんに激しく同意。灯里さんなら仕方ないよね」
「うん、灯里さんなら兄さまを取られちゃっても仕方がないって思えたの。あや姉さまもあたしも納得出来る女の人で良かったね」
と私と佐那ちゃんは盛り上がったものだ。
香田呉服店の上得意専用の奥の間で、山のように積み上げられた呉服地と帯地を前に、私も菊音もすっかり興奮していた。
「あ、これ素敵!」
「ええ〜、こっちの方が灯里さんって感じだよ!」
「それもいいけど、こっちも良くない?」
「ねぇ、これは?」
「わ、素敵。じゃこれも候補にしておこうね」
と自分の着物でもないのにはしゃぎまくる私と菊音にかず兄さまは完全に圧倒されてしまって、もう任せたという風情で沈黙している。
値段は気にしなくてもいいとかず兄さまから言われている私たちは、灯里さんに一等似合う、素敵な着物を選び出すのが使命だとすっかり燃え上がっていた。
だって、幸せになってほしいもの。
贈られた綺麗な着物を纏って、かず兄さまの傍らで微笑む灯里さんを見たいもの。
ほんのちょっぴりの悔しさと妬ましさは、どうしたって否定出来ない。
だけど、私たちは来春の結婚式を、本当に楽しみに待ち望んでいるのだ。
大好きな、大好きなかず兄さま。
そして、かず兄さまが選んだ素敵な灯里さん。
二人ともが大切だから、幸せになって欲しいっていう気持ちも、紛れもない真実。
幸せになって欲しい。
父さまと母さまみたいに。伯父上と伯母上みたいに。桃ちゃん叔母上とイヅルさんみたいに。仲のいい夫婦になって欲しい。
悔しさは、きっと、今だけの感傷だ。
どうか、幸せになって下さい。
そして、どうか、これからもずっと、私の大事な兄さまと姉さまでいて下さい。
******************************************
5周年記念リクエスト小噺 その1
5周年記念フリーリクエストより「遠い遠い未来、冬獅郎やギンらの子供たちのお嫁さん計画の顛末」、叛乱終結から二百十年から二十年後くらいを想定した、日乱夫婦の長女・絢乃視点のお話です。
結局、浮卯夫婦の息子の柊也は「俺の嫁計画」を全う。日乱夫婦の次女・菊音とくっつきます。ギン絢夫婦の長男・主真は従妹たちとは兄妹関係に陥ってしまい、他の女性と結婚することになりました。そして、絢乃は死神になり、目下、霊術院時代に出会った男性に絶賛片想い中です。
話の中では語れなかったですけど、管理人の脳内設定では総隊長は原作を踏襲して山爺から京楽総隊長に代替わりしています。柊也は次期隊長内定済の四番隊第三席。主真は阿散井九番隊長の下、現在は副隊長ですが、近いうちに他の隊の隊長に就任すると噂されています。主真の前の九番隊副隊長は言うまでもなく檜佐木修兵氏ですが、彼は討伐の際に負った怪我がもとで死神を引退し、今は霊術院で鬼道の教師として後進の育成に励んでいます。絢乃は檜佐木さん死神引退後に霊術院に入学したので、彼にみっちりと鬼道を教わりました。菊音と佐那は死神にはならずに瀞霊廷で別の仕事に就いていて、浮竹隊長と桃ちゃんは死神を引退済。でもって、五番隊の副隊長はちょっとだけ名前が出てきた朽木家の跡取り(白哉兄様の養子)の青樹が務めていると、そんな感じで妄想しています。
頭の中では色々と考えていたのですが、書く機会はないだろうと思っていました。リクエストを下さったあじさいさま。ありがとうございました。