蛍火情夜
灯りのない部屋の窓辺に凭れるように腰を下ろして、乱菊はうっとりと窓外の光景に見入っていた。
目の前には、夜闇に僅かに水面を煌めかせる川の流れとぼんやりと黒いシルエットになって浮かび上がる岸辺の蒲の群生。そして、緑色味を帯びた淡やかな黄色の小さな光の群れが、ゆったりとした間隔で明滅を繰り返している。向かいの岸で偶さかに人声がするのは、蛍狩りに訪れた近隣の住人だろうか。
ここは西流魂街の三番街区、北流魂街との境界にほど近い場所にある舟宿だ。流魂街でも一桁の街区は治安が良く、商売も盛んだ。この舟宿の前を流れる川は西流魂四番街区から北流魂街の八番街区に入り、六番、五番、三番街区に至る水路になっているので、商売の人々や荷の行き来の為にここの他にも幾つかの舟宿が点在していた。
宿と名が付いていても、舟宿は人を宿泊させる為の施設ではない。舟による人荷の運搬、釣り客相手の小型の舟の貸し出しなどで利を得ている商いだ。しかし、比較的に大きな商いをしている舟宿の中には、夜更けに到着した客や舟の時間待ちの客の為に簡易な宿泊部屋を用意しているところがある。乱菊が今いる宿が正にそれであった。この辺りでは一番大きな舟宿で、人荷運搬の為の定時便の運行の他、納涼の屋形船や川釣り用の小舟など、手広く商っている。そして、船着場のある本館には三部屋ほど、宿泊用の部屋が用意されていた。
ここら辺りは蛍の名所で、梅雨入り直前のこの季節は蛍狩りの客で賑わう。乱菊は少し前まで、冬獅郎と共に、屋形船による蛍狩りを楽しんでいた。川面に近い船上から眺めるのは土手の上から見るよりもずっと光の群れが間近で、蒲の葉陰に潜む光も見て取れるせいか、より数多い光を楽しむことが出来た。屋形船では酒肴も供された。幻想的な蛍の群舞を眺めながらの酒は格別で、ほろ酔い加減の乱菊は、冬獅郎の、
「酔っ払った状態で瀞霊廷まで戻るのは怠いから、今晩はここに泊まって、明日の朝、早めに起きて戻ろう」
という意見に頷いた。
本来が宿屋ではないので、宿としては簡素だった。だが、自分で床を延べねばならないとはいえ、布団は清潔なものであったし、こじんまりとしていたが風呂にも入れたので、冬獅郎と乱菊に不満はなかった。
湯屋は本当に小さな、狭いものだった。二人で入るには窮屈だったので、まず冬獅郎が先に湯を使い、後から乱菊が入った。乱菊が戻った時、部屋に冬獅郎はいなかった。散歩でもしているのかと、乱菊はさして疑問を感じずに、窓辺で蛍を眺めながら待つことにした。
時間帯によって、蛍の活動が活発な時と鈍い時があると聞いたことがある。活動が鈍る時間帯に入ったのか、飛び交う蛍の数が幾分か減って来たようだ。尤も、蒲の繁みには相変わらず夥しい光が瞬いている。
そうやって、ぼんやりと蛍狩りの余韻に浸っていると、背後でガタガタと建て付けの悪い襖を開ける音がした。振り返ると、冬獅郎が部屋に入って来るところだった。
「おかえりなさい、お散歩にでも行かれていたんですか?」
乱菊の問いに、まず、
「ただいま」
と返した後、冬獅郎は続けた。
「ちょっと湯中りしたもんでな。外で風に当たって来た」
言いながら、彼は後ろ手で襖を閉めた。乱菊はその様子に可笑しそうに笑んだ。
襖を閉めているのと反対側の手も背中に回っている。乱菊に見せないようにと画策しているらしいが、生憎と隠そうとしているそれが発光するものだから、灯りを消した室内では光が襖に映ってしまいばればれだ。
「蛍、捕まえて来られたんですか?」
お見通しですよ、と得意げな乱菊に、冬獅郎はにやっと笑って隠していた手を突き出した。
「え?」
乱菊は眸を瞠った。してやったりと、悪戯が成功した少年のように、冬獅郎は破顔した。
「これは予想外だったろう?」
仄かな光を纏った花が乱菊の前に差し出されていた。
「そこに蛍袋が飾ってあったからな。ちょっと思いついて」
出入り口の襖のすぐ横の柱には簡素な竹筒の花入れが吊り下がっており、そこに紫色の蛍袋が一枝、活けてあった。冬獅郎はその蛍袋を持ち出して、釣鐘型の花弁に捕らえた蛍を入れたのだ。花は五輪咲いていたので、それぞれに一匹ずつの蛍を仕込んだ。薄い花びら越しに蛍が放つ淡い光が、一定の間隔で輝いたり、すうっと薄れて消えたりするさまは何とも妖しくて、乱菊は言葉もなく見つめていた。
「…捕まえた蛍を入れる虫籠代わりに使ったのが、名前の由来だという説があるらしいが…」
言いさした冬獅郎に、
「虫籠というより、蛍の提灯みたい…。すごく綺麗…」
と乱菊はうっとりと呟いた。彼女は下から花の中を覗き込んだ。どの蛍も花蕊にしっかりとしがみついていて、逃げる気配がない。どうやら、蛍にとって、この釣鐘のような花の中は居心地の良い場所らしい。
冬獅郎は蛍が入ったままの蛍袋を元通りに花入れに挿した。
ほわん、ほわんと、室内にかそけき光が明滅し、変哲のない四角い部屋が急にロマンチックな空間に変じた。
「乱菊」
艶めいた低音で振り向きざまに名を呼ばれ、乱菊は僅かに身を固くした。
窓辺に座り込んだままの彼女の許に、大股に歩み寄った冬獅郎は長身を大きく屈めた。彼の右手が乱菊の頬に触れる。親指が彼女の顎を掬って上向かせると、冬獅郎は唇を重ね合わせた。軽く触れ合うだけの口接けだったが、乱菊の眸に甘さが宿った。
冬獅郎は腰を落として彼女の前に座すと、腕を伸ばし彼女の上半身を引き寄せた。
「ん…ふ…」
重なった唇の隙間から侵入して来た無遠慮な舌が、乱菊の口内を蹂躙してゆく。歯列をなぞられ、上顎を舐められ、舌を絡め取られて、乱菊はうっとりと頭の芯が痺れていった。より深い快楽が欲しくて、彼女は自ら、離れようかとする冬獅郎の舌を引き留めた。
「…んふ…ぅ…」
ほんの一瞬、唇が離れた隙に、細いよがりが漏れた。角度を少しだけ鋭角に変えて、再び唇を吸うと、乱菊の上半身から力が抜けた。
「あ…ん…」
漸く、口接けが終わった時には、乱菊は冬獅郎が支えていないと倒れそうな様子で弛緩しきっていた。彼女を腕に支え、ゆったりと背中を愛撫しながら、冬獅郎は布団の傍までいざっていった。
彼は斜めに乱菊を布団に押し倒した。真上から女の顔を覗き込むと、彼はおもむろに、
「覚えておけ。男の甘さの半分は『下心』で出来ているんだ」
と現世の某鎮痛剤のCMのフレーズを真似たような一言を発した。
「後の半分は?」
くすくすと艶めいた忍び笑いを漏らしながら、乱菊は問いを返す。
「惚れた弱味」
と冬獅郎も小さく笑った。
そう。
蛍狩りに行きたいと言い出したのは乱菊だ。しかし、強請った訳ではない。
数日前に所用で執務室を訪れた七緒とお喋りをしていた最中、何かの拍子に話題が蛍のことに転がって、乱菊が流魂街の蛍は綺麗だったと話したのだ。もちろん、瀞霊廷でも蛍は見られる。だが、塀に囲まれた閉ざされた空間であることが問題なのか、流魂街ほどの数の群舞はついぞ見たことがなかった。
乱菊の記憶にある流魂街の蛍は、もっと圧倒されるほどの数だった。かつて彼女が生きてきた最貧区は名の通り貧しく、治安も最悪と言ってよい場所だった。反面、人々の荒廃と関わりのないむき出しの自然は豊かだった。当時、寝食を共にしていたギンは、貧しい生活の中でも何とか彼女を喜ばせたいと考えたのだろう。美しい花が咲いている場所や、綺麗な水鳥が集っている泉などを見つけると、必ず、彼女をそこに案内した。もちろん、蛍の群れる場所も、ギンが見つけては乱菊を連れて行ったところだ。彼と二人で眺めた蛍舞う風景は吹き溜まりの荒んだ生活の中の愛おしい潤いの思い出となって、乱菊の心の宝箱に仕舞い込まれている。
だから、七緒と蛍の話になった時、つい、流魂街はもっと綺麗だったと、周り一面を数え切れない蛍が舞うのだと、自慢とも、愚痴ともつかずに語ったのだ。
冬獅郎はその時は、何も言わなかった。だが、今日になっていきなり、
「今日は定時に上がって出掛けるぞ」
と宣言し、そうして、連れて来られたのが屋形船での蛍狩りを催しているこの舟宿だったというわけだ。
冬獅郎の気遣いが嬉しくも、照れくさく、
「たいちょってば、ほ〜んとあたしに甘いんだから」
と揶揄ったのは、舟に乗り込む前のことだ。
彼は今頃になって、それを「下心」だと言い立てるのだ。
下心塗れの男など願い下げだが、それが好きな男なら話は別だ。もっと下心を持って欲しいと、むしろ、喜ばしく感じる。乱菊は腕を冬獅郎の首に伸ばして、自ら
冬獅郎は望まれるままに口接けを落としつつ、女の夜着の胸元をくつろげた。節くれ立った、硬い剣だこのある掌がゆるゆると乱菊の左乳房を揉みしだく。熱を帯びた吐息が重なった唇の端から零れて室内に淫靡に満ちてゆく。
「乱菊」
冬獅郎の声は媚薬だ。耳に直接吹き込まれると、否が応でも感じてしまう。
「…冬獅郎さん…」
五匹の蛍の規則的な明滅が、乱菊を催眠状態に導いていくようだ。明るくなった瞬間に見えた漢くさい冬獅郎の視線。それを確かめたいと眸を凝らす度、光が消えて彼の視線は闇に沈んでしまう。もどかしさに乱菊が吐息を吐けば、男は更に強く乳房を弄った。
一方で、乱菊の肌を好き放題に唇が這い回る。
右手で胸をこねくり回したままに、左手が夜着の裾を割って太腿をねっとりと撫で上げた。
「…あ、ふ…」
乱菊はびくびくと身体を痙攣させた。早くも、彼女は情欲に溺れていた。潤んだ瞳も、膚にうっすらと浮いた汗も、無意識で蠢く腰も、乱菊の昂りを如実に示している。
「と…獅郎さん…」
早く来て、と彼女の眼差しが誘うように揺れる。ぞく、と煽られた冬獅郎が見入った時、光が動いた。
一匹の蛍が釣鐘の花弁から抜け出し、ふわりと室内を舞ったのだ。光の軌跡を残しながら、気ままに飛び回った蛍は、すぐに乱菊の胸元に降り立った。
冬獅郎は息を呑んだ。ごくりと唾を飲み込む音が、やけに大きく響いた気がした。最高級の白磁を連想させる乱菊の胸が、薄草色を帯びた灯火に鮮やかに浮かび上がっていた。赤味を増してつんと立ち上がった蕾が、冬獅郎を挑発して震えている。冬獅郎は咄嗟に、その可愛らしい豆粒のような突起を舐め上げた。
「…は…ん…」
鼻にかかった声が、微かに漏れ出す。腰を中心に漣のように痙攣が広がり、乱菊は再び潤んだ瞳で冬獅郎を見上げた。
ゆらり、ゆうらり、強弱をつけて放たれる淡い灯火に、乱菊の乱れた肢体は闇から浮かび上がっている。冬獅郎はその蠱惑的な四肢に魅入られて、目を離せなくなっていた。一方の乱菊も蛍の
やがて、気紛れな蛍は乱菊の胸から飛び立った。別の二匹が花の宿からもぞもぞと這い出て、先の一匹とワルツを踊るかのように近付いたり、離れたりしながら、室内を飛び交い始めた。
ゆうらり、ゆらり
ゆうらり、ゆらり
強く、弱く揺らめく燭の下、冬獅郎は乱菊の足首を掴むと、大きく左右に広げた。
「あ、やだっ!」
咄嗟に脚を閉じようとする女を力を込めて押さえつけ、冬獅郎は彼だけが見ることを許されている秘宝に視線を固定させた。
(蘭だな)
乱菊の秘め所を目にする度に、冬獅郎は花のようだと思う。色素が薄く、透けるような白い膚をしている乱菊は、秘め所の色合いも淡い。使い込むと色素が沈澱してくすんでくるらしく、確かに、彼が初めて乱菊を知った頃に比べると僅かに赤味が強くなった気がする。だが、それでもなお、彼女の秘部は美しい薄紅を保っている。その優しい色合いはやや厚ぼったい形も影響して、冬獅郎に蘭や花菖蒲を連想させるのだ。
今宵の乱菊は洋蘭だ。熱帯のスコールに打たれて濡れそぼったカトレアが、夜闇の中で小さな虫が灯す火に照らされている。
(それなら、俺は花に魅せられた羽虫か)
蜜蜂が蜜を求めて花に触れるように、冬獅郎もまた、甘い蜜を滴らせる至高の花に口接けた。
「あ、あぁぁン」
蕩けそうな喘ぎと小刻みな痙攣が、乱菊の快美を訴える。音を立てて蜜を啜り込めば、びくん、びくんと乱菊は大きく身体を跳ね上げた。
「たいちょ、たいちょ…、来てぇ!」
耐えかねたように、乱菊が叫んだ。
いつしか、私で二人でいる時は、「隊長」ではなく「冬獅郎さん」と呼びかけるのが自然になっていた。それなのに、切羽詰まると、乱菊は「隊長」に戻ってしまう。
蛍の催淫効果は思いの外に、高かったらしい。乱菊は早くもすっかり乱れていた。
「たいちょ、お願い…」
涙混じりの舌っ足らずな訴えに応え、冬獅郎は乱菊の右腿に馬乗りになった。張り詰めた剛直を乱菊の
乱菊は大きく眸を見開いた。唇が円弧を描き、叫び出す寸前で止まった。
一呼吸置いて、
「ひぃぃ」
と細い咽び啼きが転げ落ちた。
反り返った冬獅郎の硬い牡が乱菊の裡を強く擦り上げ、乱菊は息が止まりそうになった。
冬獅郎は右手で掲げた乱菊の脚を、ゆっくりとすりこぎを廻すように円を描いて動かした。
「ひっ!」
強すぎる刺激に乱菊が短い悲鳴を発した時、蛍が乱菊の髪に停まった。
冬獅郎は、快楽に押し流され、愉悦の涙でぐしょぐしょに濡れた乱菊を見た。
乱菊は、牡の欲望に昂りきり、肉食の獣の獰猛さを宿した冬獅郎を認めた。
鮮やかに明るみになったお互いの欲望が、二人を一気に高みに押し上げた。
「たいちょ!! 冬獅…郎さん!」
「乱菊っ!」
愛しい名を叫びながら、二人はもろともに何処までも登って行った。
目が覚めると、辺りは暗かった。
半ば寝惚けた頭が、それでもいつもと異なる部屋の様子に違和感を覚え、
(そっか…、舟宿に泊まったんだっけ…)
とゆっくりと結論を導き出す。
もぞもぞと寝返りを打つと、
「目が覚めたのか?」
としっかりした声が問いかけた。
「とうしろうさん?」
覚醒しきれないままに、とろんと男の名を呼ぶと、
「夜明けまでまだずいぶん時間があるぞ。朝は早いんだ。しっかり寝ておけ」
と諭された。
「はぁい…」
再び、乱菊はもぞもぞと動いた。そうして、冬獅郎の腕の中で居心地のよい姿勢を取ると、すうと眠りに引き込まれていった。
「寝つきはいいんだよな」
最前まで、幻想的に部屋を飛び交っていた蛍はもういない。情交を終え、疲れ切った乱菊が寝入ってしまってから、冬獅郎は外に放したのだ。
(いい思いをさせてもらったからな…)
蛍火に浮かんだ乱菊の妖艶な肢体と常になく乱れた仕草を思い出して、冬獅郎はひっそりと笑みを零した。
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5周年記念リクエスト小噺 その2
ミオリさまから頂いた「日乱で色っぽい話(出来れば18禁的・攻め隊長)」とひのかさまから頂いた「『ぬばたまに沈む』のような艶っぽい話」という裏系のリクエストを一話でまとめて消化。時間軸としては叛乱の五、六年後くらいと思います。
一応、攻め隊長を念頭に書き始めたのですが、蛍火の下での情交という特殊な状況に乱菊さんが酔ってしまい、もうひとつ強気に攻め切れなかったようです。ぬるめですが、一応18禁の話になります。
それにしても、拙宅の隊長って結構マニアックな嗜好があるような気がするのは気のせいでしょうか。