Spy


 一般隊員の修練の指導をすべく、三番隊第一修練場に向かって、ギンは歩んでいた。修練場の敷地は木犀の生垣になっている。花の盛りには芳香が心地良いし、また、匂い袋やままごとの飯の代わりにするつもりなのか、女の童が花を集めに遊びに来たりするので、ギンはこの生垣が気に入っていた。花期の終わった現在は葉をこんもりと茂らせているばかりの木犀の連なりに沿って、のんびりと門に向かっていたギンだったが、不意に飛び込んで来た、
「嘘、絢女隊長がっ!?」
という大声に思わず足を止めた。
 声は生垣の内側からで、すぐに大声を咎める声が続いた。どうやら、隊員が生垣の陰で、何やら噂話をしているらしい。
 ギンは霊圧を閉じ、気配も消して声の方に忍び寄った。絢女の名が気になったのだ。話し声と霊圧から、若い女性の平隊員が五人いるらしいと判断出来た。隊長、しかも、かつては藍染の下で暗殺と諜報を担っていたギンの盗み聞きに、平隊員が気付けるはずもない。潜めたつもりの声は筒抜けだった。
「見間違いじゃないの?」
「見間違うわけがないでしょー。朽木隊長と絢女隊長だよ。存在感が一般人と全然違うって」
「でもさ、お二人とも同じ隊長なんだし、連れ立って歩いているくらい普通じゃないの? それを言うなら、私だって、朽木隊長が卯ノ花隊長と歩いてらっしゃるところとか、日番谷隊長が伊勢副隊長と歩いていらっしゃるところとか見たことあるし」
と一人が諫める口調で反論した。それに対して、見間違いではないと告げた娘1(仮)が再反論を返した。
「そりゃ、この辺りで見かけたんだったら、あたしだって何とも思わないよ。でも、お二人を見たのって岸谷なんだよ」
 岸谷は瀞霊廷の郊外、南の朱洼門の近隣区域である。瀞霊廷内でも、瀞霊壁に近い郊外は貧しい下級貴族の集落が点在している地域にあたるが、岸谷は例外だ。上・中級貴族の寮や風雅な料亭などが集まっている裕福な貴族の別荘地区になっている。
「お二人とも私服だったし…」
「私服…」
「そうだよ。それで、二人して、立派なお屋敷に一緒に入って行かれたんだから!」
と娘1は力を込めた。
「うっそ」
「まさか、それって朽木隊長の別荘?」
「かも。朽木家ならあの辺りに寮の一軒や二軒持っていらしても不思議じゃないし」
 ひそひそ声の言い合いが続いた後、
「それなら、やっぱり…」
「まさか…」
 数人が口籠もって言えなかった単語を、一人がぽつりと口にした。
    逢い引き?」
 沈黙が落ちて来た。
 生垣の反対側に佇むギンも、思わず固まっていた。岸谷には、確かに朽木家の寮がある。白哉の祖父であり、先代当主でもある銀嶺が悠々自適の隠居生活を送っているはずだ。
(絢女と朽木はんが…)
 二人が親しくしていることは、ギンも承知していた。数年前の叛乱のどさくさでルキアと緋真との関係を公にした白哉は、その後、瀞霊廷に帰還を果たした絢女を、おおっぴらに亡き緋真の友人として遇するようになっていた。未だに緋真を想う白哉は亡妻を死の直前まで励ましてくれた絢女に深く感謝しており、それが彼女に対する特別扱いに繋がっていた。それを知っていても、ギンは口出ししたことはない。本音を言えば面白くないのは確かなのだが、恋愛感情を伴わない友人関係にまで煩くして、絢女に鬱陶しがられるのが怖かったのだ。彼女の前では度量の大きい男でいたいという見栄だとは自覚している。
(絢女に限って、それはあらへんわ)
 ギンの心の声が聞こえたわけでもあるまいが、
「でも、でも、」
と一人の娘が口火を切った。
「絢女隊長は市丸隊長とお付き合いされているでしょ? いつも、仲睦まじくしていらっしゃるの、みんな、知ってるじゃない」
 他の二人が同調した。
「そうだよ。大体、生真面目で有名な絢女隊長が二股なんてあるわけがないよ」
「それにさ、あんなに女性関係が奔放だった市丸隊長が絢女隊長一筋なんだよ。市丸隊長に一心に想われていらっしゃるのに、浮気なんて有り得ないって」
「うん。ない、ない。きっと、何かご用事があったんだよ」
「そうだ。絢女隊長って、ルキアさまとも親しくしていらっしゃるから、ルキアさまのことで内密の相談があったとかかもしれないよ」
「あ、それ、あるかも。朽木隊長、ルキアさまのこと大事にしていらっしゃるからねー」
 口々に言い立てられて、娘1が、
「それは、そうかもしれないけど…」
と言い淀む。
 その時、それまで無言を貫いていた五人めの娘が、
「私もつい一昨日、お二人を見かけたよ」
と重たい口調で切り出した。
「どこで?」
「北流魂街…。玄野苑こくやおん唄多原うただはら
と娘5は答えた。
 娘2・3・4は咄嗟に言葉を失った。玄野苑は北流魂街の三番街区である。そして、唄多原は玄野苑の中でも端の、五番街区に隣接した地域を指している。東西南北、どこの流魂街でも一桁の番号の街区は治安が良く、商売も盛んで豊かな住人も多い。そうなると、必然的に歓楽街も形成されることになる。唄多原の周辺はそういった歓楽街に当たり、飲み屋が軒を連ね、さらには連れ込み宿の類も集中している一角だった。
「…まさか…、お店に入って行かれたの?」
 娘2がおそるおそる尋ねた。無論、彼女のいう店というのは飲み屋ではなくて、連れ込み宿を指しているのだろう。
「ううん。通りを歩いていらっしゃるのを見かけただけ…」
 その応えに、僅かにほっとした気配が流れる。
「でも、お忍びっぽかった。お二人とも、妙に地味めな私服だったし…」
と娘5は続けた。
 長い沈黙の後、
「でも、やっぱり、考えられないよ」
 娘4が言った。
「大体さぁ、岸谷の寮だったら、さっき言ったみたいに内密の相談とか色々理由は考えられるし、唄多原だって、通りを歩いていらしただけなんでしょ? 別のところにご用事があって、通り道だけだったかもしれないし、何か、秘密の捜索をされてたのかもだし。ただお二人が珍しい所にいらしただけなら、浮気の証拠になんてならないよ」
「だよね」
と娘3が賛同した。
「あんまり、騒ぐのはよくないと思うな。もし、秘密の捜索とかだったのに騒いだりしたら、咎められるのは私たちだよ」
 彼女の結論に、娘1と娘5は不承不承頷いた。確かに、疑おうと思えばいくらでも疑える状況ではあるが、別の理由だっていくらでも考えられる程度のあやふやなものなのだ。
 女性隊員たちが生垣を離れた気配に、ギンも歩き出した。だが、気にするまいと思っても、つい、わだかまってしまう重たい心はどうすることも出来なかった。

 憧れは理解から遠い感情だ。
 これを言ったのは、かつてギンの上司だった今は亡き男だ。
 確かに、真理ではあるとギンは思う。相手が人にせよ、何らかの事象であるにせよ、理解する為には対象への冷静さが求められる。憧れとか、恋愛とか、身内の贔屓目などがもたらす感情は、その冷静さを失わせる作用があるのだ。
 理性で考えれば、絢女が浮気なんて有り得ないと結論が出る。平隊員の一人が言っていたように、生真面目な絢女は、そもそもから二股とか浮気が出来ない性分だ。それに、彼女がギンに寄せる想いは真摯で、ギンには愛されている実感が間違いなくあった。大体、白哉にしたところで、彼の心に住まうのは未だに亡き緋真なのだ。行方が知れなかろうが、生死不明であろうが、ギンが絢女を忘れることが出来なかったように、白哉にとっての緋真もまた、簡単には消し去ることが出来ない重い存在だったのだ。白哉の絢女に対する好意は、緋真にまつわる感謝の念と絢女自身の人柄に対する好感から発しており、恋愛感情での好意とは一線を画している。だから、絢女と白哉が一緒にいたとしても、単に親しい友人が用事があって連れ立っていただけのはずだ。
 それが分かっているのに感情がざわつくのは、ギンがどうしようもないほどに絢女に恋をしているからだ。
(何、やっとんのや、ボクは…)
 穏行を使って身を隠し、絢女の後を付けながら、ギンは自己嫌悪に苛まれていた。今日は女性死神協会の幹部会があるとかで、逢瀬の誘いを断られていた。いつもなら、それで終わる話なのに、出かける彼女を尾行してしまったのは、先日耳にした噂が頭から離れなかったからだ。馬鹿馬鹿しいと、あり得ないと、強く否定出来るほどに彼女を信じている。にもかかわらず、頭から消えてくれない。だから、疑心からというよりも、安心したくて尾行した。
 女性死神協会の会合なら一緒に出掛けるはずの桃がおらず、絢女一人なのは不思議ではない。桃は先日から風邪をこじらせて寝込んでいるからだ。ギンの尾行に全く気が付いていない絢女は、特段、急ぐでもなく、てくてくと歩んで行く。
(…って、あれ?)
 だが、ギンは途中で強い不安に襲われた。彼女の足が上級貴族の屋敷が集まっている方角に向かっていることを悟ったからだ。やがて、彼は茫然と立ち竦むことになった。絢女は正に朽木家を訪れたのだ。しかも、正門からではなく、使用人が出入りする為の勝手門からひっそりと屋敷に入り込んだ。
(…嘘や…)
 絢女の消えた勝手門を見つめ、ギンは唇を噛みしめた。何故か、しばらく前に現世で流行っていた歌を思い出し、彼は自嘲の溜息を洩らした。その歌は、中止になってしまったデートの約束日にたまたま恋人を見かけた男性が、いたずら心から彼女を尾行するという内容だった。彼女を信じていた男はきっと女友達とでも待ち合わせしているのだろうと考えていたのだが、目にしたのは別な男とキスを交わす恋人の姿だった。打ちのめされながら、まだ「信じている」と呟き続ける男を、哀れなもんやと、かつてのギンはせせら嗤ったものだ。だが、今のギンは正しくあの歌の男ではないか。女性死神協会の会合だなどと偽り、絢女は朽木家を訪ねていたのだから。
 ギンは力なく、踵を返した。だが、
(あれ? 伊勢さん…?)
 大通りを折れて、ギンが佇む小路に入って来る七緒を認め、ギンの足は再び止まった。穏行は解いていなかったので、七緒はギンの存在に全く気が付かないままに彼の脇をすり抜け、勝手門から朽木家の邸内に入って行った。
(何で、伊勢さんが…?)
 混乱するギンの前を、今度は虎徹姉妹と乱菊が通り抜けた。ちょっとしてから、砕蜂が、そして、彼の頭上をばびゅんと勢いよく飛び越えてやちるが朽木家に侵入したのを見届け、ギンはやっと事態を覚った。
(あの噂…、本当やったんや)
 ギンは掌を額に押し当て、背を壁に預けて、たっぷり半刻はんこくほど瞑目した。
 女性死神協会が朽木家の邸内に秘密裡に会合所を設けたという噂は、男性死神の間でまことしやかに囁かれていた。理事長である卯ノ花烈を黒幕に、涅ネムがマユリの下で培った怪しげな技術を駆使して、白哉すら気づかぬうちに作り上げてしまったというのだ。作るまでは秘密裡であったが、実際に会合所として機能し始めると、当然、人の出入りが発生するので、さすがに白哉の知るところになった。明らかに不法侵入・不法占拠に当たるので、即刻退去を命じられても文句は言えなかったはずだ。だが、白哉は渋々ではあるが、会合所の存続と使用を事後承諾で認めたという。女性死神協会、殊にも、理事長である卯ノ花烈を敵に回すのを避け、恩を売る形で利を取ったというのが、噂の全容である。それを聞いた時には、いくら女性死神協会が傍若無人な傾向にあるとはいえ、いくら何でもと、ギンは一笑に附した。しかし、噂は真実であったらしい。そして、絢女の「会合だ」との言葉も、嘘偽りではなかったのだ。
 一瞬の絶望が深かった分、すっかり気抜けしてしまった。ギンはすごすごと自隊の隊長舎に引き上げるしかなかった。

 唄多原が本格的に賑わうのは、深夜に近い時間帯である。飲み屋に客が訪れ始め、始動を開始したばかりの街にギンは居た。
 絢女と白哉が歩いていたという目撃証言の真相を探る為である。
 白哉にしろ、絢女にしろ、とにかく目立つ。何といっても、とびきりの美形なのだ。どんなに地味な格好をしていようと、人目を惹かないではいられない。単独でも充分に耳目を集める二人が連れ立っていたならば、これはもう、注目の的だったことは想像に難くない。ちょっと聞き込みをすれば、二人のことを見かけた者はすぐにも見つかるだろう。それらの証言を繋げれば、彼らの目的も掴めるはずだ。
 先日の尾行が肩すかしだったせいで、ギンも意地になっていた。二人が何でもなかったという証拠を見付けなければ、どうにも気持ちが治まらないのだ。
 大きめの飲み屋に目星を付け、暖簾をくぐろうかとした時だ。
「市丸ではないか」
と聞き覚えのある声に、ギンは振り向いた。
「…砕蜂はん…」
 町娘風の私服姿の砕蜂の登場に、ギンはらしくもなく、絶句した。
「こんな所で何をしている」
 砕蜂の眸がすうっと細められ、表情が剣呑なものに変わった。
「砕蜂はんこそ、何してはるん?」
 辛うじて立ち直ったギンが反問する。
「仕事だ」
 簡潔に砕蜂は答えた。おそらく、隠密機動の領分に関わる捜索なのだろう。それ以上は詮索無用、と視線だけで釘を刺し、彼女はもう一度、問いを繰り返した。
「それで、きさまはこんな所で何をしている?」
「仕事」
とギンもまた一言で返した。
「何の仕事だ?」
 疑わしげな視線を鉄面皮で跳ね除け、
「そこは聞かへんのが暗黙の了解いうもんや。砕蜂はんかて、ボクが訊いても答えられへんのんやし」
「ふうん…」
 納得していない様子で、砕蜂はギンを見返した。
「まさか、昔の悪い病がぶり返したのではあるまいな?」
 彼女の言うところの「悪い病」が、かつての奔放でだらしのない女性関係であることを正確に察して、ギンはかぶりを振った。
「そんなわけあらへん。絢女がおるのに、他の女なんて興味ないわ」
「ふん。まぁ、確かに、あれだけ大騒ぎして手に入れた女だからな」
と砕蜂は皮肉に口許を歪めた。
「だが、覚えておけ。日番谷絢女を裏切ったりしたら、市丸は明日の日を拝めないぞ」
「…砕蜂はんは絢女の味方なんや」
「私がというより、女性死神協会の幹部全員だな」
 くつり、と低く砕蜂は嗤った。
「雀蜂、肉雫接、灰猫、涅の人体実験。好みの方法で葬ってやるから、そのつもりで選んでおくことだ」
「どれもごめんや。大体、ボクは絢女を裏切ったりしぃへんのやから、選ぶ必要ないで」
「今日のところは信じておいてやろう」
 言い捨てると、砕蜂は踵を返してギンから離れて行った。
 ギンは、はぁぁ、と大きな溜息をついた。彼女に目撃されて「仕事」と答えた手前、そのまま飲み屋には入ったが、聞き込みをする気力は完全に殺がれてしまった。

「ギン。あなた、この頃、変よ」
 真正面から絢女に追及され、ギンは柄にもなく口籠ることになった。
「別に変なことあらへんと思うけど?」
とのごまかしも、絢女には通用しない。
「私に言えないこと? 秘密の任務が気に掛かっているとかいう事情なら、深くは聞かないけど、でも、変なのは間違いないから」
ときっぱりと言い切られ、ギンは漸くに腹を括った。
「あんなぁ、絢女」
「何?」
「十日くらい前やのんけど、唄多原に行った?」
 ギンの問いに、絢女は瞬きをした。
「その…、唄多原で絢女を見かけた言うモンがおってな…」
「ああ」
 絢女は頷いた。
「もしかして、その人、私と朽木隊長が一緒だったって言った?」
 ギンが言わなかったことを、絢女はあっさりと口にした。
「それで、私が朽木隊長と浮気しているとでも思ったの?」
 地雷を踏んだ、とギンは観念した。絢女は寛容で、滅多なことで怒ったりしない女だ。だが、常日頃は温和な者ほどいざ怒ると怖ろしいというのは彼女にも当てはまって、いったん臍を曲げてしまった時の絢女のしつこさに関して、ギンは骨身に沁みている。浮気を疑われ、彼女は完全に怒ったに違いないと絶望に駆られながら、ギンは言い訳を口にした。
「疑うたわけやあらへんのや」
と言い繕ったギンに、
「そう?」
 絢女の声音は素っ気ない。
「疑うたんやないけどな、そいでも、やっぱり気になるいうか…」
 もごもごと尻すぼみになってしまったギンに、絢女の表情がふっと優しくなった。
「まぁ、気になるわよね。場所が場所だし」
と彼女は鷹揚な意見を述べた。
「怒ってへんの?」
「何を?」
「や、その…、ボクが疑うたって…」
「疑ったんじゃないんでしょ?」
「うん、そうやけど…」
「気になるのはどうしようもないわ。私だって、いくらギンが『遊びだった』って言っても、ギンの昔の女の人のことが気になるし…」
 彼女は改めて、ギンをしっかりと見据えると、
「用事があったのは、玉造横丁よ」
と告げた。
「唄多原は通り道でしょう?」
 玉造横丁は北流魂街五番街区、寒堀にある小さな集落の通称である。三番街区に近い場所に位置しており、瀞霊廷から玉造横丁を目指した場合、唄多原は紛うことなく通り道に当たる。唄多原を迂回するとかなり遠回りになるのだ。
「今年の誕生日にギンがくれた珊瑚の髪飾り…」
と絢女は話を継いだ。
「一月前にルキアちゃんとお食事した時に、私、あの髪飾りを付けて行ったのよ」
 ルキアは絢女の髪飾りを、似合うと言ってずいぶんと誉めそやした。しかも、自邸に戻ってから、白哉にまでその話をしたのだそうだ。
「それでね、その髪飾りのことを朽木隊長にまで話したのは、私に似合っていたっていうのもあるかもしれないけれど、ルキアちゃん自身が好みで気に入ってしまったんじゃないかって、朽木隊長はおっしゃったの」
 白哉の意見は頷けるものだった。だが、その髪飾りはギンが絢女の為にわざわざ注文して作らせたもので、絢女にとっても大事な品だ。ルキアが気に入ったからといって譲り渡せるものではない。ただ、絢女はギンが注文をした職人を知っていた。北流魂街の玉造横丁は餝職の職人が集まっている地区で、ギンはそこの職人たちと懇意にしており、絢女に贈る装身具や自分自身が使用する小物などはほとんど彼らに注文して作らせていたのだ。絢女もギンに紹介されて、その集落に出入りするようになり、時折、彼らに注文することもあった。
「だから…、あれは譲れないし、同じものを作られても困るけれど、あれを作った職人に注文すれば、雰囲気が似た、ルキアちゃんが気に入るような髪飾りが出来るのじゃないかって提案したのよ。朽木隊長も乗り気になられて。ルキアちゃんのお誕生日に間に合わせたいっておっしゃったから、ご案内したの」
「…そうやったんや…」
とギンは息をついた。絢女に悪びれられずに種明かしされたことで、ここ数日、悶々としていたことが馬鹿馬鹿しくなった。ついでに、疑惑の種は全て摘んでしまおうと、ギンは更に尋ねた。
「実はもういっこ。岸谷で絢女と朽木はんを見かけたいう噂も聞いたんや」
 それに対しても、絢女は即座に、
「資料を見せて頂いたのよ」
と答えた。
「その資料は岸谷の、銀嶺さまのご隠居処で管理されているということだったから…」
「何の資料?」
「今は内緒」
 急にいたずらっぽい表情になって、絢女は人差し指を唇に当てた。
 何の資料なのかは内緒だと明かされなかったが、「今は」という含みと、絢女の様子から疾しいものではないことを、ギンははっきりと理解した。

 師走二十五日。瀞霊廷でもすっかり定着したクリスマスだ。
 師走は年度末の決算期に当たる為、どこの隊でも業務繁多である。出来るなら、クリスマスかイヴのどちらかは一緒に過ごしたいと、日頃から真面目な絢女は普段以上に、サボリ魔のギンも汚名返上で頑張ったのだが、急な討伐が発生したり、いきなり捜索任務を命じられたりと思うように年末進行が進まず、二人とも仕事漬けのクリスマスとなってしまった。
 忙しい業務の合間を縫って、絢女が三番隊を訪ねたのは午後の始業間もなくのことだった。
「今日も遅くなりそうだし…」
と、ギンの執務机に絢女は小箱を乗せた。
「クリスマス・プレゼント」
 ギンも慌てて、机の下から箱を取り出した。隙を見て、五番隊に届けようと考えていたのだが、絢女に先んじられた格好だ。
「開けていい?」
「ええ。私も開けさせて貰うわね」
 ギンの箱は大きめだった。大きさと重さから見当を付けていた通り、中身はハンドバッグだった。"C"の文字を二つ組み合わせたロゴは現世のブランドに疎い絢女でもよく知っているもので、それでシャネルのバッグだと分かった。上品なコーラルピンクの羊革で、大きさも手頃で使いやすそうだ。
「ありがとう、ギン。大切に使わせて貰うわね」
 絢女が贈ったものはたばこ入れだった。堆朱ついしゅ
*1 の煙管入れに鹿革の莨入れを組み合わせた品である。莨入れには漆と金泥を使って、印傳が施されていて、龍虎を表した凝った金具が取り付けられていた。煙管入れの彫り物は四聖獣に四君子を組み合わせた、これもかなり凝った意匠である。
「おおきに、絢女」
 ギンは笑みを浮かべた。煙管莨を愛飲するギンにとって、莨入れや煙管はこだわりどころの小道具だ。
「気に入って貰えた?」
「もちろん」
「良かった。研究した甲斐があったわ」
と絢女はにっこりと笑った。
「前に、朽木隊長から資料を見せて頂いた話をしたでしょう?」
 彼女の言葉に、ギンは一月余り前の会話を思い出した。岸谷で絢女と白哉を見かけたという話を質したギンに、絢女は銀嶺が管理している資料を見せて貰ったのだと答えた。だが、何の資料かという問いに対しては、「内緒」と教えず終いだった。
「朽木隊長は莨を嗜まれないけれど、銀嶺さまと亡くなられた蒼純さまは莨がお好きだったそうなの。それで、小道具もずいぶんたくさん蒐集していらしたって伺ったから、朽木隊長にお願いして、拝見させて頂いたのよ」
 煙が苦手な絢女は、莨のことはよく分からない。クリスマス・プレゼントに莨入れを贈ろうと決心したものの、どういったものを注文すればよいのか迷った結果、白哉に頼み込んで銀嶺の蒐集品を見せて貰い参考にしたらしい。
「銀嶺さまからも色々とお話を伺えて、有意義だったわ」
と絢女はにこにこしている。あの時の、「今は内緒」という含みはクリスマスまでは種明かししないということだったのだ。明かされてみれば、浮気どころか、ギンへの贈り物の準備だったというわけだ。
「絢女」
「ん、なあに?」
「愛しとるよ」
 さらっと告げられた一言に、絢女は顔を真っ赤にした。
「仕事に戻るから」
とそそくさと立ち去りかけた彼女だったが、去り際にこそっと、
「私も」
と囁いた。
 一部始終を副隊長席で見守っていたイヅルは、上機嫌のギンを横目に、
(お二人とも、僕の存在をすっかり忘れていらしたでしょう?)
と心の中で深い溜息をついたのだった。


*1 油を混ぜた漆を何重にも塗り重ねて厚い層を作り、文様を彫刻したもの。

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 5周年記念リクエスト小噺 その6

 「絢女と乱菊の浮気疑惑発生。ギンと冬獅郎が真相を暴こうとするも、女性死神協会の面々に邪魔されて、なかなか真相にたどりつけない」というリクエストでした。ギン絢編はネタが出て来たのですが、日乱編はいくら考えてもシチュエーションが浮かばず、無念のギブアップです。うう、申し訳ありません。拙宅の場合、日乱関係において最大の障壁である市丸さんが絢女LOVEなものですから、日番谷隊長は自信満々、向かうところ敵なし状態になっているようです。
 作品中で言及している現世の歌は槇原敬之の「SPY」(作曲/作詞:槇原敬之 1994年)です。作品タイトルもこの歌から頂きました。昔の曲だという認識はありましたが、1990年代の曲だったことにちょっとショックを受けている管理人です。21世紀に入ってからの歌だと思っていたのですが、そんなに前だったんだ…。
 というわけで、注文品の半分は欠品状態ですが、リクエスターの唯さまに捧げます。

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2013.10.06