仲良きことは美しき哉


 掘り炬燵のある豪奢な和室で、差し向かいに座って、ギンと乱菊は仲居の丁寧な料理の説明を聞いていた。
 もちろん、達筆で書かれた本日のお品書きも添えられているので、説明がなくとも何の料理かは分かるのだが、仲居から詳しく説明されると更に興も湧くというものだ。広い卓には、前菜に当たる季節の小鉢の取り合わせ、迎え椀、酢物、御造りがどんと並び、食前酒の白桃酒が可愛らしいグラスの中で甘い香りを放っている。
 氷を入れた丸い桶には純米吟醸酒。熱燗でもいけるが、きりりと冷たく冷やして呑むのがお勧めの酒ということだったので、敢えて冷で注文した。
「それでは」
と仲居が辞して、ギンと乱菊は、
「ほんなら、まぁ」
「お疲れさま」
と食前酒のグラスを軽く持ち上げて乾杯した。
「それにしても、やっぱ、豪華よねぇ」
と乱菊はぐるりと部屋を見回して溜息をついた。
「この間泊まったところと比べてどない?」
「そうね」
 乱菊は小首をちょっと傾げてみせた。
「前の宿は洋室のお部屋だったからね。雰囲気が全然違うから比べにくいけど、甲乙つけがたいかなぁ? あたしは普段が和室で生活しているから、あの部屋は現世に来ているんだって実感できて好きだったわ。広さはここが離れの造りだからかもしれないけど、こっちの方が広いわよ。でも、暮らすわけじゃないし、二人なら前の宿くらいの広さで充分だったから、やっぱり勝負なしでいいんじゃない」
「なるほどなぁ」
「…お風呂は…、入ってないから温泉の質自体は比べられないけど、施設面でいうと、前の宿は部屋専用のお風呂はなかったわね」
「ああ、貸切に出来る露天風呂がいくつかあって、その中のひとつを貸りたとか言うとったな、そういえば」
「うん。もちろん、大浴場にも行ったけどね。そういう意味では、ここはお部屋に露天風呂が付いているから、真夜中でも思い立ったらすぐ温泉に浸かれていいわよね」
と乱菊は論評した。
 この間の宿、というのは二月前の彼女の誕生日に冬獅郎と共に泊まった現世の高級温泉旅館を指している。冬獅郎は乱菊の誕生日には揃って非番を取り、彼女を連れて小旅行に出かけるのを毎年の恒例としている。誕生日前日二十八日の昼から誕生日翌日の三十日の午前中まで非番を取り二泊で出かけることが多い。隊長と副隊長が揃って非番を取るというのは異例であるのだが、隊を挙げて二人の仲を後押ししている部下たちの協力と、冬獅郎の常日頃の勤勉な勤務ぶりから特に咎められることなく続けているのだ。貴族や裕福な流魂街の商人たちの保養所となっている風光明媚な尸魂界の旅館に宿泊することが多いのだが、今年は少し趣向を変えて現世の温泉宿に赴いたのである。
 行き先は山形県南部の米沢温泉である。ハイクラス旅館としては地区bPの人気の旅館を押さえて、冬獅郎は乱菊の誕生日プレゼントとしたのだ。行き届いたもてなしは尸魂界の旅館とも共通するが、館内にバーラウンジがあって、地酒の他、洋酒も楽しめるようになっていたところが現世ならではか。高級食材として知られる米沢牛をメインに据えた創作懐石料理も満足のいく味わいで、乱菊は幸せに舞い上がりながら、異界の温泉宿を楽しんだのだ。
 そんな彼女の土産話を聞いたギンは、自分も絢女と現世の温泉旅館を堪能したいと思い立ち、即座に情報収集し、押さえたのがここ、箱根温泉の人気高級旅館のスウィートルームであった。彼の計画では、通常勤務を定時に終了後、直ちに現世に赴き、旅館にチェックインして一泊。翌日は揃って非番になるように調整していたので、周辺の観光をしつつもう一泊。そして翌朝、宿を出て午後から通常勤務に戻るという手はずだった。
 それなのに、乱菊と差し向かいで夕飯を食べているのは、絢女が定時に出られなくなってしまったからだ。
 五番隊の現世駐在の隊員から緊急救援要請が飛び込んできたのは、定時まで半刻はんときを切った頃だった。要請内容と、技術開発局の霊波計測の結果情報を照合し、容易ならざる虚だと認識した絢女は副隊長である桃に救援を命じたのである。
 現世駐在はおおむね最下位の席官か、席官に昇進直前の平隊員が務める。そのくらいの実力の死神だと「甲・乙・丙・丁・戊」の五段階にランク分けされた虚のうち、対処可能なのは最下位クラスの「戊」か、いいところその上の「丁」までである。それ以上の虚は滅多に現れないが、出現した場合は救援要請が為される。丙級だと下位席官でも上位の者が救援に出向き、それより上だと上位席官の出番となる。今回の救援要請の相手は霊波計測結果から乙級だと判明した。緊急救援要請の場合、情報が不足しており、相手の実力に未知の部分が多いので、どの隊でも大事を取って余裕のある実力の席官を派遣する。通常の討伐なら、下位席官で足りるところを十席・九席あたりを派遣するといった保険をかけるのだ。乙級で余裕を見るなら、三席〜五席の派遣が妥当なところなのだが、この日、三席は非番、四席はたまたま体調を崩しており出勤はしていたが万全ではなく、五席は別の討伐で出張していた為、桃の出番となったのだ。隊長である絢女が自ら赴いたわけではないが、この状況で一人現世に遊びに行けるような絢女ではない。いや、絢女でなくても、他の隊長であっても同じだろう。副隊長を出したということはもう後がないのだ。それで歯が立たなかったら、隊長自身が出向くしかない。討伐完了の報せを受けるまでは瀞霊廷で待機しているのが、まともな隊長の行動である。
 そんなわけで、絢女は桃を派遣した直後にギンに連絡を入れ、現世に出掛けられるのは遅くなると断りを入れたのだ。夕食の時間には到底間に合いそうもないが、この時間でキャンセルは出来ないだろうし、一人で食べるのは味気ないだろうから、代わりにイヅルか乱菊を誘ってはどうかと提案したのも彼女である。
 ギンとしては普通の料亭ならば、日頃の労いを込めてイヅルを誘ってもよかったのだが、温泉宿の個室の食事で野郎二人というのは避けたかった。そこで、乱菊に打診したところ、彼女は一も二もなく飛びついた。というのも、冬獅郎は京楽春水・浮竹十四郎と呑みに出る約束があったそうで、残される乱菊は七緒でも誘って出かけようかと思案していたらしい。ギンからの誘いは渡りに船といったところで、彼女はいそいそと冬獅郎に「現世許可願い」を申請し、義骸を借り受けて、ギンと共に現世に赴いたのだった。
「ん、おーいしい」
 乱菊は蕩けるような笑顔を浮かべて、目の前のご馳走に舌鼓を打っている。絢女とともに食事出来ないのは残念だが、乱菊の嬉しそうな笑顔を見ていると、これはこれでまぁいいかとギンは思えていた。
「絢女は残念だったわね。あたしは役得だったけど」
「うん、まぁ、しゃあないなァ。ま、それに明日もあるし」
「そうね。今日の分まで、うーんとサービスしてあげなさいね」
「そりゃあ、もう」
とギンは笑った。
「あのさ」
「うん?」
「さっき、仲居さんが言っていたけど、あんた、マッサージを予約してるの?」
「せや。この旅館な、エステマッサージのサービスがあるん」
と、ギンは館内案内を引き寄せ、バインダーに挟まれていたエステマッサージの案内チラシを乱菊に手渡した。
「へぇ…。アロママッサージをしてくれるんだ。印度のアーユルヴェーダの技術と西洋エステを融合させたマッサージかぁ…。いいわね、これ。按摩なら尸魂界の旅館でもしてくれるけど、これは現世ならではって感じよね」
 アロマ・オイルは数種類の中から、好きなものを選択できるようになっているらしい。記載されている施術時間からすると、絢女は充分間に合いそうだ。
「これも絢女の代わりに受けてみたかったけど、無理そうね」
「欲張りやなァ、乱菊は。せやけど、もし絢女がうんと遅うなったとしても、なんぼなんでもマッサージまで受けて戻ったりしたら、冬獅郎はんの機嫌を損ねるんと違う?」
「ここのは女の人がマッサージしてくれるみたいだから平気よ」
と乱菊は旬菜として供された柿の葉寿司を頬張りながら応じた。
「冬獅郎さん、女の按摩さんでないと、絶対許可してくれないのよね。去年の宿もさ、按摩さん頼みたかったんだけど、女の人の手配が付かなかったから諦めたのよ」
「ふぅん…」
「相手は本職の按摩さんなんだしさ。浴衣の上からマッサージするんだし、別にいいと思わない?」
と乱菊はぷうと口を尖がらせてみせた。
「しゃあないと思うけどな? いくら本職の按摩でも、自分の恋人の身体、他の男に触らせとうないわ」
とギンは応じた。
 実際、ギンもここのマッサージは女性客に対しては女性のエステティシャンが施術に当たると確認が取れたので、予約することに決めたのだ。その辺りの配慮はやはり現世の方が行き届いていると、ギンは思う。
「あんたも男の按摩さんには、絢女を触らせたくないんだ」
「当然や」
とギンは即答した。
「えー? 絢女、文句言わない?」
「言うわけないやん。ボクが按摩するのでさえ、恥ずかしい言うて、滅多にさせてくれへんのに」
と今度はギンが不満顔になった。
「絢女は真面目で根を詰めるからなぁ。肩も凝るやろし、せっかく、ボクが気ィ遣うて『按摩してやろか?』言うても、いやや言いよるのん」
 不平を述べながら、江戸切子のグラスに注がれた銘酒をくいと一息で飲み干す。
 乱菊は微妙な表情を浮かべた。小振りな徳利に移した酒を取り上げると、空いたギンのグラスに酌をしてやりながら、彼女は言った。
「それってさぁ」
「あん?」
「あんたに按摩されるのが嫌なんじゃなくて、厭らしいことされるから、ヤなんじゃないの?」
「はぁ?」
「どーせ、あんたのことだから、真面目に按摩してるのって最初のうちだけでしょ? そのうちエロエロ・マッサージになっていって、それが絢女はいやなんじゃないの?」
「…」
 ギンが沈黙した。図星を突いたかと、乱菊が心の中でガッツポーズを決めた時だ。
「冬獅郎はん、エロエロ・マッサージしはるんや」
と反撃され、思わず乱菊は噎せた。
「なっ、なっ、なっ…」
 咄嗟に口が回らずにあわあわと口籠る乱菊に、ギンはにいぃと口角を上げた意地悪な笑みを浮かべた。
「図星やな?」
「ち、違っ…」
「説得力ないなぁ…、そない狼狽えられても」
と優位に立った余裕で、ギンは追撃して来る。
 耳まで真っ赤になって、乱菊はしばらく口をぱくぱくとさせていた。が、不意にきっとギンを睨み据えると、
「そーよ!」
と自棄になったかのように肯定した。
「冬獅郎さんに按摩をお願いしたら、絶対に途中から変な方にいっちゃって、気が付いたら食べられちゃっているわよ! 悪い!?」
 開き直ってあけすけに叫ばれて、ギンは、
「いや、別に悪うはないけど…」
と言葉に詰まった。
「だいったい、隊長ったらねぇ」
 いきなり、乱菊の目が据わった。
「普段はあーんなに生真面目なくせに、なんで二人っきりになると手が早いのよ?」
「いや、そんなん、ボクに詰め寄られても…」
「昔は可愛かったのに。あたしの胸に挟まれて窒息しかけたくせに!」
    窒息させとった自覚はあるんや」
「もがくのが可愛かったのよ」
「…で、わざと窒息させるような真似をしでかしとったんや」
「だのに、いきなり大きくなっちゃって」
「うん、まぁ、あれはいきなりやったなぁ」
「それはいいとして、何でエロ・テクまでしっかり修得しちゃってるのよ!?」
    乱菊、何もそこまでぶっちゃけんでも…」
とギンは溜息をついた。乱菊は酒豪なのだが義骸で飲むと普段より少しばかり酒に弱くなると、いつだったか、冬獅郎が言っていたのを思い出した。口当たりがいい酒であったし、もともとギンも乱菊も酒精アルコールには強いので、早いペースで呑み進めていたのだが、どうやら、度数の高い酒だったらしい。さすがに酩酊しているわけではないが、それなりに酔いが廻って、乱菊の箍は緩んでいるようだ。
「あのさ」
「何?」
「生真面目な隊長でさえ、按摩にかこつけて色々とやってくれるのよ」
「ご愁傷様や」
「何、他人事みたいにしれっとしてるのよ?」
「他人事やもん」
「ていうかさ、あんたもやってるんでしょ? 絢女に。エロエロ・マッサージ!!」
「あのな、乱菊?」
「やってないわけないわよね? 隊長でさえするのに、あんたがそんな絶好の機会を逃すわけないわね」
 ぴしゃりと乱菊に決め付けられて、
「しゃあないやん」
と、ギンもいきなり開き直った。
「按摩してやったら、絢女、ものすご気持ちよさそうな顔するんやで? ほんで、『効くわ。そこ』とか言われてみ? おとなしゅう、按摩出来るわけないやん」
「何、冬獅郎さんと同じ屁理屈捏ねてるのよっ!」
と乱菊が突っ込みを入れた時、
「失礼いたします」
と仲居の声が届いた。
「はい」
「どうぞ」
 慌てて、二人は表情を繕う。
「焼肴をお持ちしました」
と仲居は扉を開き、膳を運んできた。
 空いた皿を手早く片付け、彼女は二人の前に新しい肴の皿を据えた。
「真鯛と海老芋の包み焼きでございます。お好みでこちらの酢橘を絞ってお召し上がりください」
「おおきに」
「おいしそう」
 乱菊の言葉に、仲居は微笑んだ。
「お食事はお口に合いましたでしょうか?」
「はい。全部とってもおいしいです」
と乱菊が応じ、ギンも、
「ええ味です。板長はんにお礼言うといて下さい」
と添えた。
「ありがとうございます。料理長に伝えます」
 仲居が去り、ギンと乱菊は目を見合わせた。
「何の話してたっけ?」
「アロママッサージの話」
「ああ、うん。いいわよね、アロママッサージ」
「うん。絢女も楽しみにしとった」
「なんにせよ、ギンが幸せそうでいいことだわ」
「おおきに。乱菊も冬獅郎はんに可愛がられとうみたいで何よりや」
 白々しく二人が取り繕った時、ギンの伝令神機が鳴った。
 絢女からだった。ギンの表情が途端に柔らかくなったのを、乱菊は見て取った。絢女の言葉に、うん、わかったと二言、三言、相槌を打ち、
「ほんなら、待っとるから」
と最後に告げて、ギンは伝令神機を切った。
「何て?」
「無事に救援終わらせた桃ちゃんとご飯食べるところやて。あと半刻はんときくらいしたら、こっちに来られるて」
「そう。良かったわね」
「それとな、乱菊に伝言」
「何?」
「一緒に冬獅郎はんもこっちに来るそうや」
「へ?」
「何でも、浮竹はんの具合がちぃとばかり悪うなったみたいで、今日の呑みは大事を取って中止になったそうや。せっかくやし、現世こっちのバーで呑み直そいう冬獅郎はんからのお誘いやで」
 乱菊の顔が綻んだのを、ギンも確認した。豪勢な現世の料理膳を味わえるのは正しく役得であったが、これから恋人と甘い夜を過ごす絢女とバトンタッチして瀞霊廷に一人戻るのは、いささか淋しくもあったのだ。嬉しそうな乱菊の顔を眺めつつ、何故か「仲良きことは美しき哉」という武者小路実篤の名言が頭を過ったギンだった。

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 市丸隊長と絢女隊長の非番が重なった日
    現世の温泉旅館で乱菊が市丸隊長と愚痴と言う名のお惚気を言い合う

 お題決定から三ヶ月も経って、ようやく第一話ってふざけるなと言われても仕方ないかも。お待たせして(というか、待っていて下さった方はいるのか定かじゃありませんけど)、申し訳ありません。今更、六周年企画です。
 時間軸は叛乱の五、六年後くらい? 正確には非番の前の晩に当たるのですが、そこはおおめに見て下さいませ。
 この話を書く為に、箱根温泉&米沢温泉の高級旅館を検索しまくりです。ちなみにどちらも実在の旅館のHPを見ながら書きました。「箱根(米沢)温泉 高級旅館」でググれば出て来ます。日乱、ギン絢が宿泊した旅館はどこかお暇と興味のおありの方は推理してみて下さい。

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2014.09.29