銀色ラプンツェル


 その日、十番隊の一日は一般隊寮まで響き渡るまでに凄まじい隊長の絶叫と、霊圧の震えから始まった。

 丁度、日勤の隊員たちが起床するかどうかという時間帯だった。何事かと寮を飛び出して来た隊員たちは斬魄刀こそ掴んでいたものの、寝間着姿の者が大部分で中には髭剃りの途中だったとみえ、半分だけ髭が整えられているものさえいた。それでも、ただごとならぬ隊首の叫びに機敏に反応して飛び出して来たのは立派だったと言えよう。
 塀を飛び越えて、隊長舎の中庭に集まった隊員たちに、
「驚かせてすまない」
という隊長の声が寝室から聞こえた。
「ちょっと吃驚するようなことがあって、思わず叫んでしまったが、別に危険なことが発生しているわけじゃねえ。出勤前の忙しい時間にすまなかった。松本と志藤以外は引き上げてくれ」
 姿を見せようとしない隊長に不審を覚えた。だが、隊長の霊圧はまだ動揺の震えを引き摺ってはいるものの、徐々に落ち着きを取り戻しつつあったし、全員に引き上げろと命じたのではなく、副隊長と隊寮住まいの最上位席官は残れという指示だったこともあり、隊員たちは命令を受け入れた。
 乱菊と第四席の志藤和興を除いた隊員たちが全員庭から引き上げてしまったのを霊圧で計っていたのだろう、
「松本、志藤、入ってくれ」
 再び隊長の声が聞こえた。乱菊と志藤は顔を見合わせ、頷き合うと隊長舎に上がった。そのまま、
「失礼します」
と寝室に入った二人は棒立ちになった。
 布団の上に夜着のまま、茫然と座っている自隊の隊長。だが、昨日までの彼と明らかに異なっている点があった。銀色の髪が長く垂れ、布団の上にまでとぐろを巻いていたのだ。
「た、隊長…、その髪!」
 声を上ずらせた乱菊に、
「…朝起きたらこうなっていた」
 憮然と冬獅郎は応じる。
「原因にお心当たりはございますか?」
 内心の驚きを押し隠し、志藤が務めて冷静に尋ねる。
「ねぇよ」
「十二番隊で飲み食いしたりとかは?」
「んな自殺行為をするわけねえだろうか。つか、松本。おまえも心当たりはないようだな」
 深々と溜息をついて、冬獅郎は乱菊の顔を見た。このような碌でもないことをしでかすとしたら、乱菊ではないのかと想像していたのだが、彼女の心底驚愕した表情を見る限り犯人だとは思えない。
「隊長、あたしを疑ってらしたんですか!?」
 心外と乱菊が叫べば、
「おまえならやりかねんと思った」
と当然のように冬獅郎に返され、志藤までもが、
「ああ、お気持ちはわかります」
と頷いたものだから、乱菊はうーとむくれた。
「では、本当にお心当たりはないということですね」
「ああ」
「見たところ、髪が異様に伸びている以外には異常は見受けられないようですが、ご体調はいかがですか?」
「滅茶苦茶腹が減っている。腹が減り過ぎて、正直、眩暈がしそうだ」
「眩暈がしそうなところを申し訳ないのですが、ちょっと立ち上がってみて下さい」
 志藤に促されて、冬獅郎は布団の上に立ち上がった。
「身長は変わりないようですね」
と志藤。
「髪は踝丈か…」
 志藤が呟いた時、ぐうぅと盛大に冬獅郎の腹の虫が鳴った。同時に、彼は布団にへたり込み、
「腹減った…」
と呟いた。
「二、三十年分くらいに一気に髪が伸びてますから、もしかしたら、そっちに栄養分が全部取られてしまったのかもしれませんね」
 志藤はむくれたままの副隊長を顧みた。
「副隊長はご朝食の準備中だったようですね」
 飛び出してきた隊員の中で、一番慌てていたのはこの人かもしれない、と志藤は内心で苦笑した。彼女は割烹着姿で、右手には斬魄刀ではなく菜切り包丁が握られていたのだから。
「でしたら、おかずはともかく、ご飯は炊きあがっていますね」
 志藤の言葉に、乱菊ははっとして、
「すぐにお持ちします」
と隊長舎を飛び出して行った。
 すぐさま、ばたばたという足音とともに乱菊は戻って来た。両手には技術開発局謹製の全自動炊飯器から取り出して来た炊き立ての白飯が詰まった釜。割烹着のポケットにごま塩の壜を突っ込んだ姿である。
「とりあえず、ごま塩でご飯を食べていて下さい。お味噌汁はすぐにお持ちします」
 腹が減り過ぎてへたりこむなど、普段の冬獅郎からは考えられない。それだけ切実に空腹なのだと察せられたゆえ、乱菊も必死だった。
「悪い」
 本気で腹が減っていたのだろう。乱菊から差し出された箸を持つや、彼は釜から直接白飯を食べ始めた。何だかんだで躾けのよい冬獅郎にはあるまじき行為に、志藤は事態の深刻さを悟る。釜の飯が半分ほどに減ったところで、味噌汁の入った鍋を持って、再度乱菊が駆け込んできた。
「隊長、味噌汁の前にもう一度、立ち上がってみて下さい」
 志藤の言葉に、へたり込むほどの空腹から脱した冬獅郎は無言で立ち上がる。
「…伸びてますね」
「はっ?」
「さっきは踝の位置だった先端が、もう布団に届いています」
「…ほんとだ」
 覗き込んだ乱菊が目を瞠り、冬獅郎は深く溜息をついて座り込むと食事を続けた。へたり込むほどではなくなったがまだ空腹だったのだ。その様子に、
「ちょっと出ます。すぐ戻りますから、副隊長、隊長をお願いします」
と志藤は出て行った。

 四半刻しはんとき
*1 ほどで戻って来た志藤は、パンや巻き寿司の折り箱などの食料品を大量に風呂敷に包んで戻って来た。冬獅郎は釜いっぱいの白飯と一鍋分の味噌汁を平らげて、漸く空腹が納まったらしく、乱菊の淹れた茶を飲んでいるところだった。
「志藤、あんたが出て行ってすぐ地獄蝶が飛んできてね…」
「地獄蝶? 涅隊長からですか?」
 このような異変は涅マユリがらみとしか考えられないのだろう。そう返した志藤に、冬獅郎は苦々しげに、
「総隊長からだ」
と応じた。
「お呼び出しですか?」
「いや、髪は切るなだとさ」
「は? まさか?」
「そのまさかだ。総隊長じじい、明らかに俺の髪が伸びていることを知っていやがった」
「あ〜」
「黒幕は総隊長じじいだ」
 余程に腹に据えかねているのだろう。冬獅郎は山本総隊長を「じじい」呼ばわりして憚らない。
「昨日、隊長、総隊長の御茶席に呼ばれたのよね〜」
「つまり、その時に一服盛られたと?」
「そうとしか考えられねえ」
「しかし、なんでまた、総隊長がそのような真似を?」
「さぁな。とりあえず、誰か事情説明に来るだろう。一番隊舎を氷漬けにするって脅したから」
「そうですか…」
 髪が伸びているだけ、と見えるが、実は悪ふざけではすまない深刻さを孕んでいる。尋常ではない速度で伸びる髪のせいで、どうやら冬獅郎は業務をこなすのに支障をきたすくらいに空腹を覚えるらしい。これでは、万が一の緊急事態に対処出来ない。むろん、髪が戦闘の邪魔になることはいわずもがなだ。しかも、それを行ったのが総隊長というのが性質たちの悪さに磨きをかけている。
 志藤は溜息をつくと、風呂敷包みの中から餡パンを取り出した。
「副隊長、朝御飯はまだでしょう? どうぞ」
「ありがと、志藤」
 今朝の朝食は乱菊の分まで含めて、冬獅郎の胃の腑に納まってしまっていた。冬獅郎の様子から判断して、志藤は即座に食料品の調達に走ったのだ。やっぱり、うちの席官は優秀だ、と深い満足を覚えつつ、冬獅郎は茶を啜り、乱菊は差し出された餡パンに齧り付いた。やはり、朝食を取る前だった志藤も自らが調達してきたソーセージパンを食しつつ、三人は一番隊からの使者を待った。
 やがて現れたのは、一番隊の第三席・沖牙と技術開発局の阿近だった。
 嫌な役目を押し付けられた感満載の沖牙は平身低頭しつつ、まずは謝罪の言葉を口にした。
「で?」
 その謝罪をぴしゃりと遮って、冬獅郎は尋ねた。
「言い訳は要らない。謝罪も無意味だ。俺が訊きたいのは、総隊長ともあろうお方がこんな阿呆な事態を引き起こした理由だ」
「それについちゃ、俺が説明します」
と口を挟んだのは阿近だ。言え、という冬獅郎の視線を受けて、阿近は話し始めた。
「元を糺せば、どこぞの上級貴族の馬鹿令嬢の我儘です」
 説明する阿近の口調も辛辣である。眉を顰める十番隊主従と第四席に怯むことなく、阿近は続けた。
「日番谷隊長だか市丸隊長だかの銀髪に憧れた挙句、銀髪のかつらを誂えて、友人に自慢したいっていうね。くだらない見栄ですよ」
「はぁ? そんな馬鹿娘の我儘に総隊長が乗ったってのか?」
「というかね、乗ったのは馬鹿娘の両親と祖父。娘を諌めようともせずに、何とかするって請け負ったようで」
「何となく読めたわ。その貴族、総隊長に護廷への寄附を持ちかけたのね」
「そういうことです」
「で、総隊長じじいは金に目が眩んで、それを受けたつー訳か?」
 一番隊の三席の前であったが、冬獅郎は総隊長に対する「じじい」呼びを続けた。だが、沖牙は聞こえなかったふりをした。びりびりと尖った霊圧からしても、冬獅郎が怒り心頭なのは明らかだ。下手に刺激して氷漬けにされるのは真っ平だったし、こんなくだらないことの後始末を命じられた沖牙自身、いかな敬愛する総隊長といえども「じじい」よばわりしたくなる心境は共有していたからだ。
「ま、平たく言やぁそういうことです」
 飄々と結論付けた阿近に、
「もう一つ聞きたい。何で、一服盛られたのは市丸じゃなくて俺なんだ?」
 銀髪は極めて珍しい。はっきり言って、護廷で銀髪といえば、冬獅郎と三番隊隊長の市丸ギンくらいだろう。そして、鬘を製作するということを前提にするのなら、どう考えてもギンの髪の方が適していそうに、冬獅郎は思えたのだ。犬猿の仲だけに触れたことは無論ないが、ギンの髪はいかにもさらさらで柔らかそうな癖のない直毛である。一方、冬獅郎はといえば、一応直毛とはいえ、かなり癖があり、髪質もややこわい。
「言ってみれば、危機回避ってモンです」
と阿近は平然と冬獅郎の疑問に答えた。
「市丸隊長の髪と日番谷隊長の髪。どっちが鬘製作に適しているかといえば、間違いなく市丸隊長です。ですが、市丸隊長はリスクが高すぎる」
「どういうことだ?」
「まず、あの人はいかな総隊長から『髪を切るな』という伝令があったって、平気で切るに決まっています。むしろ、そんな伝令があれば、嫌がらせのようにせっかく伸びた髪をずたずたに切り刻みかねない」
「ああ、そうねぇ」
 幼馴染で彼の気性をよく理解している乱菊はさもありなんと深く頷き、
「確かに、市丸隊長ならやりそうですね」
と志藤も同意した。
「それから、技術開発局も無事じゃすまない。さすがに涅隊長をどうこうはしないでしょうが、腹いせに技局の職員の一人、二人くらい暗殺しそうじゃないですか」
    
「ついでに、大本の上流貴族だって無事でいられるかどうか。忘れた頃に馬鹿娘が謎の病で亡くなったとか、洒落にならんでしょう?」
    
「ま、そういう訳で日番谷隊長に一服盛ることになったわけです。日番谷隊長なら、せいぜい氷漬けくらいを覚悟しとけば大丈夫でしょう?」
    
「あ、今回の件じゃ、技局も被害者です。訳のわからん上級貴族と総隊長から『半月で人体に無害で髪だけが伸びる薬』なんつーもんを作れと無茶な要求をされて、技局の主だった職員はこの半月というもの、碌に寝ちゃいないんです。その上、報酬は涅隊長の研究費に廻って、局員には金一封のひとつだって支給されてねえし。そういう訳ですから、氷漬けなら一番隊にして下さい」
 しゃあしゃあと言ってのけた阿近に、沖牙は苦渋に満ちた顔で、
「隊員に罪はありません。隊舎の氷漬けは勘弁して下さい」
と懇願した。
「…隊舎じゃなくて、総隊長じじいの私室なら構わないんだな」
 据わった目と声音で質されて、沖牙は一瞬詰まった。だが、深く息を吐き出した彼は、
「わたしは何も聞いておりません」
と暗に肯定してみせた。
「阿近、隊長って、妙にお腹が空くみたいなんだけど、これも薬の影響なの?」
「ああ、やっぱり腹が減りますか?」
「こんなに腹減ったことねえってくらい、朝起きたら腹が減っていた」
「こんだけ髪が伸びるのに、通常なら二、三十年くらいはかかります。それが一晩で伸びちまったんだ、腹も減るってもんです」
「つまり、栄養はほとんど全部、髪に行ってると?」
「そういうこってす」
「で、いつまでこのままなんだ?」
と志藤が問うた。
「涅隊長の計算に拠れば、薬の摂取から丸三日は効果が持続するそうです」
「その三日の間に、隊長でなければ対処出来ないような緊急討伐が発生したらどうするんだ? 髪に霊力を食われて万全でない上に、この髪でまともに戦えると思うか?」
 鋭く威圧する眸を向けられ、老練な一番隊三席も思わず息を詰めた。からからに乾いた咽喉から、
「総隊長が責任を持つと申しております」
と絞り出す。
「つまり、総隊長が出張るんだな」
「は、はい。間違いございません」
 沖牙は低頭すると、頭をこくこくと首振り人形のように動かした。
「食費も持って下さるのかしら? 隊長、ものすごーくお腹が空くみたいなのよねぇ」
 目が笑ってない笑顔で乱菊も追撃する。
「…す、全て、総隊長に廻して結構です」
「そ、良かった。隊長の食費で十番隊の予算が破産したなんて、洒落にならないものねー」
 何で俺がこんな目に。そう訴える一番隊第三席の表情に、十番隊の幹部はそろそろ許してやろうと頷き合った。もともと彼には恨みはないし、非がないことも分かっている。悪いのは貴族の我儘娘と、寄附に眩んで冬獅郎を売った総隊長だ。

 阿近と沖牙が帰った十番隊長舎で、冬獅郎は静かに言った。
「松本、志藤。悪いが、薬の効果が切れる明後日の午後まで、俺は隊長舎に籠もる」
「はい。承知しております」
と副隊長と第四席は頷いた。
「緊急討伐は志藤や笙野が出なきゃならねぇくらいのだったら、総隊長に振れ」
「いいんですか?」
「責任は持つと言ったんだ。きっちり責任を取って貰う」
 志藤に討伐を命じて、万が一、彼が力及ばなかった場合、冬獅郎は上司として彼を派遣した責任を取る覚悟がある。だが、今回、冬獅郎が責任を持てない以上、この事態を招いた総隊長が責めを負うべきなのだ。
「自分で責任が取れない状況で部下を万が一の事態に晒すわけにはいかないからな。それに、総隊長を顎でこき使える絶好の機会だ。使えるだけ使っちまおう」
「ですねー」
 頷いた乱菊は、わくわくした顔で、
「お昼はどうなさいます?」
と尋ねた。意図を汲んだ冬獅郎もにやりと笑った。
「そうだな。逢坂屋の特上櫃まぶしでも出前を取るか」
「わー、やった!」
 乱菊は諸手を上げて大喜びである。
「というか、今日の内勤の上位席官は何人だった?」
 冬獅郎に問い掛けられて、志藤はひい、ふう、みいと指折り数えて、
「俺を入れて五人です」
と答えた。
「そうか、じゃあ、出前は十人前でいいな?」
「隊長、あたし、白焼きも食べたいです」
「ああ、いいな。じゃ、白焼きも十人前」
 平然とやり取りするツートップに、一応、と志藤は念を押した。
「いいんですか? 席官の分まで」
「構わねえだろう」
と当然とばかりに冬獅郎は応じた。
「俺は三日間、隊長舎に籠りっきりになるんだ。そうしたら、隊長決済の必要な書類とか報告とか、普段なら執務室に行くだけで済むもんを、わざわざここまで来なけりゃならないことになる。往復の時間の無駄、体力の無駄。席官も充分迷惑を蒙ることになる。逢坂屋の櫃まぶしくらい安いもんだろうさ」
「そういうこと」
と乱菊もにこにこと同意した。
「どうせ、それでも、お八つ時には腹が減るんだ。湊屋に仕出し弁当の出前を頼んどいてくれ。五人前な」
「はーい。了解しました」
 この三日間、冬獅郎と乱菊は総隊長のつけで高級料亭の仕出しを食べ倒す気満々らしい。もちろん、明日と明後日の昼については席官もご相伴に与ることになる。内勤の席官には弁当の準備は要らないと伝えておかないとだな、と志藤もにんまりと悪い笑みを浮かべつつ、日頃は縁のない高級料亭を頭の中でリストアップしたのだった。

 特別な日でも何でもない勤務時の昼食としては豪勢な逢坂屋の特上櫃まぶしと白焼きを堪能した後の午後一番で、十番隊第五席の笙野ゆきは隊長舎を訪れた。午前中に処理をした書類のうち隊長決済が必要なものに印を貰う為である。事前に四席の志藤を通じて指示されていた通りに中庭に廻ると、居間の硝子戸越しに隊長と副隊長の姿が確認出来た。
「あー、笙野。いいところに来てくれたわね!」
 笙野の姿を認めるや、ぶんぶんと手を振ってみせた乱菊は左手に冬獅郎の髪を掴んでいる。
「志藤さんから話は聞いていましたけど…。何かとんでもないことになってますね」
 笙野は盛大に溜息をついた。銀色の髪がうねうねと床を這っている。後ろ髪はもちろん、前髪から横髪から伸びているので、平安朝の姫君のように長い髪を全て後ろにやって首下で元結で括ったスタイルにしている。元が中性的な顔立ちの美少年だけにそういう髪型だと女の子にしかみえない、が、それを口にすれば多分、ブリザードが吹き荒れると承知の笙野は賢明にも口を噤んだのだった。
「すごいでしょ。今、隊長が立っても二尺くらい引き摺るのよ」
「うわぁ。一日でこんだけですか。明後日にはどうなっているんでしょうか?」
「身長の五倍くらいまで伸びているんじゃなぁい?」
と乱菊はうんざりした顔で溜息をついた。
「床にずるずる引き摺るから、動くのも難儀なのよね。これじゃあ、おちおち厠にも行けないから邪魔にならないように何とかしてくれって隊長から頼まれたんだけどさ」
 三つ編みにしてそれを輪にして頭頂部に固定すればとりあえず床を引き摺らなくてすむかと考えたのだが、これだけの長さがあると櫛を入れるのも、三つ編みに編むのも難しく、乱菊は悪戦苦闘していたのだ。
「ほんっと、丁度良かった。笙野、手伝って」
「悪いが、何とかしてくれ」
 正副隊長に懇願されて、笙野に否はない。とりあえず、書類を冬獅郎に渡し、彼女は隊長の背後に廻った。乱菊と二人がかりで超絶に長い髪をブラシで梳き、まずは髪を三束に振り分けた。それから、三つ編みに編み始めたのだが、
(あー、これ一人じゃ無理だわ)
と笙野は得心した。何しろ、長さが尋常ではないので編んでも先端が自然に移動してくれないのだ。一人が髪を編み、もう一人が編んだ毛束を先端まで指を滑らせて整え、更に編むという面倒な作業を繰り返してようやっと編み終えた。乱菊が長い三つ編みの先端部分を私物であるヘアクリップで頭頂部に固定して、漸く冬獅郎が立ち上がっても床に引き摺らないようになった。
「どうすんだよ、これ。風呂にも入れねぇだろ?」
「今晩と、明日の晩とあと二晩です。我慢するしかないでしょうねぇ」
 新暦十月下旬。これが夏場や残暑の九月ならかなり辛いが、かなり涼しくなった現在なら、風呂に入らなくても二晩程度なら我慢出来るだろう。
「頭が重い」
と冬獅郎は零した。乱菊が留めてくれたヘアクリップも彼女の私物だけにごてごてとした飾りが付いているのが気に喰わない。とはいっても、贅沢を言える状況でないのは承知だ。彼が少しでも快適に(というよりもましに)動けるように苦労してくれた部下を思えば、クリップの飾りくらいは甘んじて諦めるより仕方がないのだろう。
「何か、今、しみじみと実感したんですけど」
と笙野が呟いた。
「現世の童話に『ラプンツェル』ってありますよね」
「ああ、あれね」
「グリム童話だったか?」
「『ラプンツェル、ラプンツェル、おまえの髪を垂らしておくれ』だったわよね」
「そう、それ」
 グリム童話のラプンツェルは塔のてっぺんに閉じ込められており、そこから垂らされた彼女の編んだ髪をロープ代わりに、魔女も王子も塔に出入りしているという設定だった。
「あれ、無理ですよねー」
「そうね。無理だわ」
 六尺
*2 ほどの長さでも、三つ編みにするのは一苦労だったのだ。一方、ラプンツェルは、
「塔の高さにもよりますけど、五間くらいはいくんじゃないです?」
「うん、無理。編めるわけない」
「だが、編んでねぇと引っ掛かりがなくて滑るから、ロープに出来ないし、塔の部屋中に髪が散らばって絡まりまくるだろうから編まないというのも無理だな」
「そこもですけど、ラプンツェルの頭皮って頑丈だわ。成人男子一人支えて、よく頭の皮がずる剥けなかったわね」
「怖い想像させないで下さい」
「髪の途中を手で握って両手で支えてたんじゃねえか?」
「いずれにしても力持ちですよね。塔に閉じ込められててろくに運動してなかったくせに」
「暇だったから、腕立て伏せが日課だったのかもしれねえぞ」
「マッチョなラプンツェルって、それはそれで嫌なんですけど」
 馬鹿馬鹿しい会話を続けながらも、冬獅郎は笙野が運んで来た書類に目を通し、決裁印を押してゆく。処理が終わった書類を戻しながら、冬獅郎は乱菊に向かって告げた。
「松本、明後日の昼は夜天光やてんこうのステーキ御膳にする。予約入れとけ」
 瀞霊廷では数少ない高級洋食のレストランが「夜天光」である。基本、出前や仕出しは行っていないのだが、二日以上前から予約を入れておけば、特製の洋食弁当を用意してくれる。だから、明後日の昼食ならば、今日中に予約を行えば間に合うのだ。ただし、出前はしてくれないので店まで引き取りに行く必要はあった。
「はーい、了解です。隊長は五人前でいいですかぁ?」
「おう。それで頼む」
「今晩の晩御飯はどうします?」
 ちょっと考えた後、冬獅郎は、
「信濃屋の天麩羅そばと親子丼、釜辰の特上海鮮釜飯、禅弐堂ぜんにどうの精進弁当、白浜の特上握り。あと、朝日屋で適当に惣菜を仕入れてくれ。俺の分は各一人前ずつ。松本のは一緒に好きな店のを注文しろ」
「夜食におにぎりも作っておきますか?」
「ああ、そうしてくれ。っと、夜の分は志藤の分も注文しておけ」
と冬獅郎は、一人身で隊寮住まい、今朝の騒動時には良い働きをした四席にも夕食を振る舞うことにしたらしい。払いは総隊長持ちだから、志藤も遠慮などせずに乗るだろう。
「はーい」
「それから、今晩の夜勤の連中には暖かい格好をして来るように伝令を飛ばしといてくれ」
「はい?」
 きょとんと目を丸めた乱菊に、
「多分、今晩あたりから冷え込むだろうからな」
「…はい?」
「特に、遅番の夜勤には雪が降るかもしれないと念を入れておけ」
「はぁ」
 そう来たか。冬獅郎の意図に気付いて、乱菊は頷いた。冬用の外套を引っ張り出さなきゃ、と乱菊と笙野は顔を見合わせた。

 冬獅郎の言った通り、夜半から降り始めた雪は朝には二尺ほどの積雪となっていた。無論、通常なら雪など降る時節ではないし、この異常気象は護廷の隊舎や隊寮が集まっている一角のみに発生していた不自然さから、十番隊隊長の仕業であることはすぐに知れた。抗議に向かった隊長格は、十番隊の席官から冬獅郎は諸般の事情があって昨日から隊長舎に引き籠っていることを伝えられ、ぞろぞろと十番隊寮に向かう羽目になった。
 抗議に集まった各隊の隊長格だったが、冬獅郎のうねうねと伸びた銀髪とやちる並みにドカ飯をかき込む姿に唖然として、毒気を抜かれてしまった。
「冬獅郎くん…、その髪?」
 おそるおそると尋ねた八番隊隊長に、
「これか? 涅の薬のせいだ」
「あ、やっぱり? でも何だってそんな…」
「何でも、どこぞの上級貴族の馬鹿娘が銀髪の鬘を作りたいと総隊長に泣きついたらしくてな。で、総隊長は護廷への寄附と引き換えにそれを受けて、俺に髪が伸びる涅の薬を盛ったというわけだ」
「…そう、それは災難だね」
 それ以上突っ込めずに口を噤んだ京楽に代わって、砕蜂が声を上げた。
「それはそれとして、この季節外れの大雪はきさまのせいだろう?」
「確かに俺のせいだな」
と冬獅郎は認めた。
「即刻、止めろ!」
 眦を吊り上げた砕蜂だったが、
「無理だ」
 あっさりと返されて、
「なっ!?」
と絶句した。
「いやぁ、俺も他隊にまで迷惑をかけるのは忍びないから、何とか制御しようと頑張ったんだがな」
 しらっとした顔で冬獅郎は続けた。
「何しろ、栄養と霊力、全部、髪が伸びるのに食われているらしくてうまいこと制御出来ないんだ」
「霊圧が不安定ということッスか?」
 修兵が尋ねる。
「ああ。その上、髪は重いし、動くのに邪魔になるしで精神的に苛々してるのが、制御を更に困難にしていてな」
「はぁ…」
「制御しようと躍起になればなるほど余計に苛々してきて却って雪は酷くなるし、それでなくても減る腹がますます減るしで、匙を投げたのが明け方だ」
「…」
「こうなった原因は総隊長が俺に飲ませた薬にある。そして、総隊長はこの件に関して全て責任を持つと言明された。まぁ、そういう訳だから、抗議と臨時の出費の請求は総隊長に廻してくれ」
「臨時の出費?」
 眉を顰めた浮竹に、
「や、これだけの寒波だと暖房が要るだろう? ついでに屋根の雪下ろしと道の雪掻きにも人手がいる分、隊務が滞るから残業も発生するだろうし」
 いけしゃあしゃあと冬獅郎は答える。
「いや、しかし、総隊長に請求というのは…」
 総隊長・山本元柳斎重國を心より敬愛する狛村は難色を示した。
「総隊長に請求しないのは勝手だが、十番隊に請求したってそのまま総隊長に廻すから同じことだぞ。この件じゃ、完全に俺と十番隊は被害者。この雪だって、制御出来ないのは総隊長に盛られた薬のせいなんだから、俺は責任を取るつもりは一切ない。請求せずに自腹を切るのも勝手だが、それで隊の予算が不足しても俺は関知しないからそのつもりでいてくれ」
 ばっさりと冬獅郎に正論を述べられて、狛村は沈黙した。全員、「制御出来ない」という冬獅郎の言葉に嘘くささを感じていたが、証拠はない。一方、現に尋常でない長さの、冬獅郎の言葉通りに「重い・動きにくい・鬱陶しい」の三重苦にしか思えない髪を目にすると苛々が募っているという方には信憑性も説得力もあった。
「そういうことやったら、総隊長はんに請求を廻すことにするわ」
 真っ先に納得したのは意外なことに冬獅郎の天敵ともいえる存在の三番隊隊長だった。
「イヅル、雪掻きに割かれた人数と時間、暖房費、きっちり計算して請求書を作ってや」
と傍らのイヅルに命じると、
「ほな、お騒がせしました」
 ひらひらと手を振ってさっさと引き上げて行った。
「ずいぶん、あっさりと引き上げたな?」
 日頃のギンの冬獅郎のへの態度からするともう少し突っかかって嫌味でも垂れるのではないかと危惧していた浮竹は、ほっとする反面、不思議そうに首を傾げた。
「うーん。銀髪の鬘を作る材料にってことだと、冬獅郎くんか市丸くんの二択だったわけだからねえ。貧乏くじを冬獅郎くんが引いた形だから、今回に限っては嫌がらせする気にならないんじゃないかな?」
「ああ、なるほど。もしかして、ああなっていたのは自分だったかもとか考えると、怒る気も失せるな」
と浮竹も納得したようだ。
「確かにこの事態を引き起こしたのは総隊長で、責任を取るとおっしゃっている以上、総隊長に請求するのが筋のようだね」
 藍染も頷く。傍らの副官に、
「請求書作成は任せていいかな、雛森くん」
と問えば、
「はい、隊に損害が出ないようにきっちり計算します」
という気合の入った返答を副官は返した。
 五番隊、八番隊と引き上げて行く。七番隊の狛村と二番隊の砕蜂は最後まで逡巡していたが、どうしようもないことを悟ったのだろう、とぼとぼと十番隊隊長舎を去って行った。
「総隊長に届く請求書の額…。見ものですね」
 朝食の給仕を終えた乱菊が、くすくすと笑いながら、食後の茶を淹れる。
「ちなみに、午後からは吹雪くから」
「はい。でもお昼前と夕飯前は小止みにしておいて下さいね。出前を持って来るお店の方が気の毒だから」
「おう、分かっている。それとうちの分の暖房費と人件費もきっちり計算しておけよ」
「もちろんです」
 悪い笑みを浮かべて、十番隊主従は頷き合うのだった。

 最終的に冬獅郎の髪はおよそ十五尺、二間半もの長さに達したところで涅の計算通りに薬の効果は切れた。一番隊の第三席が髪の引き取りに来て鋏を入れて、冬獅郎は三日ぶりに漸く頭が軽くなった。
「うっわ、軽い。極楽っつーか」
 鬱陶しい髪から解放された冬獅郎の機嫌は露骨に良くなった。
「あんたもさんざんだったな」
と初めて冬獅郎に労われて、沖牙ははぁぁと深い深い溜息をついた。
「総隊長ともあろう方が、どうしてこのようなことをしでかしたのか…。魔が差したとしか言いようがございません」
「まぁ、反省はしたんじゃねえ?」
 各隊から上がって来た多額の暖房費と雪掻きの人件費の請求書、及び抗議の書面。十番隊から廻って来た高級料亭の仕出しの請求書に同じく暖房費と雪掻きの人件費の請求書。その上、時ならぬ異常気象で体調を崩してしまった隊員に対する医療費の請求書まで四番隊から廻されて、総隊長命の副隊長である雀部も今回ばかりはぶち切れたらしい。腹心の部下から懇々と説教を食らい、肝心の寄附も先の請求書類で半分ほどが飛んでしまい、多大な被害を蒙った割りには実入りが少ないという結果に珍しく総隊長が意気消沈していると沖牙から聞かされ、
「ざまあみろ」
と十番隊隊長は呵呵大笑したのだった。


*1 四半刻=およそ三十分。
*2 一尺=約30cm。一間=約1.8m

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 7周年記念リクエスト小噺 その2

 7周年記念フリーリクエストより「マユリ様の変な薬で、日番谷隊長の髪が伸びてしまう、もしくは女の子に数日間なってしまう話」。女体化はどうしても理由付けが思いつかなかったので、髪が伸びる方でリクを消化しました。
 多分、リクエスターの方はあたふた動揺する日番谷隊長を見たかったのでしょうが、拙宅隊長は開き直って総隊長への嫌がらせに命を賭けておりますので、あんまり動揺してないなぁ。あと、マユリ様にも怒りを向けていないし。でも、書いててすごく楽しかったんですよ。総隊長への嫌がらせ。あ、時間軸は叛乱の三年前です。
 7周年記念リクエスト小噺の第二話め。リクエスターのなぎさま、楽しいリクをありがとうございます。気に入って頂けると良いのですが。

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2017.07.10