九番隊副隊長・檜佐木修兵氏の災難
十番隊の正副隊長は仕事の上での相棒であるばかりではなく、私生活においても恋愛関係にあるパートナーである。二人の関係が、
「悪いことをしているわけでなし、こそこそするのはごめんだ」
という冬獅郎の意向により早い段階で公表されたこともあり、今では護廷では知らぬ者のいないカップルである。
そして、恋仲の上長を頭に頂く十番隊は、隊を挙げて二人の仲を応援していることで知られていた。何しろ、隊首から副隊長との仲を知らされた時、上位席官が揃って万歳三唱したとの逸話もあるくらいだから筋金入りだ。隊長、副隊長の補佐役として頼りにされている初老の第三席などは、
「二人の結婚式を見るまでは死神を引退出来ない」
とまるで孫の結婚式を心待ちにしている祖父のような発言を漏らしているほどだ。
そんなわけなので、十番隊隊長、もしくは副隊長に横恋慕している者は十番隊では冷遇される。横恋慕者のブラックリストがあるという噂さえあるのだ。とはいっても、公私の区別を弁える隊首の薫陶のおかげで仕事の上で嫌がらせをされるということはまずない。しかし、例えば、書類を届けに行った時に極めて事務的な応対に終始されるのは覚悟しておかねばならないだろう。さらに、隊長・副隊長に用事があって訪れた場合などには、席官たちからあからさまな警戒の目を向けられるというのもある。
横恋慕組は階級も立場も様々だが、平隊士については特段、問題視されていない。なにしろ、無官の隊員には隊長格など雲上人である。自隊ならばまだしも、他隊の隊長格になど接触出来るわけもないからだ。下位席官も似たようなものだ。だが、上位席官ともなると多少の接触は発生し得るし、中・上級貴族という出自を持つ場合は死神としてではなく貴族としての地位を後ろ盾にして無茶をする場合があるので、十番隊の席官たちは厳しい監視の目を向けているのである。
しかし、最も警戒されているのは、何と言っても他隊隊長格だ。具体的には乱菊に懸想する七番隊副隊長の射場鉄左衛門と九番隊副隊長の檜佐木修兵である。会議、打ち合わせ、親睦の為の宴会等々、同席の機会が一挙に増えるからだ。
現在のところ、他隊の隊長格で冬獅郎に恋愛感情を抱いている者はいない。五番隊副隊長の雛森桃は、冬獅郎が子供の姿の頃、彼の本命ではないかと噂されてはいた。二人は西流魂街一番街区・潤林安で一つ屋根の下で暮らしていたほどの近しい幼馴染であったし、仲も非常に親密だった。しかも、冬獅郎は何だかんだと文句を言いつつ、桃を気にかけ、色々なフォローを行っており、二年前の尸魂界を揺るがせた叛乱時に藍染が桃に対して行った仕打ちには分別を失くすほどの怒りを露わにしていたということも、その見方の後押しをしていた。
だが、冬獅郎は急激な成長により青年と呼べる見かけに成長した途端、乱菊と交際を始めた。当時は十番隊の隊員の中でも、冬獅郎の想い人が桃ではなかったことに度肝を抜かれた者が多数いたので、「雛森桃・本命説」は護廷ではかなり浸透していたようだ。尤も、その点について問い質された二人は、
「シロちゃんは弟だもの。乱菊さんみたいな素敵な
「雛森は妹だ。百歩譲ったとしても、手が掛かる危なっかしい姉貴ってとこだな。あ? 『雛森を傷付ける奴は許さない』って宣言した件? いや、姉妹が傷付けられるの、おまえは指咥えて見ていられるのか? 許せるのか? そりゃまた、ずいぶん薄情な兄弟だな?」
とけろりと答えていたので、この説は急速に消えてしまった。この為、現在の十番隊において、桃は隊長の姉妹として、かなり優遇を受けている。同じことは三番隊長の市丸ギンにも言える。叛乱前こそ、自隊隊長の天敵、副隊長の昔の男(かもしれない者)とかなり胡散臭がられて冷遇されていたのであるが、今では副隊長の兄代わりにして隊長の未来の義兄と見做され最上級の丁重な対応で遇されていた。
一方、乱菊に懸想をする二人の隊長格であるが、より十番隊の席官から警戒心を持たれているのは、何といっても九番隊副隊長の檜佐木修兵であろう。というのも、そもそも七番隊と十番隊はそれほど接点の多い隊ではないのだ。鉄左衛門は一応、乱菊の呑み仲間であるが、どちらかというと斑目一角や綾瀬川弓親を介した付き合い、もしくは副隊長仲間という括りになるので、鉄左衛門と乱菊は二人だけで呑んだことはない。一方、修兵の場合、隣の隊ということで叛乱以前から何かと接触が多かった。特に例の叛乱以降は九番隊長・東仙が離反の挙句に戦死し、現在は隊長不在ということで、面倒見の良い冬獅郎がかなり隣隊の補佐を行っている。それがあって、修兵が十番隊執務室を訪れることは頻繁なのだ。また、修兵は乱菊の後輩という立場と惚れた弱味で、しょっちゅう乱菊に集られていた。さすがに、冬獅郎と交際を始めてからはなくなったが、叛乱以前は乱菊と修兵が二人きりで呑みに行ったということもしばしばだったのだ。
無論、接触が多いだけあって、十番隊の席官たちも修兵の
他隊の執務室に赴く場合、上位席官室でまず用向きを述べ、案内を乞うのが正式な手続きである。日頃から交流の深い親しい間柄で軽い用向きの場合は、席官の案内は省略されることが多い。だが、どんなに親しくとも、
「邪魔するよ」
の一言くらいは、上位席官に掛けてから奥に進むのは最低限の礼儀とされている。
その日、修兵は瀞霊廷通信を届けに十番隊を訪れた。その程度の用向きであれば、副隊長にして編集長である修兵が自ら赴かなくても足りるし、実を言うとわざわざ執務室を訪問しなくても席官に言付けたとて失礼には当たらない。だが、修兵は十番隊へは必ず足を運んで手渡しをしていた。理由は乱菊に会いたいからだ。
横恋慕なのは重々承知。今更、乱菊を攫えるはずもないことも、身に沁みて理解している。それでも、ただ乱菊の笑顔を見たくて、修兵は用事を作っては十番隊執務室を訪れるのだ。もちろん、奥に進む前には必ず上位席官室に一声掛ける。それが決まりであり、礼儀であるからだ。これを無視して傍若無人に他隊執務室に侵入するのはやちるくらいのものであろう。
「ああ、どうぞ」
修兵の断りに、三席が顔を上げて軽く頷いた。
(ってことは今日は日番谷隊長はいらっしゃるのか)
彼が十番隊執務室を訪問する際、席官が仕事を中断してでも案内に立つ場合と、今日のように軽く「奥へどうぞ」と許可が下りる場合がある。何度か訪問して悟ったのだが、冬獅郎が不在で、乱菊一人の場合には必ず席官が執務室まで同道する。但し、乱菊の在・不在にかかわらず、冬獅郎が在室の場合は案内が付かない。
(警戒されてるな)
と修兵の心情は複雑である。あれほど分かりやすくアピールした「好きだ」という感情に気付いて貰えず、スルーされ続けた揚句に冬獅郎に掻っ攫われた修兵である。そんな自分を警戒する必要があるのかという自虐的心境。信用されていないという忸怩たる思い。一方、警戒されるということは、それだけ男として訴求力があると認められているのではないかと、自分を誇る気持ちもないではない。
ともあれ、一人で執務室に進むことを認められたということは、今日は冬獅郎がいるはずと考えていたのだが、
「日番谷隊長、九番隊・檜佐木です」
という修兵の呼び掛けに執務室からの応えはなかった。
「日番谷隊長?」
聞こえなかったかと、少し声を大きくしてみたが反応はない。執務室はしんと静まっている。
(あれ?)
どこかで
「瀞霊廷通信を届けに来ました」
と宣言済みだったので出直すわけにもいかなかった。
修兵が執務室に入れば、さすがに目を覚ますだろうと考えていたのに、ソファに眠る冬獅郎は微動だにしない。
(相当疲れてんのかな)
などと呑気に考えていた修兵だったが、横たわる人物の上半身を目にして硬直した。
乱菊だった。
無防備にすやすやと寝入っていたのは冬獅郎ではなく乱菊だったのだ。
(え、何で? 日番谷隊長はっ!?)
慌てて修兵は目を擦ったが、見間違いであろうはずもなかった。蜂蜜色の髪がソファに広がり、豊かな胸は規則正しい上下動を繰り返している。
(乱菊さん…)
硬直したまま、どれくらい乱菊を見つめていただろう。
気が付いたら、修兵は引き寄せられるようにソファに近付き、乱菊の傍らにしゃがみ込んで彼女の寝顔に魅入っていた。
覚醒している時はくるくると目まぐるしく変化する表情豊かな女だが、穏やかな寝顔のせいで整った容貌が余すところなく晒されていた。陽に透ける金糸の睫毛が微かに震え、やや肉厚の蠱惑的な唇はほんの僅かに開いている。そこから零れる吐息のような呼吸がやけに甘い。
(乱菊さん…)
全くの無意識の内に、修兵はそっと指先を差し出して、彼女の唇に触れていた。人差し指の腹で温かな吐息を感じ、修兵は頭の芯がじんと痺れた心地がした。そのまま指先で唇の輪郭をなぞる。乱菊は一向に目覚めようとせず、修兵の動悸と酩酊が深くなった。理性が麻痺して働かぬまま、修兵は右手で乱菊の頬を包み込んだ。
そのまま、ゆっくりと顔を近付けていく。ボーっと上気した修兵に思考力は働かず、ただ目の前の官能的な唇の引力に逆らえなかった。二人の唇の間の距離が拳一つ分ほどまで狭まったその時、彼の目の前に白く冷たいものがちらついた。同時に、急激に室内の温度が下降する。
(!!!! ●$%#×&▲@!!!!!?)
仰け反るように飛び退いた修兵は腰を机の角で強打した。悶絶し、蹲った修兵を刃物のように鋭利な冷気が包み込み、膚を刺した。
「大丈夫ですか、檜佐木副隊長?」
だが、頭上から降って来た声は冬獅郎のものではなかった。
(…?)
打撲と冷気のデュエットな痛みに涙目になりながら、おそるおそる顔を上げた修兵の目に入ったのは十番隊第四席・志藤和興だった。そういえば、彼も氷雪系だったっけと今更に思い出した修兵に、
「これ」
と志藤は乱菊を指差した。
「義骸ですよ」
「…は?」
「命拾いしましたね。本物の松本副隊長だったら、隊長に代わって俺が氷漬けにしているとこでした」
にっこりと目が笑っていない笑顔で、志藤は告げた。
「まぁ、本物の副隊長なら、檜佐木さんがここまで迫っているのに暢気に居眠りしてるわけがないですけどね」
「…日番谷隊長と乱菊さんは…?」
「少し早いですが、お昼に出られました。副隊長のお手製のお弁当を仲良く紅葉狩りしながら食べるんだそうです」
いちいち返答に皮肉と棘が込められているが、先ほど修兵が仕出かそうとしたことを考えればやむを得ないだろう。項垂れて、
「すまん」
と謝った修兵に、志藤は溜息をひとつ落として、凍気を引っ込めた。
「何で勝手に執務室に入ったんです?」
「…その…、返事がなかったから…。それに寝ているの、日番谷隊長だと思っていたんだ」
疑わしそうな視線に居心地の悪さを感じつつ、修兵は言い訳を口にした。
「本当だって。入口からは足元しか見えなかったし、それに…」
「それに?」
「執務室に誰も付いて来なかったから、絶対、日番谷隊長がいるって思ってたんだよ」
「 ああ、気が付いてましたか」
しらっと言った志藤に、思わず、
「気付くに決まってんだろう!」
と修兵は語気を強めた。
「乱菊さんが一人でいる時に俺が来たら、張り付いて離れないくせに」
つい、溜まっていた鬱憤をぶつけたが、
「今日みたいなことがあると困りますからね」
と真顔で返されて、うっと詰まった。
「…だから、すまんって…」
ぼそぼそともう一度返せば、志藤は苦笑を浮かべた。
「俺も同じ男ですからね。気持ちは分からないではないんですが」
「…」
「でも、だからこそ、男として拙いでしょう? 女の寝込みを襲うなんて…」
「申し訳ありませんでした!」
その点については反論の余地などない。義魂丸の入っていない義骸だから当然とはいえ、余りにも無防備に想い人が眠っているのを見て理性が振り切れてしまったのは、申し開きのしようがない修兵の落ち度である。見咎めたのが志藤で幸いであった。冬獅郎に見付かっていたらば、問答無用で氷漬けだったに違いない。
「まぁ、今日だけは見逃して差し上げます」
ふう、と息を吐き、恩着せがましく志藤は言った。
「けど、二度はありません。次に同じことをやらかしたら、隊長が手を下すまでもなく十番隊上位席官全員から血祭りに上げられるのは、覚悟しといて下さい」
真っ黒な志藤の笑みに、修兵は引き攣った。
その日から、十番隊における修兵の待遇が一段と悪くなったことはいうまでもない。
真に乱菊を諦められるその日まで、九番隊副隊長・檜佐木修兵の受難は続くのである。
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7周年記念リクエスト小噺 その7
リクエスターははなくろさまです。
「乱菊さんを人目も憚らずデロデロに甘やかす隊長を、砂を吐きつつも生暖かく見守る護廷十三隊の皆さんの話」、または「乱菊さんへの未練が断ち難く、ついやらかして、危うく氷像にされかかる修兵さんの話」というリクエストを頂いておりましたので、後者で消化。氷漬けにしようとした人物が日番谷隊長でないところが拙宅仕様だったりします。
隊長が氷漬けにするんじゃありがちかなー、とかつい考えてしまった結果、日乱出演のないただひたすら修兵さんが気の毒な話となってしまいました。本人たちの出番はありませんが、一応、日乱の小噺だと言い張ってみます。
本文には冗長になるので書ききれなかった状況の補足をいたします。季節は紅葉が綺麗な晩秋を想定しています。乱菊さんは午後から義骸に入って現世出張の予定。二、三日ほど戻れない調査任務なので、出掛ける前に紅葉狩りがしたいと気合を入れてお弁当を準備していました。でもって、昼休みの少し前(現世の会社だと十一時半くらい)に書類の提出かなんかで志藤四席が執務室に入り、乱菊さんが紅葉狩りを狙っていた場所は早めに行かないといい場所が取られてしまうとフライングを勧め、ツートップは部下の好意に甘えてこっそり執務室の窓から出て行ったという感じです。因みに志藤四席は中庭に何か不備を見付けた隊長に呼ばれて、やっぱり窓から手っ取り早く出て、戻って来たところで修兵さんを発見。なので、上位席官室にいた三席以下の皆さまは執務室に隊長・副隊長とも在室と思い込んでいたのでありました。
何というか、ご期待とは違った話になったかもしれません。とにもかくにも、はなくろさまに捧げます。お受け取り下さい。