苦くて、そして甘い
「それじゃ、行ってきまーす」
両手に紙袋をいくつもぶら下げて出て行く乱菊を留めることは出来ない。今日は常日頃から勤勉で副隊長の鑑という評価も高い八番隊の伊勢七緒ですら、仕事にならない日だ。お祭りごとや行事ごとが大好きな乱菊が全く使いものにならなくなるのは、最早毎年の恒例である。
乱菊が出て行って間もなく、砕蜂がやって来た。無表情に差し出された小さな包みを、
「ありがとう」
と儀礼的に述べて受け取る。うむ、と全く表情を変えず、しかつめらしく頷いたのが、照れ隠しだと理解出来る程度には、冬獅郎も砕蜂に慣れた気がする。
「それでは失礼する」
とあくまでも物堅く挨拶を述べ、砕蜂は十番隊執務室を立ち去った。
あの職務に忠実にして男嫌いで通っている砕蜂ですらないがしろに出来ないほどに、現世から入って来たヴァレンタイン・ディという行事は瀞霊廷に定着してしまった。本命でなくともいい、義理でも構わないからチョコレート獲得数ゼロという不名誉を免れたい男たちの見栄と、本命・義理・撒き餌にお恵み取り混ぜてチョコレートを配り歩く女たちの思惑による攻防が繰り広げられるのが、今日という日である。
先ほど受け取ったばかりの砕蜂のものも含めて、冬獅郎の執務机の横に置かれた紙袋にはいくつかのチョコレートがすでに納められていた。卯ノ花、虎徹姉妹、桃といった同僚の女性隊長格から贈られた由緒正しい義理チョコである。十二番隊副隊長・ネムから贈られたものさえ入っている。
普段、冬獅郎は絶対に十二番隊からは飲食物を受け取らない。得体の知れない薬物が混入されている危険性が高いからだ。だが、ヴァレンタインの義理チョコに限っては安全なので、ありがたく頂くことにしていた。乱菊や七緒といった信頼出来る筋からの情報によると、卯ノ花がネムに対して「人体に無害なチョコレートしか配ってはならない」と最凶の微笑付きで、かつ涅マユリが同席している場で言い渡したらしいのだ。マユリですら懼れる女帝・卯ノ花烈である。彼女に釘を刺されて、人体実験が出来るわけもない。そんなわけで、ネムからの義理チョコに仕込まれているのは技局職員が徹夜続きの時などに服用している特製の滋養強壮剤だ。技局の連中が自分たちの為に開発したものだけに安全性は折り紙付き、その上、さすがというべきか強壮効果は極めて高い。この為、年に一度、ヴァレンタインにしか手に入らないネムの義理チョコは護廷男性隊長格の間では、実は密かな人気を誇っているのである。
そんな訳で、先ほど出て行った乱菊は、おそらく午後になって、それもそこそこ遅い時間にしか戻って来ないだろう。両手に提げていた紙袋の中にはチョコレートがぎっしりと詰め込まれていた。自隊の隊員たちや他隊の男性隊長格はもとより、交流のある他隊上位席官にまで配っているのでチョコレートも大量に必要だし、配り終えるのにも相当な時間がかかるのだ。
よく言えば華やか、悪く言えば
さらさらと走らせる筆の音や、かさりという紙をめくる音が耳につくなど、普段の十番隊執務室では考えられない。
「はぁぁ…」
と彼は溜息をつくと、なんとはなしに傍らの紙袋に視線を落とした。
紙袋の中に、乱菊からの贈り物であるチョコレートはあるといえばある。しかし、ないといえばない。
どういうことかというと、乱菊を含めた十番隊の女性隊員一同の連名でチョコレートを受け取ったからだ。これは、冬獅郎が隊長に就任して二度目のヴァレンタイン・ディからの慣例である。
冬獅郎が隊長に就任して初めて迎えたヴァレンタイン・ディに、十番隊の女性隊員たちはこぞってチョコレートを贈ってくれた。日頃、仕事の上で接している直属の部下である上位席官は無論のこと、下位席官、平隊士に至るまでである。冬獅郎はその気持ちをとてもありがたく感じた。半年足らず前に隊長に就任した際には、その外見の余りの幼さを不安視した隊員たちから大量の異動願いが出され、実際に異動した者も少ない数ではなかったのだ。そんな少年隊長に従ってくれるだけでも感謝しているというのに、贈られたチョコレートには激励や隊首に対する尊愛の言葉が綴られたメッセージ・カードが添えられているものも少なくなく、冬獅郎はずいぶんと勇気づけられたものである。しかしながら、女性隊員たちの心の籠った、正しい意味での義理チョコは数の面からいうとげんなりするほどの量であったのも事実だった。気持ちの籠った、そして冬獅郎自身が嬉しく思った贈り物だからこそちゃんと味わって食べたかった。しかし、何しろ、ほぼ全員の女性隊士から贈られただけに、そんな思いも挫折するほどの数が集まってしまったのだ。その上、隊首への贈り物だけに、生チョコやトリュフといった高級だがあまり日持ちしないものが多かったのも不幸だった。ヴァレンタインからかなり長い日数、来る日も来る日も茶請けにチョコレートを食べ続けるのはある意味苦行であった。
そこで、翌年のヴァレンタインの少し前に、冬獅郎は乱菊を通して女性隊員たちに頼んだのだ。チョコレートは隊で取り纏めて一個だけにして欲しいと。前の年、チョコレート責めに苦しむ隊首を間近に見ていただけに、乱菊は即座に了承し、以降、十番隊の女性隊士一同からとして超高級チョコレートの小箱がひと箱と財布や羽織といった冬獅郎の希望の品が一品贈られることになったのだ。
昨年までの冬獅郎はそれでいたく満足だった。いくら心が籠っていても食べきれない量のチョコレートを貰えば、ありがたさよりその後の苦行を思ってげっそりとする。だが、ひと箱であれば、隊員たちの心遣いに感謝しつつ、美味しく食することが出来るからだ。隊で取り纏めてひと箱ならば資金は潤沢にあり、渡される品は毎年、現世の有名ショコラティエによる最高級品である。実際、一際美味しいと思うのだ。
それなのに…。
今年は、乱菊個人からのチョコレートを欲してしまった。
自隊の男性席官たちも、他隊隊長格も、乱菊からチョコレートを貰っている。
無論、それは恋愛感情からの本命チョコではなく、感謝・友愛・親愛・友情といった気持ちが詰め込まれた正しい義理チョコだ。しかし、他の男性は手に入れられるものが、おそらく今の乱菊には一番近しい異性であり、直属の上司でもある冬獅郎には届かない。それを不満に感じるのは筋違いであることは充分に承知だ。何しろ、隊で取り纏めてひとつにしろと申し渡したのは他でもない彼自身なのだから。乱菊はそれを忠実に守っているだけだ。
そう。乱菊を筆頭とした女性隊員から贈られた今年のチョコレートだって、昨年と変わらずに充分に嬉しかった。しかし、それによって乱菊個人からは貰えないという現実に、冬獅郎は理不尽にも鬱屈してしまったのだ。
「今更、言えねえし…」
昨年までは何とも感じていなかった。彼女が大量のチョコレートの詰まった紙袋を提げて出て行くのを見送っても、抱く感想は「毎年、毎年、よくやるな」といった程度だった。にもかかわらず、今年は欲しいと思ったのは、冬獅郎が己の想いを自覚したからだ。
かなり前から、副官に甘いと言う自己認識はあった。だが、それは隊務のみならず、食事などの日常生活でも補佐をしてくれる乱菊に対する感謝と親愛の情から来ているのだと信じきっていた。ただ、自分でも不可解だったのは、乱菊が異性の友人と飲みに行くような時、妙に気持ちがざわつく相手と、平気で送り出せる相手がいることだった。十一番隊の斑目一角や綾瀬川弓親、三番隊の吉良イヅル、或いは降格・異動した五番隊の前副隊長や自隊の志藤などと飲みに行くと聞いても何とも思わない。しかし、九番隊の檜佐木修兵や七番隊の射場鉄左衛門の名があるとどうにも落ち着かなかった。修兵も鉄左衛門も漢気のある人物で、冬獅郎も彼らに対してはどちらかといえば好感を抱いているというのに、乱菊が絡む時に限って何故かざわざわと心の底に蟠って蠢くものがあった。その不可思議な心理の所以をはっきりと悟ったのは昨年の初夏の時節であった。
冬獅郎はいつの間にか、乱菊を副官・部下を超えて、女として視ていたのだ。
それが
自覚してからも、鋼の精神力で今まで通りの日常を続けて来た。従って、乱菊にこの想いは覚られていないはずである。まるきり子供の冬獅郎から「好きだ」と告白されたって、彼女が困惑するのは目に見えていた。だから、自分の見かけがもう少し成長するまで、乱菊と並んでいても他人から姉弟ではなく、友人・仲間と認識して貰える程度の外見年齢を獲得するまでは、この気持ちは秘めておくと決心していた。
だから、言えない。
乱菊からのチョコレートが欲しいのだ、とは。
ずっと、他の女性隊員たちと連名の贈り物で満足していたのに、今更、言い出せない。
理由を尋ねられたところで、副官だから特別などという自分でも不自然極まりない説明しか出来ないのに。
気持ちは沈んでいるのに、冬獅郎の仕事の手は止まるということはなかった。というよりも、書類に没頭していないと、ますます憂鬱になりそうだった。義理チョコを携えて来る他隊女性隊長格の訪問で、折々に中断されながらも、冬獅郎は黙々と書類を捌き続けた。
そうして、昼八つを報せる鐘が響いた直後、
「松本乱菊、ただいま戻りました!」
とおどけながら愛しの副官がご帰還あそばした。普通なら、冬獅郎の怒りを怖れて、おそるおそる執務室に入って来るものだが、今日ばかりは糸の切れた凧よろしく戻らなくても咎められないと承知なので気楽なものである。
肩が凝ったらしくこきこきと首や腕を廻して身体を解している上司を見咎め、乱菊は、
「まーた休憩もせずに仕事に没頭していたんですかぁ?」
と呆れたようにのたまった。普段なら、
「どっかの誰かさんが戻らねぇからな」
とか、
「誰のせいだと思っている?」
くらいは反論するのだが、ヴァレンタインなので自重し、
「あー、悪ィ」
と冬獅郎は素直に非を認めた。今日だけは副官が戻らなくても仕方がないのだ。それを承知でつい根を詰め過ぎたという自覚はあった。
「休憩しましょう、隊長。働き過ぎは身体に毒です。出来る男は適度に気を抜かなきゃ」
乱菊は笑いながら、上司を執務机から引き剥がし、ソファに連行した。
「お茶、淹れて来ますね〜」
ひらひらと手を振って給湯室に消える乱菊に、冬獅郎は彼女が出て行く前に淹れてくれた茶を飲んだきりだったことを思い出した。
「はぁ〜」
外見に似合わぬおやじ臭い溜息をつくと、強張った身体をソファの上でだらんと弛緩させ、彼はぼんやりと天井を眺めた。気持ちを隠し続けると決意してるくせに、たかだかチョコレートが貰えないくらいで鬱々としてしまう自分が、何だか情けなくも子供っぽく感じて、無意識に眉間の皺が深くなった。
「たいちょ、お待たせしました〜」
乱菊が執務室に入って来ると同時に、甘い香りが鼻孔をくすぐった。
「?」
ソファに浅く座り、思いっきり背を反らせて凭せ掛けるという滅多にしないだらけた姿勢で緩んでいた冬獅郎が身体を起こすと、目の前の卓に、ことんと湯呑みではなくマグカップが置かれた。
「今日はヴァレンタイン・ディですしねぇ。疲れている時には糖分ですよ」
語尾に音符かハートマークでも踊っていそうな殊更に明るく機嫌の良い声音で、乱菊は告げた。
「ココアか?」
マグカップに満たされた薄茶色の液体から甘い香りは漂っていた。
「ショコラ・ショーです」
と乱菊は告げた。
チョコレートは英語だが、ショコラは同じものを指す仏蘭西語だったはずだ。だとすると「ショー」も仏蘭西語だろうと、冬獅郎は優秀な頭脳にしまい込まれた語学の知識を引っ張り出した。「ショー」は熱いという意味の仏蘭西語だから、要するにホットチョコレートということである。
「ココアとは違うのか?」
「厳密には区別されていないみたいですけど、」
と前置きして、乱菊は冬獅郎の疑問に答えた。
「一般的には粉末になったココアパウダーを牛乳で練り溶かした飲み物をココア、板チョコを刻んで牛乳で溶かして作るのをショコラ・ショーって呼ぶみたいです」
「ふうん…。じゃ、これは板チョコから作ったのか?」
「そうで〜す。ココアよりヴァレンタインっぽくていいでしょ?」
ショコラ・ショーが濃厚で甘いことを考慮したのか、添えられた茶菓子は表面に薄くザラメ糖が振ってあるだけのあっさりとした塩味パイだった。乱菊も冬獅郎の隣りに腰かけて、美味しそうに自分の分の飲み物を飲んでいる。
冬獅郎もショコラ・ショーを口にしてみた。
油脂分を減らしたココアパウダーではなくチョコレートを溶かしたと言うだけあって香りはココアより濃厚である。口当たりもチョコレートのこくを感じる。だが、思ったよりも甘ったるくはない。冬獅郎にはちょうど良い、控えめな甘味だ。
「美味しいですか?」
満面の笑みで覗き込む副官に、
「ああ、旨い」
と返す。
「思ったよりも甘くなくて、飲みやすい」
「良かった〜!」
乱菊が破顔した。
「隊長はあんまり甘くない方がお好きだから、セミスウィートとビターを半々に混ぜて作ったんです」
「…へえ?」
「ちなみにあたしのはセミスウィート・チョコだけで作りました。飲み比べてみます?」
乱菊が自分のマグカップをずいと突き出してきたので、冬獅郎は遠慮がちに一口だけ飲んでみた。
「やっぱ、かなり甘いな。俺はやっぱりビターチョコが混じってる方が好きだ」
「だと思いました」
と乱菊は嬉しそうな笑顔を冬獅郎に向けた。
ヴァレンタインだからショコラ・ショーにした、と彼女は言った。板チョコを細かく刻んで作ったのだと。しかも、冬獅郎の分はわざわざビターチョコを混ぜて甘くなり過ぎないように調整したというのだ。
(…これは、松本から手作りチョコを貰ったと解釈しても、間違ってねえよな…)
乱菊が少し前まで配り歩いていた義理チョコは既製品だ。我ながら、なんと単純なのだろう。と冬獅郎は自身に呆れた。「恋は盲目」とはよく言ったものだ。どよんと鬱屈していた感情は見る間に払拭され、にやけそうになるのを押さえる為に表情筋に無理な命令を下さなければならない事態と相成った。
甘くてほんのりと苦いショコラ・ショーは強張っていた冬獅郎の心身に、充分な糖分を染み渡らせたのだった。
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7周年記念リクエスト小噺 その8
リクエスターのYさまからは複数のリクエストお題を頂いておりました。その中から「片思いに苦悩する日乱の話」をチョイスして、「思春期を迎えた日番谷隊長と乱菊さんの甘酸っぱい話」をフレーバーとして混入したら、何か違うものが出来上がってしまった気がします。
「そもそも苦悩してないやん、隊長がただ勝手に拗ねてるだけやん!」
という心の叫びには蓋。しかも、昨年六月に募集したリクを二月にUPってどうよ。その上、イベントネタとしても大遅刻ではありませんか。ヴァレンタインは2/14です。もう二週間も過ぎています。辛うじて、二月中にUP出来たのが唯一の救いっちゃ救い。
本当にお待たせして申し訳ありませんでした!!(ジャンピング土下座) Yさま、どうかお受け取り下さい。ちなみに時間軸は叛乱の二年前です。