Acropolis Romantica


 Pleine Floraisonプレン・フロセゾン
 満開の花とか、花盛りを意味するフランス語の店名を持つそのフラワーショップは、芸能人や医者、弁護士、会社役員などおおよそセレブと称される人々が数多く住み暮らす高級住宅街にほど近い表通りに店舗を構えていた。
 倉沢香苗はプレン・フロセゾンのフラワーアレンジメント・スタッフの一人である。実家は地方のあまりぱっとしない花屋だ。しかし、その環境故に生まれた時から花に囲まれて生活しており、長じてからごく自然に生け花やフラワーアレンジメントに興味を持った。専門学校を卒業するまでは実家の花屋でアルバイトスタッフとして働いていたのだが、もっとおしゃれで洗練された店に勤めて技能を磨きたくて、上京したのである。もちろん、将来は実家の花屋を継いだ上で、あか抜けた店に変身させることを目標としている。
 香苗はプレン・フロセゾンでも中堅のスタッフだ。オーダーのブーケなどのアレンジメントを任されることも多い。その日も新入りスタッフを助手にブーケを作っていた。毎年欠かさず結婚記念日に花を用意する男性のオーダー品で、昨年も香苗がアレンジメントを担当した。昨年のブーケを夫人がたいそう喜んだそうで、是非今年も香苗にという嬉しい指名を受けての制作だった。
 あらかた花を組み終わったところで、香苗は店を覗いている男性の姿に目を留めた。たいていのフラワーショップがそうであるように、プレン・フロセゾンも華やかな花々が人目を惹くように表通りに面したところは総ガラス張りになっている。アレンジメント作業に興味を持って来店する客も少なくないので、スタッフの作業台もガラス越しに見えるところに設置されていた。その為、逆に香苗の方も表の男性に気が付いたのである。まだ若い青年のようで、入ろうかどうしようか悩んでいる風情が見て取れた。香苗の経験からいうと、こういう場合の男性客は、まず花屋に用があるが敷居が高くて入りづらいという心理状態に陥っている。それには、大雑把にいうと二つのケースがあって、ひとつは近々花を贈る予定があって自分の予算でどのくらいの花が買えるのか下見がしたいという場合、それから、恋愛対象の女性に花を贈りたい場合である。前者は買うわけでもないのに色々尋ねたり相談したりするのは申し訳ないという心理から、後者はただただ気恥ずかしくて入るのを躊躇うようなのだ。とはいえ、用があるのは間違いないので、スタッフが上手く誘導してやれば、入店の確率は非常に高い。
 香苗は組みあがったブーケを保冷室に入れるように新人に指示し、表に出た。
「お花をお探しですか?」
 にこやかに声を掛けると、青年は一瞬びくついた後、
「…あ、はい…」
と消え入りそうな声音で肯定した。
「どうぞ中に入ってご覧ください」
 香苗が促すと、青年は頷いて、おそるおそるといった様子で入ってきた。
「今日はどういったお花をお探しですか?」
「…誕生日プレゼントに花を贈りたくて…」
と青年はおずおずと答えた。
 年齢は二十代前半といったところだろうか。店内から認めた時には、まず金髪が目に入ったので外国人かと思っていた。しかし、香苗の問いに答えた発音やイントネーションはきれいなネイティブの日本語だった。所謂「イケメン」と呼んでいい整った容姿をしているが、顔立ちに日本人とも西洋人とも判じ難い微妙さがあったので、もしかしたらハーフなのかもしれないと香苗は想像した。
「そのようなご相談はよく承ります。ご家族ですか? それとも彼女さんでしょうか?」
「…彼女…です」
「素敵ですね。本日のご用意でよろしいのでしょうか?」
 香苗が微笑むと、青年は緩くかぶりを振ってから言葉を継いだ。
「いえ、…その…、彼女の誕生日はまだ先なんです…」
「下見でございますか?」
「あ、いえ、そうではなくて…」
「では、事前のご相談か、ご予約のオーダーでしょうか?」
 香苗が水を向けると、青年はほっとしたように頷いた。
「…実は、知り合いにこちらのお店を紹介してもらったんです。こちらなら珍しい花も豊富に揃えてあるし、スタッフの方が親切に相談に乗ってくれるからって…」
「光栄です」
 香苗は青年を奥の個室に促した。
 オーダー相談用の個室に入り、新人スタッフが運んできたハーブティを飲んで、ようやく青年は落ち着いたらしい。
「すみません。慣れないもので…」
とはにかんだ笑顔を浮かべた。純朴さと誠実さを感じさせる笑顔はとても好感が持てるものだった。
「差支えなければ、当店をご紹介下さったというお知り合いの方のお名前を伺ってもよろしいですか?」
と香苗はまず尋ねた。プレン・フロセゾンをわざわざ他人に紹介してきたということは、この店を幾度か利用したことのある顧客で対応に満足してくれているということだろう。ならば、次回の来店の際には丁重に礼を述べねばならないし、上得意の客であれば礼状のひとつも出す必要があるからだ。
 香苗の問いに、青年はほんの少し考えた後、
「市丸ギンという名の男性なのですが…」
と答えた。
「ああ、市丸様ですか?」
 香苗は破顔した。
「よくご利用いただいております。つい先日もブーケのオーダーを頂いたばかりですよ」
「ええ。この間、絢女さんのお誕生日にこちらで花束を作って貰ったという話は伺いました」
「…絢女さん…?」
 すぐに香苗は得心した。ギンが先日の花束を贈った相手の名前なのだろう。
「ああ、お名前が絢女さんだからなのですね。お相手の方は菖蒲あやめがとてもお好きだということで、アイリスをメインにしたブーケを承りました」
 市丸ギンは三年ほど前からの顧客である。かなり花に詳しい青年で、オーダーの際もスタッフにお任せではなくこういう花を使って、こういうアレンジメントをとかなり具体性のある依頼をしてくる。先日納品した、絢女という女性の誕生日プレゼントであったらしいブーケもそうだった。
 香苗はタブレット端末を操作して、写真を画面に表示した。
「こちらが先日、市丸様に承りましたブーケです」
「…凄い…。きれいですね」
と青年は軽く息を飲んだ。濃い青紫と白のツートンカラーのジャーマンアイリスをメインに、エグゼラベンダーという品種名の花びらに細かいフリンジの入った華やかなラベンダー色のトルコ桔梗、人工交配によるブルーローズの代表的な品種であるブルーヘブンを配した青いブーケである。写真は注文主であるギンの了解を得た上で撮影し、Facebookに掲載したものだ。アップした直後から反響が大きく、昨日も類似のブーケのオーダーが入った。
「こちらはホワイトディでオーダー頂きましたブーケです」
「うわっ。これもまた凄い…」
 アイリスのブーケは香苗の先輩に当たるスタッフがアレンジメントを請け負ったのだが、ホワイトディの時は香苗がブーケを制作した。ラナンキュラスに似た咲き方をする白い八重の花びらに中心部に濃いグリーンの花芯を備えた極めて個性的なグリーンハートという名の新品種の薔薇に、薄緑のピンポンマム、緑色がかった薄クリーム色のカーネーション、斑入りアイビーなどを合わせたホワイトグリーンのモダンなアレンジメントだ。このブーケもFacebookで大量の『いいね』を獲得した。
「お客様はどういったブーケをご希望ですか?」
「その…、僕は市丸たい…、あ、いえ、市丸さんと違ってあんまり花とか詳しくなくて…」
「ええ、漠然としたイメージでもご希望に添えるブーケを作るようにいたしますので、お任せください」
「…薔薇の花束を考えているんです」
と青年は言った。

 最初はテディベアをと考えていた。
 雛森くんはテディベアを蒐集していたから、珍しいテディベアを贈れば喜んでもらえるのではないかと思ったのだ。
 だが、日番谷隊長に相談したところ、難色を示された。理由は二つ。第一には日番谷隊長ご自身が雛森くんへのプレゼントにテディベアをご用意されていたからだ。何でも、彼女は日番谷隊長には誕生日プレゼントとして、毎年テディベアをお願いしているのだそうだ。
「あいつはテディベアを集めているから、俺に頼んだのと別口で手に入れば喜ぶのは喜ぶだろうけど、俺と品物が被るのは吉良としても面白くねえんじゃないか?」
と日番谷隊長はおっしゃった。
「それに、あいつは蒐集家コレクターだからな。いくら珍しいテディベアでも、集めまくった大量の蒐集品コレクションに埋没しちまうぞ」
 これが第二の理由。
「そうだな…。現世のサザビーズとかクリスティーズあたりでオークションにかけられるようなアンティークの希少品級になれば、さすがに埋没しないかもしれねぇな。けど、そういうのは確実に手に入るとは限らないし、かなり高額で取引されているから、俺としては勧められない」
 日番谷隊長のご意見は頷けるものだった。だから、テディベアという案は早々に却下したのだが、では代わりに何をというのが思い浮かばない。例えば、簪とか帯飾りみたいな装飾品もきっと喜んでもらえるだろうけど、そんなのは片恋時代にもさんざん贈っていた。今年は両想いになれてから初めての彼女の誕生日なのだ。友達の頃とは一味違う、思い出に残るものを渡したかった。
「吉良も知っているだろうけど、雛森はかなり少女趣味だぞ。乙女チックっつーのか? だから、変に捻るよりも分かりやすく甘い雰囲気になれるものがいいと思うけどな。現世の少女漫画も好きだから、それ読んで参考にするのも手だ」
というのが日番谷隊長のアドバイスだった。
 朽木さんや虎徹さんにも協力してもらって、日番谷隊長がおっしゃった通りに、現世の少女漫画もいくつか読んでみた。「ベルサイユのばら」「ポーの一族」「キャンディ・キャンディ」「いたずらなKiss」「フルーツバスケット」といった有名どころを読破して、少女趣味で乙女チックという感じが掴めたような気がした。だけど、雰囲気が理解できただけだった。何を贈れば特別な思い出になるのか、やっぱり具体的な品物は思いつかなかった。思い余った僕は、揶揄からかわれるのを覚悟で市丸隊長に相談してみた。今でこそ絢女さん一筋だが、かつての市丸隊長のドンファンぶりは有名だった。それだけに女性の扱いには長けていらっしゃる。きっと心を掴むプレゼントもご存じだろう。
 僕の訴えに、
「王道中の王道やけど、桃ちゃんには薔薇の花束とか効果的やないかな?」
と市丸隊長は即答された。
「薔薇の花束…ですか?」
「少女漫画を読破したんやったら、そういう場面、出てきィへんかった? そやな、両手に余るくらいのものすご大きい花束なら貰ったことない思うし、ええんと違う? 冬獅郎はんも言うとったみたいやけど、桃ちゃんは乙女チックな娘ォや。薔薇の花束みたいな王道にロマンチックなもんには憧れがあると思うんやけどな」
「なるほど…」
「花束を用意するんやったら、現世の花屋で調達するんがお勧めや。尸魂界より花の種類も豊富やし、あか抜けた花束を作ってもらえるで」
と市丸隊長は筆を取って、さらさらと紙に文字を書き付けた。
「ボクが最近気に入って利用しとる店や。珍しい種類の花もようさん置いたはるし、技術うでのええ店員さんも揃っとる。よう分からへんでも親身に相談に乗ってくれはるから、ここに行くとええ」
 紙には店の名前と現世の住所が記されていた。そこで、早速、非番の日に現世に下りてみたのだが、いざ店に行ってみると洗練された雰囲気に圧倒されてしまって、足を踏み入れる勇気が出なかった。あんまりにも尸魂界と違う。壁が大きな一枚硝子になっていて、その向こうに見たこともないような綺麗な花束や珍しい鉢植えがところ狭しと飾られてる。自分が場違いな田舎者になった気分になって気後れしたまま店の前でうろうろしていると、中から出てきた店員さんが僕に声を掛けた。
 胸に名札をつけていて、それで「倉沢」という名だと分かった。倉沢さんは優しくて穏やかな物腰で、怖気ついていた僕を安心させてくれた。花束の注文に来たことを伝えると、すぐに奥の個室に案内されて、いい匂いのするお茶を振る舞われた。尋ねられて市丸隊長の名前を告げると、倉沢さんはすぐに分かった様子で、市丸隊長がこの店に注文したという花束の写真を見せて下さった。
 尸魂界の花屋さんを馬鹿にするつもりは毛頭ないけれど、市丸隊長が花束を作るなら現世の店にしろとおっしゃった理由が本当によくわかった。尸魂界では見たことがないような綺麗で珍しい花を使って、とても洒落た感じに仕上げてあるのだ。
 ずっと片想いをしてきた相手でようやく両想いになれたこと、両想いになれてから初めての彼女の誕生日であることなどを、僕は正直に倉沢さんに打ち明けた。
「お気持ちはよく分かります。恋人として初めてのお誕生日なのですから、何か思い出に残るような特別なものを差し上げたいのですね?」
と倉沢さんはすぐに僕の気持ちを言い当ててくれた。
「お誕生日や、記念日に薔薇のブーケというのは、女性にとって非常に人気のある贈り物です。当店ではスタンダードなタイプから、ちょっと変わった新品種まで色々とご用意できます」
 倉沢さんは頼もしく請け負って、コンピューターを操作して薔薇の花束の写真をいくつも見せてくれた。どれも、このお店で過去に作ったものなのだそうだ。
「一口に薔薇のブーケと申しましても、薔薇を中心にしてその他の花を組み合わせるタイプと、潔く薔薇だけで花束にするタイプがございます。両手に余るくらいの大きな薔薇の花束ということでしたら、薔薇だけのブーケをイメージされていらっしゃいますか?」
「はい…。出来れば、薔薇だけの花束にしたいです」
「お色のご希望はございますか?」
「薄桃色を考えていたのですけど…、ありきたりでしょうか?」
 雛森くんのイメージだと絶対に薄桃だと思っていた。けれども、市丸隊長が注文したものをはじめ、珍しくて個性的な花束の写真を見てしまうと薄桃の薔薇の花束なんて平凡過ぎるんじゃないかと自信が持てなかった。けれども、倉沢さんは、
「いえいえ。女性にとっては薔薇色や深紅の薔薇の花束は憧れですよ。特にロマンチックなものをお好みの女性なら、ピンクのブーケはとても喜ばれます」
と僕の不安を払拭した。
「そうでしょうか?」
「はい。それに、ピンクの薔薇の花言葉には、『温かい心』『恋の誓い』『幸福』といったものがあります。その中でも特に淡いピンクの場合は『かわいい人』や『愛している』という花言葉になりますから、彼女さんへのお誕生日プレゼントにはぴったりです」
「良かった…。あの、両手に余るくらいというと…何本くらいになりますか?」
「そうですね。ブーケにする薔薇の品種によって同じ本数でもボリュームが違ってまいりますので一概には申し上げられませんが、二十本以上であればかなり見栄えのするブーケになります。お誕生日プレゼントの場合ですと、年齢と同じ本数の薔薇をというのもよくオーダーをお受けします」
 尸魂界の住人には年齢というのは余り意味がない。特に流魂街出身の場合、現世で死んでから具体的な記憶を失って尸魂界にやって来るから年齢は正確には分からないのだ。雛森くんだって、そうだ。
「十歳くらいの時に死んで、尸魂界に来てすぐにおばあちゃんに拾ってもらったの。誕生日はおばあちゃんに拾ってもらった日だよ」
と言っていた。だから、年齢と同じ数ということなら本数を決めることさえ出来ない。僕が乗ってこなかったからか、僕の見た目の年齢で彼女の歳を推し量り、年齢の本数では両手に余るほどにはならないと考えたのか、倉沢さんは、
「後は本数に意味を持たせる場合があります」
と続けた。
 贈る本数に意味があるとは知らなかった。
「はい。花束には不足ですが、薔薇一本でしたら『一目ぼれ』という意味になります。七本ですと『密かな愛』で片想いの告白に使われます。十二本だと『付き合って下さい』です。これが、十三本になりますと『永遠の友情』になりますので、同性のお友達向きですね。四十本だと『真実の愛の誓い』、五十本だと『永遠』、九十九本は『永遠の愛』や『ずっと好きだった』という意味で、百八本は『結婚してください』になります」
 九十九本は「ずっと好きだった」…。
「プロポーズをなさるという男性からのオーダーで、実際百八本の薔薇のブーケを作ったことがございますが、この本数だと両手で抱えてもずっしりとした重みがあって、かなり迫力のあるブーケになります」
 そうなんだ…。だったら、僅かに少ない九十九本も相当な量だと考えていいだろう。
「ちなみに、ご予算はどのくらいをお考えですか?」
 倉沢さんは初めて、予算を確認してきた。妥当な質問だ。予算を知らずに案を詰めて、その気になったところで足りないなんて洒落にならない。これから具体的な話になるのだから、その前に予算を確認するのは当然だろう。
「あの…プロポーズはさすがにまだ無理なので百八本はいらないんですけど…。九十九本って僕の予算でいけますか?」
と、市丸隊長から「これくらい見ておけば大丈夫」とあらかじめ教えて頂いた金額を告げる。
「市丸さんから、この金額ならまず大丈夫だっていわれたんですけど…」
 倉沢さんは大きく頷くと、
「さすがですね。それだけのご予算をお考えなら充分です。スタンダードなタイプの薔薇でしたら、かなり余りがでますし、新品種の珍しい薔薇を使ったとしても、よっぽど高価な特別の薔薇でない限りは予算内で納まります」
と断言した。
 うん、さすがだ。花好きの絢女さんを喜ばせる為に情報収集を重ねた結果、ご自身がやたらと花に詳しくなった市丸隊長だ。もしかしたら、さっき倉沢さんが教えてくれた本数に意味があるという話もご存じだったのかもしれない。だとすると、僕が九十九本を選択するということも予想した上で金額を教えて下さったのだろうか。
 ともあれ、予定の金額で希望が叶いそうで、僕はほっと息をついた。

 青年は再びはにかんだ笑みを浮かべた。
「さっき、九十九本は『ずっと好きだった』という意味があるっておっしゃったでしょう? 本当に、ずっと好きだった女性だから、九十九本、贈りたいって思ってしまったんです」
 本当に彼女のことがとても好きで大切なのだということが、その言葉と表情で香苗にも伝わった。大切な人に贈る特別なブーケに携われるのは、花屋の喜びである。彼にも、彼の彼女にも喜んでもらえる素晴らしいブーケを是非とも作り上げたいと、香苗は意気込んだ。
 まず、量を実感してもらう為に、九十九本の薔薇を使ったブーケの画像を見せた。
「すごい迫力ですね。これなら、きっと彼女にも喜んでもらえます」
と青年は納得した様子だ。
「後はブーケに使用する薔薇の品種になりますが…。九十九本でしたら、本数で迫力が出ますので、花自体は大輪ではなく中輪以下のやや小ぶりな方がお勧めです。もちろん、大輪ならよりゴージャスになりますが…」
 紹介者のギンのように花に詳しいのなら、カタログから選んで注文というのでもいいが、目の前の青年はごく一般的な知識しかないようだし、花を贈ること自体にも慣れているようには見えない。だとしたら、カタログよりも実物の花を見せて選ばせた方がいいだろうと、香苗は判断した。
「カタログから店頭にない花も注文できますが、まずは今、当店に置いてある実物の薔薇をご覧になってみますか?」
と提案すると、
「はい。お願いします」
と青年は目を輝かせた。
 薔薇はブーケの素材として最も人気が高いが、プレン・フロセゾンは個性的な形や色合いの薔薇の品揃えに力を入れている。ピンクでも、例えば少しベージュがかったノスタルジックな色味の花やアプリコットがかった色合いなど微妙な色味の花をいくつも揃えていた。花の形でいっても、一昔前は薔薇といえば高芯剣弁咲きの品種が圧倒的だった。しかし、最近はオールドローズ系のカップ咲やロゼット咲に対する関心が高まっており、そのタイプの商品を充実させている。
 薔薇を固めてならべてある一角に案内すると、ずらりと並んだ様々な品種に、青年は、
「すごい」
と息を呑んだ。
「何というか…、薔薇っていっても色々あるんですね」
「はい。当店は薔薇に力を入れておりますので、品揃えには自信がございます」
とにっこりと笑って、店頭にある薄ピンク系の薔薇をひとつひとつ紹介していった。
「こちらは『ブライダルピンク』という薔薇です。花持ちもよく、いかにも薔薇らしい色合いと形状でブーケには非常に人気がある品種です」
「ほんとだ。僕の思う薔薇ってこんなです」
「こちらの薔薇ですと、正統派のブーケが出来ます。贈られる側が花に詳しくない方でしたり、ブーケを贈られることに慣れていらっしゃらない場合は正統派のブーケの方が分かりやすくて喜ばれる傾向がございます」
「なるほど…」
 中には、花なんて桜とチューリップくらいしか判別できないというようなタイプもいる。そういう人に珍しい品種の薔薇を贈っても理解してもらえない。凝ったブーケは貰う側も上級でないと、贈り甲斐がないのだ。また、受け取る人の好みや贈るシチュエーションによっても、正統派の方が相応しい場合がある。凝れば良いというものではないという香苗の言外の意図は、どうやら正確に青年に伝わったらしい。
「彼女はそこそこ花に詳しいと思うんです。絢女さん…、市丸さんの恋人の女性がものすごく詳しい方で、僕の彼女は絢女さんの親戚で親しくしているんです。だから、絢女さんのところで珍しい花を見ていると思いますし、多分、市丸さんが絢女さんにプレゼントした花束なんかも見せてもらったことがあるんじゃないかな?」
「でしたら、正統派よりもちょっと変わった、見慣れないタイプの薔薇の方が喜ばれるかもしれませんね」
 香苗はブライダルピンクの隣に置いてあったやはり正統派の「優花」を飛ばして、さらに隣の「ニコール」を示した。
「こちらは花の形は正統派の高芯咲きですが、くっきりとメリハリのあるピンクの覆輪が美しくて、一目ぼれなさる方も多い薔薇です。それから、そのお隣は『ミミ・エデン』です。ご覧の通り外側が白で中心部がピンクなので、蕾は白くて咲くとピンクという意外性と、ころんとした花の形が人気の品種です」
「可愛いな。正統派の薔薇よりもこういう丸っこい形の薔薇の方が、彼女に似合いそうです」
「この形はカップ咲きと言います」
 オールドローズやイングリッシュローズに多く見られる花形である。高芯咲きよりも可愛らしさが強調され、ノスタルジックな雰囲気がある。
「それから、その隣は『アンティークレース』です。淡いサーモンピンクの色合いとフリルのような花びらがクラシックな雰囲気を醸し出しているタイプですが、花によってはオレンジが強く出ますから、ピンクの花というご希望からはちょっと外れるかもしれません」
「そうですね。きれいですけど、もっと薄桃色っぽい方が…」
「ピンクらしいピンクなのは、こちらの『ファンシードレス』ですね。大ぶりのカップ咲なので、芍薬みたいだとおっしゃる方もいらっしゃいます。花によってはちょっとくすんだ色合いが出るものもありますが、そこがまたアンティークな雰囲気で良いと敢えてくすんだ色の花を選ばれる方もいらっしゃいます」
 青年はひと渡り、並んでいる花を目で追って眺めていたが、ひとつの薔薇に目を留めた。
「この薔薇は、なんていうのですか?」
 彼が指さしたのは、先ほど、彼女のイメージだと言っていた丸みを帯びたカップ咲きのオールドローズ系の薔薇だった。
「こちらは『アクロポリス・ロマンティカ』といいます」
「変わっていますね…。同じ枝に付いている花なのに色が随分違う…」
「はい。こちらの薔薇は一輪の花が長く楽しめる色が変化するタイプの薔薇なのです。咲き始めはこちらの花のように覆輪の色が濃い目で明るいピンク色ですが、咲き進むに従って覆輪の色が薄くなって、ベージュがかったクラシカルで落ち着いた淡い色味のピンクに変化します。さらに満開になるとこの花のように花色がグリーンを帯びたクリーム色っぽくなっていくのです」
 好きな女性に花を贈る場合、贈り手の男性は女性のイメージに近い花を選ぶ傾向がある。だから、客が気にしている花の傾向を読めば、ぼんやりと相手の女性の雰囲気が掴める。ミミ・エデンやアクロポリス・ロマンティカに見入っている青年の姿に、彼の恋人は可愛らしいタイプの女性なのだと見当を付けた。ピンクに拘りがある様子なのは、もしかしたら、彼女の好きな色なのかもしれない。
 アクロポリス・ロマンティカの隣には、アンジェリーク・ロマンティカという薔薇があった。僅かにオレンジがかった淡いサーモンピンクの薔薇で、こちらも蕾がころんと丸いカップ咲きの品種である。花はアクロポリス・ロマンティカよりもやや大ぶりだ。青年はこの薔薇にも目を留めたが、幾度も見比べた後、視線をアクロポリス ・ロマンティカに戻した。
 アンジェリーク・ロマンティカはニコールなどと比べると可愛らしさが強調されるが、ミミ・エデンやアクロポリス・ロマンティカと並べると優美さや気品が前面に出て大人っぽい雰囲気を感じる薔薇だ。見比べてアクロポリス・ロマンティカの方により惹かれるということは、
(やっぱり可愛いタイプの女の子なんでしょうね)
と確信した。彼はきっとこの薔薇を選ぶと、香苗は感じていた。

 品揃えに自信があると言っていた通り、尸魂界では見たことがないような変わった色合いや形の薔薇が並んでいた。
 倉沢さんはひとつひとつ丁寧に説明して下さってとても興味深かった。その中でも、カップ咲きという形の薔薇が雛森くんの雰囲気に近いと思った。正統派だという「高芯咲き」だっけ…? そのタイプの薔薇はどちらかというと、乱菊さんや絢女さんの方が似合いそうだ。ニコールなんて特に、乱菊さんって感じがした。
 最初にいいな、と思ったのはミミ・エデンだった。ちょっと小ぶりで丸っこい花がすごく可愛らしかった。だけど、他の花も見ているうちに気になる薔薇があった。
 生花だから、一本一本、多少色合いが違っているのは当然だと思うが、その薔薇はものすごく色が異なっていたのだ。梅などで、一本の木に紅白の花が咲く源平咲きがあるけれど、その薔薇は正にそんな感じで、明るいピンクの花と白っぽい花とが混じっていたのだ。
 僕の質問に、倉沢さんは例によって、とても詳しく解説してくれた。倉沢さんの説明を聞いてから改めてアクロポリス・ロマンティカを見直すと、確かに明るいピンクのものは蕾や咲き始めの花のようで丸っこい。一方、白味が強い花は花びらが開き気味だった。
「面白いですね」
と僕が相槌を打つと、
「はい。切り花にしても花持ちが良いタイプですので、蕾から満開まで楽しめると思います」
という言葉が返ってきた。
 花びらの裏側はちょっと杏子色がかった薄桃で、表側も中心に近いところは同じ色合いをしていて、縁の部分が明るめの桃色に縁どられている。この縁取りは「覆輪」って呼ぶみたいだけど、ニコールのようにはっきりくっきりの縁取りではなく、ぼかし染めたみたいに中心部の薄色から縁の明るめの桃色まで変化しているのがとても綺麗だ。少し開いたくらいの淡い桃色の花も可愛いし、満開の薄緑がかった色も珍しくて、僕はこの薔薇がとても気に入ってしまった。その隣にあったアンジェリーク・ロマンティカという薔薇も可愛いと思った。名前に同じ「ロマンティカ」がつくのは、仏蘭西フランスのメイアンという育成会社がシリーズで出している薔薇だからだそうだ。やっぱりカップ咲きの品種だそうで蕾は丸い。だけど、花が大ぶりな分、アクロポリス・ロマンティカに比べると可愛いというより優雅な印象が強かった。雛森くんにはやっぱりアクロポリス・ロマンティカが似合うように思えた。
 名前の響きもいい。
 アクロポリスというのは、確か、古代ギリシャの城塞を指していたと記憶している。古代ギリシャの都市国家の小高い丘を防塁で囲み、王城や神殿を建造した政事の中心地だ。一番有名なのはギリシャの首都アテネのアクロポリスで、僕も現世の本や映像で見たことがある。とても美しく荘厳な古代遺跡だ。アクロポリス・ロマンティカという名から、僕はアテネのアクロポリスを思い描き、その神殿の傍らにゆれる薔薇を想像して、なんだかうっとりとした。うん、こういうのが雛森くんの好きな少女漫画的ロマンチックさなんだろうな。
 ただ、気になったのはこの薔薇は一本の茎にいくつも花が付いているということだった。いや、花が多いに越したことはないんだけど、一本あたり五輪くらいの花がついてるから九十九本の花束だと花は五倍の五百輪近くなる。それではいくら何でも多すぎるし、せっかくの花が潰れてしまうおそれもある。
 僕の疑問に、倉沢さんは例によって丁寧に回答してくれた。アクロポリス・ロマンティカは房咲きの薔薇で、一本の太い枝の先端に五〜七輪もの花がつくので庭に咲いている状態でブーケのように見えるそうだ。だから、切り花よりも庭植えで楽しむのが主流らしい。切り花にする場合は房咲きを生かして、小ぶりに纏めることが多いということだった。現世の花嫁さんがよく持っている球形の「ラウンド型ブーケ」とかいう花束を作るには花が房になってついている方が具合がいいみたいで、ここにあるアクロポリス・ロマンティカはそれ用に房咲きのもので注文したのだそうだ。しかし、僕が希望しているような、いわゆる花束に仕上げることも可能で、その場合は一本に一輪の状態にあらかじめ花を間引きしたものを使用するらしい。
 花を間引きってちょっと勿体ない気もするけれど、用途によって適した形に整えるということなら納得がいく。
「でしたら、是非、これで」
と僕はこの花に決めた。
 雛森くんの誕生日の日に引き取りに来ないとならないと考えていたのだが、倉沢さんは配達サービスというものがあることを教えてくれた。
「お誕生日や記念日のプレゼントに贈られる場合、サプライズ演出を希望される方が多いんです。花束はかさがありますから、持っていればすぐにプレゼントだと分かってしまって渡さないわけにはいかなくなりますでしょう? 手ぶらでデートやお食事を楽しんだ後、最後の最後で『はい』って渡すのが、相手の方もびっくりしてより喜んでいただけます」
 もちろん配達区域や時間帯には制限があるのだが、その制限内の区域・時間帯なら希望の通りに届けてくれるのだそうだ。また、こちらのお店と提携しているいくつかのレストランならば、レストラン側から頃合いを見計らって連絡を入れ、丁度デザートが終わったくらいの一番いい時間に届けるということも可能なのだそうだ。
「一度やってしまうと二回目からは相手の方も予想してしまいますので効果が薄れますが、初めてなら確実にびっくりしていただけます。実は市丸様も一度、このサービスを使われたことがあるんですよ」
と倉沢さんは悪戯っぽく笑った。
 もちろん、彼女の誕生日当日は調整してお互い非番になるようにしていたし、デートして食事という心づもりもあった。だったら、現世でデートして、食事というのもいいかもしれない。僕はそのサービスをお願いすることにした。レストランは提携先のリストを貰ったので、市丸隊長にも相談して予約しよう。食事の店が決まったら改めて連絡することを伝え、前金で花束のお金を支払って、僕は店を出た。

 アクロポリス・ロマンティカを使ってこんなに大きな花束を作ったのは初めてだったが、なかなかいい出来栄えだと、香苗は密かにほくそ笑んだ。これなら、注文主である吉良イヅルも、まだ見ぬ彼の恋人も喜んでくれるだろう。間もなく開花する蕾とほころび始めた蕾を中心に、やや開花の進んだ花を少し混ぜた。色合いの変化が大きい薔薇だし、花びらの表裏でも色が異なるのでどちらの色も楽しんで欲しかったのだ。
 落ち着いた淡いセピアの薄紙と透明なセロファンを重ねて花束を包み、さらにその上にややくすんだ色合いの落ち着いたピンクの和紙をかけて仕上げた。根元を縛ったリボンはオフホワイトの地にチョコレート色の文字で「Pleine Floraison」と店名を印刷してあるものだ。
「あらぁ、綺麗に出来たわね」
 同僚のスタッフも頷く出来だ。
「この間の金髪イケメンのオーダー品でしょ?」
「うん、そう。彼女のお誕生日のプレゼントなんですって」
「いいなぁ。九十九本の薔薇の花束か…。彼女、きっと大感激ね」
「そうなるといいわね。すごく感じの良い方だったの。上手くいってほしいわ」
「そうね。でも大丈夫じゃない?」
と同僚は笑った。
「よっぽどの変わり者だとか、付き合う以前とかいうんじゃない限り、この花束の迫力に感激しない女の子はいないわよ」
「確かにね。仕事柄、九十九本の薔薇の花束なんて見慣れているけど、自分で貰ったらやっぱり感激すると思うもの」
「あはは、確かに。作ってばっかりで、貰ったことはないわよね」
 イヅルが予約したのはプレン・フロセゾンから徒歩で十分ほどの近場にあるフレンチのビストロだった。その店は以前、ギンがサプライズの花束配達サービスを利用した時の届け先だったので、プレン・フロセゾンと同様にギンがイヅルに勧めたのかもしれない。イヅルはギンのことを「知り合い」だと話していたが、口ぶりからすると相当に親しい付き合いがあり、かつ信頼していることが伺えた。実際、香苗がイヅルのオーダーを受けた翌日、店にはギンからの電話が入った。スタッフの応対にイヅルが大変満足していたということで、紹介者として礼を述べられたのだ。残念なことにその日は香苗は休みだったので、直接ギンからのメッセージを聞くことは出来なかったが、店長からそれを伝えられ、とても誇らしく思った。
 準備万端で、香苗はビストロからの連絡を待った。お届けサービスは特段の事情がない限り、ブーケの制作者が赴くのが慣例である。花束を受け取り喜ぶ客の反応を、制作者としても見ておきたいからだ。
 六月三日午後八時四分。ビストロからの電話が鳴った。イヅルとその恋人はこれからコースの締めくくりのデザートに入るという連絡だ。
「それじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
 同僚に見送られ、香苗は花束を抱えて店を出た。
 出入りの花屋は普通なら勝手口から入るのが決まりだが、今回のように食事中の客のテーブルへのお届けの場合、レストランの入り口から堂々と入店する。イヅルたちはレストランの庭に面したテーブル席に着いていた。恋人である女性が庭向きに、イヅルは入り口向きの椅子に座っていたので、香苗がビストロに足を踏み入れてすぐに、彼は気が付いたようだ。一瞬、目を丸くした後、嬉しそうに微笑んだ。どうやら、香苗の抱えるブーケに、彼も満足してくれたらしい。
「なあに、吉良くん? どうしたの?」
 その表情の変化に気が付いた恋人の女性が、いぶかしげに彼の視線を追って振り返った。
 そして、まん丸に目を見開いたまま固まった。ゆっくりと二人のテーブルに近づく香苗を、いや、巨大なブーケを瞬きも忘れて見つめている。
「ご注文のブーケをお届けに上がりました」
と香苗はイヅルに声を掛けた。イヅルは香苗が恋人に直接手渡すのだと思い込んでいたのだろう。ブーケを差し出されて、戸惑ったように見返してきた。にこりと香苗は笑って、目とわずかな身振りだけで、イヅルから彼女に渡すようにという意を伝えた。彼女の誕生日の祝いに、イヅルが用意した花なのだ。彼女だってフラワーショップのスタッフからではなく、恋人から手渡されたいはずだ。了解したのだろう、イヅルは席を立つとブーケを香苗から受け取った。それから、恋人の傍らに移動し、改めて彼女に九十九本の薔薇を差し出した。
「お誕生日おめでとう」
 彼の言葉に続いて、香苗とビストロのスタッフが、
「おめでとうございます」
と唱和する。
 サプライズは成功したようだ。彼女は驚きに固まったまま、ぎこちなくそのブーケを受け取った。
「凄い…。こんなの貰っていいの?」
 呆然と彼女は呟いていた。
「アクロポリス・ロマンティカという名前の薔薇です。咲き始めは明るいピンクですが、開花に従って色合いが変化するタイプの薔薇ですので、どのように変化するか楽しみになさって下さい」
 ここはプロとして、香苗が解説した。
「素敵…。吉良くん、ありがとう」
 花が綻ぶように、彼女の面に笑顔が広がった。
「すごく綺麗…。それに、こんなに大きな花束、初めて…」
 香苗が推測していた通りにとても可愛らしい女性だった。年齢はハイティーンのようにも見えたが、もしかしたら童顔なだけで二十代なのかもしれない。最初の呆然から立ち直った後、香苗やビストロのスタッフにきちんと頭を下げて謝意を示すところに、育ちのよさが伺えた。
 花束に顔を埋めるようにして、イヅルの恋人は全身で喜びを示していた。

 食事を終えて、尸魂界に戻る為に僕と雛森くんは移動した。霊体ならどこで穿界門を開こうが一向に構わないが、現世の人間にも視認できる義骸に入っている以上、迂闊な場所では開けない。僕らが食事した場所は閑静な住宅街にほど近い通りだった。カフェやブティック、雑貨や食器を売っている店などの洗練された高級そうな店がいくつもあったから、一応商店街と呼んでいいのかもしれない。けれど、都心部の繁華街とは違って、店は線や面で並んでいるわけではなかった。あちらにぽつり、こちらにぽつり、という感じで点在していて、間には一般住宅が並んでいた。そのせいか、昼間はそこそこあった人通りは、食事を追えた頃にはずいぶんまばらになっていた。
 レストランから駅に向かう道沿いには綺麗な公園があった。昼間は近所の人たちがジョギングしたり、犬を散歩させたり、女性同士でのんびりおしゃべりをしていたりと賑わっている。夜でも散歩やジョギングの人はいるのはいるけれど、昼間のように人目が多いわけではないことは下見で確かめていた。特に最奥には公園を照らす水銀灯の光も届かない暗い場所があって、そこなら表通りからも見えないし、ジョギングコースからも外れているので穿界門を開くにはもってこいだった。
 レストランからはそれほど遠くないとはいえ、両手で抱えなければならない大きさの花束を運ぶのは大変だと思った。先ほど、倉沢さんから花を受け取った時に身をもって実感したのだけど、九十九本というのは想像以上にずっしりと重みがあったんだ。だから、僕が運ぶことを申し出たのだが、雛森くんはいやだと首を横に振った。
「だけど、重いだろう? それに前もよく見えないんじゃないかい?」
「うん、ちょっと重いけど…。でも、重いくらいの薔薇を貰えたんだって実感できるから嬉しいの。あたしが貰ったんだから持っていたいな」
 何だろう。こういう譬えをすると雛森くんの機嫌を損ねそうなので言えないけど、おもちゃを買って貰ったばっかりの子供みたいだ。だけど、ものすごく喜んでいることがひしひしと伝わって、僕も嬉しくてならなかった。両手で花束を抱きかかえ、視界の半分が薔薇でふさがれてしまった雛森くんが転んだりしないように気を配りながら、予定の公園まで連れていくと、彼女は入口からすぐのベンチに腰を下ろした。
「ごめんね、吉良くん。ちょっと休憩」
「構わないよ。やっぱり重かったんだろう?」
「ううん、重いというより前が見えなくて歩きづらかったの。あ、でも、あたしが持っていたいって我儘を言って運んだんだから、気にしないでね」
「うん」
「嬉しくって、手放したくなかったの。子供みたいだね」
 あ、自分でもそう思っていたのか。
 僕は休憩という彼女の隣に腰かけた。すると、それを待っていたかのように、雛森くんはすぐに、
「ねぇ、吉良くん」
と僕に呼び掛けてきた。
「何だい、雛森くん?」
「あたしね、もう一個、欲しいプレゼントがあるの」
「え?」
 この言葉は予想外で、僕は狼狽えた。花束も、それから別に贈ったピンクサファイヤのイヤリングも、喜んでもらえたと思っていたけど、彼女が本当に欲しいものではなかったか?
「あ、物じゃないよ」
 僕の表情を見て、雛森くんは慌てて言い足した。
「そうじゃなくって、お願いっていうか…」
「何?」
「あのね…」
 彼女は言い淀んだ。なんだろう、そんなに難しい頼み事なんだろうか? 僕に叶えられることなら、絶対に叶えてみせるけど、出来ないことだったらどうしよう。
「あの、ね。名前…」
「え?」
「市丸隊長はお姉ちゃんのこと『絢女』って呼んでいるでしょ?」
「うん」
「阿散井くんは朽木さんを『ルキア』って呼んでるし、シロちゃんだって、昔は『松本』だったのに今は普通に『乱菊』だし…」
 彼女の言いたいことの察しが付いた。
「浮竹隊長だって、護廷では絶対『卯ノ花隊長』だけど、ふたりっきりの時は『烈』って呼んでいらっしゃるんだよ」
「…」
「あたしは、いつまで『雛森くん』なの?」
 ごめん、雛森くん。その上目遣いは反則だ。思わず照れて真っ赤になってしまった(と思う)僕を見て、雛森くんも顔を赤らめた。
 お互いに赤面したまましばらく固まっていたけれど、このままではいられない。僕は意を決して呼び掛けた。
    桃さん?」
 雛森くんは微妙な顔つきになった。
「…何か違う」
 声音が拗ねている。
「え?」
「何だか、『雛森くん』より他人行儀な気がする…」
「そ…う…かな?」
「うん…。何か嫌…」
「ごめん。それじゃあ…」
 さすがに声に出すのを躊躇ってしまった僕に、
「『桃』って呼んで…」
と彼女の方から羞ずかしそうに口にした。
「えっと…、    桃」
 途端に、雛森くん、いや桃は嬉しそうに笑ったんだ。すでに赤面していた顔が、夜目にもさらに真っ赤に熟れているのが分かった。
「…ちょっと照れくさいね…」
 うん、僕も照れくさい。
「でも、嬉しい…。ありがとう、吉良くん」
 って、僕は「吉良くん」のまま? 突っ込めずに固まってしまった僕を、しばらく不思議そうに見ていた彼女は、やがて思い当たったのだろう。
「…あ、違った。えっと、あの、イヅルくん…」
 っ!!!!
 うわっ、めちゃくちゃ嬉しい! それにすごく彼女が可愛い。
 抱きしめて、接吻キスしたくてたまらなかった。けれども、彼女との間には分厚い薔薇の壁が存在していた。彼女に喜んで欲しくて用意した花束だけど、今は僕を阻む障害物と化していた。それでも、潰すわけにはいかない。仕方なく、僕は腰を浮かせ、額に触れるだけの口接けを落とすことで我慢した。

 店の後片付けを終え、駅に向かって歩いていた香苗は、道すがらにある公園の紫陽花の生垣の向こうに、ベンチに座る一組の男女と見覚えのある薔薇のブーケを認めて足を留めた。覗き見をするつもりはなかったが、つい気になって視線を固定させていると、イヅルがベンチから立ち上がるや、そのまま腰をかがめてブーケの向こうにいる彼女の額にちゅっと口接けたのを、ばっちりと目撃してしまった。
 慌てて公園から離れながら、香苗はじんわりと心が温まっていくのを感じた。
(そっか…、上手くいったんだ)
 ブーケを受け取った時の彼女の反応からしても、とても喜んでいるのは伝わっていた。けれども、改めて睦まじい恋人同士の姿を目にすると、自分が金色の弓矢を持つキューピッドにでもなった気分になった。花屋を職業に選んで良かったと、思える瞬間である。
(よっしゃ、明日からまた頑張るぞ!)
 心の中で気合を入れながら、香苗は再び、駅へと急いだ。

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 Acropolis Romantica

 拙宅は日乱サイトです。それなのに、8周年感謝企画第1話めが日乱じゃなくてイヅ桃ってどうよ? とのご意見もありましょう。実は下書きは2話分済んでいて、こっちは2話目だったのです。しかし、下書き1話目も日乱ではない上に妙に薄暗いシリアスだったものですから、どうせどっちも日乱でないなら、せめて企画のスタートはほのぼのした明るい話で始めようと考えまして、イヅ桃の方からアップすることにいたしました。
 タイトルはいおりさまからいただきました。「Acropolis Romantica」というタイトルを見て、何だろうとググった結果、出るわ出るわ薔薇の写真。もうこのタイトルでは薔薇で書く以外にネタが浮かばないくらい、脳内が薔薇一色に染まってしまいました。
 お断りしておきますが、管理人はフラワーアレンジメントには全く無知です。花はすごく好きなのです。しかーし、悪魔の指の持ち主でサボテンやアイビーさえ枯らしてしまうので、専ら人さまが丹精した花を眺めているという人間です。プロの作家なら当然、花屋さんに取材に行ったりするのでしょうが、当方はしがないアマチュア文字書き。なので、全部机上の想像でもっともらしく書いただけです。本職の花屋さんやフラワーアレンジメントに詳しい方から見ると噴飯ものの記述があっても、突っ込み厳禁。また、管理人と同程度の花屋知識の方は眉唾話ですからね、信じないで下さい。但し、文中に出てきた花はすべて実在します。花色や形状についてもネット検索した画像やネット通販の苗木の紹介文、花屋さんや薔薇愛好家の方のブログ記述を参考にしつつ記述しましたので、大きな誤りはないと思っています。
 強引にブーケに仕立てちゃいましたけど、アクロポリス・ロマンティカはどうも切り花向け品種ではないようです。というのもググった結果画像は庭に咲いている写真ばっかでブーケ写真が一枚も見つからなかったから。たまに花束写真が引っかかっても、ベビー・ロマンティカというよく似た別の薔薇だったのです。因みに、作品中でも言及したアンジェリーク・ロマンティカは完璧に切り花用みたいでした。大量のブーケ写真が引っかかって、むしろ木の状態の写真が少ない。
 それでも、ネタはブーケです。何とか力技で九十九本のブーケに仕立て上げました。
 おまけの小噺(会話のみ)を本日(7/1)付けのブログに載せています。日+雛(ほんのり日乱テイスト)です。よろしければ、そちらもお楽しみ下さい。

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2016.07.01