「二人っきりでゆっくりと過ごしたいんですけど、無理ですよねぇ」
誕生日の祝いに何が欲しいのかを問うた冬獅郎に、乱菊が返した答えだ。もちろん、「いつも二人でいるだろう」などと反論するほど冬獅郎は野暮ではない。冬獅郎と乱菊は同じ隊の隊長・副隊長だから、たいていは二人っきりで執務室で仕事をしているわけだが、それは公の立場で共にいるだけだ。乱菊の願いは私的な意味で誕生日の一日を二人きりで過ごしたいというものだった。
隊長・副隊長が同時に非番を取るのは、実はかなり難しい。隊を束ねる責任者が不在になってしまうからである。
だが、恋人からのたっての願いだ。叶えてやりたい。
この時、日頃の行いは大事だと冬獅郎はしみじみと実感したものである。
隊首とその副官を心より慕い、二人が私的な立場でもパートナーとなったことを知らされた時、万歳三唱をしてのけた十番隊の席官たちは 冬獅郎としては多少の非難や風当たりは覚悟していただけに拍子抜けると同時に、「こんなんでいいのか、うちの隊は?」と若干の疑問を感じずにはいられなかったが 二つ返事で責任者の同時非番を了承した。実際、十番隊の席官は他隊に比べて優秀だと冬獅郎は自負している。昨年、冬獅郎と乱菊が一月以上の長期に渡って現世出張していた時も、大過なく隊を運営した実績があるのだ。一日や二日の責任者不在くらいでは、びくともしない。
「冬獅郎はいつも働きすぎなくらいだからな。たまにはゆっくり羽を伸ばすのも必要だろう」
「隊長格でないと対処できない緊急事態の時には、うちに言ってくれればいいから」
と、サポートを請け負ってくれた同僚の隊長も一人や二人ではない。
そんなこんなで、下手な者が言い出したのなら「立場を考えない我儘」と顰蹙を買いかねない希望も、あっさりと、かつ非常に好意的に受け入れられた。乱菊の誕生日を中心にはさんで前日の午後から誕生日翌日の午前中までの丸二日間の非番を、冬獅郎は乱菊の為に獲得したのである。
南流魂街の一桁の街区と二桁以上の街区との間には、まるで街を分けるかのように山岳地帯が広がっている。
隊の席官たちから、
「いってらっしゃいませ」
とにこやかに送り出された冬獅郎と乱菊は、根古山系の一角、
旅館を紹介したのは朽木白哉である。朽木の一族の末席に連なる者が経営しているとかで、立地、食事、温泉、もてなし、どれをとっても満足がいくだろうとの四大貴族さまのお墨付きの宿であった。
二人っきりで過ごしたいと願ったものの、まさかに冬獅郎が温泉旅館まで奮発してくれるとは思ってもみなかった乱菊は、瀞霊廷を出る時からはしゃいでいた。宿に到着してみれば、さすがに朽木家当主の紹介だけあって、なんとも趣きのある隅々まで手入れの行き届いた佇まいの建物であった。
品のよい仲居に先導されて、宿泊する部屋に案内される。この旅館は宿泊施設をすべて離れの形式としていた。数寄屋造りの離れは、客が夕食をとったり、くつろぐ為の十畳ほどの部屋が一間と八畳の寝間とゆったりと過ごせる広さだった。部屋専用の風呂が内湯と露天とひとつずつしつらえられている。床の間には秋の七草が生けられており、満月にあそぶ兎の図柄の軸が飾られていた。
「母屋には大浴場がございます。そちらは夜は子の中刻 *1 まで、朝は卯の中刻 *2 からご利用いただけます。露天も含めて男湯と女湯に分かれておりますが、一番奥の露天風呂だけは混浴となっておりますのでご注意くださりませ」
仲居の説明にいちいち感心したように乱菊は頷いている。
「ご朝食は母屋の食堂で召し上がっていただくようになっておりますが、ご希望であればお部屋にお運びすることもできます。いかようにいたしましょう?」
食堂での食事はさまざまな惣菜を大皿盛りにして、客が好きなものを好きなだけ食べられるという、現世風の言い方をすればバイキング形式になるという。宿泊客同士で交流できるし、好みの料理が食べられると好評なのだそうだ。部屋での食事の場合は朝食懐石膳になるという。社交的な乱菊は母屋での食事を希望し、冬獅郎も異存がなかった。
一通り、宿の説明を終え、用意の茶釜から茶を淹れてから仲居は部屋を辞した。
「さすがに朽木隊長のお墨付きだけのことはありますねえ」
掛け流しの内湯は岩風呂だった。内湯といっても壁のひとつはなよ竹で出来た目の粗い衝立状の仕切りになっていてその向こうの露天や外の景色が見渡せる。露天は巨大な桶状の檜風呂だ。風呂の向こう側には楓ややまぼうしが植えられており、更にその奥にはせせらぎがあって、耳に心地よい水音が響いていた。
風呂や庭を一通り点検し、満足しきった顔つきで乱菊が部屋に戻ると、冬獅郎はすっかりくつろいだ様子で、壁に背中を預けて座っていた。乱菊と目が合うと、冬獅郎はぽんぽんと自らの膝を叩いた。意を悟った乱菊はその両膝の間にぽてんと腰を落ち着け、背を彼に凭せ掛けた。
「満足か?」
ゆるり、と背後から乱菊を抱きかかえ、耳許で囁く。
「期待以上です」
甘やかな拘束に身を委ね、乱菊は答えた。
「ほんとに二人っきりですね」
隊長舎か副隊長舎でのんびりと一日が過ごせればそれで充分だと思っていた。こんな豪奢な宿でのひとときまで贈られるとは考えてもみなかった。
「初めての誕生日だからな。頑張ってみた」
昨年まで、冬獅郎と乱菊は単なる上司部下の関係だった。明日は、二人が恋人と呼べる間柄になってから初めて迎える乱菊の誕生日なのだ。
「考えてみれば不思議ですよね…。去年まで隊長とこんなふうになるなんて思ってもみなかった」
「ガキだったからな。おまえとじゃ全然釣りあわなかったろ?」
そう。今でこそ、僅かとはいえ乱菊の背を越し、現世の人間なら二十歳前くらいの外見に成長しているが、つい一年前まで、冬獅郎の見た目は子供だった。乱菊と並んでいるとどうみても年の離れた姉弟で、艶っぽい雰囲気など微塵もなかったのだ。
けれど。
(俺はこいつが好きだった)
既に自覚していたのだ。乱菊に惹かれる自分自身を。
彼女のさりげない気遣いに支えられ、天衣無縫な明るさに救われ、身裡に潜む孤独を癒してやりたいと願っていた。未来は自ら切り開くものだと考える冬獅郎は、宿命なんてものは信じていない。けれども、人智を超えた
西流魂街の菓子舖にあの日乱菊が立ち寄らなかったら、彼女が訪れたまさにその時間に冬獅郎が祖母の為に甘納豆を求めに行かなければ、冬獅郎は自覚もないままに溢れ出す霊力で祖母を死に至らしめていたかもしれない。大好きな祖母を自分の力で殺してしまったら、自分は一体どうなっていただろう。それに、彼女に出会わなければ、行方不明の姉が死神だったことにも気付かないままだったに違いなかった。
「初めて隊長に会った時、」
ちょうど、彼女との出会いを思い起こしていた冬獅郎は、乱菊の言葉に驚いた。
「あたしってば、隊長のことを『ぼうや』呼ばわりしてたんですよね」
「そう言えば、そうだったな」
冬獅郎に冷ややかな態度を取る菓子舖の主人にくってかかり、その豊満な胸で冬獅郎を思いっきり突き飛ばした無茶苦茶な女。第一印象はある意味最悪だった。しかし、
(それでも、美人だとは思ったんだよな)
あくまで見た目という外面に限ってであって内面まで含めた評価はまた別の話になるのだが、こと女の美醜に関して、冬獅郎の評価は辛い。稀にみる美貌の持ち主である姉を見慣れていたせいで、美人の基準がむやみに高くなってしまったのだ。一般の男性の基準を富士山だとするなら、冬獅郎のそれはチョモランマ級である。姉より美しい女などいないと本気で信じていた当時の冬獅郎にとって、美貌の方向性は全く異なるものの姉に勝るとも劣らないほどの容姿を備えた女が存在していたというのは結構衝撃的な事実だった。
「あの時のぼうやがこーんなに大きくなって、今ではあたしをすっぽり抱きしめているんですもの。不思議ですよねぇ」
顔を上げ、下から覗き込むように自分を見る乱菊の額に口接けを落とし、
「そうだな」
と冬獅郎は緩く笑った。
乱菊は自分を抱きかかえている男の手を取ると、指を絡めるようにして手をつないだ。その掌もすでに乱菊のそれよりもずいぶんと大きい。
「ねぇ、たいちょ。明日は渓谷をお散歩しましょ。仲居さんから聞いたんですけど、
「ああ」
「あたし、本物の翡翠って見たことがないんです。写真とか絵ならあるんですけど。隊長は見たことあります?」
「ねぇ」
「そうなんですね。会いたいなぁ、翡翠…。出てきてくれないかしら」
乱菊はうっとりと目を閉じた。
野鳥のさえずりが、乱菊のまどろみを覚ました。
違和感を覚え、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。見慣れない部屋の壁、知らない天井、耳に響く水の流れる音。
(ああ、そっか…。隊長と温泉に来ていたんだっけ)
仲居が床を延べた時のまま、全く乱れのない布団が一組、乱菊の視界に入る。昨晩は冬獅郎とひとつ床で、彼に抱かれながら誕生日を迎えた。日付が変わった途端に、優しい口接けとともに、
「おめでとう」
と告げられた甘い想い出が甦り、乱菊は一人で赤面した。
「はよ」
冬獅郎も目が覚めたらしく、裸のままの彼女を緩く抱きしめ直しながら言った。
「おはようございます」
「いい天気みてぇだな」
昨夜は母屋の大浴場に入りに行った。誕生日の祝いに恋人が連れて来てくれたのだと、浴場で一緒になった同宿の客に自慢すると、
「優しい彼氏でいいわねぇ」
と羨ましがられて、乱菊はとても誇らしかった。その代わり、一緒に温泉に浸かれなかったと冬獅郎が拗ねたので、朝風呂は部屋の露天に入る約束をしていた。
「ほら、一風呂浴びて、飯を食いに行くぞ」
と冬獅郎が乱菊を促す。彼に抱えられるようにして、湯船に浸かり、
「はぁぁ、極楽」
と乱菊はいささか年寄り臭い慨嘆を洩らした。くっと咽喉の奥で笑った冬獅郎に、
「だって、極楽じゃないですか」
愛らしい野鳥のさえずりとせせらぎの音を聴きながらの朝風呂だ。食事も上げ膳据え膳で、しかも味は一流。何より、
(隊長を独り占めしているんだから)
これを極楽と言わずして何と呼ぶというのだ、と乱菊は思っていた。
食堂での朝餉も質、量ともに満足のいくものだった。昨夜、浴場で乱菊の彼氏自慢を聞いてくれた婦人が冬獅郎を見て、
「優しい上に漢前だなんて、本当に羨ましいわ」
とこそっと囁いて、乱菊をさらに有頂天にさせた。
部屋に戻り、冬獅郎と乱菊は散策に出かけるべく身支度を整えた。
「隊長、お待たせしました」
先に着替えを済ませ、玄関で待っていた冬獅郎は、現れた乱菊の姿に思わず目を細めた。
この日の為に乱菊が選んだ着物は、赤紫の地に真珠色の細かい狢菊の小紋柄による点描で大きな矢絣を表し、その上に白と水浅葱で大振りの蔦唐草を染め出した、華やかでありながら上品な小紋であった。ところどころに撫子色と朱鷺色で梅とも桔梗ともつかない花が散らされている。蔦唐草に使われている水浅葱より僅かに薄い水色地に白と
「よく似合ってる。すっげえ可愛い」
素直な賞賛の言葉に、乱菊の頬に朱が差した。
対する冬獅郎は錆納戸に藤と芥子色の勝手縞を織り出した薩摩絣に博多献上の角帯を浪人結びにした着流し姿である。いつも見慣れているきりりとした隊長羽織姿とは異なる、粋にくだけた漢っぷりに乱菊の心も蕩けた。
部屋の裏にもせせらぎが流れているだけあって、宿を出て少し歩くとすぐに渓流に出た。
保養客が散策できるように整えられた遊歩道をゆっくりと歩む。いつもの癖なのだろう。隣を歩くようにいくら言っても、乱菊はともすれば冬獅郎の後ろにまわってしまう。ついに呆れた冬獅郎は、乱菊のほっそりとした手首を掴んで強引に横に引き寄せると、そのまま歩き出した。
紅葉にはまだ早くて、木々の葉は未だ青々としていた。水辺を渡る風は気持ちよく、渓流の水音は快い。遊歩道の脇には吊舟草や水引草、曙草などが咲いており、乱菊は新しい花を見つける度に、いちいち指さしては嬉しそうに冬獅郎に教えた。
「滝の音がします」
乱菊が声を弾ませた。
遊歩道の周りの林が密になり、川が見えなくなった。そのまま、遊歩道を進んでいくと、不意に視界が開けた。
「滝だわ!」
二人が歩んできた遊歩道に添った渓流に、向こう岸の崖から落ちてきた流れが合流し、淵になっていた。崖は緩く傾斜しており、滝は岩場を滑るように流れ落ちていた。水に含まれる成分のせいだろうか、淵の特に深いところは僅かに乳白色を帯びたような水色を湛えており、乱菊はほうっと息をついて眼前の風景に見入っていた。
どれくらい滝と不思議な水色の淵を眺めていただろう。
「松本」
冬獅郎が声を低め、ようやく聞こえるくらいの小さな声で乱菊を呼んだ。
「あそこ、見てみろ」
囁き声のまま、冬獅郎は指先だけを動かして、自分たちの立つ場所にほど近い岩場を指した。
「はい?」
対岸の滝から視線を移した乱菊は、冬獅郎が示した先を辿って、あっと叫びそうになるのを懸命にこらえた。
独特の細長いくちばし。丸みを帯びた体。
写真や絵でなら幾度も見たことがある。けれど、実物の美しさに、乱菊は息を呑んだ。
(本当に
青みを帯びた翠の羽は正に
(何てきれい…)
岩場に留まり、翡翠は水面を見ていた。
息を殺して、乱菊が見つめ続けていると、鳥は不意に飛び立った。
弓なりに弾むような軌跡を描いて、瞬く間に鳥は飛び去り、見えなくなってしまった。
「きれい…でしたね…」
ようやく言葉を出せたのは、ずいぶん時間が経ってからだ。
「ああ」
「隊長の目とおんなじ…。あんなにきれいな鳥、初めて見ました」
「よかったな、見られて」
「ええ。隊長、あたし、多分、世界中で一番あの鳥が好きです」
「そうか」
「隊長の目と同じ色ですもの。あんなにきれいな鳥は他にいないわ」
冬獅郎の瞳と同じ色、だから、あの鳥が好きだ。そう呟いた乱菊の言葉が冬獅郎を満たした。
「おまえ、去年も同じようなことを言っていたな」
きょとんとした乱菊に、冬獅郎は昨年の彼女の誕生日の時のことを告げた。昨年は三隊長による叛乱の最中で、二人は現世で乱菊の誕生日を迎えたのだ。彼女の希望でアールヌーボーの硝子展が開催されていた美術館を訪れたのだが、この時、乱菊は冬獅郎の瞳と同じ翡翠色の香水瓶を見つけて、他のどの作品よりもその小瓶が好きだと言ったのだ。
「松本。お前の目には
問いかけの意味がわからず、怪訝に見返す乱菊に冬獅郎は説明した。
「あの鳥の羽は本当は翠じゃないんだ」
「え? どういうことです?」
「孔雀なんかもそうなんだが、羽に光の波長と同じか、それ以下の微細構造があって、その微細構造に光が干渉することで鮮やかな光沢のある色が現れるんだ。翡翠の羽は光の角度によって青から翠が現れる。色素で翠に見えるわけじゃねえ。だから、ずっと翠だったかと聞いたんだ」
「ずっと
「ああ」
と冬獅郎は頷いた。
「あの岩場にとまっていた時は、俺にも翠色に見えた。けど、飛び立って、一回水面に近寄ってから、上に飛んで行っただろう? その時、色が変わって見えたんだ」
「何色に見えたんです?」
冬獅郎は頭上を指さした。雲ひとつない秋晴れの空は、どこまでも青く高かった。高原だからだろうか、その蒼は瀞霊廷で見る空よりもずっと深い。冬獅郎はゆっくりと青空から、目の前の乱菊に視線を戻した。
空の蒼を集めたような乱菊の瞳を見つめて、彼は告げた。
「乱菊。おまえの目と同じ色に見えた」
「…隊長…」
「だからな、」
俺もあの鳥が世界で一番好きだ。
*1 子の中刻=午前0時ごろ。
*2 卯の中刻=夜明けの時刻。おおよそ午前6時ごろ。
*3 ほとんど黒に近い藍色。
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3万打キリリク小噺
3万のキリ番ゲッター、てんさまのリクエストによる「大人隊長で隊長が乱菊とのなれそめを回想する甘めの話」でした。
なれそめの回想はいまいちメインになりきれませんでしたが、甘さについては通常の三倍くらい砂糖を加えたつもりです(当社比)。そのせいで、隊長が思いっきり別人になってしまった気もしますが。
お話の時間軸は、叛乱終息の数ヵ月後。ようやく護廷も落ち着いて、「日常」が帰ってきたくらいです。
てんさま、遅くなって申し訳ありません。ご期待に添える内容だったかは心許ないですが、どうぞお納め下さい。