ひとすじになれなくて
現世には「霊的特異点」と呼ばれる場所が前触れもなく発生することがある。
現世は器子によって構成されているが、人間たちの呼ぶ幽霊 死神の言葉でいうと が存在し得ることから分かるように、尸魂界に比べると希薄であるが、霊子もまた存在している。霊的特異点とは何らかの原因で空間に歪みが生じ、霊子の密度が極端に薄くなったり、逆に濃くなってしまった場所を指す。
密度が希薄になってしまった場合は大きな問題にはならない。霊子が薄い場所には霊体である整や虚は近づかないからだ。問題は密度が濃くなってしまったケースで、霊体は霊子の濃い場所に寄って来る。つまり、特異点の周囲には惹きつけられて来た整や虚、
冬獅郎が統括する十番隊の管轄地に霊的特異点が発生したと報告されたのは、三日前のことだった。現世駐在の隊士が霊波の乱れを検知し調査したところ、霊子の密度が濃くなっている場所を発見したのである。その時点では密度の異常も、異常が生じている範囲もごく小さかった。その為、冬獅郎は隊士に警戒を命じた上で封印の手続きを申請するという対応を執った。
ところが、その後、事態が急変したのだ。
特異点が発生した場所は小山の麓にある田んぼの中であった。だが、そこから、ほんの3kmほどの場所に、山を切り崩して二年ほど前に造成されたばかりの大規模な新興住宅街が存在していた。人間の多いところにどうしても虚は集まる。住宅街が完成し住民が増えるに伴って、それまではほとんど虚の見当たらないのんびりした田舎だったかの地は、虚の出現率において増加の一途を辿っていた。新興住宅街を管轄していたのは三番隊であるが、隣接している以上、十番隊の管轄地にも虚は紛れ込んでくる。この為、現世駐在の三番隊隊士と十番隊隊士とは日頃から協力し合って虚を討伐していた。
霊的特異点の発生する少し前から、住宅街に侵入していた虚があった。三番隊の現世駐在員はその虚を懸命に追っていたらしいのだが、討伐するより前に虚は特異点に引き寄せられ、十番隊の管轄地に侵入してしまったのだ。
虚は討伐された。
現世駐在の十番隊士と三番隊士、特異点の警戒の為に追加派遣された二名の下位席官。四人がかりでどうにかこうにか討伐出来たほどの虚であったから、丙レベルに近い能力であったのだろう。苦戦しただけに、討伐の場所を選ぶことが出来なかったのが災いした。特異点のすぐ近くで倒された虚の霊子は、特異点に吸収され霊子の密度を急激に高めたのだ。近隣にいた整や虚、半虚は密度の高まった特異点に強力に引き寄せられるようになってしまった。人口の多い住宅街を近くに控えていただけに、集まってきた霊体の数はかなり多く、状況は芋蔓式に悪化した。
十番隊長の訪問に、三番隊の副隊長は明らかに当惑していた。
三番隊隊首である市丸ギンが、どういうわけだか十番隊長を毛嫌いしていることはすでに周知のことだったからだ。だが、副隊長の困惑をよそに、執務室から声がかかった。
「入って貰い」
隊長が招じ入れた以上、入室を拒むことは出来ない。自隊の隊長が十番隊隊長に無礼を働いて一触即発の事態にならなければいいがと、胃がぎりぎりと痛みそうになるのをこらえながら、三番隊副隊長は冬獅郎を執務室に通した。
執務机の前に立った冬獅郎と目が合った途端、彼が口を開くよりも早く、
「
とギンは確認した。
「ボクとこにも、報告は入っとるよ」
冬獅郎を嫌ってはいても、さすがに一隊を預かる隊長。仕事のことで公私混同するつもりはないようだ。三番隊副隊長同様にギンの出方を危ぶんでいた冬獅郎も、これならまともな話し合いが出来そうだと僅かに肩の力を抜いた。
ギンは打ち合わせ用の卓を目で指した。冬獅郎とギンは向かい合う形で卓に座した。
「単刀直入に頼む。協力が欲しい」
前置き抜きで斬り込んできた冬獅郎に、あっさりと、
「ええよ」
とギンは答えた。
「特異点の場所は十番隊管轄地いうても、実際に損害を被るんはボクとこやしな」
「ああ。上位席官を緊急派遣して抑えているが、霊体の集まりが早い。すぐに彼らでも抑えきれなくなりそうなんだ」
「こっちも何人か上位席官を出張させたけどなァ。長くは持たへんて報告は上がって来とるよ」
「今回の件は俺の判断ミスだ。最初の報告が上がった時点で、上位席官を派遣して、警戒に当たらせるべきだった」
冬獅郎の率直な言葉に、
「全くやね」
とギンは応じた。明らかに厭味の混じった口調だったが、今回ばかりは非は自分にあると自覚していた為、冬獅郎は唇をかみ締めてその嘲りをやり過ごした。
「で? 策は? いくらなんでも、策もなしにボクとこ来たわけないなァ?」
皮肉っぽい響きに気付かぬふりで、冬獅郎は作戦を提示した。
特異点がここまで成長してしまった以上、封じにもそれなりの手間と時間がかかる。封印自体は下位席官で事足りるが、作業に携わる隊士を守ると同時に特異点にこれ以上に霊体が集まってこないよう結界を施す為には上位席官が四名ほどは必要だった。
「集まっている虚の討伐、整と半虚の保護と魂葬に手が足りねぇ。三番隊の席官を貸して貰えると助かる」
「虚の始末はどないつけるつもり? まさか、一体一体討伐する気ィやあらへんな」
「ああ。餌でおびき寄せて一ヶ所に集める。そうすれば、氷輪丸で一気に片付けられる」
「氷漬けにするん? そういえば、日番谷はんの氷輪丸は氷雪系最強いう触れ込みやったね。まァ、斬魄刀が最強でも、その能力を全部発揮出来るかどうかは、また別の話やけどなァ」
ちくりと刺された。
「そんで、餌って?」
ギンの問いに、冬獅郎は乱菊を使うと答えた。囮として虚をおびき寄せる役目を担う者は、虚が集まるまでは反撃せずに逃げ続け、なおかつ所定の場所に虚を誘導できるだけの力量が必要だ。この任務はおそらく、三席、あるいは四席でも務まるだろうと冬獅郎は推察している。いや、その程度のことは出来なければならないはずだ。だが、隊長就任してから僅か三ヶ月の冬獅郎は、まだ三席、四席の力量を充分に量れていなかった。本当に役目を任せられるか、確信が持てなかった。万が一、彼らにそれだけの力がなく失敗したら、部下は無駄死な上、虚を警戒させ事態をますますこじらせることになる。今の冬獅郎には、大丈夫だと安心して使えるのは、乱菊しかいなかったのだ。
だが、ギンはその考えを一蹴した。
「甘いなァ。上位席官を四人も結界保持に割いて、隊長に副隊長が揃って討伐に出て、十番隊、スカスカの時に他の管轄地で緊急救援要請が入ったらどないするつもりなん?」
口調には嘲りの棘があったが、指摘は真っ当なものだ。冬獅郎はぐっと詰まった。
「こっちで大きな討伐があるからって、虚が遠慮してくれるとでも思とるん? 副隊長は残しておくべきや」
「それは…」
口ごもる冬獅郎に、
「うちの四席を貸したげるよ」
と、ギンは告げた。
「日番谷はんも知っとうな。幼馴染の桃ちゃんの同期の子ォや。腕は保証する」
三番隊第四席の吉良イヅルのことは、冬獅郎も知っている。イヅルと、それから、現在十一番隊に在籍する阿散井恋次は冬獅郎の幼馴染である雛森桃と霊術院時代の同級生だった。六年間特進級に在籍し続けた三人は一緒に五番隊に新人入隊を果たした特に仲のよい同期で、イヅルも恋次も桃に連れられて西流魂街の祖母の家に遊びに来たことがあるくらいだ。
桃は入隊以来五番隊一筋であったが、恋次は性格的に五番隊よりも十一番隊向きだという五番隊隊長・藍染の判断で異動し、イヅルの方はギンが五番隊副隊長から三番隊隊長に昇格して間もなく、譲り受ける形で三番隊に引っ張られて来た。先代隊長時代から務め続けている現在の副隊長はつなぎで、ギンはイヅルをいずれ副隊長に据えるつもりで子飼いにしている、というのは隊長格の間で公然と囁かれていることだった。
ギンはイヅルを筆頭に、その場で十番隊に協力して討伐に当たる席官を編成し、的確な指示と共に命令を下した。その指揮ぶりは水際立っており、新米隊長の冬獅郎としてはただ感心して見守るしかなかった。
かなりの厭味と皮肉は浴びせられたものの、まともな協議の上で協力を得ることが出来た冬獅郎が三番隊を辞したのは
(無駄だ)
冬獅郎は思う。副隊長に注意されたくらいで改まるものなら、とっくに彼とギンの関係は改善しているはずだ。
「俺の何が気に入らねぇんだか…」
冬獅郎は独り言ちた。
ギンの攻撃的な態度に、冬獅郎はほとほと困り果てていたのである。もしかしたら、気付かないうちにギンの気に障ることをしてしまったのかもしれないと考え、もしそうなら謝ると言ったこともあった。だが、返って来たのは、
「別に日番谷はんは悪いことしてへん。ただ、相性が悪い、言うんかなぁ? キミのその顔見ると、無性にむかつくんや」
という取り付く島もない一言だった。
顔を合わせる度に常に嫌がらせと皮肉を注がれ、あからさまな嫌悪を浴び続け、冬獅郎もいい加減に苛立っていた。嫌われる理由に納得がいかないだけに怒りも募っている。にもかかわらず、心のどこかでこの関係をどうにかしたいという希望を捨てきれないのは、初対面の時の印象が強烈だったからだろう。
十番隊の隊長に就任して、初めてギンと顔を合わせた時、冬獅郎は彼に奇妙な懐かしさを覚えたのだ。その感情は、優しさと慕わしさで彩られた、明らかに好意と呼べる感情だった。彼とは初対面に間違いなかった。噂ほど当てにならないものはないとはいえ、事前に耳にしたギンに対する風評は芳しいものではなく、冬獅郎が彼に好感を持つ要素などひとつもなかった。それなのに、冬獅郎はギンが懐かしくてたまらなかった。淡白な冬獅郎には珍しく、ギンとは親しくなりたいと願ったのだ。
彼がいきなり敵意をぶつけて来さえしなければ。
霊圧を追う限り、囮となっているイヅルには無駄がなかった。彼をサポートし、虚を追い込む他の席官たちも良い動きをしている。にわか仕立ての混成チームにもかかわらず、十番隊隊士たちとの連携もよい。事務仕事に関しては副隊長泣かせのサボリ魔と名高いギンだが、肝心要である隊士の掌握と鍛錬には手を抜いていないことが、この一事でも分かる。個人としてはともかく、隊長としては学ぶべき点は多いようだ、と冬獅郎は感心した。
「間もなく、追い込みが完了します」
「おう」
短い通信。
冬獅郎は氷輪丸を抜き払った。霊圧を完全に閉ざし、虚の群れを待ち受ける。
(来た!)
イヅルの姿が視認出来た。彼は餌としての任務を間違いなく全うした。「腕は保証する」と告げた隊長の信頼を裏切ることなく、見事に虚を冬獅郎の下に誘導してのけた。
目が合う。
途端、逃げ惑っていると見せていたイヅルが跳躍した。瞬歩を使って一気に虚を引き離し、彼は冬獅郎の背後に回りこんだ。
「霜天に坐せ、氷輪丸!」
始解と同時、ごおぉっ、と唸りを上げて吹雪が虚を襲った。
圧倒的な凍気が瞬間的に虚の群れを凍結させる。
「あれはっ!」
「龍!?」
虚とイヅルの後を追って来た十番隊、三番隊の席官たちは息を呑んだ。
巨大な氷竜が無様な氷像と化した虚の群れと、死神たちを睥睨していた。
「…始解…だよな」
三番隊の十四席が呟いた。呆然とした声音だった。
「ああ」
と肯定したのは十番隊の十二席だ。だが、彼の声も上ずっていた。
「卍解じゃないよな」
「始解だ。間違いない」
「…限定解除、してないよな」
「そんな許可は下りてない」
隊長格はその強力な霊圧によって現世に悪影響を及ぼさぬよう、穿界門を通過する際に自動的に限定霊印を刻印されることになっている。限定霊印には隊長格の霊力を本来の20%に抑える働きがあった。あの氷竜が放つ圧倒的な霊圧が仮に現在の冬獅郎の始解の最大値だとしても、それは、1/5程度の力でしかないということを意味している。
ごくり、と死神たちは息を呑んだ。
「氷雪系の最強の斬魄刀…だったな」
「ああ。数百年ぶりに氷輪丸を屈服させたと…」
見かけが子供であっても、隊長職に就いたのだ。自分たちは足下にも及ばないほどの圧倒的な強さを持っているはず。
頭では、皆、理解していた。しかし、冬獅郎の幼い外見はそんな理性を揺るがせた。理屈ではなく感情で、子供だからと侮っていたのだ。しかし、目の前に晒された幼い十番隊隊長の能力は、そんな彼らの侮蔑を一瞬で霧散させた。
ゆっくりと王者の風格で氷竜が動いた。ゆるやかにくねる胴が、長大な尾が、凍りついた虚を粉々に砕いて氷の塵へと変えてゆく。
いつしか、皆、言葉を失っていた。
そもそも隊が異なる三番隊の隊士たちはむろん、就任後わずか三ヶ月では、十番隊の隊士たちさえほとんどの者が隊長の始解を始めて目にしたのだ。圧倒されたのも当然だったかもしれない。
「虚反応は、滝沢」
問われて隊士たちははっと我に返った。名指しされた十番隊十二席が、慌てて霊圧計測器を確認する。
「ありません。虚の殲滅成功です」
だが、冬獅郎は表情を緩めず、
「念の為、技術開発局に連絡して霊波を計測させろ」
と命じた。
「はっ!」
十二席が命令に従って、技術開発局の霊波計測研究科に通信を入れる。冬獅郎は長刀を一振りすると、鞘に納めた。
「日番谷隊長」
囮の大役を務め上げたイヅルが笑みを浮かべ、冬獅郎に近付いてくる。
「お見事な討伐でした」
「おまえもさすがだ。難しい囮の役をよくこなしてくれた。協力に感謝する」
と労いの言葉をかけながら、冬獅郎もイヅルに向き直った。
が、
「吉良!!」
反射的に抜刀出来たのは、冬獅郎が隊長だからこそだったろう。
冬獅郎の叫びにイヅルが大きく目を見開いた時には、襲い掛かってきた虚の鉤爪は氷輪丸にがっちりと受け止められていた。
冬獅郎の隊首羽織がみるみる紅く染まってゆく。イヅルの頭蓋を砕くはずだった右の鉤爪を紙一重で防いだのと引き換えに、左の鉤爪によって脇腹を抉られたのだ。
「日番谷隊長!」
逃げる暇もなく、虚が凍りついた。冬獅郎が氷輪丸を大きく突き上げる。
がしゃん。大きな音を立てて、虚が砕けた。
「気をつけろ! まだ二体いる!!」
隊長を案じ駆け寄ろうとする隊士たちを、冬獅郎の警告が止めた。
「気配を消せる虚だ、油断するな!」
虚を凍りつかせた刹那にも満たない一瞬、微かに蠢く別の虚の気配を冬獅郎は感知したのだ。
迂闊に動くこともならず、身構えたまま、じりじりと時間が過ぎる。
危うい均衡は叫び声で終焉を迎えた。
「戸川、危ない!」
「後ろ!!」
仲間の声に戸川が振り返った時には遅かった。虚の鉤爪は眼前に迫っていた。
「うわぁぁ!!!!」
絶叫。
だが、衝撃は襲ってこなかった。咄嗟に背けた顔を上げた戸川が見たのは、「十」の文字を背負った羽織だった。瞬歩で割り込んだ冬獅郎の剣が虚を真っ二つに裂いた。
だが、安堵する暇などはなかった。
「ひ、うわぁぁ!!」
「坂本さん!」
「坂本ォ!」
冬獅郎の背後で、悲鳴が交錯した。彼が戸川を救ったのとほぼ同時に、席官がもう一体の虚に掴まれていた。
振り上げられた鉤爪が、捕えられ身動きの取れない坂本に襲い掛かる。
(間に合わねぇ!)
冬獅郎が、隊士たちが、絶望の息を呑んだその時。
ずぶっという肉を斬る音と共に、虚は横から串刺しにされた。
振り上げられた虚の腕が力なく落ちる。坂本を掴んでいた力が緩み、彼は地に転げた。
虚の身体から突き出た刃が、冬日に反射してぎらりと禍々しい光を放った。
「…市丸隊長…」
十間 *1 ほど離れた場所に、ギンが佇んでいた。彼は無雑作に腕を引いた。同時に、虚の身体から刃が消えた。自在にその長さを変容出来る斬魄刀は、既に通常時の脇差に戻っており、ギンは鍔鳴りをさせて刀を納めた。
「市丸隊長、どうして…?」
前触れもなく忽然と現れた自隊の隊長に、イヅルが茫然と問いかける。
「岩村たちが追っとった虚が三崎郡方面に向かったって、緊急連絡が入ってなぁ。間に合うて良かったわ」
とギンは答えた。
気配を完全に消すことの可能な性質の悪い虚が複数体で出没しているという報告に、ギンが五席の岩村を長に討伐隊を派遣したのは十日ほども前になる。最初に確認されたのはずっと離れた場所だったので、こちらの討伐とは結びつけていなかったのだが、虚を補足しあぐねているうちに、いつの間にか、虚たちは三崎郡に近付いていたのだ。
歩み寄ってきたギンに、
「市丸、すまない。助かった」
と冬獅郎は礼を述べる。ギンに救われた坂本は十番隊の席官だ。
「戸川、助けてもろたからな」
とギンは感情のない声で応じた。
彼の眸が朱に染まった隊首羽織を掠めた。
「イヅル」
と、彼は部下を呼んだ。
「ぼーっとしてへんと、十番隊長さんの怪我、治したり」
「あ、はい。申し訳ありません」
隊首に咎められ、慌ててイヅルが冬獅郎に駆け寄る。
「日番谷隊長、手当てを」
「これくらい、大丈夫だ」
と冬獅郎は制したが、
「大丈夫には見えへん」
ギンが言った。怪我を負った冬獅郎を嘲るでもなく、かといって心配しているとも感じられない平板な声音が続ける。
「イヅルの治癒の腕は確かや。ほんの四年くらいやけど、四番隊におったことがあるからな」
冬獅郎が眉を上げイヅルを見返すと、彼は頷いてそれを肯定した。
「まだ五番隊に所属していた頃、人材交流ということで四番隊に出向したんです。回復系の鬼道は一通り覚えました。もちろん、本職の四番隊員には敵いませんけど」
「そうか」
律儀に「失礼します」と断って、冬獅郎の死覇装をたくし上げ、イヅルが治療を始める。ギンは無表情にそれを眺めていた。
冬獅郎に対する時、常に浮かべられている皮相な色がその
「市丸?」
と冬獅郎は眉を顰めた。
「どうかしたか?」
ギンの木賊色の眸がゆっくりと冬獅郎に向けられた。
「冬獅郎はん、キミ…」
「あ、何だ?」
冬獅郎は真っ直ぐにギンを見返す。今なら、彼と向き合えそうな予感があった。
「どうかしたのか?」
翡翠の眸に見据えられ、
「…いや、何でもあらへん」
ギンは目を逸らした。
「おい、市丸。何か言いたいことがあるなんじゃねぇのか!?」
予感がするりと消えそうになって、冬獅郎は慌てて重ねた。しかし、
「何もないよ」
と、ギンは冬獅郎に背を向けた。
全身に拒絶の気を張り巡らせ、ギンは足早に冬獅郎から離れていった。
それが何でもないって顔か?
俺のことが気に喰わなかったんじゃねぇのか?
怪我をした俺を、いい気味だとは思わねえのか?
問い詰めたい衝動を冬獅郎は飲み込んだ。
ほんの一瞬、案ずるような視線をギンは垣間見せた気がした。けれど、冬獅郎はそれを見誤りだと思った。初対面の時の懐かしさを引きずっているせいで、都合の良い願望を抱いたのだと、そう信じた。
アホやなぁ、ホンマ…。冬獅郎はんが若さんのわけあらへんのに。
もうその顔も、名前すらも思い出せなくなってしまった。それでも、ギンがずっと捜している子供がいた。
もしかしたら、冬獅郎がその子かもしれないと、不意に浮かんだ滑稽な考えをギンは振り払った。
冬獅郎であるはずがなかった。何故なら、その子供はもう百三十年近く前に攫われてしまったのだから。
攫われた子が護廷の隊長になっているはずがない。百歩譲って、逃亡に成功し自由の身になっていたのだとしても、もう百三十年も経っているのだ。その子はかなり成長しているはずだ。冬獅郎ほど幼い道理がない。
馬鹿だな。あいつが俺を心配するわけねぇのに。
埒もないことを思いつくなんて、しょうもな。
問い質す勇気がなかった。
掛け違ってしまった釦。
交わることなく離れていった道。
遠く離れてしまった二つの道が再び交錯するのは、それから十二年後のことだ。
*1 十間=20m弱。
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8万打キリリク小噺
8万打キリ番のリクエストは「日番谷中心の物語。市丸との絡みあり」でした。
日番谷隊長中心ということでしたが出来上がってみたら、軸足が日番谷隊長なのか、市丸さんなのかよく分からない中途半端な仕上がりになってしまいました。
時間軸は叛乱の十二年前で、冬獅郎さんが十番隊長に就いて三ヵ月後を想定しています。言うまでもないことですが、冬獅郎さんの隊長就任の時期とか、イヅルさんの副隊長になるまでの地位とか、すっかり拙宅捏造です。
タイトルは米米Clubの懐かしの名曲を参考に。あ、曲の内容とこの小噺の内容は全然関係ありません。タイトルだけ拝借です。
キリ番ゲッターの葉月さま、大変お待たせして申し訳ありませんでした。気に入っていただけるかは謎ですが、お納め下さい。