丘を登るキリスト
「絢女、絢女」
己が名を呼ぶ声に、意識が明るくなった。荒涼とした流魂街の荒野は消えて、目の前に男の顔を認めた。しかし、彼の顔が不自然にぼやけている。瞬きをして、彼を見直した途端、生温かいものが頬を伝って零れ落ち、絢女は自分が泣いていたことを覚った。
半身を起こしながら、絢女は手で目元を拭い、涙を払った。薄暗がりの中、心配そうに自分を見つめる眸に微笑んで、
「ごめんなさい。起こしちゃった?」
と謝ると、
「いいや。別に起こされてへんよ。なんや、目が覚めて、絢女の顔を見たら泣いとったから、悪い夢でも見とるんかと思うたんや」
魘されてはいなかっただろう、と絢女は思う。けれど、ギンの覚醒させてしまったのは、やっぱり自分なのだ。彼の夜着の胸もとが濡れている。きっと、彼の胸元に顔を埋めたまま、夢の中で泣いていたのだ。
「悪い夢を見た?」
まだ少し目尻の端に残っていた雫を指先で掬い取りながら、優しい声音でギンが尋ねる。
「悪い夢じゃなかったわ…」
と絢女は答えた。
「悲しい夢だったけど、悪い夢じゃなかった」
だが、なおも心配そうに、ギンは絢女を見つめている。
「ゴルゴタの丘を登るキリストの夢を見ていたの」
と絢女が続けると、ギンは戸惑った様子で絢女を覗き込んできた。信じるべき神などいない死神の彼女が、キリストの名を出したのが不審だったのだろう。
絢女はギンに身体を凭せ掛け、再び顔を胸元に埋めた。彼女の涙で濡れてしまったギンの夜着が、冷たく頬に触れた。
それだけで、絢女の言うキリストが本当は誰を指しているのか、ギンには見当がついた。無言で背を抱きしめると、彼女の手がギンの夜着をぎゅっと握りしめて来た。
対峙した虚は三体。一方、討伐隊は四席の柏木を筆頭に、総勢九名。霊圧から推察される虚のレベルは乙と高いが、討伐隊もそれに見合った編成だ。四、六、十、十一、十五席という席官五名に、無位の隊士も近々の昇進が約束されている実力者揃いだ。
柏木の合図で散開した無位の隊士四名が、虚を逃さぬよう結界を張った。席官たちが一斉に斬魄刀に手をかけた時、思いがけないことが起こった。
三体のうちの一体が分裂したのだ。
「分裂型か!?」
分裂した一体の片割れが絢女に襲い掛かって来た。
「如月!」
と柏木が叫んだ時には、ほぼ同時に、他の虚たちも一斉に死神に襲い掛かかっていた。冷静に向かって来た虚を斬り捨てながら、絢女はもう一方の片割れが更に二体に分裂したのを視界の端で確認した。のたうちながら、片割れに同化しようと移動を試みる虚を、
「風鎖縛」
と風の鎖で封じ込め、絢女は更に細かくかまいたちでもって虚を切り刻んだ。
絢女に襲い掛かった虚の分体した片割れは十五席の牟田を挟撃していた。
「破道の三十一、赤火砲」
十五席の援護の為、絢女は背後の一分体に詠唱破棄で破道を放つ。直後、もう一方の分体は長大な刃によって貫かれていた。ギンが牟田を援護したのだ。
「市丸、如月、牟田、無事か!?」
六席の五十嵐の確認に、三人は一斉に、
「はい」
と応じた。五十嵐に視線を向けると、自身が対峙していた虚の始末をつけたらしい柏木が彼の前に歩んでゆくのが見えた。五十嵐が笑みを浮かべ、柏木に向き直る。だが、次の瞬間、五十嵐の笑顔は凍った。柏木の斬魄刀が無造作に振り上げられ、上官に対して全く無防備だった五十嵐の右腕を刎ね斬ったのだ。斬魄刀を握ったままだった五十嵐の腕が血飛沫と共に目の前に降って来て、牟田十五席は硬直した。
「逃っ…!」
部下に逃げろと警告する暇さえ与えられず、五十嵐は体を斬り割られて倒れ伏した。柏木の脚が地を蹴った。
跳躍した柏木の刃が真っ直ぐに自分に向かって振り下ろされるのを、体を強張らせたままで、為す術もなく牟田は見ていた。
目の前の光景が、スローモーションのように感じた。
(俺、死ぬのか)
不思議なことにどこかが冴えた頭で牟田が冷静に感じたその直後、がちんという金属音が、彼を我に返した。
「如月さん!?」
絢女の秋篠が、柏木の刃を受けていた。絢女の肩越しに、正気を失った柏木の虚ろな眸が見えた。
(憑依型の虚!?)
牟田は事態を覚った。
先ほどの分体する虚もそうだが、ここ二、三十年というもの、これまでにない厄介な特殊能力を持った虚の出現が報告されるようになっていた。憑依型の虚もその一つで、五年ほど前に九番隊が討伐した記録がある。記録によると、その虚は討伐隊の一人に憑依し、二名の同僚を斬り殺し、二名の同僚に重傷を負わせた後、負傷させた同僚を含む三名により取り憑いた隊士ごと討伐されたのだという。
牟田と同様に、絢女も柏木の身に起こったことを悟っていた。柏木が対峙した虚は、かつて九番隊によって討伐された虚同様の相手に憑依する特殊能力の持ち主だったのだ。そして、柏木は虚に憑依されてしまった。今、絢女が相対している相手は、体は柏木であっても意志は虚だ。柏木の斬魄刀は主の異変を悟ったか、沈黙している。絢女は、渾身の力で受け止めた斬魄刀を跳ね上げた。
相手が純粋な虚であったなら、跳ね上げた刀の勢いのまま振り下し、絢女は相手を斬っていただろう、だが、本体が柏木であったことが振り下ろす間を遅らせた。その一瞬の隙に、彼女は右乳房を鷲掴まれていた。
「…美味そうだ…」
舌なめずりをした柏木が指にぐっと力を込めた。指が肉にめり込み、強烈な痛みを絢女にもたらした。乳房を引きちぎられる、と絢女が慄いた時だ。神速で伸びた刃が、柏木の手首を切り離した。絢女の胸に掴んだ手を残したまま、反動で柏木は後ろに数歩よろめいた。その身体を更に刃が抉った。本体から切り離された柏木の手は力を失って、ぼとりと地面に落ちた。
柏木の身体から刃が抜けた。
「…如月…、牟田…」
洩れ聞こえた呟きに、絢女ははっと柏木を検めた。彼の目には正気が戻っていた。
「俺は…?」
腹の傷を残った右腕で押さえ、柏木はよろよろとよろめきながら、目の前に立ち尽くす絢女と牟田の方に歩んできた。
「柏木四席」
咄嗟に、彼を支えようと、絢女は手を差し伸べかけた。だが、
「絢女!」
鋭い声が遮った。ほぼ同時に白銀の刃が、再び柏木を斜めに貫いた。刃はそのまま、柏木の腹を裂き、腹側の肉が上下に分断された。
「ぐうう…」
苦悶の呻きが響いた。柏木の腕が足掻くように絢女に向かって伸ばされる。その眸に虚だけが持つ昏い瘴気が満ちているのを認め、絢女は自分の過ちを知った。柏木は正気に返ったのではなかった。虚は柏木から抜け、絢女か牟田に宿主を移そうとしたのだ。一瞬、彼の精神を解放したのは、二人を油断させる為だ。
おそらく、憑依する相手を変える為には接触が必要なのだろう。必死に這いずりながら絢女に手を伸ばす柏木を、
「風鎖縛」
絢女は風で封じた。柏木ごと虚を斬るしか、もうどうすることも出来ないことを、絢女も、牟田も充分に理解していた。
「柏木四席、申し訳ありません」
小さく謝罪した絢女がかまいたちを放つ寸前、三度、ギンの神鎗が柏木を斬った。過たず彼の心臓を刺し貫いた刃は、次の刹那には頸動脈を刎ねていた。すでに柏木は絶命していた。もう一度、彼の体を更に貫こうとした神鎗を、寸前で秋篠が止めた。
「虚は死にました」
絢女はギンを見た。
「市丸十席。刀を納めて下さい」
ギンは無言で神鎗を納めた。踵を返した彼は、倒れ伏したままの五十嵐に向かった。あっと絢女と牟田も視線を見交わし、慌てて五十嵐の下に走った。
まだ息があるのなら彼だけでも…。
だが、ギンに遅れて駆けつけた絢女たちが見たのは、最早手の施しようがない五十嵐の姿だった。辛うじて息と意識が残っている五十嵐に、ギンは静かに告げた。
「柏木四席は憑依型の虚に憑かれてはりました」
五十嵐と柏木は同期の親友だった。
「五十嵐六席を斬ったんは、虚です」
親友に裏切られたのではないと教え、
「虚は討伐しました」
と事務的に続けたギンに、声を出すことも、頷く力さえない五十嵐は眼差しだけで理解したことを伝えた。
「介錯、要らはりますか?」
常と変らない平静な声で尋ねたギンに、五十嵐が目だけで「頼む」と答えたのを、絢女も、牟田も、確かに認めた。
躊躇いもなく、ギンの神鎗が五十嵐の頸動脈を切断した。五十嵐に残っていた意志が失われ、彼は骸と化した。
五十嵐をしばし見下ろしていたギンは、顔を上げると絢女を見た。
「絢女、柏木四席と五十嵐六席の隊葬の準備を連絡しィ」
と彼は命じた。上官二人が殉職した以上、討伐隊の指揮権は最上位の席次を持つ十席のギンに移っていたのだ。
「はい」
と絢女は頷いた。
「牟田。お二人の遺体の運搬の指揮を執り」
と、彼は牟田にも指示を下した。ギンの合図で結界が解かれ、散開していた四名の隊員たちが駆け寄って来た。だいたいのなりゆきは結界外から見ていて察していたものの、詳しい状況までは了解していない彼らに、牟田は手早く事態を説明し、亡骸を運ぶ為の担架を作るように命じた。
瀞霊廷に戻った彼らは、隊長、副隊長立会いの下、刑軍の事情聴取を受けた。殉職が発生した時、ことに今回のように下位席官が生き残り、上位の席官が揃って殉職するような異例の事態が発生した場合、それは当たり前の営みであった。問題点は、ギンが上位席官二名を殺害した結果の正当性である。
憑依型の虚に取り憑かれた者がいて、虚を引き離す方法が不明な以上、憑かれた者ごと虚を討伐するのは止むを得ない。手をこまねいていれば、犠牲者は拡大し、事態は悪化するばかりだからだ。実際、五年前の九番隊の討伐の時もそうだった。同僚を倒すことを躊躇する気持ちが、憑かれた本人を含む三名もの殉職と二名の重傷者に繋がったのだ。下位の隊員に憑依されたのであれば、生け捕った上で技術開発局に分離を委ねるという手段もなきにしもあらずだが、討伐隊の最上位の指揮官であった第四席の柏木が憑依され、次席である五十嵐に瀕死の重傷を負わせた此度の討伐ではそれは無理だ。
五十嵐に止めを刺したことも、「介錯」であったと認知された。ギン、絢女、牟田の三人の陳述も、結界外から一部始終を見ていた四名の隊士の証言も矛盾は何ひとつとしてなかったし、四番隊で行われた検視の結果もそれを裏付けたからだ。命を賭して虚に対峙する死神にとって、大怪我も、殉職も覚悟をしておかねばならない事態である。そして、手の施しようがない、死しか未来のない重傷を負い、死にきれずに苦しむ死神に対して介錯を施すのは、護廷では認められた行為だった。
翌日に執り行われた柏木と五十嵐の隊葬の後、ギンを筆頭とした討伐隊の生き残りには三日間の休養が命じられた。衝撃を受けているだろう隊員への隊長の気遣いだと理解し、ギンも、絢女も、牟田もありがたくそれを受け容れた。
自宅に帰る牟田と別れ、ギンと並んで五番隊の隊寮に戻る道すがら、絢女はずっとギンに対して言いたかった言葉を漸く口にした。
「ごめんなさい」
ギンは黙って絢女を見返した。
「柏木四席のこと…」
と絢女は続けた。
「意味が分からへん」
ギンは素っ気なく答えた。
「私が斬るべきだったの」
牟田を襲った柏木の剣を受け止めた時に、そのまま絢女が斬るべきだったのだ。
それなのに、躊躇った。どうにかして、柏木を助けられないかと、出来もしないことを夢想した。結果、ギンに上官殺しの負い目を負わせてしまった。
「躊躇ろうたんは、絢女がまともやからや」
ギンは答えた。
「ボクはまともやないから、躊躇わんで斬れた。それだけや」
「でも…」
「藍染隊長も宍戸副隊長も、それから絢女もボクを買い被っとるよ。心配しとるようには、ボクは動揺してへんのや」
と彼は語った。
「柏木四席も斬ったんがボクでほっとしとると思うで。絢女や牟田やったら、ずっと引き摺って苦しむやろうけど、ボクはそんなこと全然ないからな。柏木四席にも五十嵐六席にもほんま申し訳ないけど、ボクの心はこれぽっちも痛んでへんのや」
絢女がもしも、柏木を斬っていたら、彼女はずっと苦しむだろう。尊敬していた上官を殺して、どうしようもなかったからと割り切れるような娘ではないから。そして、ギンはそんな絢女を見たくなかった。柏木も五十嵐もよい上司だったから、好きか嫌いかと問われたら「好きだった」と答えるが、それだけだ。それ以上の感情なんて持ち合わせていない。殺したことを後悔もしていない。ただ、絢女に罪を負わせずにすんだことだけを、ギンは喜んでいた。
絢女に言ったように、ギンは自分はまともではないと思っている。絢女が傷付きさえしなければ、他のことはどうでもいいのだ。もちろん、それが単なる欺瞞に過ぎないことも承知の上だ。真っ当な精神の持ち主である絢女は、ギンが上官を手に掛けたことについて自分が不甲斐なかったからだと責めているからだ。そしてまた、彼女が柏木ではなくてギンに対して負い目を感じていることを、ギンは心の奥底で喜びに感じていることを自覚していた。
最早「でも」とさえ言えず、黙り込んでしまった彼女に微かに溜息を落として、ギンは、
「それなら」
と提案した。
「もし、ボクが柏木四席みたいに虚に取り憑かれてしもうたら、絢女がボクを殺してくれる?」
一瞬だけ目を瞠った絢女は、すぐに何の躊躇いもなく、
「いいわ」
と答えた。潔いほどあっけなく肯定されたことに、ギンがいささか戸惑っていると、
「その代わり、私が取り憑かれたら、ちゃんと殺してね」
「うん、ええよ」
ギンもまた、一つとして逡巡せずに即答した。虚ごときが、この美しい魂を侵せるとは思えないが、万に一つでそのような事態になった時、彼女を穢させはしない。
そうして、ギンは気付いてしまった。絢女に柏木を殺させたくなかったのは、彼女を傷付けたくなかったことが第一の理由である。しかし、殺すことで、彼女にとって忘れられない男に柏木が昇格してしまうのが我慢ならなかったのも、理由の一つなのだと。彼女を傷付けたくないと願いながら、自分を殺すのは彼女であってほしいと望む。
(つくづく身勝手やね)
寮の入口で別れて、ギンは密かに苦笑いを浮かべた。
寮の自室に座り込んで、絢女は暮れてゆく窓外を眺めていた。
「まともじゃない…、か…」
彼は知らない。自分自身で気が付いていない。
まともじゃないから、上官を自らの手で死なせても苦しまない。後悔もしない。
そう信じ込むことで、ギンは自分自身を庇っているのだ。
絢女が背負うはずだった罪を、彼は奪い取り、自らで負った。彼はとても聡い男なのに、自分の傷には鈍感だ。心を自ら麻痺させていることを自覚しないまま、彼は絢女を護る為に、罪を犯す。
「あんなに泣いているくせに…」
彼はずっとそうだ。関心のない者には取り付く島もないくらいに全く素っ気ないくせに、自分が大切だと感じる者に対しては過剰なまでに護ろうとする。五番隊に一緒に入隊して以来、絢女は彼女を護ろうとするギンの意思を痛いほどに感じ続けていた。おそらく、乱菊と暮らしていた幼い頃も同じだったはずだと、絢女は察していた。彼は乱菊を護って来たのだ。時には自らの手を血に染めて、時には体を穢しても、彼は乱菊だけは汚れないように庇い続けてきたのだ。辛くない、苦しくない、こんなことくらいは護れない痛みに比べれば痛みとさえ呼べないと、そう言い聞かせ、自分の心の悲鳴に蓋をして。
ゴルゴタの丘をキリストは登る。
自身を処刑する為の磔架を負って、人々に礫で打たれながら。
彼は神の子なのだという。彼を石もて打ち、彼を罪人だと咎め、そして、殺す、すべての人の子の罪をその一身で背負い、浄める為に、彼は十字架での死を承知で択んだのだと伝えられている。
「あなたは馬鹿よ…」
と絢女は呟いた。
私なんかの罪なんて、負わなくてもいいのに。
ギンの胸元からは微かに煙草の匂いがした。
「昨日ね…、霊術院に講師に行ったのよ」
ギンに半身を抱きしめられたまま、ぽつぽつと絢女は語った。
「一年生に柏木征司って男の子がいたわ」
「…それって?」
「柏木さんの息子さん。授業の後、ちょっとだけ話をしたの…」
授業を終えた絢女が引き上げようとした時、呼び止めたのが柏木征司だった。
「申し訳ありません」
仮にも隊長格を引きとめたことで緊張しきっている少年に柔らかな微笑を浮かべて、
「何か質問?」
と尋ねた絢女に、征司は首を横に振ると、
「僕の父は殉職しましたが、昔、五番隊の席官だったんです」
と話し出した。
「その…、父が亡くなった討伐には下位席官時代の絢女隊長も同行されていたと母や叔父から聞いていました。それで…」
少年の姓名、そして面立ちと、かつての上官だった男の記憶が重なった。
「柏木四席の息子さんね」
「はい」
と彼は頷いた。
柏木征司の叔父は七番隊の席官である。母親も今は引退しているが、元は死神で最終席次は十席だったそうだ。叔父や母親が死神だった故なのか、結果として父親が殺される形になってしまった事件のことも、彼は変なふうに捻じ曲げて解釈したり、逆恨みなどせずにきちんと理解していた。
「事件のことはちゃんと分かっているんです。ただ、あの時、傍に居て、全部見ていた絢女隊長から直にお話を伺えたらと思って」
お忙しいのに申し訳ありません、と再度、征司は丁寧に頭を下げた。
「ほんで…?」
と促したギンに、
「私の口から全部、説明したわ。もう一度」
と絢女は答えた。
「そうか…。絢女もつらいこと、思い出してしもうたね」
絢女は緩く首を振ると、
「征司くんね、将来は三番隊に入隊したいんですって」
と微笑んだ。
「はぁ? 何で?」
ギンは素っ頓狂な顔をした。
「ボクは父親、殺した男やで? 何でわざわざ」
「『救ってくれた』」
と絢女は訂正した。
「は?」
「征司くんはそう言っていたわ。お母さまと叔父さまからは、そう聞いているって…」
「救った…?」
ますます分からないという顔になったギンに、絢女はもう一度微笑んだ。
いつか、三番隊に入隊して、隊長であるギンに会えたら直接伝えたいと、征司が言っていたから、絢女は言わない。
けれど、征司は絢女にこう語ったのだ。
「親友だった五十嵐さんまで手にかけてしまったくらいですから、父は虚に乗っ取られていてもう駄目だったんだって、母は話してくれました。身体を乗っ取られた父がそれ以上殺戮しなくてすんだのは、市丸隊長が父を止めてくれたからだって。市丸隊長は殺すことで、父の魂を救ってくれたんだって、母は感謝していました」
征司の母親は強い女性だと、絢女は思う。理屈ではそれを納得できても、感情はついていけないことが多い。ギンを恨むことなく受け入れられた彼女は死神の誇りと尊厳を、しっかりと認識していたのだろう。
救った。
その言葉を聞いた時、絢女の方が救われた心地になった。
ゴルゴタの丘をキリストは登る。
自身を処刑する為の磔架を負って、人々に礫で打たれながら。
けれど、彼が負う十字架が彼の罪ではないことを理解した人がいた。彼が負っているのは他人の罪業なのだと知って、感謝を捧げる人がいた。
「ギン…」
「何?」
「ありがとう」
「何が?」
「全部」
全部 。
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160000打キリリク小噺
リクエストは「絢女がかっこいいと思うギン」だったはずなのに、どこで足を踏み外したのでしょう? 何故か、妙に薄暗い話になってしまいました。
時間軸は叛乱の八十年くらい前。原作おいてけぼり、拙宅捏造の設定で、市丸さんと絢女は五番隊入隊後、十二、三年目くらい。さくさくと昇進して、市丸さん十席、絢女さん十一席。ちなみに上位席官が一気に二人も殉職したものだから、この直後に市丸さんは第七席、絢女は第九席に就任します。
市丸さんは自分の身勝手だと承知した上で、絢女を護ろうとしている。そして、絢女は彼自身が自覚していない心の傷を認識してしまっている、という状況なのです。絢女は見えない血を流しても、自分を護ろうとする彼に感謝していて、そんな姿を「かっこいい」と感じている、というテーマで書き始めたつもりだったのですが。うーん、着地点が「かっこいい」から逸れてしまったかもしれません。
どうも市丸さんに関しては、薄暗い話の方が書きやすい気がします。世間一般の「かっこいい」とも、キリ番ゲッターさまの思う「かっこいい」ともずれているかもしれませんが、薄暗い市丸兄さんの美学(?)に私なりのカッコよさを目指したつもりです。
キリ番ゲッターのリリさま、納品いたします。一応、返品は可なのですが、代替品はございません(笑)ので、ご了承下さい。