毒林檎にはご用心
「あいつ、何してるんだ?」
と修兵の指差す先を見て、恋次は何ともいえない表情になった。
「まじないらしいッスよ。現世の」
「現世のまじない?」
「何でも、『人』って文字を掌に書いてそれを飲み込むと人前であがらない、つーことだそうッスけど…」
「効くのか?」
胡散臭げに修兵が反問した時、
「どうやろねぇ?」
彼らの背後からぬっと首が出てきた。
「どわあぁぁぁ!!!!!!」
「ぎゃあぁぁ!!!!」
揃って濁音の悲鳴を上げ、修兵と恋次は一間ほども飛び退った。
「何や、つくづく失礼やねぇ」
とギンは憮然としている。いつもなら蒼褪めるところだが、今日は違う。恋次と修兵はここぞと喰って掛かった。
「しょうがないでしょうが!」
「ご自分の扮装を自覚して下さい! 市丸隊長!」
「今の市丸隊長に突然背後に立たれたら、絢女隊長だって悲鳴あげて逃げ出します!」
大声の二人の抗議にもわれ関せずと、楽屋の隅の椅子に腰かけたイヅルは「人」の一字を書いては飲み込むことを繰り返している。
「今ので、四百三十八人めや」
おもむろにギンが告げた。
「は?」
「飲み込んだ人の数」
その応えに、修兵と恋次はギンとイヅルの両方に呆れてしまった。
「つか、あんた、ずっと数えてたんスか?」
「四百三十八人って…」
「あ、四百三十九人めを飲み込んだ」
修兵は憐みの眼差しをイヅルに向けた。
「あいつ、本番まで持つのか?」
「出番になった途端、ぶっ倒れたりしねぇだろうな?」
と恋次も息をついた。
ことの発端は例によって、女性死神協会である。
二ヶ月ほど前の隊長格会議で、定例の議題を終えた後、四番隊隊長の烈が女性死神協会理事長の立場で発言の許可を求めたのだ。山本が発言を認め、烈は途端に、どこに隠し持っていたのかと隊長格全員がぎょっと目を剥くほどの大量の紙片をどさどさと卓の上に山盛りに積み上げてみせた。
「卯ノ花隊長? それは?」
恐る恐る訊ねた十四郎に、烈はにっこりと笑みを浮かべ、
「一般隊士から女性死神協会に上がって来た要望書と問い合わせの手紙ですわ」
「要望書って?」
「問い合わせ?」
首を捻った男性隊長格。女性死神協会の幹部役員を務める女性隊長格は手紙の内容については了解しているらしく、黙ってこんもりと盛り上がった紙片を眺めている。
「昨年、尸魂界復興に尽力する護廷十三隊隊員を励ます目的で、隊長格による演劇の上演会を敢行いたしましたが、」
げっ、と露骨に顔を顰めたのは昨年の演劇で無理矢理に女装させられてかぐや姫を演じる羽目になった冬獅郎である。他の男性隊長格も思うところがあるらしく、全員、微妙な表情になっている。
「隊長格の意外な一面を見られて嬉しかった、とても励まされた、と反響が大きく、好評でした」
次に続く言葉を男性全員が予測して身構える中、
「この手紙は、今年は上演会を行わないのかという問い合わせと、是非、上演して欲しいと言う要望です」
「…なるほど。それだけの要望と問い合わせが来ているんじゃ無視できないねぇ」
と理解ある発言を行ったのは、昨年の「かぐや姫」で大納言・大伴御行役の洒脱な演技が好評だった春水である。
「ええ、そういうわけですから、一般隊員を励まし、士気向上の為にも、毎年の恒例にしてはどうかというのが女性死神協会からの提案となります」
この議案は隊長格会議で可決された。女性死神協会で可決されたものをひっくり返して、烈に逆らう度胸を男性隊長格の誰一人として持ち合わせなかったからだ。昨年、不本意な女装を強いられた冬獅郎は、上演会の後しばらく妙な視線に悩まされた。一般隊員が妄想を逞しくするくらい、彼のかぐや姫は美しかったのだ。おかげで、ストレスから一時、軽く体調を崩してしまった冬獅郎がもう二度と女装させないと確約するなら、と条件を付けたくらいで、満場一致の可決となった。ちなみに、男性隊長格と女性隊長格が別々に二つの劇を上演する昨年の方式は小道具や衣装の用意、及びスケジュール調整に負担が大きすぎると、女性死神協会の幹部会ですでに否決済みであった。今年からは統一で一つの演目を上演する方式にするという烈の宣言に、冬獅郎は胸を撫で下ろした。
上演演目は「白雪姫」に決まった。話が割合単純で、誰でもが知っている話であることと、赤ずきんやシンデレラに比べて出演者の数が多いという理由である。「眠り姫」も妖精で出演者を稼げるので候補に上がったが、冒頭にちょっと出て来るだけの妖精よりも出番の多い小人の方がよかろうということで「白雪姫」に落ち着いたのである。
白雪姫の候補に上がったのは、当初、絢女であった。美女のヒロインとなると、まず候補として上がるのは瀞霊廷通信の護廷美女番付で東西両横綱を張っている乱菊と絢女だ。そして、乱菊ではなく絢女が推されたのは、現世で普及している絵本や、ことに
「シンデレラなら絢女隊長でもいいと思いますけど、白雪姫を絢女隊長にするのは止めた方がいいと思います」
「どういうわけだ?」
と真っ先に絢女を白雪姫に推挙した白哉が不思議そうに問う。
「白雪姫は王子さまの
乱菊は討伐の為に正副隊長が揃って欠席で、三席が代理出席している三番隊の方を見た。三番隊の三席は顔を蒼褪めさせて、大きくかぶりを振った。
「人死にが出ます」
「王子役を市丸隊長が演じれば問題ないのでは?」
と狛村が意見を述べた。それに対して、
「市丸隊長が王子さまというのは、ものすごく違和感があります」
言いにくいことをすっぱりと言ってのけたのは絢女だ。他ならぬギンの恋人である彼女の発言に、他の隊長格も安堵して大いに賛同の意を示した。市丸ギンという男は容姿そのものは美形と呼んで差し支えないくらい整っている。だが、細めるのが癖になってしまった目とか、口許に常に張り付いている薄ら笑いとか、人を煙に巻く京訛りとか、あらゆる面で胡散臭いという印象が強すぎるのだ。王子さまより、悪の魔王役こそはまり役であろう。
「それなら、松本副隊長が白雪姫を演じるのは?」
乱菊の場合も王子役を他に譲りそうにない男が約一名くっついている。しかし、冬獅郎は白哉と並んで王子役がはまりそうなキャラであるから問題ない。一同が納得しかけたところで、
「あたし、どちらかというとお妃役に立候補したいんですけど」
と、意外にも乱菊がヒロインを辞退し、悪役のお妃を志願した。
「何でまた?」
「だって、楽しそうじゃないですか」
姐御肌で同僚からも後輩からも慕われる乱菊は、現実には理不尽な意地悪とは無縁である。だからこそ、逆に芝居で悪役を演じることに憧れるのかもしれない。他に立候補がなかったことで、お妃役は乱菊に決定した。白紙に戻った白雪姫役に、
「雛森副隊長は如何でしょう?」
と絢女が自らの副官を推挙した。これは賛成多数で可決された。桃も護廷美女番付で大関を張るくらい男性死神に人気がある。「妹にしたい女性死神」部門で一位を独走し続ける可憐で愛らしい顔立ちは確かにW・D映画の白雪姫にも共通するところがある。何より、白雪姫はグリム童話まで含めて黒髪が公式設定である、というのも決め手となった。相手役の王子は当初、冬獅郎が推薦された。冬獅郎は眉間の皺さえなんとかすれば、容姿は正統派王子系である。それに、桃とは幼馴染だけに息の合った演技が期待出来るのではというのが理由だったのだが、
「気持ち悪ぃ。勘弁してくれ」
と冬獅郎は心底嫌そうに辞退した。
「気持ち悪いって、雛森副隊長に失礼だろう? 雛森副隊長は充分可愛いじゃないか」
余りの言種に十四郎が窘めたが、
「雛森の容姿はこの際、関係ねぇよ」
と冬獅郎は反論した。
「浮竹隊長は妹さんがいたでしょう?」
「いるけど、それがどうかしたかい?」
「じゃ、浮竹隊長はご自分の妹とキスシーンを演じろって言われて、承知できますか?」
「…いや、それは…」
困惑顔で首を横に振る十四郎に、
「だろう?」
と冬獅郎は頷いた。
「雛森副隊長とは血の繋がりこそありませんが、俺にとって姉妹も同然です。雛森副隊長とのキスシーンは姉とキスシーンを演じるのと同じ意味なんです。雛森副隊長が絶世の美女だろうが関係ありません。姉妹とのキスシーンは勘弁して下さい」
後半は烈に向かって説明し、冬獅郎は頭を下げた。
「あたしも、シロ…、日番谷隊長とのキスシーンは大笑いしちゃいそうで無理です」
と桃も反対した。この結果、冬獅郎の王子はなくなった。
その間に、絢女と乱菊、七緒がアイコンタクトで謀を巡らせ、
「では、王子さま役は吉良副隊長ではどうでしょう?」
と七緒が推薦した。
「あ、俺、賛成です!」
途端に、真っ先に賛意を示したのは、イヅルの桃に対する積年の想いを知る恋次である。
「うむ。良いかもしれぬな」
と彼の上官の白哉も賛同した。
市丸ギンという強烈な個性の隊長に付いている良識派だけにめっきりと影が薄い印象があるが、イヅルも容姿を問うならかなり整っているのだ。やや気弱で線が細いのが難ではあるが、王子役を演じてもギンのような違和感はない。納得した隊長格が全員賛意を示した為、王子役は本人不在のうちに吉良イヅルに決定したのだった。
そして、冒頭に戻る。
王子役に指名されたイヅルは、観衆が見守る中での桃とのキスシーンに極限まで緊張しているのだ。
飲み込んだ「人」の字は、五百人を超えたところでギンが飽きたので正確な数は分からなくなってしまった。だが、おそらくは千人近くなったところで、舞台の幕が上がった。
今回の上演劇の脚本や衣装デザインは、ほとんど例のW・D社アニメーション映画のぱくりである。尸魂界には現世の著作権は及ばない。W・D社は版権管理が厳しいことで知られているが、あの世相手に裁判出来ない以上、やりたい放題だ。
ただし、出演者の数を稼ぐ為、W・D社映画では省略された白雪姫の実の母親が産まれて来る子供の容姿について願い事をするシーンが冒頭に追加された。針仕事をしていた妊娠中のお妃が誤って指を傷付け、雪に散った血を見て、
「雪のように白い肌、血のように赤い唇、黒檀のように黒い髪の娘が欲しい」
と望む場面である。ここで、絢女が実母役で登場し、観客たちは驚きを隠せなかった。
今回、配役は伏せられていた。噂によると、女性死神協会が胴元になって、一般隊士たちの間で配役についての賭けを行わせる為らしい。真実、女性死神協会が一枚噛んでいるのかは別として、賭け自体は確かに行われていた。そして、隊長格会議でヒロイン候補に真っ先に絢女が上がったように、一般隊士の大方の予想でも絢女が白雪姫の大本命だったのだ。
「じゃ、白雪姫は誰?」
「待て待て、一人二役かもしれないぞ」
と本命に賭けていた死神たちがざわつく中、実母である王妃は幼い姫を遺して病で息を引き取ったのだった。ちなみに、幼少期の白雪姫は黒髪のかつらを被ったやちるが演じた。台詞はなし。父親である国王役の十四郎の傍に俯き加減で立っているだけという役回りである。
その場面が終わると、いよいよ、W・Dぱくりの本筋の開始である。
継母である王妃が黒いマントを翻して登場した。
(えええっ!! 松本副隊長!!!?)
(嘘お!)
この配役も本命から大外れである。乱菊は白雪姫役の対抗馬で、継母役は本命・卯ノ花烈、対抗馬・砕蜂というのが大勢だったからだ。
自分から立候補しただけに、乱菊の演技はノリノリである。普段よりも声を低め、どすを利かせて、鏡の精霊を呼び出す。鏡に一瞬、炎が揺らめき、その向こうから一人の男が姿を現した。
(ひ、日番谷隊長…)
(くそ、また予想が外れた!)
悔しがる観客たち。冬獅郎は鏡の精霊役だったのだ。
「世界で最も美しい女は誰?」
乱菊、もとい女王の問いに、
「女王さま、あなたは確かに輝くように美しい」
と鏡の精は告げる。
「波打つ金の髪。透けるように白い肌には染みひとつなく、蒼い眸は秋の高い空のよう」
この辺りの台詞は冬獅郎のアドリブである。連ねられる称賛の言葉に、乱菊は演技ではなく嬉しそうに頷いていたが、
「しかし、」
と鏡の精は続けた。
「あなたよりももっと美しい、若い女が見える」
いきなり、冬獅郎の口調が平板になった。
「唇は赤い薔薇のように瑞々しく、黒檀のように艶やかな黒髪はしなやか。そして肌はまるで雪のような白さです」
(日番谷隊長、後半、棒読みです…)
思わず、突っ込んでしまったのは観劇している十番隊の隊員たちである。部下たちの心の突っ込みなどどこ吹く風とばかりに、棒読みのままで、冬獅郎は次の台詞を口にした。
「ぼろを纏ってはいても、彼女の美しさには女王さまも敵わない」
「白雪姫だというの!?」
女王が悔しそうに歯噛みする演技の直後、舞台は暗転し、城の庭の場面に切り替わった。
みすぼらしい衣装を纏った娘が、城の石段を磨いている。白雪姫役の桃である。桃は白雪姫役の予想レースでは乱菊と僅差で三位だった。砕蜂やネムではなく、桃という本命ではないにせよ妥当な配役に、ようやく観客たちに納得の雰囲気が流れた。
この上演劇で脚本をぱくったW・Dアニメは実はミュージカル映画である。それゆえ、この劇でもしっかりと歌が入る。桃が井戸を覗き込みながら、歌い始めた。
「雛森副隊長、歌が上手いな」
「綺麗な声…」
一般隊士には隊長格の歌を聞く機会などないので、皆、桃の歌の上手さに驚嘆し、聞き惚れている。桃は流魂街で暮らしていた頃、祖母から謡を仕込まれていた。謡で鍛えた腹からの発声法は洋楽にも応用出来ていて、特別に声を張り上げているわけでもないのに舞台の端にまでよく通っていた。
彼女が、
「望みを告げれば、願いが叶う」
などと美声を披露している裏で、イヅルは修兵や恋次らによって白馬に乗せられていた。緊張の余り、顔色を蒼褪めさせているイヅルの背中を、恋次はばん、と勢いよく叩いた。
「ほら、出番だ!」
「散々、練習しただろう?」
「ここはまだ、一緒に歌うだけだって」
と同僚たちの無責任な励ましを受けつつ、彼は送り出された。
白馬は造形こそリアルだが、張りぼての人形で自走出来ない。この為、斑目一角、小椿仙太郎が口取りの従者役で配されていた。彼らに引っ張られて、白馬は進むのだ。この二人は共に三席で隊長格ではない。しかし、副隊長不在の十三番隊では三席の仙太郎と清音が副隊長代行の権限を持っているし、一応、やちるという副隊長がいる十一番隊も実務における実質的な副隊長は一角なので、劇に引っ張り出されたのである。二人はイヅルの乗った白馬を城の壁に横づけさせた。この時まで、衣装の帽子でよく顔が見えなかった王子が、観客席に顔を向けた。途端に、客席が静かにどよめいた。
(…って、吉良副隊長かいっ!?)
(盲点だった…)
(予想外だ)
とここでも予想を外した観客たちは気落ちしていた。当然のように、王子役は大本命が白哉で、冬獅郎が対抗馬だったのだ。白雪姫の大本命として絢女の名が挙がっていたにもかかわらず、王子役の予想にギンの名がほとんど出て来なかったのは、本人の人徳(?)というものであろう。
(あ~、でも結構さまになってるよな)
(こうして見ると、吉良副隊長って王子さま系のイケメンだったのね)
と隊員たちが認識を改めている間に、イヅル王子は塀越しに中を覗き込み、白雪姫を認めると塀を乗り越えて城の中に侵入した。
「あのな?」
観客に聞こえないようにぼそぼそ声で、一角が仙太郎に話しかけた。
「資料だっつって、DVDを見せられた時から思っていたんだが、人んちの塀を勝手に乗り越えて、不法侵入するって、一国の王子の振舞いとしてどうなんだ?」
「しかも、下女を口説いているしな」
むろん、口説いた相手は白雪姫である。結果からすると下女ではないのだが、この場面の彼女を見て下働きの召使いではなく王女だと見抜ける者がいたら却って怖い。白雪姫は継ぎ当てだらけ、裾は擦り切れたぼろぼろの地味な衣装を纏い、水汲みしているのだから。
桃の隣りに立ったイヅルが声を合わせて歌い始めた。先ほどまで、足をがくがくさせていたくせに、見た目、堂々としているのは何だかんだ言っても副隊長を務める者としての矜持のなせるわざだろう。一般隊員の前で、無様な姿をさらすわけにはいかないという、意地と誇りである。
(けっこう、吉良副隊長も歌が上手いな)
桃ほど堂に入った歌いっぷりではないが、イヅルも普通に歌が上手い。現世のバンド活動に憧れ、自身もギターを練習している修兵と親しいので、よく彼に誘われて現世のカラオケ・ボックスに遊びに行っていたのだ。修兵や恋次といった親しい仲間の前以外で歌うのは初めてだったが、カラオケ・ボックスの採点システムで高得点を叩き出したこともある経験は自信に繋がっていた。
突然現れた王子に驚いた白雪姫は、一度は城に逃げ込んだものの、惹かれるものがあったのか、カーテンの隙間から王子の様子を伺っている。王子役のイヅルは愛を捧げる歌を歌い、白雪姫はバルコニーに出て来て歌に聞き入っている。
見つめ合う二人。白雪姫は王子に投げキッスをすると、恥ずかしそうにカーテンの向こうに隠れてしまった。
続くは女王が狩人に姫の殺害を命じる場面である。アニメ映画の狩人は恰幅のよい中年男に描かれていたが、ここで現れたのはネムである。
相変わらずの乗った演技で、
「油断したところで、あの
と女王・乱菊は冷酷に命じる。
「あんな可愛らしい姫を殺せと仰せですか?」
狩人・ネムは反駁したが、いつもと同様に感情の籠らない平板な台詞まわしである。
「おだまり!!」
女王は声を荒げた。失敗すれば罰を与えるという女王の言葉に、項垂れて命令を承服する狩人。女王は煌びやかな細工が施された箱を差し出した。
「証拠として、白雪姫の心臓を抉り出し、この箱に詰めて持ち帰りなさい」
女王の高笑いをBGMに舞台暗転。
(松本副隊長、すっげ楽しそうだな…)
(ストレス発散してね?)
と観客らが首を傾げる中、白雪姫が楽しげに花を摘む場面に移行した。
夢中で花を摘んでいた白雪姫は、怯えて泣いている迷子の仔兎を見付けて慰めはじめた。パクリ元の映画では小鳥だったが、ここは兎に変更された。仔兎役は兎耳を付けた砕蜂である。
(…か、可愛い)
(うさ耳…って反則だろ?)
主に男性死神たちが兎耳・兎尻尾の砕蜂に悶絶しそうになっている間に、ナイフを構えたネムがじりじりと白雪姫・桃に迫っていく。無表情美少女だけに、却って妙な迫力があり怖い。芝居であるし、狩人は姫を殺さない展開なのは分かっているが、つい、固唾を飲んでしまった観客の前で、ネムはナイフを取り落とし、姫の足元に跪いて、
「わたしには出来ません」
と懺悔を始めた。殺そうとしたのは女王の命令であること、このまま姫と狩人が城に帰れば、二人ともただでは済まないことを淡々と告げるネム。森の奥深くに逃げて、決して城に戻るなという狩人の言葉に頷いて、怯えた演技の桃が森に向かって走る。薄暗い森の中、絡まった蔓や、木のうろに脅かされながら桃は逃げる。やがて、地面に倒れ込んで、彼女は啜り泣き始めた。そのまわりを森の小動物たちが心配そうに囲む。ほとんどは技術開発局謹製のラジコンぬいぐるみであるが、ここに先ほどの兎・砕蜂の他、リスの清音、アライグマの七緒に猫(山猫ということであろう)の絢女が混じっているのは、
(ブロマイド、売る気満々だなぁ)
と察した女性死神たちは頷き合った。先ほど、兎耳砕蜂に悶えていた男性死神たちは、ふさふさしたリス尻尾の清音や、可愛らしい猫耳の絢女にも相好を緩めてやに下がっている。女性死神協会のカモ確定の男性陣を、女性死神たちは憐みの籠った眸で密かに見遣るのだった。
動物たちの案内で、小人たちの住む家に辿り着いた白雪姫は室内の余りの汚さに掃除を始めた。
(ねぇ、まだ出演してない隊長格って…?)
(総隊長は措いといて、雀部副隊長、大前田副隊長、市丸隊長…)
と確認し始めた観客たちは青褪めた。
これから登場する配役といえば七人の小人くらいだが、残っている隊長格といえば小人役には難のある巨漢ばかりなのだ。
(まさか…)
観客たちの嫌な予感は的中した、やけに野太い男性合唱が響き、鉱山で宝石を掘り出す巨人、もとい小人たちが現れたのだ。
(ぎぃえええ!!)
(どこが、小人だぁ!?)
(濃ゆい…。この小人、無茶苦茶、濃ゆい)
七人の小人の配役は、六番隊隊長・朽木白哉、同副隊長・阿散井恋次、七番隊副隊長・射場鉄左衛門、八番隊隊長・京楽春水、九番隊副隊長・檜佐木修兵、十一番隊隊長・更木剣八に紅一点で四番隊副隊長の虎徹勇音である。揃いも揃って六尺前後の巨漢で、これを小人と称するのは勘弁してくれという面子ばかりである。
(朽木隊長…、美形が台無し)
よく美形は何を着てもさまになるというが、例外もあることを皆、悟った。衣装デザインは例によってW・D社映画のまんまなのだが、正統派王子さま系の白哉が小人服を纏った姿は間抜けの一言に尽きた。
W・Dアニメでは小人たちに性格づけが為されているが、リーダー格の「先生」役は春水らしい。「照れ屋」が恋次、「あくび」が修兵、「くしゃみ」が剣八、「ごきげん」が鉄左衛門、「皮肉屋」が白哉、そして「おとぼけ」が勇音という割り振りである。尤も、
(この面子が小人って無理があり過ぎるし…)
(もう、小人の中での役割とかどうでもよくね?)
と皆、思っていた。桃が、
「小人さんたち」
と話しかける度に、
(いや、雛森副隊長の方が小人だから)
と突っ込まずにはいられない観客たちであった。
城では乱菊女王が白雪姫の心臓の入った箱を持ち、
「魔法の鏡よ。今、世界で最も美しい女は誰?」
と問うていた。鏡の精を呼び出すのにいちいち派手な演出が付くのは、様式美というものである。立ち昇る炎、揺らめくスモーク越しに冬獅郎が姿を現した。
「丘の向こう、森の奥深くに七人の小人たちと暮らす白雪姫。彼女が最も美しい」
相変わらずの棒読みで鏡の精が答える。狩人に騙されたと知った女王は怒り狂い、力任せに箱を床に叩きつけた。派手な音と共に箱が砕け、中から心臓が転げ出す演出に、
「ひっ!」
と観客たちの腰が引ける。女王は荒々しい足取りで、地下の魔法部屋へと急ぐ。映画でも首吊りのしゃれこうべなどが配され、おどろおどろしい雰囲気を漂わせていたが、舞台美術を担当した技術開発局、なかでも涅マユリがこの魔法部屋は凝りに凝って飾り付けした為、ホラー映画並みの不気味さを漂わせていた。
(ここ、気持ち悪いのよね)
と自ら志願して悪役になった乱菊も、魔法部屋の気色悪さには及び腰だ。
(こんなに不気味にしないでもいいのに)
舞台照明は暗く落とされ、手に持った燭台の点した蝋燭の炎の揺らめきがぼんやりと乱菊だけを浮かび上がらせている。悪役に相応しく、派手めの化粧を施された彼女の顔は蝋燭によって下から照らし出され、美貌なだけに怖さも半端ではなかった。
分厚い魔法の書物を紐解いた女王は、白雪姫の殺害方法を毒林檎と決めた。
「一口、林檎を口にすれば、心臓が止まり、血も凍りついて仮死状態に陥る」
と乱菊は書物を読み上げた。
「あはははは、白雪姫よ! そなたを死んだと思い込んだ小人たちによって生き埋めにされ、土の中で醜く朽ちていくが良い!」
二度目の乱菊の高笑いを、
「乱菊ちゃん、ノリノリだねぇ」
「楽しそうですねぇ」
と舞台袖で小人たちと森の動物たち、鏡の精は苦笑いしながら見守っていた。
「松本の悪役、どうかと思っちょったが、なかなかさまになっとるのう」
「悪役でも綺麗ですよね」
と鉄左衛門と修兵。
「…いいなぁ。私も悪役してみたいかも…」
何故か、絢女が心底、羨ましそうに呟いた。
一方、イヅルは相変わらず、片隅に座って「人」の字を飲み込み続けている。舞台では副隊長の誇りにかけて堂々と歌い切り、出番を全うしたイヅルだった。だが、袖に引っ込んだ途端、へなへなと崩れてしまって、従者役の仙太郎と一角に助け起こされる騒ぎだったのである。しばらく、椅子に座って放心していたのだが、我に返った途端、彼は再び、まじないに没頭し始めた。最早、恋次も、修兵も生ぬるい目で見守るのみだ。
「この林檎をあの娘に食べさせるには、私だと悟られてはならぬ。そうだ、物売りの老婆に化けよう」
と乱菊は笑った。
「この私の美貌をしわくちゃの老婆に変えるのだ。髪は白髪に、声もしゃがれさせて、みすぼらしい哀れな年寄りの姿で近付けば、白雪も油断し、気を許すに違いない」
乱菊は、
「ミイラの粉末、とかげの干物、蜘蛛の死骸…」
とアドリブで怪しげな材料名を挙げながら、薬を調合していく。出来上がった薬をゴブレットに注ぎ、乱菊女王は一息で薬を飲み干した。
「ううっ…」
咽喉を掻き毟り、苦しげに蹲る乱菊。
直後、どーんという大音響と共に、落雷の光が舞台を眩しく照らした。暗さに慣れた観客が幻惑された一瞬後、舞台の照明が完全に消え、闇の中で、
「ひっひっひっひ…」
という不気味な笑い声が響いた。
暗闇の中、蠢く気配があって、蝋燭の炎が再び灯された。
「ひぃぃ!」
思わず、観客が悲鳴を上げたのも無理はなかった。うっそりと佇む老婆は、下手な
「ひっひっひっひ…。このしゃがれた声…、皺まみれの肌。誰も私だとは分かるまい」
一応、標準語の台詞であるが、微妙に訛りのあるイントネーションは、
「市丸隊長ッスか…」
「ある意味、はまり役」
と観客たちは溜息をついた。美貌の女王は乱菊だったが、薬を飲んで老婆に変身した後はギンが女王役なのだ。
老婆・ギンは毒林檎を籠に納めると、魔法部屋を抜け出した。
城の地下水路を小舟で漕ぎ出した老婆は荒れ地を通り抜けて、小人たちの家へと急ぐ。老婆らしく、よたよたした足取りなのはさすがの演技だ。
白雪姫に見送られて、仕事に出掛ける小人たち。
「ね、朽木隊長って案外、コメディアンの才能があるのね」
「何か、あの朽木隊長って可愛くない?」
と意外な人気を博したのは白哉である。
配役の身長差のせいで違和感ありまくりであるが、一応、小人たちは照れながらも、白雪姫に頬に接吻をしてもらい仕事に出掛けた。その中で、一人、白雪姫に反発する態度を取り続ける皮肉屋であったが、出かける前に頬を擦って綺麗にしたりなど、本音では白雪姫に心を許している素振りを見せた。そして、
「絶対に、誰も中に入れてはならぬぞ」
という注意に、
「心配してくれてありがとう」
と白雪姫に接吻をされた後、照れながら立ち去るさま、振り返って白雪姫がまだ見送っているのを認めた途端、しかつめらしい表情を取り繕うところなど、なかなかの演技力だ。
実は、配役が決まった後、演技研究の為に現世からDVDを取り寄せ鑑賞した際、一緒に見ていたルキアから、
「口では皮肉っぽくて白雪姫を認めない素振りを見せながら、人一倍、姫を気遣っていたり、危機には真っ先に助けに走ったり、姫の死に悲しんだり…、外見はともかく、心根は兄様に通じるものを感じます。きっと素晴らしい演技が期待できますね」
と激励されていたのだ。妹溺愛の白哉は、これで密かにやる気を出したのである。
小人たちが出て行った家で、映画の中では一番有名で、現世ではすでにスタンダードになっている「いつか王子さまが」という曲を歌いながら、動物たちとストロベリー・パイを作る白雪姫・桃。
と、いきなり窓が翳って、ぬっと顔を出したのは老婆だ。
「きゃあぁ!」
練習で幾度も扮装は見ているが、何回めであろうと、思わず悲鳴を上げて後退ってしまうほど、ギンは不気味である。扮装効果は無論であるが、本人がどうも意図的に胡乱さを全開にしていることも要因の一つらしい。
「お嬢さん、一人かい?」
老婆の質問にこくこくと頷く桃。演技ではなく、半分、素で怯えている。周りに控える森の動物役の砕蜂や清音、七緒や絢女さえもがどん引いている中、老婆はくんと鼻をひくつかせ、
「おや、パイを焼いているのかい?」
と尋ねた。
「はい。苺のパイです」
「ああ、だめ、だめ。男が一番喜ぶのは、アップル・パイだよ」
どういう根拠で? と台詞を言っている当人のギンも心の中で突っ込んでいるのだから、世話はない。老婆は林檎をひとつ、手に掲げてみせた。
「ほら、見てごらん。おいしそうな林檎だろう」
「本当…。おいしそう」
と白雪姫は窓辺に歩み寄る。
「味見に一口食べてごらん」
唆す老婆。その時、ラジコンぬいぐるみの小鳥たちが一斉に老婆に襲い掛かった。
「うわっ!」
技術開発局、ギンに含むところがあるのか、本気で小鳥たちは突ついてくる。
(覚えときィ)
ギンが小鳥から顔を庇っている間に、家の中から走り出てきた桃が、
「駄目よ!」
と小鳥を追い払った。ギンは素早く毒林檎を拾い上げると、衣装の袂に隠した。それから、胸を押さえて蹲る演技を見せた。
「おばあさん、大丈夫」
「あ、ああ…。びっくりして、胸が…」
苦しげに老婆・ギンは白雪姫を見上げた。哀れっぽい表情での、
「苦しい…。家の中で休ませておくれ」
という懇願に白雪姫は頷くと、小人たちとの約束を忘れて老婆を助け起こして家に入れてしまった。
水を飲ませて貰った老婆は、
「こんな年寄りに親切にしてくれるなんて、なんて優しいお嬢さんだろう」
と袂から林檎を取り出した。
「お礼に特別な林檎をあげよう」
「特別な林檎?」
「そうさ、願いが叶う魔法の林檎さ」
「…魔法…。願いが叶う?」
「そうだよ。お嬢さんにも願いがあるだろう? さっき、歌っていただろう、あれがお嬢さんの願いかい?」
「ええ…。以前に一度だけお会いしたとても素敵なお方…。あの方にもう一度、お会いしたいのです」
言葉巧みな老婆に心動かされる白雪姫。実際のところ、こんな胡散臭い老婆の口車に乗る女などいそうにはないが、ここは騙されて林檎を口にしないことには物語は進行しない。
「そうかい、そうかい。ならば、この林檎に願いをかけて、願いが消えないうちに食べておしまい。そうすればきっと、お嬢さんの望みは叶うで」
最後は標準語が崩れて微妙に京訛りになってしまったが、観客には気付かれなかったようである。
毒林檎は白雪姫の手に移り、危機感を覚えた動物たちは鉱山に小人たちを呼びに走る。
「あのお方にもう一度、会えますように。私を迎えに来てくれますように」
願いを告げ、林檎を一口齧る桃。ごくんと林檎を飲み込んだのを、ギンが見届けた直後、桃はくたくたとその場に崩れ、床に倒れ込んだ。
(桃ちゃん、練習の時とは演技変えたなァ)
練習の時にはひとしきり苦しげに呻いて、ばったりと大げさに倒れていた桃である。倒れ方としては、今の演技の方が断然、上手い。
「くっくっく…、上手くいった」
ギンの不気味な高笑い。
「あぁ、はっはっは、はっはっは、これで私が世界一の美女!」
女王・乱菊の台詞なら説得力もあるが、老婆のギンではちょっと待てと突っ込みが入るところだ。
そこに、動物たちから急を知らされ駆けつけて来た小人たちが戻って来た。家を出たところで、小人たちと鉢合わせた老婆・ギンは身を翻して逃げる。
「魔女だ! 追うぞ!!」
先頭に立って叫ぶは、白哉演じる皮肉屋である。
「おうさ、あいつとは一度、殺りあってみたかったんだ」
と、くしゃみ・剣八がにやりと嗤う。
(ちょ、更木はん、本気モード!?)
これにはさすがのギンも愕然とした。
「ほれ、もうすぐ出番だぞ」
「しゃんとしろ」
と冬獅郎、一角、仙太郎に励まされて、イヅルはのろのろと立ち上がった。心臓はばくばくと破裂しそうだ。
女王の扮装の乱菊がイヅルに近付くと、にっこりと微笑んだ。
「あのね、吉良。去年、あたしたち、『ベルサイユのばら』を演ったでしょう」
「はい…?」
「でさ、オスカルとアンドレ、それからアントワネットとフェルゼンのキスシーンがあったの覚えている?」
「え、あ、はい」
「本番ではちゃんと寸止めだったんだけどね。実は練習中、何回か失敗しちゃって、本当に
「はぁぁ!?」
冬獅郎の目の前で、あっけらかんと乱菊が言い放ったのは、相手が同性の勇音だからだ。
「…あの…、松本さん?」
「失敗しちゃったなら、仕方ないわよね」
とぱちんとウインクしながら、とんでもないことを唆す乱菊。おそるおそると、イヅルは桃の兄弟同然の冬獅郎を振り向いた。だが、彼は別段、立腹したふうもなく、
「好きにしろ」
と兄弟としてどうなのかという発言をしてのけた。
「そうそう、事故なら仕方ないって」
「雛森副隊長も許してくれますよ」
と尻馬に乗って、一角と仙太郎も煽る。
そこに、裏方の涅マユリが近付いて来た。
「吉良副隊長、これを持って行きたまえヨ」
と彼は小瓶を差し出した。
「何ですのん、それ?」
丁度、本気モードの剣八を躱し、どうにかこうにか出番を終えて舞台袖に引っ込んできたばかりのギンが、見咎めて尋ねた。
「解毒剤だヨ!」
とマユリが何を当たり前のことを、と言いたげに答える。
「は?」
「解毒剤?」
袖にいる全員が目を見合わせた。
「ま…さか?」
「いや、いくら何でも…」
蒼褪めるイヅルたち。ギンも嫌な汗が背中を流れるのを感じた。
「やけに真に迫った演技やと思とったんやけど、あれ、演技と違うん?」
「即効性の麻痺毒だヨ」
とマユリは得意げに解説した。
「まず、効果は随意筋に現れる。すぐに痺れて動けなくなるのだヨ」
「…」
「次に神経系が麻痺する。ここまでに個体差はあるが
「…」
「最終的に呼吸が止まって、心肺停止に至るまでがだいたい
「完璧です、マユリ様」
ネムの合いの手に、
「完璧じゃないわよ! 雛森を殺す気!?」
と乱菊が食って掛かる。
「ぎゃあぎゃあ五月蝿いネ。だから、ちゃんと解毒剤を用意してやっているじゃないかネ」
マユリはどこ吹く風だ。
「心配いらないヨ。その薬も即効性だからネ」
ばっと、全員がイヅルに詰め寄った。
「吉良、頼むぞ」
「吉良ぁ、お願いよ」
「イヅル、頑張るんやで」
事を穏便に、一般隊員たちに気付かれないように処理するには、キスシーンに乗じて桃に解毒薬を飲ませるより他にない。
一方、舞台上でも、小人と森の動物たちが桃の異変に気が付いていた。
先生役の春水がおそるおそる袖を窺う。乱菊が小瓶を振って見せ、彼女の背後に踏んぞり返るマユリを認めて、事態の察しがついてしまう自分に春水は一抹の悲しさを覚えた。彼は小声で皆に説明した。
「どうやら、涅くんが本当に毒林檎を用意したみたいだよ」
「なっ?」
「大丈夫、吉良くんが解毒剤を持って来るから」
「…そッスか…」
それで納得してしまうあたり、隊長格全員、涅マユリに慣れ過ぎてしまっている。
予定通りに桃が硝子の棺に納められたのを待ち構えたように、一角と仙太郎に馬を引かせたイヅル王子が登場してきた。震える手には解毒剤の入った小瓶を握りしめている。
「吉良、早く」
小声で恋次がせかす。
イヅルは棺の傍に跪くと、硝子製の棺の蓋を開けた。
W・D社映画でも、それ以外の絵本の挿絵でも、横たわったままの姫に口接けるのが定石だ。しかし、今は解毒剤を飲ませなければならない。イヅルは桃の半身を抱き起した。
観客席がわずかにざわめいた。イヅルは自分の身体で小瓶を隠しながら、瓶の蓋を取り去った。ごくりと息を呑んだ彼は
(って、口移しじゃないんかい!)
(吉良~、誠実過ぎるのもどうかと思うぞ)
(緊急事態だったで済む、千載一遇のチャンスを棒に振るとは…)
イヅルが口移しで解毒剤を飲ませるものと決め込んでいた隊長格はがっくりと項垂れる。
一方、観客は本格的にざわつき始めた。何も知らない客席から見ると、イヅルが桃を抱き起し、薬を飲ませるまでに要した時間は、そのままキスシーンの長さになるのだ。
「何で、こんなにキスシーンが長いんだ?」
「まさか、吉良副隊長…、本格的に
「げ、マジか?」
一部の雛森桃ファンの男性死神が殺気立ち始めたが、それどころではない。
(雛森くん、目を覚まして…)
祈るように桃を見つめるイヅルには客席のざわめきも耳には入っていない。
「…う…ん?」
ゆっくりと桃の睫毛が震えて、黒曜石の眸がすぐ目の前のイヅルを捉えた。
「え? あれ、吉良くん?」
素で桃は問い掛けてしまったが、ざわついている為にその声は客席には届かなかった。
「あの林檎、涅隊長が用意した本物だったんだ」
事態を飲み込めていない桃に、イヅルが小声で説明する。
「それで、雛森くんは気を失ってしまって」
「…あ…」
「今、解毒剤を飲ませたんだ」
「…うん」
と桃は頷いた。ここが舞台上であることを了解した桃は、大げさに両手を広げると、
「王子さま!」
とイヅルに抱きついた。
「姫、僕と結婚して下さい」
プロポーズに頬を染めて頷く白雪姫。王子は白雪姫を抱きかかえると、白馬に乗せた。小人たちに手を振りながら、舞台袖に引っ込んで行く桃とイヅル。
「こうして白雪姫は王子と結婚し、お城でいつまでも幸せに暮らしました」
烈のナレーションと共に幕が引かれ、舞台は波乱を含みながらも無事に完了したのだった。
その後、三番隊には雛森ファンの男性死神から抗議の手紙や嫌がらせの怪文書が殺到した。
事態に閉口したギンが瀞霊廷通信部に「キスシーンの真相!」という特集記事を組ませるまで、抗議と嫌がらせは続き、イヅルはストレスから五日ほど入院するという騒ぎになった。その後、抗議した男性死神たちは、
「事情も知らへんのに、憶測だけで騒いだ」
というかどでギンの報復を受けたらしいが、被害者全員がギンを怖れて口を噤んだ為、真相は藪の中に放り込まれたのだった。
そして、女性死神協会が発売したブロマイドは、男性死神を中心に大量に売れた。白雪姫である桃のブロマイドは言うまでない。しかし、女性死神たちの予想通り、獣耳に獣尻尾の女性隊長格ブロマイドの売れ行きは格別で、協会は潤沢な活動資金とやちるのおやつ代を稼ぎ出した。
さらに噂によると、賭けの胴元はやはり女性死神協会であったらしい。女性死神協会が荒稼ぎした賭け金の一部は、劇で舞台美術やラジコンぬいぐるみなどで貢献した技術開発局に渡ったということで、道理でマユリが協力的だったはずだと男性隊長格は溜息をついたのだった。
《参考資料》
白雪姫について
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウォルト・ディズニー社「Snow White and the Seven Dwarfs」1937年
******************************************
200000打キリリク小噺
キリ番ゲッターのゆきさま。大変お待たせいたしました。20万打のキリリク小噺の納品です。リクエストは「十三隊の面々が登場する賑やかで明るいコメディチックなもの」でした。三周年記念企画で書いた「なよ竹の姫を巡る攻防戦」の一年後設定で、隊長格による演劇というベタなネタでキリ番を消化させていただきました。
ちゃんとコメディタッチになっているかは不安ですが、護廷十三隊の面々は極力出したつもりです。狛村隊長も小人メンバーに入れたかったのですが、さすがに断念。ごめんなさい、こまむー。ないがしろにして。ついでに雀部副隊長と大前田副隊長もごめん。出番を作れませんでした。
それにしても、下書き中、何度DVDを見直したことか。実はちゃんと見たのは初めてだったのですが、正直言って、とても八十年近い昔の映画だとは思えません。よく出来た名画です。ウォルト・ディズニー恐るべし。
ちなみに、白雪姫って、作品そのものはもう版権切れているらしいですね。版権管理に厳しいディズニーですが、切れているなら安心。但し、デジタル・リマスターを施したスペシャル・エディションにはデジタル・リマスター版としての版権が設定されたようですので、そこからの画像コピーとかはNGらしいです。